おわりのはじまり
「うーん……あれ、ここは……?」
「起きたか、ユナ」
ユナが目を覚ますと、彼女が寝かされていたのは病室のベッドの上だった。
ベッドの横では、疲れ切った顔のソーマがユナを見下ろしている。
「ソーマ……わたし、どうして、いつの間に……!」
「あ、ユナ! まだ安静にしてないと」
ユナは慌ててベッドから体を起こす。
ソーマが止めるのも聞かずにあたりを見回す。
窓から見える景色はすっかり暗い。
もう夜みたいだった。
「びっくりしたぜユナ。あんな場所で倒れててさ。先生は軽い貧血だって言ってたけど、念のために明日検査しようってさ……」
ソーマが何かを取り繕うみたいに、ユナにそう話しかけてくる。
気を失って……ソーマの同行で病院に運ばれた……自分が……!?
「急に……倒れて……?」
「そうだよユナ。覚えてないのか? ユナの母さんには連絡ついたってさ。今日の夜遅くには、コッチに到着するって……」
「違う……黙っててソーマ!」
ユナが手をかざして、ソーマの話を止めた。
ユナは何かを思い出そうとして目を瞑って頭を振る。
あの時。
御珠中央公園の広場。
何かを追いかけるみたいにテーブルから離れて駆け出したソーマ。
そうだ、なにか放っとけない。
急にそう感じたユナは、ソーマの背中を追いかけて森の中へ……
それからの記憶は混乱していた。
現実なのか、夢だったのか、自分でもハッキリ思い出せない。
消えていたソーマの姿。
どこかで見たことのある銀色の髪をした少女。
森に溢れかえっていた、紅色をした気持ち悪いヘビたち……!
恐ろしい景色が目の前に蘇って来た。
ユナをとり囲んで襲ってくるヘビたち。
そして右の足首に鋭い痛みが走って……。
そこでユナの記憶は真っ暗になって途切れていた。
「わたし、わたし……」
ユナは口に手をあてて吐き気をこらえた。
あの公園で、なにか恐ろしいことが起きた……!
ユナにもそれだけは、ハッキリわかった。
その時だった。
「ユナ……ごめん!」
「ソーマ……?」
ユナは戸惑いの声を上げた。
ソーマがユナの肩を抱いていた。
ソーマの目から、ポロポロ大粒の涙があふれていた。
「ユナのこと放っておいて……危ない目に遭わせてほんとにごめん……! でももう無いから、もうこんなこと絶対ないから……!」
ユナを抱き締めて、ソーマは泣いていた。
やっぱり……。
ソーマの体温と震えをじかに感じながらユナは思った。
ソーマは何かを隠していた。
ユナに嘘をついていた。
でももう、ソーマの心は限界みたいだった。
公園のことを隠しきれずに、ユナにすがって小さな子供みたいに震えて、泣いてる……。
「うん……」
ユナは小さくうなずいた。
ユナに何かを隠していても。
ユナに嘘をついてはいても。
ソーマの涙は、ソーマの震えは……本物みたいだった。
「何が起きたのか話してくれないの、ソーマ?」
「……ごめんユナ」
ユナはソーマの顔を見る。
ソーマの瞳をのぞき込んでこんでそう訊くユナに、彼は苦しそうに首を振った。
「色々ややこしいことばっかで……自分でも何が起きたのか……俺……ちゃんとユナに説明できないんだ。でも信じてくれユナ。もうこんなことは絶対……」
「そう……」
泣き晴らした赤い目を泳がせて、子供みたいに言い訳するソーマにユナは静かに声をかけた。
ス……
ユナの手が、ソーマの髪を優しく撫でた。
「もう危ない場所に行かない……危ないことしないって……約束できる?」
「ウグ……」
鼻水をすすり上げながら、ソーマはユナの問いにうなずく。
「ずっとわたしの傍に……いてくれる?」
「いる。俺は……ユナの傍にいる……!」
「約束?」
「する……約束する!」
「うん、だったら……ゆるしてあげる」
ソーマの頬の涙の跡を、ユナの指先がスウッとなぞる。
「ユナ……」
「ソーマ……」
ツ……
ソーマとユナが、唇を重ねていた。
他に人の気配もない夜の病室で、ソーマとユナがお互いを求めあう。
一瞬のような、それでいて永遠に続くような時間の中で、ソーマとユナの影が静かに重なり合っていた。
#
「えー。そんなことが! ユナさん、大丈夫かなあ……」
「まあ軽い貧血って言ってたし、委員長にはソーマがついてるから大丈夫だろ」
「そっか……ほんと仲良しだもんね、あの2人……」
夜の住宅街。
公園で倒れたというユナの話を始めて知って、ナナオが不安そうな声を上げていた。
いっしょに歩くコウの答えに、少しホッとしたみたいにナナオは息をついた。
御珠中央公園のイベントがなんとか無事に終わっての帰り道だった。
中学生のナナオは出店の片づけを圧勝軒とチャラオに任せ、早めに公園を出て。
コウは、ユナのために呼んだ救急車に同乗したソーマを見送って。
それぞれの自宅まで帰る途中だった。
「それにしても、今日はいろいろ変なことが起きるなあ……ユナさんといい、昼間の地震といい……」
ナナオは首をかしげながら小さく呟く。
地震で倒れてきたモニュメントからナナオを助けてくれた、あの男の顏が目に浮かぶ。
「それよりさナナオ。どうだったよ、例のアイツ……」
「あいつ?」
その時だった。
コウがなんだかモジモジしながら、いきなりナナオにそう訊いてきた。
「アイツだよアイツ! 例のアルバイトのさ!」
「ああ、チャラオさんか……」
今日から圧勝軒で働いている、栗里チャラオのことを訊いているらしい。
「ちゃんと……真面目に働いてるか? 仕事さぼったり、店の売り上げチョロまかしたりしてないよな……?」
「そんなことないよ! 見た目はチャラチャラしてるけど仕事は真面目だし、一生懸命だし。やっぱり働いてる男の人ってかっこいいよねぇ……」
難しい顔をしながらそう尋ねて来るコウの言葉を、ナナオは笑顔で打ち消した。
「そ、そうか……だったらいいんだけど、じゃねえや良くない! いやいいのか……って違う違うよくない……」
「どうしたの……変なコウくん?」
いきなり取り乱したみたいに、ナナオの答えをよかったりよくなかったり言うコウ。
ナナオがコウの顔をのぞき込んでクスッと笑った……その時だった。
突然。
ズズズズウゥ……
地鳴りと同時に、ナナオとコウの足元の道路がユサユサと揺れた。
「うおわぁ!」
「また、地震……」
その場で転ばないようにバランスを取りながら、ナナオとコウは不安そうにあたりを見回した。
そして……
「あっ!?」
「なんだ……アレ……!」
ナナオとコウは、空を見上げて呆然とした顔で声を上げた。
真っ黒な夜の闇をまるで切り裂くみたいに。
眩しい緑色をした光の柱が、空に向かってそそり立っていたのだ。
#
「始めたのか、メイローゼ……!」
突然の地震で混乱と喧騒に包まれた御珠中央公園で。
出店の片づけをしていたチャラオが、山間から立ち上った光の柱を見上げてそう呻いていた。
#
同じころ。
「なんだアレは……!?」
「ソーマ……こわい!」
ユナのいる病室。
突然の地鳴りと、窓からさしこむ異様な光にソーマは驚きの声を上げた。
不安そうな声を上げるユナの元から離れて、窓際に駆け寄るソーマ。
「あ……!?」
窓の外に広がった光景に、ソーマは唖然とする。
街の一角から緑の光が立ち上っていた。
だんだんとその輝きを強めながら、夜の空にそそり立った光の柱。
「あの方角は……確か……!?」
地鳴りと異様な光の正体に考えを巡らすソーマの耳を、不意に誰かの声がかすめた。
――魔法安全基盤研究所。それが彼らの名。
――インゼクトリアから剣を盗み取り、人間世界に持ち去った者たちの名前……
――所在地は御珠市御霊原1-X-XX……
それはコゼットの声だった。
昼間の戦いでルシオンを庇って消滅してしまった、かわいそうなコゼットの声。
ラーメンを食べているソーマの耳元で、彼女が囁いた敵たちの名前。
そして組織の所在地……!
「間違いない、アイツらだ!」
ソーマは右の拳をギュッと握って、掠れた声を上げた。
黒衣の魔女と結託して、ソーマたちを殺そうとした連中。
ルシオンとコゼットの故郷から剣を盗み出した者たち。
クロスガーデン御珠の虐殺を招いた首謀者。
光の立ち上った場所は、ちょうどコゼットが教えてくれた彼らの研究所の方角だった。
でも……
「いや、もう関係ない……」
ソーマは唇を噛んで首を振る。
アイツらが狙っているのはルシオンだったはずだ。
そのルシオンも、もういない。
侍女のコゼットも……死んでしまった。
あんな連中と関わったばっかりに、コウやナナオを危ない目に遭わせた。
ユナを……死なせるところだった。
だからもう、いいんだ……!
「ソーマ、こっちに来てソーマ」
「大丈夫だユナ。すぐにおさまるよ……」
自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、ソーマはユナのところに戻っていく。
不安そうな幼馴染の肩を抱く。
「先生、104の秋川さんの容体が急に……!」
「なぜ、どうしていきなりこんなに?」
病室の外では、医者や看護師が慌ただしく廊下を行きかっている。
なにか、事故でも起きたのだろうか。
でも、ここは大丈夫だ。
ユナはもう安全なんだ。
ユナの体温をその手に感じながら、ソーマは自分を納得させる。
「先生。治癒者による処置の効果がどんどん消えていきます……」
「治癒魔法が……いえ、魔法そのものが効いていません!」
……え?
なんだか必死な感じの看護師たちの声に、ソーマは思わず顔を上げた。
魔法が……消える?
どういうことだ?
ソーマが小さく首をかしげた、その時だった。
ズギュンッ!
「うおわ!?」
「どうしたのソーマ?」
左の足首を伝った、まるで電流みたいな衝撃にソーマは悲鳴を上げる。
ユナはソーマを見上げて、怪訝そうな顔をした。
#
「始まりましたね所長」
「ああ、いよいよだ黒崎くん……」
白い外壁に囲まれた『研究所』の一室。
緑の光に照らされて感嘆の声を上げる部下の1人に答えながら、所長は満足そうな顔で笑った。
『魔法安全基盤研究所』所長、氷室カネミツ。
ソーマのクラスメート、氷室マサムネの父親。
そのカネミツが見上げているのは、研究室の中央でいくつもの機器につながれた優美な一振りの剣。
水晶のようなその刀身から眩い緑の光を噴き上げる『ルーナマリカの剣』だった。
剣から立ち上った光は、研究所の外壁を透過して夜の空たかくまで上ってゆく。
「思った通りだ。刀身に施された制御結界を解除することで、外部の魔素を急激に吸収してゆく……」
輝きを増してゆく剣を見上げながら、カネミツの声が昂ぶっていた。
「あと少しだ。この世界にまき散らされた忌まわしい魔素をこの剣が全て吸収してしまえば……」
剣の光を映して、カネミツの目が緑色に輝いていた。
その光は悲願をかなえる満足の色だった。
「この世界から『魔法』は消滅する!」
#
「ようやく始めたか、人間ども……」
研究所の敷地の闇の中。
研究棟全体を緑色に染め上げながら立ち上る剣の輝きを見上げながら、黒衣のメイローゼもまた満足げにそう呟いていた。
「無能な人間の分際で散々威張り散らしやがって! 確かにあたしたちの力だけじゃ剣の結界を解くことはできなかった。だからオマエらの計画に協力したまでのこと。でも……見ものだねぇ……」
エメラルドみたいな緑の瞳をキラキラ輝かせながら、メイローゼはニタリと笑った。
「剣の内部に十分な魔素が溜まって、その力を『発動』させた時、オマエたちは一体どんな顔をするのかしら? ……ン!?」
その時だった。
不意に何かの気配を感じたのか。
メイローゼは剣の輝きに背を向けて夜空を見上げた。
「フン。やっぱり来たか王女……!」
夜空に瞬く小さな光の点をにらみつけて。
黒衣の魔女は鼻を鳴らした。
光はルシオンの翅の瞬きだった。
「大騎士コゼットは死んだ。もうお前の力など相手にもならないが……これはケジメだ。始末しろリュトムス!」
ザザッ!
メイローゼの声と同時に。
何か黒くてグニャグニャした不気味な影が地面から頭をもたげた。
影はその体をしならせると、メイローゼの頭を軽く飛び越して空たかく跳ね上がった。
#
ズギュンッ!
ズギュンッ!
衝撃は立て続けにソーマの体を襲っていた。
みぞおちに一撃。そしてすぐ後に……背中。
耐えられないような痛みではない。
でもなんだか強烈に……イヤな感じだった。
まるで衝撃が走るたびに、ソーマの大事な何かが……失われていくみたいに!
「これは……ルシオン!」
不意に何かに気がついて、ソーマは声を震わせた。
理屈ではなく、体感的にソーマは確信する。
衝撃の正体はソーマの体から分離したルシオンだった。
ソーマから離れた今も、体にルシオンの名残りみたいなモノが残っている。
そしてルシオンの体に呼応して、彼女の名残りがソーマに伝える。
ルシオンは、いま誰かと戦っているのだ。
敵の打撃を足に受け腹に受け背に受けて……
ピンチに陥って死にかけている!
「う……あ、あ!」
自分でも気がつかない内に。
ソーマはその場から立ちあがっていた。
「ソーマ!」
彼の異変に気がついて、ユナはソーマの手を握る。
こんな、こんなことって……!
ソーマは迷う。
ソーマは苦しげに首を振る。
ハッキリ感じる。
このままだとルシオンは、死ぬ。
でも、ユナと約束した。
もう、どこにも行かないって……
いや。でも、それでも……!
ソーマはパニックに陥っている病棟の様子に、大きく息をつく。
みんなの魔法が使えなくなる。
原因は多分……てゆうか絶対アレだ。
ルシオンたちが探していた剣。
研究所に持ち去られた剣が光の正体。
もしいま、世界から魔法が消えてしまったら……!
ソーマは全身の毛が逆立つ。
治癒魔法だけではない。
物流にも、通信にも。
魔法は社会のあらゆる場所に浸透してこの世界を支えているのだ。
それがいきなり消えてしまったら。
どれだけの大惨事になるか……!
「ユナ。ごめん。ちょっと用おもいだした……」
「ソーマ?」
ソーマはユナの方を向いて、言いにくそうに声を上げた。
#
「ガアアアアッ!」
夜の森にルシオンの絶叫が木霊していた。
ソーマと別れて、小さな幼女の姿になったルシオン。
その全身が、自分の血で真っ赤に濡れている。
背中の翅が引き千切られてボロボロだった。
「アハハアッ! いい声ですよ。王女様! それにしても……」
喜悦に震える男の声が、森に響いた。
ルシオンを痛めつけているのは食屍鬼のリュトムスだった。
ルシオンに破壊されたリュトムスの左腕。
その腕の付け根から伸び上がった図太いムチのようなモノ。
倒れたルシオンの体に絡みついているのは食屍鬼の腕から生えた異様な生物だった。
それはテラテラした黒い鱗に覆われた、大きなヘビだった。
「随分とまあ、弱くなってしまったものです。その体も食いでがなさそうだし。これでは蛇人の巫女殿から頂いたこの腕も、とんだ役不足だ……」
左腕から生えた黒蛇でルシオンを締め上げながら、魔拳士はサディスティックに笑った。