しょうしゃなやどでのおしょくじかい
全く、年は取りたくないものだ。涙腺が弱くなっていけない。とは言え、齢十歳を年とかいってたら、世の中のほとんどが高齢者になる。若者は赤ん坊か。
私たちはそれから暫く、イリーナのと言うか、ハイヤール氏のお宅で寛いだ。泊まるところがないなら、宿を借りるよりも家にしないかと言ってくれた。はじめは遠慮しようと思ったが、よく考えたらイリーナはここに泊まるのだし、私とフランだけで宿を借りるのも勿体無い気がしてきたので、御言葉に甘えることにした。
というわけで、『宵闇のサルビア』という宿に泊まるのは止めることにして、お食事だけをいただこうと思う。オルガ氏の奢りで。
大事なことだから二度言おう。
オルガ氏の奢りで。
ちょっと泣いただけでご飯を奢って貰えるとか考えると、世の中も案外生き易いんだなと勘違いをしてしまいそうです。あ、勿論こんなこと狙ってなんてやってませんよ?あくまでも、結果的にこうなっただけなので。
第一、そんな生き方してたらたぶん録な人間にならない。人生経験少ない私でも分かるって。
約束の刻限になる位にイリーナの家を出る。(←もういいやイリーナの家で)
ウェズデクラウスの街はすでに夕刻。日が傾き、そよぐ風は肌寒く感じる。いちおう冬物も何着か買ってはあるが、イリーナの持っている外套を借りる事にした。
全体が赤くて白いボアが縁取る可愛いデザインの外套は私が着るには長いが、フランが着ると膝上の丈になってしまう。スカートで動くわけでもないし、フランにはそれを着てもらおう。
私はもう少し短めの鮮やかな緑色の外套だ。フードも付いてて内側にはイタチやらテンやら分からないけど短めの毛皮が貼ってある。おかげで暖かいが、このフードには何故か丸い目玉のようなものが付いていて、それを被るとなんだか怪獣にでもなったかのようだ。
「ふっ…お嬢様よくお似合いでございます」
「うふふ~♪ネタで買ったのだけどいいと思うよぉ」
キミタチ、笑ってやしないかい?まあ、いい。暖かいのは間違いないし。たまには子供っぽい格好もしてやろう。
ハイヤール老によると、宵闇のサルビアという宿は、門前宿の一つらしい。行ってみると分かるが瀟洒な石造りの建物である。ロココ調とでもいうのか、至るところに細かい装飾がされていて周りの建物とは一線を画する出来だ。ウェズデクラウス執政官の居城より華美かもしれない。あちらはそういう装飾が少な目の実用的な建物だから仕方ないが、この宿の目立ち具合はとても酷い。周りの他の宿がボロ屋に見えてしまう。実際は漆喰をきちんと塗った石造りの建物なのに。
「なんでこの宿だけ、こんなに綺麗なんだろ?」
イリーナに聞いてみると理由はあっさり分かった。宿の主人がルグランジェロ伯爵の係累らしい。
「今の伯爵さまの前の二番目の息子さまの長男でしたかね?」
ん、つまり、私の従兄弟じゃないか!えっと、父様の上の兄ってウェイバール様でしょ?その息子って…ライデルじゃないか!
「あれ、どうしたのジュン?頭いたい?」
そりゃ痛くもなるよ。ウェイバール=トライデトアル士爵は、実直で古風な軍人らしい人だが、その息子のライデル=トライデトアルという人間を評するに使われる言葉は『伊達男』だ。父の後を継ぐよりも服飾や建築に傾倒した男だ。別にそれはいいんだ。私だっていちおうは女の子で、綺麗な服や格好いい建築物は心踊るモノがある。
私が嫌がる理由はただ一つ。その『美』に対する姿勢だ。なるほど、確かにその審美眼というのは在るのだろう。この宿の出来は素晴らしい。けど、人間性が素晴らしいかどうかは別問題だ。
このライデルという男。年齢は三十くらいだったかな?事ある毎に私との縁談をすすめようとするのだ。政略的なものもあるのかもしれないが、どうも私の事が大好きらしい。
私だって何度も言うが、女だ。綺麗と言われれば喜ぶし、嫌われるよりは想いを寄せられる方が嬉しいよ。
でも、彼のそれは私自身の外見を愛でているように思える。わたしの内面を見ようとしないのが分かってしまうのだ。
ちなみに父とウェイバール様との間ではそういうつもりはないみたい。ルグランジェロ伯爵はどうかは知らない。
「お嬢様、お加減が悪いのでしたら引き返しましょうか?私が先方にお詫びに参りますので」
フランは心配して言ってくれたが、あれだけの宿の主人ならおいそれと会うまい。オルガさんの心配りを無下には出来ないよね。
「大丈夫だよ。とりあえず、ライデルに会わなければいいんだし」
「ライデルさま…ああ、あのクズですか」
フランが吐き捨てるように言うが、いちおうは士爵の嫡男だからね。人目のあるところではあまり言わない方がいい。
「それを知ってれば、受けなかったよ」
フランは私を守る守護騎士みたいなものだから、害虫みたいなライデルは嫌いなんだろう。
「あれ、ひょっとしてなんかマズい?」
イリーナも聞いてくる。詳しい事は話せないよなぁ。適当に誤魔化そう。
「いや、まあなんでもないよ。さっさとご飯食べて帰ろう」
オルガさんがどういうつもりでこの宿での食事を持ちかけたのかは分からない。けど、ここに住む人間であるイリーナなら評判は知ってるんじゃないかな?
「イリーナ、この宿の評判って聞いてる?」
宿の前でその評判を聞くのは、さすがに躊躇う。少し離れた大通を散策する体で聞いてみるとこんな話だった。
「価格帯は高め、貴族とか羽振りのいい商人も使うけど、レベルの高い冒険者が多く利用するらしいよ。食事は普通で、正直『ラゼルトーン』の方がご飯は美味しいと思う。ただ、デザートなどの甘いものが豊富で女の冒険者が多い理由もその辺だって」
むう。ちゃんとした情報だ。いや、イリーナだから『え、よく分かんない♪』とか言い出すと思ってたのに予想外だ。
「因みに私は『樫胡桃と橙色梨のケーキ』がオススメよ!!」
いや、聞いてないし。けど、なんか最近私は甘いものが嫌いじゃなくなってる気がする。今までが味気なさ過ぎたのかもしれないけど。イリーナの発言に少しデザート類が興味湧いてきたよ?
「お嬢様、クーヘンとトルテは何が違うのでしょうか?どちらも焼き菓子としか知らないのですが…」
私に負けず劣らずな位にお菓子に疎いフランが質問してきた。私が答えるよりも早くイリーナが答える。
「クーヘンは、小麦粉やバターを使った生地に色々な果物とか混ぜて焼いた物。ちょっとはクリームとかを塗ったりするけど、基本的にそのままで出されるの。トルテは、同じように生地を焼くけど、その後にクリームや果物の甘露煮、もしくは生の果実で装飾して作られる物で、手間が凄くかかるのよ。まあ、意外と区分けは曖昧なんだけどね♪」
さすがイリーナ。知性を司るキョウガイシ神官の実力は間違いなさそうだ。お菓子の知識に関しては。まあ、家庭的な焼き菓子がクーヘン、手の込んだ物がトルテと覚えておけばいいよとフランに教える。
さて、だいたいは聞いたから中に入ろう。真っ赤なサルビアの絵の描かれた看板の下にある正面玄関をくぐる。なるほど、家の屋敷よりは狭いけど、冒険者の使う宿としては規格外な広さだと思う。絨毯もひいてあり石や板のような足音もあまり響かない。
高級宿の定番のように案内係の青年がやって来る。黒と白で統一された制服は、清潔感があり中々によい。家は男性の側仕えは家令という高齢の方だけだったので新鮮に映る。
「お嬢様方、本日はお泊まりでしょうか?それともお食事でしょうか?」
ふむ、きちんと会釈をしてから用向きを尋ねる。本当に高級宿みたいな対応だ。
「人と待ち合わせております。オルガ=メイヤーズ様に招かれまして」
こちらの用件を伝えるとこちらで少々お待ちくださいとソファーのあるラウンジに案内された。受付へと彼は足早に行って、一言二言会話するとこちらに戻ってきた。
「オルガ=メイヤーズ様は、奥の第一迎賓室にてお待ちのようです。ご案内しても宜しいでしょうか?」
ふむ、もう来てたのか。意外に時間に正確なのかな。お願いしますと頼むと、「では、こちらへどうぞ」と言ってから奥の両扉を開けて中に入る。中は食堂だが、かなり広い。丸のテーブルが全部でえっと、十二か。カウンターにも席があって、そこには一人や二人といった少人数の人がいる。テーブル席は八割ほど埋まってるようで、高い店という割には客が多い。やはり女性の数が多いが、付き添いの男性もそれなりには居るようだ。
私は冒険者の使う宿というものは有り体に言えば知らない。イメージとしてはもっと荒くれ者が樽型ジョッキ片手にがははって笑いあってるモノだと思っていた。腕に覚えのある男達がギスギスとした中にも互いを信じあう、そんな男達の友情や信頼が見えかくれする場所だと思っていた。
「普通にレストランみたいだね」
「貴族の方の親しいパーティーのような賑やかさですね」
二人は控えめにそう言っているが、私的にはこんなのはナシだ。こんな冒険者の宿は認めたくない。なんで、逞しい腕をした、おじさんがナイフとフォークを器用に使ってステーキ食べてるの?串に差してかぶりつくのがあなた方の自己同一性じゃないの?
これはわたしの偏見だとは思う。理解は出来る。でも、許容はしたくないんだ。わたしの憧れた冒険者のイメージとはかけ離れすぎてるんだよぅ。
そんな事を内心思いつつも、テーブルの料理なんかはちゃっかり観察はしてるんだけどね。案内係の青年の後をついて奥まで来ると彼はそこの扉を開ける。中は先程と同じように絨毯のひいてある廊下でその一番奥に案内された。青年がノックをして訪問を告げる。中からオルガさんの声がしてから青年はドアを開ける。
「来ないんじゃないかと思ったぞ。まあ、座れ。じきに料理が来る。お前らは、なに飲むんだ?」
オルガ氏はギルド支部での格好よりはかなり身綺麗にしていた。濃い目のグレーのスリーピースを着て、首回りはふわりとした白いジャボを銀細工のブローチで留めている。ロマンスグレーの髪は総髪にしている。一房だけ前に垂らしているのは、ファッションなんだろうな。
父様に近い雰囲気のあるオルガ氏の着飾った姿は、少しときめくものがあったのは認めよう。それはイリーナもフランも同じだったのかもしれない。
「わ、私は白ワインをお願いします」
青年に向けてそういうと、イリーナも今回は赤ワインを、そしてフランはやはり炭酸水を頼んだ。青年は一礼して、部屋から出ていく。
「詳しい話は後だと言いたいが、酒が来るまでちっと話をしようか」
さて、この食事会では何が話されるのか。私としてはあまり食事に集中できないのは嫌なのだが。




