十九話 魔法倶楽部と友達と
シトラス、メアリー、ミュール、エストの四人は食事を済ませると、ヴェレイラに先導されて、大講堂を後にする。
五人の向かった先は、城内の四方の角に位置する塔の一つ。
所有するは魔法俱楽部、イスト魔法俱楽部。
下から見上げると、その塔の中の構造までは把握できないが、窓の様子から少なくとも四階以上あることが伺える。
シトラスは感嘆の声を漏らしながら、目の前の倶楽部塔を見上げた。
「ここが私たちの倶楽部のホーム」と、振り返って説明するヴェレイラに期待顔のシトラス。
対照的にエイトの顔は、大講堂から歩みを進めるたびに悪くなり、今や土気色だ。
先ほどからしきりに脇腹をさすっている。
ヴェレイラが塔の正面扉を開けて、少し身をかがめて入っていく。
彼女のその背中に従い、入室する四人。
入室した先では、思い思いに過ごす倶楽部生たちの姿。
脱力してソファに寝そべっている男子生徒や、暖炉の前でロッキングチェアに揺られて夢うつつの男子生徒もいれば、部屋の中央の机に山積みにされた本の前で黙々と本を読む眼鏡の女生徒や、本を読み進める女生徒の対面のソファに複数人で座って議論に拍車をかけている女子生徒もいる。
一見するだけでも、うん十人という生徒の数。
入口の近くのソファに寝そべっていた男子生徒が、ソファからはみ出した頭で入室してきた五人をその反転した視界に収めた。
すると、それまでの怠惰な様子が嘘のようにソファから立ち上がり、すぐさま声を上げる。
「あッ! おかえりなさいませッ。ヴェレイラ様」
その声は決して大声ではなかったが、その言葉を引き金に室内が静まり返る。
今や室内の視線は、ヴェレイラとその後ろの四人に釘付けだ。
読書をしていた女子生徒も顔こそ開いたページに向かっているが、その視線はしっかりと入口に向いている。
「ヴェレイラ様。失礼ですが、後ろの者たちは?」
室内を代表するかのように、一人の男子生徒が立ち上がってヴェレイラに歩み寄ってきた。
「私のお客様。上に連れて行くから気にしないで。シトついてきて」
近づいてきた男子生徒をいなして階上へ歩を進めるヴェレイラ。
俱楽部生以外の生徒を階上に連れて行くと聞き、彼女の言葉に反して室内の生徒はシトラスたちの存在がますます気になっている様子。
ちいさなざわめきが生まれていることを気にも留めず、ヴェレイラに連れられて四人は二階に上がった。
二階の半分は一回からの吹き抜け構造になっているため、階下の様子がよく見える。
階下ではシトラスたちの話で静かに賑わっていた。
二階の奥に位置する部屋。
ヴェレイラが、同階の他の部屋より明らかに広い部屋の扉をノックすると、ややあって扉がひとりでに開いた。
ヴェレイラの後ろで、シトラスは懐かしい風がそよぐのを感じた。
踏み入れた部屋には、既に二人の少女が椅子に腰かけていた。
二人の少女は、腰かけていた椅子から立ち上がって、五人を迎え入れた。
「戻ったよベル。あっ、アンリも戻っていたんだ」
先に言葉を返したのは、茶髪混じりの金髪の少女。
「えぇ、ベルの弟くんを招待すると聞いてそれはもう慌てて戻って来たわ」
と、冗談めかして奥ゆかしく笑う。
その碧眼は内心を表すように爛々と輝いている。隣でいらんこと言うなよ、とでも言いたげな視線を送るのはシトラスの姉のベルガモット。彼女のくすんだ金髪の中に煌めく一房の赤がふわりと揺れた。
「とてもお久しぶりですわね。シトラス。私のこと覚えてらっしゃる?」
「もちろんです。アンリエッタ・イスト・フィンランディア様」
と恭しく頭を下げるシトラスに対して、アンリエッタは微笑みかけながら、
「学園ではもう少し砕けて接して下さい。そうですね……気軽にアンリ、とお呼びください」
言葉通りに砕けたシトラスは、
「わかったよろしくアンリ」
と朗らかに笑った。
エイトは目の前の少女がフィンランディアの次期当主を前に、ますますストレスを感じ、お腹を庇うように軽く体を曲げた。
フィンランディアの次期当主に対して、あまりに気軽に接するシトラスに、エイトと同じく一歩後ろで控えていたミュールが、シトラスの袖を引く。
「おい、シトッ――」
しかし、それを制したのは他でもないアンリエッタであった。
「かまいませんよ。私がそれを望むものです」
口元を隠して心底おもしろそうに笑うアンリエッタ。
彼女は実際に気にも留めなかった。むしろ、彼女が望んだとは言え、実際に気軽に接するシトラスに好意的な視線を送っている。
ミュールは何か言いたそうな顔をしたが、立場を弁えて再び一歩下がった。
「それで今日はどうしたの? 俱楽部に入る気になった?」
アンリエッタの質問に、ヴェレイラが口を開いた。
「あ、ごめん。今日はシトに俱楽部を見学させてあげようと思って連れてきたの」
「見学……見学……ね……。わかったわ。ただし三階までにしてねレイラ」
少し考える素振りを見せたアンリエッタだが、条件付きで許可を出す。
「わかったわ」
その後、四人はヴェレイラに連れられて、塔内の様子を見て回った。
荷物を受け取る配達室、魔法を試す研究室。魔法生物を育てる飼育室などなど。中には料理部屋なんて部屋まであった。
ヴェレイラによると、代々の倶楽部の幹部のたちの名残で、また、基本的に一部員は許可なく二階以上に立ち入ることが許されず、ほとんど部員の俱楽部活動のほとんどは一階で完結するそうだ。
その一階には交流を育む大広間、座学に励む学習室、実技を磨く決闘室。
説明のために各部屋に訪れる度に、周囲の部員がそわそわしていた。
平民という出自とこれまで無難な学園生活から、視線を集めることに慣れていないエイトは汗が止まらなかった。
一時間ほどかけて、一階から三階までの施設の説明を終えると、二階の応接室に戻って来た五人。
部屋に戻ってきたシトラスの塔内を楽しんだ様子に、表情が緩むベルガモット。
ベルガモットがアンリエッタに視線を送ると、彼女は視線に頷いて一歩前に踏み出す。
「手短に話すわね。単刀直入に言うと貴方達を私たちの俱楽部に迎えいれるわ。シトラスもいい? 貴方は一度断ったと聞いているけど」
アンリエッタが伺うようにシトラスを見つめた先では、少し悩んだ様子のシトラス。彼女は入部を後押しをするように言葉を添える。
「俱楽部に入ればもっと早く強くなれるわよ。それにベルの弟だもの。きっとみんなよくしてくれるわ」
「……わかった。入るよ」
シトラスに言葉に、アンリエッタは華が咲いたような笑顔を見せ、
「まぁ嬉しい! じゃああとは体裁ね。シトラスはベルの推薦枠。ベルのもう一枠はレイラに使っちゃったからミュールとメアリーは私の枠ね……貴方は?」
アンリエッタの視線がエイトを捉える。
「えッ、あッ、あッ、えー、お、おれは、いやッ、わ、わたしはッ――」
今気づいたとばかりに目をパチパチさせて、シトラスの背後に視線を送るアンリエッタ。
「貴方は誰?」
部屋の視線がエイトに集まる。これにはたまらず、エイトはついに床に膝をついて胃の中身をぶちまけた。
シトラスとミュールの慌てた声が室内に響く。
「だ、大丈夫!?」
「おいッしっかりしろッ!」
床にうずくまるようにして、えずくエイトをシトラスとミュールが介抱する。
「えっーーーーと……これは私が悪いの?」
ぽかんとした表情で、最後のトリガーを引いてしまったアンリエッタが申し訳なさそうに呟いた。
その横で恐ろしいくらい無表情なベルガモット。
ヴェレイラは部屋を出て、二階のヘリから階下の生徒に掃除道具を持って上がってくるように伝えた。
すぐさま掃除道具を持って階下から駆け付けた四人の生徒が、エイトが床にぶちまけた吐瀉物を片づける。掃除を終えると、頭を下げて退出する生徒たちだったが、どの顔もその好奇心を隠せてはいなかった。
エイトが落ち着くのを待って会話を続ける。ただ、口を開いたのをエイトではなくシトラスであった。
「彼はエイト。ぼくの友達だ。彼も倶楽部に入れてあげてよ。ね? エイト一緒に頑張ろう」
今だ顔色が悪いエイトを励ますように笑顔を見せるシトラス。
「友達? それは――」
眉を顰めるアンリエッタであったが、
「いいだろう。エイトと言ったな。お前はレイラの推薦枠だ」
アンリエッタの言葉を遮って許可を出すベルガモット。
一瞬険しい表情を浮かべたアンリエッタであったが後輩の手前。瞬き一つする間に、その眉間の隆起は収まっていた。代わりに張り付けた笑顔を浮かべて。
一瞬の間が空いたが、ベルガモットはアンリエッタの笑顔を黙殺して、四人に寮への帰宅を促した。
寮の近くまで送っていくね、と言うヴェレイラの申し出を受けて、四人はイスト魔法俱楽部の俱楽部塔を後にした。
「これからこの俱楽部塔へは、いつでも好きなときに来ていいからね。何かわからないことがあれば、私かベルに気軽に聞いてね。あとこれから|手袋を(・・・(拾わないでね?」
ヴェレイラの後ろでアンリエッタが「私に聞いてくれてもいいのよ?」と頬んだが、それを彼女は黙殺した。
「さぁ、行きましょう」
シトラスは差し出されたその大きな手をゆっくりと握りしめた。
◇
その日からシトラスたちは、授業以外ではイスト魔法俱楽部の塔へと通い詰めるようになった。
当初エイトだけは、気後れしてなかなか顔を出そうとはしなかったが、そのことを少し気にかけたシトラスが姉に相談したところ、エイトがひっそり中庭で素振りをした所に現れたベルガモットの「来い」の一言で、この問題は解決した。
その際の彼の顔が真っ青だったことは言うまでもない。
シトラスはベルガモットとヴェレイラに可愛がられ、瞬く間に俱楽部の羨望を一身に集めることとなった。
アンリエッタの輝石の色も赤の手前の橙。
四門の嫡子である彼女もまた、ポトム王国中の珠玉が集まったカーヴェア学園でほんの一握りの秀才であり、ときおり座学の面倒を見ることがあり、それに拍車をかけた。
その存在を快く思わない者もいないではなかったが、概ね先輩方の反応は好意的で、シトラス以外の一年生の倶楽部生がまだいなかったことも相まって『弟くん』というマスコット的な扱いに収まった。
好意的な理由としては、シトラスの周囲にいるとこれまでになかった俱楽部の幹部と話す機会が生まれ、運がよければ鍛錬を共にし、カーヴェア学園の最高峰から助言をもらうことができたからである。
ベルガモットは、弟に打算的な友人は相応しくないとのことで、姉弟関係については箝口令をしいた。
しかし、ひと月もすると、どこからかシトラスの存在は徐々にカーヴェア学園内で知れ渡り、各々の野望の下に、シトラスの様子を伺う上級生も出始めた。中でも厄介なのが七席の座を狙う輝石が橙色の生徒たちである。
評価や成績と言うものが相対的なものである以上、そのポストには上限がある。
つまり、全員が上の輝石に上がることが出来るという訳ではないということである。それは上の色に行くほど顕著であり、それゆえに生徒の大部分の者は、黄色か緑色の輝きと共にカーヴェア学園を旅立つことになる。
魔法俱楽部に向かうシトラスに、昏い視線を送る一つの影。
影は瞬きもせずに、シトラスを食い入るように見つめている。
◆
肌を撫でるように、冷気を伴った風が吹いた。
シトラスたちが俱楽部に入部してから一ヶ月。
新入戦の本選も終え、生徒の多くはさらなる高みに向けて、日夜勉強に励む日々であった。
シトラスたちも例にもれず、今日もすべての授業を終えた後に俱楽部で試験勉強に打ち込み、今は寮の自室に帰るその途中であった。
「シト、ちょっといいか?」
白い吐息と共にミュールは隣を歩くシトラスに切り出した。
シトラスの左前方を歩くメアリーが振り返ってチラリと視線をミュールに送った。
シトラスはきょとんとした顔で、なに? と答えた。
「どうしたの?」
「いや、最近なんか変わったことないか?」
視線を右下に泳がせながら、どこか要領を得ない質問を投げかけるミュールに訝しむシトラス。
「変わった……こと?」
と聞き返しながら首を傾げるシトラスに、
「いや、ないならいいんだ。むしろ、ない方がいい……」
「なに? なんのこと?」
歩調を落とし、今度はシトラスがミュールに尋ねた。
「変わった奴とか変わった出来事とか……」
「……いや特にないけど?」
「……ならいいんだ。なんかあったら教えてくれ」
話はこれで終わりとばかりに、歩調を上げて歩き出したミュール。
「……何の話?」
立ち止まって自身の左を歩くメアリーを見るが、メアリーは首を傾けて、ただその視線を返すだけであった。
◇
ミュールの不可解な質問から数日。
休日を挟んだこともあって、シトラスの頭からすっぽり抜け落ちていた。
放課後の大図書館で、シトラスは一人勉強に励んでいた。
カーヴェア学園の学内であっても蔵書の持ち出しが厳しい。
そのため、シトラスに限らず多くの生徒がレポートや課題を前に、大図書館へ詰めかける光景は一種の風物詩である。
ときおり、あー、やら、うー、やら呻きながら手にした本のページを進める。
角席に座っているシトラスの長机の上には、移動式魔法陣から呼び出した教科書と、大図書館の数冊の蔵書。
シトラスが大図書館に来てから、どれくらいの時間が経っただろうか。シトラスは同じ姿勢で凝り固まった筋肉をほぐすように、何度かその首を回した後、大きく伸びをした。
窓からのぞく外の景色は、既にオレンジ色を帯びている。
ぼうっと視線を窓の外に送るシトラス。
「はろ~!」
隣から唐突に掛けられた声に驚くシトラス。
声の聞こえてきた方へ体を向けると、いつの間にかシトラスの横に、ハロルシアンが腰かけていた。
机の上で肘を立て、それに顎を乗せた姿勢で、にししと笑う白髪の少女。
目を丸くして驚くシトラスは、
「……びっくりした。久しぶりだねハロ」
「久しぶりだね~シト。勉強していたんだね~、偉いね~」
いいこいいこ、お姉さんぶるハロルシアン。
「試験勉強だよ、そういうハロは? ハロも勉強しに来たんじゃないの?」
「ん~、そうだよ~」
ぽわぽわとした笑みと共に言葉を返す。
見知った顔を見かけたから挨拶を交わしに来ただけかと思えば、ハロルシアンの白髪に覆われた瞳は、何か探るようにシトラスを見つめており、そのことに怪訝な顔をするシトラス。
「……どうかしたの?」
「噂を聞いたんだ~、シトが俱楽部に~、イストに入ったって噂を~。あれってほんと~?」
探るようにシトラスを見つめるハロルシアンに、
「うん、本当だよ?」
あっけらかんとそれを認めるシトラス。
「そっか~、お姉さんがいるもんね~」
うんうん、と頷くハロルシアンに、
「それがどうか――」
ここでシトラスから視線を切ったハロルシアン。
今度はシトラスが尋ねようと口を広げたその時、遮るようにハロルシアンが再度口を開いた。
「――そう言えば~、シトのお友達の猫人の子~。彼女が危ないかもよ~?」
シトラスの目の色が変わる。
「ブルーのこと? 彼女がどうかしたの?」
「聞いたんだけど~、あの子、中央の派閥に狙われてみたいだよ~?」
「ちょっと待って。中央の派閥? 派閥って四門に関係する東、西、南、北の四つじゃないの?」
首を傾げるシトラスに、ううん、と頭を振るハロルシアンは続けて、
「派閥はね~、学園に大きく五つあるんだよ~。四門に加えて、中央の五つ。中央って言うのはね~。王族派とも言われていてね~、文字通り王族を支持する派閥なんだよ~。彼らは四門のような塔は持たないけど~、四門と同じくらいの規模を誇っていて~、学園内に塔に代わる部屋を持っているんだよ~。四門の塔と違って、その場所は所属する生徒とその卒業生しか知らないらしいんだよ~」
「その中央の派閥がなんでブルーを狙うの?」
「中央はね~、亜人の子があんまり好きじゃないみたいだね~」
ハロルシアンの言葉に眉を顰めたシトラスは
「……なんか嫌な予感がする。ごめん、ハロ。ぼく行くねッ!」
シトラスは、荷物もそのままに立ち上がって席を後にした。
足早に去っていくシトラス、そんな彼の背中を、袖で隠れた手を振って送り出すハロルシアン。
彼女は、指の先まで覆い隠された手を持ち上げると、小さくなる背中に向けて、ひらひらとその手を振って見送った。
◆
それを見つけたのは偶然なのか。運命なのか。
校舎を闇雲に走り回って、ブルーを探していたシトラス。
やがて、彼は一つの教室へと辿り着いた。
その部屋は、シトラスが授業で一度も使用したことがない教室。
だが、その部屋にたくさん人の気配を感じたシトラスは、直感的にその教室に近づくことを決めた。
教室を覗くと、部屋の中には数十人の生徒の姿。
奇妙なことに、その全員が銀髪碧眼である。
否、その中央で戦う一人の少女は、琥珀色の髪に柑橘色の大きな瞳、そして頭には猫耳。
彼女こそが、シトラスのクラスメートであり、シトラスが探していたブルーであった。
彼女は銀髪碧眼の生徒たちに囲まれながら、二人の男子生徒と相対している。彼女と相対する二人の生徒の口元は、加虐的な笑みを浮かべて、下品に歪んでいた。
シトラスの直感は正しかった。
ブルーは疲労困憊の様子で、片目は痣となって腫れ上がっており、さらには怪我をしているのか、片腕を抑えて立っている。
ただ、その眼の闘志だけは衰えてはいなかった。
「ブルーッ!!」
シトラスは彼女の痛ましい姿をその視界に収めると、叫ぶように名前を呼びながら、彼女に駆け寄る。
「シト、ラス……?」
シトラスは自身の登場に驚いているブルーの両肩に手を置く。
「大丈夫!? ブルー。怪我しているじゃないか。医務室に行かないとッ」
すると既に限界だったのか、驚きで緊張の糸が切れたのか、足から崩れ落ちるブルー。
それを慌てて支えるシトラス。
ブルーはいきなりの乱入者に、敵味方の判断がつかないでいる様子である。
敵意こそ見せてはいないが、シトラスに対して、終始その視線には警戒の色が浮かんでいる。
初日にクラスで出会って以来、何かと自身に構ってくるシトラス。
しかし、ブルーは基本的に無干渉、無関心を貫いていた。
「お前、いきなり出てきてなに邪魔しているんだ! ってお前は東の田舎者ッ!?」
ブルーと相対していた二人の男のうち、金髪水眼のキノコ頭の少年が、シトラスの肩を掴んで振り返らせた。と、同時にシトラスの顔を見て、驚いている様子である。
シトラスも、正面から彼の顔を見て、彼は何かとシトラスを目の敵にするフィーブル・アローであることに気がついた。そして、その後ろにいるもう一人の男は、ジェームス・ファンガス。
先月に新入戦の予選試合で、シトラスがフィーブルを負かして以来であった。
フィーブルも新入戦でシトラスに敗北したことを思い出したのか、その顔が憎々し気に歪む。
「おい、フィーブル、ジェームス」
彼らの名を呼ぶ声に、びくりと肩を震わせる二人。
急な乱入者であるシトラスに対して、野次を飛ばしていた外野もピタリと止んだ。
シトラスが視線を送ると、人波が割れる。
そこには女子生徒を左右に侍らした一人の男子生徒の姿。
彼も例にもれず銀髪碧眼であった。
教室内の他の生徒と違うことは彼の胸に輝く羽根のついた橙色に輝くブローチ。
ブローチの羽根は監督生。ブローチの橙色は赤色に次ぐ、二番目の色。
それは、彼が中央派閥の幹部であることを物語っていた。
「す、すみません。カルバドス様!」
ウィーブルにカルバドスと呼ばれた男子生徒は、
「もう少しだったというのに……興がそがれるだろう。さしずめ手負いの獣と、飼い主気取りの新入生? といったところか」
「なんで……なんでこんなひどいことをッ」
この場の主催者であろうカルバドスを睨みつけるシトラス。
「ひどい? 私たちは獣を狩る練習をしているだけだ。そいつらは人の姿を真似した下等生物。我々とは立場が違う。さては、お前は下等生物を愛玩動物として愛でる酔狂な主義者か?」
カルバドスの言葉は、シトラスにはショックなものであった。
知識としての存在であった差別を目のあたりにした瞬間であった。
差別というものは、どこか遠い存在のように思えたがそうではなかった。
シトラスは、差別というものがひどく現実的なものであることを、この瞬間肌身で感じ取っていた。
「下等生物って、なんでそんな……ブルーはそんなんじゃ、そんなんじゃないない! ぼくの友達だ!」
ブルーをカルバドスから守るように彼女をそっと、地面に座らせると背中に隠すシトラス。目の前の悪意に対して、明確に守る意思を見せつける。
それを見たカルバドスは心底不快そうに眉を顰めると、
「ほとほと興がそがれた。誰ぞ、主義者に得物を。フィーブル、ジェームス。その主義者ごと獣を痛めつけろ。周りの者は手を出すなよ。これも余興だ」
部屋の中央でフィーブルとジェームスに向き合うシトラスの足元に、木刀が地面を滑って飛んできた。
シトラスは二人を意識したまま、身を屈めて、投げ込まれた木刀を手にする。
しかし、地面に座っているとはいえ片やブルーは未だに無手である。
手にしながらカルバドスを睨めつけるシトラスは、
「ブルーは? ブルーにも木刀をッ!」
「馬鹿め。武器は知性ある者の武器。力を頼みとする獣を狩る知性の道具だ。そこの獣は獣らしく戦っていればよい」
カルバドスが顎をしゃくって催促すると、フィーブルとジェームスの二人は慌てて動き出す。
彼らのその手には、先ほどまでブルーを痛めつけていたであろう木刀。
じりじりと距離を詰める二人。
シトラスが入学してまだ三か月ほど。
新入生が実践的な魔法をまだ習っていないこの時期。
決闘の内容は魔法学園と言うには泥臭く、そのほとんどが物理的な殴り合いであった。
ブルーの壁となるように前に出たシトラス。
シトラスにとって幸いなことに、二人の個々人の剣術はあまり優れていなかった。
加えて、コンビネーションが出来ているわけでもないこともシトラスたちには幸いした。
二人とも、既に弱ったブルーより、障害になりそうなシトラスを先に排除することにしたようだ
その判断には、新入戦での敗北への復讐も絡んでいることは想像に難くない。
個々人としての単純な剣の技量では、日々努力していることもあり、シトラスが二人に勝っている。しかし、二人がかりの攻撃で、少しずつだが、確かに攻撃を受けるシトラス。
善戦するも次第に体力を失い、時間が経つにつれて、彼らの攻撃を防ぎきれなくなる。
そして、攻撃を防いだ際に、疲労からバランスを崩してついに膝をつく瞬間。
そこに追撃を試みたフィーブルの一撃が、シトラスを襲う。
袈裟切りで放たれたその一撃は、ついに彼のこめかみを直撃した。
鈍い音と共に、鮮血が宙に舞う。
これ幸いと畳みかける二人に対して、シトラスは半ば自棄気味に、彼らの足元に向かって片手で足払いを打ち込むと、油断していた二人はこれをモロに受けて、もんどり打って痛みに悶えることとなった。
しかし、シトラスも追撃に移る余裕がなく、よろめきながら立ち上がるのが精一杯の様子である。こめかみから夥しい血が、頬を伝って地面に滴り落ちる。
立ち上がったものの、受けたダメージが響いてよろめくシトラス。
木刀を杖代わりに、何とか息を整えにかかる。
そんなシトラスの背中を見つめるブルーの大きな柑橘色の瞳が揺れている。
そして、普段そっけない態度を見せる自分の為に、ここまでふらふらになってまで戦うシトラスに言葉が口をついて出てくる。
「な……んで、そこまで? それに友達って……。別に私はおまえのこと友達だなんて……」
背中に投げかけられた言葉に、顔だけ振り返ったシトラスは今できる精一杯の笑顔で、
「ぼくはブルーのことを友達だって思っている。友達が困っているなら助けてあげる。たとえブルーが友達だと思ってなくても、助けて欲しいと思ってなくても、勝手に助けるよ。何て言ったって、ぼくは勇者になる男だからね」
シトラスの心のうちを聞いて、ブルーは彼の考えを心底理解できないとばかりに動揺する。
しかし、そんな彼女にもただ一つだけ理解できたことがある。
それはシトラスが敵ではない、ということだ。
シトラスは、フィーブルとジェームスが未だ立ち上がれないことを確認すると、ブルーの座る後方に下がった。
そして、振り返ったかと思うと、膝をついて床に座るブルーに視線を合わせた
そっとブルーの頬に差し込む手。
左目が自身の血潮でまともに開けない中、残った右目で彼女の瞳をまっすぐに見つめて言った。
「友達も救えなきゃ勇者になんかなれないでしょ」
一方でシトラスの言葉を聞いて、呆れたように笑い出すカルバドス。
「ぷっ……くはははははは、勇者!? 勇者といったか主義者? これは救いようがない阿呆がいたものだな。だが、納得がいく。少し面白くなってきた。世間を知らない、度し難い阿呆が……。ここまで来ると哀れみすら湧く」
カルバドスに同調するように、教室は銀髪碧眼の生徒がシトラスを嘲笑う声で埋め尽くされる。
そんな声に立ち向かうかのように、再度ゆっくりと立ち上がるシトラス。
「勝負だ」
それは剣か夢か。
「フィーブルとジェームス。終わらせろ」
カルバドスの言葉に、脛に受けた痛みから涙を流す二人に向かって、外野からふよふよと人の頭ほど水球が複数飛来する。
飛来した水球が、それぞれの患部を包んだかと思うと、瞬く間に彼らの痛みを癒す。
これが、シトラスが乱入するまで、二対一だったとは言え、驚異的な身体能力をもつ獣人との物理的な戦闘で、無傷でいられた理由である。
立ち向がった二人は、興奮した様子で大股でシトラスに迫りよる。
剣を構えるシトラスだが、既に視界の半分はなく、体幹もおぼつかない。
数でも、状態でも、援護でも負けている。
振り上げられた木刀。
意地で振り下ろされた一撃をなんとかしのぐも、そこから態勢を立て直せない。
シトラスを除く教室内の誰もが、ブルーですら二人の勝利を確信していた。
――と、次の瞬間。
廊下側の窓ガラスが、けたたましい音と共に砕け散って宙に舞う。
その範囲内に腰かけていた生徒たちから、悲鳴が上がる。
振り上げた木刀もそのままに、振り返って固まるジェームス。
窓ガラスに続き、間髪いれずに吹き飛ぶ教室の前の扉。
教室にいたほとんどの者が、なにが起きているのか理解できていなかった。
そんな空気の中、教室に足を踏み入れた一つの影。
柔らかい髪質でくすんだ金橙色の金髪。そして、一房の赤。
全てを見透かすかのような浅葱色の切れ長の瞳。
百人が百人美少女と答えるその容姿。
「だれかと思えば風の王。珍しいな。何の用だ」
シトラスの姉、ベルガモット・ロックアイスであった。
「あ、姉上……」
「姉、だと?」
シトラスの言葉に、初めて驚いた様子を見せるカルバドス。
「私の弟に手を出したのだ。無事に帰れると思うなよ」
「なるほど。猫を狩りに来てみれば、虎の尾を踏んだというわけだ。ウール、マイエンヌ、サルト。――やれ」
カルバドスの号令で、カルバドスの周囲に座っていた生徒たちが、一斉にベルガモットに襲い掛かる。その全員のブローチが色付きで、この時期、それは彼らが学園の二回生以上であるを意味していた。
――鎧袖一色。
ベルガモットに飛び掛かった生徒たちであったが、彼らは瞬く間に錐揉みしながら教室の隅に飛ばされていく。
彼女に指一本触れることなく戦闘不能に陥った先輩たちを見て、恐れ慄くフィーブルとジェームスは、恐怖のあまり固まっていた。
ジェームスのかかげた木刀が、その手から滑り落ちる。
男女共に貴人には美人、整った容姿の者が多い。
とりわけ美人と評判のベルガモット。
美人の怒った顔には迫力があった。
もとより女性の中では長身の部類であるベルガモット。
しかし、シトラスの前に立った彼女は、その身長以上の迫力があった。威圧感と言ってもいい。
彼女が一瞥をくれると、腰を抜かすフィーブルとジェームス。
圧倒的な格の差であった。
ベルガモットに突如飛来した拳ほどの水球。
腰を抜かした二人の背後から、目にもとまらぬ速さで飛来する水球体。
しかし、そのような一撃もベルガモットに触れることなく、たちどころに宙で霧消した。
腰を抜かしている二人は気にも留めず、水球が飛来した方角、彼らの背後に座るカルバドスに冷たい視線を向けた彼女は、
「カルバドス。この場で本気で私とやりあいたいか?」
見るとカルバドスが右腕を上げて、掌をベルガモットに向けていた。
誰が水球を放ったのかは明白であった。
ベルガモットの登場に、初めて傲慢な態度を崩したカルバドス。
その額には、一粒の雫の珠が浮かんでいた。
カーヴェア学園での実力を示すブローチの片や最上位の赤色、片や最上位に次ぐ橙色。
ぶつかれば激闘必至であった。
にらみ合う二人の間に、ひりついた空気が一瞬流れるが、
「……いや、今はまだ止めておこう」
右手を下ろしたカルバドスは、意識のある生徒に声を掛けると、立ち上がり教室を後にした。
その他の銀髪碧眼の生徒たちも意識を失った生徒に声をかけ、カルバドスの後を追うように教室を後にした。フィーブルとジェームスにいたってはベルガモットから一刻でも早く逃げるように、這う這うの体であった。
彼の背中が教室から見えなくなったことを確認したベルガモットが、シトラスに向き直る。
すると、これまでの鋭い雰囲気を崩し、ベルガモットは心底心配そうにシトラスの肩を抱き寄せた。
「大事じゃないかシト」
「へへへ、でも友達を守れたよ」
ハンカチで患部を抑える姉に、額に汗を浮かべながらはにかむシトラス。
「あぁ、立派だシト。よくやった。今は休め。後は私に任しておけばいい」
「ほ、ん……と?」
瞳が閉じかかっているシトラスを安心させるように笑みを浮かべたベルガモットは、
「あぁ、すぐに医務室に連れて行く」
「彼女も、おね、が……い」
未だ地面に座り込んでいるブルーの方に視線を向けて、力を振り絞ってそれだけ言うと、出血ゆえか頭部へのダメージゆえか、意識を失うシトラス。
――すべて、この姉に任せろ。
落ち行く意識の中、姉の声がシトラスには聞こえた気がした。
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