第二話 面倒な依頼
その日、黒川探偵事務所には珍しく来客者が来ていた。客があまり来ない癖に、一応見栄えを気にする黒川が買った五十万のソファーに深く腰掛ける男。
キッチリと髪を七三に分け、高級そうなスーツを着たその男はクイッと眼鏡を上げて、机を挟み対面するように座る黒川を見た。
「貴方様が……黒川信吾様ですね?」
「いえ、違います。帰ってください」
「私は超常現象対策委員会日本支部に所属している山田と申します」
「だから違うって言ってんじゃん。コラっ」
自分が黒川ではないと言い張る黒川を無視して、超常現象対策委員の山田は眼鏡を掛けなおして話を進める。何を言っても無駄だと判断した黒川は、ワザと大きなため息をついてせめてもの抵抗を図った。
「で? その超常現象対策委員会の方が俺に何の用? こう見えても俺忙しいんだよね」
アニメを見たりダラダラしないといけないから、と心の中で付け足し、黒川は足をドカッと机の上に置いた。
明らかに客に対する態度ではないが、彼にしてみれば目の前の男は自分のニート生活を脅かす不穏分子であるのだ。つまり、山田は彼にとっての敵である。自分には甘いが敵には容赦しないがモットーな彼にしてみれば当然の反応ともいえる。
だが、そんな黒川に苦言を漏らす良心もこの事務所にはいる訳で。
「黒川さん。お客様にそんな態度とってはダメですよ」
千夏はコーヒーの入ったカップを、音をたてないように黒川と山田の前に置いた。山田は僅かに頭を下げた。
「いや、でもね千夏ちゃん。コイツは俺の敵なんだよ」
「何が敵なんですか。お客様は神様なんですよ?」
「神様……? ハッ、コイツは俺に仕事を持ってくる死神様だよ」
「黒川さん!!」
独自理論を展開する黒川に千夏は声を荒げた。体をビクつかせて、机の上から彼は足をどけた。ニート故の悲しい性と言うべきか、怒鳴り声には弱い。
「すみませんね……山田さん」
「いえ、お構いなく……失礼ですが、貴方は?」
「私ですか? 斎藤千夏です。黒川さんの助手を務めさせてもらっています」
「いや、そうではなく……千夏さん。貴方は人間じゃないですよね?」
無表情にだが、敵意を持って睨む山田に千夏はうろたえる。まさか、初見で自分が人間ではないとばれるとは思わなかった……どう答えたものかと千夏は視線を黒川に向ける。だが、黒川は顔を俯かせていたので何もアドバイスを入れてはくれなかった。
千夏は、まったく肝心な時にと嘆息すると山田が言葉を続けた。
「私は観察眼持ちで、生物の正体が見破れるのです。貴方は……そう、超常現象を引き起こせるほどの力を持った存在だ」
「えーと……」
「もし貴方が超常現象を引き起こす、危険な存在であるのならば――」
「待て」
黒川が合いの手を入れて、山田の言葉を遮る。
「千夏ちゃんは、俺と契約を交わした特別なリビングデッドだ。職務に忠実なのはいいが……手を出してみろ。――潰すぞ?」
暗く、黒く淀んだ瞳に山田は睨まれた。口調こそ変わってい無いが、その言葉の一つ一つに言葉では表現できないほどの重圧感が込められていた。
千夏は、意外そうに目を丸くした。今まで、こんなに威圧感を出す黒川を見たことが無かったからだ。
「と、とんでもない! 我々は貴方とは同盟を結んでいるのです! 貴方様のモノに手を出すことなんて!」
山田は、面白いくらい顔を真っ青にしながら慌てて否定する。山田がこんなにも慌てるのには理由があった。
世界三強。委員会に所属していない異能持ちの中で、特に力が強い者の事をそう呼んでいた。
その三人の一人ひとりが、その気になれば世界に大混乱引き起こせるほどの力を所持しており、委員会は彼らの機嫌を損なわせないように慎重な姿勢で対応していた。
アメリカの、完全な魔法使い、ロシアの幻想召喚使、そして日本の彼、黒川信吾は死体の軍団と呼ばれ、それに当たった。
もっとも、そのことを黒川本人は知らないが。
「……」
黒川は、フッと纏っていた威圧感を解き、いつも通りのだらけモードに戻る。それに山田ばかりではなく、千夏も安堵のため息をついた。
「で、何の用だっけ?」
「あ、えっと」
山田は一回深呼吸して、自分を落ち着かせてから話を切り出した。
「神田町東地区における連続器物破損事件を我々は超常現象と認定しました。そこで、黒川様のお力を……」
「やだ。面倒」
黒川は、にべもなくそう言い放った。
「し、しかし」
「俺には拒否権って奴があるでしょ? 俺、基本的に働きたくないんだよね。一月に一回だって働きたくないのに、それ以上なんて、絶対無理」
黒川はそう言って腕を組むと、この考えは変わらないよ! とハッキリと付け足した。
「このままでは一般人にも被害が及ぶ――いや、もう及んでいるかもしれません。そこをどうにか……」
「無理。俺は自己中心でね。俺の平安と、見知らぬ奴の生き死にどちらかを選べと言われたら、誰が何と言おうと俺の平安をとるね」
黒川信吾とは、そんな人間だった。だが、これは人間の本質なのかもしれない。誰だって、他人より自分を優先したがるものだ。
「心配だったら、お宅からエージェントを送ればいいじゃん。その方が資金も節約できるし。山本さんだっけ? あんたでもいいじゃん」
「山田です。……日本支部は、慢性的な人手不足でして。私もサポートメンバーなどで、戦闘はからっきしなのです」
いくら異能の力を持つ人間がいるといえ、その数は当たり前だが少ない。その中でも、日本支部は慢性的な人手不足に悩まされていた。なので、細かいところまで手が回らなくエージェントが解決に向かうときには大事に至っている場合が多い。たとえ、高額な支出を伴おうが非所属の異能使いに頼るほかないのだ。
また、異能使いにも戦闘向けと、サポート向けと大まかに分けられる。山田の場合は、敵の正体を見破れるのだが、その能力以外は一般人とそう変わらないので超常現象には太刀打ちできないのである。
「知ねぇよ、そんなの」
知ったことか、と黒川は鼻を鳴らす。
「ホラ、帰っ――――」
「その依頼、私たちが引き受けます!」
黒川の言葉を遮り、千夏はズイッと身を乗り出した。
「ちょ、千夏ちゃん?」
慌てる黒川の顔を千夏はじっと見つめ、ゆっくりと喋り出す。
「黒川さん。放っておけば、手遅れになるかもしれないのですよ? なら私たちがそれを食い止めなければ」
それに、と千夏は誰にも聞こえないような声でぼそっと呟く。
「私みたいな人がでるかもって聞かされて、じっとしていられるほど私は人間を辞めたつもりはありませんから」
同じような境遇に陥った彼女だからこそ言える言葉。その言葉に込められた彼女の思いがどれほどのものなのかを窺い知ることは誰にも出来ない。
千夏の呟きは、黒川に聞こえたのかは定かではないが、黒川はバツの悪い表情を浮かべると自分の頭を乱暴に掻き毟った。そして、机をバンと強くたたくと半ばヤケクソ気味に叫んだ。
「あー、もう分かった! 請ける、請ければいいんだろ! その依頼!」
その言葉に、山田は初めて笑みを浮かべた。
「本当ですか! 黒川様!」
「本当だッ! その代わり、依頼料金の他にマジカル・ナノピーの主人公、なのぴの等身大人形を要求する!」
「分かりました。必ずご用意いたします。それでは、この契約書にサインを」
黒川は契約書にサインをする。それに山田は満足げにうなずくと「それでは私はこれで」と足早に立ち去って行った。
イライラしながらコーヒーを飲む黒川に、千夏は礼を言う。
「ありがとうございます、黒川さん」
「別に千夏ちゃんの為じゃない。東地区には俺のいきつけのアニメショップがあるから、壊されたらたまったもんじゃないと思って請けたんだ」
「それでもです。ありがとうございました」
感謝されることに慣れていないのか、黒川はそのまま黙ってコーヒーをすする。
後に、千夏が語るにこのときの黒川は耳まで顔を真っ赤にさせていたという。