分離魔法
「アレは……!?」
ソーマは息を飲んで、自分でも気づかないうちに丸椅子から立ちあがっていた。
いや、ソーマが立ったのはもうソーマの意思ではなかった。
(あいつめ……こんどこそ!)
ソーマの中の怒りに震える声が、ソーマの体を無理やり突き動かしていた。
陽光のふりそそぐ平和な昼下がり。
広場を行きかう人影の合間から視界をかすめる小さな少女の姿をその目にして。
……プリエル!
コゼットにそう呼ばれた少女の名を思い出して、ソーマは吐き気をこらえる。
あのに、クロスガーン御珠で100人を超える人間を虐殺した蛇人の巫女の名前。
深幻想界でも最凶クラスにランクされているというテロリストの少女の姿が……。
いま、この場所にいる!
「ソーマくん? どうしたの?」
「おい、ソーマ、ソーマ?」
ユナとコウが、立ち上がったソーマを見て不思議そうに声をかける。
「ソーマくん……? ソーマ!?」
「あ……わるいユナ。俺ちょっと……トイレ」
不安げに変わってゆくユナの声に、うわの空でそう答えて。
ソーマはフラリとテーブル席から離れる。
人ごみの向こうに遠ざかっていく、プリエルの姿を追いかけて。
#
(あいつ、あいつ! こんどこそ、こんどこそ!)
「おいルシオン……少し落ち着けよ!」
「用心してください、ルシオン様。これは敵の誘い……何かの罠です!」
ハッハッハッ……
息を切らせながら、ルシオンに突き動かされたソーマの体が公園を走る。
広場の人ごみを縫うように、滑るように。
小さなプリエルの姿が、滑るようにソーマから遠ざかっていく。
まるでソーマの追跡を、あざ笑うように!
人ごみを離れて、野外広場の周りに広がる森の中まで。
プリエルの姿を追って、ソーマは駆けた。
そして……
広場の喧騒が嘘のような、静けさに包まれた森の中に。
そいつは不吉にゆらめいた蝋燭の炎みたいに佇んでいた。
ザザァアアア……
森を渡る風が、少女の顏半分を覆った薄布と燃えたつ炎の様な紅髪を揺らしている。
少女の琥珀色の瞳がソーマの姿をジッと見据えていた。
「邪神教団の祭司プリエル……!」
ソーマの姿のまま、ルシオンは少女を指さして怒りの声を上げた。
「インゼクトリアの罪なき民をさらい、殺し、生贄に捧げて来た。何人も、何百人も……そして、それだけでは飽き足らずにこの世界の民まで……!」
「やはり……お前は王女ルシオン。だがこの前の戦いを見ていてわかったぞ。力だけが頼りで、考えが足りない。我らが神敵に価せず……本当に、あのヴィトル・ゼクトの眷属か?」
ルシオンを見据えて無表情のまま。
声だけはあざ笑うような調子で、プリエルがそう呟いた。
「グッ………!」
ルシオン!
ソーマは不安になってきた。
ソーマにもハッキリわかった。
彼の体を操るルシオンの心が、怒りで真っ赤に塗りこめられていく。
プリエルの挑発に、完全に冷静さを失っているみたいだった。
そして、ザワザワザワ……
プリエルの紅髪が蠢きだした。
まるでそれ自体が生きているかのように、ざわめき、のたうち、地面を這い……
無数の真っ赤なヘビに姿を変えて、あたりを覆ってゆく!
「ルシオン様。わたくしは周りの守りを。プリエルは、おひとりで大丈夫ですね……」
「ああコゼット。アイツの武器はあのヘビだけ。わたしの光矢だけで十分だ……!」
耳元をハサハサ飛び回りながらそう尋ねるコゼットの声に、ルシオンは自信たっぷりに答えた。
そして、ボオオオオ……
ソーマの体にもまた変化がおきていた。
彼の全身から緑色の炎が噴き出した。
炎はソーマの全身を舐めながら、ソーマの姿を変えていく。
その手足は透き通るような雪の色に。
その髪は輝くような銀色に。
その瞳は紅玉のような深紅に。
華奢な体にまとっているのは黒鳥のような衣。
背中から広がった透明な2対の翅。
炎の中から現れたのは、1人の優美な少女の姿。
インゼクトリアの王女ルシオン・ゼクトの戦闘形態!
「いくぞプリエル……」
深紅の瞳で蛇人をにらむルシオン。
その体の周りに、ポツポツと緑の灯がともっていく。
ルシオンが呼び出したホタルたちが、プリエルに照準を定めた。
ヘビたちがルシオンの体に群がる、その前に。
本体のプリエルを倒す。
ルシオンは、そのつもりみたいだった。
プリエルのヘビがルシオンを取り囲んでいく。
ルシオンホタルの発光器官がその輝きを増してゆく。
ルシオンの合図と同時に。
ホタルたちの放った光矢がプリエルを貫く……!
と思った、その時だった。
「ソーマ……くん?」
「………!?」
ルシオンの背中から、人の声が聞こえた。
「ユナ……!」
振り向きもせず、そう声をあげたのはソーマだった。
ルシオンになったソーマの耳は鋭くなり、感覚は研ぎ澄まされていたが、そんなのは関係なかった。
声だけで……いや、気配だけですぐにわかった。
背中にいるのはユナだった。
「何やってるの? 誰、その人……ねえ、ソーマ……!?」
ソーマのことが気になって、彼をついてきたのだろうか。
ユナが戸惑いの声を上げている。
緑の炎に包まれたソーマの体。
炎から現れた奇妙な姿。
そしてソーマの向こうに佇んだ少女。
燃えたつような紅髪からこっちに向かって這って来る、無数に蠢く真っ赤なヘビたち……!
……ルシオン。だめだ。
ユナを……守れ!
「な……なにをするおまをjflkwjnhajlavte……!?」
ルシオンの中から、ソーマは命じた。
混乱の叫びをあげるルシオンの声を、ソーマの意志が打ち消した。
ビュッ!
ビュッ!
ビュッ!
アローの照準が、プリエルからそれた。
ホタルたちの放った無数の矢が、ルシオンを取り囲んだヘビたちを次々に撃ち抜いていく。
「ジャアア―――ッ!」
貫かれ、千切れてゆくヘビたち。
それでもなおアローの連撃を逃れた蛇たちはカマ首をもたげて、ルシオンに飛びかかる。
ルシオンの背後のユナにも狙いをつけて、牙を剥いて容赦なく飛びかかっていく!
「キャアアアア!」
「ユナ! ユナ!」
突然群れをなして襲ってきたヘビたちに、ユナは悲鳴を上げて動けない。
なすすべなく、その場でうずくまるユナ。
彼女に襲いかかるヘビたちを……
ソーマが狙いすましたルシオンのアローが、正確に射落としてゆく!
「ユナ! 落ち着いて……立つんだ、ユナ!」
「え……ソーマ……?」
ユナを向いて、ソーマは必死で彼女に話しかける。
ルシオンの姿で、ルシオンの声で。
ユナも自分を守る者の存在に気づいたようだった。
ゆっくりとその場から立ちあがって、足元にちらばったヘビの死骸を見回す。
自分の体を守ってくれている、飛び交う光の矢を見回す。
「ゆっくりソコから退がって……森の外へ逃げろ!」
「あなたは……誰? ソーマは、ソーマはどこ!?」
自分の名を呼ぶ少女を見て、ユナは恐怖の声を上げた。
ソーマの姿を追いかけていたはずなのに。
気がつけば、おかしなヘビたちに囲まれていた。
恐怖でうずくまって顔を上げれば、話しかけて来たのは知らない顏の少女。
いや……知らない?
ウソだ、あの顔はたしか……!?
混乱する頭。
錯綜するユナの記憶。
あの顔は、昨日たしか、たしか……!?
「はやく、逃げろユナ!」
矢継ぎ早に飛びかかるヘビたちを撃ち落としながら、もう1度ソーマは叫んだ。
だが、その時だった。
ガクン。
ソーマの体が、一気に重くなった。
なんだ……!?
混乱するソーマ。
いや、重くなったというのはソーマの感覚だった。
ソーマが操っていたルシオンの体のコントロールが、奪われたのだ。
「おぉまぁえぇ―! いきなり何をしゅる!」
かみ気味で怒りの声を上げたのは、ルシオン本人だった。
ソーマから、自分の体の制御を取り戻したのだ。
「勝手なことをしゅるな! 狙いはアイツだ! プリエルを倒せ!」
「待てルシオン! 今はまだ……ダメだ!」
ソーマとルシオンが、自分の体の取り合いを始めた。
ホタルのアローの狙いがブレる。
ユナの周りのヘビたちを狙っていた照準が、一瞬にしてプリエルを向き、次の瞬間にはまたユナの方に……!
「アイツを殺して、剣を取り戻すのだ! 帝国のために……父上のために!」
「待て……今はヘビたちを……ユナを守るのが先だ!」
「『ユナ』……そんなの、知るかあ!」
縋りつくように懇願するソーマに、耐えかねたようにルシオンが答える。
ルシオンが再び、ソーマのもとから自分の体をもぎとった、その時だった。
「……ァア!!」
小さい。
か細い。
ユナの悲鳴が、ソーマの耳をかすめた。
「……ユナ!?」
ユナの方を向いたソーマもまた、悲鳴を上げた。
ユナが、その場に倒れていた。
そしてユナの足首に咬みついていたのは……
その照準を乱したルシオンの光矢を逃れた、プリエルの赤蛇の1匹!
「そんな……そんなユナァアアアアア!!」
「おい……どうした、何してるお前……!?」
ソーマは絶叫した。
全身が燃えるようだった。
怒りと後悔で、頭がどうにかなりそうだった。
ソーマと体を共有しているルシオンも、全身を走る異常な感覚に戸惑いの声を上げていた。
その時だった。
ドオオオンッ!
鈍い音。
足元が揺れた。
地鳴りが響いた。
「「ガアアアアアアッ!!!!」」
そして、全身を叩きつけるような凄まじい衝撃と痛みに、ソーマとルシオンは同時に悲鳴を上げた。
ルシオンの体が、蒼黒い影みたいな塊に覆われていた。
2人の身体を、何か巨大な『力』が捕えていた。
そして……
「捕まえたァ……!」
大きなサクラの幹の陰から姿を現したメイローゼが、そう呟いてニタリと笑っていた。
黒いローブのフードを目深に、エメラルドのような緑の目を歓喜で輝かせた黒衣の魔女の姿。
メイローゼの両手には、その先端から蒼黒い影を噴き出させた奇妙な銀色の砲身が構えられていた。
#
「アハハハ! 捕まえたよ、王女様ァ!」
メイローゼが勝ち誇った笑いを上げた。
彼女が両手で構えた、銀色の奇妙な筒。
その筒の一方の端から伸びたチューブは、サクラの樹の根元に置かれた黒い冷蔵庫みたいな箱型の機器につながっていた。
そして筒のもう一歩の端。
ルシオンに向けられた筒の先端からは蒼黒い影の塊みたいなモノが噴き出していた。
放たれた影が、ルシオンの体を包みこんでその自由を奪っている。
「なんだこれは……!?」
「ユナ! ユナ!」
身動きできない体に、ルシオンは戸惑いの声を上げる。
ソーマは悲鳴みたいな声で、何度もユナの名前を呼ぶ。
プリエルのヘビに足を咬まれたユナ。
小さく悲鳴をあげたきり。
地面に横たわったまま、死んだように動かないユナ。
プリエルの放った赤いヘビ……ヘビ! ヘビ!
ソーマの頭に、クロスガーデンの悪夢のような光景が蘇る。
フードコートで、みんな死んでいた。
男も、女も、子供も、年寄りも、みんな、みんな。
プリエルのヘビに咬まれて……死んでいた!
「うああああああっ!」
ソーマは耐え切れず絶叫する。
一刻でも早くユナに駆け寄って、抱き起したい。
助けたい。
なのに……。
ルシオンの体は、まったく身動きが取れなかった。
ルシオン……ルシオン……こいつの体は!
全身を捕えて放さない凄まじい重さと痛みに、ソーマは怒りのうなりを上げる。
こいつの体さえ、ちゃんと言うことをきいていれば。
こいつさえ、ソーマの言うことをきいていれば……!
ユナは、あんなことにならなかったのに!
激しい怒りと後悔がソーマの胸を突き上げる。
それはルシオンへの怒り。
そしてユナへの後悔だった。
その時だった。
「「うあああああっ!」」
ひときわ激しい痛みが全身を打った。
ソーマとルシオンが、同時に悲鳴をあげた。
そして……
「……え!?」
ソーマは自分に起こった異変に気づく。
いま、ソーマの目はルシオンを見ていた。
影に捕らわれて動けない、ルシオンの全身を。
ソーマの視線が……ソーマの意識が。
だんだん、だんだんとルシオンの体から引き剥がされていく。
ソーマの存在が、ルシオンの体とは別の場所まで……
あっ!?
とつぜん戻って来た、自分の体の感覚に、ソーマは小さく驚きの声をあげた。
いまソーマの手は、ソーマ自身のものだった。
腕も、足も、頭も、全部、全部……。
ソーマの体とルシオンの体が……離れている!?
そして……
「ルシオン!?」
目の前のルシオンに起こっている異変に気づいて、思わずソーマは叫んだ。
彼の、すぐ目の前に見えるルシオンの体。
その体に奇妙な変化が起きていた。
「う……あああああああ!」
苦痛の悲鳴を上げているルシオンの姿が、いつもより小さく見える気がする。
いや、気のせいではない。
ルシオンの体が、いつもの見慣れた彼女の姿より半分くらいに縮んでいた。
華奢だったルシオンの手足が、今はさらに細くて小さい。
あどけなさを残した綺麗だったルシオンの顏が……あどけないどころか、今は小さな子供そのもの。
ソーマと分離したルシオンの体が、黒鳥の衣をまとった子供の姿に……
まだ学校に上がる前くらいの、小さな幼女の姿に変わってしまっている!
「フン。それが今のお前の本当の姿か、王女様……」
銀色の筒の先をルシオンに構えながら。
黒衣のメイローゼが鼻を鳴らした。
「コイツは『分離魔砲』……と連中は呼んでいる。あたしたちを『狩る』ために人間が作りだした武器だ。この世界のモノから魔素を完全に分離させて、消し去ってしまう……当然、魔素そのもので出来た王女様の体もね……」
足元の機械と手元の筒を交互に見回しながら、メイローゼは笑う。
「この世界の子供の体と融合して、どうにか生き延びていたようだが……仕掛けが分かれば簡単なもんさ。消えな、王女!」
「う……あああああああっ!」
「ルシオン!」
勝ち誇るメイローゼ。
引き裂かれるような悲鳴を上げるルシオン。
ソーマは動揺してルシオンに手を伸ばした。
ルシオンに、さらなる異変が起こっていた。
影に捕えられた幼女のルシオンの姿が、だんだん薄らいでいく。
影に飲まれて、影と混ざりあって、そのままメイローゼの構えた筒の先に……
ルシオンの体が吸い込まれてゆく!
「イヤだ……イヤだ。助けて父上!」
「そんな……ルシオン!」
イヤイヤと首を振りながら泣き叫ぶルシオン。
ソーマもなすすべなく、ルシオンの名前を叫ぶことしかできない。
その時だった。
バチンッ!
突然。
なにかの弾けるような音とともに、空気が震えた。
ルシオンとソーマを捕えた影とメイローゼとを遮るように。
放たれた影の間に、突然、誰かが立っていた。
「コゼット……!」
影を受けて立つ者の姿を見て、ソーマは息を飲んだ。
輝く金髪。
優美な青いチョウの翅。
ルシオンとメイローゼの間を遮って。
魔女の放った影をその背中に受けてルシオンを庇っているのは、ルシオンの侍女コゼットだった。
侍女……いや、『大騎士』。
いまの彼女の姿は、そう呼ばれる方がふさわしかった。
その身にまとった白銀の鎧。
右手に携えた雷の戦槌。
美しく峻厳な顏。
だがその青い目だけは、優しくルシオンを見下ろしていた。
「コゼット……コゼット!」
涙を拭って、鼻水をすすりあげて。
小さなルシオンが安堵の声を漏らした。
そのルシオンに……。
「泣いてはいけません。ルシオン様……」
コゼットは微笑みながらそう呼びかけて、ルシオンの銀色の髪をそっと撫でた。
「ルシオン様。最後までお仕えしたかったけれど、どうやらこれが最後です。どうか務めを果たして無事にヴィトル様のもとまで……」
「あ? コゼット?」
「コゼット……何を……」
いつもと変わらないコゼットの声に、だがルシオンの顏はこわばっていた。
それはソーマも同じだった。
「ソーマ様。ルシオン様の事、くれぐれもよろしくお願い致します」
コゼットは、ソーマの方を向いてそう言ったのだ。
「ルシオン様……おさらばです!」
そして。
その言葉を最後にして。
コゼットの姿はルシオンの目の前から消えていた。
コゼットの体は金色の光の塊になって。
一瞬の後、光り輝く微塵になってその場から散っていた。
#
「コゼット……? コゼットぉおおおおお!!」
ルシオンの悲鳴が森にこだました。
コゼットが消えた。
ルシオンの目の前で。
メイローゼが放った蒼黒い影からルシオンを庇うようにして。
ルシオンの前に立って影をさえぎったコゼットの姿が光の粒になって消滅していた。
「フン、惨めだなあ『大騎士』……無能な主をかばって、お前から往くか……」
緑の瞳を輝かせてメイローゼが笑う。
黒衣の魔女が構えた『分離魔砲』から噴き出した影が、コゼットの体を撃ち砕いたのだ。
金色の微塵になったコゼットの体が、影に引き寄せられるようにメイローゼのもとに集まっていく。
そして……。
コロン。
メイローゼの足元に、何かがこぼれて落ちた。
それは、砕かれて光の粒になったコゼットの寄せ集め。
ニワトリの卵くらいの大きさしかない、光輝く金色の石ころだった。
「魔素の結晶か……。インゼクトリアの盾、大騎士コゼット・パピオの成れの果てだ……」
メイローゼが、形の良い唇をキュッと歪めて、地面に転がった金色の石を足先でこづいた。
「コゼット……そんな……!」
ソーマもまた、目の前でおきた惨劇に言葉を失っていた。
メイローゼが持った「銃」から噴き出した影。
どんな仕組みかわからないが、その力は1つになっていたソーマとルシオンの体を2つに引き裂いていた。
元のままのソーマの体と、小さな幼女の姿になってしまったルシオンの体に。
そして、そのルシオンを影から庇ったコゼットは消滅した。
光の粒になって、寄り集まって地面に転がっているあの石が……
強くて優しかった、あのコゼット・パピオの成れの果てだというのだ!
そして……
「うううぁああああああああ! よくもコゼットを!」
両目からポロポロ涙を零しながら、ルシオンが怒号を上げた。
真っ赤な瞳でメイローゼの方をギッとにらみつけて。
小さな足で地面を踏みしめ、メイローゼにむかって歩いて行く。
だが……
「ルシオン、だめだ!」
ソーマは離れていくルシオンに手を伸ばす。
いま、あいつに立ち向かっても。
あの女の思うツボだ!
「フン、どこまでも馬鹿な王女様。こんどこそ終わりだ……!」
そして小さなルシオンを見下ろして、笑っいながら。
メイローゼはそう言い放った。
彼女の構えた銃の先端に、再び蒼黒い影が集まってゆく。
今度こそルシオンにとどめを刺すつもりなのか。
魔女の緑の瞳が、幼女になったルシオンを見据えて妖しく輝いた。
『分離魔砲』から放たれた影が、再びルシオンに命中する!
……と思った、だがその時だった。
ズドンッ!
突然。
目も眩むような閃光と同時に。
ルシオンに銃を向けたメイローゼのまわりに何かが炸裂した。
「ううあっ!?」
その場から跳び去りながら愕然とした顔で、メイローゼはあたりを見回す。
彼女の周囲に同時に「落ちて」きたのは、幾閃もの輝く稲妻だった。
「攻撃……魔法……!? なんで……」
そして戸惑いの声を上げながら、メイローゼは気づいた。
自分を攻撃してきた力の正体に。
攻撃を放ってきた者の姿に。
それは幼女になったルシオンの背後から。
影の「重さ」から解き放たれて地面から立ち上がった者の姿。
右手に持った銀色の十字架をメイローゼに向けながら。
彼女をにらみつけている1人の人間の少年。
御崎ソーマの姿だった。
#
「『雷撃』……!」
自分の体を縛っていた影の重さから解放されて。
自由を取り戻したソーマは、十字架をメイローゼの方に向けて、静かにそう唱えていた。
「お前……何を……!?」
ルシオンが唖然とした顔で、ソーマの方を振り向いていた。
背中ごしにソーマの凄まじい力を感じたのか。
真っ赤な瞳が驚きで見開かれていた。
ルシオンに答えず。
ソーマはメイローゼをにらむ。
ヘビに咬まれてユナが倒れた。
地面に倒れたきり、まったく動かない、生死も分らないユナ。
そしてコゼット。
ルシオンの体をかばって、彼女は消えた……死んだ!
そして今また、小さなルシオンがメイローゼの前で殺されようとしている。
たった数秒のあいだに、これだけの事を目の当たりにして……。
だが今のソーマは、自分でも驚くくらい冷静だった。
目の前で起きたことに、怒りでどうにかなりそうなのに。
頭の中はシーンと凍てつくようだ。
ユナを助ける。
ルシオンを逝かせない。
コゼットの仇をとる。
そのためにまず、コイツを止める。
コイツを……消す!
指先の十字架が、ソーマの内なる「力」と完全に同調しているのがわかった。
体のの内側から湧き上がるような魔素の流れが、今のソーマにはハッキリわかった。
この力を制御する。
姉さんから貰った……この触媒で!
ズドンッ!
ズドンッ!
ズドンッ!
矢継ぎ早に。
ソーマの放った稲妻がメイローゼの足元に炸裂する。
初めて使った攻撃魔法。
初めて使った『雷撃』。
初弾は力みすぎて狙いを外したけれど、次の稲妻はもう……!
彼女が構えた『分離魔砲』の本体……
銃身とチューブでつながれた、黒い冷蔵庫みたいな機会に、ソーマの稲妻が炸裂したのだ。
ドンッ!
凄まじい爆音。
全身を震わせる衝撃とともに、『分離魔砲』の本体が爆裂した。
「ぐううううあああ!」
メイローゼの悲鳴。
爆風にあおられてその場から吹き飛ばされた魔女の体が地面に転がった。
「くそっ! あいつか、あの力……!」
緑の目でソーマをにらんで、メイローゼは呻いた。
「プリエル! あいつを始末しろ、あの人間の小僧だ……!」
ソーマを指さしてメイローゼが叫んだ。
彼女が呼びかけたのは、無数のヘビに囲まれて紅髪を揺らした少女。
琥珀色の瞳で無表情に戦いの様子を眺めている、蛇人の巫女プリエルだった。
メイローゼの声とともに、ス……。
プリエルの白い指先が、静かにソーマの方をさした。
ズズウウウウ……
同時に、少女の足元で蠢いていた無数の真っ赤なヘビたちが、いっせいにソーマの方へ這って行く。
ヘビたちがソーマを取り囲み、ソーマの体に飛びかかる。
ソーマの、足の、手にヘビが絡まりカマ首をもたげてその牙を立てようとした、その瞬間。
「お前も消えろ……」
ソーマは静かに、そう呟いていた。
そして、ズドンッ!
ソーマの体を、彼の放った雷撃が直撃していた。
「ジャァアアアッ!」
雷撃に打たれて、ソーマに絡みついたヘビたちが、次々に破裂していく。
千切れたヘビの死骸を踏みしめながら、ソーマはゆっくりとプリエルの方を向いた。
自分の雷撃に打たれたというのに。
ソーマ自身の体には、傷ひとつ付いていなかった。
ただ体に帯びた稲妻の輝きが、手足の先でパチパチと金色に瞬いているだけ。
#
「あいつ、なんなんだ……あの力はいったい……!?」
爆風に晒されて傷ついたメイローゼが、ソーマをにらんで戸惑いの声を上げていた。
王女ルシオンが取り込んだ人間の子供。
理由は分からないが、それがこの世界での王女の力の源だった。
その子供が……王女と引き裂かれた後もなお、自分だけでこれだけの力を……!
メイローゼの頬がヒクつく。
完全に想定外だ。
そして……
「ああ、その御力は……」
鈴を振るような澄んだ少女の声が、森を渡った。
蛇人の巫女、プリエルの声だった。
自身のヘビを全て引き裂かれたというのに。
薄桃のベールで顔半分を隠した少女に、戸惑う様子はなかった。
燃えたつ炎のような紅髪をなびかせながら。
プリエルは1歩、2歩とソーマの方に歩みを進めていった。
琥珀色の少女の瞳が、ジッとソーマの姿を見据えていた。
さっきまで虚ろそのものだったプリエルの瞳の中に、燃え立つようなある色が浮かんでいた。
それは、激しい渇望だった。
「その御力は、その御身体は……」
白魚のような指先をソーマに差し伸べながら。
プリエルは譫言みたいに何かを呟いていた。
「間違いありません。アナタは我らが神の……」
少女がソーマに向かって何か言おうとした、だがその時。
「消えろ……消えろ!!」
ソーマはプリエルをにらみつけ、忌まわしげにそう声を上げていた。
そして……ズドンッ!
再びソーマの放った雷撃が、プリエルの体に炸裂していた。
ソーマの目の前で、琥珀色の熱っぽい瞳でソーマを覗きこみながら……。
次の瞬間。
稲妻に撃たれたプリエルの姿は爆散し、消滅していた。