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続・未熟なカウセリング

作者: 賽ノ河原
掲載日:2026/02/19

自分の考えていることをどうにか形にする 言語化をする 

それは自分の心の中でそれに決着をつけるためにあり、前回は少しばかりの自身に平穏をもたらすことができた、が まだまだあるのが困ったところ

知ってもらう、見てもらう 理解を募る とても難しいことだが 

自分自身のためにまた文章をつづることにしたのだ。


しかしまずはテーマが必要だ。

前回は過去の話として自分の未熟な部分を見ていただいた、が私は今でも未熟者であり社会のオテイサイにもはまれない半端ものである。(まぁ絵の世界においてはそれも必ずしも悪いことではないのだが。)

昔の話を中心にうつ病として自分がどのように苦しんでいるのかを

書いていきたいと思う


漠然と今は何もできないという喪失感、そして記憶能力の低下、この二つが私にとって大きいものである、注意欠陥や社会不安障害等もあるがあげていったらきりがないし、おそらくあまり楽しい文章にもならない、同じことの繰り返しのようになるからだ。であるからして今回もよければ流し見していってほしい。


誰であろうと基本的に人が居ないと生きていけないのは事実だと思うが、アイデンティティの喪失というのか、また別の何か名称があるのか、他人に距離を置かれたり、他人と離れてしまうのを極端に嫌うのだ

もしそんなことをされたら、もう、パニック一直線である

何事にも根拠があり理由があり…というのが私の考え方なのだがその場合、

心の中身がほとんど他人で埋めつくされているのではないかと考える

本来なら人は人と繋がって成熟していくものであって特に困ることはない

酸いも甘いも全て生きる力に変換され、自分というものが色づいていく。

ファッションでピンク色に染めたっていい、塗装なんかいらないとカオスのままを楽しむのもまた人の道だ、非常に楽しいことになるだろう。


しかし私の場合はほとんど他人のスペースなのだ 自我なんて高尚なものはなく、常に他人に合わせる毎日を送ってきた 幼少期はまだ精神的に余裕があり父親からのハラスメントを耐え、めちゃくちゃになった心を小学校で友人らと集まり絵をかいたり遊んだりすることで解決することができていた、マイナスとプラス 需要と供給 が合っていたのだ。

当然、このバランスは崩れていく、私はインターネットに逃げ込んだ


小さな子供が賭けなければいけない出来事にあったとき、ベットできるものは自分自身だけなのだ

私はかけた、そして大損をすることになる

インターネットでは絵が趣味ということもあってとても楽しい空間が広がっていた、私の忘れてしまった思い出と、まだ微かに覚えている思い出はどれも楽しいものだった。人と話す、敬語を使う…中学生のころだ、何でもできる気がしていた。


インターネットを持つのに中学生は早い、今のご時世では分からないが、少なくともスマホもない当時なら早いほうだっただろう、そこで私は心の欠落ともいえるものを埋めようとしたのだ。

キングダムハーツのように物理的にだったり魔法だったりで心が治ればいいが残念ながらそうはいかない。私はすでに自分が周囲の友人たちと何かずれているのを感じ取っていたのだ。これは後々発達障害の可能性があったとわかることなのだが、当時の父親がそんなことはない!とサッパリ調べられなかったのだ、そして私も周りと違う自分に動揺していた。例えば、考えすぎること、同級生の考えは分からないが、先生の言いたいことならある程度察してしまえること、すべて酔った父親との会話によって培われたスキルだった。私はこれが病気なら楽なのにな、と考えながらあいさつだけは学校一番にでかい声を出して毎日を過ごしていた


そこで私の心を埋めてくれていたのがインターネットである

当時、創作と交流をメインにするグループに参加することができた、いろんな人たちと会話したり、絵を見てもらえるのはとても楽しい日々だった。

また年下ということ、そして私が甘え下手というのもあり可愛がってくれる人も何人かいた。私はその中でこのグループを作った主催さんに憧れていた。

が、残念ながらそううまくはいかない、主催さんは私のことを嫌うようになってしまったのだ。当時の私は大いに混乱し、ブログに苦しいと書き込んだり何もできなかったり、何時ものように通話をかけて話そうとしたらピリピリとした空気があったり、最終的に重圧に負けて謝ることをした。モラハラとかなんとかになる状況だ、3、4回ほどあった


これは何年か後になって分かったことだが主催さんは私が他人に甘えるので自分はいらないんじゃないか?と考えまぁつまるところ「スネてた」らしい。

それでも私の憧れた人物でとても大切な人だったのだがその人に拒絶どころかバシ!と今のアイデンティティを全否定されてしまった

絵をかいて何になるの? 絵を見せて何になるの?

前回の文章を読んでいただけていればわかるが 私にとって絵はキーパーソンである、唯一残った自分のものであり、最後の砦であった、そこで仲間から背中を切られたのである、しかも一番尊敬していた人にだ。

そこで壊れてしまってから、裏切られることが極端に怖くなった

簡単に言えばトラウマだ


ここで戻ってくるのだか、なぜ人が離れていくのが苦手なのだろうか、

それは簡単でトラウマであり、今まで離れていった人はみんなこのように裏切りをキメていっていたからである。今でこそ居なくなってしまった人に悪い影響を受けず離れていくことは可能になったが、もとはといえば主催さんのトラウマなのだ。


そしてそのトラウマは酔って父親の話す会話に耐えて自分をつぶしてしまう生き方をより増強させ、賭けに敗れた私はよりおかしくなっていく。




アイデンティティがちゃんと成熟しきらなかった私はにとっては、他人というのは大層大切なもので、他人の言葉ですべてが決まってしまう。自分の言う権利の喪失 

今は絵も楽しみながら描くことはできない、私のことを知らない大多数の方はわたしが楽しんで書いた絵をまっているのだが、それができない。

楽しくないのだ、情熱も何もわいてこない、学習性無気力感というやつだろうか、バーンアウトだろうか・・・うつのほかにも何か混ざっているのは確かだ


私には絵しか残っているものはないが、絵が描けないとなるとそれはアイデンティティの喪失となる、そしてその喪失は「飽きられて人が離れていくかもしれない」という恐怖心を芽生えさせ、より強大なコンプレックスとして私に覆いかぶさってくるのだ、負の巡回である


そこで唯一可能性を感じているのが性癖である 

性癖というのは 例えばマンガが好き 猫の耳がついた人が好き 大学生が好き・・・と絵のジャンルを決めるものである 

私にも好きという感情は久しく感じていないもののあったのだ、そちらに描く絵を偏らせることで、長年整備もせずさび付いてしまった、アイデンティティというモノを動かせないか、とチャレンジ中である。


つまるところ自分に価値がないと思うからダメなのだ、みんなが全員巨人に見えていて、私はその足の隙間をよけて進むネズミなのだ。

ネズミだからこそ、人間や巨人と同じ力は持っておらず 視線に入ろうものなら こちらから逃げるしかないのだ




ちなみに私の原点であり、そのうえでとんでもないトラウマを残した主催さんなのだが、高校あたりに進むころにはすっかり私のストーカーになっており、リプライを飛ばしては存在感を放っていた、そして過去の文章をすべて取っておいて、違ったことを言うと矛盾してると口がはつらつと開くようになるのだ、主催さんの欠点があるとしたら 時間が経てば人の考えなんてすぐに変わることを知らなかった事だろうか


その後はとことん暴走した後、なんか嫌、みたいなライブ感で縁を切った現実が見えてない空の雲がわたあめにでも見えてるのかと錯覚するような元友人とタッグを組み、より暴走に磨きがかかっているようだ

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