黒歴史の紡ぎ方
俺は布団に埋まっていた。
外には出たくなかった。
誰かからやさしくかけられる声にも、拒絶するような声で返した。
そうすると、寝室のドアがゆっくりと閉まる音が聞こえた。
激しい自己嫌悪に襲われる。
それが引き金となったのか、さっきの醜態がフラッシュバックして、シーツを強く握りしめて悶える。
後悔が完全に頭を支配している。誰に向けているのかもわからない悪口が、頭の中をぐるぐるとまわっている。
「……しにたい」
つぶやくと、どこかから声が聞こえたような気がした。
きっと空耳だろう。そう思ってかぶりを横に振っても、やはり声は聞こえた。
――ほんとに、しにたいの?
神の原罪、かつてそう名乗った俺の二重人格。
それが、再び現れてしまったみたいだ。
今は正直かなり落ち込んでいるから、現れないで欲しかった。
久しぶり、と返す気分にもなれない。
――質問に答えて。
うるさいな。静かにしてよ。
――答えないなら、また体を乗っとるよ?
はあ、しょうがないな。しにたいよ。これで満足?
――そう。それなら、体を乗っ取っても別に問題ないよね。
いや、待って、それは、
○
「んー、おはよう、世界」
わたしはお布団から抜け出ると、ベッドのそばに立って伸びをする。
今日もきっといいお天気だ。
――勝手に体乗っ取らないでよ。こんなの理不尽だ。
あなたがしにたいって思ったのが悪い。
あきらめなさい。
――体返せ。
やだ。
これは、わたしの体でもあるんだから。
――意味わかんない。
わからなくていいよ。
わたしは、脳内で文句を言ってくる頭の悪い方のわたしを無視して、それなりに豪華な装飾の施された寝室から出る。
ヒトの肖像画とか、そんな感じの趣味の悪い絵がかけられた廊下を歩いて行くと、中年のヒトとばったり出会った。
「……もう、落ち着いたか?」
「わたしに話しかけるな、クズ」
ヒトはばかだからきらいだ。
正直、もう話しかけないで欲しいと思う。
「……ずいぶん機嫌が悪いみたいだな。また後で話しかけるようにしよう」
わたしの気持ちをなにもわかってない。
永遠に話しかけるな。そう言おうと思ったけど、めんどうなのでやめた。
苦々しげな顔をした、そいつの横をわたしは通り過ぎる。
できるかぎり近寄らないように、廊下の壁ぎりぎりまで迂回した。
――ちょ、ちょっと。セムにひどいことしないでよ。いろいろお世話になったんだから。
頭の中であほが喚いているけど、知ったことではない。
わたしはさらにいくらか廊下を歩いて行き、階段にたどり着いた。
階段の横の柱には案内書きがある。
<↑3F 魔導研究所>
<↓1F 冒険者ギルド>
わたしは下へ階段を駆け下りる。
その途中で何人かのヒトと遭遇した。
彼らはみな少し驚いたような顔をしたけれども、声をかけてくることはなかった。
殊勝な心がけだと思う。
――どこいくの。冒険者ギルド?
そう。冒険者ギルド。
――なにしにいくの。
冒険者を皆殺しにする。
――冗談?
本当。
――んー、頭おかしいんじゃない?
そう? あなたにもそのうち理解できると思うよ。
――絶対にありえない。
いくら拒否しようと、いずれそうなるんだけどね。まあ、別にどうでもいいけど。
――はあ……神の原罪か。確かに、お前みたいに邪悪な存在を創ってしまった神は、ある意味大きな原罪を抱えてるんだろうね。
原罪って、ヒトが最初に犯した罪のことだよ。神の罪のことじゃない。それに、天使の罪のことでもない。
――言葉のあやだよ。それに、お前がそう名乗ったんじゃないか。
そういえばそう名乗ったかな。
――自分の名前忘れないでよ。
はいはい。
わたしはイヴエルと下らない会話をし終えると、駆け下りてきた勢いのままに、冒険者ギルドに飛び込む。
白を基調とした壁に、金の壁細工。槍や剣や盾を持った騎士の鎧が、壁に背を向けていくつか立っている。
ギルドの中心にある、円形のカウンターには冒険者が長蛇の列を作っていた。
冒険者たちは魔物の一部分、宝石、薬草などを持って並んでいる。
ここでは街の外で取ってきたものを買い取っているんだと思う。
そのカウンターへと、わたしは早足で近づいていく。
列に並んでいる冒険者がこちらに注目してくる。憐れむような視線がうざったい。
見ると、さっきまでカウンターで冒険者をさばいていた受付嬢、獣耳が生えた少女もこちらに注目している。
そしてわたしに言った。
「え……ええと、なにか御用でしょうか」
「用? おまえにそんなものはない」
「はあ、そうですか……?」
「このギルドで一番偉いやつを出せ。さもなければしね」
わたしがそう告げると、彼女は諭すような口調で話し始めた。
「あのですね、いくら人前でお漏らしして、恥ずかしかったと言っても"死ね"なんて言っちゃいけません。小さい子の言葉だとわかっていても、傷つく人はいるんですよ? それに、それは人に頼みごとをする態度じゃありません」
なにこいつ。
わたしの言うことを聞かないなんて、頭がどこかおかしいのかな?
そう思ったけど、わざわざヒトモドキを介する必要なんてないと思い直した。
つまり、魔法で探せばいい。
わたしは息を少し吸い込んで、歌うように詠唱する。
『じーぴーえす』
ヒトの位置を探索する魔法。
一度見たことがあるヒトならば、どこにいても見つけることができる。
頭の中に立体的なマップが広がって、目的のヒトの位置に赤い点がつく。
赤い点はこの塔の二階から一階へと下りてくる。
うん、こちらから出向く必要はなかったみたい。
わたしの下りてきた階段のほうを見ると、黒髪黒目の少年が階段をゆっくりと下りてきていた。
彼がこのギルドで一番偉いに違いない。
「やあ、機嫌は直った? さっきセムに聞いたら、"今は彼女は機嫌が悪い"って言ってたけど」
わたしは調子のいいことをいっているそのヒトに向かって、低姿勢で駆ける。
その直線上にある、ギルドのゴミ箱からぼろぼろに錆びたナイフを一本掴む。
そこで、そのヒトが軽く構えをとった。その程度でわたしを止めるつもりなのか、と少し自分の口端が上がるのがわかった。
右足を自分から見て左側に踏み込み、体をねじりながら思い切り跳躍すると、視界が何度か回転した。
一回、二回、三回、勢いが十分ついたら、空中で、ナイフをそのヒトの首筋めがけて振りかぶり――そこで体が止まった。誰かに両腕を掴まれてる?
「カイトさま、この子は危ないです。外に捨ててきたほうがいいのではないですか?」
「確かに刃物を振り回すのは危ないが、外に捨てるは言いすぎだ。ちょっとお仕置きするくらいでいいだろ」
「ですが、もしあなたさまの体に傷でもついたら私は……!」
「リベカ、君に傷がつくほうが俺は怖い。俺は大丈夫だから」
「カイトさま……!」
なにこれ、気持ち悪っ。こいつら脳みその代わりにわたあめ詰まってるんじゃないの?
あー、鳥肌が立った。というか早く腕を離せ、猫耳女。
わたしを捕まえながら男と接吻しようとするな。
さっきから暴れてるけど、この女は全くわたしを離そうとしない。
周囲の冒険者は口笛をひゅーひゅー吹いている。うるさい。
あまり気持ちのよくないキスシーンを嫌というほど見せつけられた後、彼らはわたしの処遇について話しだした。
「それで、この子どうします?」
「俺が預かろう」
「本当に、大丈夫なんですよね?」
「ああ。なんとかなだめてみるさ」
男がそう言うと、わたしを女から受け取って、神妙な顔で語りかけてきた。
「どうしたら、許してくれるんだ?」
わたしはぼそっと何かをつぶやくフリをする。
彼は耳をわたしに近づける。
だからわたしは小声で言ってやった。
「二度とエルフを無理やり捕まえようとするな」
彼も小声で返してくる。
「……君は、エルフにそう言えって頼まれたのか?」
はあ。救いようがない。
わたしの意志で言っているに決まっているのに。
もう決めた。こいつは殺す。
――黙って見ていれば、本当にろくなことをしないな、お前は。変なこと考えたり、言ってばかりだし。人を殺して良いわけないじゃないか。これ以上俺の黒歴史を増やさないでほしい。
静かになったかと思えば、またイヴエルが出てきた。
黙って見ていればいいのに。
――エルフを捕まえてほしくないのは、俺も同じだけど。それでも、話し合いとか、手はいくらでもある。殺してしまうべきじゃない。
そうかもね。でも、そうしても意味のない相手もいる。自分が常に正しいという振る舞いをして、周囲に甚大な被害を出すやつ。特に、力を持っていれば持っているほど。
こいつもそう。生かしておくべきじゃないと思う。
――じゃあ、せめてちょっと怖がらせて、行動を制限するくらいにしておいてよ。体を乗っ取られてるとは言っても、俺は人を殺したくない。
わかったわかった。殺さないなら、いいよね?
イヴエルと話していたから、少しのあいだ黙っていたわたしを、男はじっと見つめている。
さて、少しだけ天使の力を使わせてもらおうっと。
『翼よ』
わたしは天使の容姿へと自分の体を変貌させる。
翼、光の輪、金色の髪と瞳。
宙に浮かんで、ギルド内のすべてのヒトを見下す形になる。
「……天使」
誰かがそうつぶやいた。一瞬の間をおいて、ギルド内のヒトが狂乱して逃げ出していく。
だけど、わたしに立ち向かってくるヒトもいた。
カイトと、猫耳女は、リベカ? かな。さっきまで私と話していた、そんな名前のヒト。それと、ヒトの中ではまだ強そうな、何人か。
「まさか、お前が天使だったとはな」
カイトが真剣な声色で言う。今更気付いたの?
翼と光の輪と髪の色以外、ほとんど同じ容姿だったのに。
わたしはてきとーに腕を振る。
ギルド内に暴風が吹き荒れた。
その風を受けても、吹き飛ばされるヒトはいない。
みな、腕を前に出して、飛んでくる椅子とか鎧とかから身を守っている。
「カイトさま!」
リベカが決死の表情で彼の前に出て、彼の身を守る。
彼女が荒れ狂う風を受けて、目を閉じた一瞬、わたしはカイトの目の前に移動する。
そしてわたしは彼の黒い目を見て、エルンのときと同じように、言った。
『わたしに記憶よこせ』




