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ギフテットワン  作者: 0
第四章 戴冠編
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九十五話 光と闇と


 国王マーテルを殺し、双子城から反体制派を駆逐し、体制派さえも追い出した日の翌日。


 王家の数ある寝室の一つ。

 国王(マーテル)の寝室を片付ける時間もなく、渡り用に空いていた寝室を利用していた。


 空き部屋と言えど、王家の関係者が利用する部屋。


 部屋で唯一の豪華なベッドの上でシトラスは、

「頭が割れるようだ……!」


 ひどい頭痛に苛まれていた。

 

 湖を挟んで双子城を囲む湖畔にひしめく軍。

 そのすべてが反シトラスという名目で一致団結していた。


 マーテルを殺して、はい終わり、というわけにはいかない。

 元々は反マーテルの名の下に糾合した軍は、今はそれが反シトラスへと変わっていた。


 対するシトラス側はたったの六人。

 やらねばならぬことは山積みである。


 そのさなかでシトラスは、王城の廊下を移動中に崩れ落ちるように倒れた。

 

 慌てて駆け寄ったバーバラが、

「シトラス様ッ!?」

 シトラスの身を寝室まで運ぶと、その介抱にあたった。


 介抱に平行してすぐさまクリスを呼びつけると、シトラスの異常を検知させた。


 ベッドに横たわるシトラスを慧眼で観察したクリスは、

「祝福、いやこの場合は呪い、でしょうか。誓約魔法と……もう一つ何かいますね(・・・・・・)

 眉を顰めるクリスに、バーバラは、

「何かいるとは?」

 クリスは驚いた様子で、

「……文字通りです。何か(・・)がシトラスに憑りついています。……いつからでしょうか。これまで気がつきませんでした」


 物事の本質を見抜く慧眼でも見抜けない何か。

 クリスはわざわざ明言はしなかったが、それは人の領域を越えていた。


「それは解呪可能な類のものですか? あなたやネクタル学園長なら」

「いや、難しいでしょう……。しかし、シトラスのギフテッドワンなら対応可能のハズです」 

 クリスが首を横に振ってそれに答えた。


 上気した顔のシトラスが薄っすらと目を開け、

「はぁはぁ、わかった……手順を、教えて」


 クリスは頷くとシトラスに説明する。

 シトラスに巣食う何か(・・)と向き合う必要があると。

 そのために、クリスが魔法で心象世界へと送り出すということ。


 隣で話を聞いていたバーバラが、

「私もお供致します」


 しかし、クリスが再び首を横へ振る。

「残念ですが、第三者がこれに介入することはできません」


 バーバラは悔しそうに唇を噛む。


 シトラスは、

「いい、やってくれ」

 朦朧とする意識の中でそう呟いた。






 どこかで一滴。

 雫の落ちる音が聞こえた気がした。


 光の世界にシトラスはいた。


 見覚えのある世界だった。

 そうシトラスが真に勇者になった日に見た世界。


 天との誓約魔法を交わした心象世界。


 世界に声が響く。

 誰の声かはわからない。

 どこから響いてくるのかもわからない。


 ≪汝、何用だ≫ 


 ――お前たちに用があってきた。


 ≪我々にはない。疾く去れ≫


 ――お前にはなくてもボクにはあるんだ。


 光の世界で影が(うごめ)く。


 ≪汝、その影はなんだ≫

 ≪汝、何を抱えてここにきた≫


 ――影?


 シトラスの影が爆ぜた。

 光の世界を瞬く間に浸食していく。


 ≪汝、世界を(たばか)るか≫


 ――何のこと?

 そこに別の声が響いた

 ≪人の世は人が作ル。お前たちにはここで退場してもらおうカ≫


 新たな声はシトラスから響いていた。


 世界に響く声が大きくなる。

 ≪汝、我々に逆らって無事でいれるとでも≫

 ≪汝、そのすべてを奪い取ろう≫

 ≪汝、汝汝――≫ 


 闇が天へと昇っていく。


 ≪汝、愚かな≫


 世界が闇に覆われていく。


 ≪ナ――ワ――見て――≫

 ≪闇――ぜ――ウ――後悔――イ≫

 ≪――――いつま――見て――ゾ≫


 世界が闇に閉ざされた。


 ただシトラスの体が闇に浮き上がった。


 闇の中でシトラスは振り返る。

「それで――ボクの中にいるお前は誰だ?」


 闇に白の瞳が浮かび上がる。

 白一色の瞳。その瞳が浮かび上がっていた。


 ≪ククク、いつから気がついていたのダ? 待ちわびたゾ≫


 瞳が上機嫌に弧を描いて揺れる。


「質問しているのはこちらだ」


 ≪ククク、オレはそうだナ……ゼツボウ、とでも呼んでもらおうカ≫


「絶望? たいそうな名前だね」


 それを聞いて、いい名だろウ、とゼツボウが言葉を返した。


「それでゼツボウ、お前はボクに何を求める?」


 シトラスの物言いにゼツボウが目を細め、

 ≪勘違いするナ。オレが求めるんじゃなイ。オマエがオレに求めるんダ≫


「何を――?」


 白い瞳がシトラスの周りを揺蕩(たゆた)いはじめる。


 ≪オマエはオレ。オレはオマエ。オレはオマエの裏。オマエはオレの表。離れることはできなイ≫


 シトラスの周りを揺れ動く瞳は、煙に巻いた言葉を述べた。


「もう一度問う――お前は誰だ?」


 シトラスの周りをグルグルと回っていた瞳はピタリと止まった。


 ≪ククク、ヒトはせっかちだナ。オレはオマエたちのいう妖精という奴ダ≫


「こんなに禍々しいのが妖精? なんか嫌だな……」


 思わず本音が漏れた。


 ≪失礼な奴ダ≫


 心なしかゼツボウのその声が小さくなった。


 妖精とは草木や花に宿る世界の担い手。

 人と世界の橋渡しとも謳われる存在として王国では長年信じられてきた。

 シトラスも幼少期の寝物語として、母親であるダンシィやバーバラから聞いたことがあった。


 手のひらの大きさの可愛らしい存在を想像していたら、闇にぎらつく瞳がそうだと言う。

 シトラスはまた一つ大人になった気分になった。


「……ボクのもつギフトもお前と関係があるの?」


 ≪さあナ≫


「関係あるんだ」


 ≪さあナ≫


「関係ないの?」


 ≪……さあナ≫


「ありそうだなぁ」


 二人の押し問答はしばらく続いた。


 やがて問い詰めることを諦めたシトラスは、

「ボクが望むのは優しい世界。人種も国も関係のないそんな世界。それを叶えられる力が欲しい」


 ≪ククク、いいだろウ。その強欲、渇望。ならばオレが力を授けよウ≫


 世界を包む闇が黒く光る。


 ≪オマエがオマエの道を()く限り闇が力を与えよう≫


 光は徐々に濃く深くなる。


 ≪オマエの渇望が止まるとき、オマエからそのすべてを奪いとろウ。未来永劫その魂までモ≫


 それがシトラスの体へと巻き付いていく。


 ≪オマエはオマエがまま、オマエの渇望に従い、オレを楽しませロ。オレはいつでもオマエを見ているゾ≫


 世界は(ヤミ)に染まった。


 





 意識が覚醒する。


 再び目覚めたとき、あれだけひどかった頭痛が嘘のように頭はスッキリとしていた。

 

「ボクはどれだけ眠っていた?」

 

 顔を隣に向けると、そこにはバーバラがいつものよう控えていた。


「半日ほどです」

 窓を覗くとすっかり陽は上りきっていた。


「そうか。戦況は?」

「硬直状態です」


 シトラスはベッドから起き上がると、

「追い出した体制派の扱いで揉めているのかもしれないね」

「はい。散発的な長距離魔法が放たれたぐらいで、現状では組織だった行動は見られません」


 双子城の魔法障壁は個人の魔法攻撃でどうこうできる代物ではない。

 散発的な長距離魔法もそれが効かぬと気づくとすっかり鳴りを潜めていた。


 元々が一枚岩でない反体制派。

 そこに我欲の塊のような体制派の貴族を放り込んだらどうなるか。


 双子城への攻撃どころの騒ぎではない。 

 彼らは名目上はマーテルへの反体制派の軍であって、王国への反乱軍ではないのだ。


 一時は敵対していたとはいえ、王城から避難してきた貴族たちを無下に扱うことはできなかった。

 なかでも、高位の貴族の処遇については彼らの大いに頭を悩ませていた。


「クリスはどこにいる?」

「彼女は城壁で王国軍の物見にあたっています。呼びよせますか?」


 シトラスが頷くと、バーバラは風魔法を使ってその声をクリスへと届けた。


 それからほどなくしてクリスが現れた。


「シトラス。無事で何よりです。その様子だと、どうやら調伏できたようですね」


 クリスだけでなく、バーバラも肌でシトラスの変化を感じ取っていた。

 王家に伝わる勇者に関する誓約魔法で、莫大な魔力を手にしていたシトラスだが、今はさらにその魔力が高まっていた。

 何もせずとも、その魔力が伝わるくらいに。


 シトラスは肩を竦め、

「調伏? どうだろうね」

「シトラス?」

「シトラス様?」

 二人が心配そうにシトラスを見つめる。


 ――この二人の感情もきっとボクが作り出したものだ。


 シトラスは(かぶり)を振ると、

「ボクのことはいい。それよりボクに策がある。このままだと負けはしないが、ボクたちが勝つことも難しい」

「こちら側には攻撃手に欠けているからでしょうか?」

「そうだ。それを解消するために、これからボクは学園長に会う。クリスもこい。それにはお前の力も必要だ」

「わかりました。しかし、王国軍への警戒はどうしますか?」


 王城側の物見は慧眼をもつクリスが一手に引き受けていた。


「バーラ」

「かしこまりました」


 バーバラは主人の意図を汲むと、メイド服のスカートの裾を両手で軽く持ち上げ、カーテシーをすると、そのあと窓から飛び出していった。


「……東のメイドはみんな彼女みたいなのですか?」

 

 部屋に残された二人。

 クリスは彼女が飛び出していった窓を見てポツリとそう呟いた。


 ◆


「――面白いことを考えるね、シトラス」


 学園城のネクタルの部屋、学園長室にクリスを伴って訪れた二人。

 シトラスはネクタルに王国軍への策を提案すると、ネクタルは嬉しそうに笑ってそれを肯定した。


「では、明日からよろしく頼みます」

「もう君は王様なんだから、僕に気を遣わなくていいんだよ?」


 丁寧な口調で頭を下げるシトラスに、ネクタルはそう告げた。

 マーテルを弑逆し、双子城を制したシトラスは仮初とは言え王であった。

 そして、これから真に王となろうとする存在。


 シトラスは少し逡巡したのち、

「――明日からよろしく、お願いします……」

 ネクタルは、要練習だね、とカラカラと笑った。


 ネクタルへの根回しが済むと、シトラスはクリスを王城へと先に帰し、自身は校舎から離れたところに独立した建物である魔法生物学の飼育小屋へと足を運んでいた。


 ノックをすると、ややあってから室内から入室を促す声が聞こえてきた。


 シトラスが扉を開けると、部屋の奥からアイリーンが小走りで駆けてくるところであった。

 飼育小屋には拡張魔法が掛けられており、内部は外部からは想像できない広い。


「どうしたのシト? ――私に頼みごと? うん、いいよ? 何でも言って?」


 生活感の漂う方々(ほうぼう)に散らかる茶褐色の髪と同色の瞳を持つ美女。

 そんな美女がその目をハートにせんばかりに抱き着いてきた。


 シトラスは一瞬躊躇(ためら)うも、その髪を撫でてやる。

 方々に飛び散っていた彼女の髪があっという間にまとまりを見せていく。

 そっと腕の中に視線を落とすと、そこでは目をとろんとさせているアイリーンの姿が目に入った。


 シトラスが耳元で囁くように、

「アイリーの魔法生物を借りたい」

「うん。もちろん。どの子がいい? 私たちの魔法生物(こども)だからね。みんな張り切るよ」

 アイリーンは甘えるようにその願いを肯定した。


 シトラスもつ魔力視の魔眼はハッキリと捉えていた。

 自身のギフテッドワンで捻じ曲げられたアイリーンの魔力の波動を。


 アイリーンだけではない。

 バーバラとクリスもである。


 ゼツボウとの契約を経て、彼女たちの魔力に混じる、自身の魔力を感じ取ることができるようになっていた。


 特にアイリーンとバーバラへの魔力への影響は強い。

 反対にネクタルは皆無であった。


 魔力とはその人となりを表す。言わば、魔力とはその人そのものである。

 そこに人の魔力が混じることなど本来はあり得ないこと。


 ミュールを亡くした日、クリスは慧眼で上書きされた人の本質を見た。

 いまのシトラスの魔眼はそれと近しい領域にまで達していた。


 今のシトラスには、自身の魔力を持つ彼女たちが他人には思えなかった。

 弟や妹、子どもといった感覚が近い。

 弟妹(きょうだい)はおらず、育児どころか結婚もしたことがないシトラスであったが、不思議とそういう気持ちになった。


 それと同時に、彼女たちを見ると自分が背負うべき業というものを再認識させられる。

 無意識とは言え、自分の力が他人の在り方を変えてしまったことを。

 

 シトラスはアイリーンの手を引き、部屋の奥へとその歩みを進めていった。


 ◇


 シトラスがマーテルを弑し、イクストゥーラを使って反体制派もろとも体制派を双子城から追い出したその翌日は、大きな戦闘もなく日が暮れた。


 シトラスたちの予想通り、反体制派もとい王国軍は、軍の再編成で攻城どころの騒ぎではなかった。


 シトラスは王城の天守(キープ)に座り込み、対岸の軍とその背後の日没を眺めていた。

 その背後には、バーバラの姿。

 メイド服をピシッと着こなし、機能性を考え短めに整えられた白みがかった琥珀色の髪には頭部上部を覆う白のメイドキャップには一片の汚れもない。


「シトラス様。夜風は体に悪うございます。城内にお戻りになりませんか?」


「なぁバーラ」

「はい」


「ボクのギフテッドワン、知っているか?」

「いえ、存じ上げておりません」


「……ボクのギフテッドワンはさ……”神の手”。魔力に干渉する力があるんだ」


「つまりさ……。いまこうしてバーラが抱いてる感情も、ボクが作り出したものかもしれないんだ。わかる?」

「……わかります」


 顔を伏せたバーバラに、そう、と呟いたシトラスは俯く。


「なんて素晴らしい力なんでしょうか」

「…………話、聞いてた?」


 シトラスの思考が停止(フリーズ)した。

 俯いていた顔を上げ、再起動した脳が言葉を絞り出した。


 視線の先でバーバラの顔は今までで一番輝いていた。

「つまり、私という自我はシトラス様に組み伏せられた、ということですよね?」

「く、組み伏せ? う、うーん。まぁ、捻じ曲げてしまったという意味では、そう言えるのかな?」


 いつもクール然とした頼れる大人。

 言葉の節々に重たい愛を感じるが、キリっとした表情でいるバーバラ。


「素 晴 ら し い」


 その彼女の表情が()けていた。

 恍惚とした表情でその両手を広げた。


「シトラス様はご存知ないかもしれませんが、私は獣人族の血を引いております」

「ん? あれ? バーラは魔人族の混血じゃなかった?」

「はい。魔人族と獣人族の混血児です」

 そう言って、見慣れた頭上のメイドキャップに手を伸ばした。


 ポトム王国ではかなり珍しい魔人族と獣人族の混血児。

 混血児は差別の対象となりやすいが、中でも魔人族と獣人族の混血児は人族に限らず、差別を受けやすい傾向にあった。

 

 頭の白のメイドキャップを取ると現れたのは、

「耳……?」

「はい。これが私たち魔人族と獣人族の混血児の特徴です。私たちには耳が四つあります」


 小さな三角耳が可愛らしくピクピクと動いた。


 これが彼らの特徴。

 頭上に獣人族の耳。側頭部に魔人族の耳。

 これゆえに彼らは”四つ耳”と蔑まれていた。


 この現象は人族と獣人族の交配では決して起こらず、魔人族と獣人族の交配でのみ確認されていた。


「話を戻します。私の獣人族の氏族は狼族。中でも戦闘に特化した戦狼族です」

「う、うん? そうだったんだ。それが――」

「私たちの部族では強さこそ至上です」


 元より人族と比べて、獣人族は腕っぷしの力を重んじる傾向にあった。

 その中でも戦狼族のように”戦”を氏族に関する部族は極めつけである。


 じりじりとにじり寄るバーバラ。

 その目は薄暮れときに爛々と輝いていた。


 シトラスは近衛騎士団と相対したとき以上の重圧を感じていた。


 シトラスは思わず立ち上がった。

 何かわからない。ただ何かものすごい危機を感じていた。

  

「バーラ、止まれッ!」

 考えるより先に、言葉が口を衝いて出た。

 本気の制止である。


 にじり寄っていたバーバラの動きがピタリと止まった。


 そこにはシトラスがよく知る、少し感情表現が重たいがクールな侍従(メイド)はいなかった。

 血走った目で手をワキワキとさせる変態(メイド)がいた。口から少し垂れていた。


「シトラス様。私の長年の奉公における対価のお支払いをお願いしたく」


 シトラスの顔に汗がつたう。

「王城の金銀財宝を好きなだけ持っていくといい」


 バーバラは艶やかに微笑み、自身の顔に手を這わせながら、

「そんなものに興味はありません。シトラス様のお年頃。言わずとも、おわかりでしょう?」

 流し目を送った。


 ゾゾゾと背筋に言いようのない悪寒が走る。


 しかし、シトラスは負けじと、

「その感情もボクがバーラの魔力に影響を与えたからだッ! それは本当のお前の気持ちじゃないッ! ボクがッ! ボクさえいなければ……!」

 思いの丈をぶちまけた。


 これは紛れもないシトラスの本音。

 その力を自覚してからシトラスを苛む自責の念。


 その苦悩をバーバラは一笑に伏し、

「いまシトラス様を愛している私は私です」


 シトラスがバーバラを睨みつけ、

「その気持ちが作られたものだと言っているッ!」


 シトラスはバーバラがわかっていないと感じていた。

 シトラスのもつギフテッドワンの効果を。影響力を。危険性を。


「いいじゃないですか。作り物でも」

「……え?」


 しかし、そうではなかったと思い知らされる。


「私は気にしません。なので、シトラス様も私のことは気にしなくて構いません」

「な、にを?」

(よわ)き私はシトラス様のお力の前に淘汰されたのです。その結果が今の強き私。私はその事実を受け入れています。それに実は私……一度は強き者に組み敷かれてみたかったのです」


 恍惚とした表情でその目は逝っていた。


「まだ小さなシトラス様に指を握られたみぎり、私は感じたのです。私の運命が変わるのを。そして。それはまさに期待どおりでした。シトラス様は私だけでなく世界の運命まで変えようとしています。 もう最高ですッ! 濡れます、はぁはぁ……」


 シトラスは悟った。

 ――ははーん。さてはバーラ。ちょっとヤバイ()だな?


 事ここに至りシトラス()バーバラの人間性に追いついた。

 それと同時にどっと肩の力が抜けた。


 バーバラはシトラスが壊したのではない。元々壊れていたのだ。


 シトラスはこめかみを抑えると、

「バーラがこんな変態(ひと)だとは思わなかったよ」

「……お嫌いでしたか?」


 今になって窺うようなしおらしさを見せるバーバラ。


 シトラスは大きくため息を吐くと、

「そんなことでバーラを嫌いになんてなれないよ……」

「シトラス様ッ!」


 感極まった様子のバーバラは、地面を強く蹴るとシトラスへと抱きついた。


「ば、バーラッ!? ち、ちょっと……!?」


 あまりの勢いに二人の体はそのまま天守の外へと放り出された。


 シトラスが、

「うそ……?」

 遠くなる天守へ目を見開いたのも束の間。


 勢いよく自由落下する二人の体。


「うわあああああ――!」


 ――ば、バーラを守らないとッ!?


 胸に抱きしめたバーバラに回した腕に力が籠る。

「おふ」

 腕の中から珍妙な声が聞こえた気がしたが、そこに気を回す余裕はなかった。


 あっという間に遠くなる天守。

 浮き上がる内臓に、定まらない視点。


 目を瞑ると、全身に魔力を流し、衝撃に備える。


 風を切る音が止んだ。

 浮き上がっていた内臓もまた止まった。

 しかし、予想していた衝撃はなかった。


 シトラスが薄っすらと目を開けると、二人の体は宙に浮かんでゆっくりと降下していた。

 二人の体をバーバラの魔力が包みこんでいた。


 目を丸くしたシトラスは、

「これは……。バーラ、君なんだよね? これは姉上と同じ浮遊魔法?」

「はい。さすがに自由自在に飛び回れる彼女の魔法よりは数段劣りますが」


 バーバラはシトラスの胸元から離れると、その両手を取って指を絡めた。

 二人は両手を握りしめながら、くるくると弧を描いて下降する。


「シトラス様。この先に何があっても私はそばにいます」

「どうしてそこまで……?」


 地上に辿り着いた二人は、絡めていた手を離してそっと地面に足をついた。


「戦狼族は強さと同じくらい約束を重んじる部族です」


 例えそれが口約束だったとしても。

 それは彼らの矜持の問題なのである。


「私は約束しました――私は一生あなたへついて行きます」


 そう言って笑ったバーバラの笑顔は、今まで見た彼女の笑顔で一番輝いていた。


次回作に向けて十月は隔日で短編を投稿しています。

もしよかったら覗いてみてください。

https://ncode.syosetu.com/s3527i/

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