1話の③
「ふー」
酒をあおり、貴明は息を大きく吐き出した。酒を飲んでいないとやっていられなかった。職場も休んでいる。原因は妻殺しではない。それは後悔していなかった。問題は人の心が本当に聞こえるようになったことだった。アパートの壁は元々薄いのだが、それは関係なく、人の心の声が聞こえるのだった。例えば、子どもが父親を嫌う声や友だちと言いながら裏切ろうとしている声など様々な声が聞こえるのだった。
プシュ。もう一缶開けて、少し考えをまとめてみる。コンビニかスーパーで買い物に行っても、階段は見えないようだった。初めは自分の目の錯覚かと思ったのだが、それは間違いだったと鏡を見ると思い知らされる。
「どうなってるんだ、これ」
13階段をみあげる、ため息を吐く。重くはないのだが、触ってみると石段なので登れそうな感じがするのだった。
「何で誰にも見えないんだよ」
拳で壁を叩くと、隣から「うるさい」と返ってきた。ついでに心の声で「うるさいやつ、どっか行け」と言われた。ついカッとなって、もう一度叩くと今度は反対側からも声がして「うるさい、邪魔」と心の声が聞こえて、壁を叩き直された。
貴明は腹が立って、立ち上がったが、面倒くさそうなので、また座り直して酒をあおる。炭酸が喉にしびれて、思わず咳き込みそうになった。
「何で俺だけ」
訳が分からなかった。相手の心の声はクリアに聞こえるのだが、こちらの心の声は聞こえないようだった。
また一口酒をあおり、貴明は床に寝転がった。頭の階段がよく見えるようになり、怖くて再び起き上がった。妄想だろうかと顔をつねるが、階段は消えてくれない。
困った、困った、困った。
頭の中でグルグルとその言葉が回る。早く妻の生命保険も手に入れたいのだが、相手から疑われて心の声が聞こえるとまずいと思った。しばし、床に倒れて考える。周りは酒の缶や瓶で溢れていた。
「…そうだ」
貴明は思いついて、立ち上がった。




