過去と現在と
その日の都乃宮美夜は、朝っぱらから絶対絶命だった。
「戦いましょう、お嬢」
「だからどーやってぇ!?」
いきなり禍物の襲撃を受けたのだ。
彼女が目覚めてから、まだほんの数日しか経ってはいない。
今いる場所がどこら辺なのかもよく判らないが、確かめようにも両脚が動かない不自由な身体ではどこに行くことも叶わない。
かといってずっと寝たままも退屈なので、朝から車椅子で邸宅の中庭に出て、数日間まるで変わり映えしない景色をぼんやり眺めていた。
それにしても、これほどまでの大邸宅にもかかわらず、いまだシロガネ以外の家人を見かけたことがない。この庭の管理とか、いったいどうなっているのやら…
などと考えつつ、何気なく目を投じた庭の一角に、そこはかとない違和感を覚えた。
「…あんな処に岩なんてあったっけ?」
独言た途端、なんとその岩が突然こちらにゴロゴロ転がってきたのだ。
いきなりすぎて訳が分からないが、ゴツゴツして重そうだし、当たれば痛そうだ。
とにかくこのままでは危険が危なそうなので悲鳴を上げてみたところ、どこからか助っ人がすっ飛んできた。
四つ脚で駆けてきた銀狼…すなわちシロガネは、美夜の前でスクッと二本脚で立ち上がるとうやうやしくお辞儀をし、
「何かお困りでしょうか?」
悲鳴まで上げたらフツー困ってるし。
「あああれ何あの岩!? めっちゃグルグルしてんだけど!?」
今まさに彼の背後に迫り来る岩石を指差してうろたえてみせるも、シロガネは振り向きもせず眉間にシワを寄せ…
ちなみに彼の見た目はまんま狼なので、その表情から細やかな感情は一切読み取れないが、この顔は明らかに怒っているのだと判る。
「お嬢。何度も申し上げましたが、お言葉遣いが少々…」
こんなときに何言ってやがんだ畜生めが!
四つ脚で走り回ってる奴がどの口で!?
だがシロガネの美夜へのお嬢様教育は徹底しており、言う通りにしなければ頑なに応えようとはしない。
「あのローリングストーンズは何処から御来日なされたみっく様じゃがーっ!?」
「ハァ…まあ致し方ありますまい。
アレは『禍物』です」
マガモノ?
「擬態して邸宅内に潜んでいたのでしょう」
ギタイ?
「つまりアレは岩などではなく、擬態した禍物だということです」
フツーの岩じゃないことぐらい見りゃ判るわボケッ!
結局ギタイとマガモノの説明になってないし!
どうにもこのシロガネは言葉が足りない。
かと思いきや、どーでもいい事にはやたら饒舌で…接しづらいことこの上ない。
今の美夜には彼しか頼れる者がいないというのに…。
「ここ数日、さるお方が庭先でのほほんとお過ごしでしたから、目をつけられてしまったのでしょうな」
その上、家主への敬愛もぜんっぜんっ足りてないし!
「ですからぁ! あの禍物って…」
「平たく言えば…我々の『敵』です。」
平たすぎるぅーっ!?
てゆーか敵? 現代日本にそんなゲームみたいな世界観が通用するのか?
「で、では、どーすればぁ?」
「戦いましょう」
「だからどーやってぇ!?」
「実際に襲われてみればお解り頂けるかと」
ハァ〜ッ!? 今コイツなんつったァ!?
などとふざけ合っている間にも美夜の間近に迫っていた岩状の禍物は、彼女めがけて一気に飛びかかった!
「ひょえぃっ!?」
万事休すと美夜が身をかがめた直後。
バシィッと見えない雷撃のような反発力が禍物を弾き飛ばした。
呆然とする美夜にシロガネが告げる。
「それが貴女の禍力です。貴女の御身に降り掛かるあらゆる災いは、このように半自動的に振り払われることとなります」
今の説明は珍しくわかり易かった。
要はバリア付きってコトか。
実際に闘って憶えろだなんて、ひどいチュートリアルもあったものだが…あれ?
ひょっとして私、最強じゃない!?
「ですがお気を付けください。禍力の発動はあくまでも『半』自動…。
すなわち、貴女が意図しない限り効果は表れません。ですので…」
と、そこでシロガネはやおら自分の尻尾に手を突っ込むと、自動小銃を引っ張り出した。
あんな重そうなモンよく隠し持ってたな…と感心する間もなく、その銃口が美夜を狙う。
…え、なんで…?
ズダダダダダッ!
小銃が勢いよく火を噴いた。連射された弾丸は美夜…の横顔をかすめ、いつの間にか背後に忍び寄っていた禍物を粉々に粉砕した。
「…これが自分の禍力です。貴女が撃ち洩らした敵は、自分が排除致します。
威力は普通の銃とさほど変わらず、弾丸を消費するのも難点ですが…」
難点はお前自身だこのバカ狼ッ、撃つ前に警告しろよっ!!
などと美夜が胸中で憤慨したところで、突然シロガネがその場に跪いた。
てっきり今までの無礼を詫びて土下座でもしてくれるのかと思いきや…様子がおかしい。
苦しげに胸を押さえ、ゼエゼエと肩で息をしている。
「まずいな…この程度で禍力切れか。長期間補充を怠っていたツケが、こんなところで…」
従禍が倒した禍物の禍玉は、従禍ではなくその主禍に搾取される。
従って、主禍から補充を受けない限り、従禍の禍力は減り続ける一方である。
それでもシロガネが今日まで単独で活動し続けられたのは、元々が野生の狼だったおかげだ。
社会生活を営むうちに単独での禍力を必要としなくなった人間とは異なり、野生動物は生まれながらに多量の禍力を保持している。
つまり禍力とは、言うなれば生命エネルギーそのものである。
故に人間は、単体では決して生き延びられない群体生物だといえる。
「禍力が切れると…どうなるんですかぁ?」
「死にます。」
ぅわ〜おシンプル♪
でも目の前で死なれるのはさすがに忍びないし、彼がいないと自分が困る。
「ど…どうすれば良いんですかぁ?」
「…よろしければ…補充をお願いします」
あ〜良かった、禍力を補充すればなんとかなるらしい。
「平たく言えば…『接吻』です。」
全然良くなかった。めたくそ尖りまくった事柄を平たく言うのはマジやめて欲しい。
そんなおとぎ話みたいなんでイイなんて、所々テキトーすぎない?
しかし方法は単純だが、させられる方は複雑だ。欧米人じゃあるまいし、好きでもない相手にいきなりチューなんて出来るかぁーいっ!
「心中お察し致します。ですので『よろしければ』と申しました。
自分のことなどペットだとでもお考えください。さすれば殺生与奪もお気楽でしょう」
ずいぶん高飛車なペットもあったものだ。
第一、いまどきそんなご無体なコトをしでかせば動物愛護団体が黙っちゃいない。
だが…たしかに彼の見た目は狼そのもの。
飼い犬にキスすると思えば、いくらか気楽に思えてきた。
「じ、じゃあ…しますぅ。」
「…お願い致します。」
目を閉じてこちらに寄せられたシロガネの大きな口に、美夜もそっと唇を寄せた。
子供じみた簡単なキス。
たったそれだけで…たしかに何か不思議な力が、自分の内から彼へと流れ込んでいくのを感じた。
毛むくじゃらな彼の顔がくすぐったい。
彼の吐息を間近に感じて、こちらの呼吸も乱される。
なんとなく、懐かしいような…。
思ったほど、悪いものでもなかった。
ううん…むしろ、もっと…
「…もう充分です。ありがとうございます」
ややあって、シロガネのほうから唇が離れた。
「あ、はい…どーいたしましてぇ…」
不覚にも…名残惜しさを感じてしまった。
いまごろになって胸が高鳴り、頬が熱を帯びてくる。
こんな失礼なヤツ、絶対好きにはならない。 そう思っていたのに…
キスひとつでここまで心境が変わるなんて、自分はどれだけ尻軽なのか…。
「…やはり…貴女はお変わりになられました」
不意にこぼれたシロガネの一言に、夢見心地な気分がたちどころに霧散した。
…え、どゆこと?
キスまでさせといて…思ってたのと違かったって?
私のキスじゃ満足できなかったってコト?
コイツ…どんだけ〜っ!?
こーなったらもう、尻軽と言われようが、淫乱と言われようが…いつか必ず満足させちゃるっ!!
恨みがましく睨みつけても…
前述の通り、獣そのものな彼の顔からその真意を汲み取ることは出来ない。
それがどうにも心苦しくて…
美夜は小声で呟いた。
「…シロガネさんの…バカ。」
◇
そして現在。
都乃宮女学院の面々で訪れたショッピングモールから、久城陽子は自身で企画した課外授業をほったらかして単独行動に移った。
彼女は現在、そこからほど近い場所のとある施設内にいた。
巨大モールとは比較すべくもないが、そこそこ大きくて近代的な、しかしやや年季を感じる建造物。
エントランスには『県立図書館』の文字。
これこそが陽子の目的そのものだった。
シロガネは明らかに何かを隠している。
そう確信した数日前の夜、直に問い詰めたところ彼女は彼は答えた。「自分で調べてみろ」と。
ならばと手っ取り早くスマホで検索してみた。「ヘイ尻、都乃宮家についておせーて?」と。
…結果は0。関連情報として宇都宮ギョーザばかりがヒットする。
もしかしたら学院内同様に何らかのジャミングが効いているのかもと、屋敷から離れて再検索するも…やはり0件。
検索内容を試行錯誤してみても、さっぱり梨の礫だった。
では、デジタルがダメならアナログはどうだろうか?
というわけで授業の合間に学院の図書室をあたってみた。そこなら地元の歴史資料くらいはあるだろうと。
だが…無駄足だった。
というか、図書室自体が存在しなかった。
あれだけリアリティにこだわって建てられた、至れり尽くせりな学院にしては不自然極まりない。
代わりに、シロガネが長年に渡って収集したらしい学術書や辞典、アニメやゲームのガイド本、おびただしい数のコミックやラノベを収めた『銀狼書庫』なる私物化も甚だしい教室は見つけたが、そこでも郷土史や歴史書の類は皆無だった。
一体全体どういうことか。
そこまでして外部に…あるいは美夜に隠し通したい事実でもあるというのか。
ともかく少なくともあの土地にいる限り、都乃宮家に関する情報は得られそうにもない。
彼ら一族の影響力はそれほどまでに絶大ということか。
シロガネが去り際にこぼした「できるものならな」という捨て台詞は、どうやら伊達じゃなさそうだ。
「ケッ、モノノケの分際で…。
それなら…新聞はどうだ?」
あの夜、月乃と親しげに話していた老婆は、美夜の姿を目にしたとたん血相を変えた。
そして、過去になんらかの出来事があったらしいことも口走っていた。
残念ながらシロガネに記憶操作されてしまった今となっては、彼女自身から聞き出すことはもうできまい。
それでも新聞ならば、それに関する記事が載っているかもしれない。
…あくまでも一族からの圧力に屈しなかった場合の話だが。
これならネットでも検索可能だろうし…
「…え゛、会員登録?…タダじゃないの?」
当然といえば当然だが、貧乏性の陽子にはその一線を踏み越えることは適わなかった。
「くそっ…モノノケめがぁ〜っ!?」
モノノケのせいではなく懐具合のせいである。
「でもココなら無料で検索できるしな〜♪
それにしても…出てこないな」
図書館内の新聞検索用の端末相手に、孤軍奮闘中の陽子。
まずは念のため全国紙も候補に入れてみたが、ヒットせず。
次に県内紙だけに絞ってみると…
「…をっ、なんか出た!
『都乃宮恒志郎当選 △△△△△票』…選挙の開票結果か」
名前から見て一族の関係者に間違いないだろうその人物は、戦後まもない頃の県議会議員に一期だけ名を連ねていたようだ。
その他には何の関連記事もなし。投票日翌日の地元紙たった一紙のみに、この開票結果が掲載されたっきりだ。
あの一族ならさぞかし華々しい功績がありそうなものだが…あまり矢面に立てない事情でもあったのだろうか?
もしくは…一族によって存在自体が隠蔽されているのか?
その厳重なチェックから、この開票結果だけが漏れて残った…?
「参ったな。これだけじゃ何の手掛かりも…
ん? これは…『火事』?」
それは参考記事としてリストアップされた、一見なんの関係もなさそうな火事情報だった。
しかし、その出火場所は…
「…都乃宮家…!」
これも不思議なことに、普通に『火事』で検索しても出てこない。
この極めて限定的なリンクからしかたどり着けないようになっていた。明らかに何者かの意図を感じる。
「昨夜未明、◯◯郡××市△△村の都乃宮家邸宅母屋より出火…全員焼死…!?」
陽子は全身の血の気が音を立てて引くのを実感した。
新聞の日付は、先程の開票結果記事からほとんど間を置かない戦後まもなくの時期。
出火原因は不明。
母屋からの出火は瞬く間に邸宅全体を包み込み、一昼夜燃え続けた後の降雨により鎮火。
なにぶん戦後すぐのことだから、地元消防団が丘の上までたどり着くのに時間を要し、ほぼ手遅れだったらしい。
その後の警察と消防の実況見分により、焼死体の数から死亡者は邸宅にいた家人や奉公人のほぼ全員。
ほぼ…というのは、死体数が一体だけ足りなかったからだ。
身元確認の結果、都乃宮家御令嬢・美弥子が行方不明とされたが、現場状況から生存は絶望視され、焼死として扱われたらしい。
「これって…まさか…?」
「…やっと真相にたどり着いたか」
出し抜けに背後から投げかけられた声に驚いて振り向けば…そこにはシロガネが腕組みをして立っていた。
「おまっ…なんでこっち来てんだ?」
大声を出しかけてから、ここが図書館だったことを思い出して声をひそめた陽子に、
「案ずるな。向こうは真中先生に任せてある」
シロガネはしれっと応えてから右手の親指をクイッと突き立て、閲覧室の外を指し示す。
「…出よう。すべてはそこで説明する」
◇
図書館内には喫茶コーナーが設けられており、陽子とシロガネはその一角のテーブルに陣取った。
「結論から言おう。美弥子お嬢様は生き残った。それが今のお嬢…美夜様だ。」
紙コップに注がれたミルクコーヒーに手を伸ばしつつ、シロガネは単刀直入に言った。
「…待ってくれ。いきなり頭が追いつかねー」
ブラックコーヒーに伸ばしかけた陽子の手は、そのまま行き場を失う。
「まあ…アレで生きていたと言えるかどうかは微妙だがな。お嬢様のお体の損傷は著しく、お命はとうに尽きていた。…人間ならば、な」
「禍人は違うってぇのか?」
「禍物が死ねば禍玉となる。平たくいえば霊魂だな。それは禍人も同じだ」
言いながらコップに口をつけ、傾けた途端に「熱っ」と舌を出す。傍目に見ればカワイイ仕草だが、コイツの中身は相当な年寄りぢぢいだし、今はそれどころじゃない。
「…つまり、お前はお嬢様の禍玉を保存し、どえれぇ時間をかけて回復させた…と?」
やっとコップを掴んだ陽子は、コーヒーを一口含んで渇いた喉を潤す。
「回復というよりも再生に近い。身体は使える部分から培養し、そこにお嬢様の禍玉を移植した。
そうしてようやくあのお方が目覚めたのは…今から一年前のことだ」
「ブゥッ…い、一年前!?」
続けて口に流し込んだコーヒーが逆流するのも厭わず、陽子はさすがに仰天した。
「ってことはアイツ、火事から何十年もの間、ずーっと眠りこけてたの?」
「それだけ眠り続ければ、あんな妙な喋り方になるのも無理はなかろうな…」
シロガネは遠い目をすると、静かに紙コップを置いた。
「言葉遣いだけではない。あのお方は性格も仕草も、以前とはまるで違う。
…再生に時間をかけすぎたらしい」
現代医学の粋を結集しても到底不可能な芸当を、シロガネは成し遂げた。
それこそ気が遠くなるほどの歳月を、執念と、そして…美弥子への愛情のみを頼りに。
だが…その代償は予想以上に大きかった。
「だから自分はあのお方を『お嬢様』ではなく『お嬢』と呼ぶ。
お名前も『美弥子』ではなく『美夜』とお伝えした。
…呼べなかったんだ。」
唇を噛んで、シロガネは肩を震わせた。
「今でも時々、あのお方にどう接するべきか迷うときがある。
あのお方が何をお考えなのか、まるで解らないことがある。
自分には…お嬢のことが、何もわからない…っ」
俯いた顔に掛けた眼鏡のレンズが反射して、彼女の表情は読めなかった。
中身は年寄りでも、いまの見た目は小柄な少女のシロガネが、ますます小さく見えた。
年寄りだろうと少女だろうと、不安や悲嘆に苛まれた人には大差などない。
そして、そんな人を陽子は放ってはおけない。
残りのブラックコーヒーを一気に飲み干して、陽子は言った。
「…バカかおめーは?」
一瞬キョトンとしたシロガネの顔が、見る間に怒りに染まる。
「言うに事欠いて、バカときたか…。
貴様ごときに話す気になった自分が馬鹿だった」
「なんだわかってんじゃん、自分で馬鹿って認めたし。なのに肝心なコトは解ってねーのな?」
そして陽子はシロガネの分のミルクコーヒーを勝手に奪って飲むと、
「あっっっま!? んだこりゃ、どんだけ砂糖入れてんだオメー? こ〜んな甘ったりぃモンばっか飲んでっから甘ちゃんなんだよテメーは!!」
「クゥッ…勝手なことを抜かすなッ!! 貴様に自分のなにが解るッ!?」
いきなり取っ組み合いのケンカをおっ始めたサングラス美女と美少女眼鏡っ子に、喫茶コーナーに居合わせたすべての客の視線が向く。
「あ〜わかんねーよテメーみてぇなオタ畜生のことなんかッ!!」
「自分にも貴様のようなヤンキー崩れ風情のことなど、解るものかッ!!」
「お客様っ!? お客様ァ〜ッ!!」
喫茶コーナーの係員が慌ててすっ飛んできたところで、
「なぁ、係員さんにはあたしのコト、なんか解るか?」
「解るわきゃねーでしょがいっ!? ただの迷惑千万な客だとしか思えませんよっ!!」
今度はなんでか陽子と係員のバトルが勃発!?…かと思いきや、
「…な? フツーはこんなもんだぜ、人間関係なんてものはな♪」
急にニカッと笑った陽子は、店員に向かって「お騒がせしてサーセンっした!」と頭を下げると、シロガネの腕を掴んで「ホラ行くぞオタ狼!」とせき立てた。
「さっきから誰がオタクだ誰がっ!?」
「おめー。」
「クッ…!」
なおもケンカ漫才を繰り広げつつ喫茶コーナーを後にする二人を、他の者はぽかーんと見送るしかなかった。
◇
「月乃のヤツもな、ここへ来てからメチャ元気なんだ」
図書館を出て、二人揃って通りを歩きながら、陽子は隣のシロガネに再び話しかける。
「…月乃殿は禍人だからな。禍力の濃度が強い土地では、活力が増すのは当然だろう」
陽子相手だと常に喧嘩腰のシロガネも、月乃の話題となると興味を惹かれるのか、渋々会話に乗ってきた。
「ま、そりゃ元気がいいに越したこたねーが…あたしにとっちゃ、昔の弱っちい月乃のほうが見慣れてっからさ。ときどき『なーんか違うな〜?』って、調子狂っちまってさ」
この腐れヤンキーでもそんなことを思うのか…とシロガネは考え、そしてハッとする。
「でもな、やっぱりどっちも本物の月乃なんだよ。あたしはただ単に、そんなアイツの一面しか知らなかっただけでさ。
誰よりも一緒に過ごした時間が長いから、勝手にそれがアイツだと思い込んでただけで…」
言われてみればその通りだ。
人は誰しも、自分はこんな人間だと思う。
けれども相手もそう思っているとは限らない。
自己評価と相対評価…それを合わせたものが人間ってヤツだ。
一方的な思い込みだけでは決して成り立たない…だから人間は面白い。
それでも…互いに連れ添う時間が長ければ長いほど、どうしても違和感は残る。
だが、それを相手に伝えたところで、ますます違和感は増すばかり。
誰だって自分の思いのままに生きたい。
他人に言われるままには生きたくなどない。
…それこそが人間の人間たる証なのだ。
「だからよぉ、どーしても我慢できなくなったら…また、あたしに言えよ」
「…いざ言ってみたところで、素直に聞く耳など持たんだろう貴様は?」
「ったりめーだろ。どーせまたケンカになっちまうんだろーなぁ」
そう言って陽子はケタケタ笑い、
「でも…おかげでスッとしたろ?」
…確かに。
「な? だからまた、そんなになるまで溜め込んじまう前に…あたしとケンカしてスッキリしよーぜ♪」
無茶苦茶にも程がある言い分だが…
なんとなく、陽子になら何でも話せそうな気がするとシロガネは思った。
思えば初めて出会ったときから陽子は不思議な人間だった。
普通の人間では絶対乗り越えられないはずの結界をいとも容易く乗り越え、いつの間にか自分たちの中心に立っている。
まさに名前通りの、真夏の空に燦然と輝く太陽のような存在だ。
…などと小っ恥ずかしいことは、たとえ死んでも本人には言うまいとシロガネは思う。
そして…
こうして打ち解けられてもなお、決して誰にも悟られてははならない秘密をいまだ隠し持っていることが、この上なく心苦しい…。
「…どうして赤の他人にそこまで尽くせるのだ、貴様は?」
胸中の苦しさを悟られぬよう、いちばんの疑問を口にしたシロガネに、
「もう他人じゃねーだろ。お前はあたしの生徒で、あたしはお前の教師だ。…だからだよ」
そう言って陽子は屈託なく笑った。
「理由になっていそうで、その実まるでなっていないな。やはり貴様は無茶苦茶だ」
そう言ってシロガネも、初めて心の底から微笑んだ。
◇
「んにゃあーーーっ!!」
「ぐっはぁーーーっ!?」
ショッピングモールに入店するなり、真正面からすっ飛んできたクロのライダーキックをまともに喰らい、陽子はその場に卒倒した。
いきなり何を…とクロを見れば、何やらずいぶんご機嫌斜めなご様子。
「ご自分からご提案なされた課外授業を盛大におすっぽかしあそばされて…どこ行ってらしたんですかぁ〜陽子せんせぇ♪」
その背後から悠然と現れた車椅子に陣取っているのは、満面の笑顔を張り付かせた美夜。
彼女がこんな顔をする場合には、その内心は得てして真逆なことが多い。
「いや、ちょっと調べものがあってさ。悪いとは思ったんだが…」
「で、自分めが連れ戻して参りました」
陽子の傍らにいたシロガネがしれっと嘯く。
「てっめぇ、一人だけばっくれやがって!」
「事実だろう?」
などやり合う二人の様子に、
「…ふぅ〜ん? しばらくお見かけしない内に、ずいぶんお仲がおよろしくおなりあそばされてありおりはべれ?」
何故だか美夜の張りつき笑顔がますます怖くなる。言葉遣い…てゆーか日本語もますますアヤシイ。
教師と教え子の仲が良いのは教育機関的には喜ばしいはずなのだが。
いや待て。美夜でさえこの有様…と、ゆーコトは…?
「…姉さ…ん。」
背後に絶対零度の風圧を感じ、振り向いた陽子の前では…『置き去り愚姉』『抜けがけ眼鏡』なる2体の藁人形を携えた月乃が、黒髪をなびかせて海藻のようにゆらゆら揺れていた。
『マジさーせんっシターッ!!』
打ち釘即死を予感した二人は、すみやかに土下座を披露したのだった。
「アッハハーそりゃ災難だったねぇん♪」
すぐそばのゲームショップでクソガキ共とカードバトルに興じていた真中唯が、戻ってくるなりケタケタ笑う。
こんなヤツのまともな引率に期待したほうが浅はかだった。
「待てよデカ乳、勝ち逃げする気か!?」「今度こそ負けねーぞ!」「オレのレアカード返せ!」
ゲームショップから顔を出したクソガキ共が口々に叫ぶが、
「坊やたち、またしっぽりと遊ぼーねぇ〜。このカードは授業料に戴いとくよン♪」
報酬のレアカードを胸の谷間に挟んだ唯が投げキッスを送ると、彼らは顔を赤らめて押し黙った。相変わらず阿漕な奴だ。
「けどみんな、不良教師に放置されてもそれなりに楽しんでたみたいだけどぉ?」
と唯が指差す先には、何個もの手提げ袋をぶら下げた月乃の姿。これだけの大荷物を一人で持てるようになっただけでも大進歩だが。
「外で着る服…いっぱい…買った♪」
「よぉ〜しよしよしよしよしっ!」
陽子の言いつけをちゃんと守って得意げな月乃を、バカ姉は手放しで褒めそやす。
しかし、袋の中身をよくよく見れば…半分以上はド◯キで売ってるようなコスプレ衣装だった。
「…なんで?」
「姉さんに…いっぱい…撮ってもらう…♪」
一般的には意味不明だが、姉妹的には充分に意思疎通ができたようで、二人して頬を染める。
「…ご飯とは別の…姉さんの…オカズ♪」
「してねーからンなコト!!」
この会話は意味不明なままで良さげな気がする。
「てか何この変態姉妹?」
さすがの唯もドン引きである。
「買い物っつったら…お前らもか」
さっきクロに飛び蹴りを喰らったときから気づいてたが、あえて言及を控えていた陽子に指摘されると、
「はい〜♪」「んにゃっ♪」
一人と一匹が本日の収穫物をひけらかす。
美夜は片手に持ったリードを。
クロは自身の首にキラリと光る首輪を。
その2つは当然のように繋がっていた。
「通りかかったペットショップで見つけました〜。クロちゃんってばすぐどこか行っちゃうから、これで安心ですね〜♪」
「あ…うん。あたしはあんまし安心できないかな〜?」
得意満面な美夜には悪いが、陽子は気が気ではない…とくに周囲の視線が。
今のところ、二人のゴスロリ衣装のおかげでコスプレで通ってるらしいが。
冷静に考えてみると、凄い世界観だなぁゴスロリ。
「美夜…児童虐待って知ってるか?」
「児童を虐待すること…ですよねぇ?」
「なら、その首輪とリードは?」
「ペットの放し飼いはダメってペットショップに書いてありましたから〜♪」
「なるほど。ではもう一度…その首輪とリードは?」
「飼い主の義務ですね〜♪」
…よもや美夜の非常識ぶりがこれほどだったとは…と陽子は手で顔を覆った。
世間知らずを世間に放置してみたところで、『知らないコトは知らない』ままだった。
陽子先生の課外授業、大失敗てへぺろっ⭐︎
気づけばすっかり正午を回っていたので、全員フードコートに移動して昼食を摂る。
とはいえメンバー中4人は本来、食事を必要としない禍人である。なので人間側の陽子と唯以外はテキトーに…
「すみませぇ〜んっ、追加注文お願いします〜⭐︎」
「うんにゃ〜っ⭐︎」
…やはりどこの世界にも非常識な輩はいる。
それは禍人界であっても然り。
席に着くなり間髪入れずに注文を繰り返しているのは、美夜とクロの禍人コンビ。
興味を惹かれたものはとにかく試してみなければ気が済まない美夜と、とにかく食い意地が張ってるだけのクロ。
この二人だけで、ほぼ無限に思えるフードコートの全メニューを片っ端から、壮絶な勢いで制覇しつつあった。
「美味しいっ、美味しいですぅーっ!!
月乃さんのお料理もとても美味しいですけど、世の中には他にもこぉ〜んなにご馳走が溢れてたんですね〜っ⭐︎」
「ふぎゅもぎゅはにゃあ〜〜〜っ⭐︎」
カワイイ子が美味しそうに食べる様子は微笑ましい限りだろうが…対面から見守る陽子たちを含め、その場に居合わせた大勢の顔色は一様に青ざめていた。
「なぁ…お前ら禍人って、ほとんど味覚ねーんじゃなかったか?」
信じ難い光景を目の当たりにして、自分の皿のパスタがもはや一本も喉を通らないほどお腹いっぱいな陽子が問えば、
「あぁ、大雑把に甘い苦い程度しか判らないはずだが…これは予想外だ…」
溶けかけたフルーツパフェにスプーンを突っ込んだまま、シロガネが呆然と答える。
余談だが彼女はかなりの甘党で、苦いものは苦手らしい。図書館の喫茶コーナーでもミルクコーヒーを飲んでいたし。
「でも…たしかに美味しい…勉強になる…」
陽子と同じパスタを注文した月乃は、メニューの研究に余念がない。
たとえ味覚が薄くとも、食感は普通にある。我が家の食事当番として学べることは多いらしい。
「んふふっ、今夜の夕飯は期待できそうだねん♪」
食べかけのオムライスを前に、手にしたスプーンを踊らせながらうっとりと目を細める唯に、
「この状況でよく食う気になれるなお前ら…ゲプッ」
もはやギブアップ気味の陽子は、自分の皿をこっそりクロの前に寄せるのだった。
その後は全員でショッピングモールのまだ巡りきれてなかった区画を一通り網羅し、店舗から出る頃には陽もすっかり傾いていた。
「…なんだか寂しいですぅ…」
そろそろ帰るかと言うと、美夜はしょんぼり肩を落とした。遊園地帰りの小学生さながらだが、解らなくもない。
なにしろ今までろくに家の外に出たことが無かったのだから、感慨もひとしおだろう。
「また来ればいいさ。…な?」
そんな美夜の肩にぽんっと手を置いて、陽子はその後ろのシロガネに同意を求める。
「…まあ…何事もなかったようですし、今後はこのような機会を増やすことも検討しましょう」
渋々な感じのシロガネに、それでも美夜は嬉しそうに微笑んだ。
だが、彼女たちはまだ知らない。
何事かが起こるのは、これからだということを。
◇
初めて訪れた街を後にし、住み慣れた我が家への道をひた走る一行。
はしゃぎ疲れた皆は口数も減り、美夜に至っては車窓でコックリコックリ船を漕いでいる。
ハンドルを握る唯も居眠りしかけては助手席の陽子に叩き起こされ、その様子を藁人形を握り締めた月乃が背後から恨めしげに見つめている。
シロガネですら瞼が落ちかけ、その膝に腰掛けたクロは心地よい揺れにすっかり夢心地。
夕闇が迫るなか、一行を乗せた車は再びあの森へと差し掛かり…
「…んにゅ?」
おもむろにクロが薄目を開けた。何らかの気配を察知したらしい。
そして、トンネルのように生い茂った樹々の間を走り抜けていた最中…
「ぅんに゛ゃあッ!!」
突然跳ね起きたクロの絶叫に、車内は騒然となった。
「なんだっ、どうしたクロッ!?」
慌てて助手席から振り返った陽子の目に…ソレは映った。
黒い…宵闇のように真っ黒な、いまどき珍しいボンネット型トラック。
一行が乗る車の真後ろに、そいつがいつの間にかピタリと貼り付いていた。
「なんだあのトラック…どっから出てきた?」
「…いや、アレはトラックじゃない…」
陽子の素朴な疑問をシロガネは真っ向から否定し、黒いトラックを睨みつける。
薄暗い樹木のトンネル内を、隙間から射し込む夕日の光が赤々と染め上げている。
その光に照らされても、トラックはまったく照り返すことなく、黒影のように付き纏う。
運転席の窓は遮光フィルムを貼ったように真っ黒で、何一つ見通せない。
…明らかに現実の車両ではない。
「あれは…『擬態』だ。」
「…ギタイ……『禍物』ッ!?」
久々に耳にしたその言葉に、美夜も遅れて跳ね起きた。
ブロロロォオオオーーーッ!!
エンジン音の唸りを上げて、黒いトラックが急加速。一行が乗る車との距離を一気に詰めた。
「ちょっ…コレまだ新車なんだけどぉ〜ッ!?」
これから当然襲い来るであろう悲劇に唯が泣き叫ぶが、トラックの速度は緩まない。
「チキショーやっぱ最後はこーなんのかよぉ〜〜〜っっ!?」
この世の不条理を嘆き哀しむ陽子の悲鳴をたなびかせ、禍人たちの死闘の幕が切って落とされたのだった。
【第六話 END】