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追憶・後編

 登校拒否を続ける久城陽子くじょう ようこの前に、ある日突然現れた自称担任・真中唯まなか ゆい


 担任教師と鉢合わせたくらいで素直に復学する陽子ではもちろんなかったが…

 唯はそれに輪をかけたエキセントリックな変人だった。


 行く先々でトラブルを巻き起こす陽子のもとに、唯はいつも時間問わずで出没しては、騒動を鎮めるどころか、さらに激化させて帰っていく。


 いったい何なんだコイツは?

 本当に担任なのか?

 以前の担任はどこ行った?


 てゆーかいつでもどこでもホイホイ湧いて出るけど、学校のほうはどうなってんだ?


 つーかなんであたしの居場所が判るんだ、尾行でもしてんのか?


 疑問は多々あれど、とりわけ謎なのが「陽子を学校に行かせようとはしない」ことだった。

 担任だというなら、なおさら受け持ちの生徒を出席させねば自身の評価に響くはずだが…

 

 出会ってから幾日経とうと、唯は一向にそんな話題を出さず、まったく慌てる様子もなかった。


 放っといてくれるなら、それはそれでありがたいし…唯とともに過ごす時間は、決して悪いものではなかった。


 一緒に乱痴気騒ぎをしてるだけでも楽しく、つまらない悩みは片っ端から吹き飛んだ。

 いつの間にか孤独に慣れた気になっていたが、仲間がいるというのはこんなに頼もしいものだったのかと再確認できた。


 あれだけのことをしでかしてしまったのだから、もう誰にも見向きもされないし、誰にも理解してはもらえないと思っていた。

 そんな空虚な自分に理由も聞かずに寄り添ってくれる存在が、こんなにも嬉しいものだったとは…。


 やがて二人が、生徒と教師という垣根を超えた間柄になるまでにさほどの時間は要しなかった。


 ふと、妹の月乃つきのも、自分に対していつもこんな思いを抱いていたのかと思う。

 陽子以外は滅多に見舞い客も訪れない彼女は、これほどまでに心細かったのかと…。


「…そうか…寂しかったんだな、あたしは」


 やっとそう認めた途端に泣けてきた。

 みんなに会いたい。

 でも…会えない。


 月乃の容態はこのところ悪くなる一方で、しょっちゅう昏睡状態に陥っては面会謝絶になるケースが増えた。ここ数日はろくに会えてもいない。


 そして…幼馴染の園場凌そのば しのぐへの罪悪感も、あれからまったく消えることが無かった。


 アイツはたしかに月乃に酷いことを言った。それは今でも許せない。

 でも…どうしてあんなことを言ったのか? それは今でも解らずじまいだ。


 すぐ隣の家に住んでいるのだから、会って聞けば済むことだと理解はしている。

 でもお互い生活サイクルがまるで違うせいか、あれからまったく顔を合わせられない。


 いや、仮に出くわしたところで…まさに合わせる顔がない。そう思っただけで足がすくむ。隣同士なのに、これまで通り気軽に会うこともできない。


 そもそも、考え無しにあんなことを言うような奴じゃないと知っていたはずなのに…どうして自分はいつもこうなんだろうか。




「…そんなに気になるんなら…そろそろ行ってみる? 学校♪」


 唯がやっと本題を切り出してくれた頃には、あの日からすでにひと月以上が経過していた。

 ずいぶん呑気な担任教師もいたものだ。


 たしかに学校へ行けば、唯と過ごせる時間をより多く楽しめるかもしれない。


「…けど…」


 この期に及んで陽子は二の足を踏む。

 そのためには絶対に乗り越えなければいけないハードルがある。


 自分への信頼を裏切ってしまった皆に…あんなに酷いことをしてしまった凌に、いまさらどんな顔をして会えば良いというのか?


「その凌くんが、会いたがってるんだよね〜♪」


 唯の言葉に目が点になる。


「…いつから?」

「けっこう前から」

「…なんで言わなかった?」

「その頃にはまったく会う気なかったっしょ♪

 でも、今ならもう大丈夫なんじゃない?」


 こんにゃろ、ナメた口ききやがって。


「それにぃ…唯ちゃんサマが一緒にいれば、超安心っしょ♪」


 ずいぶん回りくどい担任教師の気遣いで、ようやく陽子の腹は決まった。





 翌日。

 最寄りのコンビニで唯と待ち合わせ、一呼吸整えてから…陽子は久々に学校の正門をくぐった。


「おい、マジかよ…本当に来やがったぜ」

「いまさらどのツラ下げてきたのよ?」


 周囲の生徒から心無い言葉を浴びせられる。たぶん『良識派』の連中だろう。

 これぐらいは想定内だったが、やはり結構こたえた。


「でも唯ちゃんがいるから、大丈夫じゃね?」

「唯ちゃん、ホントに連れてきたんだ。ヤルぅ!」


 それより驚いたのは、唯の学校への浸透率の高さだ。ついこないだ赴任したばかりで、もうこんなに支持されているとは。

 どうやら陽子を連れて来ることはすでに告知済みだったらしいし、どこまでも食えない奴だ。


「…お久しぶりです姐御ッ!」

「お勤めご苦労さんですっ!」


 正面玄関前では『推進派』の生徒たちが、どこぞの人形映画ばりにうやうやしく出迎えてくれた。それなりに歓迎されてはいるようで一安心できた。


 でも、コイツらがいるってことは…


「…陽子。」


 耳馴染んだ声に息が詰まった。

 予想通り…推進派生徒陣の最奥に、凌が待ち構えていた。


「…しの」

「僕が悪かったッ!!」


 その名を呼びかけた陽子を遮り、凌は突然頭を下げた。というか見事な土下座を披露した。


「やはり、あんなこと言うべきじゃなかった!

 死んでいい人間なんているはずないんだッ!

 僕は…僕はァーッ!!」


 何度も何度も地面に頭を打ちつけ、額が割れて流血するのもためらわず、凌は猛烈な勢いで謝罪し続けた。


 予想外の事態に身動きがとれない陽子に代わり、唯と生徒たちが凌を取り押さえて、やっと土下座が止んだ。


 かと思えば、凌は急に涙腺を崩壊させ、大粒の涙をボロボロこぼした。


「母さん…もう長くないんだ」

「…おばさんが!?」

 

 それこそ本当に予想外の情報だった。


 凌の母親は陽子たち双子を昔からとても可愛がってくれた。

 仕事が忙しくて不在がちだった両親に代わり、凌とともに兄弟同然、親子同然に育て上げてくれた大恩人だ。


 息子の凌の生真面目さからは予想もつかない豪放磊落な人柄で、陽子の人格形成に良くも悪くも多大な影響をもたらした張本人でもある。

 だから…


「末期癌なんだ…。

 判った頃にはもう、手遅れだったんだ…。

 もう、助からないんだ…っ」


 だから、にわかには信じ難かった。


 地面に滲んだ流血を、凌の涙が洗い流していく。

 たしかに彼は酷いことを言ったかもしれない。

 けれども…これが天罰だというなら、あまりにも残酷すぎやしないだろうか。





 「陽子ちゃん…すっかり見違えちゃったねぇ。こんなに綺麗になって…」


 すぐさま見舞いに訪れた陽子に、凌の母は涙を流して歓迎してくれた。


 入院してからまだ日が浅いのに、彼女はすっかり別人のようにやつれていた。

 それでも昔とまったく変わらず、実の母親のように優しく接してくれた。


 月乃は別の病院にいるため直接会うことは叶わなかったが、体調が良い日にはスマホのチャットアプリを介して親睦を深めていた。


 月乃にとっても旧知の間柄だし、ネット上なら問題なくコミニュケーションがとれるため、二人の会話はとても弾んでいた。


 けれども…


 月乃の病状は原因不明。ということは、わずかながらも改善の見込みはあるということだ。


 だが、凌の母は不治の病。もはや一縷いちるの改善の望みもなかった。


 連日の抗癌治療で、彼女は見る間に痩せ細り、頭髪は無惨に抜け落ち、刻一刻と死地に近づいていった。


 そして月日は無情に流れ…


「できたら、陽子ちゃんか月乃ちゃんのどっちかが凌に嫁いでくれるのを見たかったねぇ…」


 そう言い残した直後に意識を失った彼女は、

そのまま重篤状態に陥り…

 皆に見送られて、静かに旅立った。


「…よく頑張ったな」

「ああ…母さんはよく頑張ったよ」

「…お前もだよ。よく…頑張ったな」


 陽子の腕に抱きすくめられて、凌は子供のように声を上げて泣いた。

 そんな『弟』を優しく見守る『姉』の目にも、涙がとめどなく溢れ続けた。


 先程までしきりと更新が続いていた月乃からのチャットアプリも、既読がつかないまま停止していた。





「医者になりたいんだ」


 火葬場の煙突から立ち昇る煙をぼんやり見つめて、凌が言った。


「…良いんじゃねーの? お前、頭イイし」


 着慣れない喪服の裾を気にしながら、陽子も気の抜けた声で応える。


「他人事だと思って」

「他人事だからな。てゆーか、似合いすぎてウケる。もうソレしか見えねーっつーか」

「…褒め言葉だと受け取っとくよ」


 そして二人して煙突の煙を見つめて、しばし。


「…なんで医者?」

「そりゃ…良い仕事だなって思ったからさ」


 凌が言うには、入院中の母親の世話で東奔西走してくれた医療スタッフの姿が、とても眩しく見えたのだとか。


でも正直なところ、今から医者を目指すなんて遅咲きも良いところだし、実現できるかどうかは判らない。


それでも、たとえ医者は無理だったとしても、看護師だとか介護士だとか…とにかく医療福祉の仕事に就きたくて仕方がないのだとか。


「…それなら、色々資料があるから取り寄せてあげるよン♪」


 学校を代表して葬儀に参列していた唯が、一通り挨拶回りを済ませて二人のそばに近づいてきた。


「それならすみませんけど、お言葉に甘えさせて頂きます」

「いーのいーの、生徒の夢は全力で応援したげるのがセンセイの務めだからねン♪」


 無意味に胸を張る唯の喪服が、いまにもはち切れんばかりにムチムチと鳴る…特に乳袋周辺が。


「…本当にお世話になります♪」

「意外とムッツリだなお前。なんか別の意味に聞こえてんぞ」


 自分と唯の部分的ボリューム感の圧倒的大差に溜息を吐きつつ、陽子はふと、


「唯はなんで先生になろうと思ったんだ?」


 すると唯はニンマリ笑って、


「陽子ちゃんみたいなカワイコちゃんに会えると思ったからかなン♪」

「ソレはソレで問題発言っぽいし」


 いったいどこまで本気で答えてるのやら…。


 ちなみに以前の担任は…今となっては大変申し訳ないことだが…例の『暴行事件』の責任を痛感したとかで辞めていた。


 というのも、学校宛てにその対応を非難する書簡が大量に届いたことで、前担任を追い詰めたらしい。


 いわく「アンタに教師の資格はない」だの「自分ならもっと上手くやれる」だの「とりあえずどの教科でも出来るから採用しなさい」だの「できれば久城陽子の担任で」だのと…ってオイ。


 …まさか、唯のヤツ…?


「そーゆー陽子たんは、将来なんかやりたいコトないのん?」


 言われて陽子は、再び立ち昇る煙に視線を移し…


「…考えたこともなかったな…」


 なんともフンワリしたその答えに、凌と唯は顔を見合わせ…やれやれと苦笑した。


「ま、考えといても損はないよン。将来なんてずぅーっと先のことのように思えるけど…一年や十年や百年や千年なんて、あっという間だからねん♪」


 そう言いながら煙突の煙を見つめる唯に、いやいや一年十年はともかく、百年や千年て…とツッコミどころ満載な陽子だったが…


「…本当に…あっという間だからネ…」


 静かに呟く唯の瞳が、煙突の遥か遠くを見ているような気がして…思わず言葉を引っ込めた。




「…将来なんて…あるの…かな?」


 火葬場から遠く離れた都内の病室で…

 陽子から届いた喪服姿の彼女や凌の写真を、スマホで眩しそうに見つめながら…


 いつもと変わらない寝巻き姿の月乃は、ぼんやりと呟いていた。





 復学するなり怒涛のイベントラッシュが続いたが、ようやく平穏無事な日々が陽子に訪れた。


 それでも以前とは明らかに異なるのは、唯という特異な存在だった。


 そしてその特異点が周囲に違和感なく受け入れられていることが、まず信じられない。

 こんなハチャメチャな奴なのに、不思議と校内での評価はすこぶる高く、悪口のひとつも聞いた試しがない。


 生徒教師問わず、男性からはその抜群なスタイルやセクシーさで人気が高く、女性側にはその快活さや愛嬌でこれまた大人気ときている。

 普通はどっちか立てればどっちかは立たないだろうに…?


 そんな彼女の授業内容は、これがもうクセになるほど面白い。


 大半は授業とはまるで無関係な与太話を延々とくっちゃべってるだけだが、豊富な話題や斬新な視点でとにかく飽きさせない。

 それでも終わってみれば、ちゃんと知識や技術がきっちり身に付いているという神技ぶり。


 授業後もひっきりなしに生徒たちに呼び止められるが、イヤな顔ひとつせず気さくに応じている。何なのだろうかこの完璧超人は?


 復学すれば、あるいは彼女とそれまで以上に長時間ともに過ごせるかも…という当初の目論みはあっさり崩れ去った。

 けれども、そんな彼女の様子を周りで眺めているだけでも不思議と退屈はしなかった。


 そして、そんな唯につかず離れず行動を共にすることが多かったからか…

 陽子の好感度自体も事件前以上に向上しており、新たなファン層の獲得にも成功していた。

 もっとも陽子自身はまるで無自覚だったが。


 だがしかし、万能無敵な唯とは異なり、陽子には少なからず『良識派』というアンチ層が存在することを、もう少し警戒すべきだったかもしれない。





「で、『僕らの将来』の話なんだけど」

「…待て、話がさっぱり飲み込めねぇ」


 ある日の放課後、屋上のフェンス際で…

 またもや凌に呼び出された陽子は、またしても意味不明な話題を切り出されて面食らった。


「ほら、葬式のときに言っただろ『医者になりたい』って。真中先生のおかげで推薦が取れそうなんだ、医学大学の」


 やっと話が見えてきたが…推薦の話がよほど嬉しかったのか、凌はいつになく浮かれていた。


「それとあたしの将来に何の関係が?」

「大アリだよ。これでなんとか母さんの『遺言』が実現できそうだからね♪」


 そこまで言われて、ニブイ陽子でも否応なしに状況が理解できた。つまり…


「人にコクるのに親の話を持ち出すとか、ナニ考えてんだお前は…」

「僕なりに考え抜いて、このタイミングなんだよ。おかげで断りにくいだろ?」


 ニンマリほくそ笑む凌の頬がほんのり赤らんでるのを見て、つられて陽子も赤面せざるを得ない。


「これで僕の将来は安泰だから、オススメだよ?」

「まだ大学に受かってもいねー内から皮算用にも程があるし、そこまで先のことはさすがに考えとらんわっ!」


 頭を抱え込むフリをして、陽子はカッカと火照る顔を覆い隠す。


「やっぱお前に屋上に呼び出されたらロクなことになんねーし…。

 つーか月乃のことはどうなった。お前、アイツに惚れてたろ?」


「やっぱりバレてた? 最初はそうだったんだけど、あれから色々あってね…。

 気がついたら、すっかり『逆転』してたんだ」


「お前の選択肢は2択しかねーのか?」

「うん、これだけは最初から変わってないよ」


 ええい、小っ恥ずかしいセリフを次から次へと…!


 しかし、かくいう陽子のほうも凌のことは別段嫌いでもなく…むしろ願ったり叶ったりかもしれなかった。


「なら…お前がめでたく医者になれた時に、まだ憶えてたら考えてやらなくもねーよ」

「言ったね? 約束だからね?」


 それは陽子的には煙に巻いただけかもしれなかったが、世間一般でみれは承諾と受け取れる発言だった。




 そんなにわかっプルの様子を…唯が貯水タンクの真上からこっそり窺っていた。


「う〜ん、ちょっと失敗しちゃったかなん?

 あの凌くんがここまで積極的になるなんて…自信つけさせ過ぎちゃったかな〜ん?」


 困惑したような、それでいてどこか嬉しげなその顔が…直後、瞬時に凍りつく。


「ヤッバ、油断しちゃったかも…!?」


 彼女の視線の先には…屋上の出入口から陽子たちのいるフェンス際までを一直線に駆け抜ける女生徒の姿があった。




「じゃあ将来的な話はこのへんにして、今日はこれからどうしようか?」

「いや、だからまた話が見えねーって」

「あれ? プロポーズ承諾してくれたんじゃないの?」

「プ、プロポ…そんな話してたのか今!?」

「何の話だと思ってたんだ?」

「いや、だから清い男女交際的な…」

「それを今からどうしようかって訊いたんだけど」


 うん、わからん。さっっっぱりわからん。

 男ってみんなこうなのか、それとも凌が特殊なのか?


 さっきから凌に主導権を握られっ放しの陽子は、もはや立つ背がない。

 ただでさえポーカーフェイス気味の彼は、陽子をおちょくらせると無類の強さを発揮するのだ。


「そ…そんなもん、月乃の容態が落ち着くまで保留だ保留!」


 月乃の病状は相変わらず一進一退だが、ここ最近は比較的落ち着いていた。

 凌の母親の死を乗り越えて、精神的に強くなったおかげかもしれないと陽子は思う。


「月乃ちゃんねぇ…なんとなくだけど、もう大丈夫な気がするんだよね。なんなら将来的に僕が完治させるよ」


 またテキトーほざいて…と一瞬思った陽子だが、やけに自信ありげな凌の言葉にそこはかとない安心感を覚えた。

 よくよく考えたら、凌は軽口は叩いてもいい加減なことは言わない奴だった。

 

 そういえば…あのとき、どうして月乃に対してあそこまで酷いことを言ったのか、今まで訊けずじまいだったが…

 凌は何か知っているのか?


「お前、なんか隠して…」


 ドスッ…!!


 陽子の質問はそこまでで遮られた。


 突然、背中から胸元まで一気に貫かれたような熱い痛みを感じた。


 見れば…胸の内側から鋭い刃先が生えていた。


「ぇ…あれ…?」


 振り向いてみれば…般若の形相を浮かべた見知らぬ女生徒が背後に立っている。

 その手には、渾身の力を込めて陽子を刺し貫いた、鋭利な柳刃包丁が握り締められていた。


「…誰…だ?」


 尋ねる口元から血が溢れ出し、胸の刃先からは鮮血が勢いよく吹き出す。

 陽子は知るよしもなかったが、その女生徒は『良識派』筆頭にして現生徒会副会長だった。


「…陽子?…ヨーコッ!!」


 やっと状況を理解し、血相を変えて駆け寄る凌に、


「会長…これで目が覚めたでしょう? 『不死身のヨーコ』なんて言っても、所詮はただの女よ。貴方にはふさわしくないわ…」


 とっくに常軌を逸した副会長は、恍惚とした表情で自らの手柄を誇る。


 それはそうだろう、陽子が不死身というのはあくまでも呼び名に過ぎず、並みの人間より多少頑丈に出来ているだけ。不意を突かれれば避けようもない。


「何を言ってるんだキミは!? なんてことを…ヨーコ! しっかりしろ!!」


 凌の懸命な呼びかけも、もはや虫の息の陽子には何の効果もない。力なくその場に崩れ落ちた彼女の真下に血溜まりが広がっていく。


「い、嫌だ…なんでこんな…っ?

 死ぬなっ! 死んじゃダメだ! 死なないでくれ…ヨーコぉッ!!」


 泣き喚く凌に抱きすくめられた陽子の体が冷たくなっていく。意識はすでに遠のいているらしく、陸に打ち揚げられた魚のように喘ぎ苦しむしかない。


「ヒャーハハハッ死んだほうがいいのよこんな女ァッ! 二度と学校に来なければ良かったのに、ノコノコ顔を出すからそうなるのよッ!!

 一度は手を上げた会長に、二度も手を出してっ…身の程を」


「わきまえるのはチミの方だよンッ!!」


 いつの間にかそばに立っていた唯の手刀が副会長の首筋にモロにキマり、トチ狂った哀れな女は顔面から倒れ伏した。


「先生ッ陽子が…ヨーコがぁッ!」

「わかってる。ちょっと見せて!」


 いつになく険しい唯にたじろぎつつも、すぐに気を取り直した凌は、陽子を唯に預けた。


「…思ったより酷い。動かさないほうがいい。止血は任せて!」


 一瞬キョトンとした凌だが、唯なら陽子を助けられそうだとすぐに判断したのか、力強く頷き返した。


「凌くんは先生たちに報告して! あと救急車と保健の先生に連絡! それから、このおバカさんを警察に突き出すっ!!」


 唯の的確な指示に頷き返した凌は、失神した副会長を引きずり起こすと小脇にかかえて屋上から退散した。


 あとに残ったのは、おびただしい血溜まりに沈む陽子と唯の二人きり。


「…人払い完了♪

 さぁーてと…久々に、本気出そっかなン⭐︎」





 気がつくと、陽子は真っ白い空間の真っ只中にいた。


 上も下もわからない…どこまで広がっているのかも判らない…ただただ白い光に覆われた、不思議な場所。


 光しかないはずなのに、まったく眩しくないのも不思議だ。


 そんな不思議なその場所に…陽子は一糸纏わぬ姿で寝転がっていた。


「…なんだここ…あたしは…何がどうなって…?」


「陽子ちゃんはたった今、刺されたばかりだよん。憶えてる?」


 いつの間にか唯がすぐ隣にいた。一瞬前まで他に誰もいなかったはずなのに。


 そして唯もまた、陽子と同様に素っ裸だった。なのに不思議と恥ずかしくはない。


 ただ…ほぼ同じ背丈で、年齢もさほど開いてないのに、理不尽なまでに異なるスタイルの大差に圧倒される。


「刺された?…ああ、なるほどな」


 言われてみれば、さっきまで刃先が生えていた胸の素肌に、ぽっかりと大きな傷口が開いている。

 不思議と血は出ていないし痛みもないが、自身の身体だというのにかなりグロテスクだ。


「止血はしたけど、傷口が塞がるまではちょっと我慢してねん。跡形もなく治ると思うから安心して♪」


 なんでもできる器用なヤツだとは思っていたが、こんな医療技術まで持ってたなんて。


「…ゴメンね、すっかり油断してた。目の前で襲われたのを止められなかったなんて…教師失格だよね」


「いやフツー止められねーだろアレは。それに、助けてくれたんだろ? じゃあいいよ」


 いつになく気落ちした唯を慌てて気遣う。

 気を遣われなきゃいけないのは大怪我した自分のほうだというのに、まったく。


「でもコレ…外側はキレイに治るけど、内側がけっこーヒドイことになっててね。背中からザックリだし、グリグリえぐられちゃったから♪」


 陽子の胸の傷を指先でなぞりつつ、唯は楽しげに症状を伝える。コイツは真性のサディストだな。


 それにしても、あの副会長とかゆー女…ろくに面識もなかったが、どうやら相当恨みを買っていたらしい。

 初対面であんだけエライ目に遭わされて、よく生きてたもんだぜ。


「ん〜ん、普通ならとっくに死んでたよん♪

 今もけっこうヤバイ感じなんだけど…どーする?」


 マジか。そんならちゃっちゃっと治してくれよ、できるんだろ?


「りょーかーい。上から行く? 下から行く?」


 なんだそりゃ。上からって?


「口ん中に手ぇ突っ込んで、傷口をなかから繋ぎ合わせてく感じ〜?

 口がふさがっちゃうからメチャメチャ苦しいし、けっこー痛くて暴れるから腕を噛みちぎられちゃうと思うけど♪」


 う〜わ。苦しいのはヤダし、噛みちぎりたくもねーな…。やっぱ下から頼むわ。


「んっふふ…了解♪」


 急に楽しげに微笑んだ唯は、指先を胸からお腹へツーッと滑らせて…さらに下腹部へと…


「えっちょっ…下って、まさか…?」


「そっ。ここから入れて、お腹ん中ブチ破って胸のほうまで行くカンジ♪

 お尻から行く方法もあるけど、途中に腸とか胃とかあるから、ダメージが大きすぎるんだよねん♪」


 いやあの、前のほうもじゅーぶん精神的ダメージデカそうだけど?


「だよね〜。凌クンにアゲルのは我慢してもらわなきゃだけど…仕方ないよねン♪」


 ちゅぷっ。


 さっそく唯の指先が入り口をまさぐり始めた。


「んんっ!? ま、待って…やっぱソレ…」


「カワイイ陽子ちゃんをもっといぢめていたいけど…そろそろマジでアブナイよ、生命いのち?」


 言われてみれば…なんだか身体がどんどん冷えて、苦しくなってきた。


「大丈夫、優しくしてあげるから♪」


 言いながらも、唯の指はどんどん身体に分け入ってくる。


「ぅぁ…んっ…う゛あ゛っっ!?」


 何かが引き裂かれる痛みに、陽子は呻いた。

 思ったほど痛くはなかったが…なんてゆーか…少し哀しい。


「第一関門突破。続いて第二関門♪」

「って、そんなにいっぱいあるわきゃねーだろ…っ!?」


 哀しみを味わう暇もなく、唯の指…というか腕は、もう肘の辺りまでズップリ身体を刺し貫いている。

 人体構造的に不可能なはずだが…考えてもみれば相手が唯だという時点で、そんなコトはまるで関係なかった。


 なんだかもう、ハラワタを引っ掻き回されている感じで…実際そうなんだろうが…痛みも感覚も何もかもが麻痺して、何も考えられない。

 これに比べたらさっき刺されたときのほうがよっぽどマシだ。酷いレイプもあったものだ。


「到着〜。…あっちゃ〜、心臓も半分ちょん切れちゃってるわ。道理で治らないわけだねン♪」


 コワイ実況中継はもういいから!

 てゆーか、えっ心臓? なに半分て? マジダメダメなヤツじゃんそれ。


「ん〜…仕方ない、唯ちゃんサマの『チカラ』を貸したげる。あとで返してもらうからねン♪」


 そしてコイツはコイツでなに訳わからんことを…と思った次の瞬間、唯の唇が陽子の唇を塞いだ。


 今まで散々アレでナニな行為をし尽くしたというのに、いまさら口づけ程度で…こんなにも心がたかぶるなんて。


 しかもそれはただのキスではなかった。

 唾液や舌に織り交ぜて、得体の知れない『何か』が体内に送り込まれてくるのが判る。


 今頃になって心臓が早鐘のように脈打つ。

 というより直前まで心臓そのものが半壊していたらしいから、瞬時に修復されたということなのか。


 そう悟った刹那…唯はゆっくりと陽子の唇を解放した。

 なんだか名残惜しかったが…


「…んぅっ!? げほっごほほぉえっ!!」


 途端に猛烈な息苦しさを感じて陽子は激しく咳き込んだ。せっかくの雰囲気が台無しだ。


 …いや違う。直前までは肺も傷ついていたから、呼吸すらできてなかったのだ。

 体内の臓器が全回復した証拠だった。


「これでもう大丈夫。でも…ゴメンね」


 唯が囁きかけるにつれて、急に視界が霞み始めた。


「チカラを半分貸しちゃったから、もう姿が保たないや」


 白濁する意識の向こうで…波打ち際の砂の城が押し流されるように、唯のカタチが少しずつ崩れ去っていく。


 唯…いや違う…知らない顔…誰?


 あたしは今まで…誰と話してたんだっけ?


「…バイバイ。また、そのうちね♪」


 えっいきなり何言って…?

 待って、いったい何処へ…?


 …置いてくつもりか? またひとりぼっちにする気なのか?


 いやだ…置いてかないで…っ!





「…唯ッ!?」


 跳ね起きるなり、猛烈な眩暈めまいに世界が回った。


「陽子!?」


 すぐそばに凌の驚いた顔があった。

 その顔は次第に泣き顔に変わる。


「…良かった…本当に助かったんだな…っ」


 涙ぐむ凌に困惑しつつ、周囲を見回すが…まったく見覚えがない部屋だった。

 ただ、ここが病室らしいことは判る。月乃の見舞いで散々訪れたから。そことは違う病院らしいことも。


 ということは…やっと頭が回り始めた。


「…助かったんだな…あたし」

「ああ。酷い刺し傷だったけど、奇跡的に臓器はほとんど無傷だったんだってさ」


 無傷? いや違うだろ、心臓半分ちょん切れてただろ?


「真中先生の応急処置が良かったんだな」

「…まなか…せんせい…?」


 呼び慣れない名前だったから、思い当たるまでに時間を要した。


「…ゆい?…そうだっ唯! 唯はッ!?」


 血相変えて問いただすも、凌は困ったように苦笑するだけですぐには答えなかった。


「キミの意識が戻ったことを、まずは報告させてくれ。話はそれからだ」


 言って枕元のインターホンに手を伸ばし…凌はふと手を止めて、


「言い忘れてた。あれからキミは…1週間眠りっ放しだったんだ」


 いっしゅうかん…!?




 たかが1週間、されど1週間。

 酷い怪我だった自覚はあるが、そんなに眠っていたとは…急に浦島太郎になった気分だ。


 …あれからすぐ、凌に先導されて屋上に駆けつけた教師たちは、血溜まりに倒れ伏した陽子を目撃して一様に青ざめた。


 しかしその容態は見た目からは想像もつかないほど軽症で、背中と胸元の刺し傷以外めぼしい外傷はなかった。

 その刺し傷も傷口が鋭利だったことが逆に幸いし、綺麗に縫合され、ほとんど跡も残らないだろうとのことだった。


 無論、担ぎ込まれた病院の医師たちは大いに困惑したが。

 傷口からすれば内臓に致命傷を負っているのが常識なのに、すっかり『治っていた』上に『完璧に止血されていた』のだから。

 『不死身のヨーコ』伝説をさらに後押しする結果となったことは言うまでもない。


 ちなみに犯人の副会長はすぐさま警察に連行され緊急逮捕、あげく女子少年院へ収監となった。


 動機はいまさら説明するまでもないだろう。そうとう思い詰めた上の犯行だったらしく、それを見抜けなかった凌も落ち込んでいた。


 あと…当初は内密にしておくはずが、何故だかすぐに事件を察知した月乃から、陽子が再び目覚めるまで連日3桁に及ぶ線連絡が凌・陽子双方のスマホに送り付けられていた。


 余談だが、月乃が例の『呪詛儀礼』に目覚めたのは今件からである。

 のちに風の噂で、某女子少年院の某受刑者が精神に異状をきたし警察病院に送致されたらしいことを知ったが、今件とは無関係…と信じたい。


 また、事件は当然のように巷で大きく報道され、ショッキングかつセンセーショナルな話題として当面盛り上がった。

 もちろん関係者名は伏せられたが…後に陽子がなかなか教職に採用されなかった一因として、その悪名以上に大きな理由となったことは想像にかたくない。


 そして…陽子が最も気がかりだった、唯の消息だが…




「…なーんか、すっかり静かになっちゃったね…」

「やっぱ唯ちゃんいないと、盛り上がらないよねー…」


 事件発生から早2週間近くが経とうというのに、飽きもせず校門前に押し寄せるマスコミを校舎の窓から見下ろしつつ、意気消沈した生徒たちが愚痴をこぼす。


「でもスゴイよね〜、メールだけ送りつけてあっさり辞めちゃうなんてさー」

「唯ちゃんらしいっちゃらしいよねー」


 事件当日、陽子の応急処置を完璧に済ませたまま姿をくらました唯は…


 後日、今件の兆候を見逃した責任を取るという内容の辞職願いメールを学校関係者に送りつけ、やむなく受領された。


 以来、誰も彼女の姿を目にしていない。

 嵐のように現れて、嵐のように去っていった女…。


 あれは本当に現実だったのだろうかと、陽子は今でも時々思う。


 特にあの最後の逢瀬は、どう考えても夢だったとしか思えない。

 何から何までが現実離れしていて、何一つマトモじゃなかった。


 だが、紛れもなく現実だった。

 それが証拠に…後で自身の身体を確認してみたら…しっかり「奪われ」ていた。


「…ムカつく…」


 傷を癒してくれたかと思えば、肝心なところで傷モノにされた。悪魔みたいな奴だ。

 自分はそんな些細なコトにこだわるタマじゃないと思っていたが、意外と乙女だったらしい。


 だからって訳じゃないが…奪われたのは肉体的な意味だけじゃない。

 あのときの突然のキスが…いまでも忘れられない。

 

 ならば…責任を取ってもらうしかない。

 それなのに…


「あんにゃろ、どこ逃げやがった…?」

「少なくとも、今はどこの学校にもいないみたいだね」


 いつの間にか前席に腰掛けていた凌が言う。


「僕なりにあらゆる手段を駆使して追跡してみたけど、見事に空振りだったよ。今後も調査は継続するつもりだけどね」

「…そっか…悪いな、手間かけさせて」


 しれっと答えて、陽子は机に顔を伏せる。

 あの日以来、なんとなく凌と顔を合わせづらくなってしまったのだ。


 不可抗力だったとはいえ、彼を裏切るかたちになってしまった。

 今の陽子には、彼に捧げられるものは何一つ無い。


 カラダも…心も。


「…いいんだよ。僕が好きでやってることだから」


 たぶん凌は知っている。陽子の気持ちがもう、彼のそばにはないことを。

 それでも彼はまだ、こうしてそばにい続けて、優しく笑いかけてくれる。


 それがたまらなく嬉しくて…

 けれども、たまらなく苦しくて…

 陽子は顔を伏せたまま、肩を震わせた。


「…もう一つ報告。推薦、とれたよ。

 真中先生が最後にひと働きしてくれたらしい」


 ええい、このタイミングで報告するな。

 祝ってやりたいのに、何も言ってやれないだろ。


「本当に…あんな先生とはもう、金輪際出会えないかもしれないな。

 ちゃんとお礼が言いたかったのに…今度はどこの学校に行くんだろうね…?」


 何気ない凌の言葉が、遅れて陽子の胸中に波紋を広げた。


「…先生…? 学校…?

 …………そうかっ!!」


 弾かれたように跳ね起きた陽子に、凌だけではなく教室中の皆が仰天した。

 涙が滲んだままの陽子の顔に、確信めいた笑みが広がる。


 やっとわかった。

 あたしの将来が。あたしのなりたいモノが。


 そうだ、あたしも先生になろう。

 あたしも唯みたいな教師になりたい。


 生徒のために体を張って、

 生徒と一緒に笑い合って、

 生徒と一緒に泣いてくれる…

 …そんな先生に!


 未来を閉ざされかけたあたしに、唯は新たな命を吹き込んでくれた。

 ならばあたしは、全力で恩返しがしたい。


 それに、教師を続ければ、いつかまたどこかで…

 ううん…いつか必ず、また唯に逢える!


「ちょっ陽子?…陽子!?」


 慌てて引き止める凌を振り切り、陽子は教室を飛び出した。


 そのままの勢いで廊下を駆け抜け、階段を飛び降り、行き交う生徒たちを飛び越して…


 一路、職員室へと転がり込む!


「…教えてくれっ!!」


 突然殴り込んでくるなり絶叫した陽子に、職員室じゅうの目が一斉に振り向く。

 そして、それが陽子だと判るや、ことさら怯えて逃げ惑った。


 陽子はそんな犠牲者の中から、間近にいた気の弱そうな女性教師の首根っこを鷲掴んで手繰り寄せると、


「ヒィイ〜ッごめんなさいゴメンナサイなんだか知らないけど殺さないでぇーっ!!」


 泣き喚く彼女の鼻先に顔をこすりつけると、はやくも失神寸前の彼女に再度、叫んだ。


「教えてくれ、先生…

 あんたみたいになるには、どうしたらいい!?」

 

 

【第九話 END】

いつもは後書きつけてませんが…今回は苦労しました。

今話分を半分ほど書いたところで、不慮の事故でデータが消えてしまい、復旧も無理だったので結局アタマから書き直すハメに…。

でもおかげで構成をやり直せたので、当初の想定よりはまとまった話に仕上がりました。

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