約束を破ったわたしは幸せな人生をやり直す
「わたし、魔法が使えるの」
そう言った時──そう口にしてしまってから、わたしの人生は大きく変わった。
しがないテリ伯爵家の娘の一人だったが、秘密を打ち明けた途端、両親は大層驚き、向けられる期待は大きくなった。
「メアリー。どうしてこんな大事なことを黙っていたの。もっと早く教えてくれていれば、もっと早く良い環境に入れてあげられたのに」
「えっとね、お母様。おともだちと約束したの、内緒にしてねって。だから……」
「まあ! その子はきっと貴方の才能に嫉妬したのね。いいのよ、お母様には教えてくれたって。教えてくれて本当にありがとう」
そう言って抱きしめられたから、安心してしまった。
母の頭の中は、自身の利益で占められていたというのに。
かつて魔法は身近に溢れたモノだった。
火をつけることも、雨を降らせ畑に水をやることも、風で洗濯物を乾かすことも、日常だった。そんな時代があったのだという。
しかし、徐々に魔法が使える人が減り、代わりに使える便利な道具が開発され、魔法が無くても不自由しなくなり──ますます魔法は身近ではなくなった。
魔法が使えるほんの一握りの人間は、魔塔と呼ばれる組織に所属した。中央都市の郊外に、文字通りの塔がそびえ立っていた。一度所属すれば塔の中からほとんど出ることなく、魔法の研究をを行う。
中で行われている研究は公にはされない。完全に独立した、国の機関である。
魔塔は魔法が使える貴重な人材を集めるため、大きな報酬を提示した。それは魔法使いにはもちろん、紹介者にも支払われた。
母も父も、それが嬉しかったのだと思う。
伯爵家といえどお金に余裕はなかった。屋敷にあった売れるものは売っていたし、屋敷で雇う使用人も最低限に留めていた。
三人もいる娘の一人と引き換えに、膨大な資金が手に入るのならば、願ってもないことだったろう。
ただ、このときのわたしはそれがわからなかった。
魔法が使えることを話さなければよかったと後悔したのは、魔塔に入ってからだった。
魔塔での日々は、それこそ不自由な生活だった。
逃げ出せないように結界が張られた塔の中、延々と魔力を搾り取られた。魔力が枯れると、救護室で手厚い看護を受ける。回復すれば再び魔力を放出させられる。こぶしくらいの丸い透明な宝玉に魔力を溜めるのだ。
そんな生活が、二年ほど続いた。
不自由な生活だったが、長老と呼ばれる──いわゆる塔内で権力を持った魔法使いから、わたしは気に入られていて。
とうとう、ともに外へ出ることが許された。目的は新しい魔法使いの発見と勧誘だ。
「本当は二年程度で外に出られることはないんだ。君は本当に珍しいよ」
「いえいえ。わたしも長老たちのお役に立ちたくて。国のためになる研究に、わたしも精一杯、力になりたいんです」
「ははっ、若いねえ。入ってきたばかりの子は急に環境が変わって、不満を持つ子が多いんだが。その点、君は魔力も多いし、わたしたちの目的も汲み取ってくれる。良い後輩だよ全く」
外に出たかった。
両親や姉の様子が知りたかった。
ともだちにも会いたかった。
だから、文句一つ言わず泣き言も口にせず、優等生になりきった。長老は外に出て人材探しをしていると知ったから、いつか共に、と思ったのだ。
こんなに早く叶えられるとは思わなかったが、良い機会だった。
もちろん長老と共にだが、テリ伯爵家の近くを通りかかった。そうなるように誘導した。
そうして見た屋敷の景色は、反吐が出そうだった。
改装された屋敷、増えた使用人、植え替えられた木々に、庭には新しく池まで作られていた。両親の笑顔と、姉たちの楽しそうな声、そして婚約者だろうか姉たちと同年代の男性たち。わたしの魔力と自由を生贄にして、彼らは楽しく幸せに過ごしていた。
きっともう、わたしのことは過去のことだと忘れ去られている。売られた調度品と同じだ。
過去、魔塔から出てきた魔法使いはいないのだから。
気づいたときには遅すぎた。
ずっと魔塔に縛られ、魔力を吸われ、同じく犠牲となる人材を探しに出る。そんな人生しかないわたしが、かわいそうで惨めだった。
魔法が使えることを秘密にする。小さな頃にした約束を、守っていればよかった。
母にも父にも、決して誰にも言わず、あの子とだけの秘密にしておけば。
わたしの自由は、わたしのものだった。
──もし。もしも、あの時に戻れたら。
あり得ないことと知りつつ、自嘲気味にそんなことを思った時だった。
『でしょう? 僕の言うことを守っていればよかったのに』
懐かしい声が脳裏に響いた。
約束した時と同じ声で、これまた変わらず優しい声色だった。
気づくと、辺りは白い空間だった。一緒にいたはずの長老も見当たらない。
下を向けば白いタイル、上は白い空。大理石の柱がいくつも立つ、だだっ広いその場所は、以前にも来たことがある──約束をした場所だ。
「どうして僕の言うことを守らなかったの」
咎めるようなセリフも優しかった。
振り向くと白い髪の少年が立っている。白い布を被り、腰に白いロープを巻き付けている彼は、昔見た姿と何一つ変わっていなかった。
面白がるような空気を含んだ問いに、正直に答えることにする。申し訳そうに眉を下げて。
「だって、わたしも愛してほしかったから」
三女として生まれたわたしは、両親の期待を裏切るハズレだった。
息子が欲しかった両親は、女だったわたしを愛してはくれなかった。
「僕が愛してあげるって言ったじゃない」
「……そうだけど、やっぱりお母様にも抱きしめてほしかったから」
「まあ、そういうものか。メアリーの言い分もわかるよ。それで? 抱きしめてもらった感想は?」
「…………さいあくだった。こんなことになるなら、絶対に約束を破らなかったわ」
その答えに、彼は嬉しそうに笑った。
「ふふ、それがわかってくれただけでも待った甲斐があるね。で、メアリーはどうしたい?」
「え?」
「僕はさ、ちょっと賢くてね。君の望みを叶えてあげられる。もし望みがあるなら言ってみて」
どこまでも心に寄り添ってくれるともだちに、心の内を明かす。
あまりに醜い心を、吐き出したくて堪らなかった。
「わたし、は。魔塔になんか入りたくなかった。お母様やお父様に愛してもらいたい一心で、魔塔に行ったけど、全然意味なかった。ただ自分を犠牲にしただけだった。わたしの自由を奪って幸せに暮らしてるお母様もお父様もお姉様たちも許せない。わたしが幸せになってもいないのに、彼らが幸せになってもいいって言うの?」
魔力を宝玉に溜める作業は苦しかった。
魔力を体内から絞り出すたび生命力を削り取られるような感覚を覚え、魔力を操る集中力に精神は疲弊した。
しかも外に出たいばかりに、誰よりも優秀でなければならなかったから、決して手は抜けなかった。
不満を訴える同期の輪には入れず、心にもない忠誠心を長老に誓う。それがさらに負担となった。
「魔塔も大嫌いよ。何が、魔法を身近に取り戻そう、よ。もうそんなものがなくたって、誰も困っていない。誰も欲していない力を無理に復活させようだなんて馬鹿げてる! そのために何人の魔法使いが犠牲になってると思ってるの」
わたしの犠牲の上に幸せに暮らしている家族も、わたしのように犠牲者を作っている魔塔も、許せない。
溜め込んだ怒りを吐き出した。
それをともだちは黙って聞いてくれる。
「だからわたしの望みは、魔塔をなくして、わたしを自由にすること。わたしを縛るものを消し去りたいわ!」
吐き捨てた願いに、ともだちは容易く頷いた。
「わかった。それじゃあ、僕に案があるんだけど」
そう言って教えてくれた案には驚かされた。
一か八か、やったことのない難しい方法だが、大丈夫大丈夫と軽く励ましてくれる彼に、乗っかってみることにした。約束を守らなかった後ろめたさもあって、信じることにしたのだ。
◇◇◇
「わたし、魔法が使えるの」
そう言うと、鼻で笑われた。
「何言ってるの、メアリー。ふふ、あなたにどんな魔法が使えるって言うの。いつまでも子供じみたこと言わないでちょうだい」
あのときと同じ日、同じ時に。
同じセリフを言った。
お母様は抱きしめてもくれない。それどころか煩わしそうに眉間にしわを寄せた。
──成功だ。
自分の両の手を見つめて、感激に身を震わせた。
自分の魔力では到底使えない大魔法。時戻りの魔法。過去改変の魔法も織り交ぜた、難解な魔法陣を教えてもらった。
いつか世界にばら撒くためにと、魔塔に保管されていた大量の魔力──宝玉を、全部使った。
わたしの魔法使いの人生も投げ捨てた。
膨大な魔力と引き換えに、魔塔を消した。なかったことにした。自分のような犠牲者を出さないためにと言いつつ、憂さ晴らしに近かった。
そうしてまで手に入れた日常は、しがないテリ伯爵家の三姉妹の末娘──息子が欲しかった両親から一番疎まれた娘。
愛されず、こき使われ、鬱憤のはけ口にされて。
それでもただの娘であるわたしは、力もお金も後ろ盾も援助も得られないわたしでは、この家を出て行けない。
一体何のための、大魔法だったのか。
魔法は使えなくなった。魔塔も消えた。魔法のことを知っているのは自分だけ。
まさか全部夢だったのではないかと思い始めた頃、母親に呼び出された。母親はひどく慌てているようだった。
「遅かったじゃないの……! 早く、早く着替えなさい。そんなみすぼらしい格好で! さあ早く」
「え、ええ?」
いつもと同じ格好だ。
掃除をするのに適切な、汚れても目立たず。もし破れても繕いやすい、平民が好んで着るような。
馬鹿にされたことはあるけれど、着替えろと言われたことはなかった。それが手のひらを返したように、姉の見合いの為に買った新しいワンピースを押し付けられた。
身支度は自分で、と言われて育ったわたしは、付いてきた使用人に軽い化粧を施された。髪も簡単に結ってもらった。それにとても驚きながら、促されるまま母親の元へ戻る。
戻るとそこには伯爵である父親もいて。
「おお、きたか。……申し訳ありません。少々準備に手間取りまして」
そう言って父親が頭を下げた先には、白い頭の少年がいた。
見たことのある少年は、しかし記憶とは違い、身体に合わせてきちんと仕立てられた衣服を纏っていた。
黒地に金の装飾が施されたジャケットには、公爵家の紋章が描かれたピンが刺さっている。
「いえ、急に訪れたのはこちらなので。それで、どうですか。先ほどの話は」
「……この娘と結婚を、ということでしたな。私どもとしては願ってもいない話ですが……」
驚いた顔が目に入ったはずだが、どちらも説明してくれそうもなかった。
わたしはただ、口を噤み、場の流れを見守ることにする。
「……本当に、公爵様もご存知のことなのですか?」
父親は戸惑っているようだった。
訪れたのは、白い頭の少年だけだった。正確には一人、執事を伴ってはいたが。
婚姻の話は普通、家長が行うものだ。訝しむのもおかしくない。
「ああ、父は忙しくて。父のサインが入っている書付は持ってきています。……こちら、確認してもらえれば、と。ひとまずこちらの本気を伝えるために、急ではありますが、挨拶にきた次第です」
「……確かにこちらは公爵家の家紋……しかし、なぜうちの娘を、」
しかも、よりによって三女のわたしを。
そう思っていそうな父親の顔を横目で眺めた。
わたしを馬鹿にする態度にはとうに慣れてしまったが、呆れを通り越して笑いが込み上げる。わたしとの婚姻を望む公爵家の前でもその顔か、と。
白い少年はゆったりと微笑んだ。
「……昔、助けてもらったんですよ。こちらのご令嬢に」
「え!? そんなことが? 一体いつの……」
「そう、随分と前のことです。以前、テリ伯爵家所有の別荘があったでしょう。その近くで、とだけ。あとは秘密とさせてください。あまり格好いい話ではないので」
驚く父親の隣で、わたしもまた驚いていた。
もう売り払ってしまっているが、昔、たしかに別荘はあったのだ。別荘の近くにあった、木々に囲まれた美しい湖をよく覚えている。
けれど、わたしが訪れたのはほんの数回だった。その中に少年を助けた記憶は無い。
この少年は、本当に、わたしが知る少年なのだろうか。
今の世界には、わたしの知っている魔塔もなければ、魔法もない。少なくとも身近ではなくなった。
そう考えると目の前の少年もまた、姿かたちが似た、全くの別人である可能性もある。
「──お父様。わたしも一つ、お話してもよろしいですか?」
そ、と片手を小さく上げたわたしを父親は咎めなかった。公爵家の手前、さすがに咎められなかったのだろうが。
これ幸いと言葉を紡ぐ。
わたしの記憶。もしくは夢だったのかもしれない。わたしの人生を変えた言葉。
「わたし、魔法が使えたの」
ぎょっとした父親を無視して、目の前に座る、見覚えのある少年を見据えた。
公爵家の嫡男だと言う彼は馬鹿にしなかった。
「うん、知ってる。僕も使えたから」
──彼だ。
証明してほしかった。あの人生も夢ではなかったと。あの時間も確かにあったのだと。わたしが、世界を変えたのだと。
身に纏うものは違うけれど、間違いなく、あの時ともだちだった少年だ。
悟ったと同時に、婚姻の話を進めてほしいと父親に懇願した。
テリ伯爵家のためにもなるはずだと言ってみせたけれど、父親もそのことはよくわかっている。
正式な話は公爵様を交えて後日、ということで上手くまとまった。
「見送りなんて良かったのに」
「何言ってるの。二人で話したいって顔に書いてあったわ」
「ふふ、バレたか」
久しぶりの見知った顔に安心する。
唯一無二の、わたしの記憶を証明してくれる人。自分でも気づかないほど、新しい人生を不安に思っていたのかもしれない。婚姻という差し出された手を思わず掴んでしまうほど。
「さっき、昔わたしが助けたって言ってたけど、あれは? 何か口裏合わせたほうがいいの」
「うーん、そうしてもらったほうがいいかも。でも、助けてもらったことは事実だからね。覚えてない? 湖のそばで怪我していた……」
湖で怪我、と聞いて思い出すのは、白くて大きな鳥。白鳥だ。
白い体から流れる赤い血に、幼かったわたしは驚いたものだ。
「あの時の僕は、神からちょっとした罰を与えられていて、本来の人の形になれなかった。魔力も封じられていてね。あんな怪我ですら、治せなかったんだよ。正直、死にかけてた」
血を流したままぐったりと横たわる白鳥に、わたしは近寄った。
そして祈ったのだ。神様、どうか、この白鳥を助けてください、と。
「神に罰せられた僕が、神に愛された子に助けられた。運命だと思ったよ」
わたしの祈りが通じたのか、白鳥の傷はすっかりと癒えた。くちばしで頬をするりと撫でられたことに、感動したこと思い出す。
それから、す、と立った白鳥は、水光の中で美しく飛び立ったのだ。
「貴重な治癒魔法。使える人間が今の世にいるとは思わなかった。見れば魔力も多い。神に愛されてるとすぐにわかった。……守ろうと思ったね。メアリーを愛する神よりも、僕がメアリーを愛そうと。僕が神に罰せられたことも怪我をしたことも全て、僕とメアリーが出会うためだったんだとさえ思ったんだよ」
細められた紫色の瞳に吸い込まれるようだった。
頬に添えられた手を温かいと思ったのは、少年の熱だったのか。それともそう感じたかったからなのか。
「……ウァサゴだよ。覚えてメアリー、僕のお気に入り。僕の人間の名前さ」
白髪の少年ウァサゴは、わたしと同じ年頃に見えた。
「……人間?」
強い愛をぼんやりと受け入れながら、首を傾げた。そんなはずはなかった。
人間離れした美貌も歳を取らない外見も、見たことのない白い空間も。世界を変えた魔法陣も。人間が作り出せるものではなかった。
「うん、僕は人間になったんだよ、メアリーのおかげ。さすが僕が見込んだだけのことはある」
「どういうこと?」
「溜め込んでいた宝玉と、メアリーの魔力だけでは足りなくてね。僕の魔力も使って手助けしたんだ」
驚いた。一か八かだと思っていた大魔法。
魔法のことをよく知っている──魔法を人間に伝え教えたとされる天使が絡んでいれば、失敗はありえなかった。
「え、もう天使じゃなくなったってこと? 大丈夫? なんでそんなこと」
「いいの。メアリーと一緒にいたかったから」
天使に寿命はないらしい。
神から見放されたときが、最期。ただそれだけ。
「天使も神も、人間に手を出しちゃダメなんだよ。基本は関わらないようにしなくちゃいけない。だから僕がもう罰せられることはないんだ。最初で最後。何をしても許される瞬間だった」
そう言ってウァサゴは悪戯が成功した少年そのものの顔で笑った。
「ずっとずっと愛してあげる。一緒に生きて、一緒に死のう?」
「だから結婚?」
「うん。僕はメアリーを愛してるから。誰にも取られたくないし。そのためにお金も地位もある」
胸のピンをウァサゴが指で弾いた。公爵家の紋章が太陽の光を反射した。
「まさか、本物、の?」
「うん。ちょっと魔法陣に手を加えちゃった。イェッセル公爵家、一人息子のウァサゴ・イェッセルだよ。覚えてね。メアリーは、メアリー・イェッセルになるんだから」
「気が早いってば」
「別にいいんだ。メアリーが僕を愛してくれなくたって。嫌わないで傍にいてくれればそれでいい」
愛に飢えていた。
誰もわたしを愛してはくれなかったから。
ウァサゴが吐く愛は、人間というには魅惑的で、天使というには妄執すぎた。
「愛してるよ、メアリー。僕を救ってくれた天使。僕の生きがい」
そんな手を取ってしまったわたしは、幸せになれるのか。
「ウァサゴの愛は重いのよ。もっと普通のでいいんだけど」
「難しいな。これが僕の普通なんだ」
口を尖らせたウァサゴは年相応に見えて、感心してしまった。
何も知らない人間にはただの美しい少年に見えるだろう。
「もう、魔法は使えないのよね?」
「僕? うん、僕もすっからかん。魔法も使えないただの人間だよ。あ、だからって嫌わないでね?」
「嫌いになるわけないわ。わたしにとってウァサゴは恩人なんだから。……この家から出る理由をくれて、本当にありがとう」
今もわたしは監視されている。複数の視線を浴びながら、くすりと笑った。
縁もゆかりもない公爵家嫡男との会話が気になるのだろう。父親も、母親も、姉たちも。
そっとウァサゴの腕を抱き寄せた。
少し驚いたようだったが、状況も理由も、ウァサゴは理解してくれた。
「わたし、魔法がつかえるの。幸せになる魔法よ」
そううそぶきながら、近くなった頬にキスすれば、ぎゅっと抱きしめてくれたから。
声にならない叫びを上げる家族を想像して楽しくなる。
嫉妬すら、わたしの幸せの一部にしてやった。
◇◇◇
ひと月も経たない内に全てが整えられた。
婚約期間はすっとばした。結婚まであっという間だった。
気づけばテリ伯爵家を出て、イェッセル公爵家に輿入れしていた。
わたしは美しい公子に見初められた幸運の娘として注目を浴びた。早々にテリ伯爵家が没落したことも要因だったと思う。
それからは忙しい日々を過ごした。
大層な身分を手にしてしまったから、やらなければいけないことは多かった。
他国も出席する大きなパーティーに参加しなくてはいけなくて、着飾るためのドレスをいくつも仕立てたり。
周辺諸国との外交のため、と小旅行を繰り返したり。
領地の活性化のためだからと、領民を交えてのお祭りをいくつも開催した。
思い返すと、ずっと幸せだった。そんな生活を目まぐるしく続けていた。
歳をとり、自分たちの子供に爵位を譲ると、王都から離れた領地で、長閑に暮らした。
これまで趣味という趣味はなかったから、絵画や園芸、刺繍をはじめた。ゆっくりと景色を眺めながら散歩をした。ずっとウァサゴと一緒だった。
ベッドの中、そっと手を握りしめてくれる彼は、しわしわになってもなお、わたしの傍にある。
「ねえ、どこから、どこまでが、あなたの策略だった? ウァサゴ」
ずっと聞きたかった。
時を巻き戻すところから、それとも約束をしたときからか。もしかするともっと前、白鳥を助けたところから。
「教えないよ。かっこ悪いからねぇ。僕はただ君を愛したかっただけ。幸せだったかい」
優しい声に目を瞑った。
楽しくて、楽しくて、穏やかに笑っているはずだ。
「……ふふ、わたし、魔法がつかえたのよ。幸せになる、魔法。……だってずっと、幸せだったもの。一緒にいてくれて、ありがとう……ウァサゴ、わたしもずっと、あいしていたわ」
言いたいことは言えただろうか。最近は物忘れも酷かったから少し心配だ。
何一つ、後悔を残したくなかった。
「おやすみ、メアリー。僕もすぐ、君の傍へ」
最期に、そんな声が聞こえた気がした。