第7噺「ええ、どうせ直ぐ会えるんだから」 「・・・そうだな」
書き方がまだ定まらない…
月読命が最も高い場所に鎮座して、多くの生命体が寝静まったであろう時刻。
大自然溢れる片田舎を夜の帳と静寂だけが包み込んでいたのに、空気の読めない爆音が突如として割り込んでくる。二度、三度と不規則なリズムを刻みながら人の絶叫を少々含んだそれは、休眠していた者達を現の世界に呼び戻すには十分過ぎる程のボリュームで小さな村全体に響き渡る。
耳障りな衝撃音と共に「何が起こったの!?」「やはり来たか」等の不安と絶望に取り付かれた言葉達が、そこらかしこで飛び交い大規模な喧騒が村を覆う。
事前にある程度の情報を掴んでいたとはいえ、あまりに早すぎる帝国の襲撃に声を張り上げたのは私も例外では無かった。
「シュン!」
「分かってる。急ぐぞ」
普段なら絶対に自発的にしか起きない彼も、今回ばかりは直ぐに覚醒してベッドから飛び降りて可及的速やかに身支度をする。眠りが浅かった事もあり先に準備を終えた私は、寝室から出ると一目散に我が子の部屋へと走り出す。
「マナ!」
勢いよく扉を開け放ち、突然の事態に恐怖で身体を動かせず怯えているであろう我が子の名前を呼び、ベッドの方に視線を向けようとして止める。
部屋の中心でこちらに背を向け、窓から見える魔法により作り出された炎をぼんやりと眺めるマナがいたから。
自分で言うのも何だが、マナは間違いなく美少女と言って良いくらいの容姿をしている。彼女が時折見せる微笑は同性である私ですら惚れ惚れする程に美しいもので、それは何度見ても慣れる事が無く、つい息を詰まらせその顔を何時までも眺めてしまう。
そんなマナの長い髪で横顔が隠れ、はっきりとはその表情を確認出来ないが、外から射し込む火の光に照らされて全身が淡いオレンジ色に染まる姿は、何処か神秘性すら感じられるものであって、私は非常事態である事を忘れて思わず魅せられてしまい思考と共に動きが完全に止まる。
「・・・お母さん」
どれ程の時間、そうしていたのだろうか。呼ばれ我に返るといつの間にかマナはこっちを向いており、ようやく確認出来たその顔には、僅かであるが恐怖で染まった表情を浮かべている。
こんな時に何をしているんだ私は。
怯えた顔もまた可愛いと勝手に再認識する脳を、頭を左右に数回揺さぶる事で正常に機能させて、この世で最もいとおしい愛娘の元へと駆け寄る。
「大丈夫よ。何があってもマナは絶対に私が守るから」
膝を付きそっと抱き寄せると、その小さな手で私の服の背を強く握り締めるマナにそう優しく言う。顔を胸に埋めたまま、より強く腰に回した両腕に力を込めながら僅かに頷くマナを安心させる為に、私は後頭部をポンポンっと叩き今度は笑顔で「大丈夫」と言い聞かせる。
ずっとこうしていたいという気持ちだったが流石にそういう訳にもいかず、遅れていたリシュンが部屋に来たタイミングでお互い自然に身体を離す。ゆっくりと立ち上がった私は名残惜しそうに空中に漂うマナの右手を、しっかりと左手で握り締めてから三人揃って家の外へ出る。
必死になって四日前の会議で決められた逃走経路である西側の山道へ走っている村人達に混ざり、マナの速度に合わせながら私達も向かう。
本来であればマナだけをそこへ向かわせ、私とリシュンは帝国の進軍を止めに最前線に行く筈だったのだが、昨日の昼間に唐突に自宅へと訪問して来た村長に、
「君達は戦わずに子供達と一緒に逃げてほしい」
何かを決意した真剣な表情でそう告げられた。村の魔具・魔法使い達の間で、子を持つ親は戦えない普通の人達と一緒に最優先で逃がすと決められた、という言葉と共に。
彼らは先日グレンが言っていた様に覚悟を決めたのだ。未来ある子供達を悲しませない為に、自分達と同じような道を歩ませない為に、自らの命を掛けてその全てを守り抜くと。
言外に死んでも構わないと言う村長に驚き唖然としたが、直ぐに我に返った私とリシュンはその結論に反対した。
「戦う力を持っているのに、何もせず逃げる事なんて出来ない」
そう反論したが村長は全く聞き入れてくれなかった。むしろ、
「お前達が死んだらマナちゃんはどうなる?子供を一人にする気か?」
といった事を何時間も言われ続け、双方の意見は交わる事の無い平行線を辿りに辿った。最終的には取り敢えずマナを西側の山道まで送り届け、その入り口付近で私達は最終防衛ラインとして前線から漏れた帝国の騎士を迎え撃つ、という事で話が纏まった。
全くもって納得のいかない解ではあったが、それでもこれが私にとって、ひいてはマナにとって最善の選択であるというのは理解出来ていたので頷かざるえなかった。
今まさに逃げる者達の為に己が全てをもって、全力を尽くしている村人達に感謝と少なくない罪悪感を抱きつつ、色とりどりの術式陣が浮かび上がる景色に背を向けてひたすらに走る。
「グレン!」
自分の無力さを痛感して、直ぐにでも前線に駆け付けたい気持ちをグッと我慢しているうちに山道まで到着していたようで、入り口付近にいたグレンの存在を確認したリシュンが彼の名を呼ぶ。
普段であればマナの姿を見ると、瞬時に表情を変態チックなものに変化させるのに、今回ばかりはそうならず険しい顔をしてグレンは振り返る。
「遅かったな」
「ちょっと避難誘導とかしながら逃げて来たからな」
ここに来るまでに、焦って足を絡ませ転倒した者を介抱した事や、現状をいまだに理解出来ず混乱している者を落ち着かせ避難させた事などを手短に伝える。
「こんな事態の中でも、お前さん達はお人好しキャラを全開にするんだな」
そう呆れながらも、他人の心配をする前にマナを安全な場所に連れて行かなかった事を言外に非難され、バツが悪くなり視線を逸らす。
私とリシュンが共にいるので多少は安全であると判断したのと、マナがそうする様に頼んできたんだと、グレンにギリギリ聞こえるぐらいの小さな声で呟くが、それは言い訳にすぎ無いと更に強く睨まれる。
流石ロリコン、その辺は手厳しい。
「・・・で、私達で最後なの?」
屋根の無い十人乗りの馬車を六つ用意していると聞いていたが、目の前にあるのは既に数人が乗り込んでいる物が一つだけ。その中にはこちらをと言うより、うつ向き長い髪で表情を隠しているマナを心配そうに見つめるセリトとリスィもいる。
そんな二人を横目で確認して小さな嘆息を洩らすグレンの様子から、おそらく周りの忠告を無視してマナを待っていてくれたのだろうなと容易に推測出来た。
最初の衝撃音が轟いてからそれなりの時間が経過しているし、馬車が既に残り一つになっているので自分達が最後だと思って聞いたのだが、
「いや、オドソリとその父親、ミリファとその両親の計五人がまだ来ていない」
「なんだと?」
沈痛な面持ちでグレンの口から紡がれたその言葉に、リシュンが思わず聞き返しているのを見ながらふとある事を思い出す。
オドソリとミリファの家は村の最も東側、つまり現在戦場と化してしまっている場所にあるのだと。
もしかしたら、もう・・・。そう思うと声を発する前に自然と身体が動き始めるが、
「何処に行く気だ」
私が何をするつもりなのか瞬時に悟ったグレンにより行動停止を余儀なくされる。肩に置かれた手を振り払おうとするも、予想外に強い力で握り締められ堪らず私は顔を歪める。
「っ!・・・何のつもりよ」
「そりゃ、こっちの台詞だ」
手荒い仕打ちを受けた事に怒りの意を示すが、グレンはそんな事など気にする素振りを見せず厳しい眼差しを向けてくる。
危険な真似をするな、もしもの事があったらどうする、親が死んだという悲しみを幼過ぎる少女に背負わせるなーー。言葉で表さずにその真剣な瞳でグレンはそう言う。
グレンのその思いは十分理解出来る。しかし、だからといって納得し了承出来るかどうかは別だ。
私は今までの人生の中で、誰かを見捨てるという選択をただの一度もした事が無い。助けを求めている者、命が失われそうになっている者、その全てに対して善悪問わずに手を差し伸べ救い出してきた。
当然、助けられなかった人もいるし、助けた後に手酷く裏切られた事だってある。それでも私は、その行為を止める事など出来なかった。後悔したくなかったから。
私にとって最も大切なのは家族、つまりリシュンとマナだ。だが、その次に大切なのは自分ではなく誰かの命なのだ。クロウスに昔、「自己犠牲精神が強過ぎる」と言われた事がある程に、私は私の命を存外に扱っていると自覚している。
だが、自身のこのチンケな命一つで、誰かを救い出す事が出来るのであれば儲けもの。そういう思いを掲げているからこそ、ここで退く訳にはいかない。
これだけの時間が経っているにも関わらず、この場に姿を見せていないという事は生存率は絶望的であると言えるだろう。でも、もし、もしまだ生きているのであればきっと助けを求めているに違いない。そう思える、そう思うからこそ私は・・・。
「私は行くわ、グレン。助ける事が出来る命を、助けないなんて選択を私には出来ないから。だから、この手を離しなさい」
「それを聞いちゃあ、尚更離せねぇな。お前さんは前線には出ない、そう決まってんだろーが」
「それは村長達が勝手に決めた事よ。私は私のやりたい様にする。それにここまで連れてきた以上、もうマナの安全はある程度保障されているわ。でもミリファちゃんやオドソリ君は違う。今まさに命の危機が迫っている状況なのよ」
「我が子より、他人の子の方が大切だと」
「そうじゃない。グレンの懸念している様に、万が一私が死んだらマナは相当悲しむと思う。でもそれは命があるからこそ出来る事なのよ。それにマナは私の子よ?その程度の悲しみなんて、難なく乗り越えれるわ」
「・・・随分、勝手な事言うじゃねぇか」
「そうね、自覚はしてる。でも、私にも譲れないものがあるわ」
こんな事している場合でないと理解していながらも、お互いに退く事など到底出来ない言葉の応酬を繰り広げ、不穏な空気を漂わせ始める。
その様子をリシュンは静かに目を瞑り、マナは横に立つリシュンの服の裾をチョコンと摘まみながら、セリトとリスィは馬車の荷台で困惑の表情を浮かべ眺めている。
数秒間の沈黙の中で、双方共に主張を変える気が無いと判断した私は、強引にでもグレンを振り払おうとした所で、
「止めろ、レイ」
二人のやり取りに一切口を挟まなかったリシュンが若干強い声色で静止を呼び掛ける。
そのリシュンの対応に私は驚きを隠せなかった。彼なら私の事を理解した上で賛同してくれると、これからやろうとしている事を否定せず肯定してくれると思っていたから。
ゆえに、ショックだった。反論は許さないという意がありありと込められたその言葉に、少なからずの失望が生じた顔で、まるで糾弾するかの様な視線でリシュンを見る。
「シュン、私は・・・」
「今は無駄な事をしている時間など無い」
私の話を途中で遮り、リシュンは尚も強い口調でハッキリと言葉を紡ぐ。お前のその行為は無駄だ、と。
それには私を止める側であるグレンも「言い過ぎだろう」と目を細めて睨み、セリトとリスィは友達を簡単に切り捨てられた事に驚愕し目を大きく見開く。
「言い方が悪かったな」
周囲の反応を受けて、リシュンはそう言って閉じていた瞼をゆっくりと押し上げる。そして、その中の瞳を、術式陣が描かれた眼球を見て、私とグレンは先程のリシュンの発言の真意を理解した。
「もう、手遅れなんだ」
<五里十方透眼>、文字通り東西南北に上下といったあらゆる方面を、五里 (約二五00m)の範囲内であれば遮蔽物があるなしに関係無く見通す事が出来る魔法。その性質上、脳に掛かる負担は大きく長時間の使用は厳禁であり、扱いがかなり難しい魔法で習得出来た者は殆どいない。
そんな魔法を使った上での、あの発言。私はその意味を理解出来ない程の馬鹿では無いが、それでも聞き返さずにはいられなかった。
「・・・どういう事?」
「レイが助けに行こうとしている奴らは既に・・・、死んでる」
「「「っ!?」」」
坦々となるべく感情を出すのを我慢しているリシュンにそう告げられ、皆が一斉に息を呑む。分かっていたのに、こうなるかも知れないと覚悟していたのに受けた衝撃は予想以上に大きかった。
多くの戦を経験していても、やはり誰かが死ぬというのは慣れるものでは無い。それが親しい者であれば尚更。
「そうか、全員逝っちまったんだな」
「いや、そうでもない」
「あっ?」
重々しい空気を払拭するべく、敢えて軽い口調で呟いたグレンの耳に否定の声が届く。
苦虫を磨り潰した様な顔で下を向いて、守れなかった事を悔やんでいた私はそれを聞き、もしかしたらと淡い希望を抱きつつリシュンを注視する。
「一人、生きてる。・・・もう来るぞ」
重要な情報をサラッと伝え、僅かに瞳を上方修正させたリシュンの視線の先を見る。
宝石の如く光輝く星々が散りばめられた夜空、遥か遠くから地上を見下ろす月、そしてその中にある黒点。・・・黒点?その現象が現れるのは月ではなく、太陽でなかったか?
そんな疑問が脳内で充満しているうちに、その黒点は徐々に大きくなり完全に私の視界から月の姿を隠した所で、それが二m程の巨大な岩である事がようやく分かった。
「・・・はっ?」
誰かが渇いた声を発する。当然だろう、リシュンの発言から誰か来ると予想していたのに、やって来たのは綺麗な球体状の巨大岩。
しかもそれが、こっちに向かって物凄い速度で飛んで来ているのだから。
敵が既に直ぐ其処まで来ている、そう判断したグレンが飛来する岩を両断しようと背中にある本人の身長とほぼ同じ長さの大剣に手をかけた所で、
「大丈夫だ、あれは攻撃じゃない」
何時の間にか普段通りの赤眼に戻っていたリシュンが制する。その直後、突如として岩がボロボロと少しずつ崩れていき、岩の中から人が出てきたのを見て驚く私達の前にその人物はゆっくりと着地する。
「ふむ、どうにか間に合ったみたいだな」
「クロウス先生!?」
ホッとした顔で呟いたクロウスは、驚く私達を無視して一目散に馬車の荷台へと歩き出す。彼の両腕には実年齢より遥かに若く見える小柄な少女、ミリファが抱き抱えられていた。
リシュンの言っていた唯一の生存者とは彼女の事だったのかと安堵するが、大量の血液でまみれた衣服を身に纏い、グッタリとして意識を失っているミリファの様子を見て喜んでいる場合ではないと自身に言い聞かせる。
「ミリファ!」
「案ずるな、気を失っているだけだ」
そっとミリファを荷台に寝かせ「すまんが頼む」と、彼女を心配し駆け寄ってきたセリトとリスィに言って私達の方に振り返る。そして目を瞑り静かに頭を左右に動かす。他の者達は無理だった、と。
「おそらく流れ弾が家に当たってしまったのだろう。ミリファは崩落した自宅の下敷きになった両親の前で、半狂乱で泣きわめいていた。私の声が届かぬ程にな。落ち着かせ様とした時に、帝国の騎士に襲われて少し手間取ってしまい遅れてしまった」
極めて冷静に話ているが、握られた拳から血が出ている事から、クロウスは相当に悔やんでいるのだろう。直ぐそばにあった命を守れなかったのを。
私とリシュンも同様に悲痛な思いが全身を駆け巡り、僅かに視線を下げていたから気付かなかった。グレンがリシュンの横に立ち、今尚もうつ向いて微動だにしないマナに対して訝しげな目線を送っていた事には。
「・・・兎に角、ミリファで最後だ。戦えない者は早く避難させた方が良いだろう」
「そうですね・・・」
沈黙を打ち破りマナ達を逃がす事を促すクロウスの提案を、この場に残るグレン、リシュン、私の三人は頷き肯定する。それを聞いてなのか、ずっとリシュンの側にいたマナはそっと服から手を離して、トボトボと歩きながら荷台へと乗り込んで行った。
状況を冷静に判断しての行動なのだろうが、こういう時ぐらいは子供らしく駄々を捏ねてもいいのに。
言われる前に自身から動き始めたマナの背中を感心半分、寂しさ半分という複雑な気持ちで眺める。
「クァツィーネ、行ってくれ」
「了解。・・・ゲリムノで待ってるぞ」
しっかりとマナが着座したのを確認したグレンの呼び掛けに、馬車の御者であるクァツィーネは真剣な眼差しで「死ぬなよ」と言い残して勢い良く馬を走らせる。
避難場所として決められたのはここから最も近い町、ゲリムノだ。近いとは言っても山を越えた先にあるので、馬車であっても到着するまで一時間程かかる。
残された私達に与えられた役目は、避難者達が安全かつ安心して町に辿り着ける様に、この場で帝国の進軍を抑え込み逃げる時間をかせぐ事。
馬車の姿が消えていった方角を眺め、今すべき事を再確認した私は両手で頬を一度叩いて気合いを入れ、振り返り戦場を見つめる。
「良かったのか?マナちゃんに何も言わなくて」
「ええ、どうせ直ぐ会えるんだから」
「・・・そうだな」
先程、他人の為に軽々と命を捨てようとしていた者の発言とは思えないと、呆れ顔で嘆息しながら死ぬつもりは無いと遠回しに言う私にグレンは同意する。
コロコロと主張を変える私にリシュンは「やれやれ」と肩を竦め、クロウスは「何時までも変わらないな」と溜め息を付く。
その三人の反応に若干の不満を抱くが、後で文句を言えば良いかと思い直した私は、やるべき事をなし得る為に行動を開始した。
この時、私達は気付いていなかった。いや、気付いていたのに大した事では無いと、勝手に判断してしまっていた。
決して見逃すべきでは無かった幾つかの疑問を、皆を守る事に必死で思考する余裕など皆無だったから、つい後回しにしてしまったのだ。
何時もなら寝ている時間なのに、何故今日に限ってマナは起きていたのか?
入浴後は直ぐに寝間着に着替えるマナが、何故そうする事無く私服のままだったのか?
こんな状況下だからこそ明るく振る舞う筈のマナが、何故あんなにも大人しかったのか?
誰よりも心が優しく友達思いなマナが、何故ミリファが連れて来られた時に何の反応も見せなかったのか?
それらの事を無意識のうちに些細な事であると決めつけていたから、自分達が犯したミスに気付きもしなかった。
後悔した時にはもう遅い、その言葉の意味を身を持って知ったのは、それから僅か数時間後の事だった。