1-18 とおくてちかくのこと
事件が起こってから二日目の昼になって、ダインベール国の第十二代目国王テアドニアスに報告が入った。辺境の男爵領で起こった事件にしてはかなり早い。
国王は今年で五十六であり、そろそろ退位も噂される年齢である。子供には恵まれていたが、同時に幸せばかりでもなかった。
何故なら正室の子であるアウガストは病で死に、その弟は生来の白痴で修道院に入ったままだ。
側室にも男子は多いからこの内の誰かが後継者となるであろうが、こういう場合その側室の実家の力関係がモノをいう。
二つの公爵家、八の侯爵家、二十四の伯爵家の中から嫁に入った令嬢の数はおよそ十一人、その半数が男子を産み育てていた。
ちなみに病死したアウガスト王太子も婚姻をしていて、お相手はダールトン公爵家のご令嬢だった。
だったというのはこの方も病死されていたからで、その子供である男子もやはり病気により死亡していた。いわゆる流行り病であり、この当時は病気に対しての防疫とかの概念はあまりないので非常に広まりやすかったのだ。
この件で社交界から僅かに失脚したダールトン公爵に代わり王太子排出の栄誉を賜りそうなのがクレメンタイン侯爵である。
現在、彼の娘は側室の第二位でありその子は男子で十四、そろそろ成人するのだ。
そんなわけで後継者に関しては今のところ問題のない国王は、昼の鍛練の前にその話を宰相に聞くことになった。
「なに!? アークラウス男爵領主屋敷が焼失?」
「は、原因は不明なれども自然な火事とは思えない節が見られたそうです」
犯人の目星は今のところ掴めておらず、家令とメイドらしき二人の焼死体が本館で発見されたと報告する。
「して、あれの娘は無事か?」
「男爵令嬢ユーニスに関しては無事との知らせがありました。が、当人がどうも身をくらませているようです。係累のルグランジェロ伯の手の者が捜索しているようですが未だに確保できていない様子かと」
「ふう、それは何より。生きておるならなによりだ」
テアドニアス国王陛下と、アークラウス男爵エルザムの間にはかなりの格差があるのだが、それを越える友誼があった。
今でも剣の稽古に余念のない国王は王太子の頃にかなりやんちゃをしていたのだが、その片棒を担いでいたのがエルザムだったのだ。
世を忍んで冒険者として活動してあの頃は、今でも彼の輝かしい時代だったらしい。年に何度かのエルザムの登城は、彼の無聊を慰めるためのものであったが、その折りに起きた事件となれば他人事とは言えない。
「エルザムには知らせたか?」
「陛下のご許可があればすぐにでも」
ちなみに王宮、奥の院にはある程度の次元系の魔術を阻害する対抗術が施されている。間諜の類いを防ぐためだが、同様にここでは(通話)なども使えないのだ。
「では、すぐにでも知らせろ。あと、諜報部を動かせ。事の実行犯もそうだが、糸を引いた奴がいるはずだ」
相手の真意が何処にあるかは分からないが、それも誰だか分かれば予見できるだろう。自分の友を傷つける者に遠慮はしない。
「御意。では、ご令嬢の確保もさせましょうか?」
宰相はそう聞いてきた。つまり、国が表に出てきてる事を公にするか否かを聞いている。
「今は捨て置け。気にはなるがな。あいつの子なら女でもそう簡単には死にはすまい。一度も見えておらんから気にはなるが」
二度も言ってるからよほど気になるようだ。
宰相は考えを巡らす。
本来は年端も行かぬ小娘を敢えて野放しにするなどあり得ない話だが、王家と直接関係があるわけもないし、そういうのは身内で行うのが筋というものだ。
しかし、まんざらでもない王の感じを見ると本当に放置していいものかと思われる。そもそも自分とて人の親であり娘が世俗に放り出されたらと考えたら、王の判断はやや常識から外れていると言える。
さりとてこちらから確保する事は出来ないのだから、見つけて監視する、辺りが妥当と考えた。
捕捉さえしておけばアークラウス男爵に報告してしかるべき措置をとる事もできるだろう。
それに真犯人や実行犯が令嬢を見つけることで尻尾を出す可能性もある。ここは、見つけても確保はなし、エサになってもらう方が良さそうなのだ。
結論は同じだが、王の方は単純に期待していたのだ。
あのエルザムの娘がどれほどの器量なのか、を。
聞けば剣はまだまだなれど、魔術はそれなりにできるらしい。深窓に甘んじるタイプでは断じて無い。
会ってもいないのに確信している彼は、間違いなく直感で生きるタイプのようだった。
「はい、エルザム・フルス・フォン=アークラウスでございます。おお、これはこれは宰相閣下。危急な連絡とお聞きしましたが、どのような事でございますか?」
「ふむ、実は卿の家屋敷が焼失したとの報告が入ったのだ。不審火らしいが犯人の目処は立っておらず、卿の娘は無事が確認されてはいるが、領軍も係累のルグランジェロ伯も確保には至っていないそうだ」
「ははぁ、なるほど」
「……なるほど?」
「あ、いえこれは失礼を。そうですか、他の屋敷の人間たちは皆、無事でしょうか?」
「うむ。使用人は無事で彼らを助けたのが卿の娘だそうだ。メイドが二人と家令の本館にいたらしいが、年嵩のメイドと家令は焼け死んだらしい」
「分かりました。なるべく早くに領地に戻り威信の回復に努めます」
「うむ、陛下もお気になされていた様子。私とて心中察するにあまりあるのだ。早く戻り娘を安心させてやるがよい」
「これはありがたきお言葉。我が娘にかようなお心遣い、痛み入ります」
「取り急ぎ、戻ってからの報告を頼むぞ。ではな」
「は、しからば失礼します」
宰相は男爵との通話を切ったあとに若干の違和感を感じた。
『あやつ、娘の事を心配しておらんのか?』
陛下の考えが当たっているということか? いったいどんな娘なのか、宰相自身も気になってきた。
聞けばまだ十歳らしい。
妻の忘れ形見で、病弱だった母より父に似て野歩きが好きとか。いわゆる勉学はエルザムと魔術の師匠であるウェイルン導師に学んだそうだ。
そう言えば、ウェイルン導師もあの領内に居を構えているはず。頼るものは伯父のルグランジェロ以外だと彼ぐらいではないのか?
手の者に連絡をつけてウェイルン魔術工房を見張るように言いつけた。年のころは十歳前後の女の子だから出入りすれば目立つはずだ。
こうして、宰相の命により監視網が作られたのだ。
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「乾物屋に怪しげな男性1人、年に合致する子供一名と鎧兜の護衛一人います」
気配を隠すプロである諜報部の面々は、すでに工房の周囲に散って監視をしていた。工房の四軒以上離れた所から通りすがりの商人や托鉢の僧侶、物乞いなどに姿を変えている。
年の頃が合致する子供がいるが、護衛が付いているという話は聞いてない。その令嬢が護衛を雇うという機転が利けばあるいはそうかもしれないが、そちらは監視に留めよ、との仰せである。
むしろ怪しげな男が気になると、リーダーは思う。
ちなみに情報部は各々の町に何名かずつ送り込まれている。その町に根付いて情報を集めるのが彼らの仕事だ。宰相閣下からの指令は男爵領主屋敷の放火実行犯ならびに真犯人の特定が第一指令である。
第二指令は男爵令嬢ユーニスの監視。監視であるため手を出す必要はなく見つけたら捕捉し続けろというものだ。
今はどちらも確証が取れないため行動はできない。辛抱強く待つリーダーは鉢に銅貨を入れてくれた少女に礼のために神の詞を諳じる。
たとえ神に仕えてなくとも、そういうふりをする必要はあるのだ。
だが、監視対象かもしれない少女が自ら近づいて喜捨してくるとは思わなかったので、多少声が上づってしまった。
少女は彼の唱える詞を手を合わせて聞き入り、終わるともう一度銅貨を二枚入れる。
町に出る僧侶のこうした托鉢の儀礼を知る貴族はたぶん稀だ。おそらくは商家の娘あたりが護衛を連れて出歩いているといった所だろうか。
すると、その少女はくるりと引き返して件の魔術工房に護衛と連れだって入っていった。工房に用があるのなら魔術師か商家の娘か、どちらにしても信心深い娘なのだろう。
自分が密偵だとバレたわけではないと思うが、居心地の悪さを感じてその場を部下に任せ自分は離れる事にする。
『一度、警戒線を下げる』
(通話)で部下に伝達すると、彼は悠然と立ち去った。
今は下手はうてない。まだ手がかりは何一つ無い。自分達の素性を露見せずに行動することこそ、彼らには求められているのだから。
別動隊が情報を得てくるのも待ってからでも遅くはない筈だ。
遠い王都でのお話と、街での監視している諜報員のお話です。
現時点では王様はほとんど関わりません。
諜報員は、その名の通り諜報活動をする人達です。
とはいえ、彼らには逮捕権も捜査権もありません。
それはその地の領主にあり、領軍の司令官はそれを代行しているに過ぎません。
だから、彼らがなにか事を起こすと問題になるので行動は隠密に、誰にも知られずに行わなければいけません。




