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ギフテットワン  作者: 0
第一章 幼少期編
4/112

三話 体と心と


 シトラスが九歳を迎えた年のある日のこと。

 シトラスは魔法の勉強のための本を借りにベルガモットの部屋に向かっていた。


 屋敷の通路に差し込む光は温かく、夏の訪れを感じさせる。


 目的の部屋の前には二人の人影。


 一人はくすんだ金橙の髪に一房の赤毛、そしてシトラスとお揃いの髪色を持つクール然とした美少女、ベルガモット。

 

 もう一人はというと、ベルガモットが見上げて話すほど大きな少女であった。

 ベルガモットが細身なので対象的に一層大きな印象を受ける。


 しかし、よくよく顔立ちを見るとまだまだ幼い顔つきで、体も少女特有の丸みを帯びている。


 二人は部屋の前で何か話していたが、近づいてくるシトラスの気配に近づくと、話を中断してシトラスの方に向き直る。


 トコトコとベルガモットに歩み寄ったシトラスは、目の前の大きな少女を見上げ、

「あねうえのおきゃくさま?」

「あぁ、シト。ちょうどよかった。わたしの新しい友人だ。彼女はヴェレイラ。ほら、レイラ、母から聞いているとは思うが私の弟のシトラスだ」


 ベルガモットに促され、おずおずと挨拶をする少女。

 橙髪茶眼。肩にかからない長さの毛先に癖のあるボブ。前髪が目元まで覆い隠しており、それが少女の社交性を如実に表していた。


大きな体を精一杯小さくして、体とは裏腹に小さな声で、

「あの……ヴェレイラ……ボガード……マン……です」


 身に反して小声で名乗るヴェレイラ・ボガードマンに対し、シトラスは小さな体で胸を張り、幼少期特有の大きな声で返す。


「ぼくはシトラス! よろしくね。ヴェレイラ! それにしてもヴェレイラはおおきいね!」

「うぅ……」


 今までに目にした人物の中で誰よりも大きな少女に興味津々で、くりくりとした目が好奇心に輝いている。


「ちちうえやははうえよりおおきい!」

「う、うぅ……」


 大きな背中を縮こませる彼女に、

「あねうえ、ヴェレイラげんきないね……」

 シトラスの眉が垂れ下がる。


 段々と猫背になり身を縮めていくヴェレイラにフォローを入れるベルガモット。


「そうなんだ。だから、ヴェレイラは元気になるためにウチに来ているんだ。そういう訳だから仲良くするんだぞ」

「わかった! よろしくね。ヴェレイラ!」

 シトラスが手を差し出すと、ヴェレイラはそれをおずおずと手に取った。


 触れた手は暖かい。



 ボガードマン家はロックアイス領からマグナム川を挟んで東へ馬車で三日ほどかかる距離に領地をもつ辺境貴族である。


 ロックアイス家の領地は東部の貴族派閥であるのに対して、ボガードマン家は北部の貴族派閥である。


 王国内において派閥は各東南北西の要地を抑える名門家と王族を中心とする王侯派の五つの派閥が存在する。領地が隣接しているとはいえ、違う派閥にヴェレイラがこうして身を寄せているのには理由があった。


 ヴェレイラがヴェレイラであるが故(・・・・・・・・・・)である。


 ヴェレイラは性別を抜きにしても人並み外れた巨躯を誇る。

 十二歳にして北部の並みいる大人より大きく、ベルガモットの二倍近い高さに少女特有の体全体が丸みを帯びた体つき。そのため、どこに行っても晒される奇異の視線。


 ヴェレイラは自身の体の大きさに強い劣等感(コンプレックス)を抱いていた。


 最近では唯一自分を色眼鏡で見ない初めての友人と呼べる存在であるベルガモットが二次性徴も始まり、全体的にスラっとしているが出るところが出始めたので、それが自身との対比となって劣等感に苛まれる。


 そんな唯一の友人でさえ妬んでしまう弱い自分を知覚すると、ますます劣等感を強くする負の連鎖(スパイラル)


「わたしっていやなこどもだなぁ……」


 ヴェレイラは生まれる前から大きかった。そのため、彼女の出産は大変な難産であった。


 ヴェレイラは乳母の乳をよく飲んだ。

 その量に乳母が悲鳴を上げ前代未聞の乳母三人体制が敷かれるほどであった。


 そして、とびぬけてよく寝る子でもあった。

 寝てるか乳母の乳を貪り飲むか。乳離れしても母乳が固形食に変わっただけでよくよく食べ、よくよく寝る子であった。両親が心配して侍医に診せるも健康そのもの。


 ヴェレイラには兄が一人いるが、妹のヴェレイラと異なり、普通に成長したのでヴェレイラの特異性は一層際立った。


 当然噂は流れ、北部の貴族の集いでは奇異の視線に晒された。


 ヴェレイラは最初は何も思わなかった。思わないようにしてい(・・・・・・・・・・)()


 だが、北部貴族の子女の集いで受ける大人からの奇異の視線、そして子供特有の無邪気な悪意。いずれも物心ついたばかりの少女には耐えがたかった。


 最初は親の面子のため、ブリキの笑顔で参加していた。


 乳母を始め、父親や兄といった肉親すらヴェレイラと距離を置いていたが、母だけは落ち込むヴェレイラにいつも寄り添った。


 ヴェライラは自身が逃げること母親への中傷が集中することを幼いながらにも察し、涙を隠し仮面を被って悪意に晒された。


 しかし、その仮面は長くは続かない。少女の重い決意とは裏腹に、気軽にぶつけられる悪意なき悪意の前にいつしか少女のゼンマイは止まり、頬が吊り上がることはなくなった。


 その足は止まってしまった。


 塞ぎ始めた我が子。父親は嫡子である兄ばかり構うが、母から見れば等しく同じ愛子(まなこ)

 ヴェレイラにとって幸いなことに当代のボガードマン家は、ヴェレイラの母親が当主であり、父は入婿であったことだ。


 ヴェレイラの現状を見かねた母親は、派閥を越えて同じ歳の娘を持つ友人であるダ ンシィに相談した。


 ベルガモットとシトラスの母であるダンシィも生まれは北部の家の出で、ヴェレイラの母とは学生の頃に培ったよき友人同士であった。


 友人の娘の事態を知ったダンシィは夫にかけあって、ヴェレイラを保養という名目で一時的に預かる許可を得た。そして、ヴェレイラは死んだ魚の目をしてロックアイス領までドナドナされてきたのである。


 そこでベルガモットに出会った。



 ――それは衝撃であった。



 なめらかな金髪にアクセントとして赤毛が一房。彫刻のような顔立ち、長いまつげに縁取られた大きな碧眼の切れ目。スレンダーで少女的な体つき。


 そんな幻想的な美少女が、風の魔法を踊るように自在に操っていたのだ。


 その姿はまるでおとぎ話の精霊のようではないか――!


 実際は暑さで剣術の鍛錬中へばったシトラスのために、バケツの水を魔法を使って細かく切り裂き、スプリンクラーのようにして冷やしていただけなのだが。偏見(バイアス)による補正とは怖いものである。


 最初は人見知りしていたヴェレイラであったが、母親同士が友人の関係から暖かく迎えてくれたロックアイス夫妻、初めて自身を友人と呼び接してくれるベルガモット、人懐っこいシトラス。


 一部の使用人には奇異の視線が送られるものの、そんなものが気にならなくなるくらいロックアイス領で過ごす日々を過ごす日々はヴェレイラにとって心地良いものであった。


 友人の娘を受け入れたダンシィにとって嬉しい誤算だったのが、同性のベルガモットだけでなく、シトラスがヴェレイラに思いのほか懐いたことである。


 男は大きなものに(ロマン)を感じる。まして男子ならそこに夢を感じない者がいるだろうか、いや、いない。そして、それはシトラスも例外ではない。


 最初こそ、シトラスなりに遠慮していたものの、ベルガモットを通じて交流を重なるとすぐに打ち解け、ひと月が経つ頃には、おんぶや肩車をよくせがむようになった。


 そんなシトラスに振り回される中でゆっくりと、だが着実にヴェレイラは明るくなっていった。



 ヴェレイラがロックアイス領に滞在を始めて三か月が過ぎようかという頃。


 ある日の太陽が空の真ん中を過ぎたあたり、真夏を過ぎ、少し涼しくなってきた気温が心地よいが、あいにくこの日の灰色の空模様。


 ヴェレイラとベルガモットはベルガモットの自室で食後のティータイムを楽しんでいた。


 ここのところ、二人は三年後に入学を控えた【カーヴェア学園】の話で盛り上がることが多かった。

 

「学園は五年間の全寮制なんだよね。使用人も連れていけないというから心配なの。ベルは心配じゃないの?」


「学園はポトムの為の学問勉学を学ぶ他に、個人の自主自立の精神があるからな。仕方ない。だが、炊事、洗濯といった雑事は学園の使用人がやってくれるようだから、私はそこは心配していない」


 気負うことなく言い切り、紅茶を啜る友人の姿に「ベルは強いね」とまるで眩しいものでも見たかのように、自信なさげに俯くヴェレイラ。


「ただ、シトと離れ離れになると思うと……はぁ……。ただ、それが我が国の強みだからな。卒業後は軍に入らねばならない以上、学園で自立した精神を育てることは必要さ」


 話の前半には苦笑いを浮かべるが、後半の軍役の話に入ると身が固くなる。


貴人の務め(ノブリス・オブリージュ)、だよね」

「そうだ。身分が貴い者はそれに応じた責務を果たさなければならないという貴人の道徳観念だ。言わば、貴族としての誇り、だ」


 その例として、王都の教育施設での教育、卒業後の兵役が著名である。

 学園での教育により貴人に相応しい教養、能力を身に着け、卒業後は一定年数の間は兵役につき王国を守護することが義務付けられている。

 

 性差関係なく、王国の貴人の義務である。


「へいえき、だっけ……。わたしにできるかな」

「……レイラは自信さえ持てれば私と張れる力があるんだぞ?」

「わたしがベルと? ないない! だって、わたしはまだ何の魔法も使えないし、にぶくて動きも遅いし……」


 頭をふるヴェレイラ。柔らかい橙髪が左右に揺れる。


「私が言っているのはそういうところなんだが、まぁそれは何かきっかけ……そうだな、守りたいものでもできれば変わるかもな」

「……ベルはわたしのこと買い被りすぎ」


 思わぬ友人の高評価に顔を俯かせる。


 この友人は容姿端麗で頭脳明晰なのだが、自身を何かと高く評価し過ぎだと、いつも思っていた。ヴェレイラは自身のコンプレックスを外ならぬ友人(ベルガモット)と自身を比較して自信を持てないでいた。


「卒業時に学園で成績上位者は、そのあと軍の幹部候補だ。それでなくても学園で成績上位者は色々と優遇されると聞く。よりよい者にはよりよい物を、だ。……王国中の貴人が集まる学園には派閥がある。力は持っておくにこしたことはない」


 ヴェレイラの視線が左横に動く。


 北の生家に聞いた話を思い出して、

「私も派閥は北のお茶会で聞いたことある。王国の四方を守護する【四門】のことよね? たしか東のフィンランディア閣下のご息女がわたしたちと同じ歳だって話を耳にしたことが……」

「あぁ、そうだな。アンリ。いや、アンリエッタ・フィンランディア。お茶会で何度かお会いしたがお優しいお方だよ。レイラもきっと仲良くできる」


「あれ、でもそうすると私たちの世代で学園に四門と王族の方が揃うことになるんじゃ……」

「……いま四門と呼ばれる名門貴族のうち、北のアブーガヴェル閣下のご子息が私たちの一歳上。南のジュネヴァシュタイン閣下と西のアップルトン閣下のご子息はシトラスの世代だから、シトが入学する年に四門が数十年ぶりに揃うことになるな」


 北のアブーガヴェル閣下のご子息、という言葉に北の生活を思い出して、顔をしかめるヴェレイラ。


「北のアブーガヴェル閣下のご子息様はサウザ様ね。サウザ・アブーガヴェル様。最初にわたしを"怪物"って……。北のお茶会ではよくわたしをいじめてきたわ。……苦手な人なの」

「だが、学園では四門に与さないと、大変だと聞くぞ? よかったら私からアンリに口を利いておこうか?」

「ほんとう!? ありがとう!」


 友人からの救いの手に、身を乗り出してカップに手を伸ばしていたその手を握りしめる。

 その反動で思わずお茶が少しこぼれそうになるが、そっと風を操り、ベルガモットからこぼれたのは苦笑のみ。


 コンコン、と控えめなノックの音が響く。


「ベルガモット様。セバスでございます」


 部屋の外からの執事からの呼びかけに、ベルガモットは入室の許可を出す。


 セバスと名乗った老齢の執事は入室すると一礼し、ヴェレイラに視線を向けるともう一度一礼。


 白髪をオールバックでピシッと決めた彼の名はセバス・チャン。


 ロックアイス三代に渡って勤め上げる執事長である。

 面を上げた顔にはこれまでの歴史を感じさせる皺が顔中にくっきりと刻まれ、豊かな口周りの白髭も相まって、如何にこの執事が勤め上げていた年数を感じさせる。


「どうした?」

「ご歓談中申し訳ございません。ベルガモット様。御当主様がお呼びです。執務室までご足労願います」


「む、そうか父上が。すまないヴェレイラ。少し席を外す。自室と思ってくつろいでくれ。すぐ戻る。それはそうと、そろそろシトが以前に貸していた本を返しに来る頃だから、もし私がいないうちに来たら相手をしておいてくれ」


 相手をしておいてくれ、というのは引き留めておいてくれと、いう意味であるのは付き合いの短いヴェレイラでもすぐに思い浮かんだ。


 この少女は何かと、シトシトシトシト、言うのだ。ヴェレイラには兄が一人いるが、お世辞にも仲が良いとは言えないので、二人の関係はどこか羨ましかった。


 ヴェレイラが了承すると、二人は部屋を出て行った。


 しばらくすると、ベルガモットの予想通り、シトラスが優しいノックとともに訪ねてきた。


 はい、と返事して小さな友人の弟を招き入れるヴェレイラ。


 小さな来訪者はこんにちは、と挨拶を交わしたうえで、本を胸に抱えたままきょろきょろとする。


 その姿はどこか愛らしくて微笑みを誘う。


「あれ? あねうえは?」

「ベルは先ほどダンシィさまに呼ばれて今はいないよ」


 そうなんだー、と言ってシトラスは辺りを見渡すと、部屋の隅の机にとことこ歩いていくと、胸に抱えた本を置いた。

 

「じゃあ、あねうえにはここにおいておくっていっておいて!」

「あ! シトラスくん待って、少しわたしとお話ししよ?」

「お話? うん。いいよ! なにをお話するの?」

「うーん。じゃあ、シトラス君のことを教えて」

「ぼく?」


 シトラスはほっそりとした小さな指で自身の顔を指さす。


「うん。わたしシトラス君のことはまだよく知らないの。好きなものとか。将来とか、ってそれはまだはやいか」


 目をぱちくりぱちくりさせるシトラス。


「好きなもの? ぼくは父上が好き、母上も好き、姉上も好き、バーラも好き、セバスも好き、おひさまが好き、おつきさまが好き、かぜが好き――」

「ず、ずいぶん多いね。そんなに好きなものがあるなんて羨ましいなぁ……」


 影のある顔をじっと見つめるシトラス。


「――なんでもないごめんね。そういえば、シトラスくんは馬に興味があるんだって聞いたけど、そうなの?」

「うん! 馬で、あにまのもり? にいってみたんだ! でも、母上や姉上がゆるしてくれないんだ」


 故郷に思いを馳せ目を細めたヴェレイラは、

「アニマの森かぁ。あそこはいいところだよ」


 ずいっと肩が触れるほど身を寄せるシトラス。


「しってるの?」

「うん、わたしの――わたしのお母様の領地からでも見えるし、何度か連れて行ってもらったことがあるんだけど、今思ってもすごかったなぁ」

「え! いいないいな! もっとおしえて!」

「えっとね――」


 ヴェレイラはシトラスに語った。


 アニマの森はポトム王国、東はチーブス王国、西はラピス帝国に面する霊験あらたかな大森林である。


 曰く、アニマの森は聖なる森、ポトム王国にも森林や林は各地に存在するが、アニマの森は別格。

 人の手が及ぶ浅界と、未開の深界に分かれているが、深界には人智を超越する力を持った聖獣が棲まうとも言われており、各地で畏敬を集めていた。


 数多くの伝説、神話の物語でもその名は度々登場する。

 シトラスが好んで読む絵本でも、勇者として描かれている魔法剣士の主人公がアニマの森に住まう妖精の力を借りて困難に立ち向かうシーンが描かれていた。


「ねぇねぇ、こんどアニマの森にぼくをつれていってよ!」

「……それは……それは難しい、かな」


 俯いて手を太ももの上で重ねる。心苦しさ伝わる声音で、顔に髪がかかる。

 辛そうなヴェレイラの様子に安心させるように優しく手を重ねるシトラス。


「どうして?」

「……お父様の言いつけでね。わたしは屋敷から自由に出てはいけないの」

「どうして?」


 シトラスの問いに、ヴェレイラは答えを返さず、ただ悲しそうに微笑むだけだった。


 そんなヴェレイラの様子に、少しむむっとするシトラス。


「ヴェレイラはいやじゃないの? それでいいの?」

「それでいいの、って……わたしはお父様や次期当主となるお兄様の、なによりお母様の足を引っ張りたくないの。大丈夫。だから――」


 ――これでいいの。


「ヴェレイラはヴェレイラのお父上がきらい?」

「いや、そんなことはないけど……」


「お母上がきらい?」

「…お母様は好き」


「ご兄弟はきらい?」

「…………きらい、かな」


「どうして?」

「どうして、って、お兄様はわたしをこわがって――」

「どうして?」

「――ッ!? みればわかるでしょッ!!」

 


「どうして?」



 シトラスの発言にヴェレイラは、自身の視界がキュッと狭くなるのを知覚した。

 それを知覚した時には、シトラスをベッドの上に引っ張り込み、馬乗りになって両手でその細い首に手をかけていた。


 ふぅ、ふぅという部屋に響く荒い吐息。

 

 男に跨る女という状況は色を感じさせるが、その両者の顔は悲しみと怒りに分かれており、そこに男女の情は少しも見えない。


 少年の澄んだ瞳に映るは、息荒く猛る少女。


 「――あッ!?」


 上がれば下がるもの。ややあって視界を取り戻したヴェレイラは現状を把握し、今度は顔を蒼く染める。


 この子の家族がどれほど末の子を大切にしているかは療養に来てから、一目瞭然であった。あろうことか手を出してしまった。しかも、自身で話題を振ったにも関わらず! 


 自身の嫌気と、家族からの報復への恐怖でパニックになるヴェレイラ。


 「ご、ごめん!」

 ヴェレイラは真っすぐに自分を見つめるシトラスの視線に気がつくと、逃げるように部屋を勢いよく飛び出した。



 ロックアイスの領主の屋敷でヴェレイラに与えられた私室。


 食と睡眠以外に興味がないため、借り受けた時から変わらない内装。

 カーテンを閉め、部屋の明かりをつけていないため、日中にも関わらず部屋は薄暗い。

 

 逃げるようにベルガモットの私室から立ち去ったヴェレイラは、自身に与えられた部屋に戻っていた。布団の上で枕を抱きしめるように横になって蹲る。


 ヴェレイラの頭をぐるぐる回るのは、衝動に任せて友人の弟の首に手をかけたこと。


 久しぶりだった。こんなに心を動かされたのは。

 いつからか心を隠し、他人に対して行動の自信をなくしていた自分が感情的になるのは。


 だけど、自分と違って家族みんなから愛されている少年に暴行を加えたのだ。


 そのつもりはなかったが、あと少し、あとほんの少し力を加えるだけで少年の生を摘み取ることができた現実に今になって怖くなる。


「どうなるのかな……おこってるかな、おこってるよね……どうしようどうしよう」


 不安と悲しみでごちゃごちゃになる感情。まとまらない思考。



 コンコン


 

 涙で濡れた部屋にノックの音が転がった。


 ヴェレイラは誰にも会いたくないため、布団の上で枕を抱いたまま息を殺して、来訪者が立ち去るのを待つ。部屋には鍵をかけているので、返事がなかったら諦めるだろうと。


 無音が部屋を支配する。ややあって二度目がないことを確認すると再びすすり泣くヴェレイラ。



 コンコン



 ノックの音が飛び込んだ。


 ――もう、ほうっておいて!

 ヴェレイラの感情が再びささくれ立つ。

 


 コンコン



 ヴェレイラの感情とは裏腹に、ノックの音は無機質に響く。

 どうあっても諦めないノック音に、根負けする形でヴェレイラは重苦しい声音で返事を返す。


「……すみません。どなたか存じませんが、どうにも体調がすぐれないので後にしていただいてもよろしいでしょうか」

「――だめだよ」


 下がれば上がるもの。

 扉越しに返ってきたその声音に、再びいきり立つ感情。


 ――またあなたッ!?


「……さきほどの件はたいへん申し訳ございません。あとで罰は受けますので、今はどうか」

「――だから、だめ」


 強引なシトラスにヴェレイラは布団から起き上がり、枕を抱えながら引き戸のドアの前に身を置き、自身を重しとする。


 これで仮に相鍵で開けられても、自身の半分くらいの重さしかないシトラスでは扉は物理的に開けることができない。


 知らず、謝罪の言葉が口から漏れる。

「……ごめんなさい」


 扉の向こうから、軽い振動と衣をする音が背中越しに伝わる。

 ドアを挟んで背中合わせ。


 しばらくすると、膝を抱えたヴェレイラからしゃっくり混じりの泣き声。


「……ヴェレイラはね。もっとわらわなきゃだめだよ。ヴェレイラのご家族のことはわからないし、なにがあったかも、どうしてそんなにないているのかもぼくにはわからない――」


 一息溜めるシトラス。


「――でも、ヴェレイラはだいじょうぶ」


 シトラスの言葉に語気を荒げるヴェレイラ。

「――ッ!? なんにもしらないくせに! わたしのことなんかなんにもしらないくせに! なにが大丈夫なのッ!? シトラス君とは違うのッ! わたしは違うのッ! 私は愛されていないのッ! もう放っておいて! さっきのことで怒っているならベルやダンシィ様、キノット様に言えばいいのッ! 後で罰は受けるからッ! だから……だから、お願いだからわたしを今は放っておいて……」


 しかし、その言葉はしりすぼみになり、最後は消え入るような声になった。


「ぼくはほうっておかない。ヴェレイラはね、きっとびょーきなんだよ」


 シトラスの言葉に眦を上げるヴェレイラは、

「……病気だからお医者様に診せたら大丈夫って言いたいの? この体のことならお医者様に診てもらったわよ! でも、どこにも異常がないの! わたしにとってこれは普通なの! わたしだってできることならみんなと同じだけのご飯を食べて、みんなと同じ時間だけ寝て、同じような服をきて遊びたいのッ! でも、できないのッ!」


 感情がささくれ立ち、言葉を重ねるにつれ、徐々にヒートアップし、言葉の後半はもう声が泣いていた。


 すすり泣く音が室内に響く。


 ややあって扉越しにシトラスが口を開いた、

「……ちがうよ。ヴェレイラのそのびょーきは孤独だよ」


「な、なにを言って……」

「ヴェレイラのことをぼくはまだよくしらない。けど、ヴェレイラが愛されていないなんてうそだ。それだけはぼくでもしっているよ」


「な……にを……」


「ヴェレイラのお母上。ベルガモット姉上がいる。それをうそだとはいわせない。ふたりでだめならぼくがいる。ぼくがヴェレイラを愛してあげる。じぶんを愛せないなら、そのぶんまでぼくがヴェレイラを愛してあげる」


 それは年齢にそぐわないものだった。

 感情に訴えるものではなく、ゆっくりと染み渡らせるような声音。囁くように、されど力強くシトラスは言い切った。


「だから……だからヴェレイラは大丈夫。力をおそれないで。ぼくたちがいる。ぼくがいる。ヴェレイラのおおきなからだはね。きっとほかのひとよりおおくのものを守れるように神さまがつくってくださったんだよ。そんなおっきなヴェレイラだからこそぼくはすきなんだ」


 ――ッ!!


 風が吹くのを感じた。それは力強い突風。

 ヴェレイラはどこか自分の中で、自分自身を絡めってとっていた鎖から解き放たれる音を聞いた。

 

 ――そうだ。そうなんだッ。自分はただ認められたかったのだ。大きな自分をッ、大きさを肯定して欲しかったんだ。大きな自分を愛してくれる人が欲しかったんだッ!


 母親や友人は、大丈夫、気にしなくていい、と言ってはくれたが大きさそのものを肯定してはくれなかった。


 二人は気を使ってその話題に触れないようにしていたのだが、そうではない。そうではないのだ。それを認めたうえで誰かに肯定して欲しかったのだ。それだけのことだったんだ。


 それは短所ではない、長所だと。それもあなたの一部だと誰かに認めてほしかったのだ。たったそれだけのことだったのだ。


 ヴェライラの視界は瞬く間に歪んだ。そして、部屋を濡らす雫はとめどなく。しばらくの間くぐもった声が部屋に響いた。




 しばらく経つと、ヴェレイラはゆっくりと立ち上がった。

 抱えていた枕はぐしょぬれで、その目元も真っ赤に泣きはらして瞳は充血している。 

 

 しかし、背中はピンッとしており、目に籠る力は強い。


 立ち上がったヴェレイラは枕を手放す。枕は音を立てず、涙で濡れた部屋に転がった。


 ゆっくりと振り返ると部屋の鍵を回した。

 そして、そのままドアノブを引く。


 ガタッガタッ、と音を立てるが扉は開かない。


 「あ、あれ?」


 鍵が開いていることを確認して再度扉を引くが、ガタッガタッ、と音を立てるだけで、やはり扉は開いてはくれない。


 何度引いてもドアは揺れるばかりで動かない。

 ヴェレイラが体重をかけてもたれたことで、ドアが歪んでしまったようだ。少し逡巡するヴェレイラ。


 体の大きな分、比例して力も強い。ヴェレイラが本気で引けば訳はない。

 訳はないのだが、お世話になっている身で、その馬鹿力を使ってドアをひっこ抜くのはいただけない。


 そこまで考え、ドアの向こうにいるはずのシトラスに声をかける。


「ごめんなさい。中に入っていただこうと思ったのだけれど、困ったことにドアが開かないの。そちらでドアを押してくれない? 鍵なら既に開けたから」


 返事がない。


 ヴェレイラが気配を察するが、しかし、ドアの向こうには人の気配がない。


「え……? どうして、まさか」

 信じられないと目を見開くヴェレイラ。


「信じたのに、信じようとしたのに。こんなことってッ!?」


 前髪が顔を覆い、再び熱いものが瞳にこみ上げるヴェレイラ。

 肩を震わし始めたその時、窓辺から盛大な破壊音が闇を切り裂いた。


 勢いよくガラスが室内に飛び散る。


 はっと振り返ると、そこには鞘に収まった剣を携えたシトラス。


 シトラスは窓に足をかけて今にも乗り込もうとしていた。

 光を背負って現れたシトラスの顔はヴェレイラからは見えず、外部からの急な光に思わず目を細める。


 シトラスは歩を進めると、おもむろに懐に手を伸ばし、胸ポケットから何かを取り出した。


「みて」

「えっ?」


 それは折り畳み式の小さな手鏡であった。


 それを広げると、鏡をヴェレイラに向けて、

「ヴェレイラのいまのかお。ひどいかお」


 鏡の中には涙でぱんぱんに晴れた顔。眼も真っ赤に充血しており、少し鼻も垂れている少女の姿。


「ふふっ、ひどい。でもその通りね」


 とても他人様に見せられる顔ではない。


 だが、ヴェレイラは不思議とシトラスにこの顔を見られることに対して不快感はなかった。それもシトラスの言葉に悪意や棘がまったくなかったからであろう。


 彼女の顔から笑みが零れ落ちた。


「よかった」

「……え?」


「はじめてだね。ちゃんと笑ったの。うん。やっぱり笑ったほうがかわいいよ」


 微笑みかけるシトラス。


 目を大きく見開くヴェレイラ。


 何かを言おうと一回口を開き、また閉じる。

 むにむにと口を動かしたのち、意を決したように言葉を吐き出す。


「ねぇ、シトラス君」

「なに?」

「……レイラって、これからはそう呼んでくれない?」

「うんレイラ! ぼくはシトでいいよ」

「ありがとうシト」


 差し出されたシトラスの手をおずおずと、だがしっかりと握りしめるヴェレイラ。


「ねぇ、どうしてここまでしてくれるの……?」

「ぼくはゆうしゃだからね!」


 このあと、二人ともめちゃくちゃダンシィに怒られた。



 一方でベルガモットの部屋。


「あ、あれ? れ、レイラ?」


 キノットの話が長引いたため、戻るのが遅くなったベルガモットは風の魔法まで使い、自室まで文字通り飛んで戻ってきたのだが、戻ってみるとそこには誰もいなかった。


 ただ、机に置かれた本だけが、来訪者があったことを物語っていた。


 このあと、ヴェレイラはベルガモットにめちゃくちゃ愚痴を吐かれたのだが、愚痴を受けるヴェレイラのその顔は、どこか憑き物が落ちたように晴れわたっていた。



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