ともだちのおとうさんとないしょのはなし
翌朝、私は若干の眠気を抱えつつも起きた。フランは朝の支度を手伝っている。
当然のように料理はイリーナ任せで、掃除と洗濯に勤しんでいるみたいだ。
夜着から着替えておこう。
私は保管から服を出す。あれからストレージの中の細分化はかなり進み、服も私用、フラン用とに分けて、目的別にして、サブディレクトリを作り、一つずつ小分けにしてみた。
おかげでどれを出すかのに悩まずに済むようになったが、この手間がすごくかかった。
というか、服多すぎ。
家にいるときはだいたいの管理はフラン任せでやってたから見当もつかないけど、家にあった量もかなり多かったのではないか、と思う。
それでもメイド長に言わせれば、『お嬢様は衣装にもう少し興味をお持ちになった方が宜しいかと思います』とか。なんでも他の貴族のお嬢様は私の数倍から数十倍まで服を持っていたりするらしい。
もはや人外魔境だよね。
脱いだ服は洗濯して干しておかないといけない。勝手口に行くと、フランが白い服を着てたらいに洗濯板を置いて格闘中だった。
「おはようございます、お嬢様。洗い物はございますか?」
この白い服はなんだろう? エプロンのような気もするけど。仕事用の服に間違いはなさそうだ。
たぶん、イリーナ辺りから借りたのだろう。
「じゃあ、これをお願い」
「かしこまりました」
フランに汚れ物を渡して、私はイリーナの方に向かう。台所でこっちはこっちで格闘中のイリーナだが、だいたいの支度は終わってる感じだ。
「おはよう」
「おはよー」
「なにか手伝う?」
「それならパンを買ってきてもらえる? お嬢様を使うようで悪いけど」
「今の私はジュンだよ。気にせずに頼んで。どれくらい?」
「角の大きい半黒を三つ、丸の小さい白を一つで。お金は後で払うから」
「お昼の分も買っておいていい?」
「あ、そうだね♪ 今日は出掛けるからお弁当だもんね。いいよ、量は任せる」
「りょーかーい」
小銭の入った巾着を保管から出して、私は上着を着て表に出る。
今日の格好は薄い茶色のシャツに、濃い青のデニムの長いズボン。上着は暗い赤と明るい赤に染められた革のジャンパーだ。
今日は表での測定なので、なるべくラフな格好の方が良いはず。
朝一つの鐘が鳴る半刻前(およそ七時)。
この時期だと朝日はまだ完全には昇ってないから日差しは弱いかな。それでも街はもう動き出している。
二軒隣の『ヤゼンガルド』ではお弟子さんが店の前の掃除をして、箱に入った細かい雑貨(剣帯や革ベルト、固定紐とか盾や防具の留め具とか)の特売品を並べている。
「おはようございまーす」
「ああ、おはよう」
何度か顔を合わせているお弟子さんが挨拶を返してくれた。年の頃は二十歳前後かな? 厳つい顔をしているが笑うとちょっと幼くも見える。
がっちりとした体は肉体労働者の証だ。お弟子さんと話をしていると店の中からヤゼンさんが出てきた。
「やあ、おはよう。元気だね」
「おはようございます!」
端正な顔立ちでどことなくエカティリーナ様のような朗らかな笑顔が眩しい。
聞けば、剣の腕はあのライデルよりも上らしい。
冒険者を辞めてしまうには早すぎる年齢だけど、ソリシアさんやイリーナ、レガン君にファリナちゃんを守る為ならとあっさり引退を決めたそうだ。
「朝早くからどうしたの?」
「あ、イリーナから頼まれて。パンを買いに行くんです」
「あいつ、誰にやらせてるか分かってるのか?」
「わ、私が行くって言ったんですよぅ」
「ああ、そうなの。じゃあ、ちょっと案内しようか」
「えっ?」
言うが早いか、ヤゼン氏は上着を羽織って私の横に並ぶ。
「ジェイコブ、支度は任せるよ。少し出てくる」
「オーケーボス!」
さ、行こうと私の横から背中を押すヤゼン氏。
確かにパン屋の場所は知らないけど、探せば分かると思ってたんだけど……まあいいか。
この年代の男性とはあまり話したことがないけど、ヤゼン氏はエカティリーナ様の息子だから、なんとなく敷居は低そうな気がする。
「じゃあ、お願いします」
「ああ。家はちょっと遠い店のをひいきにしていてね。じいちゃんがそこのじゃないと不味いってごねるからさ」
「そうなんですか、じゃあ期待します!」
「ああ、少なくともこの街では一番のパン屋だぜ?」
ニカっと笑うヤゼン氏。
うん、子供っぽい人なんだね♪
イリーナの笑顔にも似てるなぁ。
朝の景色はどこの街も似たような活気がある。
もっとも、一番早く動く食べ物屋とか青果店、粉屋などは朝一つの鐘が鳴る前にだいたいの仕込みは終わっているものだ。
だから今動いている人たちはそのあとに動き出す人たち、街の交易所やギルドでの仕事、領軍の従士たちなどだ。
朝一つの鐘で出仕し、夕一つの鐘で終わる。
交易所は徴税もしているけど市場という側面もあるので、ここは朝一つの鐘の一刻前(およそ六時)よりも前から開いている。当然のように外の門もこの頃には開いていて、近隣の村などから作物を運ぶ農民がいるわけだ。
交易所に詰めるギルド職員は朝の仕入れと徴税を行ってから、勤務は上がりになる。朝一つの鐘で入れ替わるのだ。
領軍の従士も朝一つの鐘で交代、勤務明けの人間は朝の食堂や酒場で食事や飲酒をしてから帰宅する。だいたいそんな感じだ。
「ジュンは、お嬢さんにしては町中に慣れてるね。よく抜け出してた口かい?」
「うあ……そゆ事を聞いちゃいますか?」
「母さんから聞いたイメージとちょっと違うからね」
ヤゼン氏はエカティリーナ様から私の事をどう聞いていたのだろう。
少し気になったので聞いてみると。
「そうだな。いつも考えてる子、かな」
考えてる……か。
たしかに要らないことまで考え込むのは悪い癖だけど。
「あとは、自分を出せない不器用な子とも言ってた。もっと甘えてくれても良いのにって口を尖らせてたよ」
笑いながら言うヤゼンさん。
最近ではエカティリーナ様に接するのも普通に出来てたけど……よく覚えてないなぁ。
「ウェイバール閣下に聞いたけど。君は自分で旅に出るって決めたらしいね」
「あ、はい」
いきなり話題を変えたヤゼン氏は私の事を見ないまま話を続ける。
「男爵閣下の挑戦を受ける、そう聞いた」
ヤゼン氏はちょっと真面目な顔をしている。何か気に障ったのだろうか……すると彼はこちらを向いてこう言った。
「いいな、そういうの!」
──え?
「いや、家の両親てさ。放任主義ってゆうか俺の事、信じちゃってるのか知らないけど」
うん? 何を言ってるのだろう? イマイチ要領を得ない。
「俺が冒険者やるのも反対しないし、辞めるときも反対しないし。理解してくれてるのは良いんだけどさ」
「はあ……」
「俺を試すような事は一度もしなかったんだ」
──あ。
「だから、少し羨ましいんだ。君の事が。実の父親が子供に向かってくれてるのが」
「ヤゼンさん……」
「別にじいちゃんや母さんが嫌いな訳じゃないんだ。でも、考えてみたらそういうことは一度もなかったなってね」
うん、そうなのかもしれない。
好きとか嫌いだけじゃなくて、そうだったらいいなとか思うことはあるんだろう。
「おっと、店が見えてきたぜ。あれがウェズデクラウス一のパン屋『ギースのパン屋』だ」
──さすがイリーナのお父さん。
真面目に成りきれないのか、間が天然なのか。
こういう所は親子だなぁ。
ともかく、『ギースのパン屋』には着いた。かなり大きなお店だが、店頭には何人か人が並んでいる。
こういった店に行列が出来るのは意外と起こらないのだがどうしたのだろうか?
「ああ、そっちの列は風呂の順番待ちさ」
「え、お風呂ですか?」
「ああ。パンを焼くときに窯を使うだろ?その時に出る熱を使って蒸し風呂を提供してるんだって」
へえー。なるほど、理には叶ってるなあ。
蒸し風呂ならお湯の量は少なくて済むし一石二鳥なんだね。
行列に並んでいるのは多くは男性で、勤務明けの人が多そうだ。帰りにパンを買って帰ればいいわけか。
「よお、ギース」
「あれ? ヤゼンかよ珍しい! 若旦那が買い出しかい?」
店主のギース氏は同い年くらいかな? 赤毛で少しふくよかな感じだ。
「今日はお供だぜ? ジュン、何を買うんだい?」
「あ、はい! 半黒パンの角の大きいのを三つ……いや、四つと白パンの丸の小さいのを三つ下さい」
「へい、毎度! なんだい? どこぞのお嬢さんひったかけたかい?」
「ぬかせ。んなガキみたいな真似するかよ。家の食客だよ」
「ん、ああ、あの噂のか」
気になったので間に割り込む事にした。
「噂とはなんでしょう?」
「ああ、ライデルに似た馬鹿が女襲ったって話だろ?」
え?似たというか本人なんだが……
私がポカンとしているとヤゼン氏が話を継いだ。
「ライデルがやったかと思ったんだけど、どうも違うらしくてね。考えてみたら、小さい子を襲うなら分かるけどな」
「違いねえなぁ。お嬢さん、ほらよ。お代はコイツに付けとくからよ」
「え、でもそれは」
「いいんだ。ギースとは昔なじみだからな。んじゃな」
「おうよ、またな!」
私の手元には大きな紙袋がある。角の大きいのってこんなに大っきかったのか……。まあヤゼンさんのお家の分もだろうから、こんな量になるのかな。
「持とうか」
言うや否や彼は私の持つ紙袋を掴もうととした。
だが、私の仕事を取られてたまるものか。
素早くそれをよける。
「おろ?」
「私が頼まれた仕事なので、これは私が持ちます!」
ふん、と言いきると彼はちょっと頭を掻いてから、にやりと笑った。
「んじゃあ、こうするか」
と、彼は私の腰に手を回してひょいと持ち上げてしまった。
「わ、うわわわ」
「おいおい、あんまり暴れると危ないぞ」
そ、そうはいうけど。
なんて思ってる間に、私はヤゼン氏の首の上に跨がっていた。
所謂、肩車というやつだ。
「うわあ……」
た、高い。
すごく怖いが、ヤゼン氏が脚を掴んでてくれるので落ちることはなさそうだ。
「イリーナにもこうしてやったんだ」
視界が広くなった。
背が高いというのは、こんなにも広く感じるのか。
慣れてくると少しだけ楽しくなってきた。
「袋も貰うよ。そこだと持ちにくいだろ?」
「あ、はい」
ヤゼンさんにパンを入れた袋を渡す。自由になった手はヤゼンさんの頭に置いて、周りを見渡す。
さっきまでは見えなかった街並みが見えてくる。
私がこの高さから見ることは、たぶん大人になってもないだろう。
ヤゼンさんより三十センチ以上高くなるなんて無いだろうから。
「ほらよ。焼きたてが旨いんだぜ」
下から、ヤゼンさんがパンを差し出してきていた。
白の丸パンを半分に割ってある。
「あ、はい」
受け取ったパンはホカホカと温かく、香ばしい小麦の香りがする。
「つまみ食いや歩き食いは、行儀が悪いですよ?」
とりあえず言ってみた。
すると当然のように返してくれた。
「今はお嬢さんじゃないんだろ? 固いこと言わずに食ってみな♪」
と言いつつ彼はかぶりついている。
私も続いてかぶりついてみる。
驚きの柔らかさにほのかな塩味。
僅かに薫るバターの匂いに思わず嬉しくなる。
その奥に感じる果物っぽい風味は天然酵母のものか……。
あれ、このパンはひょっとして『ラゼルトーン』で食べたパンか!
「はぐはぐ……」
「はっはっは、気に入ってくれたかい? ギースのパンは本当に旨いからな」
ふむ、本当に美味しい。
粉の挽き方もすばらしい。
小麦のパンはやはり柔らかさが命だよね。
「さて、帰りましょうか、お嬢さん?」
「ほむ、ほろひへふらはい」
む、口に物を入れたまま喋るとは行儀悪い。
というか、喋れてない。
「では、行くぜぇ!」
いうが早いか、ヤゼンさんは走り出した。
危なく振り落とされるところを頭にしがみつく。
「ふわわ?」
「はっはっはー♪」
全然止まってくれないヤゼンさん。
結局、肩車のまま家まで運ばれてしまいました。
……やっぱり子供っぽい方なのだと思いました。
さすがイリーナのお父さんだね。




