1-31 とあるぎょしゃのかいころく
途中で回想が入ります。◇で切り替わります。
食事は恙無く終わった。
今日は夜の襲撃とか無いと良いなと思いつつ、身支度を済ます。焚き火もちょっと多めに薪を入れておこうと、思ったら御者のロッツェン氏が焚き火の側に座っていた。
「どうしたんですか?」
薪を入れながら聞くと、今日は見張りをすると言い出した。御者は昼の間、ずっと馬を扱わなければならない。そんな事をしたら明日の行軍に差し障ると言ったら、彼はにこりと笑ってこう言ってきた。
「明日は一刻も走ればウェズデクラウスに着くからね。多少は寝なくても問題ない」
そうか、本来は二日で着く行程なんだから近いのか。着いてしまえば、彼は仕事からは解放だ。
それからゆっくり休めば良いわけだ。
「私もこの仕事を始めてからけっこう経つが、今回みたいな事は初めてだったよ」
彼はぱきりと枝を折って焚き火に入れる。側においたコップにはもう湯気のたたない麦茶が入っている。
「あんたみたいな子供も初めてみた」
彼の言葉は、独り言のような、どことなく私に言っているのではない気がした。
「似ている子には会ったことがあったよ。あれはもう二年くらい前かな……」
◇
───私はその日、町のなかを回る乗り合い馬車を操っていた。
幾つかの停留所を渡り、乗り降りする乗客が入れ替わる。町のなかを巡回して客を乗せる。客は距離に応じた分の金を支払い、降りていく。
サンクデクラウスの中で利用する人間は、そんなに多くはないが少なくもない。貴族などは自分の物を持っているだろう。だいたいは商人か軍人か、一山当てた冒険い者とか。いずれにせよ食い扶持以外に金を払う余裕のある人間たちだ。
いつもと変わらぬ仕事に飽きていた私は、やはり彼らと同じような人間だ。
意欲など湧こうはずもない。
そうして次の停留所を目指した時に、不意に子供が飛び出してきた。
よくある事故だ。
子供というのは前も見ずに飛び出し、馬車や荷車にぶつかり怪我をしたり死んだりしてしまう。
それもそうなるはずだった。
ところが、その子供は消えた。
私は目を疑ったよ。
馬車を止めて回りを見ると、その小さな子供を抱き抱えたやはり子供がいた。
活動的な服装ながら仕立ての良い服を着た、人形かと思わんばかりの子供だった。
何故か右手の裾が焼け焦げていたが、それ以外はかすり傷もない。
当然、助けた子供の方にも。
「気をつけてとは言えない状況だし、あなたに責任はないとは思うけど。……でも言わせて」
彼女はこう言ってきた。
「命は簡単に消えてしまうの、とても簡単に。だからそうならないように心がけて。影から飛び出す子供がいるかもしれないって」
そんなことはできない。
いちいち気にしてたら仕事にならない。
でも、反論は出来なかった。
表情を変えないその瞳が、赤く燃えていたような気がした。
その力強さに、私は気圧されていたのだ。
さらにその後ろからやって来た男性を見れば、反論など出来ようはずもなかった。
父親と同じ、輝くような青みがかった銀の髪が、とても印象に残っていた。
◇
「お久しぶりです。ユーニス様」
……うん、髪も瞳も変えてるのにバレるとは思わなかった。
そして八歳の時にそんなことしてるとも思わなかった。
え?
ちょっと待って。
その時にすでに私は権能を使えていた、ということ?
私はあの事件の夜から使えるようになったと思い込んでいたけど……実は昔から使えていたの?
……おかしい、記憶が曖昧だ。
けど、なんとなく覚えてはいる。
その時は何が起こったのか、自分でも理解してなかったのか?
あまりに困惑している私を、ロッツェン氏は少し微笑んで待ってくれていた。
「ばらすつもりはありません。あなたは私の恩人です。今回だけじゃない。あの時から私は救われたのですから」
そうか、彼は何で私がユーニスだと気づいたか、やっと分かった。
【超加速】のせいだ。
あの権能を見たことがあったから、今日の戦いを見て思い出したのだ。
「そんなに偉そうなこと言ってましたか……」
なんとなく気恥ずかしくなる。昔の覚えてない記憶を言われるのは意外と心にくるものだな。
恥ずかしさに目を合わせられないよ。
「あのとき、身をもって子供を助けた貴女は、その子供と大差ない歳だったはず。さらに言えば庶民の、それもかなり貧しい所の出の者だったようです」
うん、そうかも。
フランに臭いがつくからと帰ってからすぐに着替えさせられたような気がする。
「それでも、貴女は躊躇いなくそれを実行した。尊き血の方が、何も厭わずに」
買い被り過ぎだと思うけどね?
たぶんその時は反射的に飛び出して、後から理由をこじつけたような気がする。
「あの野盗どもを殺さなかった貴女は、間違いなくあのときの少女そのものでした。お変わりにならず健やかになられましたな」
……ロッツェン氏が放っておくのに賛成した理由もその辺りだったか。街道筋を動く生業をしている人にしては甘いなと思ったけど、わたしのせいじゃ仕方ないか。
「健やかに育ったと思います?」
思わず、聞いてみた。
紳士な彼は、それには答えてくれなかった。
パチパチとはぜる焚き火の音がしばらく続いたが、そこにフランが私を呼びに来た。
そろそろ就寝時間らしい。
たしかに眠くなってきているので、焚き火の番はロッツェン氏に任せてしまおう。
「お休みなさい、お嬢さん」
「お休みなさい、おじさま」
馬車の中に入り、フランと毛布にくるまる。
思い出せなかった昔のことを、夢の中で見られたらいいのにな。
目に涙が少し浮かぶが、そのままにして眠りにつく。
そうすれば、誰かが涙を拭ってくれる。
──そんな気がしたから。
ロッツェン氏の昔話です。
辻馬車での事故は、町中ではよく起こります。貴族の馬車に轢かれるとその本人や家族まで連座での処罰を受けたりする地域もあるそうです。
平民の命が軽すぎる時代ですよね。




