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ギフテットワン  作者: 0
第四章 戴冠編
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九十三話 絶望と怪物と


 光が降り注ぐ心象世界。


 シトラスは一人立ち尽くしていた。


 その世界にはシトラス以外に何もない。誰もいない。

 上を見上げると陽のない光が照らし出していた。


 ミュールが死んだ。


 シトラスは絶望の淵にいた。


 何も考えられなかった。

 何も考えたくなかった。


 希望は絶望へと変わった。


 覚悟を決めたつもりではいた。

 自身の命さえ捧げる覚悟を。


 しかし、そこに周囲の命を捧げる覚悟はなかった。


 すべてを失った。

 故郷も、両親も、友人も、婚約者も、幼馴染も、そしてついには親友さえ。


 人に仇なす者を倒すこと。


 その先で守りたいものはなんだったのだろうか――?

 

 シトラスは瞳を閉じて、耳を防ぐと、その場で膝を折った。

 もう何も見たくない。もう何も聞きたくない。


 世界に影が差す。


 シトラスは白い闇の中にいた。


 塞いだ心に声が響く。


 ≪ナガカッタ≫


 背後の闇から声が聞こえる。

 

 ≪ココマデ長イ道ダッタ≫


 自分であって自分じゃない存在。

 

 ≪オ前ノ(タメ)ニ皆死ンダ≫


 闇が心の柔らかい部分へと囁く。


 ≪コレガオ前ノ望ンダ結末≫


 ――違う。こんな結末……望んでなんか、ない……。


 ≪デハ誰ノセイダ?≫


 ――誰でも、ない。ぼくのせいだ……。ぼくが弱かったから……。


 ≪本当ニソウカ?≫

 

 ――そうだ。


 ≪コレヲ見ロ――人ノ悪ヲ≫


 世界が歪むと、シトラスはその歪みに飲まれていった。


 ■ ■ ■


 謁見の間では、王が叫ぶ。

「殺せッ! 儂に逆らうものはすべて反逆者じゃ!」

「や、やめてくだ――」


 場面が切り替わる。


 どこかの戦場では、男が組み伏せた女性に手を伸ばす。

「奪え! 犯せ! 殺せ!」

「いや、やめっ、いやぁぁああ――」


 場面が切り替わる。


 地下世界では、男たちが赤ら顔で(さかずき)を交わす。

「貴族サマが地上で殺し合ってるらしいぜ」

「俺たちには関係のない話だな、ガハハハ――」


 場面が切り替わる。


 薄暗い部屋では、通信魔具を通じて密談が行われる。

『裏切りの対価、この金額でいかがでしょう?』

「ふふ、いいでしょう――」


 場面が切り替わる。


 最前線では、狂気が何度も刃を駆り立てる。

「死ね死ね死ね」

「がっは……か、母さん――」


 場面が切り替わる。


 宝物庫では、私欲に走ったものが凶行に及ぶ。

「お前たち何をしている!?」

「うるせーッ! 金だよ金――」


 戦場の裏では、笑う者がいる

「ふふふ、血を肴に飲む酒はうまい」

「ささ、もう一献――」


 場面が切り替わる。


 戦場から逃げた地では、民が兵に牙を剥く。

「た、助けて」

「死ね――」


 場面が切り替わる。


 戦火の及ばない地では、民が笑う。

「この機会に貴族がみんな死ねばいいのに」

「はは、確かにな」


 場面が切り替わる。場面が切り替わる。場面が切り替わる。

 場面が切り替わる。場面が切り替わる。場面が切り替わる。

 場面が切り替わり続ける――。 


 目を背けることは許されない。

 脳に直接流れ込んでくる映像たち。

 そこから聞こえる悲鳴と怒号、そして嘲笑。


 ――やめて、やめて、やめて――ヤメロォォオオッッ!!


 ■ ■ ■


 世界が逆向きに歪むと、シトラスは心象世界に再び戻ってきた。


 十分であった。人の悪意を知るためには。

 まざまざと見せつけられた悪意。

 人の悪意には限りがなかった。


 人という巨悪。

 

 勇者の掲げる勇気は、巨悪には届かなかったのか。

 ――違う。勇気が足りなかったのだ。


 嫌われる勇気が。

 憎まれる勇気が。

 全てを捨てる勇気が。


 その中途半端な勇気が世界(シトラス)を壊した。


 ――一人になるのが怖かった。

 

 その結果が、今のこの孤独(ヤミ)


 振り返ると己の闇と向き直る。


 己の闇を見つめた。

 ――これで終わりだと。


 己の闇が見つめた。

 ――これが始まりだと。


 シトラス・ロックアイスの掲げた物語(ゆうき)はここで終わりだ。


 ここから新たな物語を始めよう。

 人が醜く争わない物語を。争いのない世界を。

 

 世界が争いを望むのであれば、その争いごと飲み干してみせよう。


 もう迷わない。もう悩まない。もう悲しまない。

 

 すべてはボクの前に平等になる。


 ボクが魔法のありふれた世界で――すべての王になる。


 ――名前のない怪物が絶望の中から産声を上げた。






 意識が浮上する。


 目覚めた先にあったのは、豊かな双丘。

 そして、その奥には懐かしい白みがかった琥珀色の髪が見えた。


「おはようございます」

 

 髪と同じ白みがかった琥珀色の瞳が優しく、弧をえがいた。

 その頭上にはトレードマークの白のメイドキャップ。


「……バー、ラ?」

「はい。シトラス様の専用侍従のバーバラでございます。お久しぶりでございます」


 幼少期からシトラスの理解者がそこにいた。

 気を失っていたシトラスは屋上テラスでバーバラに膝枕されていた。


 そのすぐ脇ではジェーンが身を丸くして眠っていた。


 シトラスが身を起こすと、周囲は何も変わっていなかった。

 荒れた屋上に、冷たくなった親友の体。


 シトラスは身を起こし、立ち上がった。


「シトラス様。まだご無理は――」


 その先の言葉は視線で黙らせる。

 そこにいたのは、バーバラが知るシトラスではなかった。

 太陽のような優しげな輝きは消え去り、月のような冷たい輝きがそこにはあった。


 バーバラの背中を電流が走った。


「ボクにはやることができた。もう立ち止まらない」

 

 その顔はもうバーバラが知っていたあどけない主人の顔ではなかった。

 覚悟を決めた男の顔がそこにはあった。


 バーバラは唇を引き締めると、

「内容をお尋ねしても、よろしいでしょうか?」


 シトラスの体から溢れ出た魔力がバーバラの髪をたなびかせた。

 バーバラはその衝撃に目を見張る。



「ボクは王になる。この世界の王に」



「……本気でございますか?」


 バーバラは唾を呑んだ。


 荒唐無稽な話である。

 落城寸前の王城で、すべてを失った勇者が吐いた言葉。

 気をやってしまったのかと言われても不思議ではない。


「あぁ、逆らうならバーラ――オマエでも殺ス」


 しかし、そう言わせない迫力が今のシトラスにはあた。

 

 バーバラへ注がれるのは、まるで路傍の石を見るような温かみのない視線。

 もう一度、その覚悟に疑問を挟めば、その力が躊躇なく振るわれるだろう。


 シトラスから初めて向けられる殺気に、ゾクゾクと背中を震えさせた。


 恐怖? いや、彼女の中でもたげたその感情は――歓喜であった。


 バーバラは恍惚として表情で、

「世界の果てまでお供します」

 跪いて頭を垂れた。


 いつの間にか目を覚ましていたジェーンが、

「ジェーンも! ジェーンも!」

 立ち上がってぴょんぴょんと跳ねる。


 バーバラも立ち上がると、

「これを……」

 一冊の本をシトラスへ差し出した。


 バーバラから差し出された本は、魔導禁書”鬼哭蒐集(きこくしゅうしゅう)”。

 ここに来るまでに通路に落ちていたこの本をバーバラは確保していた。


 バレンシアの手を経て、異端審問官との戦闘の中で手放していた魔導禁書が、シトラスの下へと再び帰ってきた。


 奇妙な因果を感じずにはいられなかった。


 シトラスは差し出された”鬼哭蒐集”を受け取ると、

「<鬼哭蒐集>ミュール・チャン」

 シトラスの遺体を、その魔導禁書の中に封じ込めた。


「ミュール。そこで見ていてくれ。お前の親友の王道を」


 シトラスの遺体を封じ込めた魔導禁書を閉じたとき、屋上テラスへと一人の人物が姿を現した。

 

「シトラスッ!」


 飛び込むように屋上テラスに現れたのはクリスだった。

 涙と鼻水でその綺麗な顔が台無しだった。


「クリス」


 端正な顔をくしゃくしゃに歪めて。

「ごめ、ごめん、なざい……! そんな、そんなづもりじゃ、ながっだんでずッ!」

 叫ぶように謝るクリスに、

「……いいよ。もう」

 シトラスの声は冷たかった。


「み、ミュールは?」

「死んだよ」


 シトラスが淡々と吐き出した言葉に、クリスは息を呑んだ。

 再び堰をきったように滂沱の涙がその頬をつたう。


 クリスは理解していた。

 自身の一言が友人の命を奪ったことを。

 目の前に立つ男から親友を奪ってしまったことを。


 シトラスは泣きじゃくるクリスへと歩み寄ると、

「それよりボクはこれからマーテルを討つ。お前はどちらに立つ?」

 ハンカチを差し出した。


 クリスはハンカチを受け取ると、

「お、お父様を討つ、いまこの状況でですか? は、反体制派につくのですか?」

 目元を拭い、鼻をかんだ。

 

 シトラスは冷え冷えとした視線で、

「勘違いするな。反体制派も討つ」

「シトラス?」


 涙を拭ったクリスの視界。

 さきほどまでは涙で滲んで見えなかった世界が飛び込んできた。


 クリスは目の前の存在に息を呑んだ。


「逆らう者はすべて討つ。なぁクリス。見ろ。いま一度ボクを見ろ。お前の魔眼にボクはどう映っている?」


 正面に立って、クリスを真っ直ぐに見つめるシトラス。

 視線を逸らすことは許さない、その瞳はそう物語っていた。


 捕食者を目の前にした小動物のようにクリスは固まる。


「うっ……」


 クリスの持つ物体の本質を見抜く慧眼。

 その魔眼が映すのは――人を象った闇と狂気。


 クリスは体を折ると、せり上がってきた胃液に口を抑える。

 それでも抑えた手の隙間から胃液がしたたり落ちた。


 口元を拭いながら気丈に立つクリスは

「……し、詳細は掴みかねますが、シトラスは精神汚染の類の力をお持ちのようです」

「精神汚染?」


 シトラスのハンカチで口元を拭おうとしたが、既にさきほどで十分すぎるほど濡れていた。

 クリスは乱暴に袖口で口元を拭うことにした。


「……はい。ジェーンと、そこの侍従にもシトラスの魔力が入り込んでいます。いや、入り込んでいるというよりこれはもう呑み込んでいる。うっ――」


 再びシトラスは見つめると、すぐに胃液がこみ上げることを抑えることはできなかった。

 それは人の本能だった。狂気と闇に対する拒絶反応。

 拭った口元が再び彼女自身の胃液で汚れる。


「そうか」


 シトラスは体を折り曲げているクリスの後頭部に手を置いた。


「ま、待ってください。わ、私をもう一度仲間にしてくださいッ!」


 しかし、シトラスは相変わらず冷たい視線のままで言葉を返さない。

 クリスの後頭部を抑えた手が、クリスが顔を上げることを許さない。

 

 クリスは言いようのない恐怖に駆られた。

 このまま見捨てられるのではないか。用済みになったのではないかと。


 クリスは居ても立っても居られなかった。


 膝を地面につけ、手のひらを地に付けた。

「お願いします」

 そう言うと、額が地に付くまで伏せた。


 それは土下座であった。


 土下座とは最敬礼の一種であるとともに、それを強いられることは恥辱でもある礼式作法。

 仮にも王族になお連ねる聖女が、非公式とは言え土下座をしていた。

 自身の胃液で濡れた地面に額を押し付けるように、彼女は乞い願っていた。


「……いいだろう」


 クリスはその言葉に目を輝かせて顔をあげた。


 シトラスはクリスを冷たく見下しながら、

「ただし、一つ条件がある」

「な、なんでしょうか」


 一つの条件を突きつけた。


「異端審問官をすべて殺せ」


 それは(みそぎ)


 シトラスとミュールを襲った異端審問官はあらかた殺し尽くしたが、あれがすべてではない。

 その場に居合わせなかった者もいることだろう。打ち漏らした者もいることだろう。

 その後始末を、異端審問官の中でも立場があるクリスに条件として突きつけた。


 その表情には憎しみが浮かんでいた。


 親友を奪った者たち。

 その機関の存在がシトラスの心を逆撫でする。


「そ、そうすれば私を傍に置いてくれますか?」

「考えてやる」


 その後、二、三言葉を交わすと、クリスは屋上テラスから去っていった。同胞を殺すために。


 一連のやり取りを背後から黙って見ていたバーバラは、

「聖女に何をされたのですか?」


 それほどまでにクリスの様子は尋常ではなかった。


 シトラスは自身の手を見つめると、

「……ボクの力を試してみたのさ。……それよりバーラ。お前に聞くのはこれが最初で最後だ」

「はい。なんでしょうか?」


 振り返って、

「ボクから離れるなら――今だぞ」

 バーバラを見つめた。


 ミュールがかつてそうしていたように、シトラスはニヒルに笑った。


「ふふ、シトラス様。私は嬉しいんです。私を選んでいただけて――私は一生付いていきます」

 

 やけにしっとりとした視線がバーバラから送られてきた。

 脅したシトラスがぞっとする番であった。


「……そうか。バーラは変わらないな」


 覚悟を決めたはずのシトラスだったが、思わぬ方向からの重圧に少し尻込みしそうになった。


 シトラスがバーバラから視線を逸らすと、

「ジェーンも! ジェーンも!」


 バーバラの横からジェーンがシトラスの下へと駆け寄ってきた。


 シトラスは膝を折ってジェーンに視線を合わせると、

「もちろんだともジェーン。ジェーンの力。パパのために使ってくれるな?」

「うんッ!」

「ジェーンはいい子だ」

 ジェーンを抱きしめる。


 彼女の髪を優しく撫でるシトラスの顔に笑みはなかった。

 ――使えるものは何でも使う。


 ジェーンは、体内に生物を格納できるギフテットワン。

 その中には竜種や高位の魔獣も含まれている。


 謎が多いその能力であるが、先ほど竜化して登場したことから、ジェーンは体内の生物の力を借りられることはわかっていた。

 果たして、竜に勝てる戦士がいったいどれくらいいるだろうか。

 

 シトラスは立ち上がると、踵を返して城内へ向けて歩き出す。

「それじゃあ、行くぞ」


 ◇


 肩で風を切って王城の通路を歩くシトラス。

 一歩後ろに控えるクリスと、トコトコと雛鳥のように付き従うジェーン。


 城内は混乱状態にあった。


 地下牢獄へ収監されていたはずの勇者が戻ってきたと思ったら、王城を異端審問官の血で赤く染めたのだ。白昼堂々の出来事であったので、その話は数時間というわずかな時間で、あっという間に城内に拡散した。


 対外的には、圧倒的物量差がある反体制派。

 対内的には、王国の一大戦力である勇者。


 この二つを同時に敵に回した事実は、将官はもちろん兵卒にも動揺を生んだ。


「――言え。マーテルはどこにいる?」


 バーバラは場内で捕らえた将官を痛めつけ、王の所在を尋ねる。

 その周囲には、部下たちの骸が積み上がっていた。


 鼻があらぬ方向に曲がり、涙を流す将官は、

「え、謁見の間にいらっしゃると、お、思います。い、命だけは――」


 バーバラは身なりのいい男の首を容赦なく刎ねた。


「謁見の間であれば私が覚えております。参りましょう」


 そう進言するバーバラは荒事に長けていた。

 この二年間で多くの荒事に首を挟んできたシトラスは理解することができた。

 彼女がその道の熟練者であることに。 


「……あぁ」

 

 戦力としては彼女をまったく期待していなかった。

 シトラスの侍従であり、ミュールの師匠。

 ジェーンの身の回りの世話を任せる、ぐらいのつもりで陣営に引き込んだが、その実直は想像の遙か上にあった。


 ここまでシトラスが手を下すことはなく、そのすべてをバーバラが涼しい顔で処分していた。

 それだけの戦闘をこなしておいて、そのメイド服には返り血を含め一切の汚れがなかった。


 それは相手との隔絶した技量差を示していた。


「どうかされましたか?」

「いや……。バーラが戦えることが少し意外に思っただけだ」

「シトラス様にお仕えするまでは東の戦場で少し鳴らしていただけです。そのおかげでいまこうしてシトラス様のお役に立てていると思うと光栄です」

「……あぁ、ありがとう」


 ずいッとその身を寄せてきたバーバラに、シトラスは少し引いていた。


 二人のやり取りを後ろで見ていたジェーンが、

「むぅ、ジェーンもッ! パパ助けられるもんッ!」

 二人の間に割ってい入ると、

「いたぞッ! 裏切り者の勇者だッ!」


 進行方向の通路の角から、体制派の兵士たちがわらわらとその姿を現した。


「見ててッ!」


 ジェーンの右腕全体が異形に変わる。

 右手は裂けて鋭い牙をもった口に、その肌は艶めかしく光る黒い鱗に変わった。

 黒竜がその右腕に憑依していた。


 竜の口に変わった右手から、灼熱の炎が生み出される。


 バーバラが咄嗟にシトラスの腕を引いて後ろへと下がった。


「いっけぇぇええーー!!」

 

 周囲は赤い閃光に包まれた。


 眩い赤の光に目を閉じたシトラスが、再びその瞳を開けるとそこにはもう兵士はいなかった。


 ジェーンの右腕は、華奢で少女らしい丸みのある腕へと戻っていく。

 

 満足そうに振り返ったジェーンが、

「見た? パパ」

 ドヤ顔を見せるので、

「あ、あぁ……あり、がとう」

 その頭に手を置く。


 シトラスは目の前の惨状に唾を呑んだ。

 

 目の前には体制派の兵士はいなかった。それどころか道すらもなかった。

 

 視界の隅でどろりと王城が溶けた。 

 階下から、ジェーンの破壊のあおりを受けた兵士たちの悲鳴が聞こえてくる。


 ジェーンの放ったその炎は、兵士のみならず王城までも溶かしてしまった。

 抗うことを許さない圧倒的な高火力。


 バーバラがジェーンの隣に立つと、

「ありがとうございます、ジェーン。すごい力ですね」

「ジェーンすごい?」

 褒められて目を輝かせるジェーンに、

「はい。凄いです。……でもダメですよ。道まで溶かしてしまっては。これでは先に進めませんから」

 バーバラは、メッと指を立ててジェーンに優しく注意をする。


「あっ」

「次から気をつけましょう」

「うん。気をつける!」

「はい。いいお返事です」


 バーバラは膝を折って、視線をジェーンに合わせると優しくその髪を撫でてやる。

 ジェーンはそれを笑って受け入れた。


 そこに遠くから歓声が聞こえた。

 耳を澄ませると、連絡橋のある方角から声が上がっているのがわかった。


 どうやら反体制派がついに連絡橋を突破したようだ。

 シトラスたちに立ち向かった異端審問官並びに兵士は骸になった。


 そこで失った数と戦力は、ギリギリのところで耐えていた体制派にとっては致命傷だった。


「少し急ぐぞ」


 シトラスはマーテルのいる部屋へと向かうべく踵を返した。


 ◆


 これまでの粘りが嘘のように王城の指揮系統は崩壊していた。

 我が身惜しさに、逃げ惑う体制派に与した兵士たち。

 王命に従っただけの彼らもまたこの戦争の被害者なのかもしれない。


「この先です」


 見覚えのある道だった。

 他の区画とは隔離された塔。

 そこに目的の部屋と目的の人物がいた。


「ゆ、勇者ッ! どうやってここにッ!? 国王マーテルが名において命じるッ! 自害せよッ! 今すぐ首を割いて自害せよッ!」


 半狂乱になって叫ぶマーテルに、シトラスの後ろに控えるバーバラが不快そうにぴくぴくと眉を動かした。


 学園の表彰式の際に、策を弄してマーテルへ従うように誓約魔法をかけていた。

 しかし、それも過去の話。シトラスにかけられていた誓約魔法は、クリスの手により無効化されていた。


「なぜじゃッ!? なぜ死なぬッ! 誓約魔法ぞッ!? 天よッ! この不忠者に天罰を与えたまへッ! 天よッ! なぜ答えぬッ!?」


 睨みつけるシトラスに、マーテルはただでさえ大きい声をさらに張り上げた。

 しかし、何も起こらない。


 シトラスは口角を持ち上げると、

「――天は、ボクに味方したんだ」

「来るなッ! 来るでないッ! 近衛どもよッ! 裏切り者を殺せッ!」


 マーテルの指示を受けて最後に立ち塞がる者は――、

「王国近衛兵」

 シトラスの後ろに控えるバーバラが呟いた。


 部屋に足を踏み入れたシトラスと、玉座にしがみつくマーテルの間に立つ戦士たち。


 勇者、王国騎士団と並ぶ王国正規兵。

 その中の最精鋭部隊。それこそが王国近衛兵。


 カーヴェア学園が誇る七席でも、卒業後に直接なることができない数少ない部署。

 実力に加えて、実績と忠誠心が求められる王家の最期の盾。


 一人の近衛兵が進み出た。


「希望の勇者。誰に断って陛下の午前に進み出る。不敬であろう。控えよ」


 それは鍛え上げられた筋肉隆々の大男。

 その男は、分厚い大きな盾をその背中に背負っていた。


「”大盾の守護者”。シトラス様。彼は近衛兵でも指折りの実力者です。相手は私が――」

「――さがれ」


 シトラスは、庇うように目の前に飛び出してきたバーバラの手を引くと、

「ボクがやる」

 すれ違うように前に出た。


 近衛兵たちの顔ぶれに視線を送ると、

「この力を試したい。悪いがお前たち――ボクの為にここで死ね」

 

 不敵に微笑んだ。


次回作に向けて十月は隔日で短編を投稿しています。

もしよかったら覗いてみてください。

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