天使による妖精革命
○
あ……
体の感覚が戻ってきてる。
やっと体を返してくれたみたいだ。
それにしても、街を水で沈めるなんて狂って……
「って、どうしよう!?」
目の前には完全に水に沈んだ街。
水はカナンの街の外壁を越えてあふれだしている。
そして水の中には大勢の人が閉じ込められていた。
急がないとみんな窒息死してしまう!
あれ?
よく見ると何か小さいのが動きまわってるような。翅が見えるから、エルフ?
一体どこから……いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
早く助けないと。
だけど、普通にこの周辺の水を消滅させたら人体の中の水まで消滅させてしまう。
それを防ぐには、街の範囲ですべての生命を認識して、それ以外の水を消滅させるしか無い。
天使の力なら理論上それが可能なはずだ。ぶっつけ本番だけど、やるしかない。
俺は全力で羽ばたき、水の球の中に飛び込む。そして天使の支配領域を限界まで拡張する。
「う……」
やっぱり情報量がかなり多い、けど、なんとか処理しきれるはず。
これは人、これはエルフ、これは……獣人かな?
俺はできる限りの速さで処理をしていく。
人と水を分離するため、物理的に水の流れを予測する。
それは未来予知じみた行為だけど、今の俺ならば不可能ではなかった。
……計算終了。
よし、これでいけるか?
処理が完了すると、すぐに詠唱を行う。
『水よ、虚空に帰れ!』
あれほど大量にあふれかえっていた水が、一瞬のうちに消滅する。
ギリギリなんとかなっただろうか。誰か死んじゃったりしてないかな。
いや、それについて考えるのはまだ早いか。俺にはまだやることがある。
そう。人々が落下するのを止めなくてはいけない。
水だけが消滅したから、人々が空中に投げ出されてしまったんだ。
だがしかし、俺がもう一度魔法を使う必要は無かったらしい。
『風よ!』
地上で風が吹き荒れる。荒々しくもやさしい風。その風の名はシルフ。風精霊シルフ。なぜかエルフがいる時点で察していたけど、やっぱり居たのか。助かった。後でお礼を言わなきゃいけないな。
彼女の一言と共に風が吹き、人々の落下速度が抑えられる。それと同時、俺の頬を少し強い風がなでて、声が聞こえた。
「(やりすぎ!)」
それは俺もまったく同感だ。奴隷を解放したいから街を沈めるなんて、おかしいに決まってる。
でもいくら俺がそう思っていても、傍から見たらどう見てもテロリストエンジェルだ。
やりすぎと言われても仕方ないし、言い訳をするつもりもない。
だから、素直に謝ろう。
「(ごめんなさい)」
「(……エルフたちのためにやったのはわかるけど、人の街を沈めて、多くの人が死んでしまったらみんなも悲しむよ?)」
「(うん、わかってる)」
今回のことは俺にも責任がある。きっと、エルフを助けるのに回り道をしてしまったのが原因で神の原罪を呼びおこしてしまったのだ。
だからよく考えて、反省しようと思う。二度とこんなことになってしまわないように。
周りを見ると、整然と立ち並んでいた建物の多くは無惨にも崩れ落ち、かつての整然とした景観は見る影もなくなっていまっていた。
それは街の中心の塔も例外ではなく、塔は見事に横倒しに倒れている。
この様子では、いくらすぐに水を消滅させたといっても多くの死者が出たのは間違いないだろう。
「……俺が、この手で人を殺したんだ」
猛烈な罪悪感と、良心の呵責が俺の心を苛む。動悸と吐き気が収まらない。
エルフは殺しを好まないと言っていた。そうしたら、俺は嫌われてしまうかも知れないな。
十分ありうることだし、もしそうなったとしてもこれは自業自得だ。
ゆっくり街に侵入している暇はなかったのに、なるべく人に迷惑をかけないようにしていた俺が悪いんだ。
周囲には、水をたくさん飲んでしまったのか、目を覚まさない人が多く見える。
その中にエルフやビーストなどの、いわゆる"亜人"は居ない。"ヒト以外に祝福を"、その詠唱のおかげなのだろう。
そして、エルフたちはその溺れてしまった人たちを精霊魔法で助けてまわっている。
エルフが溺れた人の胸に手を当て、詠唱すると人は水を大量に吐き出し、安らかな吐息をついた。
倒壊した家々の上に、倒れた塔の下に、ありとあらゆるところにエルフがいる。潰された人々を助けようとしているんだ。
エルフの治癒術士たちが下敷きになってしまった人を治していくのが見える。
俺も手伝わないと。そう気づき、エルフを手伝って飛び回る。ちらと見た空には、天を水で覆った影響か、雲はひとつも浮かんでいなかった。しばらく、雨は降りそうにない。
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エルフの協力で人の救助を終えることはできた。
だけど、その途中で何人もの死者を見てしまった。
水を吸って重くなった体、何かに向けられた恐怖の表情……それは俺に向けられたものだ。そう思うと、思考が止まるほどの衝撃が体を奔った。
それに人を助けてまわっている間も、俺を見た人の表情が怒りではなく、純粋な恐怖の表情だったのも無性に悲しかった。
俺を見て逃げ出す人もいたし、狂ったようになにかを唱え出す人もいた。
……どうやら俺はこの街の人間にとって恐怖の対象になってしまったらしい。
「イヴエル?」
エルンの声。けれど今は再開を喜ぶ気分にはとてもなれなかった。
「……なに?」
いつもの感じでエルンに言葉を返したつもりだったが、思ったよりずっとぶっきらぼうな言葉になってしまう。
だめだ。エルンにまでこの陰鬱な気分をぶつけちゃいけない。……いや、違うか。これ以上嫌われたくないから、エルンを遠ざけようとしてるだけだ。
「せっかく一緒に戦おうと思ったのに、来たらもう終わっちゃってたみたいだね」
「……というか、なんでここにいるの?」
気をつけてもまた、突き放すような言い方になってしまった。
それでもエルンはいつもどおりの調子で言葉を返してくれる。
「それは、イヴエルと一緒に戦うために決まってるじゃない」
「私にまかせてって言ったはずだけど」
「……それでもイヴエルの性格から考えて、皆が不安になるのも仕方ないと思うよ?」
「なにそれ、私が寝返ったりするとでも思った?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
エルンは否定したけれども、確かに俺のこの優柔不断な性格では敵に寝返ってしまうのを考慮されても仕方がない。
そう自分に言い聞かせても、心の底から湧き上がってくる負の感情を抑えることは簡単ではなかった。
「私が悪いんだから、はっきり嫌いって言ってよ!」
自分が何を言っているのか、分からない。自分の体が自分のものでなくなってしまったみたいな感じがする。
感情がどんどん高ぶっていく。それもすごく悪い方向に。
「落ち着いて、イヴエル」
エルンが俺を抱きしめて、耳の側でささやく。小さな息遣いを感じる。自分の息が荒くなっているのを自覚して、恥ずかしくなった。
エルンは続けて言う。
「私たちを助けようと必死だったんでしょ? それなら、私がイヴエルを嫌いになるわけないじゃない」
自分の頬を涙がつうっと伝うのを感じた。我ながら、たった一言で心をここまで揺り動かされるなんておかしいと思うけど。それでも、その言葉が嬉しくて、一気に安心してしまって、体から力が抜けた。
血がのぼった頭も冷静になり、自分の言ったことを思い出す。今度は顔に血がのぼる。
嗚咽、いろいろな感情が交じり合って上手く発音できないけれど、泣きながらも頑張って言葉を紡ぐ。
「ご、ごめ……なさっ」
「謝らないで。どうせなら、ありがとうって言って欲しいな」
「……ぐすっ。ありがとう、エルン」
「どういたしまして」
どういたしまして。その言葉を反芻しながら、俺の意識は闇に呑まれて……
「もう、小さい子どもみたいな寝顔して。おやすみ」
頬に柔らかい感触。一瞬で眠気が消し飛んだ。
「なっ、ななななな、なにするのっ!?」
「なにって、ちょっと頬にキスしただけだよ……?」
「き、きす……」
キスってなんだっけ? 愛するひとにすること、っていうことは、エルンに愛されてる?
その感触を思い出して、頬を触る。俺の頬はとても熱くなっていた。
「だ、だめ……」
後ろに飛んで、後退る。何故そうするのか自分でもよく分からなかった。
「イヴエルあわてすぎ」
そう言って、エルンはくすくす笑った。
「あの……今お邪魔でしょうか」
「ふえっ!?」
み、みられてた? うわーはずかしい。
その、もの悲しい掛け声に驚いて振り向くと、かつて街の噴水で精霊魔法を使っていたエルフの少女が控えめに頭をかきながら立っていた。
名前は確か、ピュラ・セントリバー。彼女は元妖精王で、この街に捕らえられていた。
「ピュラさま?」
エルンが小首を傾げて、彼女に問いかける。
「あなたは……確か、リーンさんの孫のエルンさんでしたね。お久しぶりです」
「わあ! 覚えていてくれたんですね」
「ええ、もちろん。あれは里の木々の実が月白色によく熟れた頃のことでした。よく覚えていますよ……」
彼女らは世間話を始める。毎度のことながら、ふたりきりの時は会話できるのに、三人目が来ると突然会話に参加できなくなるな。彼女らが楽しげに談笑するのを俺は眺めていることしかできない。ああ、これがぼっちの宿命か。アーメン。
「……なるほど。あなたも助けてもらったのですね」
「はい。イヴエルはとっても強いんですよ!」
でも、どうやら彼女らは俺のことを忘れているわけでもないようだ。
時折俺についての話題も混ぜてくれている。
なお聞き耳を立てて、自分の噂を敏感に聞き取って一喜一憂するのはぼっちの必須スキルである。悲しいかな。
そしてしばし彼女らは語らったあと、ピュラは俺に低頭してお礼を言う。
「この度は、本当にありがとうございました。おかげでエルフたちは皆解放されました」
「いえ……そんな大層なことはしていません……」
事実である。街を水に沈めただけなのだから。俺のしたことは善良な行いでもなければ、英雄的行動でもない。
「謙遜する必要はないですよ。私たちは、あなたがやさしいということをよく知っています」
「そうだよ、イヴエル。元気出して!」
だけど、彼女らの励ましは、心の奥底まで届いて、もやもやとした闇を取り払ってくれた。
ふたりとも、本当にありがとう。
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こうして、初めて人を殺してしまい、極めて不安定になった俺の心は正常に戻った。
罪を忘れたわけではないけど、ひとまずは心の奥底にこのことはしまっておこう。そう思った。
そして心が落ち着いた後、どうしてエルフたちがこの街にいるのかをエルンに聞いた。
エルンによると、どうやら俺と一緒に人間と戦うため、有志たちがアルヴヘイムから大河を舟で渡り、体に空気の膜を張って大カナンの湖で潜伏してくれていたらしい。
その大カナンの湖に街を沈めた水が流れこんだことによって、エルフたちが街へ流れてきたんだとか。
彼らは俺が下手を打ったときのために待機していたんだそうだ。きっとその目的は達せられたということだろう。俺にとっては、恥ずかしいことだけど。
それで、街を沈められた街の住民たちは俺に恐れをなすようになり、街の復興を手伝おうとしても領主に怯えた顔をされて拒否された。
街のどこへ行っても俺のことを化物……いや、悪しき神でも見るような目で見られるのは、少し心に堪えた。
だから多分、彼らは二度とエルフを捕まえたりはしないだろう。そこは唯一良かった点だった。
いろいろと酷いことをしてしまったが、本来の目的だった奴隷の解放は、しっかりと達せられたのだ。
奴隷にされていたエルフが泣きながら家族と再開するのを見て、俺の心も少しだけ和らいだ。
だけど、きっともう俺に話しかけてくれる人はこの街にはもういないんだろうな。そう思った矢先のこと。
「天使様! 俺を信者にしてくれ!」
誰だろうか。そう思って声のした方を見ると、日本から転移させられた哀れな男、カイトがいた。
なにやらよくわからないことを言っているが、この人は死んでしまった街の人のことを考えるべきだと思う。不謹慎だ。
「いや、意味わかんない」
「そんな!? 何がいけないんだ! 俺は幼女のしもべになりたいだけなのに!」
「下心丸出し……」
呆れたような目線をカイトに向けると、彼はより興奮してしまったようで俺に詰め寄ってくる。
「頼む、一生のお願いだ!」
彼は土下座して俺に頼み込む。恥ずかしいからやめて欲しい。
「実は俺男なんだ」
「俺口調の幼女! それもありだな!」
ああ、もう相手するのが面倒になってきた。
だから俺は適当にあしらうことにした。
「……はあ、勝手に信じればいいでしょ」
「やったあああああああ!!!」
すさまじい喜びようだった。その声を聞きつけて彼の彼女、リベカだったか? が彼に駆け寄って、
「最低!」
強烈にビンタをした。いたそう。
でも、自業自得だ。彼がロリコンなのが悪いのだ。
ちなみに彼の奴隷のうち、エルフやビーストなどの"亜人"はエルフの手によって解放されたらしい。
まあ、その一部は彼を慕って戻ってきたらしいが。
……うらやましい。
黒い嫉妬の感情を抱えながらも、街を見渡す。空には虹の架け橋がかかっていた。
人は復興を手伝うエルフにようやく人と似通ったものを感じたのか、言葉が通じなくても、エルフにやさしい笑顔を向けている。エルフもそれに応えて手を振っていた。
案外、人とエルフの共存がこの街で実現してしまったのかもしれないな、と俺は思った。
その光景を眺めたあと、はぁ、とひとつため息をついて空へ飛び立つ準備をする。
エルフの持ってきた青白い草、リーン草。それを無理やり人に食べさせようとしてエルフが頭をぽこんと叩かれた。人の子供がエルフと取っ組み合いのケンカを始めるが、最後には笑い合って手を取り合う。エルフが冒険者と一緒になって魔物を追い払ったり、一緒に瓦礫を片付けたり。どこからやってきたのか分からない露店が不思議な品を並べて、それを食い入るように見つめる好奇心旺盛なエルフもいる。
そういう風景を、もう少し眺めていたい。俺はそう思って思いなおし、翼をたたんで、崩れてしまった街の壁の上にちょこんと座りなおした。




