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 練習が終わったのは夜の七時過ぎであった。練習が終わると、コータローの様子が気になる僕と川田は、部員の中で一番先に部室へ戻った。部室の灯りを点けると、部員の荷物が置いてあるスチール製の棚と、部室の真ん中に置かれた木のテーブルと、そのテーブルの周りにコの字型に並べられたグレーのパイプ椅子と、そしてコータローが入っているはずのダンボール箱が浮かび上がった。


 ダンボール箱の中を覗いてみると、僕たちが練習に行った時と同じ格好をして、コータローが横になっていた。エサは、減っていなかった。


「食ってないですね」


川田がいかにも悔しそうに言った。


「食ってないな」


 思っていた以上に、コータローの状態が悪いことが察せられた。川田はコータローの腹をなでて、「ほら、コータロー、食え、食え」と何度も声をかけている。そのうち他の部員たちも戻ってきた。他の部員たちも声をかけている川田の様子を見て、コータローが気になるらしく、エサを食べないことを残念がった。


「で?どうするんだ」


 キャプテンが、練習着から学生服に着替えながら、僕に向かって聞いてきた。


「うーん、病院に連れていくしかねーんじゃねーか」


「まだやってるところあるの?」


「いや、それはわからんけど」


「ここからだと、警察署のそばに動物病院があるぞ。行ってみたら?」


「そうだな」


「行きましょう!関口さん」


 川田が勢いよく話に割り込んできて、僕はその動物病院に行く流れになってしまった。


   *


 すっかり暗くなった街中を、僕と川田は自転車に乗って走り(コータローは川田の自転車のカゴに入れていった)、その警察署そばの動物病院まで行った。


病院は、やっていなかった。窓ガラス越しに、真っ暗になっている院内が見えるだけだった。病院の外についている外灯が、忘れ去られたようにひとつ、ぼんやりと光っていた。


僕と川田は、車が一台も停まっていない、がらんとした駐車場に自転車を停めた。


「どうします」


 川田が不安そうに聞いてきた。しかし僕には案があった。この動物病院の建物は、表側は病院になっているが、裏手は民家になっている。病院に着いた時、僕にはすぐにそれが分かった。そして、病院の右手の奥が、民家の玄関になっているのである。


「家に医者が住んでるんじゃないか」


僕はそう言いながら玄関まで歩いていった。川田もコータローを抱えて後からついてきた。


 玄関は、玄関先の前庭から玄関戸まで、敷石が設置されており、敷石と敷石の間には細かい砂利が敷かれた、立派な普請である。その敷石と砂利を、外灯が照らしていた。


僕は砂利をざっざっと踏んで玄関口まで辿り着き、インターホンを鳴らした。当時十七歳で世慣れしていなかった僕には、夜に他人の家におじゃまするということはかなり勇気がいることで、僕はひどく緊張した。それは後ろにいた川田にも伝わっているようで、場には変な緊迫感が生じていた。


インターホンを鳴らすと、ちょっと間があり、やがてインターホンについているスピーカーから、


「はい?」


しゃがれた女性の声がした。


 僕は、繰り返すが何しろこの時十七歳でまるで世間ずれしていなかったから、「夜分遅くにすみません」の一言も何もなく、いきなり本題を説明した。


「あの、猫を拾ったんですけど、ひどく弱っているんです。助けてやってもらえないでしょうか」


「・・・」


 しばらく何も聞こえなくなったかと思うと、がちゃり、と唐突に玄関の扉が開いた。


 中から顔を出したのは、ピンク色のパジャマを着て、髪の毛一面にカーラーをつけた五十がらみの小太りのおばさんだった。皺の多い顔に三角に吊り上げた目を光らせて、見るからに僕たちを怪しんでいた。その背後には、明るく広い玄関と、きれいなフローリングの床が続いている廊下が見えた。おばさんはじろじろと僕たちを見ながら、ぶっきらぼうに一言、言葉を発してきた。


「何ですか?」


 その機嫌の悪さに圧倒され、僕はぐっと言葉に詰まった。すると隣にいた川田が口を開いた。


「あの、この子なんです。今日、ランニングしていたら見つけて、エサにミルクと缶詰をあげたんですが、食べないんです。ずいぶん弱っていて、このままほうっておくと死んでしまうかも知れないです」


「・・・」


おばさんは明らかに迷惑そうな顔をして、黙って聞いている。


「ご迷惑なのは十分分かっていますけど、なんとか診ていただけないでしょうか、お願いします」


 川田が一生懸命話していると、廊下の奥の左手にある扉が開いて、中から男が出てきた。男は白髪で五、六十代に見え、四角い眼鏡をかけて、背が高く、おばさんと同様にパジャマ姿だった。こちらを見て僕たちの姿を認めると、スリッパをぱたぱた言わせてこちらへやってきた。やはり、僕と川田を怪しむような、いぶかしげな顔をしている。院長の獣医かも知れない、と僕は思った。


「何ですか?」


 獣医らしき男は玄関までやってくると、先ほどの夫人と全く同じ言葉を、同じようなぶっきらぼうな態度で言い放った。


「あの、この子なんですが。今日、ランニングしていたら見つけたんですけど・・・」


 川田は、けな気にも今しがた夫人に話したことを、また一から獣医に話し始めた。エサをあげたんですが・・・ずいぶん弱っていて、このままほうっておくと・・・。


 川田が必死で話している間、獣医と夫人は相変わらずの迷惑そうな顔をして、相槌も打たずに黙って聞いていた。薄情な上に短気な僕は、川田が必死になればなるほど、彼が気の毒になり、獣医と婦人に対する怒りがこみあげてきた。


「ちょっと待った、待ってください。なんなんですか、その態度は。ご迷惑なのは十分分かっています。でもそんな態度はないでしょう。こいつだって一生懸命なんです。この猫はもともと僕たちには何にも関係ない猫だったのに、こいつがほうっておけなくて、拾って、エサをやって、ちっとも食べなくて、それでもあきらめきれず、こうして閉まっている病院までやってきたんです。少しはその気持ちを汲んでやってくれてもいいじゃないですか。それをなんなんですか、あなたたちは、もういいです、他の医者を探します、さようなら。この守銭奴が!」


もう少しで僕は、以上のようなことを院長と夫人に投げつけてやるところだった。しかし、他に行くあてなど実際は無かったし、なにより川田が隣で必死に粘っている。その努力を水疱に帰してしまうわけにはいかず、僕は心の中で文句を言うのに留めて、黙っていた。


「お願いします、今日見てもらえないと本当に死んでしまうかも知れません、お願いします」


 川田はもう言う言葉が無くなって、お願いしますを連呼するだけだった。するとその時、獣医と夫人がちらり、と視線を合わせた。そして、獣医が、唐突に、


「表に回ってください。病院を開けます」


と、ぼそりと呟いたのである。


「あ、ありがとうございます!」


唐突に道が開けて、川田は驚きとうれしさ半分といった感じでほとんど叫びに近い調子で礼を言った。僕も意外な展開に驚き、先ほどまで二人に抱いていた敵対心を恥ずかしく思いながら、「ありがとうございます」と言った。


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