めいどたちのむかしのはなし
ルグランジェロ伯爵ラザルには本邸の他に四つの私邸がある。内三つは三人の奥方の私邸で残りは別荘扱いだ。大抵の客人はそちらに案内されるのが普通であり、私も最初はそうだった。かつては父様が暮らした館でもあるそうで、すごく楽しみにしていたのだ。まあ、この当時の私はあまり口数も多くなかったからそういうのは分からなかったかもしれない。
その館で世話をしてくれたのがフェデルだった。当然のように父様に随行しての来訪なので、この時にフランはいない。つまり彼女の事を知っているのは私だけだ。
フェデルは自身の母がメイドな事もあり十歳の頃からメイドとして働き始めていたそうだ。
「お嬢様は元気がないですね。私、後で時間がとれますので遊びませんか?」
ふつう、メイドと言うのは身の回りの世話をするものであり、特に子供のお守りをする子守り役は別に存在する。兼任するにしてもやることは室内でのおままごとが関の山だ。
だが、このフェデルはちょっと違った。ボール遊びや紐跳びやらの屋外での遊興を誘ってきたのだ。あまりに誘うので仕方なく付き合ったのだが、不思議と彼女とは相性が良かったみたいで暗くなるまで遊んだこともあった。
「坊っちゃま達もかわいいですが、お嬢様は本当に可愛いですねぇー」
お風呂にいれて貰うときも、彼女はにこにこ笑いながら髪を洗ってくれた。フランほど洗練はされてなかったけど、嫌いじゃなかった。
滞在したのは四日ほどだろうか。二日目にやってきたラザル伯父様と初めて会った。
この当時五十三だったかな?一目見たときの印象は小さい普通のおじさんだ。父様やウェイバール伯父様が大きすぎるのかもしれないけど、師匠のフレスコ導師と比べても明らかに低い。ただし態度はすごく大きくて、父様を遠慮なしに呼び捨て、命令をする様に私は不機嫌になった。
「おお、この子がユーニスか。大きくなったなあ」
けど、私に対しての態度はかなり違った。正直に言えば、私は可愛いげが無いので気に入られる要素は何もないと思っていたのだが、彼にはそうは見えなかったらしい。頭を撫で、抱き上げて喜ぶ様は、むしろ父様すらやらない程の相好の崩れ方だ。
「ん~かわいいでゅね~」
…ほんとうにいい加減にしてほしかったので、顔に手を当てて嫌がってみた。
さすがに怒りはしなかったけど、気分は悪くなったみたいだ。父様に文句を言ってその日は帰ってしまった。悪いことをしたかと父様を見たら、頭を撫でてくれた。
この時の来訪ではこれ一度きりだったが、翌年の時は本邸に招かれた。彼は距離感を少し改めていた。私という個人を大事にしてくれたか、自身のやりようを恥じたのかは分からないけど。好意的なのは変わらなかったので父様に聞いてみると『兄貴には娘がいないからね』とだけ答えた。
話はそれたが、フェデルは本邸にはいなかった。たぶん、別邸の専属なんだろうか。私の中ではいつしかフェデルの事はすっかり消え去っていたのだ。
「それでは、お休みくださいませ」
一礼をして部屋から出ていくフェデル。柔らかなベッドが二つある客間に通された私たちは、身の回りの物を置いて、とりあえず着替えを始める。
「お嬢様、どうかいたしました?」
「ん、いや何でもないよ」
私の様子が少しおかしいのをフランは気づいたみたいだ。答えてはみたが、気にはなる。ふつうメイドは領を越えて来ることはあまり無い。と言うか、一般人が領を越えることはあまり無いのだ。
特に女性が一人で土地を変えるなんて、そうそうはできない。これは平民は領主の財産という考えからきているからだ。もしフェデルやその家族が引っ越す事があるとしたら、そうせざるを得ない事情があったはず。
「また考え過ぎかな…」
手早く夜着に着替えておく。暖炉はないけどここには魔術装具での暖房がかけられてるみたいで夜着でもそこまで冷える感じはしない。フランが私の髪をほどいて髪をすき始める。
「フランは、たしか十一の時に来たんだよね」
突然の会話に少し驚いたフランだが、手は止めずに話してくれる。
「お嬢様が三つの時ですから間違いありません」
「ご両親の事は覚えている?」
「はい。父と母は行商人でした」
いつもは話さないフランが、今日は話してくれるようだ。どういう風の吹き回しだろうか。
「私はラゼラトの村の出身です」
ごめん、どこだか分からないや。すると彼女が教えてくれた。サンクデクラウスから北西へ一日ほど行った街道筋からは外れた所にある村だそうだ。あまり裕福な村ではなく、そことサンクデクラウスを往復して物資を運ぶのを生業にしていたらしい。
彼女は五歳の頃から両親に同行して荷馬車に揺られる生活をしていたそうだ。でも、七歳の時に事件が起こった。
「よくある話です。野盗が襲いかかってきたのです」
「…!」
「母が私を荷物の中に隠してくれました。父は有り金を野盗に渡しましたが、彼らは母を連れ去ろうとしたのです」
…どこにでも最低な人間というのはいるが、野盗としての一線も越えた畜生達だったのか。
「フラン、辛いならいいよ、ごめんなさい」
わたしが止めようとすると、フランはそれを制止する。
「いえ、聞いてくださいませ。いつかはお話ししなければと思いましたし。良い機会だと思います」
後ろを向けないから表情は分からないけど、無理をしている感じはない。淡々と髪をすく手は止めていない。
「母を助けようとした父は、逆上した野盗の一人に切られそうになりました」
語りかける口調は、まるで昔語りのように穏やかだ。
「母が野盗の手を振り切って父の前に飛び込み、母は刺されてしまいました。私は声をあげて泣き叫びました」
幌馬車の荷物の隙間に隠れていた小さなフランが、大切な母を目の前で。その衝撃はいかに声を上げてはいけないと言われていても、止められなかっただろう。
「男達は私に気付いたのかこちらに向かってきます。父が狂ったように男に掴みかかりました」
こうした悲劇はどこにでもある。ただ自分の身近な人間がそうした被害者だったとは思いもよらなかった。
「父は簡単に振りほどかれ、殴られ、切られ…ものを言えぬようになりました」
やはり聞くべきではなかったと後悔したけど、フランはその陰惨な場面を訥々と語る。感情を圧し殺したような声色で。
「そこに突然光が瞬きました。暗闇を貫く光線が幾つも飛んで、野盗達を貫きました」
なんて偶然だろう。私は物語を聞いているのかと思った。でもそんな奇跡が起こらなければ、きっとフランと出会う事はなかったのだ。
「震える私を助けてくれたのは一人の殿方でした。『もう少し早ければ…すまない』彼は助けてくれたにも関わらず、私に謝ってきたのです。『勤めを果たせず、申し訳ないと』」
ふと、フランが抱きついてきた。優しく、ゆっくりと。
「助けて下さったのは旦那様…エルザム様でした。村に向かう最中で用向きも知りませんでした。けどそんな偶然に、私は助けられたのです」
父様は単独で動くことの方が多いのは知ってる。それはノーリゥアちゃんが私達といると力が発揮できないのと似ている。多くの従士を連れるより、父様一人の方が強いのだから仕方ない。
「旦那様には感謝してもしたりないくらいでした。私はたしかに両親をあっという間に失いました。けど、あなたに出会えました」
フランの腕に手を当てる。彼女は声を殺して泣いていた。悲しみを思い出したのだろう。
「私は旦那様に連れられてお屋敷に入りましたが、ミューリ様に反対されて孤児院に預けられ、その間に礼儀作法やメイドとしてのお仕事を覚えてくるよう言われました。孤児を拾ってくるのは、さすがに駄目だったのでしょう。十一の時にミューリ様からのお許しが出て、私はお側に就くようになりました」
フランにもたれかかるように身体を預ける。彼女は包み込むように抱きしめてくれた。
私が生まれる前に、起こった小さな事件。フランがお屋敷に来ることになったのは、父様のおかげだったのだ。
「旦那様が私に命じたことは一つだけでした」
『フランドール、ユーニスの側にいてやってくれ』
「──でも、命令だから付いてきた訳ではありません。あなただから、です」
フランの気持ちはすごく嬉しい。でも、無理をしているのではないか、時々心配になる。そんな過去を持つ彼女が、本当に戦えるのか。彼女が刃物を使うのが異様に下手な原因は、正にその事件のせいなんだろう。
「フラン、本当に、いいんだね?」
私の問いに、彼女は努めて明るく答えた。
「あなたの側にいるのは、私です。ぽっと出のイリーナなんかに、渡すものですかっ」
──あまり冗談を言わない彼女が言ったその言葉に、私は苦笑するしかなかった。
そんなにいいものかね?
──フェデルの事を考えてたら、いつの間にかフランの身の上話になってしまっていた。話疲れたのか、フランはすっかり眠り込んでいる。
私は目が冴えてしまっていた。
人が人生を変える瞬間は、意外と突然やって来る。フランに起こった事件や、私に降りかかった事件。同じようなことが、あの朗らかなフェデルにも起こったのだろうか。
考えても意味のない、本当にどうでもいい思索をやめることが、私には出来なかった。




