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六、 我が人生

「で、どうする?私と契約する?」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」


ノボルは慌てふためいた。

寿命が縮まる所ではない、即死すらあり得る想定以上の厳しい契約内容である。


「人間って、どれだけ息を止められるんですか?」

「さあ、二分くらい?自分で調べてみたら」


ノボルはすぐに自分のスマホを開き、検索を行った。

ギネスに登録されている、人間が息を止められる最長記録は"24分3秒"だそうだ。

しかしこの記録はプロのダイバーが純酸素を充分吸った上で達成されたとのことで、全く参考にならない。

そこで検索条件を変えていろいろ確認してみたが、概ね以下の通りである。


一般的に、人間が息を止められる限界は30~90秒程度。

素潜りのプロ・海女ですら潜水時間は平均して約50秒だ。

それ以上になると意識の消失、昏睡状態、筋肉の弛緩、仮死状態に陥り、これより進行すると回復は望めないという。


要は、普通の人間であれば数分間呼吸ができないだけでもうアウト、ということになる。

あまりに短すぎる。

軽々しく「二分くらい?」とか言わないで欲しい。


「幾つか質問よろしいでしょうか」

「勿論よ」


ノボルは改めてかしこまり、尋ねた。


「あの、呼吸ができなくなる時間は実際に歌った時間ですか?それとも曲の長さ?例えば、曲自体が3分あるとして、その内歌った時間が2分である場合は、どちらの時間が採用されるのでしょう」

「それは純粋に歌った時間だから、呼吸が止まるのは2分ね」

「成る程、分かりました。もう一つ」

「どうぞ」

「歌った時間分だけ直後に呼吸ができなくなる、と仰いましたね。例えば曲に一番と二番があります。そこに間奏がある場合、一番を歌い終わったらもう呼吸停止は始まるのでしょうか。それとも、ちゃんと二番が終わった後になるのでしょうか」

「それは後者ね。どんなに間奏が長くても、曲自体が完全に終わるまでは呼吸停止は始まらないわ。同じく、歌い終わってから後奏アウトロが幾ら長くても、きちんと曲自体が終わるまでは呼吸停止は始まらない。安心していいわ」

「……ありがとうございます」


何が安心だか分からないが、さすがは音楽の悪魔、曲は最後までやりきれる配慮はされているようである。


「では、コーラスとして歌う場合も、曲の終了時にコーラスした時間の合計だけ息が止まる、ということですね」

「そうよ、さすがお察しが良いわね」

「はい、どうもです。あと、本気で熱唱した場合と軽く鼻歌を歌った場合、どちらも同じ時間がカウントされますか?」

「勿論、熱唱でも鼻歌でも歌は歌よ。口を開けないハミングも含まれるわね」


ハミングもか……しかしだいたい契約の内容は分かった。

しかしだからと言ってこの契約は――

そう考えている間も与えず、春子がまた口を開いた。


「で、私と契約はするのかしら?」


ちょっと待ってくれよと、ノボルは声に出さずに狼狽した。

契約の条件があまりにシビア過ぎる。

超頑張って息を止められる時間が1分だとすれば、アニメのオープニング曲程度の長さだ。まともなフル尺の曲など歌えなくなる。

中高生までは校歌や国歌の斉唱を強制される機会が多々あったが、今後の人生はどうであろう。

またハミングもダメなら、ギターの練習をしている最中に軽く口ずさむことすらできない。


「そうだ、完全な口パクと、寝言で歌った場合はカウントされないからこれも安心してね」


精一杯のフォローのつもりかもしれないが、それはそうだろうとしか。

やはり、安心など出来る訳もない。

ノボルはまたしばしの沈黙を持った。


「あら、迷う必要があるわけ?今日、私と逢えたのは千載一遇のチャンスなのよ。今日を逃したら、次はもう一生"無い"わね」


ノボルはこの時、頭をフル回転させて考えていた。

確かにこれは、良くも悪くも人生最大のターニングポイントになる予感がする。

もし契約をすれば、先ほどの彼女のような"聴いた者の腰を抜かす"程の歌唱力が手に入る。

それこそ、ノボルが死ぬほど憧れて渇望した"スキル"である。

しかしこれからの生活を考えると、1分足らずの鼻歌すらも許されない人生が待っているのはどうなのか……。


「どうなの?」


春子がさらに強い口調となり、こちらに言葉を突き付けて来た。

これが最後のチャンスであると言わんばかりに、だ。

その圧に押され、ノボルは思ったままを返答した。


「すみません、やはり契約はできません!」

「……」

「いろいろ考えたのですが、これから大学を卒業して、就職して、もしかして結婚して子供が出来たりして、そして子育てとか……そういう人生を想定すると、1分ほどの歌も歌えない生活は、考えられないかなと。いくら下手だからって。だから……」

「あ、そう」


やや間を置いて、春子はそっけなくそう答えた。

その表情には明らかな"失望"が見えた。

ノボルは、千載一遇のチャンスで出逢えた音楽の悪魔に"失望"されてしまったのだ。


「あなたとはもう二度と会うことは無いわね、さよなら。さ、行くわよ」


春子はそう傍らにずっと気を付けをして寄り添っていたボーヤに声を掛けると、踵を返して甲州街道を四谷方面に向かって歩いて行った。

その美しい後ろ姿には、もうノボルへの興味は微塵も無かった。

春子の後を、マーチンのギターが入っているハード・ケースを持ったボーヤが急いで付いて行った。

そしてボーヤは少しだけこちらに顔を向け、ノボルを一瞥した。

その横顔には明確に"嘲笑"が含まれていた。


『ほらね春子さん、やはり彼は駄目だったでしょう?』


そう言わんばかりの表情であった。

それは、そうだ。

これまで彼女が契約をしたアーティストは、(恐らく)ジミやジャニスやカートである。

彼らが音楽の悪魔から人智を越えた"力"を与えられる際に、「これからの人生を考えるとちょっと」などと言う訳がない。

それがどんな条件だろうと、彼らなら諸手を上げて受け入れるはずである。

受け入れる覚悟があるからこそ、死してなお永遠に語りつがれる、さらに死後も世界に影響を与え続けるミュージシャンとして、今も君臨しているわけである。


まだ弱冠二十歳であるノボルは、既に自分がそれほど優秀ではない、何かを"持っている"人間ではない事は自覚していた。

勉強も運動も特別に秀でたモノはなかったし、周囲から一目置かれる存在であったり、皆のムードメーカーというわけでもなかった。

子供の頃からクラスのヒーローや中心的な人物になることは無かったし、好きな女の子に「興味ないから」と見事に振られたこともある。

そして元々志望していた父親の出身大学にも学力が届かず、ランクを下げて今の大学に入学した。

父は直接何も言わなかったが、小さい頃から度々大学時代の思い出話をノボルに話したりして、"息子を同じに大学に通わせたい"という願いはあったと思う。

だから父をも、ノボルは失望させていたことになる。


そんな冴えない人生を送ってきたノボルであったが、こと"音楽"だけは!"音楽"に対する心だけは!誰にも引けを取らない熱さと強さを持っていると自負していた。

例えそれがジミであろうとカートであろうと、気持ちだけは負けないと!

しかし、実際はこのザマである。


本当に彼女が音楽の悪魔で、"契約"をすれば彼女の言う通りの結果となるのかは分からない。

分からないが、その条件に尻込みして自分が日和ったことは事実である。

これで良いのか?オレよ!!いや、良い訳がない!!

何がこれからの人生だ??結婚や子育てだ??ふざけるな!!

お前は誰だ?歌を、音楽を、愛する為に生まれて来たのではないのか!?

"音楽"、そして"歌"こそが我が人生ではなかったのか!?

今ここで、それを自分で否定してどうするのだ!

せっかく音楽の女神、いや"音楽の悪魔"が微笑みかけてくれたというのに!!


「ちょっと待って下さい!!ちょっと!!ちょっと!!」


ノボルは大声で叫び、去ってゆく春子の後ろ姿を全力で追いかけた。



~つづく~

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