始まりの焔
少年、明星雄星は何処にでもいる、と言うわけでもないがごく普通の高校一年生である。とは言っても、まだ入学して日は浅く、たったの二週間である。
田舎の学校で、町の人間は決して多いとは言えなかったが、意外にも不便な点はない。
平和で、とても温かい雰囲気のある町だ。
彼が住むのは小さな一軒家で、周りにはあまり建物がない。
元々は都会に住んでいたが、中学時代に起きた『とある事故』によってここに来ることになった。
雄星は両親をその事故で亡くしてしまったが、不思議とそこまで悲しみを感じなかった。
まあ、両親は仕事が忙しくて雄星に構う余裕がなかった分、感傷は大きくなかったのかもしれない。
雄星が薄情者だったという可能性も無きにしも非ずだが。
少なからず高校生活に不安を感じていたが、どうやら杞憂だったようで、今は毎日が楽しみでしょうがない。
そんな、高校生活が始まったばかりの平和なある日。
雄星は出会うことになる。
蒼髪金眼の小さな少女に。
そしてその出会いは、雄星の運命を大きく変える。
__平和とは程遠い未来へ。
▼四月二十一日
空が青かった。
雲ひとつない晴天。
眩しい太陽が全てを照らし出す。
嘘のような平和な一時。
午後の授業。昼食後だというのと、暖かい春の陽気とで眠気が襲ってくる。
四月七日に入学式があり、そのクラスの数に驚いたのは日に新しい。
たったの2クラスである。人数も30人前後。
都会に暮らしていた雄星にとっては珍しい光景だが、しかし彼は新しい場所での生活に期待を膨らませていた。
自己紹介のとき、あの事故のことを話してしまった。
数日程度は皆、余所余所しかったが、意外なことにすぐにクラスに溶け込むことができた。
クラスメートは良い奴ばっかりだ。
しかも田舎暮らしだけあって逞しい。
便利な都会でのうのうと生きてきた雄星とは違う。
授業が終わって、帰りのHRが終わる。
何時ものように、友達と他愛のない雑談を交わす。
部活に入っていない雄星は、友達と別れて帰路に着いた。
その途中、誰かが近づいてくる気配に気づいた。
「おーい、アキオくーん」
少女の声である。
ちなみにこの『アキオ』というのは雄星の愛称だ。
『明』星『雄』星、そこから発展して『明雄』になった。
雄星は、声のした後ろを振り向く。
雄星のような茶髪ではなく、漆塗りのような黒い髪。
前髪を黒と白のピンセット止めている。
髪の長さはセミロングくらいだ。
目はパッチリと開いて、小ぶりな鼻と唇が可愛らしい。
入学以来、雄星によく引っ付いているこの少女、名前を花咲香という。
「やほー」
香は明るく声をかけてくる。
「やあ、花咲さん。……家はこっちだっけ?」
何時もは会わないのだけど、と思って聞いてみた。
すると少し恥ずかしそうにもじもじし始める。
「暇だから、アキオくんの家は何処なのかなーって。ついて来ちゃった」
そう言って香は舌を出した。
その仕草は何と言うか、とても可愛らしかった。
「僕の家って言っても、そんなに面白いことはないよきっと」
雄星は率直な感想を述べる。
正直言って、小さい。
自分一人が生活に困らない程度の広さしかない小さな一軒家なのだ。
特にこれといったものがある訳でもない。
しかし、香は気にする様子も無く、
「いいの、行ってみたいだけだから」
とだけ言って、雄星の隣に歩いてくる。
女の子の友達は向こうにいた時もいた。
けれど、こんな風に緊張するのは初めてかもしれない。
空は夕陽が差していた。
この町の雰囲気に夕焼けはとても合う。
そんな中、可愛い女の子と一緒に歩いているというのは、ちょっと嬉しい。
「ねえ、アキオくん」
「うん、なに?」
「ちょっと……聞いてもいいかな」
何やら、真剣な眼差しで見つめられて少しドキドキする。
「?……まあ、僕に答えられることであれば、どうぞ」
「えっと……あ、アキオくんって……」
最後の辺りがもごもごしてうまく聞き取れなかった。
何だろう。気のせいか香の顔が赤い気がする。
「なんて?」
「……!えっと、その、アキオくんは事故のせいでここに来ることになったって聞いてるけど」
「ああ、あの事故か」
「……聞いちゃいけなかった?」
「ううん、気にしてないよ」
そう言って雄星は微笑む。
雄星の住んでいた街で起きた『とある事故』。
原因不明の大災害。
ここ数年で増え始めている、理不尽の象徴のような現象。
中学の研修で街を空けていた雄星たちは奇跡的に助かったが、街はチリ一つ残さず焦土と化していた。
その被害範囲は、直径10kmにも及ぶ。
学校の生徒は大きなショックを受けてしまい、様々な支障が出た。
その中でそこまでショックを受けていないものは雄星だけだった。
だが、何故だろう。
ショックを受けていないはずなのに、他の生徒とは違う症状が出始めたのだ。
あの現象を目の当たりにしたあの日から、よくわからない夢を見るようになった。
起きると夢の内容はまるっきり忘れてしまっているわけだが、偶然とは思えなかった。
あの事故には、何か自分の知らない秘密があるのかも。
……なんて。
そんな事を考えた時期もあったが、流石に発想が飛躍しすぎだろう。
漫画の読みすぎだと言われかねない。
それに、その夢のせいで何か問題が起きている、何てこともない。
そんな、取り留めもない話を香にした。
ある種の個人情報だが、何故だろう。口から言葉がスルッと出ていったのだ。
「……なんでそんな大事な話、私にしてくれたの?」
不思議そうな顔をされる。まあ、当然の疑問である。
だが、雄星にもわからない。
__僕が一番知りたいよ。
そう思いながら。
その後、他愛ないお喋りをしながら、雄星は自宅へと帰った。
香は当然のようについて来たが、まあ、気にしないことにした。
▼四月二十五日
今日は休日だった。
雄星は近くの山にある山小屋へ遊びに来ていた。
ここ最近は、暇さえあれば遊びに来るのが習慣になってきた。内装も自分なりに改装してある。
四日前は、香が家までついて来た。その日はそこで別れた。
そしてその翌日は、香が家に上がり、少しお茶をして、暗くなってきたのでお開きになった。
それ以来、と言っても一昨日昨日の事だが、特に変わった様子もなく、普通に喋っていた。
なぜか前より少し余所余所しくなった気がするのだが、気のせいだろう。
昨日だけは、気のせいではないと分かるくらいに距離を取られていたが。
__まあ、いいか。
今は音楽を流しながら本を読んでいた。
山の木々が太陽の光を遮り、木漏れ日が暖かく心地が良い。
窓は開け放しているため、鳥や虫などが入ってきて自然と一体になっているようだ。
昼時に小部屋を出て、隣の部屋に行く。そして雄星は簡単な昼食を食べて、外へ出た。
手には釣竿が一本。ただし魚を釣るわけではない。
近くの泉にただぶら下げてボーッとしているだけだ。もちろん、魚を釣ることもあるが。
山小屋から上に登ること五分。泉に着いた雄星は丁度良さそうな芝生に腰を下ろして釣竿を放る。
そうして何分経ったのだろうか。
肩に一羽の雀が止まる。
以前、自然の中で暮らしていた雄星は動物達の言葉がなんとなくわかるようになっていた。
そしてこの雀は、危険な存在がこの山に来た、と言っているようだ。
__危険な存在?
不穏なワードに眉をひそめる。
瞬間。人の足音がした。
この感じだと、かなり大きい。この足音の主が危険な存在なのだろうか。
そう思っているうちに、予想通り長身の男が姿を現した。
筋骨隆々で、顔には独特なヒゲを伸ばしている。
その男は、雄星をジロリと一瞥する。雄星は少し構えた。
やがて男は口を開く。
「おい、そこのガキ」
「……僕のことか?」
「他に誰がいる?」
「……何か用かな?」
正直なところ、危険な雰囲気を醸し出しているこの男を前に、少し焦っている。
何をするかわかったものではない。そんな感じがする。
少しの沈黙の後、再度男が口を開いた。
「このくらいの女のガキを知らねぇか?」
『このくらい』を示す男の手は、男の胸よりも下の方にある。下手をすれば腰あたりだ。
彼が探しているのはよっぽど小さな少女のようだ。
「女の子、ねぇ」
知らない。
少なくとも、この山で見た覚えはない。
「蒼い髪のガキなんだがな」
「……知らないな」
小柄な少女なら見たことはなくもない。だが蒼髪。
そんな子見たこともない。なんならこっちが見てみたいくらいだ。
「そうか、邪魔したな」
そう言って男は背を向け、のっしのっしと去って行く。
「見たら俺に教えろよ」
それだけ、言い残して。
何だか、気分じゃなくなってしまい、雄星は山小屋に戻って再び出かける。
今度はただの散歩である。
実を言うと、件の女の子を見つけられたら見つけたい、というのも無くはない。
だが、そんな少女普通に考えていないだろう。どうせ染めてるとかそんなんだ。
そんな事を考えながら、山の中を気の向くままに歩いて行った。
「うっ……くぅ……」
足を引きずりながら歩く。
何とか意識を保っているが、激痛と疲労の蓄積で朦朧としていた。
苦悶の声を漏らしながら、足を進める。
「っ……!あ__うぐっ!」
激痛が全身に走り、足を止めてしまう。
その瞬間、足がもつれて地面に倒れる。意識が飛びそうなほどの激痛が頭を掻き回した。
「っ……私は、もう、ダメなのかな……」
息絶え絶えとしながら呟いた。
山の中に逃げたのは正解だった。どうやら追っ手は撒いたようだ。
しかし同時に失敗だった。この後、どうすればいいのだろうか、先の事は考えてなかった。
__このまま、死んじゃうのかな。
何故か胸が苦しくなる。
何故だろう。私には、何も残っていないはずなのに。
少女の眼には涙が溜まっていた。
__嫌だな。死にたく、ないな……。
けれど、体はすでに限界を迎えていた。
少女の意識は、徐々に暗闇に包まれていった。
山の中をフラフラする事30分程。
やはりそんな少女は簡単に見つかりそうになかった。
というか、人っ子ひとり見当たらない(当たり前か)。
雄星は小さくため息をついて、フラフラと歩く。
その時、微かに物音が聞こえた。
少し離れているようだが、おそらく何かが倒れた音だ。
山の動物は家族も同然。死んでしまっては大変だ。
雄星は物音のした方へ小走りに駆けて行く。
「……!」
そして着いたと同時に言葉を失った。
倒れていたのは、身長150cmも無い少女。しかも蒼髪。あの男が言っていた特徴と一致している。
__本当にいたのか。
落ち着いているように見えるが、内心ではとても驚いている。
顔は仰向けになっていてわからないが、染めているんだろうと思っていた蒼髪は地毛のようだ。
だが、その少女を見ているうちに疑念が膨らんでくる。起きないのだ。
どうしたのかと思った瞬間、雄星の鼻にある匂いが入ってくる。これは__
「っ!おいっ⁉︎大丈夫か⁉︎」
血の、匂いだった。
うつ伏せで倒れていた少女の体を起こすと、右脇腹の辺りにヌメッとした生暖かい液体が手に触れる。
悩んでいる余裕はなかった。
少女の服を捲る__流石に脱がすのは気が引けたのだ。
「うっ」
思わずそんな声が漏れてしまった。
右脇腹に大きな裂傷があった。しかも未だに血が流れ続けている。
「これは、ヤバイな……」
珍しく動揺する。
まあ、この状況で冷静でいられる人間なんて限られてくるだろうが。
とにかく止血をしなければ。
雄星は着ていた服を脱いで、少女の脇腹に当てる。ついでに少女が着ていたコートを破り、なるべくきつく腹回りに結びつけた。
そして少女を抱えて、なるべく静かに、しかし急いで山小屋へと戻った。
ここは、夢か。
少女は暗闇の中で目を覚ます。
いや、夢の中なのに目は覚めないだろう。
空がとても黒かった。厚い雲が、空を覆っているのだ。
周りには、夥しいほどの瘴気が漂ってた。
目の前には、体から瘴気が漏れ出す一人の人間。
その人間は、震える唇を開き、一言だけ言った。
__君の手で、壊してくれ。
その人間の顔も、声もわからない。
何を壊して欲しいのかわからない。
わからない。
その時、少女の眼の前に、蒼い焔が現れた。
その蒼い焔は言葉を発した。
しかし、何を言っているのか、わからない。
__何で私は、こんな体もない何かが言葉を発したってわかったんだろう。
瞬間、少女の目の前は光に包まれ、浮遊感が彼女の体を襲った。
「……」
ぱち、と目を開く。
焦点が合わないのか、視界がぼやけている。
何度か瞬きをして、ようやく視界がはっきりしてきた。
どうやらどこかの家のようだ。運良く誰かに助けられたらしい。と。
「あ、起きたかい?」
なんて呑気な声が少女の鼓膜を叩く。
その声は少年のものだった。
そちらへ視線を向けると、茶髪に少しパーマがかかっている、十代半ばの、やはり少年がいた。
大人しそうな、あるいは優しそうな表情をしていた。
体格は特別良くも悪くもないが、少し痩せているだろうか。
と、そこまで考えて。
自分がこの目の前の少年に拾われたことに気づいて目を見開く。
「……ひゃわぁ⁉︎」
「え、どうした⁉︎ちょっと待って今そんなに動くと__」
「っ……いったぁ……」
脇腹に激痛が走り、腹を抑えて蹲る。
「ほら言わんこっちゃない……そんな大怪我してるんだから取り敢えずじっとしてなって」
そう言って少年は少女の肩を掴んでゆっくりと下ろした。
「……あなた、名前は?」
警戒心から、そんな言葉がでる。
少年は一瞬キョトンとしたが、フッと微笑んで名乗る。
「__明星雄星」
何故だろう。警戒されている気がする。
名前を聞かれるのは良いとしても、こうも警戒されると少し居心地が悪い。
改めて少女の顔をよく見ると、その眼も特徴的で、金色だった。
あらゆる意味で特徴的である。
ずっと黙っているのも気まずいので、雄星も質問を返す。
「君の名前は?」
「え?」
「いや、僕も教えたんだから、名前くらい教えてくれてもいいんじゃない?」
「……ない」
「へぇそっか。ナイちゃんか……無いの?」
「必要ないもん」
あまりの驚きに一瞬スルーしてしまったが、どうやらこの少女、名前がないらしい。
しかしそれではこの少女をなんと呼べば良いのか。
「じゃあ、僕が名前を考えるよ。そうだな……」
「そんなのどうでもいい。どうせ、あなたと関わるのはこれっきりなんだから」
「そう言わないで。うーん……」
少女は冷たいことを言うが、気にせず考える。そして。
「……よし、『ミウ』なんてどうかな?」
「……みう?」
「美しい雨と書いて『美雨』。ダメかな?」
「……」
正直、思いつきだった。
少女の容姿が蒼を象徴しているように思えて、それで思いついたのだ。
だが、
__それだけじゃ、ないか。
雄星は自嘲気味に笑う。
少女は黙り込んでしまった。
気に入らなかったのだろうかと不安になるが、やがてポツリと呟く。
「……ミ、ウ」
「ん?どうしたの?」
「!……なんでもないっ!」
「じゃあ、改めてよろしく。ミウ」
「……っ!」
バシッと雄星の手を弾いた。
なんか少し頬が赤いところを見ると、素直じゃないなぁと微笑ましくなった。
気になることが多くあったので、雄星は一つ一つ質問をしていくことにした。
「ミウは何で怪我をしてたんだい?すごい裂傷だったけど」
「……別に、あなたには関係ない」
「まあ、そうかもしれないけど。どこから来たの?」
「別に、どこでもいいでしょ」
「……じゃあ、何でここに来たの?」
「たまたま」
「……」
どうやら、まともに取り合ってくれる気は無さそうだ。
そういえば、ミウに会う前、大男にあったのを思い出す。彼はどうやらこの少女を探しているようだった。
「なぁミウ」
「なに?」
「薙刀持ってるデカイ男が君の居場所を聞いてきたんだけどさ」
「え……⁉︎」
ミウは目を見開く。あまりにもわかりやすい反応だった。
「何か知ってるのかい?」
「……何でもいいでしょ」
答えてくれる気は無さそうだった。まあ、仕方がないことかもしれないが。
すると、ミウの腹が可愛らしい音を響かせた。
そして面白いほどに真っ赤になった。思わず笑ってしまった。
「な、何よ!」
「いや、何でもないよ。お粥でも作るからじっとしてて。じゃあ、また後で」
雄星は部屋を出た。
__あいつは何なの?
それは、雄星と喋っていて思った事だった。
なんか妙に馴れ馴れしいし、幾ら少女相手とは言え、見知らぬ人間にそこまで良くしてくれる理由がわからない。
今まであまり人と関わることがなく、こうして面と向かって喋るのは初めてだったかもしれない。
そして、喋っている中で、一つ謎に思うことがあった。
彼が自分に『ミウ』と言う名前をつけた。
けれど何故だろう。初めて聞くはずのその響きが、妙に懐かしく感じた。
物思いにふけっていると、窓から心地の良い風が吹いてくる。
そして、ハッと気づいた。
今、雄星はこの部屋にはいない。
今なら抜け出してもバレないだろう。まだ本調子には程遠いが、歩く程度ならできるはずだ。
じっとしてるなんて冗談じゃない。
ミウは立ち上がる。
相変わらず脇腹に激痛が走るが、少し和らいでいたため我慢できないほどではない。
そのまま布団を回り込んで、空いた窓から外へ出た。
「いっ……⁉︎」
地面に足を下ろした瞬間、痛みで声が漏れてしまった。
だが、幸いにも気づかれていないようだ。
何とか痛みから立ち直り、足を引きずりながら歩く。
そしてそのまま10分ほど時間が経って、ミウの体に限界がきた。
それでも構わず足を進めようとするが、あまりの辛さに膝をつく。
「ハァ…….ハァ……」
少し歩いただけなのに、すごく息が荒い。唾に混じって血の味がする。
歯を食いしばって立ち上がろうとした時、何かが接近してくる気配を感じた。
__まさか、もう見つかったの⁉︎
徒歩とはいえ、先ほどの小屋からはそれなりに離れたはずだ。
だが、その正体は雄星ではなかった。そもそも、人ではなかった。
突き出た口。ツノらしき突起。翼。逞しい手に脚。それはどう見ても龍だった。
「なっ……」
思わず驚く。こんな動物がいるなんて思いもしなかった。
しかも、どうやらミウの血の匂いに誘われてきたようだ。
直ぐさま、抜刀しようとする。しかし。
__え、ない⁉︎
腰にかけていた刀がどこにもなかった。まあ、眠っていたのだから普通は外すが、そこまで頭が回っていなかったのだ。
「あ、ぐぅっ!」
脇腹が焼けるように痛んだ。そのまま、へたり込んでしまう。
龍は、その顎を大きく開いてミウに向かってくる。
こんな事なら、嫌々でも雄星の言うことに従うべきだった。
__せっかく助かったのに、こんなところで……?
絶望に包まれながら、ミウはそのまま目を閉じようとする。
だが、目の前にフッと人影が現れて、閉じかけていた目を見開いた。
そしてその人影は、龍の前に手をかざし、
「待て」
と言った。
そしてそれだけで、龍は大人しく下がり、その場に腰を下ろした。
「大丈夫かい?」
そして__雄星が、心配するような表情でそう言った。
雄星がミウの脱走に気がついたのは、部屋を出てから3分後くらいのことだった。
何故か無性に心配になり部屋をノックしたが、返事がない。
開けてみればもぬけの殻である。あんな傷で動けるとは、凄まじい精神力である。
だがもちろん、感心している余裕などない。
急いで山小屋を出て、あちこち走り回ること約10分。
ようやく見つけたかと思えば龍に喰われそうになっていた。
本当にギリギリのところだったのだ。
「よーしよし、どうどう」
龍を宥めながらミウを見る。
かなり疲弊しているようだが、大事には至らなかったようだ。今すぐ戻って体を休めればもう少し楽になるだろう。
「……」
「ミウ、本当に大丈夫かい?」
「……」
ミウは何も喋らなかった。代わりに、小さくこくりと頷く。
「ごめんね。こいつもこの山の住人なんだ。大目に見て欲しい」
「……」
「お前も、人を食ったらダメだぞ。池の魚は取り敢えず良しとするから」
雄星がそう言うと、龍は申し訳なさそうにグル……と静かに唸った。
そして、ミウに向き直る。
「じゃあ、戻ろうか」
「……」
「ミウ?」
声をかけても反応がない。どうしたものかと顔を覗き込んでみると、眠ってしまっていた。
その表情はとても苦しそうだ。
「やっぱり、無理してたんだな……」
そう言って雄星はミウを抱き抱える。
最後に龍の頭をポンポンと撫で、山小屋に戻った。
パチリ、と目が覚める。
天井の景色が、さっき目覚めた時と同じだった。
どうやら、また雄星に助けられてしまったようだ。
余計なお世話だと思いつつも、助けてくれたことに多少は感謝していた。
視線を横に向けると雄星が眠っていた。
背もたれのない椅子の上で、だが。
__なんて器用な……。
そんなどうでもいいことを思いながら、今度はその視線を窓に向ける。
別に逃げようと思ったわけではない。ただ単に外の景色を見たかったのだ。
だいぶ日が落ちて、結構暗くなってきた。
夕日が山を照らして木々が橙に染まる。
こうして見ると、意外と幻想的だった。
ボーッとしていると、雄星が起きる気配がした。
「う、ん……お、ミウ。無事に目が覚めたみたいだね。安心したよ」
「……何でよ」
「うん?」
「何で、助けたの?あなたの忠告を無視して勝手に出て行ったんだから、ほっとけば良いじゃない」
「いや、そんなこと言ったってほっとけないよ」
「……」
やっぱりわからない。ここまで自分に良くしてくれる理由が。
ミウは、枕に頭を下ろして、じっとする事にした。
隣では雄星が本を読み始めていた。
取り敢えずは一安心だ、と雄星は思った。
ここに戻った後、一応応急処置はしておいたが、すでに傷口が治り始めていたのは本当に驚いた。
精神力でけじゃなく、生命力も凄まじい物だ。
だが、あまりフラフラされると心臓に良くない。というわけで今はなるべく彼女の側についているのだ。
ミウはボーッとしたように外を眺めていたが、何かに気づいたような表情をして、少し顔を赤くした。
「ねぇ」
「うん、何かな?」
「……この手当てって、あなたがやったの?」
「そうだけど、違和感でもあったかな?」
「……じゃあ、私の体をあちこち触ったってこと?」
「……ああ」
ミウの言いたいことがようやく理解できた。
とは言え、適当なことを言えば後が怖いので、当たり障りのない答えを選択する。
「大丈夫だよ。なるべく触らないようにしたから。服もボロボロだから変えたけど、一応見てないから」
「……本当に?」
「ああ、本当だよ」
なら良い、とミウは顔を背けてまた外に視線を移してしまった。
それからどれくらい経っただろうか。再びミウに声をかけられる。
「……ね、ねぇ」
「何?あ、そう言えばご飯食べてないよね。作るよ」
「それはいいんだけど、その……」
「うん?」
「……トイレってどこ?」
瞬間、これは彼女が逃げる口実を作ろうとしてるのでは、と思った。
無くはない。むしろあり得る。一番考えられる。何せ、傷口は既に閉じ始めているのだから。
なので、彼女のためにもあえて教えないことにした。
「ごめん、ちょっと教えられない」
「何で?」
「また逃げるつもりじゃないのかい?」
「……」
ミウが黙り込んでしまった。
図星だろうか、と視線を本からミウに移すと、少し顔を赤らめてモジモジとしている様子が目に映った。
「えっと……まさか、本当に?」
「っ!」
更に顔が赤くなる。
どうやら本当にトイレに行きたいらしい。
「……や、く」
「え?」
「早く、教えなさいよ……!」
「あ、その、ごめん。そこの扉を出て廊下を右に行ったところのドアがそれ__」
言うが早いか、ミウは怪我人とは思えないスピードで部屋を出て行った。
「流石に今のは意地悪だったかな……」
なんだか申し訳ない気持ちになった。
本を閉じて、雄星も部屋を出る。
「なんか美味いもの作ってやるかな」
一人呟いて、台所に向かった。
トイレにこもる事20分。
ちなみにほとんどの時間は傷が痛んで蹲っていたために掛かった時間である。
「あ、危なかった……」
もう少しで布団の上でやってしまうところだった。
それにしても、自分が悪いのはわかっているが、他に方法はなかったのか、と文句を言いたくなった。
部屋に戻ると、昼の時と同様、誰もいなくなっていた。
日はもう落ちきってしまったのか、仄暗い灯が一つあるだけの部屋は少し恐ろしかった。
「ゆ、ユウセー?」
名前を呼んでみるも、返事はない。部屋に入るも、特に変わりはない。
もう布団に入ってしまおうかと思った瞬間。
「ミウ?」
「ひゃあぁぁぁっ!」
物音もなく背後に立っていた雄星の声に物凄く驚いてしまった。
いつもの自分からは考えられないような可愛らしい悲鳴だったが、正直、心臓が破裂しそうでそんな事を気にしていられる余裕はなかった。
「わ、悪い。そんなに驚くとは思わなくって」
「あ、うぅ」
「……あ、あと、さ」
「な、何?」
「前を、隠してくれると、助かるな」
「?……っ!」
雄星の言葉の意味がわからず、視線を自分の体に向ける。
ちなみに、今の格好は下着姿に彼のジャージ上を着ただけである。
雄星の体は決して大きいわけではないが、それでもミウと比べればだいぶ大きい。
だから上だけで良いだろうと判断したのだろうが、それが裏目に出た。
つまり、雄星のアングルから自分のパンツが丸見えになっているのだ。
自分の顔が真っ赤になっていくのがわかる。
咄嗟に裾を引っ張って隠そうとするも手遅れである。
キッと目を鋭くして立ち上がり、拳を握った。
「このっ」
「ちょっ、待って今これ持ってる__」
「っ変態__!」
問答無用で雄星の顔面に鉄拳を炸裂させた。
「ゴメン」
奇跡的に作ったホワイトシチューをぶちまけずに済んだものの、顔には殴られた後がくっきり付いていた。
紅葉ではなくグーである。
怪我人とは思えないパンチだった。めちゃくちゃ痛い。
「……」
ミウはと言うと、ホワイトシチューに口をつけてくれたはいいが、さっきから半眼でこちらを睨んでいる。
「……変態」
「うっ」
ミウがボソッと言う。
反論したいのは山々だが、否定しきれないことが起きた以上、黙るしかなかった。
「ご、ごめんって。本当に悪気はないんだ」
「……もう、良いわよ。私が悪いんだし……」
ようやく機嫌を戻してくれたようで助かる。
「取り敢えず、後でお風呂沸かすから入りなよ。ボロボロだし」
「……また変なこと考えてるの?」
「いや、そんなつもりはないんだけどなぁ」
なんか、妙に変態扱いされて心が痛い。
けれどこのままでは何も進展しないので、昼の続きをする事にした。
もちろん、進展する見込みはない。
「ねぇ、ミウ」
「何?」
「ミウは、どこから来たの?」
「……」
やはり黙り込んでしまう。
わかっていたこととはいえ、少しでも情報が欲しいのにこのままでは家にも帰してやれない。
まあ自分で帰れるかもしれないが、何故か無性に心配になるのだ。
どうしたものか、と考えていると、不意にミウが口を開いた。
「ユウセーが自分のことを話してくれたら考える」
「ぼ、僕か?」
この上ない譲歩だろう。条件としても妥当だった。
だが正直言ってあまり話せるようなことは__まあ、あるにはあるが。
ふぅ、と溜息をついて頷く。
「わかった。話すよ」
雄星は自分の話をした。
幼い頃のこと。
中学時代のこと。
そして、あの日の事件のこと。
その他諸々あったが、粗方全て話し終えた。
「そっか……ミウって言うのは、妹の名前だったんだ」
「なんか、ゴメン」
雄星が彼女の名前をミウと呼んだ理由の一つがそれだった。
あの事件で亡くしたのは両親だけじゃない。
漢字こそ違うが、確かにミウと言う名前は妹から持ってきたものだ。
だがミウは、気にした様子もなく真剣な表情で雄星を見る。
「……私が話すこと、信じてくれる?」
「まあ、善処するよ。きっと信じられると思う」
「……わかった。じゃあまずあなたの問いに答える前に__」
一拍おいて、更に真剣味の増した表情で呟く。
「__あなたの街に起きた事件について」
「なっ__」
雄星は驚いた。
今の口ぶりからして、ミウはこの事件のことを知っているらしい。
だが。
__あれは、突発性災害の筈じゃないのか?
雄星の心境に構わずミウは続ける。
「正確には、あなたの街の事件では無く、その現象を知っている、と言うのが正しいのかな」
そして、その話をする。
この先、雄星が歩むことになる、世界の話を。
ミウは、《蒼焔の使徒》と呼ばれる存在だ。
ある日突然、蒼い焔に見出され、争いに使われる兵器としてこの世を生きることになる。
敵は、《異次元存在》と呼ばれる化け物。
人間では対処できない《異次元存在》をその手で討つ。
それが、《焔の使徒》の役目であり、存在理由だ。
雄星の街に起きた原因不明の消滅事件は、《異次元存在》がこちらの世界にやってくるときに、向こうの世界から流れ込んでくる強力かつ膨大なエネルギーの奔流によるもの。
強い《異次元存在》であればそれを起こさずに現界できるが、同時に、それを自発的に起こすことも可能である。
《異次元存在》は出現場所を選ばない。何時、どこに現れるか、次元単位で不明なのだ。
故に討ち手である使徒は次元を渡る力を持っている。
ミウは、別の次元から来たのだった。
ここへ来たのは本当にたまたまで、あの薙刀を使う男(実は、《異次元存在》の中でも最強クラス)との戦闘で負傷し、苦し紛れに飛んだのがここだった。
使徒になったものには、どうやらなる前の記憶がなくなるらしい。
らしいと言うのは、ミウ自身、聞いた話だからである。
まあ実際、記憶がないので信憑性はあるだろう。
要約すると、こういう事だ。
《焔の使徒》と《異次元存在》は、次元を超えて、長きに渡る戦争を繰り返している__。
「……なんか、壮絶な話だなぁ」
「……信じられないよね」
「まあ、普通なら。けど、やけに心当たりもあるし、充分信じられるよ」
あの事故も、今日あった大男も話の信憑性を上げている。
あの事故には何か秘密があるのではと思った事もあったが、まさか本当にそんな事があるとは驚きだが。
「そ。……ありがと」
ミウがボソッと呟いた。
その言葉は聞き取れたが、聞こえなかったふりをするのが正解な気がして、笑みを向けるだけにと止めた。
しかし、ミウの治癒力の高さは、そこから来ているのか。
俄かには信じられないが、逆にそう言われれば納得できてしまうのも事実だった。
ミウはシチューを食べた後、布団で少し眠ってしまった。
その間に雄星は食器を洗い風呂を沸かす。
タイミングのいいことに、風呂を沸かし終えた頃にミウが目を覚ました。
風呂に入る瞬間、雄星の方を見て、ビッと指をさして、
「覗いたら灰にするわよ」
と物騒なことを言い残していった。
まあ、もとより覗く気はないので大丈夫だが。
しかし、ハプニングと言うものは、突然に起きるものである。
片付けや掃除が終わり、部屋に戻る。
ちなみにこの山小屋は布団が一つしかないので取り敢えず雄星は寝室の床で寝る予定だ。
部屋の扉を開ける。
『え?』
そして、二つの声が重なった。
いつの間にか戻っていたミウが、着替えている最中だった。
容姿は幼いが、蒼い髪が濡れて海のように煌めいて、白く細っそりとした肢体が眩しい。思わず見惚れてしまった。
けれど、それも一瞬のことだった。
「ちょっ……!」
「あっ……」
やってしまった。
そう思った時にはもう手遅れで、目の前に本が迫っていた。
躱そうにも不意をつかれた形なのでちょっと無理だった。ゴッ、と鈍い音が響く。
意識が暗転していく中、なんで脱衣所で着替えないんだ、と文句を浮かべながら倒れた。
▼四月二十六日
「うっ……」
目が醒めると、いつの間にか朝になっていた。いや、下手をすればもう昼かもしれない。
雄星はむくりと起き上がる。まだ鼻の頭が痛かったが、仕方がないと諦める。
ミウはまだ眠っているようだ。余程疲れがたまっていたのだろう。
あどけない寝顔を少し眺めていたが、ハッとしてさっさと朝食の準備に取り掛かった。
彼女の体質なのだろうか、朝食が出来始めた頃、これまた凄まじいタイミングでミウが起きた。
「うぅん……おはよ……」
「ああ、おはよう。顔は洗いなよ。寝癖も整えて」
「うん……わかってる……」
寝ぼけながらミウが返事をする。
なんだか微笑ましくなり、ミウが本当に妹のように思えてきた雄星である。
言われた通り、ミウは顔を洗ってある程度寝癖も治った状態で戻ってきた。
「ん、美味しい……」
「それは良かった」
昨日はハプニング続きでその言葉を聞けなかったので素直に嬉しい。
「そう言えばミウ」
「ん?何?」
「傷の方は大丈夫かい?」
「まだ結構痛むけど、傷はほとんど治ったみたい。……まあ、今回は、その、助かったわ」
「今更気にすることはないよ」
雄星は微笑んで返した。ミウは気恥ずかしそうに目を逸らして黙々と料理を口に運んだ。
朝食を食べ終えて再び眠気が襲ってきたので、部屋に戻ろうとする。
だが、途中雄星に呼び止められる。
「昼過ぎ、町に出てみない?」
「え?」
「案内してあげるよ。仮に僕の助けなしでも、もうちょっとの間はここにいるんつもりだよね?」
「うん、そのつもりだけど」
ミウは少し悩む。
町中はもっと人がたくさんいるだろう。正直不安要素がたくさんあった。
けれど、戦うにしてもここの地理を把握しておく必要がある。
それに、このままここに入ればあの男に見つからないとも限らない。居場所を固定しないほうが安全だろう。
いろんなことを踏まえた上で、ミウは了承した。
「うわっ……」
町中に出た途端、ミウがそんな声を漏らしていた。
ここは都会ではないのでめちゃくちゃ人がいるわけではないが、それでも日曜日は流石に多い。
加えてここは、この町で唯一の商店街。この賑わいようも納得というものだ。
「流石に都会と比べるとアレだけど、この辺では結構繁盛してるところなんだよ」
雄星も初めて寄ったときは驚いた。とても田舎町の風景とは思えない。
「こんなに人が多いところは初めてかも……」
「そうなの?もしかして人が多いところは苦手だったりする?」
「うん……まあ」
ミウは目を逸らして首肯する。
雄星は辺りを見渡し、一つの店に目をつけた。
「ミウの服、結構ボロボロになってたし、新しいの買おうか」
「え、私の?別に必要ないけど」
「まあ、そう言わずに。女の子なんだし、もっと見た目に気を使った方がいいと思うよ」
「別に私は気にしないもん」
そう言いながらも、雄星についていく。なんだかんだで店に少し興味があるのだろう。
店内は服がたくさん並んでいた。
そして少し歩くと、よくある女の子向けのふくがあり、スカートとかショートパンツとかいろいろ並んでいた。
__こんなの着るの⁉︎
正直、着る気になれない、とミウは思った。
「あれ?アキオくん?」
すると、横から少女の声が聞こえてくる。ミウは雄星の影に隠れるように下がる。
「あ、花咲さん。奇遇だねこんなところで」
雄星のクラスメート、花咲香だ。
「どうしたの?買い物?」
「まあそうだけど、アキオくんもどうしたの?ここ女の子向けの服だけど__うん?」
香がミウに気づいて眉を顰めた。
別にやましいことがある訳ではないが、下手なことを言うとマズい雰囲気だった。
仕方なくそれっぽい説明をすることにした。
「親戚の子だよ。この子も僕と同じで親を亡くしたばかりでね、うちで預かる事になったんだよ」
「ちょっ……」
ミウが抗議しようとするのを視線で止める。
ミウは頬を膨らまして不機嫌になってしまったようだが、後で謝ったほうがいいかな、と考える。
「そうなんだ……なんて名前なの?」
「この子はミウっていうんだ。……そうだ。この子の服選んでくれないかい?」
「私が?」
「ほら、僕は男だからさ。こういうのはよくわからないんだよ」
「うーん……ミウちゃん、私が選んでも大丈夫?」
「……別に」
警戒しているのかもしれないが、相変わらず不機嫌そうな様子でボソッと言った。
そう言えば初めて会った時もこんな感じだったな、と思いながら雄星はその様子を見ていた。
「じゃあ、よろしく頼むよ。僕は別の買い物をしてくるから」
「えっ……」
「できるだけ早めに戻るから、その間に服選んでおきなよ。お金は出すから」
「ちょ、ま__」
待って、と言いそうになって口を噤む。
雄星はとりあえず店を出た。
ミウは、なぜそんなことを言いそうになったのか、自分でわからなかった。
「さて、どうしようかなぁ」
雄星は歩きながら考えていた。
この後帰ってから、何かお菓子でも作ってあげようかと思うのだが、何にしようか悩んでしまう。
少し商店街をぶらつくと、林檎が安売りしているのに気がついた。
「……まあ、定番だけど、アップルパイでいいかな」
よし、そうしよう。
林檎を10個ほど買って(全部パイに使うわけではない)、ついでに色々買った頃にはもう午後四時を回っていた。
「しまった、結構長居しちゃったな、急ぐか」
少し駆け足になりながら、来た道を戻る。そしてそこで何かがおかしいことに気づいた。
しばらく歩いてその違和感に気づく。
「しまった……迷った」
町の案内も含めてのつもりだったのでここへ来たのだが、自分もよく来るわけではない。
こんな広いところでうろうろしていればそりゃ迷うだろう。
あっちへこっちへ行ってる間に何とか元の場所に戻れたけれど、迷ってから更に30分もの時間が経っていた。
「これは、やっぱミウ怒るかなぁ」
まあ、仕方がないか。その事には諦めをつけて堂々と戻ることにした。
しかし戻ると二人ともいなくなっていた。
どうしたのかと思っていると、
「__アキオくん!」
切羽詰まった様子で自分を呼ぶ声がした。
「花咲さん?どうしたの?」
「ミウちゃんがいなくなっちゃった……!」
「えっ……」
「服選んでる途中で夢中になっちゃって、一瞬目を離しちゃったけど、それだけなのにいつの間にいなくなっちゃって……!」
更に焦るようにまくしたてる香の肩に手を置く。
「お、落ち着いて。大丈夫だよ、きっとただの迷子だから」
「でも、もう一時間は経ってるし……」
なんでもここは始めてきた人間だと迷子になる確率がなんと九割以上らしい。
めちゃくちゃ高いが、むしろそれなら安心した。むしろ一人でふらつけば迷うのは無理もない。
とはいえこのまま無作為に探し回っても拉致があかないだろう。
「花咲さん、メアド教えてよ」
「え、こんな時に?」
「こんな時だからだよ。僕も探すから花咲さんにも探して欲しいんだ。そのためには連絡が取れないと」
「ああ、ナルホド……はい」
早い所メアドの交換をして二手に分かれる。
この商店街、迷子になった人間がフラフラしている場所は決まって裏道辺りらしい。
なんでも、迷路みたいになっているらしいのだ。
雄星はその辺りを重点的に探すことにした。
その頃ミウは、雄星の予想通り裏道にいた。
ただし、かなり入り組んでいてその場所はイマイチわからない。
「どうしよう……戻れるかな」
こんな事なら雄星が戻ってくるまで香と辛抱強く待つべきだった。
けど、雄星が香と話している時、なんというか、楽しそうだった。
居心地が少し悪かったのだ。自分が邪魔な気がして。
香といると、何故か心に靄がかかったようになって、離れたくなってしまった。
自分で雄星を探そうとした結果はこれだ。本当に情けない。
しかも日が落ちてきている。もうこの辺は、夜とあまり大差ない。
《異次元存在》なんて化物と戦っているものの、基本的に怖いものは苦手なミウは、少しの物音にもビクビクしながら足を進める。
どれくらい歩いただろうか。何度目かわからない行き止まりに辿り着いた。
「うっ、まただ……」
そんな言葉が思わず出た。
仕方なく来た道を戻ろうとして、ガラの悪い何人かの男が道を塞ぐように立っていた。
「……何か用?」
何と無く危機感を感じて声が鋭くなる。
すると、男達が粘つくような声を上げる。
「ひゅ〜、可愛いねぇお嬢ちゃん」
「君みたいな子がなんでこんなところにいるのかなぁ?」
「こんなところにいるくらいだし、暇でしょ?俺たちと遊ばない?抜け道まで案内するからかぁ……」
「……別にいい。自分で戻るから」
ミウはあくまで強気だった。
その態度に何人かはイラっと来たのか顔を歪めるが、残る半数は飄々とした顔をしていた。
「いいねぇ、君みたいな子は少しいじめたくなっちゃうなぁ」
「……!」
その雰囲気に危険なものを感じて思わず後退る。その手には小型のナイフや警棒や鉄パイプなどが握られている。
「抵抗するなら強引にでも剥いじゃうぜぇ⁉︎」
「うっ……!」
振り下ろされる鉄パイプを躱す。
正直、あまり良い状況じゃない。体調も万全ではなく、武器もない。
それでもなんとか逃げなければ、と足に力を入れる。__が。
「っ……⁉︎」
突然、脇腹に痛みが走る。
熱い。少し激しい動作をした程度なのに、傷口が開いてしまったようだ。
男たちは、その隙を見逃さなかった。
リーダーと思しき人間がミウに襲いかかり、身動きを抑える。
「……!」
「つーかまーえたぁー」
ニタリ、とふざけた口調で言った。
何とか逃げようとするも、脇腹の痛みで力が入らない。
その間にも男はミウの服に手をかける。
そして、服をベリベリと破いた。
「ちょ……!」
「おや、ちっちゃいねぇ。でも綺麗な体してるねぇお嬢ちゃん?」
羞恥に顔を歪めながらも、視線を移してみると、脇腹の傷は開いてなかった。少なくとも外側は。
「……離して」
「まさかぁ、そんな事するわけないじゃん」
ちろり、と舌を出して男はミウの服を完全に剥ぎ取ろうとする。
「ちょ、やめっ……」
抵抗するも、やはり無駄で、上は結局全部剥ぎ取られてしまう。
「やっぱり綺麗な肌だぁ、真っ白ですべすべじゃないか」
「ひっ……ぅ……」
変な声が漏れる。それも構わず男はミウの体を弄り続ける。
だが、しばらくしてその手を止めた。満足したのかと思ったが、その考えは甘かった。
今度は、下に手を出し始めたのだ。
「やっ……」
「もうそろそろこっちもいいかなぁ」
良い訳がない。だが、彼らにそんな事を言ったところで詮無いことだ。
目に涙が溜まり始める。体が震え始める。
そこで初めて気づいた。
__私、怖いんだ。
初めて、戦う力を無くして、人に怯えてできるだけ避けていた。だから気づかなかった。
今、自分が何をされるかわからない。そんな恐怖が心を満たす。
__誰か!助けて……!
「いやぁぁぁぁぁ!」
裏道にミウの悲鳴が響き渡る。だが。
「無駄だよ?ここは入り組みすぎててだぁれも来ないからねぇ」
「やめて……お願い……」
今の弱いミウには、そう言うくらいしかできなかった。
当然、男がその手を止めるわけもなく、買ったばかりのスカートがずりおろされそうになる。
目に溜まった涙が溢れ始める。
__ユウセイっ!
「__ミウ⁉︎」
「ひっ……!」
瞬間、大声で名前を呼ばれビクッと体をすくませる。
同時に、腿あたりにじわっと温かいものが広がっていくのを感じた。
『あん?』
男たちが声のした方を睨む。視線の先にいたのは、ミウが助けを求めたかった少年、雄星その人だった。
めちゃくちゃ入り組んだ道を走り回っているせいで、自分がどの道から来たのかもわからなくなってきた。
一度引き返そうかな、と思った時、近くから少女の悲鳴が聞こえた。
しかもその声には聞き覚えがある。間違いない。ミウだ。
急いで声のした方に駆ける。
「__ミウ⁉︎」
思わず叫んで曲がり角を曲がる。
道は行き止まり。
そしてそこにいるのは、十数人の男たちと、リーダーと思しき男に組み敷かれたミウだった。
瞬間、雄星の胸中に懐かしい感情が広がった。
それを押し殺して、あくまで笑顔を務める。
「君たちは何をしているのかな?」
「ああ?なんだてめぇは」
「つか、どーやってここまで来た?」
「うろうろしてたら迷っちゃってね。丁度、その子を探してたんだ」
言って、雄星はミウを指差す。
そして、ミウの体に乗っかっていた男が雄星の方に歩いてくる。
「てめぇはお嬢ちゃんのなんだ?」
「そうだね……ミウは妹、みたいなものかな」
「随分嫌われてるんじゃねぇの?お前に名前呼ばれた途端に彼女、漏らしちゃったみたいだけど?おかげで俺の服まで汚れちまったぜ」
「漏らし……?」
雄星は一瞬怪訝そうな顔をして、男から目を逸らしミウの方を見る。
確かにミウがへたり込んでる地面には水溜りができていた。
__驚かせちゃったのか。
可哀想なことしちゃったかな、と思う。だが、それも一瞬の間で、すぐに意識を切り替える。
「まあ、今回は見逃すから、その子を返してくれないかい?」
「テメェ……」
十数人のうち半数が雄星の態度に苛立ちを感じたようだが、残りの半数は特に気にした様子はなかった。
「えぇ、何だって?もう一度言ってくれないかな?」
「だから、さっさとその子を返せって言ってるんだけど、わからないかい?」
「え?何?聞こえないなぁ。それが人に物を頼む態度か?」
「……」
はぁ、と溜め息をついた。正直言ってもう限界だった。
笑顔のまま、雄星は感情のままに口を開く。
「__いいからさっさとその子を返せっつってんだそんなこともわかんねえのかクズ共」
「ああっ⁉︎」
ついに男が切れた。雄星の襟首を掴み上げる。
「ユウセー!」
ミウは思わず叫んだ。このままじゃ雄星が危険だ。せめて彼だけでも逃さないと。
だがそう思っても足がすくんで動けなかった。
襟首を掴み上げられる中、雄星はあることに気づいた。男の顔に見覚えがあったのだ。
というか、もう二度と関わりたくない部類の人間だ。
「……なんだよ、お前かよ全く」
「なんだと?」
雄星の口調が少し砕けた。みう不思議に思って雄星の顔を見る。
瞬間、全身を寒気が襲った。
ずっと同じ笑みを浮かべているはずなのに、その雰囲気が変だ。
何時もの笑みとは違って、恐ろしくなった。
「おいおい、もう僕のことを忘れたのか?散々返り討ちにしてやったのになぁ」
「っテメェまさか、『血塗りのアキオ』⁉︎」
「そのあだ名物騒だしダサいしやめてくんない?」
はぁ、と溜息をつきながら言う。
『血塗りのアキオ』。
それは中学時代に雄星がつけられたあだ名である。
売られた喧嘩は絶対買う。
情け容赦なく相手をボコボコにする、不良よりも恐ろしい普通の少年。
殴った相手の血をワックスのように髪に塗っていたのでそんな物騒なあだ名になったのだ。流石にもうしてないが。
「まあいいや。思い出せたんならさっさと帰ったほうが身のためだってわかるでしょ?」
「……今の状況わかってんのかお前?十人以上いるんだぜ?お前に勝ち目はねぇよ」
「お前のその頭数があれば勝てるって考えは相変わらずだな?浅はかすぎる」
「やってみるか?」
「そうだな……やってみると、しようっ!」
言いながら男の腹を蹴る。掴まれていた襟首か解放された。
周囲を見渡すといつの間にか囲まれていた。
「一回だけだ。謝れば許してやるぜ?この人数相手に無事に帰れるわけねえだろ?」
「そうだね、じゃあ一つだけ。僕を殺したければもっと頭数揃えなよ」
恐れを知らず平然と言った。
「よしじゃあお望み通りぶっ殺して__」
「あっと忘れてた。賭けしようか、いつも通り」
そして、出鼻をくじくようによくわからないことを言い出す。
「ああん?」
「忘れたか?」
「おいおい、今お前不利だってわかんねぇの?」
「さぁね?」
雄星の言う賭けというのは、とても単純なことである。
お互いがお互いの全てを賭けるのだ。持ち物も、人権も、何もかも。
雄星は今まで負けたことが一度もない。中学時代もこの賭けをしても負けたことはない。
「今回も勝てると思っているのか?」
「当然。ミウを助けなきゃいけないし」
雄星はミウの方を見る。
ミウは心配そうな表情をしていた。視線で大丈夫、と語りかける。
「じゃ、今度こそぶっ殺してやるよ」
「っ、ユウセー!」
ミウは思わず叫んだ。
雄星に向かう男たちのうち、後ろの男が鉄パイプを振りかぶっていたのだ。
雄星は前に意識がいっているように見える。後ろの様子には気づいていない。
男もそう思っているのだろう。口元には笑みが浮かんでいた。
だが。
雄星は背後に跳んだ。そして、一度も振り返らず、背後の男を掴み、投げ飛ばす。
更にその手から、鉄パイプを奪い取る。
誰も予想し得なかった、一瞬のことだった。
『なっ⁉︎』
「……さて、ようやくスイッチ入ったし」
何時もの温かい目は、鋭く殺気のこもったそれになっていた。
何時もの温かい笑みは、蔑みを伴う冷笑となっていた。
その、聞いた物を震え上がらせる声で、続けた。
「俺も本気で行くわ」
雄星の雰囲気が、ガラリと変わった。先ほどの違和感とは比べ物にならないくらい。
正反対と言っても良いほどに。
「お前、前はそんな動きできなかっただろ⁉︎なんで__」
「今までは必要なかっただけさ。あのくらい、元からできる」
雄星は男に軽蔑の視線を向けて続ける。
「しっかしまあ、お前は向こうにいた時も最低だったけど、幼気な少女に手を出すほど下衆野郎だったか?」
「さあね、テメェには関係ねぇな」
「まあ、正直どうでもいいけどさ……ついでに聞いてやるよ。他にもこんなことしてるんじゃないだろうな?」
「お前に教える義理はない……と言いたいところだが、どうせ今日がテメェの命日だ。教えてやるよ」
男は、ニヤリ、と粘つくような笑みを浮かべて言った。
「つい先日のことだ。そこのお嬢ちゃんよりはもう少し大きいけど、小柄な少女を捕まえたんだよなぁ」
「ほぅ……?」
雄星の声には静かな怒気が含まれていた。
それに気づかず男は続ける。
「可愛い子だったぜ?もうちょっとでヤれたたのに、ポリスのせいで逃げられたけどなぁ」
「……その女の子ってのは、どんな子だ?」
無性に嫌な予感がした雄星はそんなことを口にした。
男が吐き捨てるように答える。
「あんま覚えてねぇなあ。なんか髪をピンで留めてた気がするが……そういや学生証も落としてたな。確か、花なんとかだったか?」
「__!花咲香、か……?」
「おお、それだ。なんだ知り合いだったの、か……」
男の声が途中で萎んでいった。
雄星の殺気が、膨張した。とても、人間のものとは思えない。
目の前にいるのが恐竜とか巨人とか言われた方が納得できそうなくらいだ。
「命の保証はしねぇぞ?」
雄星が憎悪をたたえた目で男たちを睨む。
男たちは少し怯んだが、何せ数が数だ。すぐに持ち直した。
「お前ら、構うなぶっ殺せ!」
『おおおっ!』
「危ないっ!」
全方位からの一斉攻撃。躱せるわけがない。はずなのに__消えた。
『なっ⁉︎』
その場にいる全員が驚く。直後、頭上からダンッと音が響いた。
男たちの1人が上を向く。そしてその顔面に鉄パイプがめり込んで、ゴシャアッ!と恐ろしい音を立てて男を地面に叩きつけた。
「あっ……が……」
一切の躊躇もない、容赦無しの一撃。生きている方が不思議なくらいだ。
__これが、雄星なの?
ミウは、呆然とした。今の雄星は誰よりも怖かった。
その殺気が。その強さが。躊躇せず相手を殺せる心境が。
「ひっ……」
別の男が悲鳴をあげる。しかしもう既に手遅れだった。
雄星を怒らせるべきではなかったのだ。『血塗りのアキオ』のあだ名は伊達じゃない。
「自分たちの行いに後悔しながらくたばれ」
言って、雄星はその鉄パイプを振りかぶって突っ込む。
そこから先は、観れたものではなかった。
「__あと一人」
ジャリ、と靴を鳴らして周囲を見渡す。すると、ミウの方から声がした。
「おいお前!動くんじゃねぇ!」
「やっ……!」
「……何のつもりだ」
残った男は、人質を取るようにミウの首に刃物を突きつけていた。
「動くなよ!動いたらこのチビ殺して__」
動いた。
右手で握っていた鉄パイプを本気で投げた。
もちろん、ミウにも危険のある方法だ。
だが、投げた鉄パイプはまるで槍投げのように真っ直ぐ飛び、男の手首を正確に貫いた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
男は金切声を上げて後ろに転げた。雄星はその男に近づき、顔を蹴っ飛ばす。
そして、恐ろしく低い声で宣告する。
「俺の勝ちだ。約束通り、従ってもらうぞ」
「ひぃっ!わかった、なんでも聞く!だからこれ以上はやめてくれ!」
「じゃあ一つ目だ。金全部置いていけ。お前だけじゃねぇぞ」
「わ、わかった」
ミウはもう、どっちが不良なのかわからなくなってきた。
男は全員分の金を雄星に差し出す。
「じゃあ、もう一つだけだ」
「ま、まだあるのか⁉︎」
「心配すんな。簡単なことだ。__この町から出ていけ。そんで、二度と俺の前に姿を現すな」
次あったら今度は殺してやる、と恐ろしい宣言をする。
「わ、わかった!俺たちはこの町から出る!もうあんたの目の前には二度と現れねぇ!」
「それでいい。ほら、目障りださっさと行け」
他にも動くだけならできそうなやつが動けないやつを引きずって逃げていった。
雄星はクルリとミウの方を振り向く。瞬間、ミウの肩がビクッと動いた。
「……」
「……あ、その……ユウセイ?」
「……ごめん。怖いもの見せちゃったね」
ミウは恐る恐る雄星の顔を見上げる。その顔は、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「……ユウセイ」
「うん?」
「ユウセイってもしかして二重人格だったりするの?」
「え?……ああ、あれは違うよ。ただ単に、僕のもう一つの顔だよ」
一人称も『俺』から『僕』に戻っている。凄まじい変貌ぶりだ。
ボーッとしていると、雄星が何かをミウの肩にかけた。
「ユウセイ?」
「風邪ひいちゃうかもしれないからね」
「……っ!」
瞬間、ミウの顔が真っ赤になった。
今頃になってようやく、自分が漏らしたことに気づいたらしい。
しかも上は素っ裸なのだ。
「ごめん。僕が大声出したから、驚いちゃったんだよね」
「……あんまり見ないで」
「わかってるよ」
よいしょ、と雄星が立ち上がる。そして、ミウも立ち上がろうとして、目の前に手が差し出された。
「立てそう?」
「っ、一人で立てる!」
プイッとそっぽを向いてしまった。しかし、ミウは少し腰を浮かした程度でストンと座り込んでしまった。
「ミウ?」
「……腰抜けちゃったみたい」
「しょうがないかな__っと!」
「ひゃわぁっ⁉︎」
変な声が出てしまった。雄星が抱き上げたのだ。しかも、いわゆるお姫様抱っこである。
__私汚れてるんだけど⁉︎
ミウは再び顔が真っ赤になるのを感じた。
「お、降ろして!降ろしなさい!」
「痛い痛い!無理するなって!今は大人しくしてくれ」
「うぅ、わかったわよ……」
もう、どうにでもなれ、という心境だった。
帰路につく途中、幾つか大事なことを思い出した。
まず、放り投げたままの買ったもの。
そして香にミウが見つかったという連絡をしていなかった。
途中でお姫様抱っこからおんぶに変えて、荷物を持って、香にメールする。
__明日、ミウに話聞かなくちゃな。
「ミウ?」
「……」
あれ?と思ってその顔を見てみると、目を閉じて寝息を立てていた。
その様子を見て、ホッとしたし微笑ましかった。
入り組んだ裏道を抜けるのに一時間近くかかったが、その後無事に山小屋に帰ることができた。
▼四月二十七日
香は一人、屋上で空を眺めていた。
今日の天気は曇り。今にも雨が降りそうな不気味な黒い雲が漂っている。
学校は既に放課後だった。
何時もならすぐに帰るのだが、雄星に呼び出され待っているところだ。
昨日は無事にミウが見つかったようでホッとした。
__でも、もしかしてあの子……。
彼女と対面した時、変な感じがした。
何処と無く、この世のものとは思えない気配がしたのだ。
殺気があったわけでもないし威圧感があったわけでもないが、なぜか違和感があった。
まるで__
「私と同じだな……」
まさかとは思うが、そのまさかの可能性に月当たらないことを願って、祈るように目を閉じた。
昨日は結局、山小屋についたと同時にミウが目を覚ました。
取り敢えず夕食を作り、順に風呂へ入った(今回はハプニングは起きなかった)。
朝になってミウの傷は完全に治癒していて、痛みもあまり感じなくなっていたようだ。
改めて、凄まじい生命力だ。
とはいえ、完治まではあと少しかかるし、どのみち行かせるところもないので、じっとしているように伝えた。
まあ、山の中なら迷子にならない程度に散歩するぐらいは良しとしたが。
今日学校に着いてから香にメールをして、これから屋上で少し話すことになる。
聞く必要はないのかもしれない。傷を抉ることはないのかもしれない。
だが、友達として話を聞くべきだと思った。相談して欲しいと思ったのだ。
雄星は、屋上への扉を開ける。
今日の天気は朝からこんな感じである。とても不吉な感じがした。
屋上の真ん中に香は立っていた。
「やあ、花咲さん」
「あ、アキオくん。やほー」
「急に呼び出してごめんね。ちょっと話があるんだ」
「ふうん?……はっ、もしや告白⁉︎でも私心の準備できてないよっ⁉︎」
「あ、えっと、ごめん。違う話」
なんだぁ、と香は少し残念そうな様子を見せた。ちょっと面白い反応だった。
「あんまり掘り返されたくない話かもしれないんだけどさ」
「うん?」
「……先週、不良に捕まって何された?」
「……っ!」
その顔が驚愕に満たされた。なんでそれを、と言わんばかりの表情である。
まあ、あくまで聞いた話なのであまり詳しくは知らない。その為に今こんな時間をとったのだから。
「……誰から聞いたのかな?」
「その不良たち」
「え⁉︎知り合いなの?」
「うん、まあ……ある意味敵同士って感じかな」
「……大丈夫だったの?」
自分の方が酷い目にあったにも関わらず、こちらの身を案じてくれるとは、優しい子だ。
「僕は平気だよ」
「そっか……」
よかった、と香は安堵の息を吐いた。
「それより、花咲さんの方が心配だよ。あいつらから聞いた話だと、結構酷いことされたんでしょ?」
「私は、ぜ、全然、平気だから……」
とてもじゃないがそうは見えなかった。
足は震え、声も掠れていた。無理しているのは一目瞭然だ。
「ねぇ、花咲さん?」
「……っ!」
「うわっ!どうしたの⁉︎」
声をかけた途端、香が雄星の胸に飛び込んできた。勢いを抑えられず尻餅をついてしまう。
「ゆ、雄星くん……私、私っ……!」
「え、ちょ、本当に大丈夫⁉︎」
泣き始めた香りを前に雄星は何も言えなかった。今は、何も言うべきではない気がした。
雄星はその背中をポンポンと優しく摩った。
それからしばらくして、少し落ち着いたみたいで口を開く。
「四日前、商店街に行ったんだけど、ガラの悪い人たちに捕まっちゃったんだ……」
「うん」
「誰も来ないような裏道に連れてかれて、強引に服も下着も破かれちゃって、抵抗しようと思ったんだけど怖くて、体が動かなくて、それでその後……」
「……もう、それ以上は言わなくていいよ」
雄星は香を優しく抱き締めた。
変な意味はない。あくまで『もう大丈夫』という意味での行為だ。
「気づくのが遅れてごめん。あいつらはこの町から追い出したからもう大丈夫」
「……雄星くんって、実は強いんだね」
「やっぱり強そうには見えないか……」
「ごめん。なんか優しそうなイメージが強くて、そんな強いとは思わなかった」
香は少しだけ笑った。辛い話をしたばかりだというのに、強いんだな、と思った。
「相談してくれればよかったのに」
「迷惑かなって思って……」
「そんな事はないよ」
「そっか……ねぇ、雄星くん」
「アキオじゃないんだね。別にいいけど、何かな?」
「雄星くんは悪くない。けど、謝ってくれるなら、一つだけ、私のお願い聞いてくれる?」
「……わかった。なんでも聞くよ」
本当は出来る限り、と言おうと思ったのだが、ここはそんな弱腰になるべきではないと思い直したのだ。
香は顔を上げた。顔がかなり近い。
__ま、まさか、キスか?
っていやいや。それはないだろう。妄想も甚だしい。
何を要求されるかと考えていると、香が口を開いた。
「明日、学校休んで遊びに行こ?」
「……え?」
想定外のお願いに思わず間抜けな声が漏れる。
なんでも聞くと言ってしまったので、難しい要求をされるのではと思ったのだが。
「だめ、かな?」
「……いや、そんな事でいいならお安い御用だよ」
「……!あ、ありがと」
香の顔がパァッと明るくなった。その表情はとても可愛らしかった。
__何時もの花咲さんに戻ったみたいだ。
雄星はホッとした。
暗い顔をしている香はあまり見たくない。
香がスッと立ち上がる。
「じゃあ明日、朝9時にアキオくんの家で集合ね!」
「うん、わかった」
雄星も立ち上がって応える。
香は凄く嬉しそうだ。雄星も実を言うと少し嬉しい。
香のような可愛い子と学校を休んでまで遊びに行く。それはとても、楽しそうに思えた。
だが、不幸とは何時の世も突然やってくるものだ。
校内に戻ろうとしたその瞬間。
__町が、色を無くした。
「なっ⁉︎」
「えっ⁉︎」
二人同時に驚きの声が上がる。その違和感に一瞬で気付けたのは偶々だった。
だが、この現象。知っている。ミウの話にあった。
《異次元存在》の『現界』だ。
周囲に高エネルギーの膜が張られ、結界のようになる。
周囲の物は色を無くし、魂ある者のみが動き続ける。
__このタイミングで⁉︎冗談じゃないぞ⁉︎
咄嗟に香の手を掴む。
「っ⁉︎アキオくん⁉︎」
「逃げよう!できるだけ遠くに!」
「…….もしかして、アキオくん、これが何か知ってるの?」
「まあ、けど言っても到底信じられることじゃないし、僕じゃどうにも出来ないけど」
「……」
香は一瞬考え込むような顔をして、雄星の手を離す。
「……花咲さん?」
「ごめんね。私にはやる事があるから」
そう言って、一人で駆けて行った。
「花咲さんっ!」
唐突すぎて、雄星は追うこともできなかった。
雄星はまず外に出た。
爆発が起きるなら校舎の中は相当危険だろうと思ったのだが、しかしその考えは間違いだったと気づかされる。
視界の先に、よくわからないものが動いていた。まるで、影が固体化した様な人型の何か。
そしてその数は一つではなかった。
雄星に気づき、こちらに向かってくるその数は、10はあった。しかも動きがかなり速い。
立て続けにいろんなことが起きて足が止まってしまった雄星の目の前に、もう逃げても間に合わないほど影が接近していた。
__ヤバい!
その影が大きく口を開いた__ように見えた__瞬間、その影が真っ二つになった。
そして、影の上から人が降ってくる。
「セァァッ!」
『__!』
少女が振った剣が影を切り、声にならない悲鳴をあげて消滅した。
「ミウ!」
「なに?」
随分とぶっきら棒に返される。
そう。目の前に現れたのは、彼らを討滅することが本来の目的であるミウだった。
相変わらずの様子に場違いとわかっていても笑ってしまうが、すぐに切り替える。
「もう傷は大丈夫なのかい?」
「うん、少し違和感があるくらい」
それより、とミウが雄星を睨む。
「なに考えてるの⁉︎こんな中あいつらの目の前に現れたら危ないってわからないの⁉︎」
「いや、まあ、ジッとしてても事態は進展しないし……ていうか、心配してくれてたの?」
「っ!してないわよバカっ!」
顔を赤くして言い返される。
「そういえば」
「なによ⁉︎」
「こいつらが来る時ってすごい爆発があるんじゃなかったっけ?」
「……多分、リーダー格の《異次元存在》がかなり強いのよ。この数を従えられるくらいだし」
「ああ、確かにそんなこと言ってたね」
しかし知ったからとか知識があるからといっても何もできないことに変わりはなかった。
「僕はどうすればいい⁉︎」
「じゃあこれ!」
渡されたのは山小屋に置いてある手製の木刀だった。
なんでこれを、とも思ったが、他にも疑問が残る。つまり、
「え?こんなの効く?」
というものだった。
しかしどうやら杞憂だったようだ。
「私の焔を乗せたから、十余分はなんとかなるはず」
「なるほど……じゃあ」
深呼吸をする。スゥッと意識がクリアーになる。
「__俺も本気でいくかな」
「……死なないでよね」
「わかってるさ」
そして二人同時に飛び出す。
「オォォッ!」
気合を入れて木刀で殴りつける。
すると影は一瞬で四散した。殴った感触もあった。
「おお……」
効果覿面とはこのことだ。予想以上の結果に思わず感嘆の声が漏れる。
__これならいける!
雄星は迷わず敵陣に突っ込んだ。
一方ミウはというと、こちらも順調だった。余所見をしながら戦えるくらいだ。
それにしても__
__昨日も思ったけど、強すぎる。
とてもじゃないが、ただの人間の動きとは思えない。喧嘩の影響かもと思ったが、それだけじゃない。
縦横無尽に駆け回り、時には壁や天井に足をつけたりして、敵を翻弄、隙を見て討滅。
この動きの良さはもう才能といってもいいほどだった。
だが、それ以上に気になることがいくつかある。
一つは、少し離れたあたりに何かが消滅した気配があったこと。
そしてもう一つは__
__幾ら何でも『影』多過ぎじゃない?
確かに、《異次元存在》の中でも最弱の《影のイリーガル》は複数で出てくることが多い。
そしてそれ故に爆発の規模も大きくなっていく。
今回爆発がないということは、強い《異次元存在》が彼らを統治しているのは間違いない。
だが、それにしたって多過ぎる。本来ならいても10前後のはずが、2人で討滅した数は既に軽く50を超えている。
いったい何が、と思っていたその瞬間。
強い力がすごいスピードで迫ってくるのを感じ、後退した。
現れたその正体は__
「ようやく見つけたぞ、《蒼焔の使徒》のチビ」
「__!」
先日、ミウに重傷を負わせた、大柄の薙刀使いの《異次元存在》だった。
「アイツは……!」
雄星は強い殺気を感じて後ろを振り向く。
そしてその視界に移ったのは、ミウと、対峙する大男だった。
筋骨隆々、長大な薙刀。先日顔を合わせた、危険と思われる存在だ。
雄星はミウの方に駆け寄る。
「止まって!」
「……!」
だが、ミウは雄星に止まるように言う。その言葉に従い雄星は退く。
そしてミウは、大男に対し口を開く。
「ねぇ」
「なんだ?」
「さっき、向こうの方で消えた気配は何だったのか知らない?」
「んん?ああ、あいつか」
やはり、心当たりがあるようだ。ミウは質問を重ねる。
「誰なの?」
「さあな、良くは知らん。ちょい長めの髪に、お前より少し大きいくらいの女だったのは覚えてるが」
「なっ……」
その答えに驚きを露わにしたのは雄星だ。
「面倒臭かったからなぁ、早々に消したさ」
「花咲さんを、殺したのか?」
「あ?あの女のことか?それならそうだって言っているだろうが」
「……ッ!」
雄星の口からギリッと音がした。殺気は昨日よりも更に強くなっている。
「ユウセイ、ちょっと待ってて。こいつは、私の敵だから」
「……そうも言ってられねぇよ」
確かに香の仇うんぬんもあるが、僅かとはいえミウの膝が震えているのだ。そんな状態を見せられては放っておけという方が無理だ。
だが、雄星がどうこうしようとする間に、戦闘が開始された。
「せァァッ!」
「ヌウゥンッ!」
ガッッという接触音の後に、衝撃波が撒き散らされる。雄星はそれに耐えるので精一杯だった。
「ぐ……アァァァア!」
「ッ、フンッ!」
再び、衝撃波が撒き散らされる。
雄星は思った。次元が違う、と。
いくら喧嘩が強くても。
いくら力があろうとも。
自分が入ったところで瞬殺されるのがオチだ。生きている世界が違うだけで、こんなにも違う。
何度目かの剣戟の後、ついに、ミウの体制が崩れた。
「しまっ__」
「もらったぁっ!」
ズブッと嫌な音がした。
「あ、カハッ……」
ギリギリ急所は外れていたが、薙刀がミウの腹を貫通していた。
苦しそうに咳き込む口から、恐ろしい量の鮮血が溢れる。傷口からも同様に、かなり血が流れている。
放っておけば、時期に死ぬ。
例えあの高い治癒力があっても、こんな状況でそれが何になるのか。
「あ、くぅ……!」
ミウは痛そうに腹を抑える。そりゃ痛いだろう。腹を貫通したのだ。生きている方が不思議だ。
「全く、手間を掛けさせるな……終わりだ、チビ」
その薙刀が、ミウの首にかけられる。そしてその薙刀を振りかぶった時。
「させるかぁぁぁぁぁっ!」
雄星が飛び出した。
振り下ろされる薙刀を横薙ぎで殴る。が。
「う、ぐあっ⁉︎」
その薙刀は、雄星の一撃で若干軌道を変えて右腕を掠めていった。だが、力が違いすぎる。掠めただけなのに、深い切り傷ができていた。
わかっていたことだが、それでも、悔しかった。あまりにも無力な自分が情けない。
大男はそのまま鬱陶しげに雄星の腹に蹴りをかました。大した威力ではないはずなのに、百メートルくらい吹き飛ばされた。
「が、ぐ、くそったれ……!」
全身を強く打ち、痛みで呻く。それでもミウの元に向かおうとするが、体が動かない。
__チクショウ!
自分の意思に反し、意識が閉ざされようとしていた、その時。
雄星の視界は、別世界のように変わった。
__ここは?
辺りを見渡すと、あちこちの建物がボロボロになっていた。
あるものは倒壊し、あるものは風化し、あるものは燃えて灰と化している。
……何故だろう。初めて見る光景のはずなのに、見覚えがある気がする。
視線を移すと、唯一、ボロいが被害を受けてない建物がある。
それはまるで、教会のような建物だった。その天辺に、一つの影があった。
表情はあまりよく見えない。髪の色も、辺りが暗くてよくわからない。服装はおそらく真っ黒で、軍服のようなものを着ているが、細かいところまでは見えない。
__君は?
雄星は人影に問う。
そして人影は、雄星の方を向いて言う。
『このまま、ボーッとしてるつもり?』
それは、少女の声だった。高く、澄んだ声は、雄星の頭に響く。
『このままだと、失っちゃうよ?大事なもの、大切な人、全て』
__わかってる。けど、頑張れば如何にかなるような事じゃないんだよ。
頑張ってなんとかなるなら迷わずそうする。けれど、一度の接触で力の差は圧倒的なものだとわかった。
死ぬ気になったところで埋まるような差じゃない。
『ええ、わかっているわ。まあ、今回の事がなくてもいつかは言うつもりだったけれど』
__何をだ?
『貴方には力がない。だから__』
__私を、使いなさい。
真っ赤な暁を背に、彼女は言った。その顔は、笑っているように見えた。
「全くもって面倒臭い。こんなガキ一人も殺せんとは、影どもにも困ったものだ」
「ユウ、セ……」
ミウは雄星の方に手を伸ばす。だが、その声は掠れて、身動き一つ取れない。
大男は薙刀を振り上げる。
「ふん、今度こそ終わりだ__」
だが、大男はまたも動きを止める羽目になる。途轍もなく大きな力を感じて。
「お前、何だ……?」
警戒心を込めて大男は呟く。
その視線の先には、ゆらりと立ち上がる雄星の姿が見て取れる。
「ユウセイ……?」
「……」
雄星の目には、不思議な光が灯っていた。
そして顔を上げると同時、口を開く。
「__う、お、おお、おおおおおおおおおおッ!」
雄叫びを上げると同時に、雄星の心臓辺りから焔が溢れ出す。燃え上がる。
何が起きているのか、ここにいるもの全員が知っている。
__《焔の使徒》誕生の瞬間だ。
だが。
「なっ⁉︎」
「えっ⁉︎」
焔には5種類あって、『紅』、『蒼』、『翠』、『雷』、そして『闇』である。
だから、驚くのも当然だ。
雄星の焔は、本来、存在しないはずの黒色だったのだから。
力が溢れ、満ちてくる。
体が熱い。
まるで魂のように燃え上がる焔。その色は黒だ。
薙刀の一撃を受けた腕を見る。そこにはもう、傷一つなかった。
__これが、《焔の使徒》の力か。
なんでもできる。そんな気がする。
雄星は、大男の方に足を進める。
「ミウから離れろ」
「ほう……面白い」
大男は薙刀を雄星に向ける。そして、地面を蹴った。
待った無しの先制攻撃だった。
「……!」
「いいだろう。お前から殺してやる」
速い。が、先程とは違い、目で追えるようになっていた。
それが慣れなのか、使徒としての力なのかはわからないが、好都合だ。
雄星は何かを握るような動作をする。瞬間、雄星の腕が閃く。横薙ぎに振るわれた何かが薙刀を弾く。
「ぐっ……⁉︎」
強い衝撃を受けた大男は少し後退して睨む。
雄星の手には、いつの間にか一本の剣が握られていた。
人間で言えば骸骨だけの様な歪な形の剣。その剣からは黒い焔が瘴気のように滲み出ている。
大男は、その剣に見覚えがあった。かつて滅びた王が使っていた、最凶の剣。
「その焔、その剣、まさかお前は__」
言葉の途中で、いつの間にか雄星が肉薄していたことに気づく。
大男はさすがの速さですでに受けの構えに入っている。
だが、それに構わず雄星は剣を振るう。
__消えろ!
ドンッ!と音が響く。そして。
「がっふ……⁉︎」
歪な剣は、大男の防御を完全に無視して、肉体を切り裂いた。
その傷は、決して深くはないが、この場においては決定的な一撃になった。
だが、大男はむしろ嬉しそうに笑みを作る。
「……そうか、やはりお前は彼あの王の契約者か。面白い」
「よくわかんねーけど、お前はここで斬る」
「そうか。それは面白そうだが、今回は退かせてもらうぞ」
「な⁉︎待ちやがれ、逃げんな!」
「また会おう__《黒焔の使徒》よ」
雄星は大男に斬撃を打ち込むが、周りの影を斬り伏せるだけでギリギリ届かずに終わった。
結界が解かれた頃には、この町の人間は一人残らず消滅していた。
「……」
「ゆ、ユウセイ」
「ん?」
「その……ごめん。何もできなかった」
誰一人いなくなった町を校舎の屋上から眺めながらそんな会話をする。
雄星はフッと笑みを作って言った。
「いや、ミウは頑張ってくれたよ。僕が悪いんだ。何もできないくせに、下手に動いて、ミウの足を引っ張っちゃってさ」
「でも、ユウセイはアイツを追い払ってくれたじゃない」
「あれは……たまたまだよ。それより、その傷は大丈夫?」
「うん、まだ痛むけど、傷は一応閉じたわ」
「そっか」
これは、後からわかったことだが、香もどうやら《焔の使徒》だったらしい。
__やるべき事がある、か。
結局、香との約束は守れそうになかった。なぜなら、彼女は消えてしまったのだから。
「ねぇ、ミウ」
「……なに?」
「ミウはこれからどうするの?」
ミウを追っていたアイツは既にここにはいない。あの様子なら暫くは来ないだろう。
そしてそれなら、ミウはここにいる必要がない。すぐにでも別の次元に渡るだろう。
「私は……次の次元に渡る。私の目的を達成するために」
予想通りの答えだった。
「ミウの、目的?」
「《焔の使徒》の目的は《異次元存在》及び、他の属性の使徒の討滅だけど、個人としての目的だって当然あるわ」
「そっか。ミウの目的ってなに?」
「私は、その目的がない」
「え?」
言ってることが矛盾してないか?とも思ったが、その疑問はすぐ晴れる。
「正確には覚えていないだけ。私の今の目的は、本来の目的を思い出す事__記憶を、取り戻す事よ」
「なるほど、そういうことか」
初めて会った時も、記憶がないと言っていた。それを取り戻そうというのは妥当なところだろう。
すると今度はミウに問いかけられる。
「ユウセイは、どうするの?」
「僕?」
そういえば、考えていなかった。
守りたかったものも守れずに、この町に一人取り残されてしまった、明星雄星がしたい事。
「そうだな……迷惑じゃなければ、一緒に行かせて欲しい」
「えっ⁉︎」
瞬間、ミウの顔が真っ赤になる。
__なんか、誤解してるかな?
まあいいや、と雄星は続ける。
「この世界にいても、する事がないんだ。知人もあまりいないし、この力も、どうせならもう目の前で何かを失わないために使いたい」
「そう……」
さっきの動揺した様子とは打って変わって、心配そうな表情になる。
「もちろん、無理にとは言わないよ。この力、確か他の次元に行けるんでしょ?自分でも行けなくはないってことだから」
「……」
沈黙。ついてくるな、ということだろうか。
よっと立ち上がると、焔が発現する気配があった。もう行くのだろう。せめて見送ろうと振り返る。
すると、目の前に小さな手が差し出されていた。
「……ミウ?」
「……っ!」
雄星が名前を呼ぶと、その顔がさっきみたく真っ赤になった。
「……んでしょ」
「え?」
「行くんでしょ……早くしなさいよ」
ミウはプイッと顔を背けるが、その手は差し出されたままだ。
雄星は微笑んで、その手を取った。
「ああ、行こう」
「フン……」
いつもとは違って、その手を払われる事はなかった。
__そうだ。
雄星に、新たな目的ができた。
この子を、ミウを守ろう。この命が続く限り__今まで守れなかった人たちの分まで、守り続けるんだ。
焔のゲートをくぐる中、雄星は堅く誓った。
そしてその様子をあの山の頂上で眺める小さな影があった。
ノイズがかかっているかのように掠れているが、その姿はそれなりに見て取れる。
光を一切反射しない真っ黒な髪に真っ赤な瞳。これまた真っ黒な軍服のようなものを着て、服から覗く手や足は真っ白で細い。
人形のような顔立ちに笑みを浮かべて少女は呟く。
「ふふ、無事に契約ができて良かったわ。もう少しで消滅しちゃうところだった」
ノイズのように掠れる手を見て、憂鬱そうにため息をつく。
「暫くは表世界には出られないかなぁ。まあ、それでもいいかな」
__どうせ、もう少しの辛抱だ。
その姿はどんどん掠れて、虚空に溶けてゆく。
「こちらの彼はどんな道を行くのかな?楽しみね」
その姿が完全に消え、最後には声だけが響いた。
『また会いに来てね。待ってるわ__雄星』
初めまして、獅子王です。
初めての投稿で、初めての作品です。
シリーズものにする予定です。ついでに、並行してシリーズものにする予定の話もあるのでそちらも投稿したらお願いします。
時間軸ですが、主人公を中心としているので、世界や季節が違ってもコロコロ変えるつもりはないです。そのままで進みます。
次回は渡った世界から話が始まります。仲間も増える予定です。
それでは、この辺で。
読んでくれた方、ありがとうございます。
次回も頑張るので彼らとこの作品をよろしくお願いします。