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激突!

 一匹の子猫が、夜の街をトボトボ彷徨い歩いていた。


 ひなびた田舎町の、それでも人並みに賑わう繁華街。猫を見かけるような時刻はとうに過ぎている。


 それでも子猫は歩き続ける。

 薄汚れてはいるが、宵闇に溶け込むように真っ黒な毛並みだ。

 それだけに薄暗い夜道では誰の目にも留まらない。


 あちこち傷だらけで、フラフラおぼつかない足取り。今にも倒れそうな弱々しい雰囲気だ。

 親猫の姿はない。途中ではぐれたのだろうか。


 道端のゴミ箱に目をとめる。美味そうな匂いが漂っている。

 だが…子猫の小柄な体では届きそうにもない。


 あるいは、道端の塀や道路標識によじ登れば届くかもしれないが…それだけの体力はすでに子猫には残っていなかった。


 飲み屋の横に停められた軽トラックに目をとめる。車体にはどこぞの工務店の社名があるが、子猫にはどうでもいいことだ。


 だが、その荷台には雑多な荷物が雑然と積まれている。猫にとっては居心地が良さそうだ。

 先ほどのゴミ箱と似たような高さだが…やっと見つけた寝ぐらだ。背に腹はかえられまい。


 車の脇の植え込みに懸命によじ登り、目と鼻の先にあった軽トラの荷台に飛び移る。

 おあつらえ向きに雨除けシートで覆われていたため、絶好のクッションとなった。


 そのクッションに潜り込み、積まれた荷物に身を寄せた。これでやっと安心して休める。


 腹が減って仕方がないが、疲れ果ててもう一歩も動けない。

 そして、そんな子猫を助けてくれる親猫は、もうここにはいない。


「…にゃあ…」


 親猫を呼ぶようにか細い声でひと鳴き。

 そこで子猫は力尽きた。




 再び目を覚ますと、周囲の景色が一変していた。


 どう見ても街中ではない。

 かなり大きなお屋敷の中に、子猫は何故だか運び込まれていた。


 軽トラの荷台よりもよっぽど寝心地がいい、とても柔らかくて温かい何かが子猫を包み込んでいた。

 にもかかわらず振動がひどい。どうやら何処かへ移動しているようだ。


 薄目を開けると…見知らぬ少女と目が合った。

 色白で金髪な美少女の、青空のように澄んだ瞳が、心配そうに子猫を見下ろしていた。


「いったいどこで拾われたのですか?」


 見たこともない大きな獣が、背後から人語で少女に問い掛けている。


「改装工事の業者さんのお車に紛れ込んでたみたいですぅ…なんとかなりませんかぁ?」


 少女が涙目で問い返す。子猫はその腕に抱き抱えられ、大きな胸に包み込まれていた。

 揺れが大きいのは、少女が乗った車椅子が全速力でどこかへ向かっているからだった。


「…正直に申し上げて、かなり難しいかと。

 衰弱が激しい上に怪我も酷い…もう長くは持たないでしょう」

「そんなぁ…っ」


 少女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちて、子猫の顔を濡らす。とても温かかった。


 だが、自分はもう長くはないらしい。

 残念だなぁ、せっかくこんな優しい子に出会えたのに…。


「…方法が無いこともありません」


 背後から着いてくる獣の一言に、少女と子猫は耳を疑った。


「ただ…これは自分には不可能な芸当です。

 お嬢。すべては貴女次第となりますが…おそらくそう簡単には行かないでしょう。

 場合によっては、貴女のお命にも危険が及ぶやもしれません」


 獣の説明を黙って聞き届けながらも、少女は車椅子を走らせ続ける。

 その表情には…とっくに決意の色がありありと浮かんでいた。


「…お覚悟のほどは?」

「もちろん…やりますっ!」


 潔い答えに、獣は愚問だったなと被りを振り、


「…貴女が最初にお目覚めになられた小部屋を憶えておいでですか? まずはそこへ」

「わかりましたっ!」




 真っ白い壁に囲まれた、何もない殺風景な小部屋。

 その中央にあるベッドの上に、子猫は横たえられた。


「この術式には途方もない集中力を要しますので、このように注意力を削がれない簡素な環境が望ましいのです」


 獣の解説に少女は素直に耳を傾けている。


「お嬢。貴女たち主禍しゅじんには、従禍つきびとの殺生与奪権が与えられている。

 これはその権利を応用した術式となりますが…それにはまず、この子猫を従禍とする必要があります」


「…わかりましたぁ」


 それだけで自分のなすべき事を理解した少女は、速やかにベッドの上の子猫に顔を寄せると、ためらいなく口付けを交わした。


「…んに?」


 少女から禍力まがりきを分け与えられ、少しは楽になったのか、はたまた従禍化への違和感からか、子猫はキョトンとしている。

 だがこの時点では単なる眷属化、および一時的な禍力補充に過ぎず、衰弱しきった子猫の体を回復するまでには至らない。


「そこで…ここからが本番です。

 お嬢、粘土遊びはご存知ですか?」


「はい…知識はありますぅ。実際に遊んだことがあるかは分かりませんけどぉ…」


 少女には昔の記憶がない。必要最低限の知識はあるが、経験を伴わない知識など無知も同然である。


「そう難しいことではありません。粘土遊びの要領で…この子猫の身体を作り変えます。」

「…んにっ!?」


 この獣、なんかコワイこと言ってる…。

 そう直感した子猫の体を、少女は再びそっと抱き上げた。


「い、痛いんじゃないですかぁソレ?」

「それはまあ。ですが、そうせねば救えない命があります」


 どこぞのCMみたいなカッコいいこと言ってるが、させようとしているコトは鬼畜の所業である。


「うぅ…わかりましたぁ。猫ちゃん、ちょっと痛いけど我慢してね〜?」

「んに゛っ…!?」


 ベキバキゴキグシャベケボコッ!!


「!!!???」


 案の定、ちょっとどころの痛さじゃなかった。

 だがそれを訴えようにも、先に声帯が潰されているため声にならない。


「頭の中では常に完成形をイメージしてください。そうすれば自動的にその形態に近づけられます」

「猫ちゃん以外の形にも出来るんですかぁ?」

「お望みならば」

「ではでは〜、せっかくですのでぇ〜♪」


 このお姉ちゃん…楽しんでる!

 優しそうに見えたのに、トンデモナイ人だった!


 そう子猫が気付いたところて、いまさら後の祭りである。すでに手足はもぎ取られ、脳みその中までこねくり回されて、感覚がどんどん曖昧になってきた。


「…ほう、人型ですか?」

「はい〜。どうせならもっとカワイイ子に…

 あ、そーいえばぁ、この子って男の子でしたっけ? 女の子でしたっけ?」


「…確認を失念しておりましたな。まあ、そのへんは意図しない限り元の性別が反映されますので、完成すればお判り頂けるかと」


「じゃあじゃあ、どっちでもいいように、もっともぉ〜っと可愛くしなきゃですね〜♪」


 グチャゴキュベキョバキョッ!!


 …鬼かコイツら。




「完成〜!  どぉーですかぁ新しい身体はぁ?」


 地獄の悶絶時間が過ぎ去り、少女の術式はようやく終わりを迎えた。


「これは…いやはや感服致しました。初めてでここまでお出来になるとは…意外な才能をお持ちだったのですね」


 獣も目を丸く見開いて驚きを隠さない。


「しかも…この術式には膨大な禍力を必要とするため、並みの主禍ならば途中で息絶えることも珍しくはないのですが…ご気分は如何ですか?」


「だからぁ、そーゆーアブナイコトは最初からちゃんと言ってくださいよぉ! いまんとこなんともありませんけどぉ…プンプンッ!」


「ふぅむ…今回は小型の素材だったから比較的容易だったのかもしれんが…予想外に凄まじい禍力貯蔵量だ…」


「聞こえてますよ〜。人を冷蔵庫みたいに言わないでください〜プンスカプンッ!」


 相変わらずしょーもない漫才を繰り広げる二人のことなどそっちのけで…


 子猫…だったモノは、目の前に置かれた姿見に映るその姿に呆然となっていた。


 かつての自分の姿は、水溜まりや車のミラーなどへの映り込みでそれなりに知っていたが…

 今現在、鏡のなかにいるソレは、到底同じ自分だとは思えなかった。


 黒髪のおかっぱ頭に耳状の突起は残るものの、尻尾もないし…どこから見ても人間の子供だった。


「名前はどう致しますか?」

「それは最初っから決めてありますぅ♪」


 いまだ自身の変貌ぶりに戸惑う子猫…いや子供を抱き上げて、少女はにっこり笑った。


「…あなたは『クロ』ちゃん♪

 これからよろしくねっ⭐︎」


 



 夕闇迫る森の中を疾走する2台の車。


 前方を全速力で逃げ惑うのは、都乃宮みやこのみや女学院一行を乗せた大型バン。


 それを追いかけて爆走するのは、影をそのまま塗り固めたように真っ黒な、古めかしいボンネット型トラック。


擬態ぎたいってあれか、虫が枝や葉っぱになりすましたりするヤツか?」


「そうだ。アレの場合は車だが、鳥や船に擬態する禍物まがものもいる。連中はああして獲物を欺く」


 背後に迫り来るトラックを睨みつつ、シロガネは陽子ようこの質問に端的に答えた。


 たとえばトンネル内に出没し事故を誘発する幽霊。

 もしくは心霊スポットで巷の話題にのぼる怪奇現象。

 あるいは一般的に学校の怪談などと呼ばれる定番の噂。

 これらは禍物の仕業である場合が多い。


 人間は基本的に禍力を持たないため、それを糧とする禍物にとっては無用の存在である。

 従って通常、人気ひとけの多い場所に禍物は姿を見せない。


 しかし、彼らの禍力搾取の邪魔となる場合や、単に悪ふざけで脅す場合には、彼らと波長が合う人間には幽霊や化け物などの怪奇現象という形で目撃されるのだ。


「彼奴の普段の標的は人間ではなく…アレだ」


 と、シロガネはトラックの荷台にうずたかく積み上げられた動物の骨をあごで指す。


 禍力を所有するのは禍人や禍物だけではなく、野生動物もまた然り。過酷な生活環境下で生き抜く生物こそ、より多くの禍力を得る傾向にある。

 よって、他の同属と争うことを苦手とする禍物は、比較的容易に狙える野生動物を襲うことが多い。


 ちなみに彼らの擬態後のサイズは元々の質量と同等であり、差異が著しい巨大化や縮小化、あるいは分裂などは通常不可能である。

 ということは、現状トラックサイズのあの禍物はかなりの大物といえる。


「そんな臆病者が、珍しく本気出してみましたってか?」


「無理もなかろう。こちらには禍人が4人も揃っている。滅多に釣れない大物だからな」


 そんな厄介な相手の荷台から突き出た骨のなかに…クロは目ざとく、見覚えのあるモノを見つけた。


 干からびた毛皮がこびりついた、小型動物の骨。その毛並みは…クロと同じ、宵闇色。


「…マ…マ?…ママぁっ!!」


  泣き叫ぶクロの声に、騒々しかった車内はたちどころに沈黙した。


 そして陽子は理解した。

 クロがいつも落書きしていた『大きな塊が小さな物を跳ね飛ばしている』絵の正体を。


「つまり…アイツがクロの親の仇ってことか」


 美夜やシロガネも理解した。

 クロが学院にたどり着いたばかりの頃、何故あれほどまでに傷つき弱りきっていたのかを。


 腹の奥底から、マグマのように渦巻く怒りが静かに込み上げてくるのを、その場の誰もが実感した。


「…な〜るほどぉ…それなら、もぉ遠慮は要りません…ねっ!!」


 振り向きざま炸裂した、美夜の激しい憤りを乗せた遠隔障壁が、禍物トラックの勢いを殺した。


「弱いものイジメしか能がない下劣な輩は…ここで滅ぶが良いっ!!」


 トラックがスピンしかけたところへ、シロガネがばら撒いた小銃の弾丸がまとめて襲いかかるが、


 ギャロロロロォッ!


 耳障りなタイヤのスリップ音を路面に擦り付け、トラックは神技的なドライビングテクニックで全弾を器用に避けきった。


「敵のくせにやるじゃねーか!? あっちがドラテク自慢なら…ここはやっぱ、ハリウッド映画ではお馴染みのアレだな、シロ公!」


 陽子は気づいた。敵がそこまでリアルな車の挙動にこだわるなら…弱点もまた、車と同じはず。


「誰がシロ公だ!? 言われなくても…解っているっ!」


 陽子の言わんとすることをとうに理解していたシロガネの銃口が…トラックのタイヤめがけて火を噴く!


 ギィーーーンッ!


 しかし放たれた弾丸は金属音のような悲鳴をたなびき、ことごとくタイヤに弾き返された。


「チィッ、そこまで甘くはなかったか!」


 悔しげに歯噛みするシロガネに、再び速度を上げたトラックは逆襲とはかりに幅寄せしてきて、


 ゴッ…ドゴォッ!


 鈍い金属音を立てて、一行のバンを少しずつ削り取っていく。


「ひぃ〜んっ!? だから新車だっちうとろーがやめれアホぉ〜〜〜っ!!」


 ハンドルを握るゆいが泣き喚くが、もちろん禍物トラックの追撃は止まない。


「てゆーかさぁ…さっきからずぅ〜っと森ん中走ってんの、おかしくない!?」


 何気ない唯の一言に、皆がハッと顔を上げる。言われてみれば…


「街へ行ったとき…こんなトンネル…通って…ない!」


 月乃つきのが言う通りだ。

 往路ではたしかに木立のなかを走りはしたが、視界が開けた爽やかな風景だった。

 こんな樹々がトンネルのように鬱蒼と生い茂った道は、絶対通ってはいないはずだ。


「そうか。我々はいつの間にか、奴の結界に取り込まれていたのか…!」





 シロガネが言うには、この一帯は通常の地域よりも禍力の濃度が高く、禍物もより高い能力を発揮できるのだとか。

 その一つが俗に言う『結界』である。


「てことは、この木のトンネル自体が奴の術ってわけか? 漫画とかでよくある、敵の創った世界に飲み込まれちまう的な…?」


 陽子の例えに、しかしシロガネは首を横に振り、


「いや、禍力はそこまで万能ではないし、それほど大規模な空間は創造できない。

 それもあの程度の禍物なら、せいぜい入り口に罠を仕掛け、獲物をそこに誘い込むのが関の山だろう」


 つまり一行はまんまと奴の罠に引っかかり、通常の路線とは違う道へと誘導されてしまったらしい。


「それに、この樹木トンネル自体は本物だ。ちゃんと樹々の匂いがする。

 だが…言われてみれば、先ほどから同じような風景が延々繰り返されている」


「つまり…ループ…もの?」


 月乃の言葉にシロガネは大きく頷き返した。

 要は、罠が仕掛けられているのは入り口の一箇所だけ。


 しかし、一旦そこへ彷徨い込んだ獲物はまた同じ入り口へと巧みに誘導され続けることにより、永遠に同じ道をグルグル走り回らされるハメになるのだ。


「あ…もしかしてぇ…」


 そのとき、美夜が気づいた。


「さっき、クロちゃんが急に叫んだのってぇ…」

「…んにゃっ!」


 涙目のまま、クロは大きく頷いた。

 彼は…彼だけは、一行を乗せた車が本車線から逸れた瞬間、その異変に気づいたのだ。

 そして…


「みにゃっ!!」


 見ろ!とばかりに前方の樹木を指差した。


 延々と続くかに見えた樹々のトンネルの…その部分だけ、たしかに何か違和感がある。


『…あっ!?』


 それに気づいた全員が一斉に声を上げた。


「木が…重なってる!」


 そう。その部分だけ樹木の映像が二重にブレていたのだ。

 まるで昔のゲームで画面中を見渡したとき、マシン性能の限界から画面端のポリゴンが中途半端に欠けたり重なったりしていたかのように。


 クロに指摘されたからこそ気付けたが、高速で走り回ってる車内からは、普通そこまで注意が行き届かない。

 いまだ動物的直感を色濃く残すクロだからこそ、その微妙な差異を感じ取ったのだ。


「ということは、その側になんらかのスイッチが…あった!」


 樹木トンネルの頭上を見上げると、一つだけ赤い実がなっている。その実から周囲へ向けて赤黒い光が放出されている。

 なるほど、コレが結界の投影装置的な役割を果たしているらしい。


「シロガネッ!」

「任せろっ!」


 すぐさま車窓へ向けられたシロガネの拳銃が、ろくに狙いもつけずあさっての方向へ弾丸を放つ。


 にもかかわらず、弾丸は赤い実へと導かれるように不自然な弾道を描き、見事に撃ち抜いた。

 拳銃には誘導弾効果があったらしい。道理で百発百中なわけだ。


「…やたっ! 出口見ぃーっけ⭐︎」


 霧が晴れるように薄らぐ樹木トンネルの傍らに、オレンジ色の光が射す小道を見つけた唯は、喜び勇んでその出口へと車を滑らせた。


 …出口の外には元通りの車道が広がっていた。山々の向こうに沈みゆく夕陽が辺りを真っ赤に染め上げている。

 ずいぶん長く走っていたようなのに、さほど時間が経ってはいない。結界内では時間の流れが異なっていたのかもしれない。


 だかまだ気は抜けない。背後からは黒いトラックがますます鬼気迫る勢いで追い上げてくる。意地でも獲物を逃すつもりはないらしい。


 あの大質量では軽量すぎるクロは太刀打ちできないし、美夜の障壁の範囲外だ。

 月乃にとっても、今の敵は無機物なトラックに過ぎないため呪詛効果が薄い。


 消去法的に、頼れるのはシロガネしかいない。訳だが…


「…クソッ、このままでは無駄弾が増えるだけだ…」


 再びトラックのタイヤに照準を合わせたシロガネだが、諦めたようにシートに沈んで身を隠した。

 先ほど放った銃弾がことごとく弾かれたのを気にしているようだ。


「どうすんだ? 戦争映画みたいな手榴弾とか持ってねーのか?」

「そんな無粋な武器は使わんッ!」


 陽子の無駄口に苛立った様子のシロガネだったが…

 ふいに何か思いついたように陽子の顔をマジマジと見つめ返すと、


「…ぇえいっ、背に腹はかえられんッ!」


 自らを奮起させるように自分の頬を平手で打つと、赤らんだ頬をますます紅潮させて…言った。


「貴様……いますぐ自分と接吻しろ。」


 へ…?


 陽子はおろか、その場の誰もが我が耳を疑った。


 とりわけ…美夜はもはや完全に思考停止していた。





「…お、お前…正気か?」

「ああ。残念ながらな」


 遅れて顔を紅潮させつつ確認する陽子に、シロガネは照れて目を伏せる。


 中身や口調が年寄りめいているため、ついつい忘れがちだが…見た目は小柄な美少女眼鏡っ子である。

 その彼女が自らキスをせがむなど…あたかも好みの担任教師を未熟ながらも懸命に誘惑しようとする小学生のごとき背徳感がビシバシ漂いまくりである。


 だか、無論シロガネは破れかぶれで妄言を放ったわけでは決してなかった。


 あの夜の温室で、陽子と艶めかしい口づけを交わした、美夜が…


 あの日のグラウンドで、陽子と正面衝突さながらの激しいキスを交わした、クロが…


 いずれも直後に、尋常ならざる威力の禍力を解放したことを思い出したのだ。


 シロガネの攻撃力は銃弾の威力そのままであり、お世辞にも高いとは言えない。

 でたらめな強さの月乃や美夜はおろか、つい最近禍人化したばかりのクロにすら劣ることを、シロガネは自覚していた。


 だからこそ、絶体絶命なこの場面ではなおのこと…試してみる価値はある。


「あのぉ…それって、私の補充じゃ…ダメなんですかぁ?」


 やっと我にかえり、震える声で尋ねる美夜に…シロガネは静かに首を振り、


「…はい。申し訳ありません…お嬢」


 今までになくキッパリと、主禍の施しを拒否した。


「…わかりました。クロちゃん…月乃さんをお願い」

「はぃにゃ!」


 飼い主の命に従い、『裏切策士眼鏡』と殴り書かれた藁人形を高々と掲げた月乃を羽交締めにして抑える飼い猫のクロ。


「放して…じゃないと…お前も呪い殺す。」


 これ以上ないほどの怨念がこもった月乃の眼力に怯みつつも、クロは怪力で彼女を抑え込むことをやめない。

 そうしないと…親猫の仇が討てないことを悟っていたのだ。


 やがて、そんなクロの必死さが通じたのか、月乃は藁人形を力無く振り下ろし、陽子たちから目を背けた。

 それを見て、美夜もそそくさとシロガネから目を背け、ギュッと両目を瞑った。


 ここまでお膳立てされてしまっては仕方がない。覚悟を決めた陽子は、シロガネの両肩にそっと手を添えて…


「…ん? なんかおかしくねーか? お前、中身は男だろ? なんで女のあたしからしなきゃなんねーんだ?」


「ええいっ、この後に及んで往生際の悪いッ!!」


 痺れを切らせたシロガネは、強引に陽子の唇を奪った。


 直後に、いややはりこれは無礼千万なのでは? あんなのでも一応は女性なのだし…

 いやいや、見た目ではこちらも女性だし年下だし教え子なのだから、遠慮することは…

 というか、そもそも教師と教え子がこのような行為にふけるのは如何なものか?

 ともかく、相手の合意は取り付けた。合意の上ならば犯罪には当たらん!

 …等々、女々しい言い訳を脳内で繰り広げた次第だが。


 ところが、そんな些細な逡巡を軽々と吹き飛ばす衝撃がシロガネの体内で巻き起こった。


 陽子の側から禍力とは明らかに異なる、得体の知れないパワーがとめどなく注ぎ込まれ、シロガネ側の半減していた禍力の貯水量を一気に押し上げたのだ。


 さらにそのパワーは禍力と溶け合い、融合し、より未知のパワーへと変容していく。

 いまだかつて経験したことのないその感覚に恐怖を覚える…反面、自身がどこへ運ばれていくのかを見届けたい強い好奇心に苛まれる。


 なるほど、これが陽子の能力か。

 これは…まるで麻薬だ。


 抗いがたいその魅力に完全に呑み込まれてしまう前に、シロガネは陽子を解放した。


「…感謝する。…やってみよう」


 言葉少なに言い置いて、シロガネは車窓の外へと身を乗り出す。猛スピードで走り回る車外へと。

 シラフではやる気にもならない自殺行為だが、不思議な高揚感に支配された今なら可能だ。


 目と鼻の先を路肩の樹木がビュンビュンかすめ過ぎる中、無言で拳銃の狙いを定める。

 もはや勝利を確信して速度を緩めようともせず、グラインダーのように路面を削り散らす、禍物トラックのタイヤへと。


 そして…静かに引き金を引いた。


 ギィンッ…ゴッッッバァーーーッ!!


 耳障りな金属音が鳴り響いた直後、タイヤは風船が弾け飛ぶようにバーストした。

 さっきは全弾弾かれたのが、嘘のように呆気なく。


「ヒャホォーやったぜッ!」

「まだだ! 真中先生、ブレーキをッ!」


 歓喜のガッツポーズを決める陽子を制して、シロガネは唯に指示を飛ばす。

 言われるままに急制動をかけてつんのめる一行のバンの後方で…


 片輪がバーストしたトラックは制御を失い、路肩に乗り上げきりもみ状に宙を跳んだ。


 そのまま路面や路肩に激しく叩きつけられ、擬態していたトラックのパーツをド派手な火花とともに撒き散らす。


 荷台に積まれていた大量の獣の骨が、辺り一面に飛び散った。


「見ろっ…アレが奴の正体だッ!!」


 シロガネが叫ぶ先で、大破したトラックの『中身』が破片の外へと躍り出た。


 獅子頭…そう形容するしかない奇妙な代物こそが、禍物の本体だった。


 巨大な頭部の形状はそのままトラックのボンネットに収まっていたのだろう。

 口も巨大だが、歯先はそれほど鋭くはなく、草食動物に近い。獲物を直に噛み砕くだけの力は無さそうだ。


 頭の後ろには背骨が浮き出たヒョロ長い胴体が伸び、その先には短い尻尾。さらにその先端に、投影装置の役割を果たしていたあの赤い実がテールランプのように灯っている。

 手脚は異様に短く小さい。擬態が解けた今となっては、もうトラックのように俊敏に走り回ることはできまい。


「な〜るほどな。頭でっかちでカラダは貧相…もっと鍛えたほうが良いんじゃねーか?」


 職業・体育教師の陽子がやれやれと嘲笑う。


「これでは他の禍物と直に争えないのも致し方あるまい。せいぜい動物相手に弱い者イジメをするしかないだろう」


 シロガネの辛辣なコメントが聞こえたのか、獅子頭はジリジリ後ずさって、まだ逃げ延びようとしている。


 だが…そんなクズの逃亡を阻止する者たちがいた。

 これまでに奴の犠牲となった、おびただしい数の動物たちだ。


 正確にいえば、奴の荷台に積まれていた大量の獣の骨が赤黒い禍玉まがたまと化し、奴に纏わりついて身動きできなくしていた。

 どうやら禍玉たちですらも、こんなクズに搾取されるのは気が進まないらしい。


 大口の割には華奢な身体つきのため消化能力が弱く、獲物の亡骸を山積して少しずつ搾取していたのがあだとなったのだろう。


「イジメっ子も終いにゃイジメられる側にまわったか。哀れなもんだな」


「もうこれ以上の恥の上塗りは、奴もゴメンだろう。…トドメを刺そう」


 シロガネに従い全員で車を降りる。


 すっかり陽も落ちて薄暗くなった路上に、赤黒く照らされた禍物の顔が不気味に浮かび上がっていた。


「さて…処刑の時間だ」


 表情ひとつ変えず、シロガネは淡々と禍物の眉間に照準を合わせる。

 …かと思いきや、


「…クロ。仇を討て」


 すぐそばで涙目で禍物を睨みつけていたクロに呼びかけると、二人で引き金を握った。

 粋な事するじゃねーかと陽子は微笑んだ。


 目の前には、無数の禍玉に押さえつけられブルブル震える禍物のデカい顔。これだけまとが大きければ間違っても外すまい。


「イジメられる側の気持ちが解ったか?

 …死ね。」「んにゃッ!!」


 暗がりに鳴り響く一発の銃声。


 散々手間をかけさせた割には拍子抜けするほどあっさりと、禍物は討ち滅ぼされた。





 巨大な禍玉が2つに分かれ、美夜と月乃それぞれに搾取されて消える。

 そんな主禍二人の顔に、しかし歓喜の色は微塵もなかった。


 二人の視線はただぼんやりと、目の前で互いの手を打ち鳴らし勝利を祝う陽子とシロガネに向けられていた。


 禍物の支配が終わり、解放された獣の禍玉たちが青白く色を変え、空へと立ち上る。


 帷が下りた夜空には、満天の星が見事にさざめく。その星々へと向かって、無数の魂が吸い込まれ、消えていく。


「…んにゃ?」


 ひとつだけ、なかなかクロのそばを離れようとしない青白い光があった。

 その光は彼を愛おしみ、優しく撫でるかのように、静かに周囲を飛び回っている。


「…ま…ま?」


 姿形は変われども、それが我が子だと光は気づいたのだろう。

 そして、クロも。


 光は永遠の別れを惜しむかのようにそっと彼のもとを離れ、夜空へと立ち上り…消えた。


「…ママ…」


 瞬く天空の星々にほのかに顔を照らされたまま、クロはいつまでも頭上を見上げていた。


 肉親を失った獣の感情がはたして人間と同じなのか…陽子には解らない。


 けれども…何故、クロがいつも自分の寝床に入り込んできたのか…陽子はやっと理解できた。


 ぼんやり夜空を眺め続けるクロを、背後から優しく抱きしめて…陽子は囁いた。


「あたしじゃ、お前の母親代わりになんて、なれっこねーけどさ…

 ずっと、そばについててやるよ。

 せめて、お前の気が晴れるまではな…」




 そんな皆から、少し離れた路上では。


「嗚呼…新車が…新車がぁ〜っ!?」


 見るも無惨に傷ついた愛車を前に、悲嘆に暮れる唯の姿があった。





 ズタボロになった一行の車だが、動くには動いたので、そのまま全員を乗せて我が家へと帰還を果たした。


 やれやれ、これではシロガネが課外授業に難色を示したのも当然だろう。

 禍人のいるところ、必ず禍物絡みの騒動が起こる。ここ最近は静かだったから、すっかり忘れていた。

 今後はもっと慎重になるべきかもしれない。


 時計を確認すれば、まだそれほど遅い時刻でもなかったが、出発してから何日も経過したかのような疲労感が皆にはあった。

 明日もまだ休日なので、存分に疲れを取ることが出来るのが不幸中の幸いだが。


「んじゃ、また明日ね〜♪」


 ショッピングモールでの収穫物を手に、唯は上機嫌で自室へと消えた。

 さっきはあれだけ打ちひしがれていた癖に、帰りの車内でちゃっかり美夜から修理代を全額保証してもらう話を取り付けた途端に、この現金ぶりである。


「まあ〜真中先生には実際お世話になっちゃいましたからね〜」


 仕方なしに笑う美夜は、もういくらか元気を取り戻したようだが…


「…今日はもう…晩御飯…作れない…」


 月乃はまだ先刻の陽子とシロガネのアレを引きずっているらしく、フラフラと自室に引き上げていった。


「…ありゃあ後でフォローしとかないとな」


 まるで幽霊のような足取りのその後ろ姿を見送って、陽子は脂汗を滲ませる。

 街で惣菜とか色々買い込んできたし、疲れすぎてかえって腹も空いてないから、夕飯はまあいいとして。


「…月乃殿があれだけ凄まじい力を得られたのも、あるいは貴様のおかげかもな」


 シロガネの何気ない呟きに陽子は思わず振り返り…二人してまともに視線がかち合うと、気まずそうに顔を背けた。


「…先刻のアレのおかげで、色々と合点がいった。あの夜のお嬢や、グラウンドでのクロが尋常ならざる能力を発揮できたのは…やはり貴様のせいだ」


「…チューしただけでか?」

「具体的に言わんでいいっ!」


 シロガネは瞬く間に赤面し、


「貴様に禍力がないのは間違いない。

 だか、代わりに…ハッキリとは判らんが、それとは全く異質な力を持っているようだ」


「そーかぉ? まったく自覚ねーけど…」


「自覚はなくとも、現に効果は発揮されている。

 どうやら貴様はその未知の力で、我々の禍力を飛躍的に増幅させることが可能らしい。

 …言うなれば『禍力ブースター』だ。」


 ブースター…なるほど確かに、と美夜はあの夜のことを思い返した。

 通常は単なるバリアーに過ぎない自身の障壁が、あの時はすべての敵を瞬時に蒸発させるほどの恐るべき殲滅兵器と化した。


「加えて、お嬢の禍力保有量は現状ほぼ満タン。それをさらに無理やり増幅させると…どうなる?」

「バァーンッ!!…って破裂するだろうな、普通のタンクなら」


 陽子の回答に美夜はギョッと青ざめた。

 たしかにあの時、自身が感じたのは『生命の危機』だった。あれ以上陽子とナニし続けていたら…文字通りの結末を招いたかもしれない。


「そこでお嬢は慌てて貴様を拒絶し、それ以上の増幅を緊急停止させた。

 そして暴走と言っても良いほどの凄まじい威力を発揮することで、危険水域に達した禍力を一気に解き放った。

 それでもなお臨界点にあった禍力を緊急放出すべく…なんとゆーか、その…」


「チビったわけだな」

「バカ者がっ、せっかく言葉を濁したのに!」


 しかし時すでに遅し、真っ赤な顔の美夜はすでに涙目になって、プルプル羞恥に打ち震えていた。


「と、ともかく! これについての検証はまたの機会ということで、今宵は…」


「そ、そうだな。酷い思い出はとっとと寝て忘れちまうに限るっ! おやすみ!」


 慌てふためいた陽子は自室へと逃げ込んでいった。


「…それほど酷かったとも思えんが…」


 などと迂闊にこぼしてしまってから、美夜のジト目が自分に向けられていることに気づいたシロガネは、慌てて彼女の車椅子を押し、


「さぁお嬢、今日はお疲れのご様子ですから、さっさと休養しましょう!」


 と、急ぎ足で美夜の自室へと向かうのだった。


 そして玄関ホールには誰もいなくなった。


 …あれ? クロは?





「…たしかに、ずっとついててやるとは言ったけどよ…」


 自室に転がり込むなりベッドに大の字に倒れ込んだ陽子の隣に、さも当然のように体をねじ込んでくるクロの様子に、陽子は仕方なさげに微笑んだ。


「あ〜疲れた…クロ、ちゃんと布団かけて寝ろ…よ…」


 よほど疲労が溜まっていたのか、陽子はビジネススーツのまま電池が切れたように寝入ってしまった。


 クロは言われた通りに布団をかけ…るどころか、逆に眠りこける陽子のスーツのボタンをポチポチ器用に外すと、胸元をはだけさせて下着をずり上げた。


 そうして露わになった陽子の乳房に唇を寄せると、かじかじ甘噛みする。


「んんっ…ふ…っ」


 くすぐったそうに身をよじりつつも、陽子が目を覚ます様子はない。それを見届けたクロはますます陽子の乳房に吸いついた。




 こんなクロの行動は、以前は飼い主の美夜に対しても時折見受けられた。

 だが、あの比類なき爆乳サイズは彼にとっては恐怖そのもので、下手に抱きすくめられようものなら窒息や圧死は免れない。


 その点、陽子の胸のスリムさは彼にとっては居心地がよく、はだけさせるにもまさぐるにも手頃なサイズ感だった。


 と、いうことは…そう。

 この行為は決して授乳を期待してのものではない。

 そもそも、子猫だった頃のクロの授乳期間はとっくに終わっていた。


 野生動物の自立はすこぶる早く、人間のようにいつまでも親の保護を必要とはしない。


 クロの場合は、あのトラックに擬態した禍物から、母猫が身を挺して守ってくれた時点で、母親の死や別離を否応なく受け入れていた。

 そんな母猫の亡骸が荷台にあるのを直に目にすれば、さすがに動揺こそしたが…。


 だが皆のおかげで親の仇を討つことに成功し、唐突すぎた母親との別れも改めて、存分なく見送ることができた。

 だからもう、母は必要とはしない。


 しかし、陽子はあのとき言った。

 『ずっとそばについててやる』と。


 そして、あの禍物を討ち滅ぼせた最大の功労者が彼女であることも見抜いていた。

 ここまで自身に尽くしてくれる有能な『♀』を、放っておける道理はあるまい。


 動物にとっては『ずっとそばにいる』=『常に行動を共にするつがい』、すなわち『嫁』に他ならない。すなわち…




「ヨーコは…ボクのヨメ。」


 そう。クロが陽子の身体にしきりと自分の痕跡を残そうとするのは、いわゆる『マーキング』であり…言い換えば『求愛行動』に他ならなかった。


 野生動物の行動原理のかなめは、自身の恒久的な『生存』と、そのための生存戦略…つまりは『繁殖』である。


 クロは年齢的に、まだ繁殖可能な時期に達してはいない。なので将来的な自身の嫁をキープすることにした。


 これが夜な夜な行われていた彼の謎行動の真相なのであーるっ!!

 

「でも…先っぽダケなラ…イイよネ?」


 そんな言葉をいったいどこで憶えてくるのか。つくづく野生の自立は驚異的にはやい。


「ヨーコ…スキ。」


 愛すべきつがいの無垢な寝顔に、幸せそうな笑顔を浮かべたクロは、その幼き唇を将来の伴侶の唇に…


 …むんず。


 すんでのところで何者かに首根っこを鷲掴まれ、クロは強引に陽子から引き剥がされた。


「…やっぱり…そんなコト…だったの…ね?」


 怨嗟が色濃く滲んだ眼でクロを射抜くのは、陽子と同じ顔の片割れ…月乃だった。


「ひにゃあーっ!?」


 たとえ同じ顔ではあっても、彼女たちはそれぞれが根本的に異なる存在であることをクロは理解していた。

 そして、現時点でメンバー内最恐の実力者である月乃を怒らせれば…命がないことも。


「泥棒猫ちゃん…いっぺん…死んどく?」

「ひっ、ひっ、ふぅ〜っ!?」


 怒気をはらんだ月乃の美しいながらも危険な笑顔が、間近からクロを覗き込む。

 想像を絶する恐怖のあまり、クロの呼吸はラマーズ法にしかならない。てかとっくにチビってた。




 想像を絶するのは、月乃の格好もだった。

 彼女は何故だか『バニーガール』に扮していた。


 これは昼間に訪れたショッピングモールにてゲットしたコスプレ衣装の一つである。


 いろいろあって疲れ果て、早々に自室へと引っ込んだ月乃だったが…

 先刻目撃した陽子とシロガネの濃厚なキスシーンを思い返すたび、動悸息切れ眩暈が治まらず…


 イライラ解消のため、さっそく姉を誘惑しに来てみれば…という次第である。


 なぜにバニーガールかといえば、現状の手持ち衣装中これが最もセクシーだから。


 全体的に華奢ながらも、出るところはしっかり出てスタイル抜群な月乃には、この格好は自分でも予想以上によく似合っていた。

 さながらエロ本をレジに持っていく◯学生の心境で、思い切って買っといて正解だった。


 名前が名前なだけに、まさしく『月乃兎つきのうさぎ』である。


 加えて、姉の嗜好が「妹が普段絶対に着そうにない服」すなわち『ギャップ萌え』であることも、この妹は熟知していた。

 改めて何なんだろうか、この変態双子?


 ところが…胸元があらわになった陽子のあられもない寝姿を見るなり、月乃の顔色は変わった。

 どう変わったかは彼女の名誉のため伏せておくが、到底ヒロインらしからぬ様相である。


 その顔のまま、月乃は鷲掴んだクロにギギギィ〜ッと脂が切れたように振り向くと、


「…ないす。」


 血走った眼で呟いて、もはや失神寸前だったクロをポイっと放り出した。そして…


「…姉さんは…私だけのモノ。」


 つい今しがた、どこぞで聞いたようなセリフとともに、姉の柔肌にむしゃぶりついた。

 普段は自己主張が控えめな彼女が、初めて『私』という一人称を口にしたことからも、その独占欲の異常さが窺える。


 ところで、以前「あらゆる生物のほにゃららのやり取りには粘膜接触が必須」と解説したことをご記憶だろうか。


 この双子に関しても、ただ単にそばにいるだけでは禍力の補充が叶うわけもなかった。

 ならば、どうして…?


 …その回答がコレである。

 月乃はこれまでにも陽子の目を盗み、定期的に物理的接触を繰り返していた。


 姉の妹への溺愛ぶりにも尋常ならざるものはあるが、妹のほうは姉を明らかに性的対象と認識していた。


 まあ今までにもその片鱗は端端で覗かせていたから、何をいまさらではあるが。


 あえて言及しよう…月乃たんの変態♪





 変態といえば、こちらの二人も大概だった。


「お、お嬢!? 落ち着いてくださいっ!」

「それはこっちのセリフですぅっ!!」


 美夜の部屋に入るなり、シロガネは美夜の猛烈なタックルを受け、車椅子ごと彼女に組み敷かれていた。


 逃げようと思えば逃げ出せるかもしれない。だが彼女の豊満すぎる肉饅頭の抗いがたい感触がシロガネの判断を鈍らせている。


「最近のシロガネさんは…なんかオカシイですぅっ!!」


 それこそこっちのセリフです!と言い返したいのも山々だが…美夜の双眸がとっくに涙で濡れているのを見てしまえば、シロガネにはもはや抗う術はなかった。


「陽子先生たちが来てから…シロガネさんは、先生たちばっかり見てるじゃないですかぁッ!!」


「そ、それは…」


 興味を惹かれたものに注目するのはごく自然なことだし、それの何が悪いのか?

 そんなシロガネの反論を美夜は許さない。


「たしかに陽子先生はカッコよくてステキだし、不思議な力を持ってらっしゃいますぅ!

 月乃さんだって物凄くお強いし、とってもお綺麗で憧れちゃいますよぉ!

 お二人とも…私じゃ敵わないかなって、たしかに思いますぅっ!」


 今の美夜はまさにコンプレックスの塊だった。あの二人が現れるなり、それまで最強かに思われていた美夜の牙城は容易く揺るがされた。


「でも、だけど…私が最初なんですよぉ!?

 シロガネさんのそばに初めから居たのは、私なんですよぉッ!!」


 それは百も承知だ、とシロガネは思う。

 美夜のことをないがしろにしたことなど一度として無いし、常に彼女のことを最優先してきたつもりだ。


「なのに…私の何が足りないっていうんですかぁッ!?」


 いやだから足りないどころか十二分に満ち足りてますよ!とシロガネは胸中でツッコむ。

 彼女とはそれなりに長い付き合いになるが、いまだに時々ハッとさせられるほど毎日が新鮮な驚きに満ちている。


 そしてそれ以上に、こうして間近に迫られると到底直視できないほど愛らしい自身の魅力を、彼女は過小評価しすぎではなかろうか?


「どーして目を逸らすんですかぁ!? ちゃんと見てくださいよぉ!」


 いやいや、だからそれは…もぉどないせーっちゅーねん。


 これまでにも美夜のワガママには散々振り回されてきたが、これほどまでに強引で強情な彼女は初めて目にした。

 これ以上、自分に何をしろというのか?


「クロちゃんも陽子先生のとこに行っちゃったし…私が飼い主なのに…。

 このままじゃ、私…ひとりぼっちになっちゃう…」


 結局はこれが美夜のいちばん恐れていることなのだろう。

 過去の記憶がない彼女は、想い出にすがって生きることさえ出来ない。

 しかも身体が不自由とあっては、常に誰かがそばにいてくれなければどうしようもないのだ。


「いやあの、だから自分は…」


 貴女を裏切ることなんて決して有り得ません!

 正々堂々、胸を張ってそう言えたらどんなに気楽だろうか。

 だが、生真面目なシロガネにはそう答えることは出来なかった。


 そして、その一瞬の躊躇が命取りだった。

 不安が頂点に達した美夜は…ぶちぃっ!


「ちょっ!?」


 あろうことか、いきなりゴスロリ服を引き裂かんばかりに胸元をはだけると、シロガネの手を取ってその谷間に押し込んだ。


 しっとり汗ばんだ形容しがたい柔肌の魔力が、シロガネの腕を暴力的に抑え込む。

 てゆーか肉圧がスゴくてマジ抜けない。


「こんなのでいいなら…いくらでもお触りください!」

「だから何をおっしゃって…!」

「お望みでしたら…もっとスゴイことだってしちゃってもイイですっ!!」

「ス、スゴイことって…あの、自分いま、一応女の子なんですけど…」


 だからそーゆーコトは不可能です!と努めて冷静に対処しようとしたシロガネだが、顔の火照りはもはや最高潮、声もかすれてどうにも格好がつかない。


「でしたら…また、男子に戻して差し上げます」

「ぴ」


 予想外のご提案に、シロガネの声は完璧にかすれて引き攣った。


「ですから、そのぉ…元通りになったアレで、私を存分に犯して汚して刺し貫いてくださぁ〜〜〜いッ!!」


 なんて明け透けな。美夜は本気だった。本気で自身を差し出してまで、シロガネを振り向かせようとしていた。


「ここまで言ってもダメなんですかぁ? 今まで、ちゃんとあなたの言う通りにして…言葉遣いだって変えたじゃない…?」


 せっかく憶えた言葉遣いがすっかり崩れていることに、美夜は気づいていなかった。

 見るも無惨に破れかぶれになった彼女は、大粒の涙をポロポロこぼして必死に追いすがる。


「お願い、私をひとりにしないで…私だけのモノになって…!」


 もうダメだ。目も当てられないとは、このことだ。だから…


「シロガネさん。私は、あなたのこ」


 だからシロガネはめた。

 美夜の言葉が最後まで出きらないうちに。


「とがス」


 美夜の生命活動そのものを。


 シロガネが片手で制すると、美夜は一時停止ボタンを押されたかのようにピタリと動きを止め…まさに糸が切れた操り人形のように、ガクリとその場に崩れ落ちた。




 これこそがシロガネ本来の禍力だった。

 相手の思考や記憶はおろか、生命そのものまでが片手一本で制御可能という、恐るべき技能である。


 先日の老婆にも同様の技を駆使してみせたが、あの程度はほんの序の口。相手の抵抗が小さければ小さいほど効果は大きいのだ。


 しかし相手と直に接しなければ効果が発揮できないため、実戦には向かない。

 そこで長年の試行錯誤の末に編み出したのが、銃弾を媒介した制御法だった。


 いわば制御プログラムを書き込んだ弾丸を対象に撃ち込むことで、同様の効果を発揮する。

 見た目のお手軽さに反して、かなり複雑な処理をやってのけていたのだ。


 だが小さい弾丸を用いるため効果は限定的となり、威力は減少せざるを得ない。

 加えて禍力の消耗も思いのほか激しく、お世辞にも効果的とは言い難い。


 シロガネの『銃術』はまだまだ発展途上なのである。




「…驚いたな。わずか一年で、ここまで感情が育とうとは」


 死体のように重くのしかかる美夜の身体の下から這い出し、シロガネはやっと一息ついた。


 そして、自身が仕える『お嬢』の顔をまじまじと覗き込む。こんな機会でもなければ、こんなに間近で観察することなど不可能だ。


 言っておくが、美夜はあくまでも生命活動を『停めた』だけで死んだ訳ではない。

 いわば強力な催眠術にかかった状態であり、死んでしまえばそもそも効くわけがない。


「…貴女が悪いのですよ、お嬢。どうしてここまでワガママをおっしゃるのですか?」


 答えるはずもない相手に、シロガネは困惑した様子で問いかける。


「なぜ…この自分の思い通りになさって戴けないのですか? 貴女は昔からそうだ…あまり困らせないで戴きたい」


 困惑はいつしか切なさへと変わり…居ても立ってもいられず、シロガネは彼女へとひざまずく。


 その御尊顔に優しく手を添え…そっと唇を重ねた。


「…お許しください、お嬢。自分は…

 貴女をお慕いする訳にはいかないのです。」




 そんな彼女たちの一部始終を…

 真中唯はすべて耳に入れていた。


 彼女の自室は美夜の隣だったから、あれだけ大声を上げれば、話は筒抜けだった。


 それでも彼女は別段止めに行こうともせず、今日買ったばかりのゲームソフトを鼻歌まじりにプレイし続けていた。


 やがて騒動が一段落したと知るや、一時停止アイコンを押下して大きく背伸びをかまし…


 ぽつりと呟いた。


「…そろそろ、潮時かもねん♪」



【第七話 END】

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