魔拳士リュトムス
「うああああああっ!」
ルシオンが、その場からフっ飛ばされた。
ミゾオチに何かが爆発したような衝撃が走った。
ルシオンの体はフードコートを飛び出して、通りの向こうの鉄柵に激突した。
「う……ぐぐぐ。なんだ今のは! 何も見えなかった……!」
頭を振りながらその場から立ちあがるルシオン。
…………!!!!
ルシオンの中では、ソーマが悶絶していた。
生まれてこれまで味わったこともない、痛みと衝撃。
気が遠くなりそうな苦痛。
頭の中が、真っ白になりかけている。
「いまのは『突き』です、ルシオン様! あいつが凄まじいスピードでパンチを!」
ルシオンの耳元で、コゼットがオロオロした声をあげる。
ソーマの頭に、さっきルシオンの視覚をかすった残像が蘇った。
フっ飛ばされる一瞬手前。
ソーマには確かに見えていた。
不敵な笑いを浮かべてルシオンに拳を放とうとする、タキシードの男の姿が!
「距離をとってください、ルシオン様! 接近戦では絶対に勝てません!」
「わ……わわわかっているコゼット!」
コゼットの声に、ルシオンは震える声で答えて、背中の翅をしならせた。
バサアッ!
翅のはばたく音と同時に、ルシオンの体が空中に浮遊する。
空に舞い上がったルシオンが地上を見回す。
フードコートに転がった死体。死体。死体。死体。
だが、あの男……タキシードを身にまとった死神みたいな男の姿が、どこにも見えない。
おい、コゼット……!
どうにかパニックの収まったソーマが、恐る恐るコゼットに声をかけた。
あいつは、一体なんなんだ! 動きが見えない……めちゃくちゃ速かったぞ……!
「はいソーマ様、あいつはリュトムス! 深幻想界でも悪名高い食屍鬼の格闘家です……!」
コゼットが厳しい声でソーマに答える。
「自分の武術を磨き上げることに全てを捧げた暗殺者! どんな勇者も、どんな巨大な怪物も、ただ己の拳ひとつで倒してきた男! ただひたすらに強さを追求し、強者と戦い、強者を殺して、強者を喰らうことに無上の喜びを覚える男だと聞いています……!」
な……喰らう!?
コゼットの言葉に、ソーマはギョッとした。
「その通りです、あいつは食屍鬼。殺した相手の骸を喰らい、自分の血肉とするのです。いえ、時には生きたまま……! ですがまさかこの世界に来てルシオン様を狙っていたなんて!」
コゼットが、耳元で恐ろしいことを言った。
その時だった。
「フフフッその通りです……」
「な……!?」
ルシオンの真下から、くぐもった笑い声が聞こえた。
「インゼクトリアの魔王の眷属。その力と血肉、1度は味わってみたいと思っておりました……。ですが、すぐに殺してしまうのもいささか味気ない……」
「ルシオン様、気をつけて!」
そいつの……リュトムスの声を耳にしたコゼットが、何かを思い出したようにルシオンに叫んだ。
コゼットの声とほぼ同時に……
バタンッ!
「ヒッ!」
足元で起こった異変に、ルシオンは小さな悲鳴を上げた。
フードコートに転がった無数の死体。
そのなかの1つ……若い女の死体がおもむろに……寝返りをしたのだ。
「うああああっ!」
ルシオンの叫びと同時に、彼女の周りを飛び交うホタルたちから緑の閃光が放たれた。
ルシオンの光の矢が、死体の額を撃ち抜いた。
だが、それきりだった。
さっき寝返りをうったはずの死体は、それきりピクリとも動かない。
女の死体は苦痛に歪んだ顏で、うらめしそうにルシオンを見上げたまま。
「リュトムスは……食屍鬼は……他人の死体に潜り込むことが出来ます。死体に隠れて、死体の中を移動して、攻撃のチャンスをうかがっているのかも……!」
コゼットの声が震えていた。
バタンッ!
バタンッ!
バタンッ!
続けざまに、別の死体が動いた。
太った男の死体。
小さな男の子の死体。
杖を握った老婆の死体。
みな仰向けに転がって、ルシオンを見上げている。
苦痛と恐怖に歪んだ顏で。
見開かれた虚ろな目で。
ルシオンを……見ている!
「ヒッ……ヒッ! うぅああああああああ!!!! アロー! アロー! アロー! アロー!」
ルシオンの口から、引き攣った悲鳴と怒号が一緒に漏れだした。
ルシオンは地上の死体めがけて、めちゃくちゃに光の矢を飛ばす。
ホタルたちの放った緑の閃光が、死体の頭を、胸を、腹をデタラメに貫いていく!
ルシオン……!
おいやめろ……!
やめろってば!
パニックに陥ったルシオンにソーマが悲鳴を上げた、その時だった。
「どこを狙っているのです!」
足元からリュトムスの声が響いた。
と同時に、ズドンッ!
地上の死体の1体が、まるでバネ細工の玩具みたいに空中に跳ね上がった。
ルシオンの目の前に、死体が跳ね上がった。
「王女。御覚悟!」
「きっさぁまぁああああああああああああ!」
太った男の死体の腹を裂いて、リュトムスがルシオンのすぐ正面に飛び出してきた。
ルシオンが怒号を上げる。
間髪入れず、リュトムスの攻撃。
リュトムスの長い足から繰り出された蹴りが、ルシオンの顔面に炸裂した!
……と思った、だがその時だった。
「これは……!?」
リュトムスは、いぶかしげな声を上げた。
彼の蹴りが、王女の顏に届いていない。
リュトムスの足先が、まるで見えないスポンジのようなモノに阻まれてルシオンのすぐ目の前で静止していた。
「なにか……仕掛けたか王女!?」
「ふぅ……いいぞコゼット!」
「ルシオン様。いまです!」
何かに気づいたリュトムス。
ニヤリと笑うルシオン。
次の瞬間。
「ルシフェリック・セイバー!」
「ぬううっ!」
ルシオンの合図とともにホタルたちから放たれた光線が、リュトムスの手足を貫いていた。
「切断しろ!」
「ぬうあああああっ!」
ホタルたちに命じるルシオン。
ホタルが空中を移動して、リュトムスを貫いた点を、彼を切断する線に変えようとした、その時だった。
ドンッ!
再びリュトムスの足が、ルシオンの体を思い切り蹴った。
反動でルシオンから離れるリュトムス。
重力には逆らえないリュトムスの体が、そのまま地面に落下していく。
「ぐっ!」
どうにか体勢を立て直したリュトムスが、フワリと地上に降り立った。
だがその時には、ルシオンは次の攻撃の準備を終えていた。
「よし、とどめだ!」
空中のルシオンが、ホタルたちに号令した。
紅玉みたいなルシオンの赤い瞳が、墜ちていくリュトムスをにらみつける。
「ルスフェリック・バースト!」
右手をかざして、ルシオンは叫んだ。
ギュゥゥウウウウウウウンンン……
うなるようなにぶい音と共に、ホタルたちの放った閃光が一カ所の集中していった。
光の束が、目も眩むくらいまでその輝きを増していく。
そして、ビュンッ!
ルシオンの放った光撃が、地上のリュトムスに突き刺さった。
「やったぞ!」
やったか……!
空中で勝利を確信したルシオン。
ソーマも、ルシオンの中で胸を撫でおろした。
だが……!
「なんだアレは!?」
地上を見下ろしたルシオンが、驚愕の声を上げていた。
ビュオオオオオ……
何か、空を切るような音と共に。
ルシオンの放った光がリュトムスの正面で四散し、消滅していた。
な……!?
ソーマにも、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
「そんな!?」
コゼットもまた、戸惑いの声を上げていた。
リュトムスの右手は、目にも止まらぬ速さで胸の前方で左下方にむけ弧を描きながら光撃を切り裂き、一回転して上段に構えられていた。
リュトムスの左手は、右手の外を上方に顔前を通過しながら光撃を払い、一回転して下段に構えられていた。
「ま……『廻し受け』!?」
「わたしの……光撃を払ったぁ!?」
コゼットとルシオンが、驚愕の声を上げた。
リュトムスの拳から繰り出された受け技が、光撃を払って空中に四散させたのだ!
「フフッなかなか楽しませてくれますね王女様。ですが、もうそろそろ……食べ頃でしょうか……!」
空中で固まるルシオンを見上げて、リュトムスはニタリと笑った。
続きは2/17(土)に更新の予定です。