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神の原罪 -そらかける幼女天使の物語-  作者: 幻想艇
Story3 天使の白い羽
28/31

堕天使の黒い羽 <feat.eln>

「……あとはひとりで……あっ」


 ベッドの上で寝転がっていると、妖精の鐘(フェアリーズ・ベル)の音色が聞こえた。それは緊急事態を告げる鐘。

 私は魔力温存の為、イヴエルに送った幻を消す。里に何かあったのかな。もしかしてドラゴンの襲撃とか……?

 急いで家を飛び出す。家の前にはお母さんがいた。銀竜の鱗のようにきれいな銀の髪が、爽やかな風になびく。私は彼女に声をかける。


「何があったの?」


 するとお母さんはちらりと私を見て、少し焦ったような声で言う。


「あ……魔物の大群が結界を破って、里に向かってきてるって」


 あれ? その言葉は少し予想外だった。

 結界が破られた。それはつまり、高い魔力を持った魔物が群れの内部にいるということ。

 でも平和なうちに、もう人間に侵入されないようにみんなで張った結界は、決して簡単に破れるようなものじゃない。

 天使であるイヴエルがそう言っていたのだから、それは多分間違いない。

 つまり、イヴエルの想定を上回るような魔物が攻めてきた? 例えば、蒼炎不死鳥エバーフェニックス中位竜セカンドドラゴンみたいな極めて強力な魔物。もしそれらの魔物が攻めてきているなら、私たち妖精では到底太刀打ちできないと思う。

 だから私は言う。


「じゃあ逃げなきゃ!」


 太刀打ち出来なくても、妖精の翅なら逃げ切ることはできる。加えて体も小さく、森へ散り散りになって逃げるから、伝説上の魔物相手でもなければ全滅することはありえない。

 ――森を焼かれて、ドラゴンの大群で強襲されたりでもしなければ。

 強力な魔物を相手にすれば誰かが犠牲になる可能性が高いけど、早めに逃げればそれは防げる。

 また里が破壊されるのは悔しいけど、ここは逃げるのが最善。鐘が鳴ったから、里のみんなももう逃げはじめてるはず。私たちも急がなきゃ。

 私もお母さんの手を引っ張って逃げようとするけど、彼女は石のように動こうとしない。彼女は地面を見つめながら、平坦な声で言う。


「……それは無理かもしれない。大きな魔力を感じるから。多分、魔物の群には上位竜ファーストドラゴンかそれ以上の力を持つ魔物がいる」


 上位竜……それは伝説上の魔物の一種。一度も本物を見たこと無いし、耳にすることもほとんど無いけれど、私はひとつだけ知っていた。とても古い伝承を。かつて起きた上位竜同士の戦いが原因で、この大陸の半分が焦土と化したという、嘘か本当かもわからない伝承を。

 もし、もし本当に上位竜がここに向かっているなら――きっと、逃げても意味なんて無い。それ以上の力を持つ魔物となると、もはや想像もつかない。

 殺されるのを待つしか、無いのかな。私はぎゅっと目を瞑る。

 その時、ちらりと天使の姿が脳裏によぎる。彼女は、とっても強い。きっと上位竜ファーストドラゴンをものともしない程に。

 そして彼女は助けに来る。私が望んでも、望まなくても、間違いなく助けに来る。彼女は天使なのだから。

 それまで逃げ切ることができれば大丈夫。……とは思うけど、こんなに頼ってばかりいると、いつか見放されちゃうかもね。

 うつむいて震えているお母さんに、私は叫ぶように言う。


「お母さん、早く逃げよう!」


 でも、私がいくら声を張り上げても、お母さんは頑として動こうとはしなかった。里が危急存亡のときだから残って戦う、なんてことは上位竜相手ならありえない。

 じゃあなんで動こうとしないの? 彼女の考えが、私には全くわからなかった。だから彼女を必死に説得しようとする。

 説得しようとする間にも、翅を動かすのは止めない。私はベッドの側にいつも置いてある樹皮色の鞄を掴んで、植物のつたで腰に巻きつける。中からリーン草を煮詰めた、深緑色の魔法回復薬をひとつ取り出して、勢い良く飲みす。魔法の力が、精霊の祝福が、体をめぐる感じがした。

 幻を作るために消耗した魔力の大部分が回復する。これで……

 回復した魔力で無理やり強力な風の精霊魔法を使って、お母さんを吹き飛ばす。放心しているのか、彼女は抵抗すらしなかった。少し親不孝をしているような気もしたけれど、こんな状況だから仕方ないよね。


 お母さんは数本の大樹の間を通り抜けて、突風の如く吹き飛んでいく。私もそれに合わせて飛翔する。ちらと辺りをうかがうと、思ったとおり里に妖精の姿は全く見えなかった。しんと静まり返っている。私の心を安堵が満たす。けれど獣の魔物の遠吠えが聞こえた。私は遠吠えの反対側へ方向転換し、空中でお母さんの手を取り、森を縫って飛ぶ。不思議なことに、逃げていく妖精とは遭遇しなかった。相変わらず、お母さんは自分で飛ぼうとはしない。

 しばらく飛ぶと、森が暗く深くなる。幸い、魔物の気配はしなかった。こっち側には来てないのかな?

 そう思った瞬間、突如視界が赤く染まる。これは、炎。魔物に気づかれた? 私は森の上空へ飛び出す。青く開けた視界。その直後、陽光を阻む黒い影、青を遮る赤。赤いドラゴンが森に影を落としていた。その数は一体。前のような大群じゃない。これなら――私でも勝てるかも知れない。

 私はお母さんを一瞬手放して、腰の鞄から紫色の粉末が詰まった小壜こびんを取り出す。その栓を抜いて、中身、鮮やかな紫の粉末をばら撒く。そして風魔法を使って、お母さんを避け、粉末を周囲に散らす。辺りに紫の粉が漂った。


 ドラゴンは私を目掛けて空中を突進してくる。紫の粉の漂う領域を抜けて、私とお母さんにドラゴンが迫る。……お母さん、前にドラゴンに襲われた時、"一緒に死んで"なんて思ってごめんなさい。償えない罪を償うために――今度は私が助けるから。

 集中している暇なんてない。幻想魔法イリュージョンは使えない。だから私は鞄から取り出した、ひとつの魔法薬の壜を片手に握りしめる。物理的な戦闘が苦手で、必死に作った魔法薬のひとつ、魔法睡眠薬。この薬を使えばドラゴンを眠らせることができる。

 私は睡眠薬を握りしめたまま、お母さんを置き去りに、ドラゴンに向かっていく。その大きな口が開かれ、口蓋が見えて、鋭い牙が迫り、私は――体を噛み砕かれて死んだ。


 ……なんてね。ドラゴンは幻を見ているだけ。私は死んでない。

 私がばら撒いた紫の粉末の名は幻蝶の鱗粉(フォールスケール)。摂取した者に幻覚を見せる、極めて強力な魔法薬。ドラゴンはこれを吸ったせいで、私がもうお母さんを連れて遠くへ逃げたのも知らず、宙に浮いた睡眠薬だけを飲み込んで、ほら、燃え盛る森へと落ちていく。

 これで何とか切り抜けられたかな。私はできるだけ遠くへ遠くへと逃げながらも、考えることはやめない。また魔物が襲ってくるかも知れない。睡眠薬はあとふたつ、回復薬があとみっつ、幻蝶の鱗粉がひとつ、魔水晶テトラクリスタルがひとつ……残りの道具を再確認していると、沈黙していたお母さんが突然に声をかけてきた。


「逃げるなら、あそこ」


 そしてお母さんは森の奥、ひっそりと佇む小さな洞窟を指さす。雨風を凌げそうな、暗闇の深そうな洞窟。まだ飛んで逃げたほうがいいような気がしたけど、私はお母さんに従って、そこに逃げ込むことにした。小さな入り口から洞窟に入ると、じめっとした空気を感じる。きのこがあちこちに生えていて、壁からは水が滴り落ちていた。

 お母さんを見ると、安堵したような表情で、奥のほうを見ている。緊急事態が起きたときに避難する場所は決まっていたけど、ここも避難場所だったかな。

 少し疑問に思いながらも先へ進んでいく。洞窟はますます暗くなり、風も全く無くなった時――急に白い光が溢れ、辺り一面が真っ白になった。

 ……妖精が結界を張ってるのかな?


 その白い空間の奥から、誰かが歩いてくる。軽やかな足音、人型のシルエット、その背に――黒い翼。頭上には円形の輪。イヴエルに似てるから、天使?

 確か、人間が「黒い翼の天使は良い天使、白い翼の天使は悪い天使」とか言ってたような気がする。私が知ってる白い翼の天使は悪い天使じゃないから、あてにならないけど。

 その黒い翼の天使は、私たちの方に近づいきて、中性的な声で言う。


「ご苦労、シルフィア」


 え……お母さんの知り合いの天使なんだ。お母さん、天使のこと知ってるなら、教えてくれれば良かったのに。

 そう思った次の瞬間、お母さんは顔を赤らめ、恍惚とした表情で翅をたたみひざまずき、返事をする。


「はい……ルシフェルさま」


 ルシフェル様? 主従の間柄なのかな。あるいは、恋仲……とか?

 そんなわけないよね。それって不倫だし。いや、でも、この表情は……。

 不倫の相手に会うために、この洞窟に連れてきたの……?

 お母さんに失望しかけていると、ルシフェルという名前らしい天使は言う。


「途中で天使には遭遇したか?」


 それに対して、お母さんが静かに言葉を返す。


「いいえ。誰にも会いませんでした。私の名付け親、風精霊シルフにもおそらく感付かれてはいません」


 ルシフェルが小さく頷いて、言う。


「そうか、なら問題無い。俺が直接に行けば、シルフが出てきてうざったいからな。お前を使って正解だった」


 お母さんはその言葉を聞いて、ぱあっと笑顔を咲かせて、まくし立てる。


「ありがとうございます! お褒めにあずかり、私は世界一の幸福者です……! 貴重な魔法薬を使った甲斐がありました!」


 ……なにかおかしい。会話についていけない。一体何が起きてるんだろう?

 私は耐え切れなくなって、お母さんに問いかける。


「ちょ、ちょっと待って。お母さん、何を言ってるの? ルシフェルとどんな関係なの? ここは妖精たちの避難所じゃないの?」


 けれど、私の問いかけに対しての反応はとても冷たかった。お母さんは見たこともないほど冷たい眼差しを私に向ける。まるで世界を滅ぼさんとする魔王のように。背筋がぞくっと震える。お母さんは視線と同じくらい冷たい声色で私に言う。


「邪魔をしないで。どうせあなたはおとり(・・・)にしか使ってもらえないんだから」


 おとり? 意味がわからないこと言わないでよ。

 私はしどろもどろになりながらも、言葉を紡ぐ。


「っ、お母さん、この洞窟に入ってからおかしいよ? 早く元の優しいお母さんに戻って……」


 言い切る前に、遮られる。


「元の? 私は元々こうだった。ずっと、ルシフェルさまの敬虔けいけんな信徒。ルシフェルさまに必要とされてさえいなければ、あなたなんて、どうでもいい」


 私が絶句していると、また、お母さんは信じられないような言葉を口にする。


「私はあなたの回復薬に幻蝶の鱗粉を混ぜて、里に妖精がいなくなったように見せかけた。森を飛んでいく途中で、ドラゴンが襲ってくるように見せかけて、あなたを誘導した。不思議なことに、里の誰もがそれに気づかなかった――きっとあなたが、必死に私に呼びかけるのが微笑ましかったから。私は、ただ妖精の鐘を鳴らしただけなのに」


 嘘。そんなの嘘。私は少し涙声になりながらも、言う。


「でも、でもなんで、そんなことをするの? そんなことして、どうなるの?」


 お母さんは本当に純粋な疑問を口にするかのように、首を傾げて言った。


「そんなの、ルシフェルさまに"エルンを連れて来い"と言われたからに決まってる。それ以外の理由が要る?」


 私は悲しくなって、何度もお母さんを説得しようとするけど、それに対してお母さんはルシフェルがいかに素晴らしいかを語るだけだった。

 そして結局、私はお母さんを説得することはできなかった。


「残念です……このお方の偉大さがわからないなんて」


 お母さんがそう言うと、今まで沈黙していたルシフェルが私に告げる。私にとって、最も残酷な、一言を。


「さて、お前にはイヴエルをおびき出す囮になってもらおうか」

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