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戦国稲荷御伽草子  作者: 笠緒
第一部 戦国稲荷御伽草子
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第三章 真実を穿つ雨音・参

 水尾秀直(みずおひでなお)がその報告を受けたのは、寒河江城の奧で最近あげたばかりの年若い側女と戯れていた時だった。

 もたれ掛かっていた蒔絵拵えの脇息(きょうそく)を倒し、片手を真新しい板間へとつきながら、目の前で平伏する少年を凝視する。未だ成長途中と思われる息子の乳兄弟は、元服したとはいえ大人よりも一回りも二回りも小さな肩を震わせながら、時折、床へとついた拳に雫を落としていた。

 秀直は、額を床へと擦り付けるかのように小さく縮こまっている恒昌(つねまさ)へ掴みかかるかのように前かがみになっていた自身に気付き、早鐘を打つ胸の内側へと無理やり空気を吸い込む。そして、ゆっくりと吐き出しながら脇息を直し、所在無さげに浮いた腰を褥へと押し戻した。

 傍らに置かれた湯呑は、先ほど侍女頭である老女が持ってきたもので、すでに湯気は消え失せ人肌よりも温いほどになっている。秀直は湯呑を持ち上げると、カラカラに渇いた喉へと一気に注ぎ嚥下した。

 何の変哲もない白湯だというのに喉の奥で苦味を感じたのは、少年が先ほど告げた言の葉のせいだろうか。


「もう一度、申せ」


 秀直は短く問う。

 睦言を甘く囁く秀直しか知らない側室は、その声音のあまりの低さと殺気だった雰囲気に怯えたのか、華奢な身体をもう一回り小さくさせ所在なさげに視線を板間へと落とした。可哀想に、とも思うが、これが武の家の当主たる自身の紛れもない一面だ。

 側女として城へと上がったからには、慣れてもらう以外にない。

 秀直は特に彼女への不安を取り除くような素振りは見せないままに、恒昌へと留めていた双眸を軽く細めた。少年は、溢れ出る涙を絞り出すかのように目を一度強く瞑ると、濡れた睫毛を秀直へと向ける。


「わ……わわ、若が……なおっ、なおた……っ、直鷹(なおたか)、さまっ……が、先程…っ……ご本家の所領にて……いっ…いいっ、射られ、お亡く…っ」


 途中所々で泣き声に変わるため、かなり聞き取りづらいがどうやら三男である直鷹が死んだというのは自身の聞き間違えではなかったらしい。秀直は野獣のような瞳を閉じた。

 先日軍議にて、やけにあっさりと長兄である直重(なおしげ)に役目を譲っていたのがおかしいとは思っていたが、どうやらあの場は兄たる直重を立ててああいったまでのことで、本人は相変わらず今回の件を調べていたらしい。


「莫迦息子が……」


 眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように呟く。


「恒昌、相手の顔は見たか?」

「い、いえっ、かな、かなりっ離れた……とこ…っ、ところからっ、いいっ、射られまし…ったからっ。お、俺が……っ、気づいて声をかけた時…っには、もう……っ」

「離れたところ……?」


 秀直は伏せていた睫毛を上げ、眉を顰める。

 確かに直鷹が武芸において、誰かに一方的に殺されるという状況はおかしい。幼少の頃より、武芸が好きだった息子だ。どこで知り合ったのか、武芸に秀でた者を勝手に城へと呼び寄せ、教えを乞うていたことすらあった。

 総合的な戦略面ではまだまだ若さゆえの未熟さが感じられたが、それでも個人の武を見るなら相当な力量だったはずだ。正面から勝負して、簡単に敗れることはないだろうと、そう思っていたからこそ乳兄弟の少年との遠駆けを多少大目に見ていた部分があったことは否定できない。


「直鷹が本家所領に足を踏み入れるのは、何も今回が初めてではあるまい。本家としても今さら悪童(わっぱ)の散歩程度で、俺との関係を拗らせようという腹もなかったはずだが……」


 もっとも、直鷹が拾い集めてきた情報は、本家からすれば「散歩程度」で済まされるようなものではなかったが。

 だが、それを相手に悟られるほど息子は暗愚ではなかったはずだ。


(いや。俺が謀叛の情報を掴んだということが、露見していたからこそ)


 その口封じのために、直鷹は殺されたのではないか。

 どこからその情報が漏れたのか。

 ――否。

 奪われたのか。

 秀直は一度開けた瞳を、再び閉じる。眉間に刻まれた皺を伸ばすかのように拳を押し当てた。肺にたまった空気をふーっと大きく吐き出し、(はらわた)で煮えくり返る感情に蓋をしようと唇を噛み締める。


(恐らく直鷹(あやつ)ならば、俺に武家の棟梁であるべき行動を取れと思うのだろうな……)


 彼は、元服をし、名を鬼千代(おにちよ)から直鷹と改めた頃より、彼は父親たる自分から僅かに距離を置き始めた。親としてではなく主として見るようになった理由としては、恐らく正室腹の息子として生まれ、同じ腹の嫡男である兄との関係も良好ではあるものの、彼自身いらぬ争いを生まないようにという考えがあってのことだろう。

 自身は、あくまでも水尾の家の傍系なのだと。

 嫡流ではないのだと、そう態度で示してきていた。

 秀直自身、元服した息子に対して父親としての顔よりも主としての顔を見せてきていた自覚はある。成人し、親元を離れ屋敷を構えた武士(おとこ)に対してもう庇護者である父親は必要ないのだと、そう思っていた。


(けれど)


 息子の死には目を閉ざし、本家の企みについて対応すべきだとは思っていても、胸の内側にある「父親」が、息子の敵を取れと吠え立てる。

 武家の棟梁?

 主として?

 そんな大義名分、知ったことかと「父親」が、怒りのままにがなり立ててくる。


柿崎(かきざき)、支度をせよ。報復に本家所領を焼――――」

「それは早計過ぎます、父上」 


 感情のままに告げようとする秀直の語尾にかぶせるように、どこか嘲るような響きを持った声が割って入った。板間へと視線を落としたままの柿崎と呼んだ側室から視線を廊下へと流すと、そこには本家を探れと命じていた息子の姿。


「直重……?」


 何故、寒河江城(ここ)にいるのかと言外に問いながら、秀直は眉の間に皺を刻んだ。直鷹によく似た黒曜石の瞳が、直重へと向けられる。


「そもそも本件は、私が調べるよう殿()御自らお言いつけられたもの。その約定を違えたのは鬼千代――直鷹であり、本来入るべきではないご本家の所領に足を踏み入れたのも直鷹。自業自得というものでは?」


 戸へと手をやり、唇の端を持ち上げながら部屋へと入ろうとする長男に、秀直の眉間はさらに深く皺を刻んだ。この場所は、例え城主の息子とは言え成人した男子が(あるじ)に無断で入っていい場所ではない。

 しかし自然と鋭くなる父親の視線を前にしても、直重は頬に貼り付けた笑いを消すことなく部屋へと足を踏み入れた。


「控えよ、直重。そなたが直鷹と不仲であったことは存じておるが、一族の者が殺されても指を咥え黙って見ていよというのか?」

「正義は何処にあるのか、といっているのですよ」

「倅が殺され、それを報復すること以上の正義があるか!!」


 部屋へと足を踏み入れたばかりか、そのまま部屋の奥へと進もうとする息子を牽制するかのように、語尾を荒らげながら立ち上がる。虎と異名を取る程の眼光が、直重を刺すかのように鋭く射抜いた。

 ――が。

 次の瞬間、秀直の視界がぐらりと歪む。まるで天井から闇が落ちてきたかのような感覚に、思わず前方へと身体が傾いだ。踏みとどまろうと足を前に出すが、膝から下が砕けたかのように力が入らず、そのまま秀直の身体は板間へと崩れ落ちる。


「殿っ!?」

「えっ、殿……さまっ!?」


 ガタン、と大きな音をたてて冷たい板間へと転がった秀直に、甲高い悲鳴のような女の声と、涙声の少年のそれがかけられた。秀直は、伸しかかるような瞼の重さに逆らうように、瞳を彼らへと向けるがそこに広がるのは暗い闇ばかり。何かを紡ごうにも、唇を動かすことすら億劫なほど、身体全体がただただ重い。


「殿!? 殿っ!!」


 最近召し上げた年若い側室は、転がるように秀直へと駆け寄ってきた。けれど、彼女の細く白い指が秀直へと触れる直前、彼の身体はより大きな腕が拾い上げる。


(こ、れは……)


 掠れた息を吐きながら、自分の身体を支えるその腕から何とか逃れようと身体を捩るが、もう意識の糸を手繰り寄せる力さえ、身体には残されていなかった。


「父上……」


 ひどく優しげな――けれど、嘲りの感情を孕んでいるようにしか思えない、そんな声音が耳朶へと滑り込んでくる。

 その声を最後に、「鳴海国の若虎」と称された猛き武将の意識は黒に塗り潰され、直重の腕の中に重く沈み込んでいった。




**********




「柿崎殿、と言われたか」


 半狂乱に近いほど慌てふためいている女へと、どこまでも穏やかな声音を唇へと乗せ名を呼べば、泣きはらした女の(おもて)がゆるゆると直重へと向けられた。年の頃は二十歳ほどか。長い睫毛が彩る目はとにかく大きく、若干派手で癖が強い顔立ちではあるものの、十人に訊けば十人ともに「美人」と回答するだろう女だ。

 未だ働き盛りの壮年期とはいえ、子供ほども違う年の女をよくもまぁ側近くに置き寵愛する気になるものだと我が父ながら軽く呆れる。


(しかも)


 僅かな時間ではあるが、こうして傍で見ていても賢いとはお世辞にも言えない女だ。


(まぁ、ここにいるのが父上の正室ならば、厄介だっただろうが)


 最近側に侍るようになったばかりの若い女ひとり。

 どうにでも言いくるめられるだろう。


「柿崎殿。父上はどうやら直鷹が亡くなったことによる心労にて、お倒れになったようだ。父上を御寝所へとお運びしたいのだが……」

「あ……あの、私は……、この奧のことは何もわからなくて……っ」


 柿崎は、大きな瞳を濡らしながら、軽く首を振る。緩やかにたわませ背の中程で結われた艷やかな黒髪が、幾筋か肩からこぼれ落ちた。

 やはり、思った通りだった。

 父・秀直の正室は数年前より嫡男である次男の城で共に暮らしており、現在秀直の「奧」の女主人(おんなあるじ)は最近側室に上げたというこの柿崎家の(むすめ)なのだろう。しかし、噂によれば彼女は本来武家の出ではなく、なるほどこうしてみていても奥を取り仕切るだけの器がないことはすぐわかる。

 秀直が、長年奥仕えていた浪乃に奧の差配は全て任せていたというのは、どうやら本当のことらしい。

 恐らく彼女に任せていたことといえば、寝所での簡単な世話くらいなものだろう。

 そんな女に、こんな予測さえ不可能な事態を対応できる器量などあるわけもない。


「そうか……、まだ父上のお側に侍るようになって日も浅かったな」


 直重は目を薄く細め、口角を僅かに持ち上げる。柿崎は、自身の不手際を咎められなかったことに安堵したのか、秀直の状態を心配しつつも緊張で固まっていた頬を緩めた。


「あ、あの……、奧のことは、浪乃(なみの)が……、浪乃っ、浪乃はいないのっ?」


 色鮮やかな緑が光を弾く庭が見える障子戸へと、声を張り上げる。その声音は先ほどまでの震えたものとは違い、どこか傲慢さが窺い知れた。侍女頭である老女に全てを任せ、奧の差配の仕方など学ぼうともしなかったのだと容易に知れる有様に、直重の唇の端はさらに角度を上げる。


「お呼びで御座いますか?」


 手馴れた仕草で打掛の裾を捌き、廊下へと指をついた。そして能面のような(おもて)を持ち上げると、そこには息子に抱きかかえられぐったりとした主の姿があり、皺の奥の瞳が何か痛々しいものでも見るかのように、微かに揺れる。

 老女の薄い唇が、「殿」と掠れ声を零した。


「浪乃か。父上がご心労のあまりお倒れになられた。寝所の用意を頼む」

「…………、畏まりまして御座います」


 浪乃は、なにかいいたいことでもあるかのように僅かな沈黙を唇に孕ませたのち、けれども是と返し、再び指を廊下へとつく。白いものが目立ち始めた頭を深々と下げ、すっと立ち上がると半身引きながら打掛を捌いた。

 シュル、という甲高い衣擦れの音が廊下に落ちる。

 浪乃の足音が遠ざかるのを聞きながら、腕の中で意識を失った父親に一度視線を落とし、くつりと喉の奥を鳴らした直重に、気付く者はいなかった。

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