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ギフテットワン  作者: 0
第四章 戴冠編
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八十九話 決別とギフトと

この世界の銃火器はミニエー銃が主流です。

この世界でもミニエーという武器技術者が、底部の中が空になっている円錐状の弾丸、並びに銃を発明しました。


 シトラス率いる勇者一行は、黒馬ウオックが引く馬車に揺られて東部最大の河川――マグナム川へと向かっていた。


 馬車の進行方向にミュールとメアリーが並んで座り、小さな机を挟んで向かい合うようにシトラスとジェーンが座る。ジェーンはシトラスの膝の上に陣取っていた。


 目を黒い布地で覆ったクリスが、隣に座るシトラスの肩に触れていた。

「――これで最後です」


「シトの誓約魔法が無効化できたのか?」

「はい。終わりました」


 マーテル国王からシトラスにかけられていた誓約魔法の無効化が完了した。

 対面に座るミュールはその知らせに頬を緩める。

 彼もまた数日前に、クリスの手で契約魔法の無効化が完了していた。


 ジェーンの肩からシトラスが顔を覗かせ、

「終わり? 何も変わった気がしないけど……」

「そう言うものですよ」


「よかったなシト。一歩前進だ。あとはマグナム川を守り切れれば文句ないんだが」

「王国軍側はマグナム川を守り切りたいところですね。王都からマグナム川の間には大規模な軍事施設はないですから、ここを突破されるとかなり苦しくなります」

「前回補給に立ち寄った場所で、まだ渡河は許してないとは聞いてるぜ。王国側も抜かれるとやばいから必死だ」


 しかし、現実はそう何事もうまくことが運ぶわけではない。

 

 一行がもう少しでマグナム川というところで、

「戦いが始まっている」

 車窓から進行方向を見ていたメアリーが目を凝らしてそう言った。


 その言葉に反応して、シトラスとミュールも窓に貼り付くと、

「ほんとだ。しかも、煙が上がっているのこっち側じゃないかな」

「……となると、王国軍は渡河を許したってことになるぞ」


 マグナム川こそが東部貴族に対する最大の防壁である。

 これまでに馬車で話した対東の作戦もあくまで、渡河に対する防衛策ばかりであった。


「クリス、敵だ。それも近い」


 シトラスの言葉にクリスも無言で頷く。


 それまでの馬車で旅をする雰囲気は消え去った。


 各々が無言で武器を用意する。

 シトラスは、智勇の勇者から譲り受けた両刃剣である"王道の剣"

 メアリーは、剣勇の勇者が所持していたという片刃の魔剣。

 ミュールは、帯剣してはいるものの、魔法による中距離戦闘が主戦場。


 クリスのそれは――

「銃?」

 シトラスの問いに、

「はい。ミニエー銃です。弾は実弾と魔力弾の両方です」


「じゃあ後衛だね。戦況がどうなっているかわからない。あまり離れすぎないで。メアリーとぼくが前衛、ミュールが中衛、クリスが後衛」


 ミュールとクリスが神妙な顔で頷く。

 メアリーは相変わらず、車窓から外の景色を眺めていた。


「ジェーンは? ジェーンも戦えるよ?」


 ジェーンがシトラスの膝の上で手を挙げると、

「そうだね。じゃあ、ジェーンはウオックと一緒にこの馬車を守ってくれる?」


 ウオックはこの馬車は引くお馬さんだよ、と言うとジェーンは笑顔で、

「わかった! ジェーンがここを守る!」


 馬車がとうとう煙の上がる町の入口へと差し掛かると減速し、やがて止まる。


「行くよ」


 馬車の扉を開けると、激しい戦闘の音があちらこちらから断続的に聞こえてくる。

 町の建物は敵の応戦に行ったのか、それとも戦火から逃れたのか人の気配を感じない。


 シトラスは御者に近づくと、

「危なくなったらジェーンを連れて逃げて」

 そう言ってウオックの首筋を撫でた。


「ここからどうするんだ?」

「ひとまず、ここの指揮官と合流しよう。戦闘が続いているってことは、少なくともまだ王国軍がいるはずだ」


 町の入口へ空から人が降ってきた。

 着地に際して、地面は不自然なほどに静けさを保っていた。


「――その必要はないよ」


 人並外れた大きな体。

 橙色の髪が肩口で静かに揺れた。


 シトラスが口を開く。

「レイラ」


 ヴェレイラ・ガボートマンはシトラスの二歳上の幼馴染。

 四年前にカーヴェア学園を卒業して以来、王国騎士団に所属していた。

 しかし、四門の王家の離反に際して、四門の東に身を寄せていた。

 彼女の生家は北であるが、学生時代からベルガモットとの個人的な友誼を通じて東に与していた。


「帰ろうシト」

 そう言ってヴェレイラは手を差し伸べた。


 ミュール、メアリーとクリスは、彼女の登場以来それぞれの得物に手をかけていた。

 ヴェレイラは学生時代から七傑に名を連ね、ベルガモットと共に数々の武勇伝を打ち立てた伝説の一人。


 卒業後にさらに磨かれたその実力は、一目で三人の背筋を冷たくするほどであった。


 対して、ヴェレイラは他の三人を歯牙にもかけず、

「帰って――私と式を挙げよう」


 ヴェレイラはシトラスの婚約者であった。


「――その話を私はまだ認めていないがな」


 ヴェレイラ続いて、彼女の隣にもう一人の女性が舞い降りてきた。

 シトラスと同じ金橙色の髪に、一房の赤毛。

 ベルガモット・ロックアイス――シトラスの姉である。

 

 跳んできたヴェレイラと違い、飛んできたベルガモット。


「姉上」


 シトラスの背後で三人は武器を構えた。


 ミュールの顔に一筋の汗がつたう。

 ベルガモットの実力を痛いほど知っていた。


 ベルガモットもシトラスの背後を気にも留めず、

「大事ないかシト? 心配したんだぞ。さぁ帰ろう」

 シトラスへと手を差しのべた。


 シトラスは差し出された二人の手を見つめたあとに、

「ぼくはいけないよ」

 彼女たちの顔を見つめると首を横に振った。


「姉上こそ、この争いを止めてくれない? どうして同じ国の人たちで何でこうも戦わないといけないの?」


 優しい声音で、優しい口調で、

「あの愚物に国は任せれられない」

 だがしかし、ハッキリとそう言いきった。


 愚物が刺すところは、現在ポトム王国の王位を頂くマーテル。

 先王の王弟であるマーテルは、先王の突然の崩御に伴い国内の強権的に王位を継承した。

 それに遺憾の意を示した者たちを次々と処罰にかけていた。


 四門を筆頭に国内の貴族が国王の交代のために、軍を起こしたのが今の混乱である。


「ならそれを言葉でッ!」


「その段階はとうに過ぎているんだ」


 シトラスの熱量に対して、ベルガモットはどこまでも冷静であった。

 優しく言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「それに、そこの女ならこの争いを止められるだろう――なぁ、聖女殿下(・・)


 そう言ってベルガモットはシトラス越しにクリスを見つめた。


「貴様が王位につけばいいだけの話なのだから――違うか?」


 シトラスが振り返る。


 ミュールも驚きの視線と共に、

「クリスが王位?」

 振り返った。


 その視線の先には、黒い布地で目を隠したクリスが、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて立っていた。


「その様子だと何も知らないんだね? そこの聖女は先王が偽王を差し置いて、次期王にと期待した女だって」


 ヴェレイラが言葉を続ける。


「皮肉だよね――私たちが偽王に代わって王にしようとしている彼女が、偽王の側に立って私たちの前に立ちふさがるなんて」


 クリスは、

「それはあなた方の望みです。私の願いは王位(そこ)にはありません」

 笑みを(たた)えてそう言った。


 いつの間にか周囲で響いた戦闘音が止んでいた。

 東の幹部である二人が落ち着いた様子でこの場ににいて、戦闘が終結した。


 王国側に立つシトラスたちにとっては芳しくない状況である。


「もういいだろう。シト――今回ばかりは力づくでも連れていく」


「……それを俺たちがさせるとでも?」

 ミュールがシトラスの隣に並んで立つ。

 

 反対側にはメアリーが無言でシトラスと並び立った。


 ベルガモットは、

「お前ごときが私たちを止められるとは、まさか本気で思ってはいないだろう?」

 ミュールを鼻で笑った。


「……やってみなきゃわからないだろ? 四年だ。お前たちが卒業してから今まで四年。戦争もを経験した、狂化した魔物とも。勇者とだって……! お前の知っている俺とは――俺たちとはッ!」

「――御託はいい」


 ベルガモットを起点に風が吹き荒れる。

 その体が軽やかに浮き上がった。


 シトラスの魔眼からは、彼女を取り巻く暴力的なまでに膨大な魔力が視えた。

 その魔力がシトラスの頬を優しく撫でた。いつも傍にあった風だ。

 それが彼女に集約されていく。

 その隣に立つベルガモットの魔力が高ぶるのもシトラスの魔眼は捉えていた。


 これまでで一番の敵である。

 王国最高学府であるカーヴェア学園で最強を誇った二人。


 いつだってシトラスを護ったきた二人の力が、いまその牙を剥いた。


 ◇ 


 解き放たれた二人の力は圧倒的であった。

 

 五分と持たずに、シトラスを除く勇者一行の面々は地に膝をついていた。


 ベルガモットが、膝をついて息を見出しているミュールに手を翳す。

「<宙の磔刑>」


 すると、その体が独りでに浮き上がる。

 ミュールは見えない何かを掴むように首元を抑えるが、その手は空を切った。 

 ただその首元は見えない何かに圧迫されていく。

 

「成長したのがお前たちだけだと思うのは自惚れが過ぎる」


 それはベルガモットが得意とする風魔法であった。


「姉上ッ!」


 シトラスがベルガモットへと剣を振るった。

 それは危なげなく回避されるが、その拍子に見えない何かから解放されたミュールが地面へと落ちた。

 

 剣を構えるシトラスに臆することなく歩み寄る。


「シト。いい子だから。私たちと帰ろう。勇者の称号なら次の王に用意させるから」


 中段に構えられた剣の切っ先を掴むと、そっとその剣を横に倒した。


 民家の壁に持たれるように倒れていたメアリーが、

「うがあああああッ!!」

 咆哮と共に飛び上がった。


 背後からベルガモットを切り裂くべくその剣を振るうが、

「あなたの相手は私。<金剛>」


 無手で防具もつけないベルガモットの体に魔剣が通らない。

 何度も何度もその脚を腕を腹を脇を切るが、傷一つつかない。


 メアリーの息もつかせぬ連撃すら彼女には通用しない。


「次は私の番だね。<超弩級正拳突き(メガトンパンチ)>」


 メアリーは死が迫るのを感じた。


 毛穴という毛穴が広がり、背筋に冷たいものが走る。

 本能の警鐘に従い、転がるようにその場から離れた。


 メアリーの頭があったところをベルガモットの一撃が貫く。

 それは民家の壁をぶち抜き、余波でさらに反対側の壁をぶち抜き、さらには数軒に渡って壁をぶち抜いた。

 凝縮された高火力のパンチは、他の家に跨って拳大(こぶしだい)の穴を作った。


 ヴェレイラは、

「あら?」

 メアリーに攻撃を躱されたことにおっとりとした反応をみせた。

 

 その顔が転がるように避けたメアリーを捉えるのと同時に、その顔を続けざまに二発の銃弾が襲った。


 着弾した彼女の頬から煙があがるが、それもすぐに収まる。


 構えた銃から顔を離したクリスは、

「魔法で強化しているとは言いますが、実弾と魔力弾を顔面に打ち込んでも平気だなんて。"不動の巨人(デイダラボッチ)"、噂に違わぬ怪物ですね」

 嘆息するほかなかった。


 ヴェレイラが、

「私たちとシトを見逃してはくれない? そうすればあなたたちに手は出さないわ。約束する」

 眉を少し下げてそう提案した。


 ミュールが首に手をさすりながら、

「ごほっごほっ、じゃあ、俺たちからお願いだ。俺たちとシトを見逃してはくれないか?」


 悪魔のような力が空気を支配する。


「――交渉決裂だな」


 それはベルガモットの暴力的なまでの風であった。


「シト以外は――死ネ。<死を告げる暴風(ウィンドブレイク)>」


 ベルガモットの金橙色の髪が浮き上がり、激しく波打つ。

 隣に立つヴェレイラもその影響でたなびく橙髪は手で抑えた。


 ミュールも、クリスも、メアリーですら死を覚悟した。


 そのとき、馬車の扉が勢いよく開いた。


「パパをいじめるなーーッ!!」


 そこから飛び出して来たのはジェーン。

 彼女が左手をベルガモットに翳すと、その左腕が鋭い牙を持った口へと変わった。


 その口がパカリと口を開くと、そこに魔眼を持たなくてもわかるほどの高密度の魔王が集約し――放たれた。


 ベルガモットは行使していた魔法を中止し、その場から勢いよく退いた。

 彼女が見せた初めての回避行動であった。


 回避するということは、つまり、それが当たれば無事では済まないということに他ならない。


 驚愕の表情を見せたベルガモットは、

「……なんだ? お前は?」

 ジェーンを睨みつけた。


 ジェーンはその視線を睨み返すと、

「みんな! いって!」


 その言葉に呼応するように、虎型と狼型の大型の魔獣がその体から次々と飛び出てきた。

 魔獣たちはジェーンの前に群れを成す。

 その一体一体が狂化した魔物に勝るとも劣らない魔力量を誇っていた。


 小柄なその身に合わない巨体な魔獣が次々と出てくる光景は異様であった。

 その光景には、ベルガモットとヴェレイラも思わず目を見開いて固まる。


 シトラスは、

「みんな馬車に戻って! この場は引くよ!ッ」

 

 ミュールとクリスが勢いよく後退する。

 ミュールは途中で魔物の群れに目を輝かせるメアリーの手を取った。


 ジェーンが、

「パパッ!」

 後退してくるシトラスに嬉しそうな声をあげると、魔物たちはその大きな体をずらして道を作った。

 そこへ飛び込む勇者一行。


 それを追いかけようと一歩を踏み出したヴェレイラであったが、その道はすぐに閉ざされた。

 シトラスたちの姿が魔物の影に隠れて見えなくなる。


「ベル」

「ちっ、わかっている。どちらも高位の魔物だ。召喚士(サモナー)調教士(テイマー)か知らんが、面倒なことを……」


 魔物が一斉に口を開く。

 その数瞬後、周囲は破壊に包まれた。


 ◆


 シトラスたちはウオックが引く馬車に乗って遮二無二後退する。


 車窓から見える魔物たちはすぐに小さくなる。

 ただ、破壊がまき散らす光だけが何度も点滅するのが見えた。


 ミュールがその顔に付いた汗と土汚れを拭いながら、

「助かったーーッ!」

 安堵のため息をもらした。


 シトラスは、

「ありがとうジェーン」

 そう言って膝の上に座るジェーンの深紅の髪を撫でた。


 ジェーンは褒められて満足そうに笑っている。


「それにしても何だったんだ? あのおっかない魔物たち。なぁ、ジェーン。どういうカラクリだ?」

「からくり?」


 ジェーンはミュールの問いに可愛らしく首を傾げてみせた。


 続けざまにクリスの

「彼らとはどういう関係なのか聞いてもよろしいでしょうか?」

 という問い掛けには言葉ではなく、あっかんべーを返した


 クリスには相変わらずの塩対応であった。


「ジェーン。教えてくれる? あの魔物たちはジェーンの使い魔? どうやって呼んだの?」


 シトラスの問いに、ジェーンは反対側に首を倒した後、少し考える素振りを見せ、

「……みんな家族ッ! みんな私の中にいるッ!」

 満面の笑みでそう答えた。


 クリスは顎に手を当て、ジェーンの答えに少し考え込むと、

「……おそらくそれが彼女のギフトだと思われます」

「ギフト、ってギフテットワンのことか? あれって都市伝説じゃないのか?」


 ミュールの発言にクリスは首を振ると、

「いえ、ギフテッドワンは存在します。魔法を越えた魔法。神の御業、悪魔の所業。その呼び方に違いはあれど、魔法では再現できない世界に常に一つだけの能力。その力がギフテッドワンと呼ばれています」


 それそのものの名でもあり、その力を有する者たちの名でもある――ギフテットワン。

 歴史に名を残してきた偉人たちは漏れなく、ギフテットワンだと唱える者さえいた。

 それほどまでに強大で、魔法のありふれた世界でなお特別な力であった。


 クリスが説明を続ける。

「王家の有する情報によれば、これまでに勇者に選ばれた者は天与の才覚者(ギフテットワン)だったと記録されています」

「シトは魔力視の魔眼を持っているしな。そういうことか?」

「そうなのかもしれません。私も専門家ではないので詳細は測りかねますが……」


 一通り説明を聞き終えたミュールが、その視線を隣に座るクリスから対面に座るジェーンへと移した。


「ジェーンはそれが何のギフトかわかるか?」


 そう尋ねるミュールを不思議な顔で見つめ返すジェーン。


 ミュールはガクッと肩を落とし、座席から身を起こすと、ジェーンの両腕を優しくさする。


「それにしても、どうやってあの魔獣たちはジェーンの体を出入りしているんだ?」


 続いて、つんつんと指でその頬をつつくと、ジェーンはくすぐったそうに身を(よじ)った。


「……ジェーンに入りたいの?」

「俺たちも入れるのか?」


 ジェーンは少し考える素振りを見せた後にコクリと頷いた。


「じゃあ――」

「私が入るわッ!」


 メアリーがミュールの手を払いのけて、隣からずいッとその身を寄せた。

 その目は珍しくキラキラと輝いていた。


「ママ? うん。ママならいいよ」

 そう言ってメアリーへと手を差し伸べた。


 ジェーンはメアリーの手を握ると優しく引き寄せる。

 メアリーがそれに逆らわずに、ジェーンの体にぶつかると――


「は?」

 目の前の光景にミュールの口から言葉が漏れた。


 ――彼女の体はジェーンの体に吸い込まれていった。


 シトラスは目を見開き、クリスは口に手を当てて驚く。


 馬車の中、五人が四人になった。


 ミュールが目の前で起きた光景に、

「あー、えー、うそぉ……」

 語彙を失う。


 他の二人も似たり寄ったりであった。


 馬車に静寂が訪れる。

 微かに揺れる車輪の音だけが室内に響いた。


 その空気を作り出したジェーンは、後頭部をシトラスの胸板に預けてぐりぐりと甘えていた。


「ジェーン。メアリーはどうやって出てくるの?」

「んー。知らないッ!」


 ジェーンはシトラスの問いに笑顔でそう答えた。


 狼狽えるミュールは、

「し、知らない?」

 開いた口が塞がらない。


「うん! 出てきそうになったらわかるよ。でも、出てきたくなかったらわからない!」


 つまり、ジェーンは取り込んだ対象を選んだ取り出すことはできない。

 いつ何が出てくるかは、完全に取り込んだ対象の意思に依存する。

 ただ対象が体外へと出てくる気配はわかるということであった。


「ジェーンはメアリーを出せないってこと? メアリーが出てきたいと思うまでは?」

「うん!」


 シトラスとミュールは顔を見合わせた。

 ――まずいことになったのでは、と。


 しかし、それは杞憂に終わった。


「あ。ママが出てくる」


 そう言うや否や、ジェーンの心臓の辺りから勢いよく左腕が生えてくる。

 人から人から出てくるのは衝撃的な映像である。


 ジェーンの体から生えてきた左手が虚空を掴むと、次いで赤髪に顔、肩と次々とメアリーの体が出てきた。


「おかえりメアリー。どうだった?」

「何もなかったわ。強い魔獣と戦えると思ったのに」


 どうやらそれが目を輝かせていた理由のようである。

 強者との命を賭けた死闘。それこそがメアリーの望むところ。


「少し不思議な感じがしたけど、ジェーンの中は気持ちよかったわ」

 そう言ってジェーンの頭を乱暴に撫でた。


 ジェーンは目を細めてきゃっきゃと嬉しそうな声を出す。


「ジェーンのこの力はぼくたちだけの秘密――あっ」


 シトラスはここまで言ってクリスの存在に至った。

 

 クリスは聖女であると同時に異端審問官の一人である。

 ジェーンの魔獣や人を呑み込む能力は異端と称するほかなかった。


 周囲の視線が集まるのを感じたクリスは、

「私は何も見えていませんよ」

 そう言ってわざとらしく、目元を覆う黒の布地を触ってみせた。


 クリスの気遣いにシトラスが破顔する。


「ジェーンのことはこれでいいとして、俺たちはこれからどうする?」

「ひとまず王都へ戻ろう。もうどうにもならない。北も西も南も、そして東も王家の支配下じゃなくなった。マーテル陛下を説得して交渉の席についてもらおう」


 この内乱で王家は各地域に対する影響力を完全に失っていた。

 後は双子城のある王都キーフと、地下世界エッタのみ。


「案外、ボルスやエステル、シトの姉貴の方が王家よりうまくやるかもな」


 ミュールがそう言ってニヒルな笑みを浮かべた。


「……そうだといいけど」


 シトラスは体を捻り、車窓から背後の景色を振り返る。


 ウオックの健脚により、既にマグヌス川から随分と離れた距離まで馬車は進んでいた。

 それでもマグヌス川の方角から立ち上がっている黒い煙が何本も見えた。


 いくら優れた為政者が治めようとも、そこに戦がある限り、悲劇は終わらない。


 ――早く終わらせなければならない。こんな馬鹿なことは。


 それと同時にシトラスは思う。


 ――人は何故こうも争うのだろう、と。


 勇気を動かす正義や信念がこうも満ちた世界。


 しかし、戦は終わらない。

 譲れない正義や信念のために。


 ――正義や信念が人を傷つけるものであるのなら、それによって動かされる勇気とは。


 そう世界に問うても、世界は何も答えてはくれない。


 ただ頭に走った鈍い痛みだけが、ただこの世界が現実であることを教えてくれた。


次回作に向けて十月は隔日で短編を投稿します。

もしよかったら覗いてみてください。

https://ncode.syosetu.com/n0460jj/63/

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