第一話 黒川探偵事務所
神田町。北、南、西、東の四地区に分かれる巨大都市である。それぞれの地区を、地区長と呼ばれるリーダーが治めていて、同じ都市と言えど地区毎に特色が異なる。
例えば、南地区は多くの学校が存在し、学生が多く住む【学生地区】として名を馳せ、東地区は別名【眠らない街】として呼ばれるように多くの歓楽街や娯楽施設が立ち並ぶ。
その神田町の北地区に存在する、薄暗い路地裏にその店はあった。
古びた洋館のような外観に、壁に絡みつくように生える草。それは、不気味な雰囲気を醸し出していた。
その店の顔である筈の看板は、大きく傾いて立てかけられていた。その看板は【黒川探偵事務所】と、かろうじて読み取れた。
「まじだるいー」
黒川探偵事務所の主、ボサボサ髪の青年は目の下に大きな隈を作りながら机につっぷし、そうぼやいた。
黒川信吾。一応探偵。だが治安の悪い北地区の、それもこんな辺鄙なところに依頼相談をしてくる物好きな者はいる筈もなく、彼が仕事をするのは一カ月に一回有るかどうかという状況だったが、気にしている様子はなかった。むしろ諸手を挙げて喜んでいるというダメ人間っぷり。
普通はそんな状態であれば、店の場所を変えたり呼び込みを行ったりする筈なのだが、彼はそのような努力をしなかった。それは彼の性格のせいである。
面倒事は嫌い、辛いことはしたくない、楽に生きたい。彼を構成している感情はこの三つだけである。
【働いたら負けだと思っている】
先人の唱えたその偉大な精神に基づき、彼は堕落した毎日を過ごしていた。
そんな生活をして、飯を食べられるのかともっともな疑問が起きるが、なまじ金があるだけに性質が悪かった。後、数十年間は彼の趣味であるアニメキャラのフィギュア集めを続けていても三食食いっぱぐれる事が無いほどの財力を彼は持っていいる。だから、仕事をする必要が無い。彼ほどの覆面ニートは中々いないだろう。
『次のニュースです。先日、東地区で謎の器物破損事件が連続して起りました』
つけっぱなしにしていたテレビからニュースが流れてくる。
黒川が視線だけをそのテレビに向けると画面には、何かに握りつぶされたかのようにグシャと潰された電信柱にポストなどの映像が流れていた。
『警察は、武装した複数の犯人グループによる犯行とみて捜査を開始しています。東地区にお住みの皆さまは外出の際はお気を付けください』
「人間による犯行ねぇ……」
黒川は興味無さげに呟くとテレビの電源を切る。それから大きく伸びをして体を解した。
その時乱暴に入口の扉が開かれて、一人の制服を着た少女が入ってきた。少女は怒り心頭といった顔持ちで、黒川の姿を探す。
「黒川さん!」
だらけている黒川を見つけた少女は、怒り肩で彼に近づくと彼の襟元を締めあげながら声を荒げた。
「どうして、この前の報酬が支払われてないんですか?!」
「ち、千夏ちゃん……苦しい……君、ゾンビ何だから手加減して」
「そんなことは関係ありません!! どうしてお金が振り込まれていないんですか?!」
斎藤千夏。
南地区の名門女子高の高校一年生である。
長い黒髪を後ろに結ってポニーテールにしている彼女は、品行方正、容姿端麗、頭脳明晰と非の打ちどころのない美少女であるが誰にも話していない真実がある。それは、【ゾンビ】であること。
とある事件で殺された彼女は、ある人物の力によってゾンビとしてだがこの世に留まることができた。その代わり、その人物の仕事を手伝うという契約付きで。
その人物とは、彼女が今首を締めあげて、青白い顔を紫色に変えている青年、黒川。
黒川信吾。彼は【異能】の力を持っていた。異能とは何か、その説明をする前に【超常現象】についてを話さねばなるまい。
この世には、人の成せる業ではない事件が時々起きる。それは、科学の力では解明できないものである。それを人は超常現象と呼ぶ。
超常現象は大抵は、妖怪や化物によって引き起こされるのである。だが、それらは人には視覚することも認知することもできない。【異能】を持つ人間を除いて。
異能とは何か。一概にそれを説明する事は出来ないが読んで字のごとく人とは異なる能力を持つ人間であり、魔法や召喚術などがそれに当たる。
ただし、異能は一般人に秘匿義務があるので世の中に知れ渡ることはまず無い。
異能を持つ人間を統括して、管理し、その超常現象を解決するのが、【超常現象対策委員会】である。その機関はどのような国、組織にも属さずに独立して存在していた。
存在自体が秘匿されているので、この機関を知る人間は国のトップや警察機関のほんの一握りの人数だけである。
本部はアメリカにあり、各国に最低一つの支部があった。
その機関に所属せずに異能の力を使うことは許されず、使ってしまえば委員会による粛清が行われる。一般人を明確な意思を持って、異能の力で傷つけたり殺してしまったりすれば例外なく死刑、など厳しいルールが存在するがその分給料は高額である。
もっとも、例外ではあるが、委員会に所属していないが異能の力の使用を黙認されている人物が稀に存在する。
その内の一人が彼、黒川であった。彼は死体使いと呼ばれ、所謂ネクロマンサーである。
「この前のミノタウロス! 給料は期待して良いって言ってたじゃないですか!!」
彼のように委員会に所属していない場合は、委員会から依頼として仕事が舞い込んでくる。それは拒否してもいいのだが、大抵の場合は高額な報酬が約束されるので彼らは仕事を拒否しない。
「いやー、アレね……ちょっとね」
千夏から解放された黒川は歯切れの悪い返事をする。千夏はその様子を見て、首をかしげた。
「何があったんですか?」
「うん。俺たちさ、それの後片付けしてなかったじゃん? 掃除料金で結構取られた」
「……」
アハハーと乾いた笑いを漏らす黒川に、千夏は小さなため息をつく。
「またですか……黒川さん後片付け出来ませんもんね……」
「俺の場合、骨以外要らないからね。魔法みたいに消滅させること出来ないし」
「あれ? それでも掃除代っていつも数十万位しかしませんよね。確か今回の報酬は、五百万だったから全部取られることは無いんじゃないですか?」
千夏の疑問に視線を泳がせる黒川。何故か口笛まで吹いて顔をそらした。その一連の動作を怪しいと感じた千夏は再び黒川の首を締めあげる。
「うげぇ、苦しい……」
「言ってください! 報酬を何に使ったんですか?!」
黒川は顔を青白くさせながら、プルプルと手を上げ部屋のある部分を指す。
「何が……」
首だけを動かし、黒川の指した場所を見て千夏は絶句し、思わず手を離す。
「何ですか、アレ」
「エンジェル・サウンドの湊たん人形」
そこにあったのは、以前放送されていたアニメ、エンジェル・サウンドのヒロインの等身大人形。顔や体は精巧に作られていて、まるで生きている女の子のようだった。
唖然とする千夏をそのままに、黒川はその人形に近づいて、幸せな表情でその人形の顔に頬ずりをした。至福の時間だと言わんばかりの黒川の鼻息は荒い。
「そ、その人形はいくらしたんですか……」
「人形じゃないやい! 湊たんだよ! これ、知り合いの、人形遣いに作ってもらった特注だからね……」
顔を俯かせワナワナと肩を震わせた千夏の問いに、呑気に答える黒川。
「四百五十万位?」
ブチッと千夏の何かが切れた。
「……黒川さん?」
「なん――ブホッ!」
良い笑顔で黒川に近づくと、ゾンビになって格段に強くなった力を手加減しようともせずに、固く握った拳で殴った。
黒川もろとも湊たん人形は吹き飛び、壁にめり込む。だが、千夏の怒りは収まらない。黒川のガラ空きなボディーに何度も追撃を掛ける。
「どうして! いつも! そうなんですか!」
「死ぬ! 死ぬから! 千夏ちゃん!」
斎藤千夏。黒川の助手として雇われてから半年たつが、その間に一回も給料が支払われたことはなかった。
千夏がストレス発散に黒川をサンドバックにしていた同時刻、超常現象対策委員会日本支部は、神田町東地区における連続器物破損事件を超常現象と認定し、これを解決するために一人の人物に白羽の矢を立てた。
その名は、黒川信吾。
委員会に属さない異能使いの一人で、異能使いの間では世界三強の一人と称され畏怖される人物であった。