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一、 歌ってほんとに素晴らしい!


ある日、ひとりの"悪魔"があなたの目の前に現れる。

そしてあなたが渇望する"能力"を与える代わりに、

その能力を使った時間ぶんの"呼吸"を直後に奪う、と持ちかける。

あなたはこの悪魔と"契約"を結ぶであろうか……



ーーーーーーーー


「歌ってほんとに素晴らしい!」


ノボルは一日に5回は、心からそう思う日々を送っている青年であった。

彼は音楽、とりわけ"歌"というものに強い思い入れを持っていた。


ノボルの父は所謂"音楽マニア"であり、彼の書斎の壁一面はレコードやCD棚、額装されたビンテージのポスター類で覆われ、その部屋の中心にはこだわりのオーディオシステムが鎮座していた。

書斎に合わせて特注で作られたレコード棚には、洋楽邦楽問わず1960年代から1990年代までの選りすぐりの名盤が揃えられており、父お気に入りの古いBRAUN社のスピーカーからは常に"良い音楽"が奏でられていた。

よってノボルは、生まれた時より自然に良質な音楽に囲まれて育つ環境にあったのだ。


ノボルが幼少の頃、『ウチには友達のウチよりもレコードやら何やらが沢山あるな?』くらいにボンヤリと考えていた程度である。

父のコレクションには希少なものや高額なものが多く含まれていたが、父はノボルが彼の部屋に入ることを特に咎めはしなかった。

寡黙な父は彼の価値観や好みをあえて息子に語り諭すようなことはせず、むしろ息子が自然に自身のコレクションに触れ、何かを感じ取ってくれればよいと考えていたのだ。


ノボルが父のコレクションの真価に気付いたのは、中学1年生になったばかりの頃だっただろうか。

それは学校の理科の先生へ何気なく「うちの父さんの部屋のスピーカーは、髭剃りメーカーのなんだ」と話したことがきっかけだった。

その言葉を聞いた先生はノボルに、「もしかしてそれ、ブラウンかい?」と尋ねた。


「そうだよ、古くて変な灰色のだよ」と笑いながら答えると、先生は目を丸くした。

「それは凄い、ノボルの父さんは良い趣味をしているんだねえ」


え?という表情を浮かべたノボルに、先生は続けた。


「きっとそれはディーター・ラムスがデザインしたものだ。ブラウン社は日本では電気シェーバーのイメージが強いかもしれないけど、元々は歴史あるドイツの電気器具メーカーでね。特に古いオーディオ機器は世界的に有名で、オーディオ好きには憧れのスピーカーだぞ」


ノボルは博識な上に雄弁で、話の面白いこの先生の事を特に気に入っていた。


「先生も一度は、そんな良いスピーカーでレコードをじっくり聴いてみたいものだな」


あの先生がこれだけ褒めるのである。

あの先生が"一度は聴いてみたい"という音を、自分は日常的に聴いているのである。

だからウチの父は凄いのかもしれない。

その頃からノボルは父のコレクションの一つ一つについて興味を持ち、やがて音楽そのものに傾倒するようになる。

しかし面白いのは、ノボルの父が熱心な音楽リスナーであったことに対し、ノボルの興味は音楽のプレイヤー側に向いたことである。

"プレイヤー"と呼ぶほどの立派なものでもないが、素晴らしい音楽に出会った時、父はそのルーツを探り、且つ最上の環境でその音を聴くことを楽しんだのに対し、ノボルはそれの仕組みを考え、自身で歌い演奏し、理解する方向に興味を持ったのだ。


父の部屋には一本だけ、ギターが掲げてあった。古いYAMAHAのクラシック・ギターだ。

それはもともと父の物ではなく、大昔に友人が父の家に遊びに来て置いて行ったのを、そのまま所有し続けただけの物である。

父はギターを弾かないので、そのYAMAHAは特に演奏されることもなく彼の部屋のいちオブジェとして数十年間そこに存在し続けた。

そして奇しくも彼の息子、ノボルの関心がその古いYAMAHAに向けられたのだ。


もう今となっては自分の物だろうと、父はその古いYAMAHAをノボルに譲り渡した。

それ以来、ただの飾りだったそのギターはノボルの最初の"相棒"となったのである。

(いちおう大事にされていたこともあり、そのクラシック・ギターは楽器としての機能を充分に果たしていた)


まだ中一のノボルにはクラシックギターとアコースティックギターの違いもろくに分からず、ただ無闇やたら、見様見真似でかき鳴らしたりつま弾く日々を送っていたが、やがて父はノボルに簡単なギターの教則本とチューナー、新しい弦などのセットを買い与えた。

元々ギターの知識のない父であったが、自身で必要最低限のアイテムを調べ、ギターに興味を示した息子にそれを渡したのである。


『必要な物は一式そろえた、後は自分の力でどうにかするが良い!』


それが寡黙な父の、教育方針であった。

ドラクエの最初のお城の王様のような父である。

やがてノボルは自分の持つクラシックギターが、一般的なロックやポップスのミュージシャンが持つエレキやアコースティックとは違う種類のものであることに気付く。

しかし他にギターがなかった為に、少年はこのクラシックギターを弾くしかなかったのだが、しかしこれが逆に良い影響をもたらした。

エレキやアコースティックで演奏された楽曲を自分なりの工夫でクラシックギター用に変換して弾けるようになり、これが後にノボルのギタープレイの持ち味の一つとなったのである。


そしてノボルが中学を卒業して高校に進学する際、父は進学祝いとして彼にオベーションの"エリート"というモデルのアコースティック・ギターを贈った。

オベーション独自のリーフホールと、サンバーストのカラーリングが渋い個体である。

オベーションは初めからエレアコ(エレキ・アコースティック)として、アンプに繋いでライブを行う前提で作られたギターである。

中学の約3年間、ありもののクラシック・ギターで尽力したノボルに対し、これから“プレイヤー“として更に羽ばたけるようにと、父から息子への粋な計らいであった。


ノボルは念願のアコースティックギター、しかもエレアコの仕様に激しく歓喜した。

それまで音楽と同じくらい好きであったゲーム機も、この頃から手にする機会は殆どなくなった程だ。

そしてそれからの彼の高校の3年間は、まさしくこのオベーションと供にあった。

風呂とトイレと寝る時以外、自宅では常にこのオベーションを持ち、歌い過ごしていたと言って過言ではない。それくらいノボルは"演奏"に打ち込んだのである。

それに伴い彼のギターの腕前は確実に上達し、自身で歌う為の伴奏としては既に十分すぎる実力を持っていた。

やがて彼は高校を卒業し、実家を離れ都内の某大学に一人暮らしをして通うことになる。

勿論、最愛の相棒・オベーションを持ってである。


しかし彼のこれまでの人生の中で、まだ彼のギタープレイや歌声が、人前で披露されることは一度もなかった。

これほど音楽を愛している青年が、高校や大学の軽音楽部やバンドサークルに参加することはなかったのである。

いったい何故か?

それはノボルが"音痴"だったからである。


それもただの音痴ではない、重度の致命的、な"音痴"だ。

ノボルの手が紡ぎ出す安定したギターの音色とは対照的に、彼の歌声はまさしく悲惨、の一言であった。

そしてそれを自身で十分に理解……というか、充分に思い知っていた。

自分ほど音楽を、歌を、愛している者は居ない。しかし自分ほど歌がヘタクソな者も、他に見たことがなかったのである。


彼の人生の苦悩は、この時すでにピークを迎えていた。

しかしそれでも彼の音楽に対する探究心は旺盛であり、サブスクで、SNSで、レコード・CDショップで、常に新たな刺激を漁っていた。

そして新旧の素晴らしい音楽、とりわけシンガーに出逢うたびに思うのだった。


「歌ってほんとに素晴らしい!」



~つづく~

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