二十二話 推薦と魔闘会と
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「――で、予選敗退、っと……」
対抗魔戦の翌日。
四大行事の翌日は休息日として講義が全休でとなり、対抗魔戦に出場した生徒たちが疲れを癒すため思い思いの時間を過ごす中、シトラスは、ライラと話すために、中庭に訪れていた。彼の傍には、ミュールとメアリーの姿もある。
吹き抜ける風は、鋭利な刃物のような鋭さを孕んだ冷たさ。
三人は、そのような寒さに対抗するため、もこもことしたコートに身を包んでいた。ライラもよく見ると、頭と顔を覆う布地が厚めのものに変わっていた。
中庭に設置されている長椅子の一つに、胡坐をかいて座るライラに対して、シトラスたちは立ったまま、先日の内容を共有していた。
メアリーの暴走で話の結びを終えたところで、ライラは呆れるようにため息を吐いた。
相変わらずライラの顔のほとんどは布地で覆われ、目元しかわからない。
しかし、シトラスの話を聞いて布地の上からでも、呆れ、の感情がありありとわかった。
「あたしも噂で聞いたよ、前衛から後衛への物理攻撃。変な奴だなお前、できてもやるかフツー?」
「いやー――」
「――シトは近距離以外の攻撃手段ないからな」
シトラスの横に立っていたミュールが口を挟んだ。
「は?」
言葉を引き継いで説明したミュールに目が点となるライラ。
いやー、と恥ずかしがるシトラスに、いや褒めてーよ? と隣からジト目を飛ばす。
ライラもあきれ顔で、
「魔法も弓も? ……おまえよくそれで出ようと思ったな」
と言うも、シトラスは決め顔を作って、
「伸びしろしかない」
「やかましい」
キリっと決め顔を作るシトラスに失笑するライラ。これにはミュールも呆れ顔。
言った本人も笑い、場には和やかな雰囲気が流れた。
「そう言えば、ブルーはどうだった?」
「俺とブルー"は"本選まで行ったんだけどなー」
ミュールの胸に輝くブローチの色は、対抗魔戦前の色と異なり、今は青色に輝いていた。
シトラスのお願いを受けて、ミュールとはペアを組むことになったブルーは、人族以外で唯一の参加者。
ステージ内外からの好奇の視線に晒される中で、ミュールと見事に予選最後の組を勝ち抜いて、本選に出場していた。残念ながら、二人は本選一回戦で敗退してしまったが。それでも、新入生で本選出場は快挙である。
包帯や湿布に包まれたメアリーが、ギロリとシトラス越しにミュールを睨みつけると、白々しく口笛を吹いて誤魔化すミュール。
シトラスは、くすりと笑いながらメアリーの頭を優しく押さえつけて、これを宥めた。
「そうか、お前たちは本選まで進んだのか……やるな、それに一年生が魔闘会出場なんて二年ぶりじゃないかな? 他にも二組も本選に出たって聞いてるけど、今年の新入生はやるなぁ」
ライラが口を開くと、ミュールが一年生で出場した残りの二組を補足説明する。
「後の二組はエステル・アップルトンとボルス・ジュネヴァシュタインだな」
「南と西の四門か……。まだ荒削りだろうけどさすがだな。これは骨が折れそうだ」
ミュールが述べた二人の名前を聞いて顔をしかめた(ように見える)ライラ。
「二人のこと、何か知ってる?」
二人の名前に聞き覚えがありそうなライラの様子に、シトラスが尋ねると、
「南のアップルトン家は、代々攻守にバランスのいい剣技と、火属性の魔法が有名だな。中でもエステルの剣技は卓抜してるらしい。あとめっちゃイケメンって聞いてる」
エステルの名前を聞いて、シトラスの脳裏には、彼に敗北を喫した新入生対抗戦の記憶が蘇る。
「うん、知ってる。すごく綺麗な剣だったよ。あぁ言うのを無駄がない、って言うのかな? 新入生対抗戦でボコボコにされたよ。あとめっちゃイケメンだった」
うんうん、と顎に手を当てて思い出すかのように目を瞑りながら頷く。
「西のジュネヴァシュタインかー……」
「どうかしたの?」
布地の下で苦い顔をするライラ。
「あそこは戦闘狂でかなり有名なんだよ。西は隣接するのが大陸最大の国土を誇るラピス帝国だろ? 帝国は代々積極的な軍事政策を取っているから、私らの王国とも度々軍事衝突するんだけど……。嘘か真か、西では四門が先頭切って敵陣に乗り込んでいくらしいぜ? それで、一族の者は十歳で初陣を済ませるとも聞いている。魔物じゃないぜ? 実践の対人戦だ。意味は……分かるな?」
対人戦の初陣、つまりは、その手で人を殺した経験がある可能性が非常に高いということだ。
比較的倫理観の薄い者でも、同族を殺すことには嫌悪感が伴うものである。
王国法下では、王国臣民が王国に住まう非王国臣民を殺害しても罪には問われない。しかし、実際に手を下す者はほとんどいないのが実情である。類似した容姿、言語の通じる相手を害するということは、相応に勇気が必要なのである。
しかし、人を害する壁を払拭してしまえば話は変わる。
人を人たらしめる壁。鬼はその壁の先にしかない。
つまり、一度もその壁を壊さなければ、人は鬼にはならないが、一度壁を壊してしまえば、誰しも殺人鬼になる可能性があるという話だ。
ちなみに、当然ながら鬼族にはこの壁がない。生まれた時から更地である。
「これも真偽が定かでない話だけど、ボルスは竜を手懐けているらしい。竜殺し、ならぬ竜騎乗者ってやつだ。これはさすがに眉唾物だとは思うが……」
ライラの発言に、シトラスが興味を見せる。
「竜ってあの? ほんとにいるの?」
シトラスのバイブルである絵本にも度々登場する竜種。
彼らは人智の及ばぬ、強く偉大な空の王者として物語に登場した。
「あぁいるとも、まぁピンからキリまでだが。飛竜なんか身近で有名な竜だな。中央派閥に単身で飛竜を殺したことから"竜殺し"の二つ名を持つ奴がいるよ」
「へー、ぼくもいつか挑戦してみたいな」
軽い調子で言うシトラスにライラは声を抑えて、
「……一応言っておくけど、竜の中では最下層と言われる飛竜だけど、まじで強いからな」
彼女のそのまなざしは真剣である。
「ライラは戦ったことあるの?」
「一回だけ……めちゃくちゃ大変だった。竜殺しと一緒にいなかったら死んでいたかもしれない。竜の息吹はないけど、火球があるし、知能が高いからこっちの攻撃が届かないところまで飛んで、絨毯爆撃してくるから」
話している内に戦闘の内容を鮮明に思い出したのか、自身の両肩を抱きしめるようにしてぶるぶると体を震わせる。
「ま、手綱は離さないこった」
ライラがおどけてミュールに視線を送ると、分かってると言わんばかりに激しく首を上下させた。
その後も取り留めもない話を続ける三人と一人。
メアリーはシトラスの横で話を聞いているのかいないのか、ぼっーと空を見つめている。
やがて三人の話題は、来月に行われる魔闘会へと移った。
「――学園生徒によるトーナメント大会。対抗魔戦に出ない猛者はいても、魔闘会に出ない猛者はいないからな。激闘必至だ」
そのため、魔闘会は四大行事の花形でもあった。
「でも、それってどうやって決めるの? 新入戦みたいな感じ?」
「いや、前年度の大会で上位四名と、学園の総合成績上位十四名。あとの十四名は教員推薦だ。下級生、特に一年生で総合成績上位は不可能だな。一年生で望みがあるのは推薦枠ぐらいだけどなぁ、メアリーとミュールはもしかしたらもしかするかもしれないが、シトはな……まあ、実績が足りないだろうな」
真剣な表情のシトラスを目の前に、率直な自身の意見に甘やかされて育ってきたであろうシトラスは気を悪くしたかな、と思い、彼の表情を伺うライラ。
しかし、シトラスが気になったのはそこではなかった。
「ライラってさ、不真面目な雰囲気してるけど、意外とマメだよね!」
「おまえ、はったおすぞ?」
怒るぞ、と大袈裟にポーズをとるライラに、ごめんごめん、と笑って謝るシトラス。
「シト、出たいなら私の代わりに出る?」
「いやいやいや、料理の前菜食べる? みたいなノリで代われないから! 代われない……よな? さすがにな?」
メアリーの提案に驚くライラ。
常識的にはできないが、対抗魔戦のルールを捻じ曲げた二人に、彼女は少し自信がなくなる。ほぼ全ての生徒が出場を目指す名誉ある大会を譲るという話を、彼女は聞いたことがなかった。
「それにメアリー。お前とまだ決まったわけじゃない、対抗魔戦で本選に出た俺かも知れないだろ?」
シトラスの横で胸を張ってそう言うミュールに対して、メアリーは、
「それは別に気にしてない。もしミュールなら分かった瞬間にぶちのめすだけだから、大丈夫」
「……それは全然大丈夫じゃないんですが俺は」
ミュールの意見に対しては、メアリーは淡々と毒を吐く。
大丈夫って言葉知ってる? っとミュールは問うたが、その答えはなかった。
「新入生で魔闘会に出ることができたら派閥入り間違いなしだぜ、シトらには関係ない話だろうけど」
「あれ? 派閥に入ってるって言ったっけ?」
首を傾げるシトラス。
「……あれ? このまえ言ってなかったか?」
沈黙の後に首を傾げ返すライラ。
「……言われると言ってたかもしれない。そうだね。ぼくたちは東のイストに所属してるよ」
四年生であってもまだ半分以上の生徒は俱楽部に所属することができていない。
これは学園では珍しいことではない。その点から、一年生から俱楽部に所属することがどれほど異端なのかが見えてくる。
「新入生から派閥って末恐ろしいな」
「ライラは? どこかに所属してるの?」
「……あぁ、残念ながら、な」
「残念ながら?」
いろいろあるんだよ、と言いつつ、所属を有耶無耶にするようにシトラスの頭に手を伸ばしたライラだったが、その手がシトラスの頭に置かれることはなかった。乾いた破裂音と共に、その手が頭に触れる前に弾かれた。
いつの間にか一歩踏み出したメアリーが、鋭い目をしながら彼女の手を払い退けたのだ。さながら私のものに触るな、と言わんばかりの視線と共に。
「愛されてるなシト」
「そんなんじゃないよ」
弾かれた手をひらひらと泳がせて、目を細めるライラ。
シトラスはメアリーの頭に手をなでて、番犬のように目の前のライラを睨みつけるメアリーを宥める。
「さーて、どうやって出ようかな」
シトラスは指を組んで掌を空に向けるように大きく伸びをした後に、体を斜めに傾けた。
◇
○教室にて――魔法力学
「ミスターロックアイスどうかされました? 授業で何かわからないことでも? ……魔闘会の推薦枠? 残念ながら貴方の現在の実力では推薦することはできません。しかし、来年以降に推薦できるように学習の手助けはできるので、授業でわからないことがあれば知らせて下さい」
○廊下にて――魔法史
「し、質問? なんですか? 王政に対して私の意見が知りたいわけじゃないですよね? ね? ……え? 魔闘会に出たい? あー、そっちでしたか、残念ながら既に確約済みなんですよ」
○研究室にて――魔法薬学
「なんだシト? 何か聞きたいことでもあるのか? とりあえずお前は俺の研究室に出禁だから外で話そう。……で、なんだ? ……なるほど、魔闘会に出たいのか。残念だが前々から俺の推薦者は決まってるんだ。悪いな」
○グラウンドにて――剣術
「本日もまだやります? 来月から始まる魔闘会の準備で先生も事務作業が溜まってるんですけど……いや、聞きます、聞きますよ? だからメアリーさん、そんなに殺気立てないで下さい! こほん、それで? ……なるほど、話は理解できました。確かに対抗魔戦と魔闘会は私が責任審判を務めており、私には生徒を推薦する権限があります。しかし、残念ながら、私の推薦枠は既に埋まっています。メアリーさん。あなたです。……え? じゃあシトラスくんにあげるって? いやそんな私の果物あげる、みたいなノリで言われてもダメですからね?」
○移動教室にて――七曜学
「どうかしたのシトラスくん。はい、なんでしょう? ……ふんふん、推薦ねー。いいよー……って言いたいところだけどゴメン、もう私も推薦枠使っちゃったんだ、ごめんね?」
七曜学の先生に断られた後、シトラスは校舎の外を目指して歩いていた。その目はまったく諦めていなかった。
さすがに無理じゃないか? とは隣で歩くミュール。
ミュールは頭の後ろで手を組みながら、シトラスの横を歩いている。知己のある教師は現状では次の教室で最後である。次でダメであれば今年の推薦枠は事実上取得不可能であった。
残すは、魔法生物学の教師。
魔法生物学は、文字通り魔法生物の生態、取扱いを学ぶ科目である。
一般的に魔法生物とは、ヒト族を除いた魔法を使用する動植物の総称である。動物や植物好きの生徒からは根強い支持がある反面、実技が内容が動植物の採集、捕獲、世話ことから大多数の貴族からは侍従がやるべき下賤の学問と、立場を下に見る傾向が強い。
校舎から離れたところに独立した建物である魔法生物学の飼育小屋。
小屋という名の通り建物自体は小さい。しかし、拡張魔法が掛けられており、内部は外部からは想像できない広く、様々な魔法生物の飼育、繁殖がここで行われていた。
「ミュール、メアリー。ちょっとここで待ってて」
シトラスが年季の入った木製の扉を叩いて鈍い音を響かせる。
するとすぐに室内から入室を促す声が聞こえてきた。
その声に従い、シトラスが扉を開けると、そこにはシトラスが来るのを知っていたかのように、一人の妙齢の女性が、机にもたれ掛かって待っていた。
髪を乱雑に後ろに縛り、魔法生物の世話の影響であろうひどく汚れたローブを纏った女性教員。その身に纏うローブは黒であっても、なおそれと分かる汚れ具合である。
「アイリー先生」
「どうかしたのシト? ――先生に頼みごと? うん、いいよ? なんでも言って?」
アイリーことアイリーンは魔法生物学の教師にして、カーヴェア学園の最年少教師でもある。
十四歳を迎えたシトラスとの歳の差はちょうど十歳。
カーヴェア学園卒業後に、軍役で三年の後方勤務の後に退役。
通常は七年である軍役を特例で短縮されていた。学生時代から行っていた魔法生物に関する研究が認められた結果であった。
その後、研究者として放蕩しているところを、学園長のネクタルにその才を見いだされ、以来カーヴェア学園の教師として勤務していた。
彼女の容姿は優れているのだが、如何せん研究者肌で身なりをほとんど気にしない傾向にある。
彼女の縛った茶褐色の髪からは、こぼれた髪が方々に散っている。髪は葉やら動物の毛やらで汚れていた。しかし、よく見ると、整った顔立ち、ルーズな服の上からでもわかる胸の膨らみをはじめとするスタイルのよさ。
彼女はこれまでに少なくない少年の初恋を無意識に奪ってきた。
もたれ掛かっている机の上を、撫でるように動かす彼女の手を見ると、その手の下には手のひらサイズの不思議な動物がちょこんと座っているのがわかった。
体の1/3を占めようかと言う不釣合いに大きな頭とクリクリとした大きな瞳。ふわふわとした毛並みが撫でられる度に、柔らかく潰れては起き上がる。
その不思議な愛くるしい動物は不思議な動物は鼻をひくひくさせたかと思うと、態勢を変え、走りだそうとしたので、撫でていた手が素早く胴体を捉えた。きゅー、という見た目相応の可愛らしい声で脱出を試みているが、彼女の手に胴部全体を抑えられており、さながら握りしめた拳が胴体のようにも見える。
扉を閉めて、挨拶もそこそこに本題へ入る。
「――魔闘会への推薦? そんなこと? うん、いいよ」
事情を聴くや否や二つ返事での了承。シトラスは彼女の手を両手で握りしめて喜びはしゃぐ。それを見て彼女の髪と同職の茶褐色の瞳が細くなった。
「それよりシト、私たちの魔法生物を見ていってよ。彼らもシトが会いに来てくれると嬉しがるのよ」
「え? そう? ちょっとだけだよ?」
「十分だよ。みんな喜ぶ。さ、こっちだシト」
シトラスの手を引いて、アイリーンは部屋の奥へとその歩みを進めていった。
◆
教師にのみ入室が許されたカーヴェア学園の一室。
月が輝く時刻に、カーヴェア学園で教鞭をとる主だった教員たちが顔を揃えていた。
集まった教員たちの輪で、シェリルの険しい声音が響く。
「いったい何のつもりです!?」
「何が?」
眉間に皺を寄せ、睨め着けるような視線を送る先はアイリーン。しかし、彼女は意に介す様子もなく、まとまった髪の毛の毛先を指先でいじってどこ吹く風である。
「ミスターロックアイスのことです! はっきり言って彼の実力の出場は危険です。こと実技の魔法については平均を大きく下回り、剣術についても特筆すべき報告は受けておりませんッ。そうですよね、アペル教師」
「はい、シェリル先生のおっしゃる通りです。彼の今の剣の実力では、魔闘会において力不足は否めません。ましてや他の能力の不足分を補うなんてことは、彼の現状では不可能です」
シェリルから問われたアペルは、率直な意見を他の教員に伝えるように朗々と述べた。
アペルにとってもシトラスが推薦されたことは驚きであった
「それに加えて……なぜ本校に着任以来一度も、生徒を推薦してこなかったあなたがここにきて彼を?」
一呼吸おいてアイリーンに尋ねるシェリル。
努めて冷静になろうとしているが、彼女のその鼻息の荒さが心の内を物語っていた。
暑くなっているシェリルに対してどこ吹く風のアイリーンは、
「彼に頼まれたから」
とだけ返す。
もちろんそのような回答で模範的な教育者のシェリルが納得するはずもなく――
「頼まれたから、なんて貴女らしくもない……これまでにもあなたに頼んできた生徒はいたでしょうに」
「……彼はね。なにか特別なの」
「教師ともあろうものがッ、校長ッ」
シェリルが興奮気味に静観しているネクタルに話を振ると、ネクタルは苦笑いをこぼしながらこれに答える。だが、その答えはシェリルが期待していたものではなかった。
「んー。そうだね、僕としても出して上げても問題ないんじゃないかな――」
「校長ッ!?」
何を言っているんですかッ、と言わんばかりの表情でクワッとネクタルに視線を送るシェリルに、
「――落ち着きなよシェリル。これは本大会において教師に与えられた正当な権利だ。校則にも定められている。本人が希望し、教師が受理、推薦している。僕にはこれを断る理由がない」
落ち着いた様子のネクタルはシェリルに言い聞かせるように理由を述べた。
「し、しかしッ――」
「――シェリル。君の担任するクラスの生徒だ。その心配もわかる。ただ、一人の生徒に熱くなるなんてそれこそ君らしくもない。それに、僕の校則は絶対だ。意味は――わかるよね?」
ネクタルは平時の通り、少年のような笑みを浮かべたまま不満げなシェリルに語り掛ける。
シェリルの顔に刻まれた皺が物語るように、彼女はこの場の再古参の教員の一人であるが、そんな彼女が学生の頃から既に学園長を務めていたネクタルの声には、有無を言わせない重みがあった。
シェリルの沈黙を肯定と受け取ったネクタルは他の教員たちに視線を送り、これ以上は誰も反論がないことを確認すると満足げに頷いた。
そして、彼ら姉と弟は別ブロックにしようか、万が一にも姉の情で優勝候補が脱落なんてことがあったら興ざめだからね、と言って、ネクタル指を板書に向けて軽く振ると、三十二に別れた線の一つに『シトラス・ロックアイス』の名前が滲み上がった。
「これでよし、と。さぁ話を続けようか――」
◇
魔法闘技場のステージ。
見上げた空は雲一つない快晴。
朝の吹き抜ける風は冷たいが、この場の生徒に限って言えば心地良いぐらいであった。満員の闘技場。よく見ると生徒以外の姿も見受けられる。王城からの来賓である。中でも格の高い者は対抗魔戦同様に上階の貴賓席でステージを一望している。
『すぅぅぅぅ………――』
魔法によって拡声された男子生徒の声が響き渡った。
『――紳士淑女の皆様ぁぁ、お待たせしましたぁぁ!! 年に一度のぉぉ……魔闘会の時間だぁぁああ!! 騒げぇぇぇぇええええ!!!!』
場内が揺れるほどの大歓声。
初参加の一年生の中には、あまりの歓声に身を竦める者もいるほどである。
対抗魔戦も凄い熱気であったが、こちらはそれと同じか、それ以上である。
『今年度の実況は昨年度に引き続き、私マイクが!! そしてぇぇ、今年度の解説は、栄えある王国魔法騎士団副団長ジークフリートさまだぁぁぁぁ!!!!』
闘技場内の来賓席の横の区画には、実況席が設けられてあり、二人の男性が座っていた。
一人は茶髪アフロの髪型で学生服を着崩した男性生徒。もう一人は軽装の鎧に身を包んだ金髪碧眼の口髭が似合う騎士。歳のほどは二十代後半から三十代前半であろう騎士は鷹揚に手を掲げる。
闘技場内に木霊する大歓声。
波打つ金色の髪を風に揺らしながら、立ち上がって場内に手を振る。王国騎士団団長を務めるジークフリードの柔和な碧眼が、場内を一周するまで歓声が鳴り止むことはなかった。
『他にもビップでビッグなお客様が王城からいらしてるぜッ!! それじゃあ一回戦を始めていくぜーー。戦士かもんッ!!』
どこからともなく流れてきた軽快な音楽が、闘技場に響き渡る。
観客席の生徒たちも、歓声を持って音楽と共に入場してくる出場選手を歓迎する。
『一昨年の新入生にして準優勝の快挙に始まり、昨年度のサウザ様との死闘の果ての同時優勝。今年こそは単独優勝を狙う、人呼んで東の傑物――またの名を風の女王。本年度の優勝候補筆頭、ベルガモットォォォォ、ロォォックゥゥアイィィスゥゥゥゥ!!!!』
くすんだ金橙の髪に一房の赤。浅葱色の怜悧な瞳は落ち着き払って堂々としたものである。
体の肉付きは既に少女から大人の女性に達しており、その体の曲線美は男子生徒の視線のみならず、女生徒も羨望の眼差しで釘付けにしてやまない。
彼女が歩みに合わせて、生徒たちの瞳がそれを追うように動く。多くの生徒は、ベルガモットがステージの中央まで歩を進めて、ようやく対戦相手を視認したほどであった。
『対するは昨年度から成長を遂げ、飛躍を誓う西の俊英。四年生にて初めて掴んだこのチャンス、ここで彼女を倒せば一躍時の人。ダークホースとなり得るか、シャラットォォォォ、アスカロォォォォンンンン!!!!』
緊張した様子の茶髪茶眼のシャラット。その腰には実剣が携えられていた。
それに対するベルガモットは無手。
二人は中央で互いに歩み寄ると、アペルの指示の下で礼。再び距離を取って向かい合う。
開始宣言の前にアペルは改めて大会の規則を二人に伝える。
『今、アペル先生からのルールの伝達が終わったようです。両者向かい合って――始まりましたッ!!』
開始早々にシャラットは腰の得物を抜き、地面に叩き込んだ。
魔力で強化された四肢と得物は、いとも簡単にステージをたたき割った。
次いで、破壊したステージを撫でるように切りつけると、粉塵がシャラットの姿を隠すようにステージ上にまん延した。
ジークフリートが落ち着いた声でステージ上のシャラットの意図を解説する。
『"風の女王"対策はばっちりのようですね。私も階下の席で見させて頂いた昨年度の準決勝。そこで"不動の巨人"が披露した土煙による煙幕の再現ですね。これにより風の軌道が読みやすくなると同時に的を絞らせない作戦ですね』
『なるほどッ! 確かに"不動の巨人"は破れこそしましたが、大いに"風の女王"を苦しめていた印象があります。上級生とは言え、下級生の優れた点はすぐに取り入れる柔軟性ッ! これは大番狂わせがあるのかぁ!!』
その後も、シャラットが何度かステージを破壊する音が木霊し、あっという間にステージの半分が土煙で覆われた。対するベルガモットはと言うと開始から一歩も動かず、かと言って構えるでもなく悠然と立っている。
しかし、土煙がステージの半分を超えてベルガモットに近づくことはない。時折風で流れてくる土煙は彼女の風にすべて押しとどめられていた。
マイクが会場に策を弄するシャラットに対するベルガモットの様子を伝える。
『さすがの女王を冠する猛者。狼狽えませんッ!! まだまだ余裕のように見えますッ!!』
ジークフリートも感心した様子で、
『彼女はさすがですね。普通であれば広域に魔法を展開すると、維持に膨大な魔力の使用を強いられるため、余裕なんて持てないはずなんですが。そこはさすがの前年の覇者。素晴らしい魔法制御ですね。シャラット選手は土煙が収まるまでに勝負をつけなくてはならないので、次の一手が見所ですね』
『早速、王国副団長からべた褒めの風の女王! 女王の名前は伊達じゃない!! さて、シャラット選手はどのようにこの風を破っていくのか』
場内が固唾を飲んだステージを見守る中、やはり先に動いたのはシャラットであった。
人一人覆ってなお余りある土の壁が、土煙の中からものすごい速さで滑るようにベルガモットに迫る。
煙幕の陰に隠れて土魔法で錬成したようだ。その厚みも申し分ない。
ここで初めてベルガモットは動きを見せた。
おもむろに左手を迫り来る土壁に翳す。
すると、それだけで迫り来る土壁は瞬く間に勢いをなくし、ベルガモットの領域を半分と犯すことなくピタリと止まった。
会場と実況席からは驚嘆の声が漏れる。
しかし、それで終わりではなかった。
動きの止まった土壁が、逆方向に動き始めたかと思うと、今度は飛来してきた方角へ猛スペードで滑走していく。
『おおっと相手の攻撃を利用したカウンターだぁ! しかし、もの勢いで迫る土壁をシャラット選手はうまく回避ッ! カウンターは失敗、土壁はステージの外へ抜けていったぁぁぁぁ!!』
興奮する実況のマイクをよそに、ジークフリートがベルガモットの真意に触れる。
『――彼女の狙いはそこじゃないみたいですね』
『それは……? ッ、なるほど! カウンター攻撃の余波で土煙の煙幕がぁ、晴れていくぅ! 露わになるシャラット選手。そして――で、でたぁぁああ!! 女王の十八番――宙の磔刑だぁぁああ!!』
シャラットの体が独りでに宙に浮かんでいく。
首を両手で抑えて苦し気な顔である。宙に浮かぶ彼の首をよく見ると縄が食い込むように一筋の赤い線が首回りを一周していた。シャラットは首を引っ搔くように首元に爪をたてるが、見えざる縄が緩む様子はない。その表情は次第に真っ赤に染まり、徐々にシャラットの視線は定まらなくなる。
『ここでアペル先生より静止の声ッ! やはり!! やはり前評判は裏切らなかったぁぁベルガモット・ロックアイスの勝利だぁぁぁぁああああ!!』
観客席の歓声が爆ぜる。
この瞬間は俱楽部も関係なく、多くの生徒が目の前の試合に惜しみない拍手と歓声を送った。
歓声と倒れ伏すシャラットを残して、悠々とベルガモットはステージから退場した。
残されたのは興奮冷めやらぬ歓声と、駆け付けた救護班に担架で運ばれていくシャラットであった。
◇
闘技場内部の控室。
大会の出場者は四部屋に別れて、思い思いに出番まで待機していた。
控室の中央には魔法具が設置され、ステージ上の試合を壁に映写している。ほとんどの生徒は画面に釘付けである。一回戦の第一試合が終わると誰ともなく息を吐いた。いつの間にか息を呑んでいたようだ。それだけ試合観戦に集中していた証であった。
シトラスも終始無言で映写されているステージ上の映像を凝視していた
ベルガモットの試合に続き、第二試合、第三試合……と次々と試合が消化されていく。五試合目では、新入生対抗戦でシトラスを打ち負かしたエステルが一年生ながら二回戦進出を決め、場内を大いに沸かせていた。八試合目にはヴェレイラも登場し、彼女も危なげなく二回戦へ。
その二試合後、一回戦第十試合。
シトラスの名前が場内に木霊した。
石畳の通路を歩く。吹き抜ける風は冷たいが、そこを歩く彼の胸の内は熱くなっていた。輝く瞳、朱の差した頬。胸を張って堂々と今ステージに脚を踏み出した。
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