ナナオのいる店
(ホワァアアアア……。いいなあ、お前の姉上は。綺麗で優しくて。柔らかくて温ったかくて……)
聖ヶ丘駅からの帰り道。
すっかり暗くなった住宅地を歩いていくソーマの中で、ルシオンがホワホワした感じでそう呟いていた。
「ああ、まあな。でも……その、なんだ。お前も姉さんと一緒にいて、何も思わないのか……?」
(思うって、何を? 綺麗で優しくて、柔らかくて温ったかかったぞ?)
頭の中のルシオンに、少し遠慮がちにソーマは尋ねる。
ルシオンの方は、ソーマの言葉の意味がわからずにキョトンとしていた。
ホッ……
ソーマはそっと胸をなで下ろした。
この異世界の魔王の娘は、感覚の方も普通の人間と違うみたいだ。
ソーマとリンネの関係を、気にもかけていないようだった。
「いや、なんでもないルシオン……」
ソーマは自分の言葉を打ち消すように、何度も首を横にふった。
いつもみたいに、ひどく体が怠かった。
姉のリンネと甘いひと時を過ごした後は。
なにかとても悪いことをした気分になって、帰り道ではドッと疲れてしまう。
「姉さん……」
ソーマは夜空を見上げる。
透き通ったガラス細工みたいなリンネの顏が浮かんでくる。
ソーマを抱きしめてか細い声を漏らすリンネの顏が……。
魔法過敏症の症状が重くなってから、心のほうもずっと不安定みたいだった。
姉さん、早く良くなって欲しい。
また一緒に暮らせるように……!
ギュッと拳を握りしめながら。
ソーマは夜空に瞬く星にむかって、心の中でそう叫んでいた。
(柔らかくて温ったかくて……あとそうだ。そういえば、お前の姉上からは何も感じなかったな?)
「感じるって、何を?」
ソーマの言葉をずっと考えていたらしいルシオンが、何かを思い出したみたいに声を上げた。
ルシオンの言葉に、ソーマの胸の鼓動が速まる。
(魔素の輝きをだ。こっちの世界の人間も、みんな少しくらいは体から魔素の波動が感じられるんだが……お前の姉上からはまったくソレを感じなかったな……)
「魔素の……輝き!?」
ルシオンの言葉にソーマの目が見開かれる。
(そうだ。逆にお前から溢れる魔素を、渦のように……吸い取っているみたいだった。お前といい、お前の姉上といい……他の人間とはぜんぜん違うなぁ)
「俺から……魔素を……他の人間と違う……!?」
ソーマは自分の口がカラカラに乾いていくのがわかった。
ソーマは魔法拒絶者。
魔法がまったく使えなかった。
そしてルシオンは、ソーマの体を溢れる魔素の塊だと言った。
リンネは魔法過敏症。
魔法の発動に、心も体も耐えられない。
そしてルシオンは、リンネの体を魔素を吸い取る渦だと言った。
リンネとソーマ。
他の人間とも、そしてお互いとも全く違う2人の姉弟。
いったいこれは、何を意味しているのだろう。
ソーマは再び夜空を見上げる。
答えは出てこない。
納得いかない理不尽な思いだけが、胸の中で膨れ上がってゆく。
どうして俺たちだけ。
どうして俺と姉さんだけ……!
…………!!!!
ソーマは空に向かって拳を振り上げた。
グチャグチャした思いが、声になって口から漏れかけた、その時だった。
グキュウゥウウ……。
ソーマの腹が、思い切り鳴った。
(ソーマ。お腹が空いたぞ。『夕食』! はやく『夕食』!)
ソーマの中で、ルシオンがうるさい。
「ふう……」
拍子抜けしたソーマは拳を下ろす。
家に帰ろう。
夕食にしよう。
カップラーメンは……今日はやめよう。
リンネに言われたように、何か作って食べよう。
ソーマが冷蔵庫の中身を思い出しながら夜道を歩き始めた、その時だった。
「よおソーマ! 何やってるんだよ、こんなトコで」
「コウ……?」
背中からソーマを呼ぶ声。
ソーマが振り返れば、立っているのは親友の戒城コウだった。
「いやちょっと……病院の帰りでさ。コウも何してんだよ?」
「俺。俺はこれから晩メシ。今日は親が両方出ててさ……外で食って来いって」
首をかしげるソーマに、コウが答える。
「ソーマも、メシがまだなら一緒に行こうぜ? 今日はナナオん家に呼ばれたんだ……」
「ナナオん家……そうか。まだ開いてるのか!」
コウの誘いに、ソーマの気持ちが少し明るくなった。
すごくお腹が空いていて、親友とメシを食べる相談をする時は、気分も前向きになってくる。
ソーマは、生活費の振り込まれる口座の預金残高を思い出す。
今月は、まだぜんぜん余裕だ。
外食して問題なし。
ナナオん家で問題なし!
「わかった。行こうぜコウ!」
「おっし。行くかソーマ!」
2人は目的の店にむかって歩き始めた。
#
「ついたぜ圧勝軒。今日はまだやってるんだな」
「ああソーマ。ナナオにしっかり確認済みだぜ」
商店街の端っこに佇む小さなラーメン屋の前に、ソーマとコウは立っていた。
地元聖ヶ丘の人気ラーメン店。
名前は『圧勝軒』。
クラスメートの姫川ナナオ。
その叔父さんが切り盛りしている店だった。
ナナオは両親の事情とかで、実家を離れてその叔父と一緒に暮らしていた。
昼間はいつも行列が絶えない店で、いつもこの時間には売り切れで店じまいのことが多いのだが。
今日はまだやっているらしい。
コータがナナオに話をして、どうにかしてもらったのかも知れない。
「ちわーっす……」
2人は店の入り口の引き戸をあけて中に入った。
#
「わー。いらっしゃいコウくん! ……あれ、ソーマくんも一緒?」
「ナナオ……! どうしたお前、そのかっこう……!」
店内では姫川ナナオがコウを待っていた。
ソーマの顔を見て不思議そうな声を上げるナナオ。
……そのナナオの姿を指さしながら。
ソーマはアゼンとして息を飲みこんだ。
清潔な白いシャツ。
襟には黒い蝶タイ。
膝が出るか、出ないかくらいの黒スカート。
今のナナオは、かわいいウェイトレス姿をしていたのだ。
「あれ、知らなかったのかソーマ? ナナオはいつもこうだぞ?」
「うん。お店を手伝ってる時はいつもこの服装なんだ、僕……」
当たり前のようにコウがそう言う。
ナナオも少しはにかんだ顏でソーマにうなずいた。
「お店だけじゃないよ。普段着も街に出るときも。学校のブレザーとかさ……本当は男物とか苦手なんだ、僕……」
「そ、そ、そうだったのか……!」
クラスメートの意外な一面に、ソーマは胸がドキドキしてきた。
柔らかくてフワフワした髪。
優しげで綺麗な顔だち。
学校のブレザー姿の時だって女の子に間違われそうなのに。
今のナナオは、かわいらしい女の子そのものだった。
「よお、いらっしゃい。コウちゃん。ソーちゃん」
カウンターの向こうから、ナナオの叔父さんが2人にそう声をかけて来た。
人気店、圧勝軒のマスターだ。
「さ。座った座った。今日は何にする?」
「サービスでトッピング1つ無料にしてもらったから、2人とも好きなの食べてってね?」
マスターの案内でソーマとコウはテーブル席に腰かける。
ナナオが2人にお冷を運んで来た。
時刻は8時近く。
さすがに店じまいだと思われてるのか、店内は空いていた。
先客は金髪の若いニイちゃん1人だった。
カウンターで、熱心にラーメンをすすっている。
「やったー、ありがとなナナオ! さてさて何を食うかな……」
「やっぱ醤油かな……いやここはシブめに塩か……!」
コウがメニューを開いて中身を眺める。
ソーマもラーメンを選び始めた。
(なんだそれ?、今日はここで『夕食』か? 変な料理だなー。本当に美味いのか……?)
ルシオンが、興味シンシンな感じでソーマをせっつき始めた。