小学校で「通知表廃止の動き」って、いったい何の冗談?
思わず、目を疑ったニュース。
小学校の低学年で、通知表の廃止を決定した市があるとか、ないとか(※すでに施行されています)。
ニュースになっているのは、静岡や岐阜の都市だが、「のびやかに」とか「劣等感を抱かせないように」とか、恐ろしいことを言っていた。
ゆとり教育にしてもそうだったが、「教員の負担を減らすため」に行われる施策に、訳の分からん言い訳を付け足すなよ、と。
通知表廃止は、個人的には愚策としか思えない。
バカな子供は、自分がバカであることに気づくのが、さらに遅くなって「手遅れ」に。賢い子供も、褒められる機会が減少し、伸びシロをスポイルされると予想。
これは差別云々の話ではなく、個別に「区別すべきこどもたちへの対応」を一律でサボることを意味する。幼いこどもたちを「より凡庸に、よりボンクラに揃える」ための愚策としか思えない。
通知表作成にかかる時間を、教員が保護者との対話時間に充てるとかなんとか言っているが、教員が全員「言葉を濁さずに、ちゃんと明確に親に伝えることが出来るのか?」という疑念が、頭をもたげる。
書面でなら、叩きつけるだけで済む話を、口頭で「おたくのお子さんは協調性がない上、授業中も落ち着きがなく、迷惑している。頭も足りていないので、家庭内でちゃんと指導してください」とか、ヤバげな親に向かってちゃんと言える教員が、いったい何人いるというのだろうか、今の時代に?
もっとヤバイのが、おとなしいが勉強はよく出来るこどもが、あまりホメられずに育ってしまうという点。体育以外はオール優みたいな、引っ込み思案な子供から、唯一胸を張れる通知表の成績まで奪ってしまうのは、出来ないこどもたちへの配慮以上に、問題があると個人的には考えてみたり。
さすがに政令指定都市では、こんなバカげた思い付きを市長も支持はしないだろうが、人員と予算の不足に困っている地方都市などでは、これに追従する動きなども出てきそうで、恐ろしい話だ。
現場の負担を減らしたいのなら、どんどんAIを活用する方向に舵を切るしか、もうないだろう。予算が確保できないのなら、国に陳情するとか、まずそちらで頑張ってくれ。
長期的に見ても、子供のプロファイリングデータの一部を欠損させるのは、愚策。これからAI社会に突入するのは確定なのに、「データの欠けた子供たち」が受ける未来損失についても、想像するくらいの頭は持っていて欲しいところである。
私学に通う子供たちとの格差も、さらに広げることになるだろ、これ。