決着
「父上! 来てくれたのですね父上!」
父上って……こいつが、ルシオンの父さん!
ルシオンの言葉の意味に、ソーマはしばらく自分の考えが追いつかなかった。
指輪の眩い輝きの中から突然現れたその男。
黒銀色の装甲に覆われた、大きな男の背中を見上げながらソーマは頭を整理する。
ルシオンの父親。
異世界の帝国を統べる強大な王。
夕方公園で会ったこの男が……インゼクトリアの魔王……
ヴィトル・ゼクト!
「ああ来たぞルシオン。そして礼を言うぜ、人間の坊や……」
ヴィトルがルシオンの方を振り返って二カッと笑った。
人間の坊や……って、俺!?
ソーマは面食らう。
異世界の魔王は、どうやらルシオンの中のソーマに向かって話しかけているみたいだった。
「そうさ坊や。お前さんがルシオンと一緒になってくれなかったら、この場所までルシオンを導いてくれなかったら、俺もまたこの場所に立つことは出来なかった。今度の事件の元凶を……とっ捕まえることもな!」
ヴィトルは灰色の目をギラリと光らせて、メイローゼの方を向いた。
「その指輪……『ヴィントライゼの指輪』は対になった指輪をはめた者を自分のいる場所まで『召喚』する力がある」
ヴィトルの右手に指で光っているのは、ルシオンがはめているのと同じ形。
緑色の宝石を輝かせた優美な銀色の指輪だった。
「ルシオン。剣が盗まれて、お前がその行方を追って城から消えたという報せを受けた時、俺もまたすぐにお前の後を追った。国境の砦はマティスたちに任せてな。剣を盗んだ連中の狙いはわかっていたし、連中を放っておけばインゼクトリアどころか深幻想界そのものが大変なことになるからな。だが接界点を通じて人間世界に到着した時、俺は考えた……」
右肩の担いだ巨大な斧を、ヴィトルはメイローゼに向かって構えた。
「人間の世界で俺が自分の力を解放すれば、こいつらはすぐ俺の存在に気づいて姿を隠してしまうだろう。こいつらは危険すぎる。俺の存在を気取られずに確実にこいつらに接近して、俺自身の手で始末をつける必要があった。お前はそのための役目を十分に果たしてくれた……ルシオン!」
「ち、父上にそんなお考えが!?」
ヴィトルの言葉に、ルシオンの顏がみるみる真っ赤になっていく。
父親に内緒で剣を追い手柄を立てるつもりが、完全に魔王ヴィトルの掌の上にいたみたいだ。
「おのれぇヴィトル・ゼクト! まさか人間の世界に!」
「驚いたのは俺の方だぜメイローゼ・シュネシュトルム……」
緑の目を憎しみでギラギラさせながら、魔王をにらむメイローゼ。
半身の魔女に油断なく斧の刃先を向けながらも、ヴィトルの声は悲痛だった。
「吹雪国の誇り高き魔王の片割れが……自らこんなマネを。さあ、もう馬鹿な事はやめて俺とともに深幻想界に戻ろう。今ならまだ罪を償える……」
「うるさい! 何が罪だ! 何が償いだ!」
メイローゼの怒りの叫びがヴィトルの言葉を遮った。
魔女の半身から伸びた薔薇の蔓がズルズルと蠢いてヴィトルの全身に絡みつく。
身動きの取れないヴィトルの周囲に黒い氷の柱が生じていく。
「全部の罪をあたしたちになすりつけて、あたしたちの国を奪いやがって……お前ら魔王こそが……最悪の大罪人だ!」
ヴィトルを指さしてメイローゼは呻く。
魔氷が膨れ上がり、ヴィトルの体を押しつぶすかに見えた。
だがその時!
「ぬうんッ!」
ヴィトル・ゼクトの気合と同時に。
ズドンッ!
魔王の全身から放たれた強烈な力の波が、メイローゼの放った周囲の氷を粉々に打ち砕いた!
「凄い、父上!」
これが……魔王の力!
ルシオンが歓声を上げる。
ソーマもまたヴィトルの力を目の当たりにして驚きの声を上げた。
「グウウウウッ!」
「許せ、メイローゼ・シュネシュトルム! あの時、他の魔王たちの奸計を見抜けなかったのはこの俺の過ちだった。だからこそお前の過ちもまた……止めなければならない!」
ゴオオオオオ……
魔王の構えた斧の刃先が、蒼い炎を噴き上げていた。
ヴィトルがメイローゼの背後、『ルーナマリカの剣』に向かって戦斧を振り上げた。
「やらせんぞ! ヴィトル・ゼクトォオオオオオオオオ!」
「ダアアアッ! ブレイザー・テンペスト!」
そして裂帛の気合と同時に。
魔王は剣に向かって、自分の斧を振り下ろした!
ギュンッ!
斧から噴き上がった蒼い炎の一閃がメイローゼの半身を吹き飛ばし、そのまま空中の剣に激突した。
そして……バキンッ!
魔王の一閃を受けた『ルーナマリカの剣』の刀身が、その中ほどからボッキリ折れて……粉々に砕けてあたりに飛び散った。
「ウアアアアアッ! そんな!」
砕けた剣の残骸に手を伸ばして、メイローゼは悲鳴を上げた。
そして……ヴィトルの斧の炎を受けたメイローゼの体もまた剣と同じ運命を辿ろうとしてきた。
魔王の蒼い炎に包まれて。
魔女の半身から伸びた薔薇の蔓が、次いで手が、胸が……
次々に燃え落ちて、崩れていく。
「絶対に……絶対に許さんぞ貴様らァアアアアアア!」
崩れてゆく指先をヴィトルに向けながら、メイローゼが悪鬼のような叫びをあげた次の瞬間。
ズドンッ!
崩落した研究棟の天井が、魔女の体を押しつぶしていた。
瓦礫の山に埋もれてメイローゼの姿はルシオンたちの前から消滅した。
「さらばだメイローゼ。かつては偉大であった者よ……」
灰色の瞳で痛ましげに瓦礫の山を見つめながら。
ヴィトル・ゼクトは静かにそう呟いていた。
「やった……ついに……父上!」
「ああ、やったなルシオン……」
歓喜と安堵の声を上げるルシオンを振り向いて。
ヴィトルは自分の娘の顔を見て誇らしげに笑った。
「さあ、出るぞルシオン。ここもじき崩れる」
「わかりました父上!」
待て……待ってくれルシオン!
崩れていく研究棟からヴィトルと共に飛び立とうとするルシオンを、ソーマは慌てて止めた。
「ん? どうしたソーマ……」
あの人も……連れていかないと、助けないと!
「ウウウウウ……!」
ソーマに促されて振り向いたルシオンの視線の先には、倒れたカネミツの姿。
メイローゼに右腕を引き裂かれ、出血多量で意識も失っているようだった。
「アイツを……あの悪党どもに加担した人間をか?」
「ルシオン、連れて行ってやれ!」
あからさまにイヤそうな声を上げるルシオンに、ヴィトルは強い口調でそう言った。
「父上……」
「人間には人間の都合がある。あの男の処断は人間たちに任せるんだ。それにお前だって……そこの坊やには散々世話になっただろう?」
「わ、わかりました……」
ヴィトルの声に、少しシュンとした感じでルシオンはそう答えた。
動けないカネミツに肩を貸して、ルシオンは彼の体を持ち上げた。
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「しっかりと手当しておけよ。止血はしたが、応急だからな……」
夜が明けようとしていた。
剣の力に耐え切れずに完全に崩壊した研究棟を目の前にして。
カネミツの腕の手当てを終えたヴィトル・ゼクトがルシオンの中のソーマにそう話しかけた。
あ……ありがとうございます!
「なに坊や。礼を言うのはこっちの方だ。ルシオンがすっかり世話になっちまって……」
礼を言うソーマに答えて、魔王は少しはにかんだようにニカッ笑った。
「申し訳ありませんでした父上。父上に内緒で……わたしだけの力で剣を追いかけたばっかりに……剣を失い、コゼットまで……」
「気にするなルシオン。お前はよくやったぜ……」
コゼットの事を思い出してポロリと涙をこぼすルシオンの頭を、ヴィトルは大きな手でクシャクシャと撫でた。
「ルシオン。お前にはな、マティスやアラネアやビーネスには無い、お前だけの良さがある。自分の力に驕らず、どこまでも民と国のためを思って頑張り続ける……その姿勢がお前をより強くしていく。コゼットも喜んでいるさ!」
「ウウッ父上……!」
ヴィトルの言葉にルシオンは肩を震わせた。
「ルシオン。コゼットの体を。俺が深幻想界に連れて帰る」
「コゼットを……?」
ヴィトルの言葉に促されて。
ルシオンは自分の胸元に手をやった。
彼女が黒鳥みたいな自分の衣の下から取り出したのは、ニワトリの卵くらい光輝く金色の石ころ。
メイローゼの分離魔砲からルシオンを庇った、コゼット・パピオの成れの果てだった。
「うん。大丈夫だルシオン、コゼットは生きている」
「……コゼットが!?」
ルシオンから手渡された金色の石を見つめて、ヴィトルは安堵したように大きく息を吐いた。
ルシオンの真っ赤な目が、喜びで大きく見開かれる。
「ああルシオン、魔素の結晶に体を封じられているだけだ。連れて帰ってドクター・ネイルに診てもらえば少し時間はかかるが必ず元に戻るさ……」
「アア……よかった、コゼット! コゼット! コゼット!」
ルシオンの目から再びポロポロ涙がこぼれる。
さっきまでと違う、喜びの涙だった。
「だったらさあ。早く帰りましょう父上。コゼットと一緒に……早く。早く。早く!」
ちょ……ちょっと待てルシオン!
いてもたってもいられない様子でヴィトルをせっつくルシオン。
ルシオンの中で、ソーマが慌てて声を上げた。
ソーマの体は再びルシオンと合体したままだった。
このままルシオンと一緒に異世界に行ってしまったら、ユナやコウやナナオ、そして姉さんともう二度と……!
だがその時だった。
「いやルシオン。お前はしばらく、この世界に残れ」
「……へ?」
ルシオンの顔をまっすぐ見つめて。
ヴィトルは彼女にそう言った。
ルシオンは訳がわからずに首をかしげている。
「今度の騒ぎ……まだ何か臭う。メイローゼが結託していたイリスの神官。おぞましいヘビ使い……20年前のあの戦争。邪神の封印を解いたのが双子王でなかったとしたら……。今度の騒ぎの元凶をもたらした奴は、まだ人間世界に居る……どうもそんな気がするんだ」
ヴィトルは厳しい顔で、ルシオンに答えた。
「ルシオン。今のお前はこの世界に溶け込んでそいつらを探るのにうってつけだ。人間に紛れ、人間と一緒に生活し……何か怪しいと思ったことをその指輪で俺に伝えてくれ。俺の頼み、訊いてくれるかい?」
「父上……でもコゼットは向こうに……」
ヴィトルの頼みに、ルシオンは困惑した顔。
ヴィトルとその手元のコゼットを不安そうに何度も見返している。
「それにルシオン。人間の世で暮らし、広く人間の世界を知ることはお前にとっても貴重な経験になるはずだ。お前が自分の国を作り、新しい魔王となる時のためにはな……昔の俺みたいにな」
「わたしの……国!!!!」
ヴィトルの事簿を聞いて、ルシオンの目が驚きに見開かれた。
真っ赤な瞳が、何か大事なものを見つけたみたいにキラキラ輝いていた。
「どうだい、やってくれるかルシオン?」
「はいっ! 任せてください父上!」
ルシオンはヴィトルを見上げて、力強い声でそう答えた。
「というわけで坊や……いやソーマ。今しばらくルシオンが世話になるが……よろしくな!」
「そうだ。よろしくなソーマ!」
えーーー……。
ルシオンの中のソーマを覗き込んむようにしてニカッと笑うヴィトル。
ゴキゲンな様子でソーマに呼びかけるルシオン。
まだしばらくは、面倒事が続きそうだ……
ソーマはルシオンの中で肩をすくめた。
それでも……
ユナ、コウ、ナナオ、姉さん……
この世界にいるソーマの大切な者たち。
みんなと別れることなく一緒にいられる。
それだけで、ソーマは凄くうれしかった。
わかった、よろしくなルシオン。
ソーマもルシオンに、少し改まった調子でそう答えた。