表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLACK PANTHER 刑事編  作者: 弥生文馨
第一章 ブラックパンサー刑事編
1/3

第一話 ブラックパンサー 

本作品は著者の創造による産物であり、完全なるフィクションです。

登場する団体、個人等の名称に於いて一部実在のもと類似あるいは同一のものもありますが、本作中の如何なる事柄とも事実上での関連は一切ありません。



また、如何なる理由においても、本作品に登場するオリジナルキャスト及びストーリーの転用は固くお断り致します。






 ○登場人物紹介○


○ケイト・アミーラ・エストラーダ・ホークマン

 全編のヒロイン。ブラックパンサーの通り名を持つフィリピン初の女性刑事。

○ラゴス・シュカトゥナ

 “仏のラゴス”と呼ばれるマニラ市警の刑事部長、特捜の責任者。通称ボス。

○リカルド・オルデン

 クールな警部補、特捜の班長。通称オーデン班長。

○アルコン・シエロ

 国家警察野戦部隊から配属のシラット〔フィリピン格闘技〕の達人。通称チャンプ。

○レオン・マリノ

 殺人課から配属された温厚なベテラン刑事。通称マーノ。

○シージェイ・マッコーイ

 冷静沈着なる狙撃の名手、ケイトの兄の親友。

○セストロ・バレンティア

 新人刑事、特捜のムードメーカー。通称ボーイ/セス。

○イザベル・バリエンテ

 特捜の主任事務技官。通称ベス。

○アウラ・シモンズ

 特捜の美人事務技官。マニラ市警副署長の娘。通称ハーラ。

○ザイーム主任

 フィリピン科捜研の主任。心理学・精神医学博士。通称チーフ。

○ジャスティン

 無口な指紋・血液鑑定等の科学部門担当官。通称ジャスティ。

○アルフレッド

 痕跡・弾道鑑定等の物理部門担当。通称レッド。

○レガロ

 ひょうきん者の音声・音響鑑定担当技官。

○セシリア

 国立大学卒のインテリ鑑識技官、生物学にも長ける。通称セシ。

○ベンハミン

 変わり者の検死官。通称ドグ。

○杉浦技官

 日本から技術指導に訪れている鑑識官。血液鑑定が専門。

○メリッサ

 ケイトの血縁者で絶世の美女。女優・歌手・モデル。

○白田正

 メリッサの良人。写真家。葛葉流古武術の使い手。

○黄 勇夫 ファン・ヨンフ

 レガスピ家の中国人コック。黄〔ファン〕料理長と呼ばれる。

○エンジェル

 ガイアプロのヘァー&メイク。

○ショーン

 メリッサの弟、映像短大の学生。白田の撮影助手。

○アレックス・アントニオ・オブライアン

 スペイン人。レガスピ家の執事。

○アイラ・デラクルス

 超記憶力の少女。

○ウルフマン〔オルティガ〕

 チタン合金並みの爪を持つ狼男。人造人間。

○ランディ中尉

 フィリピン陸軍の小隊長。




○プロローグ

 日本の首都・東京から赤道に向かって南西の方角に約4千キロ、そこにフィリピン共和国の首都マニラがある。

 北海道を除く日本とほぼ同じ領土面積を持つこの国は7107もの島々からなり、そこには100を越える異なる言語を持った9千万人強の人々が暮らしている。

 国としての歴史は比較的新しく、太平洋戦争の後に独立した自治国家を形成するに至った。

 一番大きなミンダナオ島はその時になって始めてフィリピンに統合されている。

 それまでの約330年間、フィリピン諸島は長きに渡り植民地としての歴史を刻み、首都マニラはかつては“東洋の真珠”と呼ばれる東洋随一の貿易港として栄えた。

 複数言語の国家だが全国土で英語が通用し、現地語ではタガログ語が国語とされ8大言語を中心に英語と混在して使われている。

 大日本帝国による軍政の名残もあり、年配者には日本語を解する者も多い。

 国民の8割以上がカトリック教徒。

 しかし、ミンダナオを始め一部ではイスラム教が、またわずかではあるが各地の原住民族の間にはいまだに精霊信仰も残されている。

 気候は基本的には亜熱帯性気候に属し年間の平均気温は28度と温かい。

大別してマニラのあるルソン島を縦割りにした左右側と、その下側にあたるミンダナオ島の三地区で気候は若干異なるが10月から4月頃が雨季で残りが乾季となり、4月から6月頃が夏に相当をする。

 首都近郊はメトロマニラと呼ばれ、この地域だけで全国民のおよそ三分の一にあたる2800万人が生活している。


 1980年代後半そのマニラに於いてフィリピン初の女性刑事が誕生する。

 かつてフィリピンを征服し初代総督となったスペイン人、ミゲル・ロペス・デ・レガスピの末裔で人気実力派歌手の母と米軍高等将校との間に生まれた4人兄弟の長女、ケイト・アミーラ・エストラーダ・ホークマンである。

 ケイトが名前、アミーラは洗礼名、エストラーダは母方の姓、ホークマンが父方の姓名となり、これは フォーネームと呼ばれ由緒ある家系の子供につけられる名前形式のひとつである。

 彼女がフィリピン初の女性刑事に任命されたのは、女性の地位向上運動が世界的に加速する中で、フィリピン近代化の象徴のひとつとして初の女性警察官の採用があった数年後の事だった。

 ケイト刑事は、持ち前のずば抜けた身体能力と黒を好む事から、“ブラック・パンサー”と異名され、その通り名は善良なる人々の間では公平かつ人情味溢れる正義の味方の名前として親しまれ、犯罪者達には揺るぎない正義の鉄槌の代名詞として知れ渡ってゆく。

 “フィリピン国家警察・凶悪犯罪特別捜査班” (略して“特捜”)は凶悪化・組織化する重犯罪に対応するため、メトロマニラ近郊の各警察や軍から選りすぐった人材で構成され1986年の2月に発足した。

 マニラ市警に勤務していたケイト巡査はそこへフィリピン初の女性刑事として配属されたのである。

 特捜班は刑事5名と事務官2名によって編成され、マニラ市警の刑事部長を務めるラゴスの直属としてその指揮下に置かれたものの市警内の一部署ではなく、国家警察の別動部隊であり独立した部署となる。

 その為に特捜班は管轄を持たず、実質フィリピン全土の凶悪事件を担当する。

オフィスは、マニラ市警の署敷地内に1986年1月に新設された国家中央科学警察捜査研究室【以後“科捜研”と略】の二階に置かれた。

 特捜と科捜研は、共にフィリピン共和国に於ける最新鋭の警察機構である。

  注】本作ではフィリピン警察・学術捜査研究所を母体とする“科学捜査研究所”の開設は1984年と設定している。


 ケイトがマニラ市警の「凶悪犯罪特別捜査班」に在籍するのは1987年7月1日から1988年12月31日の約1年半で、この後に本編となる“フィリピン国家特務警備隊対テロ作戦班”へと編入される展開となる。

 但し1988年の3月4日から9月4日までの半年間は米国のFBIにて最新捜査の研修を受けており、よって本作品は1988年9月5日から12月31日までの約4ヶ月間の出来事を記している。




第一話  ブラックパンサー


 フィリピンの首都マニラの少し北、カルオカンにある小規模な交易港。

 その第3埠頭B倉庫前に2台の比較的程度の良い乗用車が停まっていた。

 白のクーペはトヨタのマークⅡ、メタリックシルバーのクーペは日産のスカイライン。

 比較的程度が良いと言ったのは、ここフィリピンでは日本人なら“いったいぜんたいこの国には車検というモノが在るのか?”と疑ってしまうほどの車が平然と街中を走行しているからだ。

 市民の足となっている路線や定期バスの床に穴が空いていて地面が見えている、窓の開閉が出来ない、エアコンが壊れていて使えない、などは特別な事ではなく、あたりまえの顔をしてそんな車が走っている。大抵は日本や中国から購入される中古車両には、それらの国の車内広告がそのまま残されていたりする。中国語表記のオロナミンCの広告が残されたままで運用されていたりと見ていて面白い。

 それに比べるとこの2台の乗用車は新古車といった観で、手入れもよく行き届いており、埠頭の倉庫前という場所に停車している事には少なからずの違和感があった。

 普段ここいらに出入りする車両と言えばトラックとかバンといった作業車が主で、仮に労働者の自家用車があったとしても中古車以下の程度の物である事が殆んどなのだ。

 それぞれの車にはフィリピン人の男性が4人ずつ乗っていた。年齢は概ね20代中程だが、日に焼けるフィリピン人は実年齢よりも老けて見える傾向にある。

 彼等は地元ギャング団のボスとその子分達で、いかにも遊び人といった感じの身なりをしており、誰の目にもひと目でその筋の人間と判断する事ができた。

 ギャング団と言っても実際にはチンピラに毛の生えたようなものではあるが、彼等がこの辺りの顔役である事に間違いはない。

 ボスらしき男の年齢は30代後半と言った処、ガッシリとした体格をしており、それなりの貫禄がある。普通の格好さえしていれば人の善い中年男性に見えそうな顔立ちをしている。

 車は2台ともエンジンを切っているが白のクーペからはラジオの音楽番組がかなりの音量で流れている。

 時刻は午後の2時を少し過ぎたあたり・・・・・・。

 海は凪いでいて穏やかだ。

 埠頭一帯には、潮の香りに貨物船から洩れ出た重油の匂いが微かに混じり、独特の空気となって立ち込めている。それらは南国の暑い日差しによってどんどんと気化しているのだが、風が無い為に地表近くに厚い層となって留まっていて、普段より強く匂いを感じさせていた。

 男達は平静を装ってはいるものの明らかに緊張している様子が見て取れる。

 彼等はかれこれ20分程前からその場所に車を停めて、暑さを堪えながら何かをじっと待っている。

 車窓は全開にされている・・・が、微かな風も無い状態に車内はかなりの温度だ。それでも外に出て直射日光を受けるよりはまだましなので、男達は辛抱強くじっとしているのだ。

 日本人であればとっくにクーラーを点けて涼む気温だ、しかし南国育ちの彼等は暑さには比較的慣れているらしくクーラーを使うほどとは感じていない様子であった。

 遠くを沖合いに向けてどこかの国のさほど大きくはない貨物船が汽笛を鳴らしながら進んでゆく。

 その船を見送るかのように海鳥達が就かず離れずに群れ飛んでいる・・・・・・。

 海はのどかな景色として目の前に広がっており、この港を出て海の彼方は台湾となる。

 暫くして倉庫の外れから2台の黒いベンツが姿を現し、ゆっくりとした速度で男達の方へと近づいて来た。

「そら、おいでなすったぞ・・・」

 ボスの声に運転席にいた子分がラジオを止めた・・・辺りに静寂が戻る・・・・・・。

 ボスは車外へ出ると簡単に身繕いをし、後から来た一行を迎える準備をした。

子分達もそれに続く・・・・・・。

「油断するなよ・・・」

 と、ボスは小声で手下共に活を入れる・・・これは相手に対してではなく、どうやら周りに対して油断するなと言う意味の様だ。

 後から来た2台のベンツは彼等の傍で車を停めた。

 同じように1台に4人づつの計8人の男達が乗っていて、車が止まるとゆったりとした動作の中にも周囲を警戒しながら車を降りた。

 男達の内5人は明らかにフィリピン人だ。が、残りの3人は外国人の様にも見える。

 実際にはミンダナオ島出身のイスラム系フィリピン人と言うのがその正体で、彼等はイスラム武闘派ゲリラの戦士だ。

 黒塗りベンツの一団は全員が一見はどこかのサラリーマン風な井出達である。

 地元の面々に比べると遙かに洗練された印象を受ける。

 双方のリーダーが先ず歩み出て挨拶を交わす、握手からハグ。

「景気はどうだ?」

 身体を離しながらサラリーマン風集団のリーダーが訊ねると、

「まぁ、ぼちぼちだよ」

 地元のボスは愛想笑いを浮かべながら曖昧に応えた。

「品物はちゃんと揃っているのだろうな?」

 サラリーマン風集団のリーダーが念を押す。

「ああっ勿論だ。今回は上海経由でコロンビアから取り寄せた極上品だ。電話で話した通り20キロ用意してある。・・・支払いの方は問題ないか?」

「ああ、そちらの要望どおり“百ドル米紙幣”で用意してある。依頼の品も持って来た、問題ない」

 サラリーマン風のリーダーは手下の一人が手にするケースを右手の親指で指しながら言った。

「よし。じゃあ早いとこ済ましちまおう。おいっ、ブツを渡してやれ!」

 そう促されて地元ギャングの手下が自分のバックを相手方のアタッシュケースと交換する。

 麻薬・・・の取引現場なのである。

 白昼堂々と青空の下でとは、警察の存在など・・・まるで気にしていない様子だ。

 これには、もし地元の警察官に見つかったとしても、多少の袖の下を渡しさえすれば大抵の場合は不問となってしまうと言うこの国の実情がある。

 警察にも軍にも賄賂や不正が蔓延している・・・・・・。

 双方がお互いをそれほど警戒していない様子からして、これが始めての取引ではなく互いの間にはすでに信頼関係が成立しているようだ。

 サラリーマン風のリーダーがバックを受け取った手下に目配せで合図をすると、その部下はすかさず中身の確認作業に取り掛かった。

 ポケットナイフを取り出して包みのひとつに一刺ししナイフに付いた白い粉を舐めてみる。

間違いなく麻薬であると確認し、リーダーに向かって頷いて見せた。

「上の方も、そっちとは長い付き合いを望んでいる。後でゴタゴタは嫌だからちゃんと現金を確認してくれ」

 煙草にジッポーライターで火を着けながらサラリーマン風のリーダーが言った。

 代金を受け取った方の男は車のボンネットでケースを開いて中身を確認した。

 ざっとだが確認をして・・・・・・

「大丈夫ですぜ」

 とボスに間違いの無い事を報告し、男はケースの蓋をパタンと閉じた。

「箱のモノも渡してやれ・・・・・・」

 サラリーマン風のリーダーが部下に追加の指示を出す。地元の一味に一抱え程の大きさのかなり重そうな木箱が渡される。

「約束した品物だ。前科無しの回転式30丁にオマケで弾丸を200発ほど付けておいた。受け取ってくれ」

 サラリーマン風のリーダーがそう言い終えたかどうかの瞬間である・・・サイレンの音と共に取引現場に招かざる客が現われた。

 呼んでもいない・・・のにやって来たのは4台の覆面パトカーだった。

「畜生!誰の仕業だ!こんなゲストを呼んだ覚えはねーぞ!」

 地元のボスが顔面蒼白となって叫んでいる。

 怒りながらも既に逃げ腰でオロオロする始末だ。

 それぞれの車からは数人ずつの私服警察官が飛び降りて、車を盾にして一斉に拳銃を向けてきた。

 そして、お決まりの台詞を叫んでいる。

「警察だ! 大人しくしろ! 」

「麻薬取引の現行犯で逮捕する! 」

 犯人達は一瞬・・・・・・躊躇した。

 しかし、そう言われて『ハイそうですか』と、大人しく捕まる馬鹿はいない。

「畜生ッ!殺っちめぇ! 」

 言うが早いかサラリーマン風のリーダーは近くにいた警官目掛けて続けざまに発砲を開始した・・・。

犯人側は用意周到で、黒塗りベンツの一味に至っては自動小銃まで持っている始末。弾も充分にあるらしく、警察側が撃ち返せない程の一斉射撃が始まった。

 警察車両の片側がたちまち、蜂の巣の如くに穴だらけとなっていく。

 警察側の手には拳銃しか無かった・・・・・・。

 それでも最初の乱射が落ち着くと体制を立て直して反撃に出て、双方の間に激しい銃撃戦が交わされた。

 警察側の車両の内二台は国家警察・麻薬取締課のモノで、残りの二台はその応援として出動した凶悪犯罪特別捜査班“特捜”のモノである。

「畜生っ。奴等、滅茶苦茶やりおって!」

 特捜のボスことラゴス刑事部長は大きな身体を車の陰で小さくしながら吐き捨てる様に言った。

 手には隙を見て車内から取り出したショットガンを握っている。

「シージェイ、援護してくれ。このままじゃ埒があかない」

 そう言われて、ラゴスの隣で身を潜めていたシージェイは手にしたベレッタを握り直した。

「3で出るぞ・・・・・・」

 ラゴスはそう言ってカウントを始めた。

「1・・・2・・・3! 」

 素早く身を出してショットガンを撃ち、直ぐに身を隠す・・・身体の割には見事な早業だ。

 散弾は犯人の一人を見事に射止め、男は着弾の衝撃で後方へと吹っ飛んだ。

 被弾した痛みと怒りで野獣の様な唸り声を上げながらジタバタと暴れている。

 それに怒った犯人側の攻撃がひとしきり激しさを増す・・・・・・。

 車両の陰でレオン刑事が左腕を抑えて呻くのが聞こえた。

「どうしたマーノ?やられた・・・のか? 」

 同僚のアルコン刑事が心配して訊ねた。

「クソっ、兆弾にヤラれた。大丈夫・・・カスっただけだ」

 言い終わるが早いか、マーノことレオン・マリノ刑事は忌々しそうに舌打ちして、弾倉の残りを怒りに任せて続けざまに発射した。パトカーの陰から拳銃だけを出して撃っている。

 アルコン刑事はマーノ刑事の元へと移動して、バンダナで傷口を直接圧迫して止血してやった。

 マーノ刑事はカスっただけと言ったが、銃弾はなるほど、見事に“カス”っていた。

 彼の二の腕には銃創がポッカリと穴を開けており、血が滴っている・・・。

 しかし、命に関わるような傷ではない。

 お互いに激しく発砲してはいるが、今のところ負傷者はラゴスの散弾に吹っ飛んだひとりとマーノ刑事のかすり傷だけのようだ・・・・・・。

 シージェイは最初の弾倉を撃ち尽くし、マガジンを交換しながらチラッと相手の様子を窺がった。

 そして、そこに嫌なモノを見た。

 なんと犯人側の一人がバズーカ砲を用意している・・・・・・。

 しかもそれが自分達が盾にしている車へ向けられようとしているではないか。

「ボス!“ヤバイ!”」

 シージェイはラゴスの腕を掴んで車両の陰から走り出て、近くの物陰へと飛び込んだ。

 間一髪、特捜の車両がバズーカ砲の直撃を受けた。爆発音と共に火柱が上がり黒煙がたちこめる。

 爆発の衝撃で防弾仕様の重い車体が40センチ以上も宙に浮いた。

 麻薬課の車両と違い特捜の車両が簡易防弾仕様であった事が幾分か幸いしたと言える。

 防弾装甲された車体がバズーカ砲の威力を半減してくれたからだ。

 これが普通車両であったなら警官側の被害は深刻なものになっていたかも知れない。

「間一髪だったな・・・・・・」

 ラゴスは人事のように言っている。

「あんなのを喰らったら死体も残りませんよ・・・」

 シージェイは言いながらバズーカ砲を撃った犯人に向けて拳銃で何発か撃ち返したが、当たらなかった。

「キャハハ・・・」

 近くでアルコン刑事の笑い声が微かに聞こえた。

「まるで・・・戦場だな」

 野戦部隊出身のアルコン刑事は派手な銃撃戦を面白がっている。

「笑い事じゃあない。一台いくらすると思ってるんだ!・・・国民の血税をスクラップにしやがって!畜生め!」

 ラゴス刑事部長の怒鳴り声が返って来た。

 見ると、彼は銃弾が飛び交う中に仁王立ちとなりショットガンを連射している・・・。

 シージェイは驚いて怒れるラゴスを物陰へと必死になって連れ戻した。

 なにしろ巨漢なラゴスだ、生半可な力ではビクともしない。

「ボス、駄目ですよ。唯でさえ的になり易いのに」

 言ってしまってシージェイは『しまった』と後悔した、が・・・すでに手遅れだ。

「何だぁ?俺が“バブイ”だからだとでも言いたいのか?」

 ラゴスは剥くれて見せる。

 “バブイ”とは・・・タガログ語で“豚(肉)”の意味だ、転じて“デブ”の隠語としても使われる。

 シージェイが慌てて弁解しようとするとラゴスはニッコリと笑って

「喧嘩を売る相手が違う」

 と言いながら彼の肩を軽く叩き、再び犯人に向けて物影から撃ち始めた。

「第一あたるもんか。あんな・・・チンピラ共の銃弾〔タマ〕なんか、タマの方で俺を避けるさ」

 百選練磨の刑事部長の度胸の良さにシージェイは苦笑いするしかなかった。

 いつも・・・・・・そうなのだ。

 ラゴス刑事部長はどんな現場でも銃弾が飛び交う中に平然と立って最前線で部下を指揮する・・・。

本人は涼しい顔でいるのだが、シージェイはいつもハラハラしながら巨漢のラゴスを宥めながら安全な場所へと引っ張り込むのに必死の思いをさせられるのである。

「しかし、お前さんも拳銃の腕前はからっきしだな。ライフルがあれば既に半分は片付けているだろうに」

 ラゴスの言う通りである。シージェイと言えばマニラ市警きっての狙撃の名手、いや、フィリピンで一番と言っても過言ではないかも知れない・・・・・・。

 確かに拳銃での射撃はライフルでの狙撃に比べると腕が落ちるのは自分でも認める、しかし“からっきしとは酷い”とシージェイは思った。

「まぁ、たしかに自分を除いたら一番ですがね」

 そう野次ったのはアルコン刑事だ・・・。

 彼も長銃の扱いには自信がありシージェイにはライバル意識を持っている。

 実際、シージェイの腕前には少し及ばないもののアルコン刑事も確かに優秀な狙撃手である。

「チャンプ!」

 ラゴス刑事部長の声にアルコン刑事の銃声がハタと止った。

 見えもしない部長の顔色を窺がうかのように声のした方向を見詰めている・・・・・・直ぐに、部長の続きの言葉が聞こえてきた・・・・・・。

「無駄口叩く暇があるなら、ガンガンぶっ放せ!」

 アルコン刑事が使うコルト・パイソンは、マグナム弾発射用のリボルバー(回転弾倉)式拳銃で、通常の銃弾に比べると破壊力が格段に高い。その為いつもならば発砲を控えろと注意をされている。

 それを部長自らがガンガン撃てと言う程に今日の犯人共の乱射は激しものだった。

「・・・了解、ボス!」

 部長のお墨付きをもらったアルコン刑事はニャリと笑って発砲を“派手”に再開した。

 両者の銃撃戦がピークに達する頃、警察側にはパトカー6台の応援が到着する。

 それによって銃撃戦の均衡が俄かに崩れて、犯人側はジリジリと押される形となった。

 支えきれないと見た犯人側は後退を始めた・・・・・・。

 しかしその撤退の仕方が、只のギャングと言うよりは訓練された兵士の動きである事にアルコン刑事は気がついた。

 彼はラゴスの方へと駆け寄りながら注意を促す。

「ボス。地元の連中は只のチンピラでも、もう一組は只者じゃあないぜ」

「どう言う意味だチャンプ?」

 隣に潜り込んだアルコン刑事にラゴスが尋ねる。

「奴等の手際、ありゃ軍事訓練を相当積んでますぜ・・・・・・」

 相手を只のチンピラだとと思って下手に追えば思わぬ被害を受ける事になる・・・とアルコン刑事は付け足した。

「皆、注意しろ。相手側には軍事訓練を受けたプロがいる!」

 ラゴスは全警察官に大声で注意を促した。

 犯人達は直ぐ後ろの倉庫を抜けてコンテナ置き場へと逃げ込もうとしている。

 成る程言われてみれば、サラリーマン風の集団の方は必ず2名以上が殿を勤めながら順次移動を繰り返している・・・・・・訓練された兵士の動きかた・・・・・・なのである。

 犯人達の逃げ込んだ場所、そこには積み上げられた大量のコンテナが迷路を作っていた。

 先に駆け込んだ犯人側はその地の利を生かして再度の抵抗を試みた。

 後を追った警官側は足止めを喰らい、銃弾を避けて物陰へと身を寄せて応戦するしか術がなかった。

ここでも激しい銃撃戦となったが、今や警官側の方が数で勝っていたので勝敗は思ったより早く先が見えた・・・。犯人側の3人が相次いで倒れると、相手は完全に統率を欠いて逃げの態勢に入ったのである。


 特捜のセストロ・バレンティア刑事は22才。特捜では2番目の若手で21才のケイト刑事が年齢でいけば一番若い。

 警察学校を主席で卒業した秀才だが・・・刑事としては何と言っても経験が不足している。

 彼は色白で美形な容姿と素直な性格から同僚からは“セス”の愛称で可愛がられていた。

 セスにとって今日のような激しい銃撃戦は始めての経験だった。

 特捜にケイトの穴埋めとして赴任して半年。これまでにも銃撃戦の経験は何度かあったものの、今日程に激しいものは無かったからだ。

 犯人側からの最初の乱射を受けた瞬間からすっかり舞い上がってしまい、ほとんど無我夢中で拳銃を撃ち返していた。

 その為、コンテナ置き場でドラム缶の陰の犯人と撃ち合っていた時に、相手が発砲を止めて逃げ出すとつい反射的に後を追ってしまった。周りを気にする余裕など無かったのだ。

 コンテナの迷路に逃げ込んだ男を追って自分もそこへと跳び込んだのだが、それが彼を思わぬ窮地に追い込む事になろうとは、その時は微塵にも思っていなかった。

 犯人を追う内に、別の方向から同じくコンテナの迷路に逃げ込んだ別の犯人と鉢合わせをしてしまったのである。

 突然、右手側から飛び出した男とぶつかって・・・・・・セスは派手に転倒した。

 一瞬何事が起きたのか判らなかった。

 その偶然の出来事に、天は少なくとも犯人側に味方した。

 セスが身を起こすと目の前にはぶつかった相手の銃口があり、それがセスに向かって・・・死神・・・を放とうとしていたのだから・・・・・・。

 ぶつかった衝撃でセスは拳銃を失くしてしまっていた。それは相手の少し先の地面に転がっている。

「くたばっちまえ・・・デカ野郎!」

 相手はセスを警察側の人間と見定め、口元に冷たいあざ笑いを浮かべると引き金を引く体制に入った。

セスは無駄な抵抗は試みず、あっさりと観念をした・・・・・・。


 その日、朝の8時半。

 特捜のオフィスが在る科捜研の2階には始業30分前にも関わらず、すでに所属刑事全員がいた。

 特捜の詰め所には隣接して班長用のオフィスがあり、特捜の班長であるリカルド・オルデン警部補(42才)が立ったままの姿勢で自分のデスクの書類を所在無げに手に取って見たり置いたりしていた。

 彼は通り名が“オーデン”なのでオーデン班長と皆からは呼ばれている。

 本名以外の通り名で呼ばれる外国人の比率は日本人に比べると遙かに多い。

 親しい間柄であれば確実に通り名が使われる。しかも彼等の場合は私服警官なので多くの場合で本名を使う事は先ずしない。刑事個人を特定する材料となってしまうからだ。

 詰め所のソファーでは、アルコン刑事とレオン刑事が前日のバスケットの試合中継の話しに花を咲かせていた・・・。

 アルコン刑事はアルコン・シエロ(35才)国家警察野戦部隊から配属されたシラットの達人である。

 シラットとは、フィリピンの伝統的格闘技で日本の合気道に似て応じ技・返し技を得意とする。

 合気道と違うのはシラットでは応じ技で相手の武器を奪い取りそれによって攻撃を加える点で、格闘技としての有効性はかなり高い武術と言える。

 野戦部隊当時その武術大会において優勝の常連であったことから“チャンプ”の通り名がある。

 がっしりとした軍人タイプで173センチと背も高く、頭髪は短く刈りそろえている。

 普段は口数が少ないが、バスケットの話となるとまるで別人となる。

 レオン刑事はレオン・マリノ(44才)ケソン市警の殺人課から配属されたベテラン刑事で特捜最年長。

 彼は皆に“マーノ”と親しみを込めて呼ばれている。

 9人の子供達の善き父親で、身長150センチと小柄で丸くて色黒い。

 服装は派手な事が多く、煙草は吸わないが酒は大好きである。

 地声が大きく、署内の何処にいてもすぐにその所在が分かる陽気な人物だ。

 マーノとチャンプがバスケット談義を交わしている場所へコーヒーを運んで来た女性がいる。

 アウラ・シモンズ(19才)同僚達は“ハーラ”と呼ぶ。

 ハーラはアウラのアラビア語読みで・・・学生時代の友人達からそう呼ばれていたらしい。これは英語のオーラという意味にあたる。

 彼女は特捜の事務技官で、父親がマニラ市警の副署長をしている。

 小柄で細身ではあるがなかなかの美人で、優秀な人材だがまだまだ世間知らずなお嬢様だ。本人は刑事志望なのだが父親がそれを許してくれない。

 普段はチーフオフィスの隣にある事務技官のオフィスで主任事務技官であるイザベルの業務補佐をするのが彼女の仕事である。

 主任事務技官イザベル・バリエンテ(24才)は明朗快活な女性。

 元は日本系企業のコンピューター部品製造工場で事務職に就いていた。

 コンピューターの使用に精通しており、その特技で特捜の主任事務技官として採用されたという異色の経歴を持っている。

 呼び名が“べス”なのは、イザベルの英語読みがエリザベスである事に由来する。

 ベスとハーラの主な仕事は、捜査に出た刑事達と連絡を取り捜査活動を支援する事にある。

 そのべス自身は先程から事務室の自分のデスクに座り込んで爪の手入れに余念がなかった。

 ロッカールームでは二枚目刑事のシージェイ・マッコーイ(25才)がポリスベルトを身に着けている最中であった。

 整った顔立ちで、日焼けした褐色の肌をしている。肌の色の違いを除けばギリシャ神殿の男性彫刻像にも引けをとらない筋肉美の持ち主だ。笑うと歯並びの良い白い歯が印象的な南国の美男子で168センチの身体は見事に鍛えられていて無駄が一切ない。

 ケイトの兄のケインとは幼い頃からの親友で、従ってケイトとも長い付き合いとなる。

 子供の頃のシージェイとケインは仲間達と共に結構ヤンチャな遊びにも興じたが、男勝りだったケイトも一緒になってよく遊んでいた。その頃からケイトは男にも決して引けをとらないすば抜けた身体能力を見せていた・・・・・・。

 シージェイの父親は歯科医師としてマカティのオフィスビル街で開業医をしている。

 母親はケソン市にある国立病院の外科医師でイタリア人とフィリピン人のハーフだ。

 従ってシージェイ自身はクオーターなのである。

 兄弟は2才年下の妹が一人だけで、これはフィリピンの家族としては珍しく少ないほうだ。

 狙撃手としての腕前とダンスのお手並みは超一流だが、酷い音痴で・・・歌は聴けたものではない。

 物心ついた頃からの警察官志望で、メトロマニラの犯罪撲滅が生涯の使命と信じてやまない熱血漢だ。

 セスがロッカールームに駆け込んだ頃にはシージェイはすっかり身支度を終えていた。

 セスはシージェイに元気な声で礼儀正しく・・・朝の挨拶をした。

「先輩、おはようございます」

 セスにとってシージェイは憧れの先輩だ。

 何をやらせても器用にこなすし格好が好い。ただし歌以外での話だが・・・。

「おはよう、セス。今日は朝から元気がいいな」

 シージェイの方は普段より幾分テンションが低い様子だ。

「えぇ、昨夜は今日に備えてバッチリ早く寝ましたからね。なんと言ってもケイト刑事が研修を終えて(アメリカから)帰国する日でしょう。早く逢いたくて。あーワクワクするなぁ」

 まるで子供の無邪気さなのである。

 交通課の巡査から刑事へと昇進し、ケイトの穴埋めとして特捜に配属されたセスにとって“ブラックパンサー”と一緒に仕事が出来る事が楽しみでたまらないのだった。

 ブラックパンサーとは黒を好む事としなやかな身のこなしからつけられたケイトの通り名で、彼女がまだ制服組に居た時、警官仲間の酒の席で誰かがケイトを“黒猫ちゃん”と呼んだ。

 するとケイトが、

「あらやだ、私は猫みたいに大人しくはないわよ。・・・爪も牙も出したら凄いんだからね・・・」

 とやり返した。それを受けて別の誰かが、

「確かにケイト巡査は黒猫と言うよりは・・・黒豹だ」

 と言ったのが・・・・・・由来らしい。

「おいおい。浮かれるのはいいが、あまりはしゃいでいると噛み付かれるぞ」

 シージェイは無邪気な後輩をからかった。

「ケイト刑事ってそんなにおっかない人ですか?」

 セスは少し・・・不安になった。

「少なくとも、犯罪者に対しては手加減なしだな・・・アレは・・・・・・」

 そう言ってシージェイは笑っている。

「おー怖ぁ・・・・・・」

 セスはぶるぶるっと身震いして見せた。


 ふたりが冗談を交わしながらロッカールームを出てオフィスに向かって歩き始めると、事務技官室からべスが現われて

「あら、おふたりさん。おっはよぅ」

 と陽気に挨拶をしてふたりに合流した。

 べスは小柄だが・・・少し、いや正確には・・・だいぶ・・・太っている。そんな彼女だがいつも決まって奇抜な服装を好む。

 しかしそれが妙に板についているから不思議と言えば不思議である。

 今日は、ストレートのジーンズに白の半袖ブラウスを着ているのだが、そのジーンズはオレンジに緑を縦縞に継接ぎしたものでその上にはかなり大きなヒマワリのアプリコットが幾つか不規則に付いていた。

ブラウスは襟元と袖口にフリルが付いているのだが、そのフリルがまた半端な大きさではない。胸元を大きく開けていて、中にオレンジ色のタンクトップを着用しているのだが彼女の豊満な胸の谷間がかなりきわどいラインまで見えている。

 セミロングの髪は大きめなカールの金髪で量が多い。但し、金髪は染めているからで地毛は茶色なのである。その髪をかなり幅のあるオレンジ色のヘアバンドで押さえつけて後ろに向けてまとめている。

 足元には13センチヒールのサンダルを履き、それがまた・・・蛍光色のオレンジラメと来ている。

「べス・・・今日もブッ飛んでるなぁー」

 その姿を見てシージェイが野次った・・・・・・。

「ちょっと、何、どこか・・・いけない?」

 完璧なコーディネートの筈なのにと、ベス。

「いゃあ。テレビのお笑いタレントだって其処まで派手な格好はなかなか無いな」

 シージェイはその格好で平然と町中を歩くベスを想像し、その勇気に感服しながら言っている。

「あんた、なに? 朝から私に喧嘩売ってるの?」

 彼女は決して本気で怒っているわけではない。

二人はいつもこうして好き勝手に言い合ってはストレス発散をするのだ。

「このシャツ高かったのよ・・・・・・」

 オフィスに付くまでの間、彼女がそのブラウスをいかに苦労して手に入れたかを二人は聞かされる羽目となった・・・・・・。

 三人は並んでオフィスに入ったが、べスはそこで回れ左りをして列から離れた。

「おふたりさん。珈琲でいいわよね?」

ベスはふたりの同僚に飲み物を用意しようと訊ねた。

「ミルクたっぷりでお願いします」

 というセスの言葉に、

「はいな、クリープたっぷりね」

 と復唱し

「シージェイはブラックでいいわね?」

 と心得ているものの念のために訊いている。

「ああ、砂糖は2杯。山盛りで頼むよ」

 シージェイはクリープの・・・・・・あの粉っぽさがどうにも苦手だった。

 ふたりが詰め所にいた同僚に朝の挨拶をしていると、そこにオーデン警部補が現われた。

 一同は班長に朝の挨拶をし、オーデンもそれに応える。

「なんだ、全員揃っているのか・・・今日はみんな、やけに早いな」

 そう言う彼自身、今日はいつもより早く出勤していた。

 オーデン警部補はアルコン刑事の側へ行くと手にしていた書類を彼の目前に投げ出した。

「何だその請求書は?カフェのガラス3枚で9万6千ペソだぁ?チャンプどういうことだ?わかるように説明しろ!」

 と、問い質した。

 いきなり問われてアルコン刑事がしどろもどろで答える・・・・・・

「先日の・・・犯人逮捕の際に被弾したカフェへの弁償分ですが・・・」

「だめだ。こんな物が通るか。だいいちガラス3枚で9万6千ペソとはどう言う事なんだ?」

 9万6千ペソは日本円に換算すると24万円相当となる。1枚が8万円の計算になる。

 フィリピンでは、警察官の月収が2万円程度、医者でも3万円前後で女性事務職なら6千円から8千円程度が手取りである。8万円は、下町の通常の家庭ならばほぼ二ヶ月分の生活費に該当する金額である。

 警察官の年俸分のガラス代はありえないだろう・・・とオーデンは思ったのだ。

「店の主人の話によると、その店で使っているのは中に極く薄い金箔が使われている特殊な偏向ガラスらしくて・・・1枚が3万2千ペソするらしいのです」

「なんだと?」

 オーデン班長が渋い顔になった。

「3枚ともお前が割ったのか?」

 先日の犯人との銃撃戦には制服警官も居たからだ。

「自分の銃弾が当たったのは1発だけです」

 チャンプことアルコン刑事はキッパリ言った。

「じゃあ残りの2枚は制服組みが割ったのだな?」

 それならば、残りの2枚についてはマニラ署に処理を回してしまおうとオーデンは考えている。

 ところが・・・・・・

「いえ。制服組が割ったのは1枚だけです」

 と、アルコン刑事。

「何?」

 ・・・・・・それでは計算が合わない。

「自分の1発が店を斜めに貫通して・・・・・・ガラス2枚を割りました」

 チャンプは頭を掻きながら申し訳なさそうに言った。

 陰でシージェイが遣り取りを聞きながらニヤニヤしている。

「何てことだ。だから、街中でマグナムをぶっ放すなとあれほど言っているんだ!」

 オーデンは怒りきれない。

「まぁいい。2枚分に書き直して再提出しろ。後の1枚についてはマニラ署に出させる」

 ・・・・・・わりと細かい班長なのである。

 ベスが珈琲カップをシージェイのディスクにそっと置きながら、

「どうかしたの?」

 と訊ねる。

「何でもない。班長が朝から“絶好調”なだけさ」

 ベスは、

「あら・・・そう」

 と笑顔になってセスへと珈琲を持っていった・・・・・・。

 毎日必ず誰か一人は、班長のお小言の犠牲者となるのが特捜班の決まり事のようになっている。

 大抵の場合、その内容はどうでもいいような些細な事柄であることが多く、しかも結末は何時も小言をもらった者の不利益には繋がらない。従ってこの口煩い班長は意外にみんなから好かれていた。中間管理職がそんな具合なので、特捜班は危険な職場の割りにはギスギスとした雰囲気がないのだ。ひとつには南国の民族故のおおらかさから来るものであるのかも知れないが、とにかくここの刑事達はひとつの家族のように仲が良く、その連帯感は捜査の場でも大いに良い方向に作用している。

「処で、ケイト刑事の帰還祝賀会の件だが。シージェイ、準備のほうは万態か?」

 今日、米国から帰国するケイト刑事のためにサプライズパーティーをやろうと言い出した張本人は心配顔で尋ねた。

「大丈夫です。ベスとハーラに手伝ってもらって手はずは完璧に整っています」

 昨日の勤務後に3人で3階の小会議室にケイト帰国の歓迎会の準備をした。

 思いの他手間取ってしまい、おかげでシージェイは昨夜は睡眠時間が何時もより短かった。

「ところで班長、ケイトを迎えに行くのにウチ(警察)の車両を使ってもいいですか?」

「ああ、公務だから構わんよ」

 シージェイの問いにオーデン班長は即答で許可を与えた。しかし、

「ちょっと待て。そうも行かなくなりそうだ」

 との声が掛かり、一同は声の主をふり返った・・・声の主は特捜のボス、ラゴス刑事部長だった。

「残念だが・・・ケイトの出迎えは中止だ。」

 ラゴスはそう言って一同を見渡した。

 一同は起立して挨拶する。新人のセス独りが思わず敬礼をしてしまい、シージェイに目で注意された。

 制服組と違って私服の刑事は敬礼をしない。警察官であることを知られない為の私服なのである。敬礼をするなど、私は軍か警察関係の者ですと自ら正体を晒しているのと同様なのである。

 軍隊ですら制服制帽の時以外は敬礼はしない決まりとなっている。軍服姿でも制帽を着用していない場合には立礼を持って敬礼の代用とするのが慣わしだ。

 ラゴスは少し間を置いてから話を続けた。

「今朝早くに麻薬課から電話があってな・・・本日オルオカンの港で麻薬の取引があるらしい。地元のギャング団に潜入していた麻薬捜査官からの報告で、相手方はかなり大規模な組織らしいとの事だ。

ところが・・・麻薬課には他にもヤマがあって・・・人手不足だ。そこで我々に応援要請が来た。と、言う次第だ・・・・・・」

 一同は異口同音に不満を見せたが、仕事とあっては仕方がない。

「こう言う時だけこっちに頼って、手柄は何時も独り占めだ。麻薬課は・・・ずるい」

 若いセスは不愉快をあからさま口にした。

「まぁ、そう言うな。今回は私も出張る」

 ラゴス刑事部長直々の出馬となると、相当に重要な捕り物だなと一同は気を引き締めた。

 マニラ市警・刑事課部長のラゴス刑事部長は“仏のラゴス”と呼ばれる名刑事。経験豊富な上に捜査指揮能力が高く、部下と庶民に対し決して偉そうな態度をとらない。物事の判断が適正で早く、正義の為なら多少の警察規則の違反には目をつぶる寛大さを持っている。それでいて不正行為に対しては断固たる姿勢で臨む清廉潔白な人物なので、署内は勿論の事マニラ市民の評判にも神の如きものがあった。

 ラゴス率いる特捜班の存在は、フィリピン共和国が法治国家として近代化を成す上で少なからず貢献していると言えるであろう。

 後進国であるフィリピンの国政はまだまだ不安定。失業率は高く、国土の治安は決して好いとは言えないものがある。自治国家となり、植民地として他国からの直接的支配は無くなったものの、周辺諸国の裏社会の面々にとってフィリピンはまだまだ美味しい稼ぎ場所なのである。

 フィリピンで一年間に起こる凶悪犯罪のうち実に9割に昇るものに国外の犯罪組織が何らかの形で関係していると言われるくらいである。

「0910時に上の大会議室で麻薬課との打ち合わせだ。その後、装備を再確認して出動となるから、総員その心算で。」

 ラゴスは刑事部長の声色となって皆に言った。


 マニラ市警内に新設された凶悪犯罪特別捜査班にフィリピン初の女性刑事として配属されたケイト刑事はアメリカでの最新捜査技術の研修を終え、半年振りに祖国の土を踏んでいた・・・・・・。とは言え彼女は正確にはフィリピン人ではない、国籍的にはアメリカ人である。

 フィリピンでは誰もが知る歌手を母に持ち、元在比米軍の副指令であった父との間に生まれた彼女は、兄ひとり妹ふたりの四人兄妹の長女。

 ケイトの父ダニエル・ホークマンはアメリカ合衆国における南北戦争以前から続くフロリダの名門軍閥の次男として生まれた。先祖はイギリスに於いても名門の軍閥であった。海軍士官学校を卒業後、海軍将校として太平洋戦争では戦艦ミリューズの艦長として南方戦で転戦し数々の勲功を上げている。終戦後にGHQ本部付き上級将校の一人として来日し戦後日本の処理にも関わった。

 彼の日本好きはこれに由来している。

 日本に滞在した数年間に日本文化に肌で触れた彼は、その奥深さに深く感銘をうけ、自身も柔道を学ぶ事によってより日本への理解を深めた。

 1959年に准将としてフィリピン駐留軍の司令部に配属されるや、すぐに少将へと昇進して在比米軍の副指令となった人物である。

 独身であった彼は、米軍基地に慰安公演に訪れた歌手のシャローンと恋に落ちて結婚した。

 シャローンは人気実力共に押しも押されもしないフィリピンの人気歌手の一人であった・・・。次男坊のダニエルはフィリピンでの永住を決意する。そうした経緯からアメリカ国籍ながらもフィリピン政府より例外的に永住権を与えられている。

 ケイトの母親は勿論フィリピン国籍であるのだが、そのためにちょっと複雑な家庭環境にある。

 兄のケインと次女のターニャはフィリピンに国籍がある。しかし、長女ケイトと三女アイリーンは父親の祖国であるアメリカ合衆国に国籍があるのだ。ところが、ふたりともにフィリピン人としてのIDとフィリピンでの永住権をも有している。これらはいずれもフィリピン政府側の特別な計らいであった・・・・・・。


 ケイトは身長159センチ。均整の取れた抜群なプロポーションの持ち主だ。

 スパニッシュ系の血を濃く引き継ぐ彼女の一門にはそもそも美型が多い。兄妹もみな美男美女揃いだ。血は混じるほどに美形が多くなるようである。

 腰近くまである髪は癖の無いストレートの黒髪で絹のような艶やかな光沢がある。その黒髪を動き易いようにポニーテールにまとめている。

 本来は色白だが仕事柄適度に日に焼けており、健康的な小麦色の肌をしている。

 大きく澄んだ瞳は黒に近いこげ茶色で、小顔の所為もありひときわ大きく感じられる。

 適度に彫りが深く、そこに目、鼻、唇といったパーツが絶妙のバランスで配置されているのだ。中でも太くなく細く無くの眉毛はそれ自体が彼女の意志の強さを現すかの様でもある。

 身に着けた半袖シルクのチャイナカラーのブラウスとスラックスは色は共に黒。どちらも先代から常客である老舗の仕立て屋でオーダーメイドした一点もので、締まった色合いが、見る者には彼女を実際の身長よりは小柄に印象付けた。


 ケイトはマニラ第一空港のターミナルに出ると、迎えに来ている筈の同僚の姿を探してみた。

 ターミナルにはシージェイが迎えに来ている筈である。暫くのあいだ待って見たものの彼が現われる気配は微塵もなかった。

 そもそも昔から、シージェイがケイトを待たせる事などは一度も無かった。

『何事かあったな・・・』そう直感したケイトは手荷物の中から携帯電話を取り出して、署に電話した。

 何度かのコールの後に主任事務官のイザベルが応答した。

「はい。こちらは凶悪犯罪特捜班です」

 ハキハキとした彼女の声が懐かしく感じられた。

「・・・ケイトよ。今こっちに着いたけど・・・シージェイの姿が見えないわ。昨日の電話では彼が迎えに来てくれる手筈になっていたのに。何かあったの?」

「あら・・・御免なさい。二時間ほど前には入管に貴女への伝言を頼んでおいたのだけど聞いてない?」

「入管では何も聞かなかったわ。」

 事実、先程の帰国手続きの際に対応した職員からは何も伝言は受けなかった。

「忙しくて忘れちゃったのかな?ともかく今朝がたね・・・麻薬課からの応援要請があって、ボス以下全員でそっちに出動してしまったのよ」

 べスは事の経緯を簡略に説明した・・・・・・。

 ベスの話を聞きながらケイトは自分の行動を素早く決断していた。

「わかったわ。とりあえずタクシーで自宅へ向かう事にするわ。・・・現場へは自分の車で行くから、その旨を無線で知らせておいて。お願いね」

「了解。気をつけてね・・・・・・」

 ベスは余計な一言を言ったと思い、

「あっ、その、飛ばし過ぎて警察に捕まらないようにね」

 とフォーローにならないフォローを入れた。

 ケイトは微笑みながら携帯の通話を切ってタクシーを拾い、自宅へと向かった・・・。


 空港から自宅への道は思いの他混んでいた。それでも11時20分までには自宅に着く事が出来た。

 ケイトの自宅はマニラ市内のザ・フォートと呼ばれる地区の外れにある。マカティ東郊のフォート・ボニファシオと言うのが正式な呼び名の地区で、米軍基地跡地であり近年開発が進められてきた新興地区である。

 元在比米軍の副指令であったケイトの父親はこの地に2千坪程の土地を買い、部屋数20余りの豪邸をそこに建てていた。建築するに当たり彼はわざわざ日本人建築家を呼んでおり、二階には和室と茶室を造らせて、広い庭の一角には日本庭園も造らせた。

 フィリピン空軍に入隊した兄のケインが最初に家を離れ、続いて父と母も今は母方の故郷のスービックに新居を造り移り住んでいるため、姉妹の3人のみがここで暮らしていた。

 屋敷にはケイト達姉妹3人の他には、昼間の時間帯にはマリアとミランダという二人のメイドがいる。

 この二人は長年通いのメイドとして働いていて、マリアはケイトより2才年上でミランダはケイトと同い年である。

 慌ただしく駆け込んだケイトにマリアが気付き、半年振りに帰国した女主人に挨拶した。彼女はリビングを掃除している最中であった。

「マリア、ターニャとアイリーンは何処?」

 ケイトは持ち帰った手荷物をリビングのソファーに放り投げながら訊ねた。

 荷物の中からバトン〔伸縮警棒〕と手錠そしてベレッタM9をホルスターごと手早く取り出すとサイドボードの引き出しから愛車の鍵を探して手にした。

「お二人とも未だ学校ですよ」

 ケイトの慌てぶりにマリアは目を丸くしながら、

「どちらか、お出掛けですか?」

 と、訊ねる。

「ええ、これから仕事でカルオカンまで行って来るわ。帰りはシージェイも一緒とターニャには伝えておいて」

 そう言い残してケイトは跳び出していこうとしたがリビングの際で急に立ち止まった。

「アイリーンには宿題を先に済ませておくよう注意をしてね」

「はいはい、心得てますよ。・・・大丈夫です」

 マリアは笑顔で返事した。

「後は任せたわ」

 と、持ち帰った荷物の片付けをマリアに命じて・・・ケイトは車庫へ向かって急いだ。

「はい、はい」

 と後ろでマリアが言うのが聞こえて、ケイトはふたたび立ち止まり、右手の人差し指で彼女を小突く仕草をしながら、

「マリア・・・“はい”は一度でいい」

 と言い残して身を翻した。主人からの注意にまたも、

「はいはい」

 と答えてしまったマリアは思わず両手で口を隠したが、その時には既にケイトは玄関から飛び出していた。

「帰国早々事件とは・・・」

 マリアはほんの少しケイトを気の毒に思った。


 ケイトが現場に着いた時には、既にコンテナ置き場へと逃げ込んだ犯人達を追って警官側の最後の一人が倉庫の中へと駆け込もうとするまさにその瞬間であった。

 ケイトは愛車から飛び降りるなりその警官の後を追って倉庫へと身を屈めて走った。犯人側と警官側との激しい銃撃戦の音で行くべき先は直ぐに見当がついた。

 倉庫脇のドアまで身を屈めて走って足を止め、ケイトは用心深く外の様子を窺がった。空き地では山積みのコンテナ側に犯人一味が、その正面の僅かな遮蔽物の陰に警官側が散開して互いに銃弾と罵声を浴びせ合っている。辺りには銃撃戦による火薬の匂いが立ち込めていた。

 嗅ぎ慣れた匂いだった・・・

『どうやら私は普通の女には戻れないな・・・』

 などと少し場違いな事を感じているケイトであった。

 手前側のコンテナの陰に警官の銃弾を避けながら自動小銃を撃っている犯人の一人が目に入った。同時に、出て左手方向にコンテナの山の上に比較的簡単によじ登れそうな場所があるのを見つけた。

 ケイトは右手でショルダーホルスターからベレッタM9を抜くと銃弾をチャージしてチャンスを待つ。

 長く待つ事も無く手前の男が自動小銃の弾を撃ち尽くし、マガジンを交換する動作に入るのが見えた。ケイトは素早くコンテナ目掛けて走り出た。走りざまに自動小銃の男に向けて帰国最初の一発をお見舞する。ベレッタのスライドチェンバーの軽い衝撃が確かな手応えをケイトに伝えた。

 男は右肩に被弾して、

「うっ。」

 と呻いてその場に崩れる。

 狙いが逸れた訳ではない、弾はケイトの狙った部位を寸分違わずに捉えていた。

 その数十秒後には彼女はコンテナに辿り着いて、あっと言う間にコンテナの上に跳び上がっている。まさに猫科の野獣のごとき軽やかな身のこなしだった。

 シージェイが一番最初に彼女に気付いた。

 ケイトもシージェイを瞬時に見つける。ケイトとシージェイの間には他人には判らない絆のようなものがあるのだ。ケイトはコンテナの上からシージェイに身振りで合図を送った。

『左側の犯人は私が抑えるから、右手に回り込んで其処の二人を頼むわ。』

 と、シージェイは読み取ってアルコン刑事の尻を叩いてふたりで右手へと移動を開始した。

 充分な位置に移動したシージェイが、

「アイツは僕が殺る。もう一人を狙えるか?」

 とアルコン刑事を見た。

「ここからでは無理だ・・・・・・」

 アルコン刑事は小声でそう言うと、すかさずさらに右に回りこんで位置についた。その場所からなら相手が充分に狙える事を確認すると、シージェイに合図した。受けてシージェイはケイトに向かって無言で大きく頷き、準備できた旨を知らせる。ケイトはそれを見て犯人側には見られないようにベレッタを持ったままの右手を少し上げ空中にくるくると円を二回描いた後に相手方を指し示した。

“準備が完了したら・・・攻撃よ!”

 の合図である。ケイトは素早く犯人の一人に照準を合わせる。銃口は相手の右太股を狙っている。

 ほとんど同時に3人は発砲した・・・・・・。

 血飛沫をあげて三人の犯人が崩れ落ちるのが見えた。これが決定打となり犯人側からはひとりふたりと投降者が出始める。しかし銃撃戦自体は完全に収まった訳ではない。

 ケイトはしばしその場の様子を見て、警察側が優勢であると見てとるや豹のような身軽さでコンテナの上を移動しながら残党を探し始めた。

 移動しながら二人の犯人を見つけては相手が気付く前にその戦闘力を無効にする事に成功した。

そうして移動する内に、尻餅を着いた若い男とその男に銃を向ける男を眼下に見つけたのである。

ケイトは静かに拳銃をホルスターに仕舞い、代わりにバトン〔伸縮式警棒〕を抜いた。眼下の二人はケイトの存在には気づいてはいなかった。

 ケイトは少なくとも拳銃を構えた方の男が犯人側の一味であると判断した。その男は相手に向けて直ぐにも引き金を引きそうである。彼女は躊躇無くコンテナの上から銃を構えた男に向かって飛びかかった。飛び掛り様にバトンを振る。三段仕込のバトンはスルと伸びて男の手から拳銃を叩き落とした。

 男は驚きの余り何か叫んだが次の瞬間には腰投げにされ、さらに顔面を思いっきり蹴られて気絶した。

 セスは自失呆然の態である。

 犯人によって撃たれる事を覚悟したその瞬間の出来事だったのだから無理もない。驚きすぎたあまり、

当初は自分のピンチを救った相手が女姓である事にも気付かなかった。

「あなたは何者?」

 ケイトにそう誰何されて初めて相手が女性である事に気付く始末だった。

「自分は刑事だ。・・・特捜の刑事。・・・バッジナンバー1384。セストロ・バレンティアだ」

 まだ気が動転している様子である。

 ケイトの顔に微笑が浮かんだ

『バッジナンバーまで言う事はないのに・・・』

 おかしく思ったのだ。

「そぅ。私はケイト。よろしくね!・・・貴方の事は聞いているわ」

 ケイトはそう言ってセスに手を差し伸べた。セスはその手に助けられて起き上がる。

 黒ずくめの彼女がケイト刑事である事は直ぐに納得した・・・・・・。

 あれほど逢うのを楽しみにしていた相手だが、セスの想像していたケイトとは大分様子が違っていた“美くし過ぎる”のだ。美人だとは聞いてはいたものの、彼の想像した“美人”とはレベルの違う美人がそこにいた。

 セスは思わず見とれてしまっていた。

「しゃんとして。それとも、どこか撃たれた?」

 ケイトはセスの拳銃を拾って渡してやった。

「いや、大丈夫・・・・・・」

 セスはすかさず答えたもののまだケイトに見入っている。

「こっちよ、・・・ついて来て」

 ケイトはセス刑事をみんなが居る場所へ連れて行こうとした、が、セスは直ぐには反応できなかった。

「グズグスしないの。・・・・・・ボーイ・・・・・・」

 そう言ってさっさと歩き始める。セスは暫くぼーとしていたがやがて我に返ってケイトの後に続いた。


 ケイトとセスが戻った頃には、犯人側はほぼ全員が捕り押さえられていた。

 犯人側も警察側も共に身形はボロボロで、それが乱闘の凄まじさを物語っている。

 地元ギャングの親玉も捕らえられていたが唯一リーマン風のリーダーは現場から逃げ去っていた。

「ちゃんと子守りしてなきゃ駄目じゃないのシージェイ。この子もう少しで死ぬ処だったわよ」

 シージェイを見かけてケイトが言った。セスはケイトの後ろで苦笑いするしかなかった。

「それじゃあ、次からは首輪を着けて君に繋いでおこう」

 とシージェイ・・・セスには、

「つぎの誕生日には丈夫な首輪をプレゼントするよ」

 と軽口を言った。

「ちょっと、シージェイ。あたしに子守しろって言うの?ボーイの子守をしてる程、私は暇じゃないわ」

 ケイトは迷惑この上ない話だという顔をしている。

「おやぁ、おめでとう・・・セス。さっそくケイト先輩に名前をつけてもらったな」

 シージェイは面白がった。

「えっ?・・・そりゃ無いですよ・・・・・・先輩。だいたいケイト刑事よりは、自分の方が年上なんですよ」

 “ボーイ”は酷いと訴えるセスに笑いを堪えられないシージェイだったが、ケイトが傍まで来ると真面目な顔となり彼女の無事帰国とふたりの再会を祝した。

 特捜の面々も集まってきて先ずは口々にケイトの帰国に喜びの言葉を告げた。

 ラゴス刑事部長に至っては彼女をハグで迎えた。ラゴスは聡明な彼女を実の娘のように可愛がっている。

「ほら、行くぞ“ボーイ”」

 シージェイはすっかりケイトのつけた新しいセスの通り名が気に入った様子である。


 特捜のメンバーは兆弾を受けたマーノ刑事以外は全員が無傷だった。

 麻薬課の刑事二人が軽傷を負ったのと、制服警官の数名が負傷したものの警官側に死人はひとりも出なかった。

 犯人側には死者が2名と重傷者が2名あり、それらは救急車で運ばれていった。

 残りの犯人達は傷の応急処置を受けた後、麻薬課によってそのまま連行されていった。

 麻薬課は応援の礼を述べると、事後の処理は特捜に任せていち早く現場から引きあげてしまったのである。ラゴス刑事部長が制服組に現場の後処理の指示をしている・・・・・・。

 一通り指示をだしたラゴスは、特捜班に向かい、

「さて・・・我々も引き上げるとしよう・・・・・・」

 と、告げた。

 特捜の車両のうち一台は使い物にならなかったが、もう一台は何とか走れそうである。そこで制服組のパトカーを一台借り受けて署へ帰る手筈となった。

「ボーイ、貴方は私の隣ね」

 ちゃっかりとケイトは自分の愛車の助手席にセスを指名した・・・・・・。

 帰り道を利用して新入りセスを品定めしようと考えたのだ。

 セスを従えて彼女は自分の車へと向かう。

 セスは、ケイトの車を見るなり口笛をひとつ吹いて、

「凄いな・・・ポルシェかよ。これは・・・君の車なのかい? 」

 フィリピン中の警察官の乗用車を探してもこれ以上の高級車は絶対に存在しないだろうとセスは思った。たとえ中古車でも、警察官の安い給料などで持てる車ではない。

 ケイトの愛車は、黒のポルシェ911SCSだった・・・・・・。

「私の再従姉妹がポルシェに乗っているの。それで何回か乗せてもらった事があったのだけど、中々好かったのよ。それで私も二十歳のプレゼントに駄目元でお父様におねだりしてみたの。そうしたら誕生日にコレが届いたって訳・・・・・・」

 セスは呆れた、強請る娘も娘だが、それを与えられる父親も父親だと思った。

 どうやらケイトの実家はセスの実家とは次元の違う金持ちの様だなとセスは思った。

「ボーイ。小便をチビルなよ。」

 助手席に潜り込むセスにシージェイが冗談を言ったが、その時点ではセスは何を言われたのかが判らなかった。


 帰り道でのケイトの運転は“彼女にしてはおとなしい方”だった。

 それでも初めてポルシェに乗ったセスにとって、それは乗り心地の好い車とは言い難かった。車高が極端に低いためスピード感が異常にあるのだ。前にトラックなどが居ようものなら突っ込んで行きそうな感覚を受けるのだ。

 高級車の割りに助手席のシートは硬く、それも快適とは言えない理由のひとつだった。運転席のシートと比べると助手席のシートは数段格が落ちる。二人乗りとは言え、ポルシェは基本一人乗りの完全なスポーツ車仕様なのである。

 慣れてしまえば流石に超高級スポーツカーで、他には無い独特のエンジン音が小気味好い。

 セスは先程のシージェイの言葉をやっと理解して意地でもチビルものかと密かに思った。

 ケイトの運転は見事であった。

 しかしそれは上手な運転をする女性の車に乗ったと言うものではない、むしろサーキットでカーレーサーが運転する車に同乗したらきっとこんな走りであろうと思わせるような走りっぷりであった。それは、事件現場に急行する時のシージェイの荒っぽい運転さえもが『安全運転じゃん』とセスに錯覚させるほどの感覚を与えている。

 署までの1時間半程の間、ふたりは色々と会話を交わしている。

 大抵はケイトが訊ねセスがそれに応える形で会話は進行したが、車が署に着く頃にはふたりはお互いを大部分のところで理解するようになっていた。

 途中、信号待ちの交差点での停車中にセスはケイトのダブルホルスターに収められた拳銃に目がいった。

「君のベレッタは我々の支給品とは違うみたいだな。」

 ケイトのベレッタはガンブラックではなかったからだ。

「これは私が警察官になった時に父から贈られたモノよ。」

 ケイトの父親はピエトロベレッタ社に特注をして高精度の銃身のベレッタM9をニ丁作らせた。

 同じ銃でも、その製造の過程において銃身の精度には多少の違いが出るものなのだ。そこでより精度の高い銃身を選りすぐって銃を組ませ、出来上がった拳銃には予備の銃身も二本付属させた。

 しかも、本来M9はスライドの先端に銃身が僅かに露出しているのだが、これがたまにホルスターから銃を抜くときに引っかかって邪魔となる。そこでケイト用の拳銃はスライドに合わせてその銃身を切りつめさせてある。

 外観が一般的なガンブラックでないのも、識別し易いようにと純銀張り加工させていたからだった。

 彼女の父親は自分に代わって愛娘を守る“お守り”としてその二丁の拳銃を娘に贈ったのだ。

 同じベレッタでも一丁で数丁分の値段だろうなとセスは思った。実際には彼の値踏みよりもケイトのベレッタはもう少し高値であったが。

 セスにとってのシージェイは何もかもにおいて一つも二つも上を行く憧れの存在である。しかし今日、セスはその生涯において初めて“次元の違う人間”に遭遇をしたような気がした。

 しかもその相手が何のてらいも無く自分と同じ次元で刑事として働いている。本来であれば彼女程の家系であれば何一つの不自由なく女としての幸せを望めるはずなのである。そんな彼女なのに良家の子女としての幸せを望むより、むしろ貧しい人々のために犯罪に立ち向かう覚悟を持って刑事という仕事を選んだのだと言う事が、車内での会話から垣間見れた。

 ここまで来ると嫉妬とか妬みと言った世間一般での感覚は超越してしまい、ただただ“スゲー”と感心するしかセスには出来なかった・・・。


 駐車場に車を停めたケイトはトランクからバックを取り出すと、セスと並んで特捜のオフィスがある建屋へと向かった。

 マニラ署と同じ敷地内にそれは存在するのだが建物は別棟の3階建てで、1階に科学捜査研究室の諸施設があり、その2階に特捜のオフィスがある。3階には会議室と資料室などがあり、地下に射撃練習場を備えていた。

 建屋は洗練されたデザインのビルで、外光を充分に取り入れられる設計となっている。

 二人は建屋の入り口を入って直ぐ右手にあるエレベーターに乗った。

 エレベーターを出てオフィスに向かう途中、ケイトは事務技官室に寄るので先にオフィスに行くようにとセスに告げた。事務技官室に相変わらず派手な格好をしたベスが仕事する姿がガラスの敷居越しに見えたからだ。

 ケイトは部屋に入ると、

「ただいまベス。今帰ったわ」

 と声を掛けた。

「お帰り」

 ベスは跳び上がる様に席を立ってケイトにハグをする・・・・・・。

「半年間ご苦労さん。向こうはどうだった?食べ物とか町並みとか皆のファッションとか・・・男とか?」

 ベスらしい質問だなとケイトは感じたが、

「色々と勉強になったわ」

 とだけ答えた。

 元気そうなケイトを見てベスは満足だった。

「帰国初日から大変な現場になったわね。他の皆は一緒じゃないの? 」

「じきに戻ると思うわ。ボーイと私が先に着いたけれど」

「ボーイ?誰それ?」

 聞きなれない名前にベスが不思議そうに訊く。

「セストロだっけ?新入りの彼・・・」

「ああ・・・セスの事ね、なにアンタもう彼に新しい名前付けちゃったの?でも、何でボーイなの?」

「とっさにそう呼んでしまったのよ」

「うん、でもボーイってのも悪くないかも。・・・彼、可愛いとこあるしー」

 ベスはそう言うと悪戯っぽい笑顔を見せた。彼女もセスの新しい名前がしっくりと来たらしい。

「ケイトさん、お帰りなさいー」

 ハーラが飛び込んできてケイトに抱きついた。飼い主にじゃれ付く子犬の様である。

「セスさんに、ケイトさんと一緒に戻ったと聞いたから・・・」

 自分も刑事に成りたいと思っているハーラにとってケイトは憧れだ。普段からケイトの活躍を夢に描く“刑事と成った自分自身”と重複させている。

 ケイトはハーラの手本であり目標なのだ。

「そうだ、ベスとハーラにお産土があるの・・・・・・」

 そう言ってケイトは先ずベスのために買い求めて来た産土物を手渡した。

「何かしら?あけてもいい?」

 言いながらベスは既に包みをほどいている。

 中身はグッチ社製のセル枠のサングラスだった。派手なオレンジ色のフレームに薄目な桃色のグラデーションレンズがはめ込まれている。

「ありがとう。さすがケイト! 私の好みにピッタリだわ! 」

 思わぬプレゼントにベスは上機嫌だ。今日の服装にも合っている。さっそく帰りに使おうと心に決めていた。

「ハーラにはこっち・・・・・・」

 そう言って小さな包みをハーラに手渡した。

「私のは何かな?開けてみるわね・・・」

 ハーラが受け取った小さな包みの中身は口紅だった。

「凄い!シャネルじゃない!」

 ハーラはキャップをはずして色を確認してみる。控えめな感じの柔らかなピンク色の口紅だ。

「ありがとう! 大事に使うわ」

 ハーラは心から礼を言った。

「ハーラは美人さんなんだから、もう少しお化粧に気を使っても好くてよ」

 そう言うケイトこそスッピンである。自分の事は完全に棚に上げている。

 ケイトが普段からハーラの化粧気の無さを気にしているのは本当だ。ちゃんとすれば十人並み以上の美貌の持ち主なのである。

『もったいない・・・』

 と感じていたのだ。

 当のハーラはもらった口紅をデートの時に使おうなどと考えているのだが、それ以前の問題としてさしあたってその相手が居なかった。

「ところでケイト巡査長。あなた宛に3件の苦情が入ったわよ。2件は午前中、1件は先程、どれも交通課からよ。

 現場への行きと帰りに跳ばしたでしょ? 駄目よぉ、アンタの車は面が割れてるんだから直ぐに苦情がこっちに来ちゃうの。

 三件とも貴女だって知ってたから停めたりしなかったらしいけど、ちゃんとパトラン(緊急車両灯=パトロールランプ)出せって怒ってたわよ。・・・とりあえず伝えたからね」

「御免、次からはちゃんと着けるわ。時差ボケでしたっ・・・て事で許して」

 ケイトはそう言ってペロリと舌を出した。

「まぁ、あんな車に乗ってたら事件じゃなくても跳ばしたくはなるのだろうけど・・・大丈夫だった?」

「何が?」

 ケイトはベスの質問の意味がすぐには判らなかった。

「帰りはボーイを積んだのでしょ?彼にシート汚されなかった?」

 彼がお漏らしをしなかったかとベスは言っているのだ。

「ああ、彼ならいい子にしてたわ」

 ハーラは少しオニブさんである。

「何ゲロ? セスさん助手席でゲロしたのぉ?」

 と、二人が失禁の話をしているとは夢にも思っていない。ゲロ、ゲロと暫くの間しつこかった。

 ベスとケイトはハーラの反応が楽しくて思わず笑顔になった。


 静かだった二階が俄かにざわつく。皆が戻ってきたのだ。

 事務技官室をケイト達3人が出る頃には、ラゴス刑事部長を先頭に一同が刑事詰め所に向かって回廊の三分の一程の処を何事かを楽しそうに話し合いながら歩いてくるのが見えた。

 詰め所ではボーイがすでに報告書の下書きを始めていたらしく、黙々と何かを書き記していた。

 ケイトは詰め所の自分のディスクに腰を据えて一同を待った。

 ベスとハーラは全員にお茶(珈琲)を出すために給湯室に向かった。

 半年の間、主が留守をしたケイトのデスクは彼女が出掛けた時以上に綺麗だった。ハーラが毎日掃除してくれていたからだろう。

『ハーラは気の利く好い娘だな・・・』

 とケイトは思った。

 パン・パン・パンとラゴスが大きな音で手を叩きながら・・・・・・

「みんな、とりあえず席についてくれ」

 と言っている。

 その声にケイトは顔をあげた。一同が各自の席に着きボスの次の言葉を待った・・・・・・。

 ラゴスは全員が席に着いたのを確認すると一呼吸置いてから口を開いた。

「みんな、今日はご苦労だった。

今日のみんなの活躍はおおいに特捜の顔を立ててくれたはずだ。

承知の通り我々の部署は管轄範囲の広さと担当事件の重要性という点から考えると人員が不足をしている。因って我々自身の捜査過程においても他部署からの協力が必要不可欠なのが現状だ。

他部署からの迅速な応援を受けるためにも、今後も本日のような事案が発生した場合には、特捜は本来の捜査に支障をきたさない範囲で対応していきたいと思うので・・・・・・よろしく頼む」

 全員が思い思いに軽く頷きながらボスの話を聞いていた。

「ハーラ。ハーラはいるか」

 ラゴスはハーラを大きな声で呼んだ。

「はーい。今お茶を入れてます」

 間髪入れず給湯室から顔を覗かせて彼女が答えた。

「そこにいたか。すまんがそっちはベスに任せて・・・マーノの傷を見てやってくれ」

 ラゴスはハーラに負傷した部下の手当てを命じた。

「本日の出動は麻薬課からの支援要請に応じたものであるから報告書は出さなくていい。私が自分で処理をしておく」

 ラゴス刑事部長の言葉にケイトの隣ではセスが、

『やったぁ!』

 と小さな歓声をあげたのが聞こえた。

「本日は只今を持って業務終了とする。おのおのたまにはゆっくりするといい。以上だ」

 ボスの言葉に全員の顔がほころんだ。

 ラゴスは言い終わると真っ先に傷の手当を受けているマーノの元へと向かった。

「ハーラ、傷の具合はどうだ?」

 彼女は慣れた手つきでマーノの傷の手当をしている。

「血は大分出たみたいですが、たいした傷ではないので消毒だけで充分だと思います」

 ハーラは自分の所見を伝えた。銃弾は貫通していたし幸いにも動脈や静脈にも損傷は無かった。

「そうか。・・・・・・好かった」

 器用に包帯を巻くハーラの手元を見ていたラゴスがふと何事か思い出したように顔を上げた。

「そうだケイト。今日は迎えをやれなくて済まなかったな。とりあえず下へ行って帰国の挨拶をして来なさい」

 ラゴスのケイトへの心遣いは実の娘に対するソレの様である。

 これには訳がある。ラゴス刑事部長はケイトの母シャローンの昔からの大ファンの一人なのである。また、ケイトの叔父である俳優エストラーダのファンでもあり、彼の映画は残らず見ている程だった。

 その身内であるケイトは彼にとって特別な存在なのである。ケイトがマニラ署に赴任して、彼女がシャローンの娘だと知るや、

『何があろうとケイトの事は俺が守る』

 とラゴスは密かに心の内で決めていた。

 ケイトもラゴスには全幅の信頼をよせ心を開いている。

 それはシージェイをはじめこの職場の総ての者が同様であった。

 そのケイトはボスに促され席を立って科捜研のある1階へと向かった。


 科捜研の正式名称は“BCN対応研究室”と言う。これはBiological(生物)Chemical(化学)Nuclear(核)の略である。

 1983年(昭和58年)8月21日に起きたマニラ第二空港でのアキノ上院議員暗殺事件がフィリピンにおける科捜研発足のきっかけとなった。

 注】物語の科捜研自体は著者の創作であるがその発足の経緯は史実を参考にしている。以下にその概要を記すがこれは創作ではなく史実の部分である。

 アメリカに亡命していた上院議員のアキノ氏がフィリピンに帰国した際。迎えに出た軍将兵の見守る中、空港で何者かに暗殺されるという事件が起きた。当初犯人は不明と報道されるが、たまたまその様子をふたつのメディアがビデオカメラで録画していた。

 ひとつは日本のマスコミでもうひとつはアメリカかイギリスのメディアであったと記憶している。と言っても双方共に画像は無く(殆ど映っておらず)音声のみに近いモノであったらしいが。

 その音声を日本の科捜研が分析をして犯人を割り出したのである。

 テープに残された銃声が犯人特定の決め手となった。銃声は当時フィリピン国軍が正式採用としていた軍用拳銃のモノであると断定されたのだ。

 日本においては1948年にはすでに科学捜査研究所が発足していた。これは現在の科学警察研究所の前身である。

 アキノ事件の2ヶ月後になってやっとフィリピン政府は真相究明委員会を結成する。

 そして1984年2月初旬、事件の真相解明にむけて日本に対し正式に事件の様子を記録したビデオテープを送り鑑識を依頼した。それを受けて鑑識は2月25日には鑑定結果を発表している。

 事件自体は1985年の1月に一応の決着がつく。しかしそれは日本の鑑識が出した鑑定結果をまったく無視したものであった。ところが政権が交代した後の1990年9月26日になって、日本の鑑識の鑑定結果に基づいて16人の軍人が暗殺に関与したとして判決を受けるに至るのである。


 音声のみから一連の事件の真相を解明するに至った科学捜査の重要性をフィリピン政府は認識し日本政府に協力を求め、自国の警察にも科捜研を設立した。それを特捜の設立にあわせてより強化・近代化したものがBCN対応研究室である。特捜の捜査を科学的に支援する事と、全国の科捜研への最新技術の指導を目的として設立されたのだ。

 長方形の建屋の9割がガラス張りという近代的な鉄骨3階建てビルの1階が科捜研のスペースで、玄関を入って右側奥から死体保管室・検死室・血液検査室・生物部資料室・同研究室・物理実験室と続き、左側には所長室を奥に各主任のオフィスや諸施設が配置されている。

 建物自体は真ん中のスペースが吹き抜けとなっていて手前と奥との二箇所に階段がある。

 2階3階には吹き抜け部分を囲むようにして回廊があり各部屋を繋いでいた。

 特捜の刑事詰め所は二階の奥側にあり、詰め所自体はオープンスペースとなっているので建物奥側の階段が一番近い。階段を降りれば検死室と血液検査室がすぐ目の前にある。

 このビルではプライベートな場所(トイレやロッカールーム・休憩室など)以外は素通しとなっているが検死室と死体保管室・物理実験室は例外となっていた。


 ケイトは検死室の扉の小窓から中を確認して室内に入った。

 室内は中央に検死台がふたつ並んでおり、鑑識医務技官のDrベンハミンとセシリアがそこで道具の手入れをしている処であった。

 Drベンハミンは通称ドグ。39才の独身で専門は脳神経外科。細身で温和な顔立ちだが、いかにも学者と言った雰囲気を持った人物だ。口数は少ないが思いの他ジョーク好きでウイットに富んだ話術の持ち主でもある。

 そんな彼の作業を傍らで手伝っているショートカットのセシリアは医大を卒業したばかりのインターンだが医学のほかに生物学にも長けている。彼女はセシと呼ばれる。

 ケイトが二人に声をかけようとすると、

「お帰り、ケイト」

 と日本語で声を掛けた者がいた。

 日本から科捜研の指導に訪れている杉浦技官である。初老の彼は日本の科捜研に長年勤めた鑑識のベテランで血液鑑定を専門分野としていた。

 ケイトは日本好きの父親の影響もあって、日本の中学生程度には日本語を理解する。

 杉浦技官は英語を充分使えるのだが、それを知っていて普段のケイトとの会話には日本語を好んで使うのだ。署内では他にはシージェイが少し怪しい片言の日本語を使う。

 杉浦技官にしてみれば異国の地でケイトと交わす日本語の会話は心をホッとさせてくれる気がして、好きなのだ。ともすれば日本人以上に日本を理解しているらしい面を持つケイトの人柄自体も、不思議でもあり好ましく思っている。

 ケイトにとって杉浦技官は2番目の日本人の知り合いであった。


 最初の日本人の知り合いは、彼女の親戚である女優メリッサの夫となった日本人写真家の白田正と言う人物で、彼は日本の古武道である葛葉流と鹿島無念流の剣術の使い手である。

 葛葉流とは瀬戸内の村上水軍の一頭目であった白田家に先祖代々伝わる武術で、瀬戸の暴れ剣法とか喧嘩剣法と恐れられた独特の剣術である。

 元が海賊であった事から船上での闘いを得意とし、その為に太刀としては短めの脇差に近い刀の操法に長けた剣術である。父親から葛葉流の手解きを受けていた彼は父の死後、鹿島無念流の道場の門弟となり剣術の修行を続けた。

 ちなみに、鹿島無念流は幕末の志士の多くが好んで学んだ流派のひとつである。

 それを知ったケイトは白田の押しかけ弟子となった。

 そして葛葉流小太刀の技を取り入れたケイトのバトン術に敵う者はマニラ署内には存在しない程の実力を身につけるに至ったのである。


 3人目は今回のアメリカ研修で出会った柳生一徹と言う武道家で、柳生心眼流を使う初老の人物である。アメリカ政府の要望でFBIの隊員に合気道の武術指導を行っていた。

 将軍家剣術指南を勤めた柳生家の直系子孫で18代目統主を名乗っていた。

 ケイトも研修生として指導を受けた訳だが、彼女は他の訓練生とは違い格段の上達ぶりを見せた。

と、言うのも彼女には父親から学んだ柔道と白田から学んでいる葛葉流古武術の下地があったからだ。

 武術の心得があり日本語を解するフィリピンからの研修生を一徹は不思議に思った。

 彼の見立てではケイトのバトンの操法には何処か覚えの在る太刀筋、動作がある。そこで師を尋ねてみると案の定白田の名前が出た。

 一徹は白田とは旧知の間柄であった。

 そもそも一徹は過去に白田の父親である白田守と共に警視庁の武術師範を務めた事が一時期あったのだ。その父親の勧めで学生時代の白田は東京の同門何人かと連れ立って、柳生の里にある正木坂道場へと剣の修行に訪れた事があり、その折一徹の指導を受けている。社会人となってからも年に一・二度、何日間かの修行に訪れていた。従って一徹にしてみれば白田は外弟子に当たると言えた。

 その剣友の中の一人、設楽艶美に至っては遂には正木坂道場に押しかけ弟子として入り、今では師範代を勤めるまでになっている。

 柳生と言えば多くの人が知るのは柳生新陰流であろう。

 一徹も当然、新陰流も会得してはいる。が、より鍛錬を積んだのは柳生心眼流の方だった。

 柳生心眼流は骨法という古武術の体術を基本とし、柔術・空手・合気道・相撲などは総てこの古武道体術から派生したものである。一徹がアメリカでFBIに指導した合気道とはこの心眼流というより実戦的な武術であった。

 ケイトは一徹から心眼流を熱心に学び、半年の短い間に目録程度の実力を身につけた。

 一徹がケイトを弟子の一人としたのは武術の腕前のみならず、彼女が白田を通して日本の“心”、精神的な部分を多く学び取っている姿勢に感銘を受けたからであった。

 最後の練習に臨み一徹は正式に柳生心眼流の目録をケイトに授与し、日本に来る機会があれば何時でもたずねるがいいと申し添えた程だった。


 ケイトは杉浦技官にいきなり声をかけられて少し驚いた。

 室内を扉の小窓越しに確認した際に杉浦技官の存在に気付いていなかったからである。

 ケイトは杉浦技官に対して正しく日本式のお辞儀をし、

「いらしたのですね。気付きませんでした」

 と自分の非礼を詫びた。これは彼女の中の日本の精神の現われだ。生粋のフィリピン人なら先ずこの様な礼儀の言葉は口にする事はない・・・・・・

「いえ、私の方こそ申し訳ない。驚かせてしまったようだ。安置室の方に居たので見えなかったのでしょう。」

 杉浦技官の声は何時聴いても優しい響きがある。ゆったりとした話し方も聴き易くて好ましいのだ。

「帰ってらしたのですね、・・・お疲れ様でした。」

 と、続けて半年間の海外研修への労いの言葉を述べた。

「はい。こうして無事戻りました。研修はとても勉強になりました。」

 ケイトの日本語は多少アクセントが変な処もあるが充分に流暢だ。

 ドクとセシもケイトに無事帰国の挨拶を述べた。

「ドクにはいいお産土がありましてよ。アメリカ(政府)が血液鑑定に関する資料と、参考になりそうな検死のレポートをあるだけ送ってくれると約束をしてくれました。」

「おお。それは何よりのお産土だ、ありがとうケイト君。」

 思わぬ産土話にドクの顔は満面の笑みとなる。

「それと、セシには向こうのCSIラボが保有する動植物のDNAの分析データを分けてくれると約束してくれたわ。」

 とケイトは続けた。

 当初は事の重大さにピンとこないセシだった。

「アメリカのCSIが?動植物のDNA?」

 暫く何事か思案して・・・・・・

「ねぇ。それってアメリカのって訳じゃないわよね?もしかして・・・ひょっとして、全世界の?」

 セスは目を丸くして驚き、跳び上がりそうなほど喜んだ。

「そう。そのもしかして。CSIから地球の動植物のDNAサンプルが来るのよ!」

 ケイト自身今回のアメリカ研修でこれが一番の成果だと思っていた。

 確かにケイトが研修の一貫として訪れたCSIで案内役を務めた職員がその事を思い至って彼女に約束したのは、フィリピン科捜研の職員に対する“同じ学者としての善意”からであった。

 しかし、本来の事情はそんな単純な事では無いのだがケイトにはそれにはなんら関心がなかった。


 そもそも、今回のケイトのアメリカに於ける最新科学捜査の技術研修にしてもアメリカ政府の政治的思惑に依るものがその裏にはあった。

 アメリカ政府は自国籍のケイトがフィリピンに於いて刑事となった事を知ると最新科学捜査技術の研修と言う名目を餌にフィリピン政府に対して恩を売って置こうと考えたのだ。その為、ケイトの研修に関わる全ての経費はアメリカ政府が負担をしている。ケイトに対するアメリカでの処遇も至れり尽くせりのモノがあった。

 ひとつにはケイトに対して祖国アメリカの強大さを印象付け祖国への忠誠心を植えつけると言う狙いがあり、これはケイトをアメリカ政府に対して有利な手駒のひとつとして利用するための投資といった意味合いが含まれている。

 もっと大筋な処ではフィリピン政府に恩を売るという、飴と鞭の飴の部分である。

 これには環太平洋アジア圏に於けるアメリカ〔軍〕の軍事戦略的思惑が絡んでいる。

 アメリカ(軍)にしてみれば太平洋を挟んだアジア圏には中国・北朝鮮をはじめとしてまだまだ敵国と成り得る危険要素を含んだ国々が少なからず存在をしている。

 日本との安保条約がひと段落し、在日米軍の軍縮が進む現状はそれら仮想敵国に対する戦略的軍事力の展開・確保に少なからず支障を来たしているのが現状なのである。

 そうしてみると日本・台湾に程近い場所にあるフィリピンに何かと理由をつけて米国軍を常駐に近い状態を保っておく事が出来れば有事の場合にアメリカ軍としては迅速な対応に有利に働くのだ。

 そんな政治的駆け引きの下地の意味合いも込め、CSIの貴重なデータの無料提供が研修のオマケとして成されたのである。

 しかし、そんな国家間の政治的思惑などはケイト自身には何の関心も意味も無い。

 ケイトが持ち帰ったこれ等データ提供の約束は、実現すれば科捜研での犯罪捜査への進展に大いに役立つ事は紛れもない事実なのである。


「向こう(アメリカ)では、何かと得ることも多かったでしょうが、何か印象に残る事はありましたか?」 人の好い杉浦技官はドグ達が検死室の整備をする手伝いをしていた様子である。しかしそれもひと段落したらしくシンクで手を洗いながらケイトに訊ねた。

「ええ、とても沢山の事を勉強してきました。でも一番は、あちらで柳生一徹と言う日本人の武術師範とお会いしてその弟子にして頂いた事です。師匠から合気道を学びました」

 ケイトの言葉に杉浦技官の手がふと止まった。

「ほーう。一徹殿があちらにいらしたのか。それは好い師匠にめぐり逢われたな」

 以外にも杉浦技官は一徹を知っている様子。

「杉浦さんは師匠をご存知なのですか?」

 驚いて訊ねたケイトに対し、

「我々の年代の警察関係者なら皆知っていますよ。一時期は警視庁の武術師範をしていたお方で、武術も人柄も素晴らしい人物であった。」

 と答えた。

「そうですか。合気道を学んで来られたか。で、腕前のほうは上達しましたか?」

「はい。師匠から“目録”の免状を頂きました」

 ケイトは素直に返した。

「ほーう。短期間で・・・目録までいきましたか・・・・・・」

 杉浦技官は正直驚いている。

 “目録”と言うのは昔の日本での武道における修行の段階で、現在で言うところの段位である。

 流派により多少の相違はあるが、たいていは・・・切紙・目録・印伝〔中伝〕・免許・皆伝・秘伝・口決〔口伝・奥義とも〕の段階があり目録と言えば現在の3・4段位に相当をする。

 一徹がケイトに目録を授けたとあれば、それは並みならぬ実力を彼女が短期間に会得した証である。

「前から訊ねようとは思っていたのですが。ケイトさんは剣術の方も相当なお腕前とか。して、師匠はどなたですかな?」

「私の習う剣術は葛葉流小太刀と申しまして、師匠の名前は白田と言います」

「おお。白田君が貴女の剣の師匠なのですか・・・・・・」

 杉浦技官は意外な進展に少し興奮を覚えていた。

 彼女の言う白田とは、多分過去において全日本道場対抗剣道大会青年の部で二年連続の準優勝を果たした白田の事であろうと思ったからだ。

「杉浦さんは白田師匠の事もご存知なのですか?」

「いいえ。知り合いではありません。しかし彼の試合を何度か見た事があります。」

 杉浦自身は直接の面識こそ無かったが、何度か試合会場で白田の試合を目の当たりにした事はあった。

 常人離れした瞬発力がありながら物静かで・・・舞のような優美な印象の剣風であった・・・と記憶している。

「彼のお父上は白田守と言って、柳生先生と御一緒に警視庁の武術師範をした事もあるお方でした。残念な事に早くに事故で亡くなられてしまいましたが・・・・・・。」

 そういえば師匠の両親については初めて聞くなとケイトは思った。

「して、白田君とはいかなるご縁で?」

 杉浦にしてみればケイトと白田がどこでどう結びつくのかが理解出来なかったので訊いてみたのだ。

「ええ、彼は私の親戚の良人です。」

「えっ?ではケイトさんは今は白田君のご親戚と言うわけなのですか?」

 杉浦の中でケイトに対する近親間が大いに深まった。

「はい、そうです。」

 そう言ってケイトは笑顔を見せた。

「では、彼は今こちら(フィリピン)に居るのですか?」

「ええ。師匠は今、こちらで写真家として仕事をしています」

「ケイトの親戚はメリッサと言ってとても綺麗な女優さんですよ」

 セシが横合いから口を挟んだ。

 女優のメリッサなら杉浦も知っている。女優のみならず歌手でもありモデルでもある。

 確かマカティのビル街に掲げられた大きなジーンズメーカー、リーバイス社の看板も彼女がモデルをしていた筈であるし、テレビの番組にも多数出演をしている売れっ子だ。

「リーバイス社の彼女の広告写真は、良人である白田氏が撮影したものですよ。」

 とセシが続けた。

 なかなか好い写真だな・・・と杉浦も思っていたのだが白田の撮影と聞いて合点がいった。

 彼は日本においては芸能関連の写真家として活躍し、その業界では知られた存在だったからだ。

 ケイトがなぜ日本を理解しているのかに納得がいった杉浦だった。

「して、白田君はお元気ですか?」

「はい。とても元気にしています。私には厳しい先生ですが、メリィとはラブラブで・・・見ているこっちが熱くなるくらいです。」

「ほほう。」

 と相槌した杉浦。試合会場で見かけた毅然とした彼がメリッサの傍らでデレデレしている様子を思い浮かべてみると、そのギャップが可笑しくもあった。

「杉浦さん、白田師匠と話したいですか?」

 ケイトが徐に尋ねた。

「もし、会いたいなら今夜のディナーに私の家にお越しください。私の帰国のパーティーがあって両親やメリィ夫妻も来る事になっています。」

 杉浦は何度かケイト邸で夕飯のもてなしを受けた事はあった・・・・・・。

「お邪魔でなければ・・・」

 と日本人らしい遠慮を見せながら答えた。

「ねね、ケイト。・・・・・・私もお邪魔していい?」

 セシが横から割り込んだ。彼女はメリッサがお目当てである。

「8時からの予定ですから、好かったら是非、皆さんでどうぞ。」

 とケイトは英語で言って、

「特捜の仲間も呼んでいますからお気軽に。」

 と付け足した。

 セシは行く気満々でドクにも一緒にどうかなどと訊ねている。

 ドクが勿論参加させて頂くよと答えたので、杉浦技官とドクを車で拾って是非窺がうと勝手に決めて約束をした。

「じゃあ夜に。・・・ここが最初なので他にも挨拶に行ってきます。」

 ケイトはそういい残して検死室を出た。


 1階のラボにはセシとドクの他に、チーフのザイーム、ジャスティ、レッド、レガロの常駐職員が居る。

 チーフのザイームは心理学・精神医学の博士でジャスティは指紋・血液鑑定の技官だ。

 レッドは痕跡・弾痕鑑定等の物理部門を担当し、レガロは音声・音響鑑定担当の技官となる。

 この他には、それぞれに2―3名の研修に訪れたフィリピン各地の鑑識官が、3ヶ月から半年位の期間で助手として学識を積むので総勢で常時15名程のスタッフがいる事となる。

 検死ラボを出たケイトはチーフのオフィスへと向かったがザイームの姿はそこには無かった。

 まだ早い時間なのにどうしたのかしらとケイトは思いながら物理実験室に向かう・・・。

 途中、誰一人として職員と行き会わない事に疑問を感じた。改めて注意してみると一階には人の気配が全くしないのである・・・・・・。

『何事かしら・・・』

 ケイトは若干の緊張を覚えた。

 その時・・・館内スピーカーからオーデン班長の声がケイトを呼び出すのが聞こえてきた。

「ケイト巡査長、3階小会議室に大至急・・・来るように」

 何事かが起きて皆はそこに集まっているのかと思いながらケイトは小会議室へと急いだ・・・・・・。


「遅くなりました。・・・ケイト巡査長入ります」

 彼女は元気な声でそう呼びかけながら会議室のドアを開けた。

 ケイトが室内に入ると、パンパンとクラッカーの炸裂音が響いて、

「研修おつかれ様ー。おかえりなさいーケイト!」

 と室内の全員が一斉に声を掛けた・・・特捜のメンバーとラボの全職員がそこには揃っていた。

 ケイトは緊張状態から開放され・・・思わず笑顔となる・・・・・・。

「みんなぁ・・・」

 自分へのサプライズパーティーと直ぐに察したケイトだった。

 ラゴスが彼女にラボへ挨拶に行かせたのは、全員をこの場所に集める為の策略であったのだと察した。

「ボス。一緒になって私をハメたのね」

 ケイトは嬉しそうである・・・ラゴス刑事部長にはそう言ったお茶目な面も多々あるのだ。

「すまんそういう事だ・・・。言い出したのは俺じゃないぞ。オーデンだ・・・。まぁ全員がそれに乗ったのだが・・・。準備をしてくれたのはシージェイとベスとハーラだ」

 仏のラゴスことラゴス刑事部長はすまなそうな顔をして見せた。

「緊急な出動で遅くなってしまったが、ケイトの無事帰国を皆で祝おう。さぁ、グラスを持ってくれ・・・乾杯の音頭は言いだしっぺのオーデンに任せるとしよう・・・・・・」

 シージェイがサンミゲィルの辛口ビールが並々と注がれたグラスをケイトに渡す・・・。

 その場の全員がオーデンに注目する。

「では、ボスからの指名なので・・・私が音頭をとろう・・・・・・」

 とオーデン。

「半年に及ぶ、アメリカでの研修から無事帰国したケイト巡査長と我々の今後に・・・乾杯!」

 実にあっさりとしている。オーデンのスピーチは何時も簡略である・・・。

 ラゴス刑事部長は乾杯のグラスを飲み干すと、

「でわ皆んな・・・私は仕事に戻るが・・・・・・楽しんでくれ。

・・・ただし・・・ここが署内だと言う事を、くれぐれも忘れないようにな」

 そう言い残してマニラ市警庁舎のオフィスへと戻っていった。


 パーティーは二時間ほど和やかに続いた・・・その間に、ケイトと仲の好かった制服組の警察官も何人か顔を見せたりと、企画自体は成功であったようだ。

 頃合を見て、オーデンが閉めのスピーチをした。

「皆んな注目してくれ。呑み足りない野郎共も居る事だろうが・・・すまん、女性も居るな・・・兎も角、そろそろ一度お開きとしよう・・・。どーしても呑み足りないって奴は、本日8時からケイトの自宅にてホームパーティーがある模様なので・・・そこで腰が抜けるまで・・・呑んで騒いでくれ。参加した事のない者の為に参考までに教えてやるが、ケイトの家のホームパーティーは凄いぞ!酒も料理も一流だ・・・毎回市内の一流レストランのシェフを呼んで調理させるからな・・・」

 ここまで一気に言ってケイトの方を見て訊ねた。

「ケイト・・・今回は何処の料理を振舞う予定だ?」

「“有楽園”と“カーサ・アルマス”・・・です」

 ・・・日本料理とスペイン料理の店である。

「聞いたかみんな。普段我々の給料ではありつけない一流店の料理だぞ、只で鱈腹食べたい者は・・・彼女や彼氏、家族同伴で押しかけろー」

 班長の冗談交じりの言葉に会場はドッと沸いた。

「ところで・・・ケイト。今日のパーティーのご招待状は誰と誰がもらえるのかな?」

 調子に乗った班長が冗談の追加である。

 ケイトは笑いながら、

「招待状はポリスバッジよ!・・・持ってない人は入り口で追い返すからね!・・・ちなみに同伴者の制限はないけど・・・人間に限らせて頂くわ!」

 と冗談交じりに返した。

 班長は8時からだぞと念を押して、その場を閉める。

 お開きとなり跡片付けを手伝おうとしたケイトだったが、

「君には自宅での準備があるのだから先に帰れ。」

 とシージェイが薦めた。

 皆が手伝って跡片付けをしているので、ケイトは素直にシージェイの言葉に従う事にした・・・。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ