おぞましきもの
「うううう……!」
キリトは自分の指輪を、銀色の髪の少女に向けたままうめいた。
とつぜん目の前に現れたそいつ。
見間違いようが無い。
昨日の魔法実技の最中、いきなり霧の中から現れてキリトを叩きのめした。
あの少女だった。
そして今、少女の標的はキリトではないみたいだった。
ショッピングセンターに湧いて出た、無数の怪物だ。
少女の放った緑の光が、一瞬で空の怪物を切り裂いていた。
少女が真っ赤な瞳でキリトを見た。
「ぐっ!」
キリトは少女から後ずさる。
昨日味わった強烈な屈辱が、まざまざと記憶に甦ってくる。
「なんだお前、戦いもせず逃げるのか? お前の名誉は何処にある?」
少女がキリトにそう訊いてきた。
今のキリトには、もうなんの興味もないみたいな、投げやりな調子で。
キリトは頭がカッとなる。
「うっ! うるさい……」
「キリト、やめな!」
少女の言葉に声を荒げて、キリトが拳を振り上げようとした、その時だった。
その肩をつかんで、キリトを止める者がいた。
キリトの背後に立っていた、式白ナユタだった。
「ナユ……」
「行こうキリト……さあ早く……!」
キリトはナユタを振り返って声を詰まらせた。
ナユタの大きな目が、まっすぐキリトを見つめていた。
キリトはナユタの顔を見る。
ナユタの後ろにいる、家族連れや、親とはぐれた子供たちの顔を見回す。
キリトは頭を振った。
こんなことをしている場合じゃない。
キリトは、自分のするべきことを思い出した。
「そうだ。今は逃げる。でもってメイヨならココにある!」
ドンッ!
自分の心臓のあたりを拳で叩いて。
精一杯大きな声で、キリトは少女にそう言った。
「そうか。ならば、しっかり逃げろ!」
少女はキリトを見て、再びニカッと笑った。
ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!
彼女の周囲を舞う光の群れから、緑色の輝きがほとばしる。
光が怪物たちを貫いて、次々と地上に叩き墜としていった。
「行くぞナユ……」
「うん! 行こう!」
キリトはナユタの手を引いて歩き出す。
みんなを先導して、安全な場所まで無事に逃げること。
それが、いまのキリトの役目だった。
#
「ルシフェリック・アロー!」
ルシオンの放った光の矢が、空中のガーゴイルたちを貫く。
「ルシフェリック・セイバー!」
ルシオンの振った光の剣が、地上のゴーレムたちを真っ二つにしていく。
クロスガーデン御珠に降り立った魔王の娘が、すごい勢いで怪物たちを殲滅していく!
「弱っちい連中だな。ぜんぜん大したことない。いったい何のためにココに……?」
「わかりません。ですが油断は禁物ですルシオン様。アレをみてください!」
ゴーレムとガーゴイルたちの残骸を見下ろしながら、ルシオンは首をかしげる。
コゼットがルシオンの耳元で、何かを囁いた。
「うん……?」
コゼットの声にあたりを見回したルシオンは、いぶかしげな声を上げた。
ルシオンの他に、怪物たちと戦う者がいた。
ギュンッ!
ギュンッ!
ギュンッ!
空気を裂く鋭い音が聞こえた。
黒鋼色のコンバットスーツを着込んだ何人もの兵士たちが、銀色のアサルトライフルで怪物たちに応戦していた。
「あいつらは……あの時の……!?」
ルシオンの紅玉みたいに真っ赤な瞳が、驚きに見開かれていく。
#
「『標的』の出現を確認しました。現在ポイント16で異界者と交戦中。攻撃しますか?」
「『標的』が異界者と……!?」
兵士たちの陣頭に立って戦闘を指揮するリーダーの耳もとに、通信が入る。
部下の報告を受けた彼は標的の出現した方角に目を向ける。
およそ100メートル向こう。
緑色に輝く光の奔流を自由に操る黒衣の少女が見えた。
少女が銀色の髪をひらめかせ、光の剣で次々と巨人の怪物をなぎ払っていくのが見えた。
「いや、攻撃は待て。今は異界者の殲滅を優先する。市民の避難を急がせろ!」
「……了解!」
彼は厳しい声で部下たちに命令する。
銃口を怪物に向けて、光の弾丸でその体を貫く。
銀色の銃剣を怪物に突き立て、真一文字にその体を切り裂く。
「クロームリーダー。ポイント18にて2体の異界者を確認。タイプ不詳。市民多数を人質にしてフードコートに潜伏しています!」
「わかった、そちらに向かう!」
彼は崩れた敵の体から銃剣を引き抜きながら、油断なくあたりをうかがう。
方向を転換し、ポイント18に向かって駆けだす。
標的を殺すのは、あとで十分だ。
一刻も、一刻も早くこの馬鹿げたショーを終わらせなければ。
市民の犠牲を最小限にとどめなければ。
そのためにも今はこいつらを……!
タオセ! タオセ! タオセ! タオセ!
コロセ! コロセ! コロセ! コロセ!
#
「おいおい。王女も連中も、まるでぶつかる気配がないぞ。ゴーレムどもだけ、凄い勢いで減っていく……」
ビルの屋上の一角から地上をのぞいたグリザルドが、拍子抜けした声でそう呟く。
兵士たちとルシオンが、ともに同じ戦場に降り立った。
なのに、その両者が戦う気配がまるでない。
両者とも、グリザルドの召喚したゴーレムとガーゴイルを次々に始末していくだけだった。
グリザルドは黒衣のメイローゼの方を向く。
この女の読みが、外れたのだろうか。
「そんな。あの男には話をつけている。何をやっているんだあいつらは……!」
メイローゼも地上を見下ろし、すこし苛立たしげ首を振った。
その時だった。
ゾワワッ!
風に靡いていたブルーアッシュ。
メイローゼのその豊かな髪が、いきなり逆巻いた。
「馬鹿な……アイツら……なぜアソコにいる……!」
「どうした、メイローゼ?」
メイローゼの異変に気づいて、グリザルドが不安そうな声を上げた。
「あたしの命令を無視して。あたしたちの『保険』に……いったいアイツら、何をしている!?」
薔薇色をしたメイローゼの形の良い唇が、引きつっていた。
エメラルドみたいな緑の瞳が、怒りでギラギラ輝いていた。
#
「ふー。どうやらこのへんは、だいたい片付いたか……!」
銀色の髪の少女のまわりに、無数の粘土巨人やコウモリ怪人の残骸が散らばっている。
周囲の怪物たちを始末したルシオンが大きく息をはいた、その時だった。
「ルシオン様。アッチの方にも魔素の反応が。この感じ……どうもたくさんの人間と一緒にいるみたいです!」
「わかった。コゼット!」
コゼットが小さな翅をハサハサ瞬かせながら、ルシオンを先導していく。
たくさんの人間と一緒……?
まさか、人質?
コゼットの言葉に、ルシオンの中のソーマはモヤモヤする。
ルシオンの向かう先は、たくさんの飲食店の集まるフードコートだった。
出入り口を押さえて見張りを立てれば、人質と一緒に立てこもることも可能かもしれない。
アイツらに、そんな知恵があるようには見えないけれど……。
「うん……!?」
そしてルシオンはあたりを見回し、変な声を上げた。
周囲の様子が、なんだかおかしかった。
桃色の靄みたいなものが、あたりを漂っている。
フードコートに近づくにつれて靄はどんどん濃くなっていき、ルシオンの視界を遮った。
ルシオンは慎重にあたりを探る。
ゴーレムもガーゴイルも、近くにはいないようだ。
ルシオンはフードコートに足を踏み入れた。
そして……。
#
「これは……!?」
桃色の靄の合間から見える異様な光景。
自分の足元に広がる凄惨な景色に、ルシオンは息を飲みこんだ。
足元に倒れているモノ。
地面に転がっているモノ。
それは、無数の人間の体だった。
そんな!
ソーマはルシオンの中で悲鳴を上げる。
死んでいるのか?
気を失っているだけなら、病院に運んで、早く手当を!
ルシオン!
その人に声をかけろ!
その人の手を取るんだ!
「わ……わかった……おい、おい!」
ソーマの呼びかけに、ルシオンは足元に転がった男の一人に声をかける。
ひざまずいて、男の手を取る。
……死んでいた。
まだ若いその男の体は冷たかった。
心臓の鼓動も聞こえない。
そして男の死に顏は、なにかとても恐ろしいモノを見たかのように苦痛と恐怖で歪んでいた。
ルシオンは耳をすました。
彼女の鋭敏な耳でも、その場に倒れた者たちからは、わずかな鼓動も聞き取れなかった。
全員が、死んでいる。
男も、女も、子供も、若者も、老人も。
何人も、いや何十人も、いや百人は超えているだろう。
みな一様に、苦痛と恐怖でその顔を歪ませて、無残に地面に転がっている。
ひどい……いったい誰がこんなことを……!
ルシオンの中で、ソーマが怒りに震えている、その時だった。
「何者だ!」
ルシオンが、靄の向こうを指さして厳しい声を上げた。
靄の向こうに立った小さな人影に。
このフードコートで、生きて動いている唯ひとつの人影に。
「インゼクトリアの王女ルシオン……。我らが神敵の眷属と、こんなところでまみえようとは……」
「何者だと訊いている! コレをやったのは……お前か!」
靄の向こうの小さな影が、鈴を振るような声を上げた。
まだあどけなさすら感じられる、澄んだ少女の声だった。
「ええ。その通りです。ギャアギャア泣き喚いてウルサイので、みんなまとめて供物にしてしまいました。我らが神は苦痛と呪詛とを尊ばれます故……!」
ザワザワザワ……。
そして何かのざわめくような音とともに、声の主が靄の中から姿を現した。