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ギフテットワン  作者: 0
第二章四節 戦火編
71/112

幕間 ジャン


 我々の主人、ジンジャー閣下は完璧な存在である。

 類まれなる優れた容姿。天才的な頭脳。そして、何よりその慈愛の心。


 閣下と出会ったのはいつの頃だったか。


 私の母はとある宗教の敬虔な信者であった。父親の顔は知らない。

 母は神がすべてを救ってくれると足の爪から髪の毛の先端にいたるまで本気で信じていた。


 神は救いを信じる母とは裏腹に、年を追うごとに苦しくなる生活。

 私には学がなく、神はわからない。しかし、生きるには金が必要であることはわかる。


 そのため、母を一人残して、軍に身を置くことにした。

 軍では食事を提供され、戦う術も身に着けることができた。私には適性があったようだ。国境の小競り合いや、王都でのいざこざで駆り出されると、たちどころに勲章をあげることができた。


 だが、いくら輝かしい功績を残しても、王都のスラムに一人残した母を忘れたことはなかった。私は母のために、王都に家を買い、軍で金銭を手に入れると、最低限を残してすべて母へ渡した。


 私はすべてがうまくいっていると思っていた。

 これが母が口癖のように言う、神の思し召しというものかと。


 そう思っていた――母の死を見つけるまでは。

 ある日私が軍の遠征から帰ると、母は神を信じたまま、筵の上で冷たくなっていた。最後まで祈るように手を組んだ状態で。

 そして知った。身を切る思いで母に送る仕送りも、母はすべて教会に、母が祈る神に捧げてしまったことに。



 ――なにが神か



 母を失い、私は軍を抜けた。

 

 ならず者として裏社会に身を置いた私は、仲間を集め、あっという間に王都の裏社会の半分を牛耳った。その過程で、逆らう者はみんな殺した。


 しかし、私の栄華はそう長くは続かなかった。

 敵対していた組織に嵌められ、仲間の多くを失い、私の組織は壊滅。私も王都の隅でひっそりとその命の終わりを迎えつつあった。



 ――この腐った世の中に神はいない。



 そこに現れたのが閣下であった。

「――この世の中に不満しか持っていないみたいな顔をしていますね」


 閣下は私の顔を見て驚いた素振りを見せるとそのまま、お屋敷に匿ってくださったばかりか、衣食住を与えて下さった。


 その屋敷は不思議な家であった。


 屋敷には私を除くと、広い屋敷に反して、たった二人の人物しかいなかった。


 当時はまだ正式に貴族として叙爵したばかりのジンジャー閣下と、ベッドに横たわる私の身の回りを世話をする一人の従僕。

 聞くと、ジンジャー閣下と従僕、あと懇意にしている商人で北の村から王都へやってきたらしい。


 この従僕がただ者ではなかった。佇まいといい、雰囲気といい。ただならぬ何かを感じさせる。


 その立場を聞くと奴隷ということであったが、

「あぁ、勘違いしないでください。自称ですから……さしずめ、ジンジャー様への愛の奴隷、と言ったところでしょうか」


 ただたならぬヤバい奴であった。


 ウンウンと頷いている変態を視界に収めつつ、それ以上は深堀りはしない。軍にいた時や、裏社会でクスリを決めている奴らと同じ目つきをしていたから。


 男の従僕に包帯を変えてもらっているときに、

「私はこれからどうなる?」


 従僕は私に何の興味もないようにただ淡々と、

「さぁ? それはジンジャー様がお決めになることです」


 ちょうどその時、見計らったようにちょうど屋敷の主が部屋へと連れて入ってきた。


「そうか。――だそうだが? ジンジャー、様」

 

 私がジンジャーと呼び捨てにした時、部屋には濃密な殺気が部屋を支配した。その出所は私がここに運び込まれて以来、私に無関心を貫いていた従僕であった。


 殺気が渦巻く部屋の中、

「貴方の好きにしてください」

 そう言って笑った。


 母を失い、軍を去り、仲間も失った私。


 行く宛てもない身の上を自嘲する私に、

「なら私と来るのはどうですか? 私は北の田舎の出ですので、王都に詳しい人物が身近に欲しいと思っていたところです。もちろん給金は弾みますよ?」


 それから私は、住み込みでジンジャー閣下の下で生活をすることになった。 


 裏社会で名前を馳せていた私が、貴族の後ろ盾を得て帰ってきた、ということで私の名前は役に立った。特に、私と閣下の名前を利用した金融業では、莫大な利益を生むことに成功した。


 閣下の下で生活を送る中、私が率いていた組織で生き残っていた仲間を知った際には、

「ジャンのお友達ですか? なら私たちのお友達みたいなものですね。もし困っているなら助けてあげましょう。部屋ならまだ空いていますし……」


 閣下の執務室で、金融業の最中に出会った仲間の話を切り出すと、寛大な心で受け入れてくれた。この頃には、私も閣下のその超然とした気質にすっかり惹かれていた。


「どうかなジンジャー?。お部屋の件だけど、この前引き取った者たちで空き部屋が埋まっているみたいだから、隣の家を買い上げるのは? 幸い、先月から隣が空き家となっているし、金融業も軌道に乗り始めたから、資金には余裕がありよ。もし、君さえよければ、今後を見込んで先行投資するのも悪くないと思うけど?」


 ジンジャー閣下と従僕と共に、北の村から上京してきたという金緑の髪と瞳をもつ商人。

 閣下の古くからの友人を名乗る彼女なしには、金融業を軌道に乗せることはできなかっただろう。謎が多い女性ではあったが、その能力は確かであった。


「そうですか。では、隣の家を買いましょう。後のことは任せます」

「任せてよ」


 彼女が裏で手を回していたことは想像に難くなく、予定調和のように屋敷は増築された。その後も四方の家を買い取り、最終的には魔法協会支部に次ぐ、敷地面積を有する大豪邸になっていた。


 また、閣下は資金に余裕ができると、奴隷、という名目で身寄りのない子供や、奴隷商から商品を買い取っていた。

  閣下は奴隷に対して非常に寛容で、隷属紋が美しくない、という理由で、購入後にその紋様を消していた。閣下に買い上げられる=奴隷解放として、閣下は王都の奴隷たちの一瞬の希望であった。


 人ならざる扱いを受けてきた者たちにとって、無償で飴と餌を与え続ける閣下には心を打たれ、心酔する者が後を絶たない。今では私もその一人である。


 命を救われ、仲間を救われ、人ならざる扱いを受けて苦しんできた者を無償で助けるその背中をみせられ、高貴なる者の務め(ノブレス・オブリージュ)の体現者である閣下に惚れこまないでいれようか。


 そんな閣下が連れてくる子供や奴隷たちは、才能あふれる者が多かった。

 しかし、隷属紋もなくなりどこへでも行けるというのに、誰も屋敷を出ていこうとはしなかった。


 それもそのはず、屋敷の生活は三食昼寝つきである。加えて体調が悪ければ、休暇を取れるし、屋敷で働く者は最低週に一度、休日さえあった。また、閣下は買い取った奴隷にさえ給金を渡していた。


 閣下の命令で歓楽街にお使いに行った元奴隷が迫害を受けたことがあった際は、屋敷を上げて総出でその組織ごとぶっ潰したこともあった。それ以来、屋敷に手を出す者はいない。


 つまり、屋敷にいる間は飢える心配も、凍える心配も、危害を加えられる心配もないのだ。


 一度閣下に心酔する者たちで、頂いた給金を返上したところ、何を思ったか閣下はさらに二倍にして給金を渡してきた。

「これ以上は認めません」


 珍しく語気の強い閣下に、私たちは心を打たれた。この出来事は閣下が如何に私たちを買っているか、ということを証明した。


 他にも閣下が如何に配下の者たちを気遣っているかというと、閣下は配下の者たちと食卓を囲むのを好む話がある。


 テーブルマナーもなっていない者であろうが、引き取ったばかりの者であろうが、閣下は配下と食卓を囲むことに拘った。緊張から料理が喉を通らない者に対しては、閣下自ら手助けすることもしばしばあった。そのため、閣下の隣の席は今や毎日のように激しい争奪戦が水面下で繰り広げられていた。


 閣下は我々を信頼して、普通の貴族はしないであろう多くの事を任せてくださる。


 今まさに起きている隣国のポトム王国の件もそうだ。

「すべてお前たちに任せます」


 ある日の朝。そう言った閣下の言葉には一片の憂いもなかった。

 戦時中であるにも関わらず、まるでこれから余暇を満喫するかのような口ぶりである。


「必要なものがあれば言ってください。私は外に出てきます」

 閣下はそう言うと、身だしなみを整えて屋敷を後にした。


 閣下の背中を見送った私の後ろに影が降る。

「――ジャン、閣下は歓楽街に向かった、っぽい」


 彼女もかつて奴隷に身をやつし、世を厭う一人であった。

 しかし、今は違う。東の島国にある隠密の末裔だと言うその力を存分に活かして、屋敷の諜報に関する長を務めていた。


「歓楽街なら私の管轄だ。警護は私が行こう」

 そう言うと、満足したのか私の後ろにいた気配が音もなく消える。


 私は屋敷の仲間の一人で、変装を得意とする者に変装を手伝ってもらうと、閣下の邪魔にならないように、気配を消して尾行する。

 

 閣下の護衛には常に実力者が複数名で当たっている。彼らと目があうと小さく頷き合う。


 歓楽街までの道中は何事もなかった閣下であったが、

『えぇ? 姉ちゃん? ……いや、兄ちゃんか? とにかく、お前がぶつかったせいで、俺の大事な一張羅が台無しになっただろうが、どうやって責任取ってくれんだ! あぁ?』

 歓楽街に入ると早速、三下に因縁をつけられていた。


 閣下は容姿が美しく華があるが、名前程その容姿は一般には知られていない。

 ある程度の立場がある者なら、まず間違いなく知っているだろうが、彼は三下。私が出て、締め上げてもいいが、閣下の予定を乱すことにもなりかねない。


 私が逡巡していると、視線の先で閣下は着ていた上着を脱ぐと、目の前の男に着せ、

『すみませんでした。代わりにこれを着るといいでしょう。幸い貴方の今着ている服に似合う色をしています』

 その場を足早に去って行った。


 残された三下に近づきつつ、なぜ閣下はこんなに回りくどいことを、と思っていたら三下の傍に人影。

「……ちっ、挑発には乗らなかったか」

「す、すみません」

「ほんと使えねーな。こうなったら直接攫うか?」


 なるほど、これが閣下が放置された狙い。

 後の処理は我々に任せると、つまりはそう言うことですね?


「さ、攫うってッ!?」

「ばかッ。声がでけーよ。今日はオメーを囮に事務所に引っ張り込んで、痛い目にあわせるつもりだったんだがな。それがダメなら直接攫う方が楽だろ」


「誰が、誰を攫うって――?」

「あっ? あ、ああ……あんたは――むぐッ!?」


 ――お前たちは死刑だ。


 不届き者の後始末は諜報部に任せて、警護を続行する。


 閣下の目的の店は、歓楽街の中心部にあった。 

 華やかな看板や、目新しい装飾が多い歓楽街の中でも、古びた外見をした老舗。


 その名も、首領(ママ)の事務所。

 歴史を感じさせる喫茶店の装いをしているが、営業はしておらず、歓楽街一帯を仕切る首領の事務所である。既に故人である首領の旦那であった人物が生前に趣味で営んでいた店と聞いている。


 慎重に室内に足を踏み入れると、室内を見渡す。

 カウンターに座る閣下と、カウンター越しに喋る髪に白髪が混ざり始めた女性。


 彼女こそが歓楽街の首領(ママ)

 柔和な表情とは裏腹に、激情を胸に秘める彼女に逆らっては、歓楽街で生きていくことはできない。


 店内にポツリポツリと無言で座っている連中は、歓楽街に店を構える者たち。どいつもこいつも顔つきが違う。


 室内にいる誰もが、閣下と首領の話に耳を傾けている。


 首領がカウンターの奥から、薬缶とマグカップ、そして小さな壺を乗せたお盆を携えて戻ってきたところであった。

『ジンちゃん。甘いのが好きだったよね。これ新しく手に入れたお砂糖。すんごく甘いんだよ』


 二人の何気ない会話に情報が詰まっていた。

 首領が持ってきた壺から取り出されたのは含蜜糖の砂糖。色の濃い茶色。


 それが示すところは――疑惑あり。しかも濃厚。


『これはどこで手に入れましたか?』

『西のお店だよ。色々あって安く仕入れることができたの』

『いいですね。お店の名前わかりますか?』

『ほら、あそこよここから西の通りに沿って――』


 西の店は、ポトム王国に関連。訳アリは、侵入者。そして、告げられた住所から導き出される答えはそう多くない。


 二人の会話をその後も続く。

『最近なにか変わったことはありますか?』

『そうねー。最近は風が変わって、砂がよく舞うからお店の前のお掃除が大変なのよー』


 これはもう確定である。

 歓楽街にまで、その手が及び始めていると。これは早急に手を打たなければならない。


『わかります。掃除は大変ですよね。よろしければ私も手伝いますよ』

『あら、本当助かるわ』


 いつ命令が来てもいいように人員を見繕っておかなければ。


 その後、小一時間ほど話して閣下は席を立つ。

『ジンちゃんからお金は取れないわ。その代わり、またね?』

『……ありがとうママ。お代が浮きましたよ』


 そう言って、依頼を受け取る閣下。

 随分と高い飲料だが、首領に貸しができると思えば安いものだ。


『お金に困ったらママに言うのよ』


 どの口が言うのか。こと金銭面では、彼女たちの借りを作ってはいけない。

 歓楽街にいる連中に、貸しを作れば、どいつもこいつ骨の髄までしゃぶりつくすような連中である。それに、金融業を営んでいる我々が彼女に借りる必要はない


 私も閣下が退店するのを見計らって、席を後にした。


 その後の閣下は、商業区画を視察することに小一時間。

 閣下を引こうと各店がいつも以上に盛り上がりを見せる。


 しかし、閣下はそんな偽りの喧伝には見向きもしない。本物は本物を知るのだ。


 最終的に閣下はある場所で、その足を止めた。


 ――あれは……!


 思わず握りしめた拳が音を立てる。

 

 私の母を死に追いやった仇敵、チーブス王国のとある宗教の一派であった。

 彼らが慈善事業という名目で、度々炊き出しや、教会で文字を信者に教えるなど、無私の精神を見せているが、その一方で、布施や喜捨の名目で信者から金品を巻き上げていた。


 宗教により破産する国民について問題視されることもあるが、宗教は貴族と強い繋がりがあり、信者の意思を尊重するという理由で、今の今まで見過ごされてきた。 


 張り付けたような笑みを浮かべ、黒の祭司服を纏った男が閣下にすり寄ると、噛み締めた歯が音を立てて脳に響く。


 祭司が一度離れて炊き出しを持ってくる、何やら身を寄せ合って話し始める二人。

 今隠れている場所からでは二人の話している内容は聞こえないのが歯がゆい。


 突如として背後に人の気配を感じる。

「――殺したほうがいい、っぽい?」

「……いや、わざわざ閣下が配給を受け取りにきたのだ。何か意味があるに違いない。手出し無用と伝えてくれ」 


 閣下の顔が終始穏やかであることから危険性は低いと判断し、周囲の諜報部にも行動は控えるように厳命する。それを聞いて、背後の気配が現れたときと同様にふっと消える。


 その後、閣下は足を向けた先は、

「魔法協会支部……?」


 これは正直予想外であった。

 これまで一度として足を向けることがなかった一大組織に今チーブス王国で最も勢いがあり、ポトム王国との戦争の鍵を握っている閣下が向かう。


 大陸をまたにかける魔法協会も一枚岩ではない。他にも荒くれ者の多い冒険者なら、万が一もあり得る。


 協会の建物をしげしげと見つめる閣下の下へ、飛び出すように建物の中から恰幅の良い男が出てきた。

 その顔には見覚えがあった。魔法協会チーブス支部の重役の一人だ。主にチーブス支部の現場の管理を一任されているチーブス支部でナンバー三の立場にいる男だ。魔法協会との交渉にはいつもチーブス支部の代表と副代表なので、閣下が彼にお会いするのは、これが初めてかもしれない。

 

「――応援頼んだ方がいい、っぽい?」

「あぁ、屋敷で動ける奴を全員連れてきてこい」

 背後に感じる人の気配へ、協会のと話す閣下を見つめながら、言葉をかける。


 冒険者の上位ランカーでも来たら、今の私では不覚をとりかねない。


「わかった、っぽい。ただ――」

「なんだ?」

「次、命令したら、お前から殺す――」


 ――しまった。


 慌てて振り返った先には誰もいなかった。

 屋敷の置ける我々の関係は閣下を除いて基本的に対等。上下関係はない。

 それゆえに命令されることを嫌う者も多い。特に彼女は命令されたというだけで、屋敷の中で殺し合いを始めようとする過激派の一人。


 普段は気をつけているが、閣下が伴も連れずに魔法協会を訪れるという不測の事態。私も知らず動揺していたようだ。屋敷に着いたら"調停者"に仲裁を頼む必要がありそうだ。


 私が一人反省していると、閣下が中に建物の中に吸い込まれていく。


 怪しまれないように少し時間を取って、自動扉を滑り込むように協会内部に入ると内部では、職員たちが慌ただししく動き回っていた。


 建物の中にいる人間がやけに少ない。何より違和感があった。


 職員の一人の襟元を捕まえて、閣下たちから見えない物陰に素早く引っ張り込む。

「――これはいったい何の真似だ?」

「ひっ!? な、なんの真似とは……?」


 怯える職員の襟元を左手一本で締め上げ、

「しらばくれるな。冒険者たちはどこに行った? この時間帯にロビーに冒険者がいないわけはないだろう?」

「な、なにを、冒険者さまたちならそこにいらっしゃるではないぃぃいいッ……!」


 右手で気道を圧迫する。

 非戦闘員の脅しにはこれぐらいで十分であろう。見たところ経験も浅そうである。


「次、嘘を吐いたら殺す。私が気がついてないでも? 今フロアにいる人間は全員協会の職員たちだな?」


 確かにそれなりに実力はあるようだが、なにもかも綺麗(・・)お行儀(・・・)が良すぎる。


 右手も使い気道を締め上げる。 

「がッ……ッ!」


 そして、気をやってしまう前に両手を離して、彼女を開放する。

「……っかは!? ごほっ、げほっ、はあはあ……」

「試してみようか? お前の悲鳴に助けが駆けつけるのが先か。私がお前を殺すのが先か」


 ここまで来ると目の前の職員は半泣きになって、生まれたての小鹿のように足を震えさせていた。

 経験の浅い彼女も理解できたようだ。私の発言が(ブラフ)ではないことに。そして彼女が悲鳴をあげた瞬間に、私が彼女を殺すということに。


「――ぶ、部長からの指示なんです。だ、だから、い、命は……」

「冒険者たちはどこにやった?」

「り、隣室です」


 指さした場所は、二人の立つ場所から真反対の壁の扉。

 ひと際大きな扉の向こうには意識を割くと、そこには確かにたくさんの人の気配があった。


「理由は?」

「ッ……」


 逡巡して目を泳がせる職員の女。


「死にたいようだな」

「閣下ですッ。ジンジャー閣下ですッ。閣下に粗相があるといけないからッ、って」


 なるほど、事情がようやく掴めた。

 油断はできないが。少なくとも部長も今のところは閣下を害する意図はない、と。


「……いいだろう、いけ」

 

 職員を開放すると、震える足で受付へと小走り去って行った。


 ふぅ、と息を吐いた直後であった。

 ゾワッという感覚と共に、危険を知らせる本能の警鐘が鳴り響く。


『――閣下。こちらにいらっしゃるなんて珍しいですね?』


 それはたった今支部に足を踏み入れた一人の女性によってもたらされた。


 視界の先で、支部部長が興奮気味にその女性を迎え入れる。

『ウーニ特級冒険者ですねッ! よく来てくれましたッ!』


 薄いオレンジ色と白のが入り混じった髪型の女性、ウーニ・オウン。

 女性にしては短めであるボブへアーの彼女は、大陸全体で両の手で数えられるしかいない冒険者の頂である。

 そして、かつて私の率いていた組織を壊滅にまで追い込んだ張本人でもあった。


 冷汗が止まらない。心臓がうるさいほどに跳ねている。

 状況は最悪である。


 ウーニと握手を交わす閣下が、どこか遠くに感じられる。


 屋敷からの援軍はまだか。それとも、無理やりにでも今閣下を連れ出すべきか。


 私が判断を突きかねている間にも、次々と冒険者たちが支部の扉を跨いで入ってくる。その一人一人が確かな実力者であった。しかし、それは屋敷の者たちではなかった。魔法協会に所属する中級、上級冒険者たちであった。


 先ほどから汗と動悸が止まらない。

 

 ――落ち着け。


 自分自身に言い聞かせる。

 事を荒立てるな。最悪を場合でも、閣下さえ逃がすことができればいい。


 増えてきた人影を利用して、閣下の下へと近づく。

 

 心配とは裏腹に何事もなく時間は流れ、外の世界が薄暗くなり始めた頃、

「おっと、そろそろ屋敷に戻らないといけませんね」

 閣下がそう口にする。


「ジン。私が屋敷まで送ります」

 

 ――お前はお呼びじゃない。


 協会の職員が支部の外まで閣下を見送るのを待って、私も支部を出る。


「……すみません。ジャン様、でしょうか? 私は魔法協会チーブス支部部長のピーラーと申します。支部長からお名前は伺っておりました。その……可能であれば、事前に閣下の来訪をお知らせいただけると、助かります……」


 この反応を見ると、彼らにとっても閣下の来訪は予定外のようであった。

 なるほど、だから行儀や作法のなっていない者が多い下級冒険者たちは、部長が屋外で時間稼ぎをしているうちに、隣室へ押し込み、それと同時に、貴族との面識もあることから最低限の礼儀作法をもつ中級冒険者以上に召集をかけたというところか。


 この部長も今日半日で相当苦労したようだ。その顔には疲労の色が濃く出ていた。

 

「伝えておくが、期待はするな。閣下の行動は閣下がお決めになることだ」

「ははッ、そこは承知いたしております」

 頭を大きく下げる部長を背に、私も協会支部を後にした。



 閣下の隣を歩いていたウーニが、閣下の一歩前に躍り出る。

「じゃあ、その時は私が――」


 彼女の表情が凍り付くのが良く見えた。


 その言葉を遮るように、私は閣下たちの後ろから声をかけた。

「――閣下。今からお屋敷へお戻りですか?」


 振り返った閣下が笑顔で、

「おや、ジャン。貴方も今お帰りですか?」


 閣下の背後では、据わった目でこちらを睨み付けるウーニ。

 邪魔をされたことに相当腹を立てている様子であった。


 ――しかし、まだ足りない。


 私は追い打ちをかけるべく、

「はい。――ところで特級冒険者ウーニ。ここまで閣下の警護をありがとうございます。ここからは私たち(・・・)の家に帰りますので、これ以上の警護は必要ありません」


 彼女もとっくに気がついているだろう。私たちを囲む屋敷の者たちの気配に。

 中には、彼女を挑発するように気配を漏らす者までいた。


 ウーニの表情が引き攣る。

 特級冒険者となった彼女が、ここまで喧嘩を売られることはそう多くはないはずだ。

 内心では今頃、腹を据えかねているに違いない。


 しかし、閣下の手前、彼女から我々に何もすることはできない。


 閣下が私たちの仲を尋ねるが、二人とも首を振ってそれを否定する。


 ウーニと別れを告げて、閣下と共に屋敷に戻った際に、

「そう言えばジャン。貴方は煙草を嗜んでいましたよね。――こちらを差し上げます。とある教会で煙いたものです」

 閣下は懐からあるものを取り出した。


 閣下に尋ねると、それは教会で頂いたという煙草であった。


 両手で閣下の差し出した煙草を受け取り、

「これは……。承知しました」

 しげしげと見つめ、その匂いを確かめた後に、懐に仕舞い込んだ。


 閣下の手前であるというのに、腹の底からこみあげてくる笑みを私は隠せなかった。


 ――ようやくである。ようやく母の仇が討てる。


 それはチーブス王国で禁止されている麻薬であった。

 炊き出しに陰で、麻薬を流通させ、依存した人間から喜捨や布施の名目ですべてをむしり取る。最後はその命まで。すべてを神の名を免罪符にして、それを信じる者の心を弄び、陰で笑う金の亡者たち。


 そして、閣下は大したことないように告げる。

「そうそう、歓楽街の掃除をお願いします。人選はジャンに任せますが、この機会に徹底的にしてください」

 

 ――神はいない? いや、閣下こそが神なのだ。


 閣下の言葉は復讐に胸を焦がす私にとっては、甘い蜜のような響きであった。


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