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戦国稲荷御伽草子  作者: 笠緒
第一部 戦国稲荷御伽草子
33/59

第四章 華の行方・伍

 久々に澄み渡った空が広がっていた。

 抜けるような青い空を、たっぷりと水分を含んだ若い葉が仰ぐように見上げている。直鷹(なおたか)は眩しそうにその色を目に映し、足を止めた。


「どうかなさいましたか?」


 それに気づいたのか、数歩前を歩く黒髪の少年も同じく足音を留め、その場で肩越しに振り返る。直鷹は「いや」と三日月の唇から歯を零し、再び歩を埃ひとつ見当たらない廊下へと落とした。

 少年の頭上で円筒形の立烏帽子がゆらりと上下し、橙色の狩衣(かりぎぬ)が僅かな衣擦れの音を立てる。

 鳴海国(なるみのくに)花咲城(はなさきじょう)

 いわずと知れた鳴海国守護大名・榊鷹郷(さかきたかさと)の居城であり、栗色の髪を持つ少女の生まれ育った場所である。


(さぁ、のるかそるか)


 一世一代の大博打の始まりだった。






「殿の御成りに御座います」


 小姓と(おぼ)しき幼い声が二十畳の広間に響き渡ると、直鷹は深々と(おもて)を下げる。日頃被らない立烏帽子(たちえぼし)の重みでやや痛む首筋に、かつて高く(たぶさ)を結ったせいで頭痛に苦しんでいた少女を思い出し、「確かに、頭痛くなるわ」と独りごち笑みを食んだ。

 ドスドスというお世辞にも上品とはいえない足音と、それとは裏腹に耳障りの良い衣擦れの音が耳朶へと届き、豪奢な褥が敷かれた上座へと影が座った。


「榊さまの御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ上げます」


 同時に、(おもて)を伏せたままの直鷹から、やや高めの若い男児特有の声が発せられる。男――この城の主たる鷹郷だろう――は、なんの感慨もなさそうな声で「うむ」と低く呻くように返事をした。


(おもて)を上げよ」

「は」


 首筋の凝りの原因である立烏帽子をゆっくりと持ち上げ、慕しげな表情を貼り付けたまま上座へと睫毛を向ける。畳へと付けられていた拳を橙色の狩衣の袖へとしまうと、組まれた胡座の上へとそっと置いた。

 気持ち顎を引き、やや上目遣いに上座の人物を見遣れば、数年前元服の礼を述べに訪れたときよりもやや年を刻んだ主筋の男の姿があった。太い眉にぎょろりとした大きな(まなこ)。全体的に覇気はなく、傲慢さばかりが滲み出た姿ではあるが、若い頃はそれなりに誰の目からしてもそれなりに魅力的に思えるのだろうと想像させる、そんな風貌だ。

 どちらかといえば涼やかなさらりとした印象が強い(くだん)の姫には、似通ったところは今のところない。彼女は京出身という母親似なのかもしれない。


水尾(みずお)の――縁者と聞いたが?」


 チラリと側に控える直周(なおちか)へと視線を流しながら、鷹郷は訊ねてきた。


「何代か前に分かれた傍流となりますが、今は水尾家氏神を祀る神社にて宮司(みやづかさ)相勤(あいつと)めております」


 嘘の中に真実を練り込みながら、直鷹は自己紹介を始める。水尾本家はともかくとして、分家である直鷹の家が氏神を祀る神社を保護していることは事実だ。もっともその神職としての任も現在は彼の父・秀直(ひでなお)が就いているわけだが。


「して、その宮司どのが何用か」

「聞くところによれば、昨今城下では付け火をする不届き者がいるとか。そして恐れ多くもこちらのお城でも火の手が上がったと。そして、その折に姫君の姿が見えなくなっているということで御座いますね?」

「う……む」


 貴人特有の傲慢さばかりが目についていた老年の男の顔に、急に後暗い影が差す。その表情を垣間見て、直鷹は唇の端を持ち上げた。


「話は変わりますが、実は先日、私の夢にて氏神の眷属が国を興すと吉兆とのお告げが御座いまして。翌日に我が神社にて保護した方がいらっしゃるのですが、この方こそまさにお告げの方ではないかと」

「……どういう、ことだ?」


 突然風向きを変えた話題に、毛虫のような眉毛を器用に片方だけ持ち上げながら、鷹郷は訊き返す。その(おもて)に浮かんだ感情は、決して穏やかなものではない。

 如何に日頃一国の主たる器ではないと影で噂されている暗愚であろうとも、暗に付け火はお前の不徳の致すところなので国を渡せといってるに等しい少年の言葉は、気分を害するのに十分だったようだ。

 直鷹は広間の空気を真冬のように一瞬で冷やした上座の老人からの視線を、全く気にすることなく受け流すと、スッと半身を引き横へと席を移した。そして果てしなく続きそうな空が見える入口へと瞳を向けた。


「姫君」


 外連味じみた表情と声音で、呼びかける。

 一瞬の後、背後でガタ、と上座の男が太い腕を華美な脇息からずり落とした音が響いた。一段高く設けられた上座から脇息が下座の畳へところん、と転がる。


「……ぐ、り……」


 老人の唇が、震えながら名を刻んだ。

 その声の行きつく先――青空の(もと)にあったのは、痩躯の少女の姿。

 白地の小袖に橙色の片裾模様を滲ませて紅色の帯を締め、金糸かと見まごう栗色の髪をゆったりと背へと流すその少女は、先日この城から姿を消した六の姫その人で――。


「お久しぶりです、お父さま」


 ゆっくりと広間へと足を踏み入れ、直鷹が譲った場所へと腰を下ろす。さら、と癖のない髪が細い肩から一房零れ落ちた。

 ふわ、と鼻腔を擽るのは、この青天のように清々しい荷葉(かよう)の香。


「そなた……い、生き――」

「残念ながら、生きております」


 我が目を疑う父親へと、愛情の欠片も見当たらない言の葉をぐさりと突き刺すが、常日頃からそのようなやり取りをする親子であったようで、上座の老人は特に何も感じなかったようだ。


「久方ぶりの再会とあっては積もる話も多いとは存じますが、そろそろ本題に入っても宜しいでしょうか?」

「……ほんだい?」


 直鷹が未だ夢か幻を見ているかの呆け顔を上座で晒す鷹郷へと声をかけると、間の抜けた声が鸚鵡返しで繰り返された。


「先ほど申し上げた国興しの件です」

「くにおこし……、あぁ、先ほどのあの話か」


 鷹郷の表情がすっと引き締められ、太い眉の間に皺が刻まれる。(むすめ)が戻った程度では回復しなかった機嫌の悪さが、そのまま橙を纏う少年宮司へと刺さった。

 直鷹は半身を引いたままになっていた身を再度上座へと向けると、袖から拳を少し出し畳へと押し当てる。そして(おもて)を僅かに下げると、頭上の立烏帽子がゆらりと上座の貴人へと会釈した。


「我が(やしろ)の氏神は稲荷大明神(いなりだいみょうじん)に御座います。その眷属とは即ち狐。そして眷属がそのまま人形(ひとがた)となったかのような姫君が我が社に逃げ延びなされたのはまさにお告げが(まこと)であるとの証明に相違ございますまい」

「な……!? は??」

「姫君のお姿はまさに眷属のお遣い……否。稲荷大明神の化身と言えるのです」

「は?? けし……? あ、い、いや……そ、そもそも女が家督を継ぐなど」

女人(にょにん)が家督を継いだ例は数多く御座います。そして近年では東国にて公家出身の姫御前(ひめごぜ)が夫亡き後に男に成り代わり御家を守っておられる(よし)


 もっとも、前者は跡取りがいない時に限った一代のものであるし、後者に関しても家中が跡目相続の騒動に巻き込まれた結果という、恐らく臨時的なものではあるのだが。

 直鷹はまるで水が高い所から低い所へと流れるかの如く、一度の言い淀みもなく唇から次々と言葉を紡ぎ出す。呆気に取られる鷹郷から視線を横へ座る少女へ流しながら、「それに」と声を落とした。


「私からいいます」


 直鷹の視線を受けて、阿久里(あぐり)の背は意識したかのようにピンと伸ばされ、その琥珀の瞳は真っ直ぐに父親を見据えている。


「お父さまは、近頃城下で起こっていた不審な付け火を覚えておいででしょうか?」

「む、無論」

「それと同じく先日城で起こった火事――私の屋敷が焼かれたあの騒動の犯人が同じ者であるということはご存知ですか?」

「……無論だっ」


 同じ言葉を二度繰り返しながら、鷹郷の視線が阿久里の脇に控える直周へと動く。批難めいた色に大きな瞳が染まったのは、城下の火事については彼の父親に一任していることであり、阿久里の屋敷の件は直周自身に任せていたことだったからであろう。

 しかし城主からの視線など知らぬ顔で、直周は稲荷の化身と称された少女から視線を逸らさなかった。その瞳は、(おの)が主が誰であるのかを雄弁に物語っており――。


(本当、鼻が利く……どっちが狐なんだか)


 直鷹は唇の端を微かに持ち上げ、鼻先へと薄い笑いを集めた。


「では、その付け火を指示していた人物が水尾景直(みずおかげなお)どのであるということは、ご存知でしたか?」

「な……、景直じゃと?」

「そして、その火付け騒動に乗じてお父さまを追放もしくは弑逆し、この城を乗っ取るつもりだったということは、ご存知でしたか?」

「待て待て、待て。待て待て待て待て。しばし待て」


 鷹郷は驚きに目を見張りながら、ずんぐりとした熊手のような手で阿久里を止める。そして困惑の感情をそのまま表しながら直周を見、震える声で「(まこと)か」と短く訊いた。

 直周は姿勢を正し上座へと体の向きを変えると、能面のような表情のまま是と答える。


「姫君の仰られたことに相違御座いません。父・景直は此度の火付け騒動に乗じて、この国を乗っ取る算段でありました。それを誰よりも先に察知された故に姫君が狙われ、屋敷に火を射かけられた次第に御座います」


 そう答える少年がまさか自身の城へ火を射かけた張本人であるとは当然思いもせず、鷹郷は色を失った唇を震わせる。突然湧いて出た悪夢のような現実に、男は視線の先が定まらず、濁った白目の中で何度も黒目が泳いだ。

 忠臣と信じていた者から裏切られたこと。

 その裏切りを、その見場の悪さゆえに生まれた頃より疎んじていた(むすめ)が察知したこと。

 それらも、確かに君主として体裁(バツ)が悪いのだろう。


(でも――)


 如何に(まつりごと)に興味がなくとも、生まれながらにして守護大名家の後継であった鷹郷には、それ以外の生き方など知りもしないだろう。故に、自身は死ぬその時まで守護大名であるのだろうと、そう漠然と思って生きてきたに違いない。


(けれど)


 (むすめ)を主に据え、自らはその地位を降りよと。

 この疎んじてきた(むすめ)を一国の主にと、この直鷹演じる宮司だけでなく家老の嫡男たる直周さえも思っているということを察してしまった。

 気づいてしまった。

 己が、その器にないと見限られているということに――。

 ふと気づいたように、鷹郷の視線が部屋をくるりと流れ出した。この部屋には、(むすめ)である阿久里を護るように直周、そしてその傍系(しんぞく)の宮司と名乗った直鷹が取り囲んでいる。

 反面、彼の盾になる者は小姓がひとりのみ。鷹郷の片頬が今更恐怖を知ったようにピクリ、と震えながら丸まった背を小さくする。


(国を興すと吉兆、か……)


 自分でいったことながら、随分大事(おおごと)を嘯いたものだ。

 きっと、これが人生においてこの守護大名たる男が一番莫迦にされた発言になるに違いない。


(なんせ、これこそが――)


「謀叛人のようではないか」


 上座の男の唇が僅かに音を刻むと、下座に控えた少女は今まで見たことのない形容しがたい笑みをその頬へと浮かべ、そのまま白く細い指を畳へと付き深々と(おもて)を下げる。


「その悪名、是非とも謹んでお受け致しとう存じます」


 外の空の色に負けないほど透明な響きの後に下げられたふたつの頭は、すでに上座を向いてはいなかった。


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