くらいろうかともけいのふね
食事が終わった後に、ノーリゥアちゃんがまたみんなを二階に集めた。また会議の続きかと思ったが、似たようで違った事だった。
「明日はあなたたちの体力を測定します!」
「たいりょくそくてい?」
「『その通り!』」
いや、なんでそこだけエルフ語で言ったの? 二人とも分からないからポカンとしてるよ?
「その通りって言ってたの」
ぽそりと二人に耳打ちする。
ちなみにノーリゥアちゃんは勢いで喋ってたみたいで、今はダインベール公用語に戻している。
「ジュンって、エルフ語分かるの?」
「え、うん」
「え、あんた、喋れるの?』」
「はい、多少は」
うん、喋るの自体はいいんだけど、なんか面倒な感じだな。ちょっと同時通訳していこう。
『それじゃ、私の名前の正式な呼び方は分かる?』
これは師匠から教わった事がある。
エルフは基本的に簡略化された名前が普通に使われるが、それ自体は彼らの属する氏族毎に違う法則性で圧縮されていると言う。
ノーリゥアちゃんは北のエルフの里サーディエナンの氏族だから……
『遠き夜空に星が三つ瞬いた時に生を受け、世界樹サーディエナンの雫にて祝福を受けたる父ノートルアと母シリルレイアの娘。其はいと迅き風の御霊に加護を受けしもの』
ずらずらとエルフ語で並べていくと、文字数がとんでもなくなるねぇ。
さすがエルフの実名だ。
「あ、あんたねぇ……はっきりと言わないでよ。恥ずかしいんだから……」
あ、そういえば忘れてた。
エルフは実名で呼ばれるのにすごく慣れてないんだそうだ。
両親や里の長老とかでも、普通は略式で呼ぶらしい。
「あんたが知識面では飛び抜けてるのは分かったわ。でも、体力面はどうだか分からないから測定をするのよ」
まあ、そうだよね。
私とフランもイリーナの事をテストしようとしていた時期もあったし。
よく考えたら痴がましい話だ。冒険に出たばっかりの人間がテストするだなんて。
そう考えるとノーリゥアちゃんがするのなら正しい気がする。どこが悪い、どこが秀でている。そんな事は新人には分かるわけもないんだ。
「そんな訳で明日は朝から出掛けます。各々、旅に出るときの装備品はすべて持って朝の鐘一つに玄関に集合。いいわね?」
「「「はい!」」」
その夜は昼間に寝過ぎたせいかあまり寝つけなかった。
おそらくは夜半を過ぎているだろう頃合いに厠に行くことにした。
もう何日も暮らした気になっているが、やっぱり人の家。夜になると配置が分かりづらい。
普通の子供は夜の闇を恐がるものなのだろうが、私は昔から闇はあまり怖くない。なぜかと言うと分からないけど、ただ単に光がなくて暗いというだけに思っていた。
私の部屋にはいつも魔術装具の[携帯型投光器]があったせいもある。あれも持ってくるのを忘れてたなと、感慨に更ける余裕は実は無かった。
「あれ……なんだろ。こわい……」
そう。
今までは何ともなかった暗闇が、えも知れない恐怖を伝えてくる。この家は廊下に明かりを置くという発想はないようで、真っ暗な中を厠まで行くのは今の私にはすごく難しい気がした。
「フランを起こそうかな……」
エカティリーナ様の部屋で床についていた私の横にはやはりフランが眠っている。艶やかな髪を二つに結んで眠る彼女を起こすのは忍びない気がした。起こして付いてきてはくれるだろうが、そこは私とて自尊心と言うものがある。
暗いから怖いのだろうと思い、短杖を出して(光)の呪文を使う。構文を変更して普通のライトの三分の一以下の大きさに変えるとちょうどいい感じになった。
光の色も少し変えてあるので橙色の薄明かるい光球が私の短杖の先端に作り出される。
これは(仄かな光)と命名しよう。あまり強くない光だからフランも目を覚ましていないみたいだし、暗闇が押し退けられたお陰で怖さも少なくなった。
これなら行けると、布団から立ち上がる。
少し寒いから、イリーナから貸してもらった綿入れ袢纏を着込む。
廊下に出ると少し冷気が強くなった気がする。厠は奥にあるのだが、その際に幾つかの部屋の前を過ぎることになる。厠の一番近くの戸の隙間から光が漏れているのが分かる。
ここはハイヤール老の部屋のはずだが、まだ眠ってはいないのだろうか? それはともかく、私は自分の用件を済ませてしまおう。
厠の前にある備え付けの洗面台で手を洗ってから戻ろうと思ったけど、なんか気になってしまった。こんな時間に起きて何をしているのだろうか。
明かりの消し忘れかもしれないのでこっそり戸を開けてみるとそこには中々に信じられない物があった。
「おや、淑女と思えない行動じゃのう、断りもなく入ってくるとは」
小さな眼鏡をかけたハイヤール老は言葉とは裏腹に怒ってなさそうだ。
そのテーブルの上にはミニチュアの帆船が置いてあった。
まだ作り欠けなそれは、三本マストの大型船だ。
マストは出来てないし、船体の半ばまで組まれてはいるがまだ途上も良いところだが。
「これ、自分で作ってるんですか?」
声が上ずってしまうが仕方がない。
手元のナイフで木材を切って削り、火で炙りちょうどいい具合に曲げて組んでいくという、途方もない作業の産物である。
初めてみる模型というものに、私はすっかり興奮していた。
子供ゆえの事だと思うが、こういうのは仕方がない。
部屋の中に入るや具に眺める。
うわあ、中の構造までちゃんと作ってある。さすがに部屋の内装とかまでは作ってないけど、中の階層とか階段とかの出来も再現度がすごいとしか云いようがない。
「す、すごいです! ハイヤール老はこんな事も出来るのですね?」
すっかり目をきらきらさせた私にちょっと驚いた彼は照れくさそうに笑った。暇を見ては作っていたらしいが、何年かかけてここまで出来上がったらしい。
「昔から手先だけは器用でな」
そうは言うけど、器用なだけではここまでの物は出来ない。
ここには設計図がないのだ。
つまり彼は自分の記憶を頼りにここまで作り上げていた事になる。
これは彼のように高齢な人には相当に難しい事ではなかろうか?
「若い頃に乗った船のものでな。いつか自分で乗ることもあるかとようく見ておいたのだが、結局は模型が関の山じゃよ」
パイプを燻らせるハイヤール老は自嘲気味に言っていた。若い頃の野心の成果にしては、たしかにお粗末かもしれないけど。
「そんなことないですよ! すごく、すごくカッコいいですよ!」
船を持って外洋から旅に出る。
異国の地で貿易をして巨万の富を得るとか夢のようなお話だ。
でも、私には今ここにある小さいけど立派な船の方が格好いいと思う。
「わ、私にも出来ますか?」
「むう、ナイフが使えるなら大丈夫じゃよ。あの料理の腕なら問題ないじゃろ」
それから私は木片を削っては合わせ、炙っては合わせの作業をし始めてしまった。
ハイヤール老は要所で教えてはくれるが、基本的に放置していた。
その距離感が意外に心地好くて、気づけば空が薄明かるくなる時間になっていた。
「そろそろ戻りなさい。儂もフランに殴り殺されたくはないからのう」
そういって送り出してくれたハイヤール老はやはり私と同じように眠そうだった。
とても充実した笑顔のような気がしたのは、やはり身贔屓なんだろうか。
私の事をすっかり孫の一人とでも扱ってくれていた気がするけど。
そしてそれも悪い気はしないんだ。むしろ嬉しい。
私には家族は父様しかいなくて、お祖父様、お祖母様と呼べる人はいない。
想えば、エカティリーナ様に対しての思慕も母というよりは祖母に対しての感情の方が強いのかもしれない。
だとしたら、やはり私はここへ来るべくして来たのだろう。あの乗り合い馬車での偶然に感謝してもし足りないくらいだ。
部屋に戻ると、フランが私の布団の方に転がって来ていた。
風邪をひいた件からも、フランは寝相が悪いみたいだ。
仕方ないからフランの布団の方に行って布団に入る。
フランは丸まっていても手足を少ししか出してないから、風邪を引くことはないだろう。
起床までの短い時間。
微睡む間も無く、私は眠りにつく。
心地よい疲労と妙な充足感の中に私は包まれていた。




