動きだす影
「う……ぐぐぐ……」
「もうやめて! マサムネくん!」
マサムネに打たれたソーマが、地面によつん這いになって苦痛の声を上げていた。
全身に激痛が走る。
体が動かない。
息が……思うように出来ない。
ユナがソーマに駆け寄って、彼の肩を抱いていた。
そして2人の前に立ったマサムネを見上げて、その顏をキッとにらみつけた。
「嵐堂さん……」
マサムネが静かな声で、ユナの名を呼ぶ。
眼鏡の奥からユナを見る目からは、どんな感情も感じ取れなかった。
いつもの穏やかな笑みが、今はマサムネの顏から消えていた。
マサムネが再び魔法練刀を振り上げた。
「どいてよ嵐堂さん。僕が戦っているのは御崎くんだ。勝負が着くまで……結果が出るまでやるんだ……」
「戦いってなによ! 意味わかんない。いきなりソーマくんに、こんなことさせて、こんな酷い事して……!」
「嵐堂さんだって気づいているだろう? 御崎くんは昨日から変だ。きっとなにかの病気だ。ソイツの……病気の正体をココでハッキリさせるんだ」
「……言ってることがオカシイよマサムネくん! とのかく、その刀を下ろして! でないと先生たちを呼ぶ!」
マサムネの言葉に、ユナは引かなかった。
ソーマの体を庇いながらマサムネの刀をにらみつけ、その場を一歩も動かない!
ユナの言葉に、マサムネの唇がピクッと歪んだ、その時だった。
「ああ痛つつつつ……。もう勝負は着いただろ、マサムネ……」
「ソーマくん!」
ソーマがゼイゼイ息をしながら、その場から立ちあがった。
ソーマにすがって、ユナは涙目。
「御崎……くん……!」
「ハハ、参ったな。この剣、調整がおかしいんじゃね? めちゃくちゃ痛かったぞ……」
怪訝そうな顏でソーマをにらむマサムネ。
ソーマはマサムネの剣を指さしながら、苦しげな顏でニカッと笑った。
「な? もういいだろマサムネ。結果は出ただろ、お前の勝ちだ……」
「くっ! 御崎ソーマ、僕をバカにしているのか!」
肩で息をしながらマサムネに笑いかけるソーマの声に、マサムネの表情が一変した。
グッ!
マサムネが立ちあがったばかりのソーマの襟首に掴みかかった。
ソーマをにらむマサムネの顏に、ソーマがそれまで見たこともないような表情が浮かんでいた。
それは怒りと屈辱の色だった。
「お、おいもうやめろよ!」
「ほんと、どうしちゃったんだよ。ソーマくんもマサムネくんも!」
コウとナナオもソーマの方に駆け寄って来た。
ソーマとマサムネの間に入って、コウはどうにかその場を収めようとする。
「…………!」
眼鏡の奥のマサムネの目が、ギラギラしながらソーマを覗き込んでいる。
マサムネの勢いに圧倒されながらも、ソーマは何かが引っかかっていた。
マサムネは、なぜそんなに苛立っているのだろう。
なぜそんなに、焦っているのだろう……?
「わかった。すまなかった御崎くん……」
そして数秒の沈黙の後。
マサムネはソーマの襟から手を放した。
「僕の……思い過ごしだったみたいだ。色々悪かった。あとで……償いはするから」
「……マサムネ?」
そう言って、マサムネがソーマたちに背を向けて歩き出した。
みんなが呆然とする中、ソーマはマサムネに声をかける。
だがマサムネは答えない。
無言のままソーマたちから離れていくマサムネ。
その背中が、なんだかソーマにはとても辛そうに見えた。
「申し訳ありませんソーマ様。あの方の力は予想以上でした。ですが……」
「コゼット?」
ソーマの肩にとまったチョウのコゼットが、すまなそうにソーマに囁く。
「これでもうハッキリしました。あの方の魔素。身に付けた能力。絶対に盗まれた剣と関わりがあります! わたくしは今から、あの方の行方を追跡します。ルシオン様、ソーマ様。しばしの失礼を……」
「待て、待てコゼット! 今はダメだ行くな!」
「……はい? どうして?」
コゼットはマサムネの背中を追いかけて、その場から離れようとしている。
だがソーマは、必死にコゼットを止めた。
「こいつを……どうにかしてくれ!」
(あぁーいぃーつぅーめぇええええええ許さん!! このわたしにサンザン好きホーダイやりおってえええ殺してやる! コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……!!!)
ルシオンが、ソーマの中で怒りのうめきを上げていた。
ソーマはルシオンを押さえるので精一杯だった。
少しでも気を抜いたら、ルシオンはソーマの体を乗っ取ってマサムネに襲いかかっていくに違いない。
「わールシオン様、落ち着いて! 今日のは様子見です。ミッション成功なのです。だからそんなに怒らないで。そうだ、帰りにナナオさんのお店でラーメン食べていきましょう? ほら、ラーメンですよー」
「そうだルシオン。ラーメンだぞ!」
慌てたコゼットが、ソーマのまわりを飛び回りながら必死でルシオンをなだめる。
ソーマも、コゼットの声に合わせた。
「……ラーメン? どうしちゃったのソーマくん?」
思わず大声を上げてしまったソーマに、姫川ナナオが不思議そうに首をかしげた。
#
プルルルル……
氷室マサムネの胸ポケットで、彼のスマホが震えた。
「はい、マサムネです……」
「わたしだ。本日1500、ポイント04で状況を開始する。お前も『部隊』に合流しろマサムネ……」
マサムネが電話に出ると、くぐもった男の声が彼にそう指示を出した。
「本当に……始めるのですか……?」
「開始する。予定に変更はない」
「せめて……あと1日待てませんか。あと1日あれば僕だけでも……!」
「聞こえなかったのかマサムネ。状況を開始する。部隊に合流しろ!」
マサムネは、電話の声の主を、どうにか説得しようとする。
だが、電話の向こうの声は冷淡だった。
マサムネに用件だけ伝えるとそれっきり。
通話はプツッと途絶えた。
「…………!」
スマホを握ったマサムネの手が、微かに震えていた。
#
ズルズルズル……ズズッ……ズルズルズズズズズー……!
勢いよくラーメンを啜りあげる音が、店内に響く。
ソーマがラーメン屋『圧勝軒』のカウンターで、一心不乱にラーメンを食べていた。
まわりでは心配そうな顔のコウとナナオ。そしてユナ。
「ご……ごちそうさまでした……!」
(ハー最高だ。このコク。このキレ。このノドゴシ。なにもかもが特異点。味のシンギュラリティだぁ……!)
スープを飲みほして箸をおくソーマ。
ソーマの中では、大満足な感じのルシオンがウットリとした声を上げていた。
学校でもマサムネへの怒りは、1杯のラーメンのおかげでもう忘れてしまったらしい。
いや、だいたい3歩あるくと何でも忘れてしまう性分みたいだった。
「いや、毎度ありがとね。ソーちゃん」
「にしても、いきなりどうしたのソーマくん?」
「ああ。昨日の今日だってのに、ほんと好きだなソーマ……」
ソーマの見事な食べっぷりに、厨房に立った圧勝軒のマスターは満足そうな顔。
だがナナオとコウは、微妙な表情だった。
昨日この店で食べたばかりなのに。
マサムネとの試合が終わると、ソーマはいきなりこの店に行きたいと言い出したのだ。
マサムネからよくわからない言いがかりをつけられて、魔法決闘の試合でボコボコにやられた。
ヤケ食いしたい気持ちも分からなくはないのだが……?
「ところでマスター……?」
コウが話題を変えるように、店内に貼ってある張り紙をみてマスターに尋ねた。
「この店って、いつ来てもマスター1人っすよね。バイトはずっと募集してるのに?」
「うーん。なかなか夜の時間は、来てくれる人がいなくて。それにおじさんは従業員に厳しいから……」
コウが見ているのはバイト募集の広告だった。
ナナオが、マスターに代わって少し困り顔でそう答えた。
忙しい時期はナナオが手伝わないといけないくらい。
この店は大体いつも人手不足らしい。
「へへへ……それがね。来たんだよ今日の昼。バイトの募集に!」
「ほんとに?」
カウンターのマスターが、うれしそうにニカッと笑う。
ナナオとコウは目を丸くした。
「ああ。見た目はチャラチャラしてるけど、なかなか真面目そうな若者でさ。ウチの味に惚れたから、ぜひウチで修行したいってさ。早速、明日から来てもらうことにしたんだ……」
どうも今日の昼、トントン拍子で話が決まったらしい。
「これで夜の部は、ナナオに手伝ってもらわなくて済むかもしれないなあ。さあ、明日からミッチリ修行をつけるぞぉ……!」
「おじさん。あんまりヤル気出し過ぎると、また逃げられちゃうよ!」
やる気満々のマスターを、心配そうな声でナナオがさとした。
どうやらマスターのラーメン修業は、そうとう厳しいみたいだった。
#
「ごちそうさまでしたー」
「じゃあまたねコウくん。ソーマくん。ユナちゃん……」
ラーメンを食べえたソーマたちが、圧勝軒を出て家路についた。
店の戸口からはナナオが手を振って見送っている。
「まずい……2日連続か……」
ソーマが財布の中をのぞきながら、憂鬱な声。
ルシオンを落ち着かせるための緊急対処とはいえ、2日連続外食は財布にこたえる。
……反省。
「ソーマくん。ほんとにもう、大丈夫?」
「ああ、わるいユナ。もう平気さ……」
ユナが心配そうなにソーマの横顏を見ていた。
マサムネとの試合。
そしていきなりラーメンという奇行。
無理もないだろう。
ごめんユナ。
いろいろ心配かけて……。
ソーマが心の中で小さくそう呟いた、その時だった。
ゾワワッ!
突然、ソーマの全身の毛が逆立った。
いやソーマのではなく……ルシオンの。
(何だ! 何か感じるぞ!)
「はいルシオン様! 強い魔素を持った一群が、この街に……!」
異様な気配を感じ取って、ソーマの中のルシオンがそう声を上げた。
コゼットが震える声で、ルシオンに答えた。