約束は転生と共に
エルフの里がドラゴンに襲撃されて一週間ほどが経ち、ここハーベストの里の復興も半分ほどが終わった。
「あ、そっちの草は食べられます」
焼けてしまった地域を離れて、住み心地が良さげな場所に里を移したのが数日前。すぐに火が消えたおかげで、それほど森の広範囲が燃えたわけじゃなかったのが幸いだった。今はこうして地面に立って、エルンと共に食料を集めている。あの山火事で、貯蓄されていた食料のほとんどが燃えてしまったから、こうして集めなおさなくてはいけないわけだ。
でも、俺の天使としての知識には【どの植物がエルフにとって食用か】なんて入って無かったから、エルンに教えてもらわなくちゃ食料集めもままならない。
天使がどんな毒物でも食べることができる――あの邪悪な木の実は毒物に違いない――のがアダになった感じだ。
「この葉っぱが食べられるの?」
「はい」
俺は稲の葉のような形をした葉を一枚ちぎった。根本から引っこ抜くと生えてこなくなってしまうから、それぞれの個体から少しずつちぎるのがエルフのルールらしい。
ちぎった葉を見ると、なんだか青白く光っている。
「それはリーン草です。精霊さんの力を宿していて、ほんのり光っているのが特徴です」
エルンはリーン草をつみとりながら解説をしてくれる。
精霊。この一ヶ月のあいだにエルンが教えてくれたことだけど、エルフは精霊に作られた種族なんだそうだ。だからエルフは精霊を信仰しているし、そのおかげでエルフは生まれながらに精霊の力を借りることができる。精霊の力を借りて行使する魔法が精霊魔法というわけだ。
精霊は気まぐれにものに祝福をかけたりするそうで、リーン草もそのひとつ。かつて精霊の祝福したそのへんの雑草が増殖して、こうしてリーン草と呼ばれるひとつの種ができあがったのだとか。リーン草を食べるとより良い精霊の加護を得ることができるから、エルフが好んで食べるらしい。
俺たちは腕いっぱいにリーン草を取ると、巨大な木のうろにある臨時の倉庫へと持っていく。倉庫の中をのぞき込むと、やわらかな緑色に輝くこけが暗闇を照らしていた。倉庫に入ってちょっと飛んでいくと、エルンとおそろいの服を着たエルフの少年が木箱に座っているのが見えた。
「やあ、お疲れさま」
その少年は俺たちにねぎらいの言葉をかける。彼は服の上に、薄虹を溶かしたような透き通ったマントを羽織っている。そして凄い美形だ。
「おじいちゃん、帰ってきてたの」
エルンが言う。おじいちゃん? エルフって随分若作りなんだな。俺にはとてもそんな年齢には見えない。せいぜい十二歳くらいの見た目だ。
「うん。ごめんね、僕が里にいればドラゴンくらい簡単にやっつけたんだけど」
「大丈夫だよ、おじいちゃんは悪くない。それに、イヴエル様のおかげで私たち皆無事だったから」
エルンのおじいちゃんということは、エルンの記憶によると、彼は先日まで人との話し合いとやらに参加していたのだろう。それでタイミング悪く、里に居ないうちにドラゴンが襲ってきてしまったのか。ドラゴンを簡単にやっつけられるということは、やっぱり強いんだろうな。
「イヴエル様?」
「そうだよ。すごい魔法で私たちを助けてくれたんだ。ほら、私の隣りの」
「へー、コレが」
エルフ少年が俺の顔をじろじろのぞいてくる。
って、コレ? モノ扱いするのはやめていただけませんか。俺はれっきとした生物です。きっと。
「天使か……」
エルフ少年は俺を見つめるだけ見つめた後、若干疲れたようにそうつぶやいた。
ふふ、喜びなさい。俺の正体を見ぬいたエルフは貴方が初めてです。だからそんな残念そうな顔しないでよ。
「あの、私は悪い天使ではありません……」
「いや、別に天使が嫌いってわけじゃないんだけどね。ただ、天使が降臨したなら、妖精王国での騒動に続いてまた面倒なことが起きそうだなって思っただけ」
天使ってそんな疫病神みたいな存在だったの?
俺帰ったほうが良いの?
まあ、もし帰れなんて言われた日には、俺は怖くて地上に降りて来られなくなるだろうけどね。そうなったら一生引きこもるよ。
「ま、それは後で考えるとしよう。僕はリーン・ハーベスト。エルンの祖父だ。よろしく」
「こちらこそよろしくおねがいします」
「そうだ、お礼を言うのを忘れていたね。イヴエルちゃん、エルフを守ってくれてありがとう」
イ、イヴエル"ちゃん"……? 幼女扱い……?
「ゆーあーうぇるかむ」
ちゃん付けされた仕返しに英語で返してみたけど、リーンはとくに俺にツッコミを入れることもなくエルンの方に向き直る。
英語もきちんと自動翻訳してくれるのか。天使の体って便利だ。
「それでエルン、悪い知らせとすごく悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」
「……悪い知らせから」
「人との話し合いは決裂した。彼らはエルフをペットか何かと勘違いしているようで、エルフを檻に入れて保護することを提案してきたんだ」
「そんなことを考えていてもおかしくないとは思ってた」
「で、すごく悪い知らせなんだけど、どうやらここだけじゃなくてすべてのエルフの里が襲われていたみたいだ。里の力ある者たちは会議でいなかったから、当然ほとんどの里が防衛に失敗した。特にフォールリーフの里なんかは八割以上のエルフが連れ去られたみたいだね」
「フォールリーフ……誰か亡くなったエルフは?」
「戻ってくる途中にちょっと見てきたけど、死者はいないってさ。圧倒的な力で連れて行かれただけらしい」
「そう……それなら助けられる」
「それでね、首都アルヴヘイムの妖精議会は森に入った人間をすべて排除することを決定したんだ」
「もしかして戦いが始まるの?」
「うん、間違いない。エルフ側にもそれなりの被害が出るだろうね」
「……私も戦うよ。守られてるだけなんて、絶対に嫌だから」
「どうせエルンは説得しても聞かないよね。うん、エルンはエルンにできることをするといい」
さっきから俺は会話についていけてないけど、彼らにだけ通じる何かがあるのだろう。
彼らがしんみりした会話をしているうちに、俺はリーン草を木箱にそっと入れ、空気を読んでこっそり倉庫を出て行った。
---
――翌日の昼。程よい風が吹き、地上には太陽がやさしいまなざしを送る。
ドラゴン襲撃から一週間、俺はエルフの里復興を手伝ってきた。でもそろそろガブリエルがしびれを切らしてそうなので、一旦ヘヴンに帰らなきゃいけないだろう。
一緒にリーン草を採取しているエルンに声をかえる。
「私は明日には一旦帰るつもりだけど、大丈夫?」
「はい。全く問題ありません」
それは俺が全く役に立ってないってことか。天使の力を使わない俺はやっぱこんなものってことだよね……。ちょっぴり悲しい。
エルンとはそれなりに仲良くなったつもりだけど、まだ様付けやめてくれないし、人に森を焼かれた後だから、心に壁ができているんだろうな。しょうがないことだけど。
でも、このまま壁ができた状態にしておくのはよくない。できれば親しみやすさをアピールしていきたい。どうすれば……あ、そうだ。いい作戦を思いついた!
「空は大きいなー♪ きれいだなー、飛びたいなー♪ 空を飛べるならー、もくもく雲に乗りたいなー♪」
即興で考えた歌をソプラノで歌う。歌いながら上を向いて歩き、わざと地面の石につまずく。そして盛大にずっこけて硬い岩に頭をぶつけた。
「ぐはっ」
そう、基本的に天使はダメージを受けないが、やろうと思えば頭をぶつけて気絶することも出来るのだ。
天使の辞書に不可能という言葉はない。あっても修正液で塗りつぶせばいい。
頭がすごく痛い。星がチカチカしてる。
ばたんきゅー。
☆
目を覚ますと、頭になにか柔らかい感触を感じた。これは膝枕だな。懐かしい感触だ。
中学生にもなるとお母さんは膝枕してくれなくなったからね。どうして、歳を取ったら誰かに甘えちゃいけない、なんて風潮があったんだろう。俺はもっと膝枕して欲しかったのに。そんなことを思いながら上を見上げる。
「……」
エルンがかわいそうなものを見る目で俺を見ていた。懐古に浸っていた俺のハートは完全に砕けた。悲しさと恥ずかしさに包まれた俺は、涙を流しながらその場から逃走した。
あれは完全に尊敬が憐れみに変わった顔だった。やっぱり石につまずいて気絶なんてベタすぎたんだ。
「ま、待って下さい!」
後ろから声がかかる。
振り返ると、エルンが飛んで追いかけてきていた。
大声で言い合う。
「どうして逃げるんですか!」
「だってあんな哀れんだ目で見つめるからぁ!」
「哀れんでなんかないですよ!意外と歳相応なところもあるんだ、なんて微笑ましく思っただけです!」
「ばかあああああ!」
歳相応ってことは、八歳の女の子相応じゃないか!
そんなの認めてたまるか!
「お願いですから機嫌なおして下さいイヴエル様ー!」
「いーやー!」
「小さい子供みたいなこと言わないで下さいー!」
「今は小さい子供だからーっ!」
「じゃあ小さい子供を相手にするみたいに接しても良いんですかー!」
「うん!!」
「イヴエルのばーか!」
「え゛ぇ!?」
そこは"こら、待ちなさい!"とか言うところじゃないのか。大人げなさすぎだろ。
俺は思わず停止してしまう。もちろんすぐにエルンに後ろから抱きすくめられて捕まった。
「……」
「……ゎ」
気まずい沈黙。
何を言えば良いのかわからないけど、とりあえず言わなきゃいけないことがある。
「私はわざと捕まってあげたのです」
「えっ……今それ言うの?というか、今更敬語に戻らないでよ。気持ち悪い」
エルンは友達に見せるような笑顔でそう言った。しかも、さっきまで敬語だったのに突然くだけた口調になっている。俺も敬語で話し続けるのはなんか違和感あったから別に良いけど。俺と追いかけっこをすることで、やっと心を少し開いてくれたってことでいいのかな?
それにしても、ガブリエルのときもそうだったけど、なぜ仲良くなった途端に俺に対する扱いが軽くなるのだろうか。なぜかちゃん付けされることさえあるし、やっぱり心の中ではなめられてるんじゃないだろうか。
「うぅ、私は気持ち悪いの?」
「い、いや……冗談だよ。まさかそんなにへこむとは思わなかった」
「じゃあ気持ちいい?」
「……やっぱりちょっと気持ち悪いかもしれない」
しまった、また余計なことを言って好感度を下げてしまった。さっきから悪いところを見せてばっかりで嫌になる。このままだとせっかく友達らしい関係になったのに、友達→知人に格下げになってしまう。
何を言えば喜んでくれるだろうか。よくわからない。
---
何を言うべきか、うんうん悩んでいると、一転して真面目な雰囲気になったエルンが小さくつぶやく。
「本当はね」
「えっ?」
「イヴエルがいなくなっても問題ないって私言ったけど、悲しかったんだ。一週間も一緒にいたのに、友達にもなれずに終わっちゃうなんて」
「うん……」
俺と友達になりたいと思ってくれていたんだ。
森を燃やされた後で、エルフ以外を信じられなくなってしまったのかと思ってた。俺の予想よりも、エルンはずっと強かったってことだろう。それでも、エルンが悲しむのはもう見たくないけれど。
「イヴエルは知られたくなかったのかもしれないけど、私はイヴエルにも子供っぽくてわがままなところがあることを知れて嬉しい。だって、私にとってイヴエルはエルフの里を救ってくれた英雄で、私たちとは違うと思ってたから」
「そんなに大した存在じゃないよ?」
「ううん、私も皆もイヴエルを英雄だと思った。だから、自分とは遠いところにいる存在だと思ってたんだ」
「それで私のことをずっと様付けして呼んでたんだね」
「うん。でも、本当はずっと、イヴエルを英雄としてじゃなくて友達として見たいと思ってた。……イヴエル、私と友達になってくれる?」
"うん!"
俺は当然そう答えた。
その答えを聞いたときのエルンの笑顔は、どんな嫌なことも軽く吹き飛ばしてしまいそうなものだった。空に輝く太陽より眩しく、真っ白な雲より純粋な彼女の笑顔を、俺は死ぬまで忘れることはないだろう。
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見上げると空は澄み、雲がやさしく浮かんでいる。だから、その上に住む天使はもっとやさしくて澄んだ心を持っているのだろう――ずっとそう思っていた。だけどそれは幻想だったらしい。わがままで心の汚れた羽付き幼女、それが天使だ。実際に俺がそうなのだから間違いない。
「イヴエルは天使様なんだよね?」
「うん」
「私は、天使様はやさしくて澄んだ心を持ってると思ってた」
「でも、私の心は汚くてわがままだよね」
「あはは……。でも、友達になるならそっちの方が楽しいかもね。澄んでいるかどうかはともかく、イヴエルは十分やさしいと思うよ? だから、ひとつだけ私としてほしいことがあるの」
---
――その日の夜。妖精は寝静まり、満月が静謐な森をやさしく照らしている。
俺とエルンは、エルフに伝わる約束のおまじないをするために森を飛んでいく。
明月の上る夜、リーン草は白い花を咲かせる。約束を交わす二人が、それぞれそのリーン草の花を根っこごと引き抜いて持ち寄る。そうしたら、交換してそれぞれが好きな場所に植え直す。これで、二人の約束は永遠のものとなるっていうおまじない。幸い、俺もエルンもすぐにリーンの花を見つけることができた。
静かな森の下で、エルンはやさしく微笑むと、俺にリーンの花を手渡す。
見ると、その花はカーネーションのような形をしていて、天使の翼のごとき純白に染まっている。葉と茎の部分は、月に透かした氷のような神秘的な蒼を宿している。
蒼と白の調和から、確かな精霊の祝福を感じた。
天使に転生してから初めてできた友達。記念にこの白いリーンの花を、転生を意味する英単語リインカーネーションにちなんで、リーンカーネーションと名付けよう。
さあ、今度は俺が渡す番だ。
約束は転生と共に結ばれる。俺はエルンに、自分の花を手渡しながら約束の言葉を紡ぐ。
「もしエルフにまた危機が訪れたら、私に祈ってほしい。そしたら、絶対に助けに来るから」
「でもずっとイヴエルに頼るわけにはいかないよ!」
「いいよ、頼っても。私は天使なんだから」
エルンは不満げだけど、神の御使いであるはずの天使に祈れなければ、一体誰に祈れば良いのだろう? もっと俺に頼ってほしいな。
真っ直ぐエルンを見つめると、彼女は答えるのを躊躇するかのようにうつむいた。
少しの時間が経ち、顔を上げると、その表情にはちょっとした決意が秘められていた。
「……どうしても、私にはどうにもできないことがあったら、そのときは……」
「約束する。もしあなたが助けを求めるのなら、私は、必ず助けに行く」
エルンは一息だけおいて、
「うん。約束だよ、イヴエル!」
最高の笑顔でそう言った。
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世界のどこかで祝福の鐘が鳴り響いた。
妖精のひそむ森で、
鐘の音に合わせて天使が歌う。
大きな木の枝に座った妖精が、
目を閉じてその歌声に耳を傾けている。
歌が終わり、妖精の少女が次に目を開いたとき、
その瞳に宿っていた絶望の色は、
嘘のように消え去っていた。
Story1 end