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ギフテットワン  作者: 0
第二章一節 学園編
23/112

二十話 学園新聞部とオーラと

毎日17時に投稿中(01/2024)


この小説の古参四天王の枠がまだ一枠空いてますよ、っと……(22/01/2024)。


 カーヴェア学園新聞部。

 四門の倶楽部とも、中央貴族の俱楽部とも異なり、カーヴェア学園で唯一の中立の魔法倶楽部。


 彼らは、学園きってのジャーナリストの集団である。


 四門と中央がしのぎを削っている中で、中立を貫き、存続が許されている数少ない俱楽部の一つ。その構成員のほとんどが下級臣民で構成される俱楽部で、物理的な戦闘力はほぼ皆無。


 カーヴェア学園内外の情報を学園で拡散するということが、彼らの役割である。

 卒業後の軍役では軍部情報機関に、その後は新聞社に就職するものが大半で、その影響力は決して馬鹿にできないものがある。


 学園新聞部の主導の下、不定期に学園内で発行される【学園新聞】はカーヴェア学園と、隣接する王都で広く購買されており、圧倒的な購買数を誇っていた。

 それは俱楽部における収益性という観点では、四門や中央であっても寄せ付けないほどである。


 そんな学園新聞部に匿名投稿(タレコミ)があった。

 東のイストと中央のセントラル。二つの名門俱楽部の実力者が、衝突したという話である。

 構成員のそのほとんどが三度の飯よりゴシップが大好きである学園新聞部では、話題を集めるために、たまに飛ばし(・・・)の記事を書くこともあって――。


『イストとセントラルの衝突!! 次世代争い勃発!!』

『セントラルと衝突した無所属の女子生徒を東の風の王子が救う!?』

『激白!! 俱楽部関係者が語る、俱楽部の均衡の崩壊とは!!』

 などと数日後には紙面何ページにもわたって、先日の騒動を取り上げた新聞が発行されていた。


 個人名こそ出さなかったが、少し調べれば特定可能な情報が盛りだくさんの学園新聞。

 『風の王』と呼ばれているベルガモットにちなんだ『風の王子』はベルガモットとシトラスの関係性を知る者であれば、誰でも気がつくことができるだろう。


 先日の騒動の最中に負った頭部へのダメージから、シトラスが大事をとって数日間療養している間に、シトラスは瞬く間に時の人となっていた。

 学園新聞部が、やけにシトラスのことを好意的に書いた影響もあったのだろう。

 授業に復帰した際に、事情を察した教師からも陰ながら褒められたり、お菓子を貰うほどであった。


 しかし、シトラスの関心は違うところにあった。


 先日の私闘後に起こった、自身の体の異変である。


 私闘の際に、フィーブルから木刀でこめかみに強い衝撃を与えられたせいか、ぼんやりと人の体から、光のオーラのようなものが発せられているのが見えるようになっていた。その光のオーラは、はっきりと見える人もいれば、薄っすらとしか見えない者もいる。


 見舞いに寮へと訪れた姉やヴェレイラのオーラは、それはもうはっきりと見えており、時折眩しいと感じるくらいであった。


 ミュールとメアリーに相談したところ、二人には心配された。

 経過観察の際に校医にも相談したところ、脳に打撃を受けたことによる一時的な幻覚であろう、と診断され、当分は安静にしていなさいと言われただけであった。


 療養明けの今日。

 シトラスは、自分の見ているものが何か、知ることになる。






 シトラスにとっては一週間ぶりの教室。


 周囲のシトラスの見る目が、休養前後でかなり変わっていた。

 東の関係者以外は誰も気にしていなかった存在であるシトラス。それが今では、誰もがちらちらと彼の様子を窺っている。


 噂と言うものは、得てして当人の知らないところで膨らみがちなものである。

 娯楽があまり多くないカーヴェア学園の中で、学園新聞は一大娯楽であることもそれに拍車をかけた。


 当の本人は、周囲から集める視線をあまり気にした様子はなく、久しぶりに出会う猫人のブルーに駆け寄り、一方的に戯れていた。


 身を挺して庇って、それがもとで療養していたシトラスに、まずは感謝をいうべきか、謝罪をいうべきかで逡巡していたブルー。

 しかし、シトラスは特に気にすることなく、挨拶を交わして、療養前にしていたように彼女の手を握る。彼女の肉球をふにふにとしてご満悦な様子である。


 何事もなかったかのように接するシトラスにブルーは、ありがとう、と呟くと、初めて彼に小さく笑ってみせた。


 それを見たシトラスが、

「ブルーが……ブルーが笑っている……笑ーった笑った! ブルーが笑った! わーい!」

 と、騒ぐものだから気恥ずかしくなって、顔を少し赤くしてそっぽを向くブルー。

 だが、その握りしめられた手を振りほどくことはなかった。


 入学以来ブルーは、一部の同級生から嫌がらせを受けていたが、先日の一件以来それもぱたりと止んでいた。誰が彼女のバックに、正確にはブルーのバックのバックにいるかを知ったからでろう。彼らは遠巻きにこちらを窺っているだけで、こちらから視線を送ると報復を恐れて視線を逸らすか、教室から出て行く始末である。


 その点でもブルーはシトラスに対して、ほんのすこーしくらいは優しくしてあげてもいいかな、という気持ちでもあった。


 ブルーがシトラスに歩み寄りを見せたこの日最後の授業。


「今日から七曜学も本格的に実技に入っていきます。鞄からスプーンを取り出して下さい」


 壇上に立つのは、金髪碧眼の淑女シェリル。

 七曜学は専任の教師がおらず、クラスの担任の先生が基本的に担当している。


 各々が鞄から取り出したスプーンは、一見何の変哲もないスプーン。


「みなさん初月の授業でこのスプーン曲げを行ったことを覚えていますか?」

 

 このスプーンは原材料に特殊な魔法鉱石を使用しており、魔力を通すと曲がる性質を持っていた。

 そのため、入学初月の七曜学の授業で、魔法の体外放出の感覚を掴むために、スプーン曲げが行われていた。

 うまく綺麗に流すと目に見えてフニャフニャになるので、その達成感から生徒から好評であった。ちなみに、シトラスは大苦戦し、それが達成できた最後の生徒であった。


「今回行うのは前回とある意味で逆です。スプーンを曲げないでください。その上で各々の属性をスプーンに付与してください」


 曲げないで、という説明にざわつく生徒。

 一人の女生徒が手を挙げて質問した。


「しかし、先生。以前の講義でこのスプーンは魔力を通すことで曲がる、と説明頂いたと記憶しております。魔力を付与してしまえば、それは曲がることに、曲げることになりませんか?」

 

「いい質問ですねミス。確かに単に魔力を流すだけだと、このスプーンは形を維持できなくなります。しかし、方向性を持たせた魔力を流すと――」


 そこで、シェリルは自身のスプーンを手に取り、生徒が見えやすいように体の前に差し出した。


 すると、そのスプーンのつぼの底から、噴水のように勢いよく水が飛び出した。

 ややあって、水の勢いがピタリと止まり、表面張力ぎりぎりの水が手元のスプーンに残された。


「――という事ができます。言わずとも分かりますが、これは水属性になります」


 何人かの生徒が興奮して、早速手元のスプーンを手に取ったが、すぐにスプーンがふにゃふにゃになるだけであった。


「魔力の指向性が重要になります。その結果は人それぞれです。自身と対話し、己の属性を付与してください。それでは始めて下さい」


 残りの生徒も一斉に取り掛かる。教室が一気に活気に満ちた。


「ふぬぬぬ……」

「ぐぬぬぬ……」


 シトラスとミュールは、両手でスプーンの柄を握りしめて全集中。

 しかし、しばらく経ってもシトラスのスプーンは何も変わらない。反対に、ミュールのスプーンは手で覆われていない柄から先にかけてフニャってしまう。

 二人の間に座るメアリーは、無言で手に取ってぼんやりとそれを眺めている。


「うーん……」

「あー、わっかんねー」


 顔が赤くなるまで力を込めたシトラスだが、何も変わらずいったんその手を止めた。

 ミュールもテロンテロンになったスプーンを机の上に置く。このスプーンの凄いところは、しばらく魔力を込めないと、元のスプーンの形に戻るという性質である。


 シトラスはシェリルの教壇での実演しているとき、スプーンを持つシェリルの手から、青い光のオーラがスプーンのつぼに集まっているように見えていた。それが何かヒントになると直感で感じることができたが、肝心のその集め方がわからない。


 ミュールに自分が見えているオーラの話を共有すると、お前大丈夫か、と怪訝な顔で心配される始末で、相変わらず他の人には見えていない様子である。


 その後も何度かやり直す二人だが、手にしたスプーンが曲がるか、何も起きないかの二択が続いた。


「ブルーはできている?」

「ん……まって……できそう……」


 柑橘色のクリクリとした大きな瞳を見開いて集中しているブルー。

 スプーンの柄が少し曲がってきてはいるが、まだまだスプーンの原型を留めている。


 シトラスの眼には、黄色い光のオーラがブルーの手からスプーンの先に流れていくのが見えていた。

 そして、ややあって彼女の手にしたスプーンにビリビリと電気が走った。


「できた……」


 ふぅ、とため息を吐いて静かに満足感に浸るブルー。それを横で見ていたシトラスは、それを我がことのように喜んで、隣に座るメアリーやその隣のミュールにブルーが成功したことを喧伝する。


「おや、ミスショット。見たところあなたがこのクラスで一番乗りのようですね。あなたは雷属性に適性をお持ちのようですね。おめでとうございます」


 本人より喜んでいるシトラスの声が、教室を周回していたシェリルの耳に入り、ブルーは恥ずかしそうに耳を伏せた。

 だが、その顔は決して悪いものではなく、シェリルが去った後にシトラスが耳元で、良かったね、と囁くと、照れくささからますますうつむいた。


 しかし、それを面白くないと思う者が数名。


 教室の後ろに陣取る中央貴族の一派。

 彼らはつい先日までブルーに陰で嫌がらせを行っていた者たちである。


 そして、他にシトラスとミュールの間に一名。


 そうメアリーである。


 実はメアリー。とうにスプーンに属性を通すことができていた。


 彼女の属性は火。

 彼女はスプーンのつぼに、触っていられないほどの熱を持たせることがいつでもできた。ただメアリーにとって児戯じみた行為にやる気がなかっただけで。


 だが、目の前で手放しにシトラスから褒められるブルー。

 彼女にとってそれがもう面白くない。


 そのため、彼女はちょっと本気を出すことにした。

「でも、本当の一番はメアリーだよね」とシトラスが耳元で囁くことを期待して。


 しかし結果として、メアリーは対抗心のあまり加減を間違ってしまう。


 シトラスは凄まじいオーラの気配を背後から感じた。

 振り返ると、ブルーどころか、実演して見せたシェリルの時よりも圧倒的に早い速度で、メアリーのスプーンを握る手からスプーンのつぼにかけて、赤い光のオーラが集まるのがはっきりとわかった。


 その結果、彼女のスプーンのつぼは、瞬く間に原型を留めることができないほどに熱を持ち、線香花火のようにポトリと机に落ちると、その熱で机を瞬く間に抉っていく。


「ちょっ、おまっ……!!」

「せんせー!!」


 ミュールの悲鳴とシトラスの救援信号で、シェリルが瞬く間に駆け付けて鎮静化した。


「あなたも凄いですねミスシュウ……今回の授業であなたには言うことはなさそうです。貴方とミスショットでご友人たちに属性付与を教えて上げて下さい」

 と言って、シェリルは教室の巡回に戻って行ったが、二人とも口数は多い方ではなく、二人で顔を見あわせる。


 ブルー曰く、こう、(スプーンの)さきっぽに(念を)送る感じ、(魔力が)途切れないように。

 メアリー曰く、感覚。(自分の体の)延長にこれ(=スプーン)があって、後はそこに力を入れるだけ、とのこと。


 ――ふんふんふん……わかるかーーッ!!


 真剣な表情で二人の説明を聞いていたミュールだが、その具体性のない内容に、聞き終えた後に悲痛な叫び声。

 

 そんなミュールを尻目に、シトラスはぼんやりと教室を見渡していた。


 その視界には、相変わらず光のオーラがぼんやりと見える。

 それらを見比べるように見つめる。

 光のオーラにはそれぞれ色を持っていることに気づいた。

 そして、その色がついた光のオーラが点滅していることにも気がついた。


 シトラスは目の前で再度実演する二人に視線を戻す。

 メアリーは鮮烈な赤色に、ブルーははっきりとした発色の良い黄色に点滅したオーラを纏っているのが視える。


 対照的に、ミュールはオーラこそまとっているものの、二人よりはっきりとしたオーラではなく、色もおぼつかない。また、二人の発光具合に比べると、輝度がどこか弱い印象を感じさせた。

 ついでに自身の両手に視線を落とすと、ミュールのそれよりさらに弱い。


「ぼくは魔力を視ている……?」


 時間が経つにつれて、二人以外にもぽつぽつとスプーンに属性付与させることに成功させる者が出始める。

 その度に、成功させた者の周囲から歓声が上がる。


 それからシトラスとミュールを除き、クラスメイトの全ての者が成功させる頃には、シトラスの目には成功させた者と、そうでない者の光のオーラの違いがはっきりとわかるようになった。


 成功させた者に共通していることは、彼らのオーラはハッキリと色を持っているということだ。


 より正しく述べるなら成功させる瞬間(・・)に色を持っている。元から色を帯びている者もいれば、そうでない者もいる。しかし、そうでない者であってもスプーンに影響を与える瞬間には、何某かの色を持っていることにも気づいた。


「おい、シト。後は俺たちだけだぞ? なんだボーっとして、体調でも悪いのか?」


 ミュールの言葉に、そうなの? と心配そうに視線を送るメアリーとブルー。

 ミュールはスプーンを顔の前に突き出しながら、真剣な表情を浮かべている。


「ううん。大丈夫……それよりぼく他人の魔力が視られるようになった、みたい」

「他人の魔力を視る……? それって――」

 シトラスの漏らした内容に小首を傾げるブルーだが、

「おっしゃできたーーッ!!」


 ミュールの快哉の叫び声に驚いた二人は、視線をミュールに移した。


 彼の手元を見ると、スプーンのつぼと持ち手の間の柄が、綺麗に折れ曲がっている。

 それは、まるでスプーンが直角にお辞儀をしているようにも見える。


 ミュールの出来栄えに、近くで最後の二人を見守っていたシェリルが近づいてきてミュールを褒める。


「おやまぁ……ミスターチャン、時間がかかった甲斐があって、随分と綺麗に魔力を通らせましたね。原型を留めたままの形状変化。雷属性の顕著な例の一つです。残るはミスターロックアイス。貴方だけのようですね。頑張ってください――と思いましたが、残念です。終了の鐘です。本日の七曜学の授業はこれまでとします。ミスターロックアイス。ご友人たちにコツや感覚を聞いてみて下さい。ご友人たち。彼に属性魔法のコツや、その感覚を話してあげて下さい。言語化して感覚を整理することは、対象への理解を深めることに繋がります。――本日の授業は以上とします」


 授業が終わるや否や、ブルーはシトラスにだけ挨拶を交わすと、足早に教室から出て行く。

 彼女は授業以外では、あまりクラスメイトと関りを持とうとはしなかった。シトラスを除けば授業以外で言葉を交わすのは、ミュールくらいであった。

 メアリーに対しては、初対面の時に上下関係を本能に叩きこまれているので、基本的に彼女の意見には逆らわない。しかし、授業以外でメアリーがブルーに話しかけたことはこれまでない。


「ミスシュウは先の新入戦の件で少しお話がありますので、これから私についてきて下さい」


 教材をトランクに片づけ、支度を整えたシェリルはメアリーを指名し、教室を後にした。シェリルに従い、また後で、と言うとメアリーも教室を後にした。


「悪いシト。お前の姉貴に渡すものがあって、このまま俺は塔に行くけど、この後どうする? 一緒に来るか?」

「いや、今日はこのまま寮に戻るよ」

「わかった。大丈夫だとは思うけど中央の奴らに気をつけろよ。何があっても関わるなよ?」


 そう言ってミュールと別れたシトラスであったが、その足は全く寮に向かっていなかった。自身の眼でもっと色んなオーラを見てみたいという知的好奇心に従い、浮足立って校内を散策する。


 階段を上がっては降りて、部屋に入っては出て。気にされない程度に視界に映る生徒たちの光のオーラを観察する。


 シトラスは散策を続けていくうちにあることに気がついた。

 それは、光のオーラを持つものは人に限らないということだ。


 例を挙げると、校内のあちこちにある仕掛け(ギミック)


 学園の生徒の学園生活を悩ます校内の仕掛け(ギミック)にも、同じように光のオーラが見えるということが分かった。それは意識しないと気がつきにくいが、仕掛けが発動する直前にかけてはその輝度が強くなり、それを意識していれば、それらにそうそう引っかかる恐れはなかった。


 次に、その足は中庭に向かった。


 紅葉の残る木々と、今は誰も使っていない長机とベンチ。

 昼食時は多くの生徒で込み合うこの場所も放課後、しかも随分と肌寒くなってこの季節では、見える範囲で(・・・・・・)人はおらず閑散としていた。


 だが、今のシトラスの眼は、見上げるほどの大きな木々の内の一本。その木の上に、人の形をした光のオーラが見えていた。


 そのオーラに興味を持ったシトラスは、その木の下まで足を進めた。

 目上げた木は手の届く範囲で枝をつけておらず、見上げるも、樹上は陰になっていることもあり、気の上の存在を視認することができない。


 樹上の人物がどうやって登ったのかと頭を傾げるシトラスだが、ややあって木を抱きしめるように両手両足で掴むと、少しずつ上に進んでみる。


「……おっ? いける、かな?」


 本人も知らなかったがシトラスには木登りの才能があったようだ。

 全身で木にしがみついて少しずつ上るシトラス。

 それは傍から見るとかなり滑稽な姿であるが、それでも少しずつ速度を上げて登っていく。


 やがて自身の身長の三倍に届こうかという所まで登ったシトラス。

 才能があったと言えど原石。慣れない運動にさすがに疲労の様子を見せていた。


 最初の枝までもう少しだ。幹に比例してその枝も太い。


 それから、少し登ったところで上半身を反らし、幹に左手を伸ばすシトラス。

 だが、拳一つ分届かない。


 もう少し、あとほんの少し。


 限界まで伸ばして震える体。そんな中で精一杯開いた左手。


 そして――掴んだッ、と思った左手もむなしく空を切る。


 体重を後傾していたことにより、右手がもつ幹の皮が、乾いた音と共に剥がれていく。そしてより一層後傾していく体。


 後は自明の理である。


 宙に泳ぐ体。

 吹き出す汗。


 世界の時の流れが遅くなったような感覚。


 ついで、流れを取り戻した世界はより加速する。

 遮るものなく顔を打つ風。

 風音以外何も遠さない耳。


 ――迫り来る地面。


 あわや人知れず脳漿炸裂ボーイになる直前、地面にあわや接吻する距離で、クンとその体は急停止した。


 気づかないうちに止まっていた息が、その肺から吐きだされる。

 それに遅れて熱を持った汗が、体中の毛穴から吹き出るのを知覚した。


「――おい、馬鹿かおめーは?」


 そんな声と共に今度はグンと、足首を起点にシトラスの体が半回転する。

 この時になって初めてシトラスは、足首を誰かに掴まれていたことに気がついた。

  

 地面を踏みしめた足がたたらを踏む。


 なんとか踏ん張って、シトラスが息荒げに視線を上げた先には、一人の女子生徒の姿があった。


 すらっとした長い手足。肌の露出が目元以外一切ない服装。

 大きな銀色の瞳を除いて顔全体が大きなスカーフで隠されている。そのスカーフの内側でわずかに黒髪がのぞいている。また、その肌の色は褐色であることもうかがえる。


 その服装はスカートではなく、ズボンを着用しているが、それでいて女性とわかる体の凹凸。

 ローブの下のタイトな服装は男性にはないシルエットは腰のくびれと、胸部と臀部の丸みを主張している。胸には黄色に輝くブローチ。


 スカーフの間から覗く切れ長の大きな瞳には蔑みと呆れの感情。


「あ、ありがとう。ぼくはシトラス。君は?」

 乱れた息のまま、感謝と名乗りを上げたシトラスに、

「あたしはライラ。騒がしい風だと思って起きてみれば……あたしの昼寝している下で自殺なんて目覚めがワリィだろ……おまえ何していたんだ?」

「木の上に誰かいると思って、それがどんな人か見てみたくて。そしたらライラ、君だったんだね!」


 シトラスより頭一つ分ほど高い背丈を少し屈めて、覗き込むようにシトラスに迫るライラ。


「ほぉー、人族で樹上のあたしに気づいていたのか」

 感心した様子でシトラスの全身を見た。

「人族、って言うってことは、ライラは違うんだよね? どこの種族?」

 彼女の後ろでゆっくりと揺れている尻尾を覗き込んだシトラスが問いかけると、

「あたしは猫人族だよ。あたしたちは高いところが好きなんだ」

 シトラスはクラスメートの気ままな猫人族を思い浮かべながら、

「猫人族かー、ぼく猫人族は好きだよ」



「あ"んッ!?」



 猫人族の隠形を見破ったことに感心している様子であったが、シトラスの何気ない発言に、彼女の眉間にしわが寄り、見るからに彼女の纏う空気が変わった。


 この時のシトラスは知らぬことであったが、先日のカルバドスの発言でのあったとおり、愛玩動物として獣人族を手元に置きたがる人族は多く、特に見た目が麗しい猫人族にとって、各地で多発する望まぬ人身売買や隷属は種族全体の悩みの種であった。

 かく言うライラが目元以外を隠す理由も、種族や容姿によるいざこざを防ぐためであった。


 静かに、静かにゆっくり彼女の踵が浮き、足の指先が地面を掴む。

 猫人族の誇りを傷つける一言がれば、いつでも目の前の人族をぶちのめせるように。


「――ぼくの同級生にも猫人族がいて、もっと仲良くなりたいんだけどどうしたらいいかな? 猫人族のこと全然知らないから教えてほしい」


 浮いた踵が大地に静かに接地する。

 シトラスの回答にライラは毒気を抜かれた様子である。


「変わった人族だな。私はお前たちの言う亜人だぞ?」

「……それが?」


 目の前の人族の返しに対して、驚きでその瞳が見開かれた。


 人族以外の種族を亜人と呼称してはばからない人族。


 人族が治める王国では、ほとんどの亜人に人権がない。

 かつては、部族を上げて人族の専横に反抗した者たちもいたが、歴史の中で残らず打ち滅ぼされ、そのほとんどが奴隷に身をやつすことになった。


「おまえ、変わったやつだな」


 その大部分が隠された彼女の顔だが、それでもその顔がほころんだことがわかった。

 まだまだ心を許せるわけもないが、同胞と仲良くなりたいという者を邪険にするほど、彼女は狭量ではない。


 ただ、ライラは誤解しているが、ただ単純にシトラスは王国での亜人の扱いを知らなかった。普通であれば家庭で教えられ、学園生活を通して扱い方(・・・)扱われ方(・・)を学ぶ。

 しかし、ロックアイス家含む辺境領では差別の意識は低く、また各教室に意図的に振り分けられた亜人種だが、シトラスのクラスだけは初日のシトラス、というより暴力(メアリー)という抑止力の影響でそのあたりの事情に疎かった。


「答えられるかはわかんねーけど、あたしらの何が知りたい?」

「えーっと、じゃあ食べ物って何が好き?」


 シトラスの質問に少し考えた様子を見せたライラは、

「あー、人にもよるが、やっぱり肉だな。魚も好きだがやっぱり肉だ。あと調味料が強いのは苦手だ。人族が好む薬草みたいな調味料、ありゃあ、あたしらには毒だ。あと食べ物じゃないが水。お前らは飲めりゃーなんでもいいんだろうけど、あたしらは水には敏感だから魔法で作った水なんて飲めたもんじゃねぇ」


 『水』という回答に目を丸くするシトラス。

 彼にとって、彼ら多くの人族にとって水は、ただの水である。飲料に適しているか、それ以外かという認識であった。


「水って、お水だよね? そんなに違うの?」

 不思議に思うシトラスにライラは、

「違うな。ん-、例えば魔法でお前の魔法で水を生み出したとして、その水の味はお前の味がするんだ……お前たちで例えると他人の肌を直接舐めている感覚が近いかもしれない」


 他人の肌を直接舐めるところを想像するシトラス。

 姉やヴェレイラ、メアリー、それにブルーに対してならできなくもないな、などと見当違いなことを考えていた。


「どんな水が美味しいの?」

「一番は精霊水。次に森の泉、大地の湧き水、かな。中でもアニマの森のものは別格だ。人によっては川と川の合流地点の混ぜ合わさった瞬間の水が最高、なんてのもいるけどな」


 人の飲み物の趣向が違うように、猫人族の水の好みを千差万別の様子。


「その精霊水って?」

「精霊水っていうのは文字通り精霊が直接作った水。あたしは希釈したものしか飲んだことないが、あれは美味かったなぁ……」


 遠い目をして思い出に馳せるライラに対して、水を希釈する、という内容に頭にクエスチョンマークを浮かべて小首を傾げるシトラス。


「こほん、まぁとにかく精霊水は学園じゃまず手に入らねぇから肉……。あとは、ここではあたしら肩身が狭くて食事もおちおち食べてらんねぇと思うから、飯食うときに立場ある者が守ってくれると嬉しいと思うぜ」

「立場ある者……わかった、まかせて!」


 少し思案した様子のシトラスだったが、何か思いついたようでライラに礼を言うと、その場を後にした。


 ◆


 翌日のお昼時。


 シトラスはブルーを誘って、食堂に足を運んでいた。


 昼時の食堂は喧騒に包まれているが常だが、この日だけは違った。

 シトラスたちのあとから入ってきた生徒たちも、そのいつもと違う様子に固唾を飲んだ。


 それもそのはず、普段は俱楽部の塔で食事を済ます――しかも今話題の東のイスト魔法俱楽部――の上位三名、ベルガモット、ヴェレイラ、アンリエッタの三人が、珍しく揃って大講堂に現れたのだ。

 ベルガモットの覇気と、ヴェレイラの体の大きさは人目を引いて憚らない。


 その眼前には、可哀想なくらいに小さくなって料理に手をつける猫人族、ブルーの姿。


 カタカタと震える手でスープを啜るブルーは、生きた心地がしなかった。

 口に運んだスープの味もわからない。


 彼女がその手を止めると、隣に座るシトラスが甲斐甲斐しく料理を口元に運んでくるが、それはそれで眼前の圧が強まるので心底やめて欲しかった。


 向かって左側に、柔和な顔を浮かべている茶髪まじりの金髪の美少女。

 優し気な笑顔を浮かべているように見えるが、ブルーの本能は彼女が自分を値踏みしていることを知らせた。


 次いで、向かって右側の席には、人族にしては信じられないくらい大きな美少女。

 その身長差を考慮しても肉付きのいい体だが、それはそのまま肉弾戦の強さを意味する。


 そして向かって正面。シトラスに似た金橙色に一房の赤髪をもつ美少女。

 この美少女が一番ヤバイ。

 先日助けてもらったときは、不思議となにも感じなかったが、今日この場で視線が重なった瞬間にわかった。わからせられた。目の前の女性には逆らってはいけない。恐怖で座っている座席に尻尾が絡みつく。メアリー以来のこの感覚。


 シトラス曰く、シトラスの姉とその友人たちだそうで、ブルーがゆっくり食事をとれるように呼んできたとのこと。


 カーヴェア学園が誇る王国最強候補の七人。

 眼前の三人のうち二人は七席を表す赤、残る一人も七席に迫る橙色。


 ブルーは誰だかわからないが、シトラスに余計な入れ知恵をして、この状況を作り出した人物に猫パンチを喰らわしてやりたかった。


 ブルーはこの日の食事にいつも以上に時間がかけたものの、なんとか食べきり、次からは絶対一人で食べようと決意したが、

「あまり私のシトの手を煩わすなよ」

 とベルガモットが食事の去り際に、彼女の耳元で囁いたことで、そんな決意なんていうものはどこかに飛んで行った。


 ただその後の教室で、ブルーは次からはシトラス、メアリー、ミュールの四人だけで食べたいと説得するのに、たどたどしくも全力で苦心することとなった。




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