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 このことがあってから、僕は人に聞かれたり議論になったりすると、「それでも医者はいい仕事だ」と答えることにしている。テレビやマスコミが医療界の腐敗を糾弾し、その腐りきった様子をいくら小説やドラマやマンガに描かれようとも、僕はやっぱりこう答えることにしている、「それでも医者はいい仕事だ」と。


   *


 春先のとある午後のことだった。栃木県の南部にある高校の、二年生だった僕は、学校の近くを流れる川の土手の上をランニングしていた。僕は当時ボクシング部に所属していて、そのボクシング部には、部員は毎日の練習前に五キロのランニングをしなければならないという決まりがあったから、土手の上を走っていたのである。


 僕の隣には川田という後輩がいた。この日、川田と僕は学校の授業が終わって、部室で練習着に着替えたのがだいたい同じ時間になったので、二人で連れ立ってロードワークをすることになったのだった。


 川田はこの時一年生で、すらりと背が高く卵型のつるんとした顔立ちで、ボクシングをするのが似合わないほど、牧歌的でのんびりした性格をしていた。その性格が良く表れたのが、彼の初めて出場したボクシングの試合でのことだった。


その大会(県新人戦というのだが)は、この話の前年の秋に行われた。この大会で、川田は出場者数の関係で大会三日目の決勝戦から出場する予定になっていた。川田の階級には、出場者が三人しかいなかったうえ、川田はシード権を取ったのである。いきなり決勝戦から闘えるのは運がいい一方で、川田にとっては辛いことがあった。それは減量との戦いであった。


高校ボクシングでは、体重の計量は試合当日に行われる。そのため川田は自分の試合がある三日目まで減量を続け、体重を維持しなければならなかった。しかし大会一、二日目の試合会場で、試合に出場しない選手や、減量がさほどきつくない計量が済んだ選手が、川田の目の前で思うがままに昼飯を食べていたのである。これが、生まれて初めて減量をしていた川田には相当堪えたようだった。川田の減量は、楽ではなかった。身長が175センチ前後あったのに、バンタム級(体重54キロ以下の階級)に出る予定だった。かわいそうな川田は、他の選手がコンビ二で買ってきたサンドイッチやパスタやウイダーインゼリーを食べているのを眺めながら、自分だけ、家から持ってきた小さなおにぎりひとつと、タッパーに詰めたゆでた野菜をもそもそ食べなければならなかったのである。


この大会一、二日目の昼食時に、特に川田を刺激したのが、ある選手が食べていた、からあげ弁当だった。当時、試合会場(会場は宇都宮にある総合体育館だった)と道路一本隔てたところに、「日本亭」という弁当屋があって、そのからあげ弁当はそこのいちおしなのだった。試合会場で、川田はそのからあげ弁当をある選手が食べているのを発見し、その匂いと、まだ温かく湯気をあげているからあげが六個にポテトサラダにしば漬けに、そして海苔が乗って茶色くなっているご飯の組み合わせの見た目とに、すっかりやられてしまったらしい。川田は大会三日目の自分の計量が済むと、ひとり試合会場を出てその「日本亭」へ行き、からあげ弁当を買ってきて、ばくばく食べてしまったのである。


川田の試合は、午後からであった。僕は試合前の彼のウォームアップに付き合った。ボクシングのウォームアップでは、大抵ミット打ちという練習をするのだが、そのミットを僕が持ってやった。すると、川田はパンチをミットめがけてバン、と打つごとに、グローブをはめた右手で胸というか腹というか、そのあたりをするするとさするのである。


バン


するする


バンッ


するする・・・


 僕はこのするするがそのうち気になってきた。


「川田、どうした」


と僕が聞くと、


「からあげが・・・」


「からあげ?」


「関口さん、からあげが消化できません!腹が、腹が・・・」


 消化できないはずである。からあげ弁当を食べてから一時間あまりしか経っていない上に、厳しい減量ですっかり機能が衰えた胃腸に、からあげは重すぎた。川田はこの後も、からあげが、からあげが・・・とうめきながらミット打ちをし、そのまま試合に出た。そして試合は、前半は調子良くリードしたものの、(からあげがどこまで影響したかは分からないが)後半スタミナ切れを起こして失速し、僅差の判定で負けてしまったのだった。


 県大会とはいえ決勝戦だった上、試合内容も悪くなかったので、試合後、監督や僕たち先輩は川田が負けてしまったことを悔しがった。しかし川田本人はけろりとして、試合会場の近くにある宇都宮餃子屋へ行き、六皿も餃子を食べ、その後結局食べすぎで吐いて、それ以来餃子を食べられなくなったのである。


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