天罰は下らない
『……あー、やっぱり変わってない』
ヒトはエルフやビーストを"亜人族"と呼んで迫害してる。奴隷として捕獲するのもその一環。特にエルフは美しくて強いから、とても高く売れる。このエルフ襲撃も国をあげて一斉に"保護"に乗り出した結果なんだろうね。
エルフとの話し合いで強いエルフが里から離れるのを見計らって、ドラゴン部隊を編成する。で、ドラゴンで森を焼いて、エルフが飛び出して来た所を咀嚼せずに飲み込ませる。その後で一匹ずつ吐き出させて首輪で拘束する。
この方法でいくつものエルフの里を壊滅させて来たのをわたしは知ってる。世界が変わっても、時が変わっても、やっぱりヒトは馬鹿なままなんだ。
『ドラゴン、エルフを吐いて』
ヒトが馬鹿ならば、このドラゴンたちは空飛ぶゴミかな。ヒトなんかに支配されるなんて。いくら下位のドラゴンだとはいえ、あまりに滑稽だと思う。
気持ちの悪い音、ドラゴンがエルフを吐く。ぬらぬらと汚く輝く透明な胃液がエルフを包み込んでる。でも、エルフは消化されたりなどしていない。無意識に精霊の結界を自分の体に張っているから。
吐き出されたエルフたちは呆然として目が虚ろで可哀想。まあいっか。そのうち状況を把握するはず。
うん、これでイヴエルとの約束は果たしたよね。わたしは一旦戻ろう。じゃあね、エルン。
○
……まさか本当に体を乗っ取られるとは。やっぱり二重人格になってしまったのか?
嫌な感じはしなかったけど、そのうち俺の意識が消滅してしまいそうでちょっぴり怖ろしい。
そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。
「あ、あああの皆を助けて頂き感謝致しますっ」
声のした方を見ると、体が震えているエルフの少女がいた。身長は俺と同じくらいだろうか。若緑色の肩までの髪、深緑色の瞳、薄く透き通るきれいな翅。俺とたいして変わらない身長で、胸はB+くらいか。その瞳は絶望に染まり、その表情には喜びの色が見え、その体は恐怖に震えている。なぜか俺を見て恐怖しているようだ。
典型的なエルフの着るような、植物でできた服の股の部分はびしょびしょに濡れている。漏らしたのでしょうか? いいえ、きっと大きすぎた悲しみを表現するには目から涙を流すだけでは足りなかったのです――だめだ、ごまかせてないな。
まあいいや、とりあえずエルフの少女を落ち着かせよう。
「感謝致しますと言われても。体が勝手に動いただけです」
そう俺が言うと、そのエルフ少女は俺に言葉が通じたことにほっとしたのか、露骨に安心したような表情になった。
「やさしいんですね」
さっきよりずっと落ち着いた声でつぶやくエルフ少女。
どうやら震えていた体も落ち着いたらしい。瞳に映る絶望の色はまだ消えていないけど。
周囲を見渡すと、べたべた胃液と格闘しているエルフたちと、未だに空中で停止しているドラゴンの集団がいる。エルフは精霊魔法を使って体をきれいにしているようだ。人間たちは口を開くこともできないようでずっと静かにしている。
うーん、この状況どう始末するべきか。
まずはドラゴンと人間たちを地面に降ろして、喋れるようにして話を聞こう。えーと、神の原罪はこんな感じで魔法を使ってたかな?
『えんじぇる、せんとイヴエルが……』
途中まで言うと、ざわざわしていたエルフたちの視線がこちらに集まる。うう、こっち見ないでよ。どうして何か目立った行動をするたびに注目されなきゃいけないんだ。しかもこの詠唱みたいなのすごく中二病っぽくて恥ずかしいし。いや待てよ。意味さえ伝われば別にどんな詠唱でもいいんじゃないか?
『風さまにお願いいたします……彼らをゆっくり降ろしてあげてくださぃ……』
すると、うまくいったのか、ドラゴンと人は森が燃えて開けた地面にゆっくりと降りていった。もちろん俺も一緒についていく。地面熱くないかな。ドラゴンだし大丈夫か。
しばらくすると彼らは地面に着く。そうだ、話せるようにもしなきゃ。
『動いていいですよ……』
動けるようになった彼らは口々に文句を言う……かと思ったけど、そんなことは無かった。
彼らは動けるようになってすぐに俺から全力で目をそらした。顔の正面に移動しようとしても、すくにまた目をそらされた。
「あの、なんで目をそらすんですか?」
誰も答えない。むしろ余計口を閉ざしたような気さえする。
泣きたい。いや、もう涙目になってる。
「……神よ、なぜ我らにこのような試練を……」
誰だ、天使の言葉を無視しておきながら神に祈る不届き者は。いい加減にしないと後で泣くことになるぞ。
……ぐすっ。
「そいつらと話さないほうが良いですよ」
エルフ少女の声。やたら刺のある言い方だ。人が森を焼き、エルフを捕まえようとしたことを考えれば嫌われるのも当然だけど。
エルフ少女はひゅーんと飛んでいって、あるひとりの男の前で止まった。そして彼に話しかける。
「私です。エルンです。見覚えありませんか?」
「あの時のエルフか! この天使……いや悪魔に伝えてくれ、俺達は絶滅寸前のエルフを保護しにきただけだって!」
そういえばまだ名前聞いてなかった。このエルフ少女、エルンって名前だったんだ。
エルンは人の言葉を理解できないのだろう、こちらをちらりと見る。
翻訳しろって?
いいよ。空飛ぶ辞書を自称する俺が完璧に翻訳しよう。
「"あの時のエルフか! この天使に伝えてくれ、俺達は絶滅寸前のエルフを保護しにきただけだって! だそうです」
「そうですか、傲慢なことですね」
すごい怒ってるよ。人に向ける視線が極限まで冷えきってる。
「こいつに伝えてください。"余計なお世話です"と」
「わかりました」
まあ、保護とか言って襲撃してくるのは頭おかしいよね。そう思いながらこの男にエルンの言葉を伝えるが、そっぽ向かれて耳をふさがれたので聞いているのかは定かではない。
しかも往生際が悪いことに、エルフ襲撃を正当化しようと、まだエルンに訴えかけている。
「はあ……もういいです」
エルンはその姿を見て、エルフのいる空へと飛んでいってしまった。そしてエルンが去ったのを見届けると、男は俺に向かって攻撃してきた。
その顔は強い怒りに歪んでいる。
「悪魔め、エルフに何をした! 炎の槍!」
炎でできた、長さ一メートルくらいの槍が十本ほど飛んでくる。
俺はそれを避けずに受ける。
炎の槍はすべて俺を貫いた。
そしてどこかへ飛んでいった。
また火事になりそうだからやめてほしい。
「くそっ! ならば、稲妻の雨!」
虚空から無数の稲妻がほとばしり、俺の体を通り過ぎて大地を焦がした。
確かに電気は鳥に効きそうな気がするけど、俺は鳥じゃないよ。
「実体を表わせ、卑怯だぞ! ゲームのラスボスだってイベントアイテム使えば攻撃が効くようになるのに!」
「じゃあイベント回収し忘れたんじゃないですか?」
ってあれ? なんでこの人はゲームとかラスボスとか知ってるんだろう……?
「……ユニークスキル・存在隠蔽!」
インビジブル。突如ドラゴンとそれに乗った人の姿がかき消える。
という効果があるんだろうけど、俺には丸見えだ。
ドラゴンは地をけって飛翔し、俺からどんどん遠ざかっていく。ドラゴンが近くを通っても、エルフたちはまるで気付いていない。きっとこのまま人の街へと逃げ帰ってしまうだろう。
俺なら簡単に追いつくことができるけど、追いついたところで俺にできることはない。エルフたちが彼らを許せないのならば、引き渡したりしても良いのだろうけど。
「逃げましたか」
いつの間にかエルンが戻ってきていた。
「拘束しておくべきだった? それなら今からでも捕まえなおしてくるけど」
「いえ、私たちも皆無事でしたし、放っておいても良いと思います。里長代理も同意見のようです」
「また襲われたりしたら?」
「もしまた襲われて私たちの誰かが殺されたりしたら、きっと戦争になるでしょう」
「そ、そう」
物騒だけど、一回は見逃すだけやさしいのかな。
少しの静寂の後、エルンがつぶやく。
「……私の名前はエルン。正式な名前は、エルン・ハーベスト。あなたの名前をお聞かせ願えませんか?」
「はい、もちろん。俺の名前は……」
「俺?」
しまった。よく考えたらこの容姿で一人称俺は違和感あるか。話すときは一人称私のほうが良いな。
「すみません、ちょっと間違えました。"私"の名はイヴエルです」
「良い名前ですね。イヴエル様、今回は本当にありがとうございました」
エルンはそう言って微笑んだ。
けど様付けされるのはなんだかこそばゆいな。俺はもうちょっと身近な天使を目指したい。
「もっとくだけた口調で接してくれても良いんですよ?」
「いえ、私たちの恩人ですし……あっ、あちらも洗浄が終わったようです」
ごまかされてしまった。
まあ、これから少しずつ仲良くなっていくしかないか。
ドラゴンの胃液を落としたエルフたちが俺に次々とお礼を言ってくる。
「本当にありがとう、イヴエルちゃん!」
「は、はい」
「素晴らしい魔法でした。その強力さもさることながら、誰かを護るために魔法を使うのは最高の魔法使いである証拠です」
「そ、そうですか?」
「おねえちゃんすごい!」
「あ、あはは」
こういうのには慣れてないし、助けたのは正確に言えば俺じゃないから、ちょっぴり罪悪感がある。
俺は逃げ出したいのをこらえてエルフたちに対応していく。
しばらくして、ほとんどのエルフたちがお礼を言い終わったころ、エルンが声をかけてきた。
「……ところで、イヴエル様はもう行ってしまわれるのですか?」
そうだね、一旦ヘヴンに戻ったほうがいいのかな。帰ったほうがいいだろうな。けど、もう少しエルフたちの手伝いをしてからでもいいはずだ。
「いえ、もう少し残ってエルフさんたちの手伝いをするつもりです」
その言葉を聞いて、エルンは喜びの表情をしたあと、なぜかちょっぴり悲しそうな表情になった。
「もしかして、実は私のことが嫌いだったりしますか?」
「いえ……そういうわけではないんです。ただ、なにもかも燃えてしまって、イヴエル様をもてなすことができないのに、手伝ってもらうのがもどかしくて」
そういうことか。ならば問題は全くないな。
「それなら大丈夫ですよ。私は"ありがとう"という感謝の気持ちを集めるために働いているのですから」
どこかで聞いたような気がする理念だけど、とにかく、俺が言いたいのは自分の利益のために助けたんじゃないってことだ。
「そうですか……すみません、何も出せなくて」
エルフは長い耳をたらしてしゅんとしてしまった。そんなに気にやまなくてもいいのにな。
えーと、なにかエルンにしてもらえることはないだろうか。
「あ、そうだ。それなら森を案内してください」
「森を?」
「はい。森に住んでるエルフなら、森のことに詳しいかと思って」
「それは詳しいですけど、あんまり面白いところなんてありませんよ?」
「それでも大丈夫です」
「じゃあ、ええと、この近くには……きれいな泉しかないですね」
「ええっ!? それはぜひ見たいですね!」
「……」
エルンが怪訝そうな表情を向けてくるが、気にしない。
地球で緑のない開発され切った町に住んでいた俺にとって、きれいな泉というのはそれだけでも大きな価値がある。北海道の摩周湖とかも観光スポットになっていたし、きれいな泉を見ているだけでも人は癒やされるものなのだ。俺はエルンの目を少し情熱的に見つめる。
「……はあ、わかりました。ついてきて下さい」
「わーい!」
俺はエルンと共に数十分ほど森をぬって飛ぶ。
森は少しずつ明るくなり、朝が近づいてきた。鳥がチュンチュンとさえずり始める。
エルンは俺ほどじゃないけど飛ぶのが速かった。時速二百キロくらいの速さだった。途中で狼の魔物と熊の魔物が出てきたけど、彼らは呆然と俺たちを見送るだけだったりした。
慣れない森だからついていけなくなると思ったけど、俺は木を貫通して飛んでいくのでそんなことはなかった。
やがて森が開け、小さな泉が現れた。
「ここです。ここが、ミミルの泉です」
「へぇ、ここが……」
鳥の声がぱたりと止む。
静寂が世界を支配する。
緑と青の織りなすその風景は幻想的と言うほかない。
そして俺は今、その泉に精霊を幻視した。水でできた精霊の少女が水の上を踊っている。
俺は少女に向かって手を振ってみる。
少女はにっこり笑って手を振り返した。これ幻視か?
「見たとおりなにもないですが、満足していただけたでしょうか?」
「うん、満足した。でもあの少女はいったい?」
「……? どこに少女がいるのですか?」
「ほらあそこで踊ってる水の精霊みたいなの」
「誰もいませんよ。それに、水の精霊さんはここではなく"天空の鏡"に姿を表すはずです」
「うーん……?」
ちょうちょが花の蜜を求めて迷い込んできた。みずみずしい少女がちょうちょを追いかけていく。とても幻覚とは思えない。
「まあ、いいか。エルフの里に帰ろう。エルンさん、帰りも案内して下さい」
「了解です」
俺たちは泉の風景をしばらく眺めた後、エルフの里へと戻っていくのであった。
「ところで翅触ってもいい?」
「はい? まあ、別にいいですけど」
「えへ、えへへへっ♪」
「うわぁ……」