8
セミの鳴き声がまばらになって、少しずつ日が短くなってきて。
そんな夏の終わりの頃だった。
『話がある。今からうちの近くの公園に来てくれ』
と布施からメールがきた。
まったく、ずいぶん身勝手な奴だ。私が急に呼び出されてほいほい行くようなヒマ人だと思っているのだろう。まあ実際、今日は部活もなく宿題と格闘していただけで暇だったが。
私はのろのろとベットから立ち上がり、パーカーを一枚羽織って家を出た。
公園の中を端から歩いていると、真ん中あたりにあるベンチに布施が腰かけているのを見つけた。彼は私に気が付くと立ち上がった。
「悪い、呼び出して」
律儀に詫びるくらいなら話なんてケータイで済ませればいいものを。
「べつにいーよ、ヒマだったし。話ってなに?」
一拍、布施が間をおくのがわかった。
「俺さ……お前が好きだ」
ぐらっと自分の視界が反転した気がする。
私は真意を確かめようと彼の瞳を見つめ返した。
「お前が好きだ」
まっすぐにこっちを見て同じ言葉を繰り返す彼は、どこか恥ずかしそうだった。
布施のこんな顔、初めて見た。だから私はそれを冗談として笑い飛ばすことができなかった。
「あんた、桐島君と……」
「別れた。俺は、やっぱり男が好きなわけじゃないらしい」
私の言葉を遮るように布施は早口に言う。
「らしいって……なによ、それ」
私の脳の中で、ピリピリと感情が跳ねまわった。一度落ち着かなければならないと思うのに、口が勝手に動き出した。
「桐島君に、そう言ったの?」
「ああ。そう言って、別れてきた」
「……桐島君は、なんて?」
「なんであいつのことばっかり聞くんだよ。もうフラれたんだろ」
布施は明らかに苛立っていた。でもそんなことはどうでもよかった。
言葉が感情に追いつかなくて、私はもどかしかった。
「答えてよっ。桐島君は、あんたになんて言ったの」
布施は半ば呆れたように、ぞんざいに答えた。まるで、昨日見た夢の内容を教えるように。それに意味なんてないみたいに。
「『俺は、布施が男だから好きになったわけじゃないよ』って」
バチバチッ、と音がした。自分の中の何かが暴れ出して、今にも身体を乗っ取りそうだった。ここのところ甘ったるくてぬるい感情に身体を明け渡していたせいで、私の身体は思ったよりも弱くなっていたらしい。全身を駆け巡る感情に身を任せ、私は怒鳴り声をあげた。
「そこまではっきり言われても、あんたは何もわからなかったのっ」
夜の蝉の声だけがどこまでも鬱陶しい。私はそいつらをかき消したかった。
「桐島君はあんたのことが、ほんとに好きだったんだよ」
嫌でも思い出した。
感情の起伏が少ない彼が嬉しそうに語る姿を。
無邪気な笑顔を。ミートボールの味を。失恋の痛みを。
「なのになんでよっ。なんでそんなひどいことが言えるのよっ」
私は泣きそうだった。
でも布施も、泣きそうな顔をしていた。
「俺だって悩んだよ。俺とあいつの間に何があったか、お前は何も知らねえだろ。なんでお前にそんなことで責められなきゃいけないんだよ。俺は……」
「もういいっ。聞きたくないっ。あんたの言い訳なんて」
私はもしかしたら、自分のために怒っていたのかもしれない。
でも、そのことに気が付かないふりをした。
「いや、聞いてくれっ」
布施は私の両肩を強く掴んだ。必死な彼の目を、私は怖いとさえ思った。
「俺、中学の時に母親が死んで、色々いっぱいいっぱいでいるときにあいつに会って、救われたんだ。たまたま俺がじゃんけんに負けて、あいつと一緒に図書委員になって、今まで全然話したことなかったのにずっと前から知ってたみたいに仲良くなって、それで……」
彼はまるで走馬灯でも見ているかのように、細切れの記憶を矢継ぎ早に語った。
けれど、そんなことを聞いたって私にはどうすることもできない。続きはどうしても聞きたくなかった。これ以上彼を貶める言葉を吐かせるわけにはいかなかった。だから、私はこう言おうとした。
「だから何だって言うの? そんな話聞いて、『ああ、それじゃあ別れても仕方ないよ。あなたは悪くない』なんて言ってほしいの? 冗談も大概にして」と。
でも、言えなかった。
彼が必死に何かを伝えようとしている姿が、私の中にある、別の感情の蓋をこじ開けたからだ。
溢れ出したそれは、激流となって私の怒りを押し流していく。
もう、見て見ぬふりはできなかった。
私は彼の感情を知っていた。その名前を、その愚かさを、その愛おしさを知っていた。
私はもう誰かのためと嘘をついて、彼を傷つけるわけにはいかなかった。
「ごめん。ほんとにごめん……。ちょっと感情的になってた。そうだよね、私、二人の間に何があったかなんてわからない。せっかく気持ちを伝えに来てくれたのに、ほんとにごめん。私、冷静じゃなかった」
優しく布施を見つめる。彼の呼吸が私につられ落ち着いてくるのがわかった。
「こないだも言ったけど、私まだ桐島君にフラれたばっかりだから。あんまりそういうこと、考えられないんだ。……ごめん」
彼はゆっくりと手を離してくれた。
「わりぃ」と絞り出すように布施は言って、私を一人にしてくれた。
私もゆっくりと来た道を引き返した。
桐島君のことばかり考えていたから、正直よく覚えていなかった。でも、もしかしたら布施は、けっこう前から私のことが好きだったのかもしれない。
だから料理を教えてくれたのかもしれないし、遊びに誘ったのかもしれない。
そんなことを想像するのは、私が自意識過剰だからじゃない。彼の気持ちを、少しでも理解したいと思ったからだ。
一人歩く夜の道は、あちこちに街灯があってちっとも怖くなかった。光にたくさんの虫が集まっている。そういえば誘蛾灯というのは蛾が光に集まる習性を利用して、彼らを焼き殺すものらしい。人間というのはまったく残酷な生き物だ。光を求めて闇の中を飛ぶ虫の気持ちも考えてほしいと私は思う。
「桐島君と仲良くなるために、布施を利用してた私も、残酷で、最低だけどね」
悪女のように悪戯っぽく月に向かって呟いてみたが、そんな安い演技では自分を騙すことはできなかった。
私は、性別を理由にフラれるツラさが痛いほどわかった。だから布施に八つ当たりした。
私は精いっぱいの勇気で「好きだ」と伝えて、フラれる気持ちを知っていた。だから今日は、最後の最後で踏みとどまれた。
「藤堂に、悪いことしたな」
今さら胸が痛むなんて、私もほとほと救いようがない。
「あーあ、悪いことしたなぁ」
滲む月に向かって私はもう一度だけ、しゃがれた声で呟いた。




