ひとりのおとこのえいゆうたん
序盤は昔話です。
時は三十余年前、ベルゲルメール王国のディクノソーア公爵家の領内に『魔王』が現界した。『山羊頭の魔王』は、瞬く間に領内の町や村を滅亡させていった。
その特性は『不死』。あいつはまず、公爵家縁の者をアンデッドに変え、公爵家の領軍の頭から手下にして軍そのものを不死の軍団にしてしまった。
ただ操られるだけの動く骸骨や動く死体はまだしも、吸血鬼に血を吸われた下級吸血鬼は、勝手に増殖してゆく。
その三年ほど前に召喚された勇者『サトル』がディクノソーア公爵領についた頃には、領内に生きた人間は一人もいなかった。
私は勇者の従者として、彼に付き従っていた。
『轟剣の』ファイン
『猛き魔術師』エルネスト
『静寂の』ノワール
『神秘の炎』レートレイア
『神金の護り手』グルリムヘイル
『迅き風』ノーリゥア
その当時の面々を人はこう呼んだ。
『黄金の森』と。
私は公爵領に潜入した。『山羊頭の魔王』の所在を突き止めるためだ。かつての神殿のあった場所に泣き声が響くのを私は聞いた。その声に誘われるように赴いた先に居たのが、エカティリーナだった。
彼女はキョウガイシの神官だったのだが、ディクノソーア公爵の次女だった。
それゆえに『山羊頭の魔王』に利用され、吸血鬼として従属させられてしまっていた。
「私は多くの同胞を手にかけてしまいました。その血を欲してしまいました。もはや私には人として生きる資格はないのです」
彼女はそう言った。『山羊頭の魔王』の支配力が落ちている時は自我を取り戻すらしいが、それは奴が休息に入る僅かな間だけ。居場所を聞き出し、勇者と仲間達を召喚する。これはエルネストの(転移門)に寄るもので、私自身はその座標を印しただけだ。
しかし、その『勇者』の強大な力故に『魔王』に察知される。公爵や、その家族の吸血鬼どもが襲いかかってくる。当然、エカティリーナも。
私はエカティリーナを抑えるために戦うが、どうしても彼女を傷つけられなかった。すでにぼろぼろに傷ついている彼女を滅っするなど、人として出来るはずがない。血の涙を流しながら彼女は爪をふるい、まともな神官が使わない邪教の術を紡ぐ。
そして、その牙が私の喉笛に食らい付いた。
他の者たちも苦戦していて、私を助ける者は無い。その口に私の血が吸い込まれ、活力が奪われてゆく。
『ごめんなさい、ごめんなさい……』
微かに聞こえた彼女の声は、繋がっている事で聞くことができた彼女のこころ。私を傷付け、活力を吸い取ろうとする事への謝罪だ。
『君になら、別にいいさ』
私は語りかけた。
向こうも驚いたようだが私は構わず言い続ける。
『君を傷付けられないんじゃ私はいずれ死ぬ。なら、せめて君の血肉になりたい。無意味な死は受けたくないからな』
そして、私は意識を失っていった。貧血で死んだか、活力が無くなって下級吸血鬼になったかと思ったが、私は生きていた。
『バカな方ですね……』
優しい彼女の口許は、血で濡れているにも関わらず、牙が無くなっていた。
『利口に生きた試しはないよ』
そう言うことしかできず、やはり私は気を失った。
事の顛末はこうだった。
『サトルが倒すのが遅かったら、あなた死んでたわよ?』
エルフのノーリゥアがそう言っていた。『山羊頭の魔王』を勇者が倒したから、助かったらしい。
支配の切れたエカティリーナは自らに(不死からの還俗)を使う事で吸血鬼より戻る事が出来た。もっとも、これは彼女自身にしか及ぼせないものだったらしい。
他の吸血鬼はそのままだったので、それで『轟剣のファイン』を失った。『山羊頭の魔王』を倒した時には『猛き魔術師エルネスト』を失っていた。そして私は極限に近い所まで活力を吸われて、とてもではないが冒険など出来ないようになっていた。
『黄金の森』は半数を失い、ほどなく解散となる。
私は『静寂のノワール』。
だが、これからはハイヤールと名を変えよう。
只人として生きよう。
側にいる大事な人を肩を抱き、共に長い余生を生きるのも悪くはないだろう。
「──まあ、こんなところじゃよ」
そう言ってパイプの灰を落とし、またいそいそと煙草を詰める。
私たちは、短いけど長い話を聞いたように重い空気を背負っていた。
「じゃあ、エカティリーナ様は吸血鬼だったと言うのですか?」
フランが驚いたように聞いてくる。私は混乱させないように説明をする。
「彼女は人間だよ。何度もお会いしたし、私は血を吸われてもいない。先入観で見るのは止めるべきだ」
「あ……申し訳ありません。お嬢様」
「謝らなくていいよ。知らないというのは怖いからね」
きちんと理解してくれるのはフランの良いところだ。けして頭が悪い訳じゃない。普通は不死になったら戻らないのだから当たり前なのだ。
そこがこの話の凄い所なのだが。
「不死者を人間に戻せる奇跡は幾つかあるらしい。その内の一つが(不死からの還俗)なんだけど、これは普通は自分には使えないはず。だとすると、エカティリーナ様はもう一つ、奇跡の神術を使ってますね?」
おそらくは(祈願)。
自らの代償としての活力と神力を捧げた者がなし得る単独での奇跡。
「そうらしいの。儂は神の事はとんと知らんから言われてもその凄さが分からなかった」
(祈願)は、使う神力も膨大で一度使うと暫くは使えなくなる。
それが一年か十年かはその時にしか分からないらしい。
これに加えて、(不死からの還俗)を使うとなるとその難易度は格段に高くなる。
「お祖母ちゃん、やっぱり凄い人だったんだね」
涙ぐみながらもイリーナは嬉しそうだ。キョウガイシの司教という身分からだけでも凄いと思うんだけど。
「ハイヤールさんは、後悔はされてませんか?」
フランが珍しく前に出てくるな。何が琴線に触れたかは分からないけど、確かに後悔が無いわけはないだろう。
ところが、彼はあっさりと無いと言い切ってしまった。
「愛する人と可愛い子供や孫を授かったのだ。むしろ、自分の命を懸けてまでやり仰せたことを儂は誇っておる。儂が自分の保身に走りエリィを滅していたら、イリーナは産まれなかったのじゃからな」
そういってイリーナの頭をポンポンと撫でる。このやり方はオルガさんと似てるけど、きっとハイヤールさんが彼にしてたからだったのかな?
「そうですね、ようございました。本当に……」
フランは何故かポロポロと涙をこぼしていた。彼女の中にも響くものがあったのだろう。
私とて少し涙ぐんでしまっているが、これはきっとフランのもらい泣きだ。
ぐす。
今の話はきっと英雄譚だったのだろう。
ただ、そこにいたのは間違いなく生きた人たちであり、その命が在ることによって私たちは生きている。ただの物語ではない、生きた歴史なんだ。
───そんな当たり前のことのいくつも、幾つもが。
私たちに繋がっている。




