八十一話 沈勇の勇者と北の地と
残暑の残る気温。
ウオックが引く馬車の車窓から見える山脈は美しく赤色に染まっていた。
彩られた地面を走る馬車は、季節を踏みしめる子気味の良い音を奏でながら北へと向かっていた。
剛勇の勇者をボルスの力を借りて打ち倒したあと、三ヶ月ほどハーゲンに滞在した。
剛勇の勇者を倒して、そう時が経たないうちに魔勇の勇者から連絡があったが、剛勇の勇者を倒したことについて言及されることはなかった。
ただ情勢の悪化を考慮して、再び連絡するまで駐屯しろ、というものであった。
その間、シトラスはエステルと共にハーゲンの復興を手伝った。
そして新たに連絡を受けたのが約一ヶ月前。
ボルス、エステル、そしてジェニパーとハーゲンの民と別れを惜しみ、都市を後にした。
馬車のキャビンの中にはシトラスとミュールが向かい合って座っていた。
二人の間には小さなテーブルが設置されており、水とグラスがその上に乗っていた。
テーブルの中央には広げられた手紙。
シトラスが勇者となってもうすぐ一年が経とうとしていた。
その年齢もいつしか二十歳を迎えていた。
魔法が老化を抑える世界。
貴族であれば百歳生きることもそう珍しい話ではない。
二百歳を生きる者もちらほらといる。
二十歳というのはまだまだ若僧も若僧。
しかし、十代がいつの間にか終わった、という事実は学園を卒業した時と同じような寂寥感をもたらした。
シトラスが車窓から流れていく紅葉を眺めながら、
「勇者になってもう一年になるんだね」
ポツリと呟いた。
対面に座っていたミュールが、
「時間が経つはいつもあっという間だ――それよりシト。手紙の返事どうするんだ?」
そう言って机の上に広がっている手紙に視線を落とした。
ミュールが触れたのは二人が挟む机の上に置かれた手紙。
その内容はシトラスの婚約についての提案であった。
二十歳というはこの世界では結婚適齢期であった。
学園を卒業してから十年間に結婚するのが一般的である。
四門の次期当主であるエステルやボルスには、毎日束となって見舞い話が飛び込んでいた。
夢であった勇者として邁進するシトラスは、直接二人から聞いた話にもどこか他人事であった。
――手紙が届くまでは。
「このあたりは姉上の差配に任せるよ。ただ個人としてはありがたい話だよ。相手は気心が知れている相手だし」
「意外な相手――ではないけど、シトもいよいよ結婚かあ」
「婚約だよ。婚・約」
シトラスが笑って訂正する。
ミュールは、
「一緒だろ、もう」
笑って肩を竦めてみせた。
「そういうミュールはどうなの? オーロラとは」
ミュールは学生時代から、王国東部の貴族の令嬢のオーロラと正式に交際していた。
彼女はおしとやかで、令嬢然とした大人しい美しい女性で、今でも定期的に文通をする仲である。
ミュールは、
「……向こうの親次第だ。俺とオーロラは結婚したいんだが、向こうの親父さんがな。ちょっと古いタイプの人で、俺の家格に不満があるらしい」
こちとらスラム上がりだぞ。家格なんてねーよ、と悪態をつく。
ははは、とシトラスが笑う。
幼少期、ミュールはスラム暮らしでその日暮らしをしていた。
それがシトラスが出会い、紆余曲折を経てロックアイスに仕えていた老執事セバス・チャンの養子として引き取られた。
セバスはロックアイス家を通して長年の王家の貢献が認められ、準男爵位を有していた。
「レスタとエヴァはどうなったかな?」
「それがよ。これから行く北の国境に二人とも軍役に勤めているらしいぞ? 会って直接聞いてやろうぜ」
二人が話題に上げたのは、学生時代に派閥を越えて友誼を結んだ二人の男女。
学生時代の情報では、二人とも北部の軍役についているということであった。
それが二人が知る最後の情報。
卒業以来、彼らと連絡を取ることもなく、その関係は疎遠なものになっていた。
「そうか……。それは楽しみだな」
遠方より朋が向かっていた。
◆
北の国境は霊験あらたかな大自然アーブの森に面している。
見上げても木々の頂点が見えないほどの巨木たち。
風で揺れる木の葉が擦れる音は森のうめき声にも聞こえた。
舞い散る葉も木々の大きさに比例して大きい。
大きい葉であれば人が一人その下に隠れられるほどである。
北の国境の都市マムラカへ足を踏み入れると、
「わお……」
車窓に貼り付いたシトラスの口から感嘆の声が漏れた。
ミュールも車窓から見えるマムラカの様子にただただその声を失っていた。
北の大地はこの大自然の影響で、他の大地より人と自然の共生が進んでいた。
家は枯れた巨木を加工して集合住宅の体をなしていた。
数え切れないほどの窓から明かりが漏れている。
そのような木々が都市には大小溢れていた。
マムラカは今まで訪れた都市の中で最も幻想的な都市であった。
最も巨大な樹の前でウオックが止まる。
大樹の名前はブラジュ。
マムラカでその高さも面積も最大級を誇っている。
シトラスとミュールがキャビンから出る。
最高級の馬車に乗っていたから気がつかなかったが、地面が舗装されていない。
来た道を振り返るとガタガタで、ときおり木々の根が剥き出しになっていた。
さぞ歩きににくかったろう。
シトラスは馬車の前まで移動すると労わるようにウオックの首を撫でた。
ウオックは満足そうにその顔をシトラスへと擦りつけた。
そこに現れた二つの影。
「ようシト」
「久しぶりねシト!」
それはレスタとエヴァであった。
予想より早い再会にその目が驚きを現した。
悪戯っぽく笑うレスタは、
「いや、シトと旧知ってことで勇者サマの案内役に抜擢されたんだよ俺たちは」
「レスタったら。御屋形様に呼び出された日から、ずっとソワソワしてたのよ。どこを案内しよう、と何を食べさせようッて」
エヴァに再会を楽しみしていたのを早々に暴露され、
「ば、ばかッ。それは言わない約束だろッ! それならエヴァだって色んな人に都市のおすすめを聞いて回ってたじゃないか」
レスタは反撃を試みたがエヴァは、
「ええそうよ、それが? 私 は 楽しみだったもの。シトとミュールとこうして久しぶりに会える日を」
ケロッとした顔で答えた。
「……降参だ。俺も楽しみだったよ」
息のあった掛け合いにシトラスとミュールの頬が緩む。
学生時代に戻った気分だった。
「相変わらず仲がいいな……ってその指!」
ミュールが気づいたのはエヴァの左手の薬指の指輪。
慌てて、ミュールの左手を見ると同じ指に同じ指輪。
エヴァは心底嬉しそうに、
「じゃーん。私たち婚約しました! 来月にささやかながら式を行う予定。ね、二人とも。良かったら私たちの式に参加しない?」
ミュールも我が事のように嬉しそうに
「するする!」
食い気味で食いついた。
レスタはエヴァと違って気恥ずかしそうに顔を背けている。
エヴァが、
「メアリーやオーロラも式に来て欲しいわね」
ちらちらっとあざとくシトラスとミュールへ視線を送ると、
「メアリーにはぼくから」
「オーロラには俺から」
空気を読んだ二人が笑いながらそう答えた。
気の置けない友人についつい話が脱線してしまう。
ミュールが立場を思い出して、
「おっと、こうも話してばかりはいられない。お館様がお待ちだ。案内するぜ」
大樹の中へと導いた。
◇
アブーガヴェルの現当主との対談はすぐに終わった。
言葉数の少ない威厳のある人物だった。
当主はシトラスたちのマムラカへの逗留を許可し、疑問や要求があればレスタとエヴァに言うように話した。
話した内容はそれだけであった。
その時間は三分にも満たなかったかもしれない。
口数も少なければ、笑顔もなかった。
対談後、ミュールは何かしでかしたかと気になって仕方がなかった。
しかし、退室後にレスタとエヴァに対談の話を共有すると「そう言うお人」とのことであった。
家臣や領民からの信頼厚い人格者だが、それがアブーガヴェルの血なのか代々口数が少ないのだという。
シトラスの魔力視の魔眼を通して視た彼の魔力には感情の揺らぎは見えなかった。
「領主さまへの挨拶も終わったし、あとは先にいる勇者と合流しないとね。確か北にいるのは沈勇の勇者だったよね?」
「案内するぜ」
レスタとエヴァを先頭に大樹の中を移動する。
魔力で自動昇降する昇降口で上階へと向かう。
ぐんぐんと上に上がっていく籠。
人が十人は入れる大きな籠の中には他の乗客の姿もある。
「この木の家? って何階まであるの?」
シトラスの問い掛けに優しく答えるのはエヴァ。
「家、というよりかは、お城、なのかな。この木は住居兼職場。都市で一番大きくて百六十七階あるのよ」
「ひゃくろくじゅうななッ!?」
それを聞いていたミュールの声が裏返った。
同席していた他の乗客が微笑ましく笑う。
目的の階で降りて、再び歩きはじめる。
シトラスが、
「二人は沈勇の勇者がどんな人か知っている?」
尋ねると、
「私はちょっと怖い、かな……」
「怖い?」
訝しむシトラスにエヴァは、
「あ。これは変な意味じゃないの。ただちょっと陰気というか何というか。学園に入る前に私も色々と学園についてお話をお聞きしたわ。悪い人じゃない……とは思うんだけど」
顔の前で手を振る。
エヴァはシトラスに同僚の愚痴を聞かせるべきではなかったと思っていた。
彼女は、いや臣民の多くは勇者の異常性を知らない。
「沈勇の勇者についてはレスタの方が詳しいわ。レスタは彼と昔から仲が良かったから」
レスタに話題を振る。
「あぁ、彼は学園に入る前に一時期俺の家庭教師を務めていたよ。寡黙で何を考えてるかわからないけど、授業は分かりやすかった記憶がある。何を考えているかわからないのは今もだけど」
エヴァが思い出したかのように、
「そう言えば、レスタは学生時代も時々手紙のやり取りしていたもんね」
「あぁ、そんなこともあったな」
臨時の家庭教師を縁にして始まった二人の仲。
その後もときおり手紙のやり取りをしていたという。
「仲良いんだね。彼が何をやっているか知っている?」
「俺が昔聞いたのは、国の不穏分子を排除するのが仕事だって」
レスタの情報にミュールは、
「今回の勇者も中々物騒だな」
眉間に指をあててため息を吐いた。
シトラスの口から、
「物騒でもなんでもいいよ。まともな人であれば」
という言葉が心から漏れた。
「他の勇者様はどんなのか聞いてもいいか?」
「これまでに仕事一緒にした二人は、徹底した人族主義者と見境いのない戦争屋だったよ」
これまでにシトラスが葬った二人。
勇者の死は国の一大事。
二人の死は極秘事項であり、緘口令が敷かれていた。
「それはまた……」
レスタの笑顔が引きつったものに変わった。
「おっと、ここだ。この部屋が沈勇の勇者様が使用されている部屋だ。俺たちはここまでだ。仕事が終わったら連絡をくれ。こうして大人になってまた集まったんだ。酒でも飲もうぜ」
レスタはそう言って貝状の音声通信魔具をシトラスに手渡すと、エヴァとこの場を後にした。
シトラスが部屋の扉を開ける。
二人が足を踏み入れた室内。
室内は薄暗く、映像通信魔具が射影する映像で埋め尽くされていた。
壁から天井、床下まで。
そのすべての空間がどこかしらで撮られた映像を映し出していた。
部屋には掌に収まる大きさの白い球体がふよふよと浮いていた。
不思議に思ったミュールが目を凝らすと、
――うッ。
という言葉がミュールの口からでかかった。
それは目玉。
人間の目玉が宙に浮かんで映し出された映像をぎょろぎょろと見ていた。
部屋の中央に座る片眼鏡をかけた一人の男。
干した青草のような少し暗い青緑色――蒼色の髪。
髪と同色の瞳が忙しなく動いている。
「よろしく」
「…………」
シトラスは聞こえていなかったのかと思い、
「よろしくッ!」
さらに大きな声で声を掛ける。
わずかにその唇が動いたような気がした。
「…………」
しかし、何も聞こえない。
ただあその目だけが忙しなく動いている。
もう既にまともじゃない雰囲気が漂っていた。
シトラスは大きく息を吸い込むと、
「よ! ろ! し! く!」
一音ずつ区切って声を出した。
ピタリと動いていた視線が止まる。
沈勇の勇者は、
「…………あぁ」
蚊の鳴くような声でそう言葉を返した。
部屋に足を踏み入れて視線が初めて合う。
シトラスが、
「ぼくの仕事を教えてくれる?」
沈勇の勇者の瞳を見つめながら尋ねると、
「北の不穏分子の始末」
平坦な声音が返ってきた。
シトラスと、
「北の――」
ミュールの、
「――不穏分子の」
二人の声が重なった。
「始末?」
沈勇の勇者は無表情で、
「この北の地で王家に仇なす動きがある。その排除がオレらの仕事で剣勇も既に向かっている」
「勇者が四人も?」
勇者は各自パーティーは組めど、勇者同士で行動することはそう多くない。
シトラスが他の勇者に同伴していたのも、新人だからこその措置である。
沈勇の勇者は無機質な声で淡々と、
「オレのこれまでの調査ではかなり大規模な可能性が高い。陰で東のチーブスが動いているのかもしれないし、裏に何か別の組織がいるかもしれない」
王国の一大戦力の勇者が対処しなければならない規模である。
「ぼくは何をすればいい?」
「希望は陽動で、アーブの森の魔物たちの相手。魔勇と剣勇が実働隊。通信魔具にはいつでも出られるようにしておけ」
希望の勇者ことシトラスが、陽動。
魔勇の勇者と剣勇の勇者が、実働。
「わかった。沈勇の勇者は?」
「オレは司令塔だ。ここから指示を出す。オレの魔法は特殊で、オレの言葉には魔力が宿る。勇者ではない者にとってオレの声は毒だ」
沈勇の勇者はギフテッドワンである。
そのギフトは『言の葉の呪い』。
そのギフトは彼の言葉に魔力を宿る。
言葉にのった魔力は、抵抗する力を持たない人を操るという凶悪なギフト。
誓約魔法で跳ね上がった魔力。
誓約魔法と彼のギフトの組み合わせは、よりそのギフトを凶悪なものへと仕立て上げた。
「そうだったんだ……ごめん、何か悪いことしちゃったかも」
「なに気にすることはない。オレも気にしない。オレと話がしたいなら魔力抵抗を全開にしろ。今の希望ならそれでオレと話せるだろう」
「こうして声を抑えて喋るのも――中々疲れるんだ」
その言葉には初めて感情の色が見えた。
声を上げたのはミュールだった。
「うおぉ……! な、なんだ!? 体が急に重く……なんか急にしんどくなってきた」
前のめりに倒れそうになり、たたらを踏む。
魔力視の魔眼で視ると、ミュールのオーラが急に弱まったのがわかった。
ミュールと沈勇の勇者に交互に視線を送る。
シトラスの視線の先で、沈勇の勇者は肩を竦めてみせた。
カーヴェア学園では七席級の実力を持つ者でさえも、このありさまである。
シトラスはギフトの力を目の当たりにした。
◆
薄暗い部屋。
沈勇の勇者はシトラスたちが去った後も、通信映像魔具を監視していた。
都市内部に独自に設置した監視魔具からリアルタイムで映像が送られている。
ふよふよと室内を巡回する目玉。
肉眼とこの目玉たちを使って、何十という映写された画面をすべて一人で把握していた。
「……ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう」
部屋の外からノックの音が響いた。
「……ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう」
扉が開いて中へ入って来たのは一つの影。
「……何の用だ?」
そこにを見向きもせずに調査を続ける。
――勇者が四人も集まっていると聞いた。
「……あぁ、念のためだ」
来訪者は調査の状況を尋ねた。
――それほどか。
「……いつもの領民や下級臣民が騒いでいるのとは話が違う」
沈勇の勇者の推測を尋ねる。
――お前はどう考える?
「……これはあまりよそでは言うなよ?」
宙に浮いていた目玉の動きが止まった。
「……この件におそらく四門が関わっている」
驚いた様子の来訪者がその理由を尋ねる。
――なぜ、そう思った?
「……理由? 規模がデカすぎる」
沈勇の勇者は推測に足る証拠を押さえていた。
――規模? 何がわかっているんだ。
「……押収した武器や魔法陣。それに尋問した捕虜に掛けられた契約魔法」
あとは現場を抑えられれば解決だと。
――なるほど。
「……これは普通の貴族では無理だ」
影は少し考える素振りを見せた。
――ジュネヴァシュタインか。
「……可能性の一つだ」
再び宙に浮かんでいた目玉がすべて地面へと落ちた。
――やはり、お前は優秀だな。
「……ッ……ごふッ……な……ぜ……」
沈勇の勇者の胸に突き出た切っ先。
それは致命傷であった。
――だが少し知り過ぎた。
「…………」
再び部屋の扉を開き、そしてゆっくりと締まる。
動かなくなった沈勇の勇者の体と、地面に落ちた目玉が絨毯に染みを作った。
都市のイメージは都会のビルを全部ジャイアントセコイアに置き換えた感じです。
領主のいる大樹ブラジュはその中でも体積が大きくて、でーーんとしています。




