天使転生
……あれ?
おかしいな、意識がある。
ここはどこだろう。
背中に柔らかい草の感触。
春の若草の匂いがする。
俺は草原に寝そべっているのだろうか。
ひゅうっ、清涼な風が体を吹き抜ける。
びっくりして目を開くと、目の前には透き通る青空があった。
空ってこんなに青かったっけ?
「おはようございます、相生御使さん」
高く澄んだ声が聞こえた。なぜ俺の名前を知っているんだ? まあ、ここが死後の世界ならなんでもありか。
心地いい草原の上に寝転がったまま、声がした方に顔だけ向ける。
すると、そこには少女がいた。
彼女はまるで天使のような容姿をしている。冬の陽光をためこんだような淡い金色の長髪、澄み切った空色の瞳、夏の入道雲のように白い一対の翼、未発達で小柄な体。もし完璧な"かわいい"の概念があったら、これそのものだろうと言うべきほどにかわいらしい少女だ。
「……?」
こてん。俺がじーっと見つめていると、少女は小鳥のように首をかしげる。かわいい。
非常に庇護欲をそそられるが、じっと見ているだけというのもアレだし、とりあえず話しかけてみる。
「あのー、ここはどこですか?」
俺の喉から出たのは低い男の声ではなかった。小さい女の子のような、鈴を鳴らすような高い声だった。世界には不思議なこともあるものだ。
「えっと……、天使の国、ヘヴンです」
かしげてた首をまっすぐに戻して、少女が俺の質問に答える。ヘヴンか。つまりここは天国ってことかな。やはり目の前の少女は天使なのだろう。よく見ると頭上にうっすら光の輪が見えるし、なにより翼が生えているのだから。
「つまり、俺は死んで天国に来てしまったのですか?」
「……? ここは天国ではないですし、貴方は死んでないですよ?」
またもや首をかしげる天使。あれ、ここは天国じゃない? もしかして別物なのか、天使の国と天国は。ややこしいな。それに俺は死んでいない? どういうことだろう。
「俺は電車にひかれて死んだのでは?」
「すみません、ちょっと語弊があったかもしれませんね。確かに貴方の肉体は死にましたが、魂はまだ生きています。漂っていた貴方の魂を天使の体に入れ、貴方という存在の完全な死を防いだ……とでも言えば良いのでしょうか」
天使が訂正して言う。
言ってる内容はよくわからないけど、天使の体に入れて俺の魂をリサイクルしたってことでいいのだろうか。
……いや、待てよ。天使の体に入れた?
背中に意識を向けると、肩甲骨の下あたりになんともいえない違和感がある。これは俺にも翼が生えているのだろうか。
右肩をぐっと前にねじり、首を右回りに四分の一回転させて背中を見ると、そこには確かに大きな純白の翼があった。しかし、思わず左手でさわってみようとすると、左手は翼を突き抜けた。俺の心はなぜか虚無感と絶望感に包まれた。頭に手をやるが、俺の期待はまたもや裏切られる。天使の輪にさわれない。
仕方がないから、さらさらした長髪をひと束つかんで目の前に持ってきた。髪は金ぴかに光っていた。俺は髪をちょうちょ結びにしながら、天使への質問を続ける。
「天使の国って地球の空にあるんですか?」
そもそもここは地球なんだろうか。
俺の素朴な疑問に、天使は天使のような微笑みで答える。
「ここはちきゅーじゃなくて天球ですよ」
地球じゃなくて天球? 文脈から考えると、天球は一般的な意味じゃなくて、今いる星の名前が天球ってことかな。
……あれ、もしかして俺は地球ではないどこかに転生でもしてしまったのか?
俺が考え込んでいると、天使は朗らかに声を上げた。
「大丈夫です! ちゃんと説明しますから。まずこの世界の成り立ちについてですが――」
「そこで偉大なる主が――」
「しかしエルフたちを――」
「ゆえに私たち天使は――」
…………
……
…
長い。
天使の話長い。
文化祭が終わった後の校長先生の話より長い。
寝転びながら聞いているので、さすがに眠くなってくる。
ような気がしたが、なぜか眠くはならなかった。さっきからずっと頭は冴えている。あと本当にどうでもいいけど、髪のちょうちょ結びは全部ほどいた。
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――約四日後(体感時間)。
「――――というわけです!」
やっと終わった。
こんなに話し続けられるなんて、天使ってすごいんだね。それを眠らず聴き続けた俺も我ながらすごいけど。
真面目に聴いたおかげか、天使の言葉を一言一句残さず全部思い出せる。というのも、どうやらこの体が超ハイスペックだからだそうだ。天使は記憶力を含む身体のスペックが極めて高いらしい。
しかも、眠くもならず、お腹も空かず、ついでに性欲もない。試しに股間に手をやると、何もない。いや、男のアレがないとかじゃなくて、本当に何もないんだよ? 本当につるぺたなんだ。
股間をさわさわしていると、天使にこっぴどく怒られた。そりゃそうだ。俺も目の前で天使がこんなことしてたら堕天使かなって思うもん。
性欲発散もできないなんて生きてて楽しいのか疑問だけど、おいしいとか好きとかの感情はあるみたいだからとりあえずは良しとする。
さて、天使の話で重要な点をかいつまんで言うと、こうだ。
1. 俺は異世界である天球に天使として転生した
2. 俺の仕事は人族から迫害されている妖精族や獣人族などの種族を助けること
実際にはいろいろと細かい事情があるんだけど、ひとまずは2の仕事だけすればいいんだそうだ。ちなみに給料はナシ。ひどい。
以下、ヘヴンを案内してもらいながら、天使との質問タイム。
Q. あなたの名前はなんですか?
A. ガブリエルです。
草原から立ち上がって周囲を見渡すと、俺を囲うように七本の白い柱が立っていた。見た感じ儀式を行うための場所のようだ。
Q. なぜ異世界で言葉が通じるの?
A. 貴方の体に全ての言語知識が入っているからです。私はこの場所で、必要な知識が入った天使の体をつくり、そこに貴方の魂を入れました。ゆえに、わざわざ種族特有の言語を覚える必要はありません。
なるほど、俺はもう二度と言語の勉強をしなくて良いわけだ。さよなら生涯学習。
俺は上にぐーっと伸びをしながら質問を続ける。
Q. それならあんな長い説明しなくても、最初から全部頭に入れてくれればよかったのに。
A. いきなりあれだけの膨大な情報を入れると、目が覚めたときに混乱してしまうでしょう? それに言語ならば必要なときにだけ思い出すようにできますが、これらの情報は必要になってから思い出していては遅いのです。
確かに、いくら天使の体がハイスペックでも魂は俺だからね。起きてすぐ、頭の中に知らない情報が大量にあったら混乱するかもしれない。
ガブリエルが歩き出す。俺はついていく。柱に囲まれた場所を抜ける。目の前には黄金色の巨大な門があった。
わずかに開いた門からは光が漏れ出ていて、神聖で荘厳な雰囲気をかもし出している。これが天国の門だと言われても信じてしまいそうだ。
Q. この門はなに?
A. 天国の門です。この門からちきゅーと天球を行き来することができます。
ここは天国じゃないって言ってたのに、天国の門はあるのか。まあ細かいことはどうでもいいや。
Q. じゃあ俺は地球に帰れるの?
A. はい。ですがヘヴンズゲートからでは魂だけしかちきゅーと行き来できません。魂と体が一緒に行き来するには、地上のどこかにある<もうひとつの天国の門>を見つける必要があります。一応、門の仕組みを紙にまとめておきました。
すごい、文字が日本語に見える。しかも、天"球"なのにどう見ても平面世界にしか見えない。
……ガブリエルの話を信じるならば、もうひとつの天国の門とやらを見つければ地球に帰れるってわけか。
でも、この姿で地球に帰っても、どうせ見せ物天使になるだけだろうな。
狭い檻に入れられて、
<天使(異世界産) 天使がびっくりするからフラッシュ撮影はやめてね>
とかタグがつけられたりしてさ。
この紙を見ると、地球と天球のあいだを人やものが行き来して、地球に異世界動植物園がないのが不思議なくらいだ。
Q. 地球から天球に転生したり転移する人って結構多いの?
A. はい。ですが転生の場合、人の体では記憶をとどめていられません。生まれてすぐにすべて忘れ去ってしまいます。転移は……ちょっと私にはわかりませんが。
うん。普通に考えたら、生まれたばかりの赤ちゃんは物事を覚えていられないだろうね。俺は天使に転生したからこうして前世を覚えていられるのだろう。転移については、もうひとつの天国の門とやらの場所も不明なのだから、わからなくても仕方ないかな。
俺は日光を反射して輝くヘヴンズゲートをしげしげとながめる。俺の魂はこの門から入ってきたわけだ。摩擦傷ひとつない滑らかな金色の門には、小さい天使の姿が映っている。
Q. なんで俺の体は女の天使の体なの?
A. 天使に性別など関係ありません。なりたいと願えばどんな容姿にもなれます。だから、あなたの天使のイメージがその容姿に反映されているのでしょう。
腰まで届くブロンドヘアー、真っ白な翼、華奢な体、胸は無し、か。確かに俺のイメージする天使そのままの容姿だ。
まあ、百歩ゆずってそこまではいいけど、これはないだろ。
幼女。
ロリコンじゃあるまいし、俺はそんなのイメージした覚えはない。
でも実際、俺は幼女。
歳は九歳、小学四年生ですっ♪
これはひどい。
ああ、目線がやたら低い。今なら、なにもかも大きく見えたあのころの夏を思い出せる。
そう、セミを手づかみで取ろうとして手が届かなかったあの懐かしき日々を。今(今は幼女だけど)より少しだけチョコレートパイが大きかったあのおやつのひとときを。お祭りではぐれてしまわないように、必死で握っていたお母さんの手の、あの暖かさを。
……現実逃避してる場合じゃない。
とにかく、俺は見た目九歳くらいの幼女天使になってしまったわけだ。ガブリエルは十四歳くらいの少女(少女か幼女かは意見が分かれるところ)に見えたのに。
この姿で相手になめられたりしないんだろうか、天使って。ちょっと心配になってきた。
「さて、他に質問はありませんね? それでは相生御使さんにはさっそく仕事をしてもらうことになりますが……あ、よく考えたら名前が長いし天使っぽくないですね。改名しませんか?」
たくさんの質疑応答を交わすうちに、ガブリエルともずいぶん打ち解けた。突然改名を迫ってくるくらいに。
名前が天使っぽくないって……そんなこと言われても。俺の名前である"御使"は、神の"御使い"、すなわち天使から取ったらしいし、それで勘弁して欲しいんだけど。
まあ、一応考えるか。天使らしい名前。普通に思い浮かぶのは、ミカエル、ガブリエル、ラファエル……あと堕天使だけどルシフェルとか? ガブリエルがいるってことは多分ミカエルとルシフェルとラファエルもいるんだろうな。だってこいつら大抵セットだから。
だから、独自の名前を考えた方がいいだろう。とりあえずエルつけとけばいいよね。
えー、なんとかエル。
相生御使。
相生エル。
相生、共に生きる。
アダムとイヴ。
イヴ。
イヴエル。
もうこれでいいや。
「じゃあイヴエルで」
「……すごく良い名前ですね! では行きましょう」
しまった、つい口に出してしまった。
ガブリエルが俺の手を引っ張って歩いて行く。
後悔先に立たず、俺は有無を言わされずガブリエルに連れて行かれるのであった。




