25 「……結婚するのか?」
ぼんやりとした意識から覚醒して、シェノンは寝返りをうった。
「……レナルドさぁ」
「何? おはよう、シェノン」
「おはよう。毎朝人の顔眺めてるのやめてくれない?」
クッションの上に頬杖をついて覗き込んできているレナルド、という光景は見飽きてきた。
「俺はシェノンの寝顔を見たいがために早起きしてる」
「やめて。下らないことしてないでちゃんと寝なさい」
「心配してくれてるのか。結婚するか?」
「しない」
起きてるならさっさと起きた起きた、とシェノンは身を起こしがてら、レナルドを押してやった。
*
「腕輪、外れたのか」
「ええ、そう」
任務が受けられるようになったので、エトの執務室を訪れると、彼は目ざとく気が付いたようだ。
シェノンの手首から例のレナルド特注の腕輪が消えていた。シェノンはぷらぷらと手を得意げに振ってみせた。
「……結婚するのか?」
「なんでよ!」
疑い深い様子で聞くなら聞かないでほしいものだ。
「違う。話し合ったの」
シェノンは三ヶ月という期限を設けたことと、その後は魔術をかけ直すことになったこと、そして賢者であることが知られたことだけをエトに簡単に話した。
「だから三ヶ月の間今回竜の襲来で取れた瘴気と呪いを保管しておいてもらえないか賢者長に相談したいな」
「それなら、聖教会が引き取りかねる瘴気と呪いについては今後レナルドが浄化を行うことになった」
「……え」
「それからおまえの研究室の扉に追加で貼られていた魔術具以外の依頼はレナルドが全部持っていった」
「えっ」
シェノンは紫の瞳を丸くした。
「今回の調査の過程でレナルドが知ってな」
「あっそうか、調査入ったんだった。え、でも聞いてないんだけど」
レナルドはそんなこと一言も言っていなかった。
「だろうな。『浄化は本来神官の仕事、自分で瘴気と呪いを生み出しているならともかく魔王の祝福を受ける者だからと押し付けられているだけなら、教会が引き取れない分は聖王の祝福を受ける自分の仕事だ』だそうだ。賢者長も特に反対しなかった」
「じゃ、じゃあ任務の方は?」
「『賢者は研究職が本業。シェノンの技術に代わりはないが、討伐や封印任務、雑用は騎士団と他の部署でやるべきものだ』だそうだ。こちらも厄介なものと煩雑さに甘えて押し付けていたものだったからな。英雄の正論に反論できる者はまあいない」
「なんでレナルドは自分から仕事増やしに行ってるの?」
「仕事を元あるべき場所に戻しただけと言える。私もおまえがいいと言うならとなあなあにしていた。魔術具関連の依頼は明らかな雑用以外はまだ残してある。あとは研究にでもあててもらえばいい。……なんだ、嬉しくないのか」
突然すぎてついていけていないシェノンが固まっているので、エトが不思議そうにする。
シェノンは中途半端なところで止めていたカップを一旦受け皿に戻した。
「嬉しくないとかじゃなくて、首都外の任務も受けられるようになったって言いに来たから」
肩透かしを食らった気分に近い。
「私はそれの方が未だに信じられないがな」
「レナルドの信用なさすぎない? ……ベルフェも同じ反応してたけど」
ベルフェは息子に本当にいいのかと何度も確認していた。本当に、どっちの味方なのか。
「信用がないと言うより……目を離すのは厭うだろうと思うだけだ」
エトは珍しく視線をそらすようにうろっとさせてから、ため息をついて、訝し気なシェノンの視線に観念したように目を戻した。
「実は、おまえが眠って五年目の年に起きなかったとき、私はレナルドに『シェノンはもう二度と起きなくてもおかしくない』と言った」
「事実だからね」
複雑な魔術だ。五年設計のはずが誤差三年を足して目覚めてしまうほどには予期しない事態が予想された。
時という領域と、魔王の祝福に手を出しているのだ。夢を見ないなら目が覚めなくてもいいと思って術者であるシェノンが使っているくらいだ。
エトの言葉は事実だ。だが、今八年の間のレナルドの様子を聞きかじっているシェノンが気になるのは、レナルドの反応だ。
「レナルドに激怒された。殺されるかと思った」
「えっエトにまで」
「と言いたいところだが、実際は大層傷ついた顔をされた。あの『救世主』として公の場で冷たい顔しか見せなかった子供に、まさかあれほど脆い面があるとはな……」
エトの声が反省しているようで、もしかしてとシェノンは尋ねる。
「エトがレナルドの行いをほぼ静観してるの意外だったんだけど、もしかして」
「言っただろう。少し、責任を感じているだけだ。……追い討ちをかけたことに」
起きてから今まで、嫌にレナルドの主張にすんなり引き下がると思っていた疑問が解けた。
思わぬところで八年の間のレナルドの断片を聞き、シェノンは口を手で覆って、ため息を押し殺した。
「三ヶ月か。とにかく穏便に契約が終わることを私は祈るぞ」
ええ、祈ってて。シェノンは小声で返した。
「……それより、邪竜の死骸はまだあるの?」
使い魔の目を通し、研究室に残された魔術具の依頼の内容に目を通しながら、確認しなければいけないことを思い出した。
「ある。体内の呪いと瘴気、纏っている魔術がすごくてな。レナルドによって聖剣で命を断たれた際にいくらか浄化されたようだが、長年血肉に染みついたものが濃い」
「……ええ、少なくとも五百年以上は生きてるから」
「解体など百年以内にできるかどうかも分からん。そもそも素材に使えるのかもわからんから、一度見てやってくれないか」
「分かった」
好都合だ。邪竜にとどめを刺そうとしたとき、急に魔術の手ごたえがなくなった。魔術が使えなくなったのではなく、魔術が効かなかった、と思う。何より感じたあの不吉で不快な感覚は……。
「念のため言っておくが、魔王の心臓には接近禁止だ」
「頼まれてもそんなものに近づかない」
あんな呪物に誰が好んで近づくものか。シェノンは顔をしかめる。
「何か感じるか?」
「? なぜ?」
「魔王の祝福の印の辺りを触っているぞ」
エトに指摘され、気づいていなかったシェノンは舌打ちしそうになりながら手を首から引きはがした。
「邪竜が来た時には明らかに感じたけど、今は全く」
「邪竜が去ったからか、レナルドが封印をしたからか」
「……レナルドには、『やるべき』ことが多すぎるね」
魔王の祝福と聖王の祝福。どちらもこの世に一人しか持たないもの。
けれど魔王の祝福を持つシェノンが疎まれ厄介な字ごとやどうでもいい仕事を押し付けられるのに対し、聖王の祝福を持つレナルドには義務が多すぎる。
「ところが全て今回レナルドが自分から引き受けた」
「義務だと思っているからじゃないの」
「義務? 騎士団団長としての責務、魔術師第二位としての責務、それらをこなしているところは見ても、聖王の祝福を受ける者としてのレナルド・レインズの行動には私は驚くほど義務を見たことがない」
「義務でなければ何? 聖剣を取りに行き備えた、瘴気と呪いの浄化を引き受けた。聖王の祝福を受ける者が当然のようにしてきたことじゃない」
「ならば教会の儀式に不参加なのは? 聖教会本部の儀式ともなれば多くの者が訪れる。民のためを思い義務に従事していると言うのなら、それも大事な義務だ。──気づかないのは時には罪だぞ、シェノン」
罪という言葉の重さのわりに、エトは苦笑とレナルドへの同情混じりに言った。
「レナルドは民思いではないと言っただろう。ただおまえ思いなだけだ。おまえが魔王の祝福を受ける者として負わされているもの全てを取り除き、おまえがしたいことだけをさせたいそうだ。聖剣を取りに行くときは私もさしものレナルドもこの国のことを思って動いてくれたかと思えば、『最強の戦力があればシェノンの出る幕なんてなくせる』だと」
「…………エトはどっちの味方なの」
「なるようになればいい。穏便にな」
エトは今の話はレナルドには内密に、と話を切って素知らぬ顔ではちみつ入りの紅茶を飲んでいる。
それを聞かされてどうしろと? レナルドと会ったときに頭に過ってしまうに違いない。
心が重くなった気がして、シェノンは気分が落ち込む。早く、早く三ヶ月経ってしまえばいいのに。
「さて、邪竜と魔王の心臓の話を出したついでだが、牢から解放されたおまえは、実際は多くが『証拠がない』という見方に過ぎない」
「そうでしょうね」
「証拠を消しているなど疑われるようなややこしい真似をしなければ、自分の罪を自分で晴らすのは歓迎だ」
思わぬことを言われ、シェノンは視線で続きを促す。
「なぜ魔狼と魔犬が首都防壁を無視し、首都街に現れたのか。竜が遠すぎる地から一直線に首都に向かってきたのはなぜか」
騎士団をはじめとした見解は、誰かが手引きした、だ。
その第一容疑者がシェノンだが、証拠が出てこなかった。
「……手引きした者が同じだとして、魔犬と魔狼に指示を出していたボスを見た者と声を聞いた者がいたかどうか。ボスは死体の中にいるのか」
「ボス? ああ、魔犬は魔狼に従う。魔狼は群れのボスに従う。だったか」
「そう」
「それを探してどうする?」
「ボスが死んでいたとして、全ての群れをまとめるボスなら魔狼と魔犬はしばらく出てこない。群れの中の群れのボスならまた襲撃がある可能性がある」
「なるほど。こっちで聞き取りさせるか?」
「私で魔犬と魔狼の対処を行った騎士団員に話を聞いてくる。……そういえば、ラザル・フロストは今どこで何してるか知ってる?」
出来るだけ声色は変えず、シェノンは自然に問いを重ねた。
「魔狼と魔犬の生態について力を借りるのか」
「そんなところ」
「邪竜の調査でしばらく外にいたはずだ。今もいるかもしれない」
「定かではないの?」
「私とおまえ以外の賢者は緊急時以外は研究するなり自由行動しているだろう。いつものことだ。ラザルは気が付けば生態調査でしばらく帰って来ないこともざらだろう?」
「……そうだったね」
興味がなさすぎるのと、どこで何をしていようが知りたくなさすぎて忘れていた。




