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MyGot,It's Full of Stars.

「…まいがっ…いっつふるおぶすたぁず…」


 視界一面に広がる星の海に呆然自失となった陽子の唇から、昔見たSF映画冒頭のセリフが自然とこぼれた。

 その隣でプッと吹き出した唯が、


「あ〜アレね。字幕ではまんま『降るような星だ』ってなってて笑っちゃったけど…言い得て妙だよね…」


 茶化しながらもうっとりと、同じ夜空を眺める。



          ◇



 のっけからトラブル続きだったものの、久城陽子くじょう ようこは晴れて私立・都乃宮みやこのみや女学院に教員として迎えられることになった。


 歓迎会を催したいという生徒兼理事長・都乃宮みやこのみや 美夜みやの誘いを、引越し作業がまだ終わっていないからと丁重に辞退し、積もる話はまた明日ということにして、やっと初日の仕事から解放された。


 本当はいろんな意味でもうお腹いっぱいいっぱいだから、とっとと帰って寝たい。

 一人で帰した陽子の双子の妹・月乃つきのの様子も気になるし。

 そもそも、片付けが必要なほどの引越荷物なんて無いが。


 心底残念そうな美夜と、「もう二度と来るなと言いたいが、お嬢が歓迎するなら仕方ない」とハッキリ顔に書かれた生徒兼学院長・シロガネの侮蔑の眼差しに見送られ、校舎の外に出た瞬間のやりとりが冒頭のシーンだ。


「マジかよコレ…スッゲェな…」


 今まで暮らしていた街では絶対お目にかかれなかった満天の星に驚かされ、陽子は感嘆の声を漏らした。

 写真や映像で見るのとはまったく違う、手を伸ばせば届きそうなほどに煌びやかな、まさしく降るような星空だ。


「こんな田舎じゃ、これだけが唯一のご褒美かもねん。

 …それはさておき、お疲れ♪」


 一緒に校舎を出た、先輩に同僚にしてダメ人間の真中唯まなか ゆいがねぎらう。


「どーよ、初日の感想は?」

「…マジ疲れた…の一言だな。まだ授業とかなーんもやってねーのに、色々濃ゆすぎだぜ」

「アッハハ、まあちょいフツーじゃないかんね、ここのガッコ」


 まったくトンデモネートコロを紹介してくれやがったものだ。


「でも、ツカミはバッチリだったと思うよん?」

「へっ、どーだかなぁ…」


 美夜や唯はともかく、シロガネには嫌われたままだし、もう一匹のチビガキには食われかけたままだし…先行き不安なことばかりだ。


「ま、なんとかなるっしょ♪

んで、帰りどーすんの?」


 言われてハタと気づく。まったくな〜んも考えてなかった…。

 真っ昼間でさえバスもタクシーもつかまらない辺鄙な土地だ。必然的に歩きしかないが…ただでさえ疲れ切ったこの体で、ここから街中までまた1時間以上も歩けと?


「そんなことだろーと思ったよん。ほれ、乗ってき?」


 懐から車のキーを取り出し、指先に引っ掛けてクルクル回しつつ、唯はもう一方の手で傍らの駐車場を指し示した。

 校舎の規模の割にはさほど広くない駐車場のど真ん中に、いかにも高級そうでド派手で真っ赤なオープンカーが停まっている。


「駐車場あったんだ…」

「感心するとこ違くない!?」

「いや、なんかツッコむと怖そうなブツだからな。でもせっかくだから、乗せてってもらうぜ」


 内心では大助かりだが、こんな高級車に乗ったことなんて一度もない。陽子は恐る恐る助手席のドアを開けて、慎重に乗り込んだ。

 途端に体がシートに深々と沈み込む。車とは思えない極上の乗り心地だ。


「にひひ〜イイでしょ♪」

「奮発しすぎだろ。万年金欠のクセに」

「ん〜それほどでもないかな? 陽子たんもここで半年も働けば買えるんじゃない、分割なら」

「マジで!? そんな貰えんのココ!?」


 慌ててさっき理事長室で受け取ったばかりの各種契約書類をまさぐる。

 極めて私的な学校ながらも、一応は正規の学校法人として認められている為、こういった手続きは割としっかりしているのだ。


「つーか、それほどの高給を前借りしてまでスマホゲーで溶かしまくる奴は、正真正銘のアホだな」

「アホゆーな。お金は天下の回りもの、使わにゃ損、損♪」

「そんなバカスカ使う気にはなんねーけど…へへっ、これでやっと貧乏生活ともおさらばだぜ。うひょ〜何買おっかな〜!?」


 そんな大興奮な様子の陽子を、運転席に乗り込んだ唯は微笑ましく見つめて…


「…おめでと。」


 急に陽子の体を抱きすくめて、耳元で囁いた。


「んなっ…なんっ…!?」


 唯の巨乳が陽子の貧乳にグイグイ押し付けられる。真っ赤になってされるがままの陽子の手から、書類の束がバサバサと散らばった。


「不意打ちはやめろよ…」

「ちゃんと追っかけてきてくれて、嬉しいぞ♪」

「…そうしねーと…あんたがどんどん先に行っちまうからだろ…」


 夢のように豪華な車内で、夢見心地の抱擁をしばし味わい…


 …遅れてハッとする。

 ここはまだ学院の敷地内だ。まんいち美夜たちに見つかりでもしたら面倒なコトになる。

 未練たらたらに唯を押し退け、慌てて周囲をキョロキョロ見回したが、幸い誰もいないようだった。


「…車…出してください」


 いつになく気弱で可愛い陽子に、唯はプッと吹き出す。


「ほいじゃ、場所変えて続ける? エッチな陽子たん♪」

「おうちに帰らせてくださいっ!!」



           ◇



 結局、その後は動揺のあまり、せっかく一緒の車内にいるのにろくに会話も楽しめず…

 この土地で最初に降り立った駅を少し過ぎたところで、陽子はここでいいからと車を降りた。


 このまま自宅近くまで行って陽子の双子の妹・月乃つきのに目撃されでもしたら、さらなる混乱は避けられない。


 じゃあまた明日〜♪と陽気に手を振りながら遠ざかる唯の車を名残惜しげに見送ってから、陽子は自宅までの帰り道をたどる。


 道すがら、明日からどうやって職場に向かおうかと思い悩む。

 唯にまた送迎を頼もうものなら、毎回あんなコトになって身が持たない。とはいえ他に妙案はなく…やはり堂々巡りだ。


「やっぱあたしもクルマ買おっかな? でもまだ運転免許も金もねーし…。こんな事で悩むなんて、贅沢すぎんのか?」


 考えあぐねているうちに、それまで街灯もなく真っ暗闇だった(星明かりのお陰で通行に支障はないが)田園風景が、おもむろに賑わい始めた。


「へぇ…ここら辺はそれなりに街っぽいな」


 元の住居とは比較にならないほど鄙びてはいるものの、衣類やスーパー、ドラッグストアなど必要最低限の店舗は揃ってるし、付近には民家も多い。

 この土地に来てからやっと人の営みに触れ、ホッとする陽子だった。


 さて、自分たちの住処もこの辺のはずだが…とスマホを起動し、地図アプリを立ち上げる。

 住居は事前に学院側が用意しているとのことで、先に向かった月乃もとっくに入居しているはずだ。


「えーと、ここを曲がって…ここを真っ直ぐ…ってオイオイ?」


 せっかく人里に入ったというのに、また通りを外れて薄暗い路地に進まされた。

 まっすぐ延びた通路の片側には田畑しかなく、もう一方は長い長い塀が立ち並び…


「…ってまさか、この塀って?…つーかだんだん読めてきたな、パターンが」


 薄々展開が予想できた陽子が、その塀の切れ目に差し掛かると…ハイ、やはり予想通りの大豪邸が待ち構えていた。


「…マジか…」


 もう驚かないつもりだったが、しっかり驚かされた。

 さすがに学院校舎ほどではないものの、周辺の民家を全部寄せ集めてもスッポリ収まるほどの大きさで、外観は校舎の意匠に瓜二つ。都乃宮家の別宅であろうことは容易に推察できた。


 いったいあの一族はどんだけのカネと権力を握っているのだろうかと思案に暮れつつ、玄関口に立つ…よりも早く、


「…姉さ…ん!」


 豪邸の中から飛び出てきた月乃が、陽子の胸にしがみつく。遅れて長い黒髪がまとわりつき、陽子の体をがんじがらめにした。

 駅前で別れたときの清楚なワンピースから、いつもの部屋着のロングTシャツに着替えているせいか、幼さが増している気がする。


「…ただいま。」

「遅…い。ここ、広くて…寂しか…った」


 表情の変化こそ乏しいが、肩が小刻みに震えているのを見るに、よほど心細かったのだろう。

 月乃が孤独を極端に嫌う理由を知っているだけに、陽子はいても立ってもいられない。


「ごめんな、色々ヤバ…大変でさ」


 長い長い黒髪の頭を抱き寄せてポンポンあやすと、月乃はわずかに目を細めた。


「てゆーか、あたしが帰ってきたの、よく判ったな?」

「防犯カメラ…いっぱい付いて…る」

「マジか」


 あの校門といい、シロガネの自動小銃といい、どんだけセキュリティ過剰なのか。

 いまさらだがあの銃、明らかに銃刀法違反だろ。金持ちは何やっても許されるのか?


「…ここ入るとき、何ともなかったか?」

「…ちょっと…チクッとし…た」


 やっぱ仕掛けられてんじゃん。大したことはなかったようだが、月乃ひとりで行かせたのは失敗だったか?

 これからはもっとそばにいてやろう。せめて、家の中ぐらいは。



          ◇


 

 そして屋敷内は学校同様、リゾートホテル風の開放的な造り。

 広々としたホールの奥にはキッチンやリビング。ホール脇左右から延びる階段を昇れば、二階には個室のドアがズラリと並ぶ。


 さらにまだまだ奥行きがあり、畳敷きの和室等もあるようだが(あと防犯カメラの監視室も)たぶん全室は使いきれないだろう。

 以前の安アパートとは比較すべくもないが、ここまで豪華だとかえって恐縮する。


「あなたぁ…お食事にする? お風呂に…する? それとも……寝……る?」


 往年の昭和ギャグを辿々しく言い放って、月乃は勝手に赤面している。辿々しいぶんなおさら卑猥だ…ってか照れるくらいなら言うな。

 あ〜も〜カワイイ妹だなぁチキショウッ!!


「と、とりあえず飯にしよう」

「う…ん。ご飯…出来てる」


 新婚夫婦さながらな初々しいやりとりを経て、ダイニングキッチンへと通される。

 食堂はまた別にあるが、通常はこの部屋だけでも充分な広さだ。

 そしてテーブルには、この豪華な部屋にまったく見劣りしないほどの豪勢な料理が所狭しと並んでいた。


「マジか…これ、全部お前が作ったのか?」

「…半分は…スーパーのお惣菜…だけど…頑張って…作った」

「いや、それにしてもスゲーな。いつもの倍はあるじゃんか!?」

「…姉さん…の…就職祝い…」


 褒めそやされて赤らんだ頬で、月乃はそう告げた。

 あーもー! あぁ〜もぉ〜っ!!

 そんなこと言われたら、もう抱き締めるしかないじゃんか!!


「…おめでとう…姉さん」

「…ありがとう…」


 たとえ料理は冷めようとも、二人の熱い抱擁は際限なく続くのだった。



           ◇



 とはいえホントに冷めちゃっちゃー勿体無いので、ほどほどで夕飯を戴くことにする。


「うんっめぇ〜っ!? また腕を上げたな、月乃!」


 つい最近まで入院してたせいで、最初はゆで卵の作り方すら知らなかったのに…。

 妹の料理技術のめざましい上達ぶりに陽子は目を見張りながら、片っ端から食事を頬張る。


「…コレ…ネットで覚えた。思ったより…簡単だった」


 マジか。ほとんど独学でここまで出来るようになるものなのか? ひょっとしたら我が妹は天才かもしれん…と、陽子は胸中で姉バカぶりを吐露する。

 その上、これら大量の食材を一人でスーパーから持ち帰れるようになるとは…体力の回復ぶりも目覚ましい。


 一頃は「もう先は長くないでしょう」と医者にも見放された人間とは、到底思えない。



          ◇



 思い返せば…生まれつき虚弱体質だった月乃は事あるごとに体調を崩し、入退院を繰り返していた。


 それとは正反対に、生まれながらの超健康優良児で怪我や病気知らず、悪友達に「殺しても死なない」とまで言わしめた陽子は、そんな双子の片割れにいつも負い目を感じていた。

 姉の自分が母体の栄養をすべて吸収しきった為に、妹はこんな脆弱な体になってしまったのではないか…と。


 だから陽子は贖罪とばかり、毎日のように月乃の病室に通っては、その日の出来事を面白おかしく語って聞かせることで妹を励まし続けた。

 学校にもろくに通えないせいで友達など皆無だった月乃は、そんな姉の来訪を毎日心待ちにしていた。

 誰とも話せないせいで言葉遣いもままならない彼女が、唯一、誰かと心ゆくまで語り合える幸せな時間…。


 …しかし陽子が帰ってしまえは、それまでの賑やかさが嘘のように静まり返った病室で、ひとりぼっちの夜が明けるまで、ひたすら耐え抜かねばならない…。

 幼い月乃にとって、それはまさに拷問に等しかった。


 だから、月乃は孤独を嫌う。

 だから、月乃の言葉は今でも拙いまま。


 だから陽子は、月乃にとっては永遠に心の拠り所なのだ。




 しかし月日は無常に流れ、月乃の病状は日増しに悪化していった。


 どんな名医にかかろうとも原因は一切不明。

 遂には誰もが…両親までもが彼女を見放し、やがて訪れるであろうその死を無条件に受け入れ…


 いっそ、月乃の死期の到来を待ち侘びるまでになった。


 唯一人、姉の陽子を除いては。


 やがて、それがもとで陽子も道を踏み外すことになるのだが…今はその話はよそう。




 集中治療室へと送られ、医療機器や点滴の管まみれでベッドに横たわる、衰弱しきった妹の、涙に満ちた心細けなその瞳が…


 もはや体力など微塵も残っていないだろうに、隔離ブースの向こうから…


 必死に姉へと差し伸べられ、懸命に空を掴む、か弱く小さな、その手が…


 いまでも姉の瞼に焼き付けて離れない。


 だから…あのとき心に誓った。


 自分だけは何があっても、決して妹を見捨てないと。


 たとえ何が起ころうとも、絶えず妹のそばに居続けるのだと。




 しかしその後、ある日を境に妹の体は劇的な回復を遂げた。


 誰もが奇跡だと驚くなか、姉妹だけは感じていた。


 これは互いを信じ続けた二人への、神様からのご褒美なのだと。


 よく頑張りましたね…もう大丈夫ですよ。

 そう医者に告げられたあの日。


 姉妹は互いを強く抱きしめ、声を限りに泣いた。


 やがて涙が涸れ、疲れ果てて眠りについても…決して、二度と離れようとはしなかった。



           ◇



「…強くなったな…お前。」


 人知れず奮闘し続けた妹の現在を微笑ましげに見つめ、陽子はしみじみ呟く。


「…全部…姉さんの…おかげ。」


 姉の温かい眼差しを一身に受け、普段から無表情な月乃は珍しく、心の底から幸せそうに微笑む。


「んにゃ、あたしはただ、いつもお前のそばにいただけで…」

「それが…嬉しかったん…だよ」


 不意に月乃の潤んだ瞳が目前に迫る。

 陽子はたまらず席を立とうと…して、手元にあったスープ皿を思いっきり引っかけた。


「ぅ熱っちいッ!?」


 月乃の愛情がしこたま籠った熱々スープがまともにぶっかかり、仰け反った陽子の椅子が真後ろに倒れ込む。


「姉さん…っ!」


 慌てて差し伸べた月乃の手を、思わず引っ張る陽子。

 しかし哀しいかな、鍛え上げた陽子の体に比べ、まったく鍛えられていない月乃の体は恐ろしく軽量だった。

 質量の法則にラッキースケベなる謎パワーが加わり、大根の収穫さながらに引っこ抜かれた月乃の体はふわりと宙を舞い…


 …陽子の体に羽衣のように覆い被さった。


「…前にもあったな、このパターン。

大丈夫か、月乃?」


 もはや青年コミックレベルの『お約束』をまたもや体感した陽子は、とにかくワンパターン化だけは避けようと月乃を抱き起こす。


 しかし、陽子は忘れていた。

 『お約束』は回を追うごとにエスカレートするものだということを。


「…ぁ…ふ…っ」


 月乃の艶めかしい吐息に驚いた陽子が、恐々自分の手元を確認すれば。

 なんと、というべきか、やはり、というべきか…彼女の手のひらには妹のふよふよな乳房がジャストフィットで収まっていた。


 陽子よりも遥かに運動不足で少食なはずなのに、月乃のほうが明らかにスタイルが良くて胸も大きいのは何故なのか?

 なんて素朴な疑問はさておき、思えばロンTに着替えてる時点で気づくべきだったが、何の抵抗もないダイレクトなこの柔らかさは…


「お前…なんで下着つけてねーの?」

「…いっぱい歩いて…汗かいた…から…」


 イマイチ説明不足なのであえて説明すれば…


 駅前から商店街まで歩き、さらにスーパーでいつになく大量の商品を買い込んだ月乃は、日頃の体力不足でヘトヘトになりつつ、なんとか自宅にたどり着いた。


 その後シャワーを浴びて部屋着に着替えようとした彼女は、今日はもう家を訪れるのは姉の陽子だけだから、とあえて下着をつけなかったのである。


 嗚呼なんたる無防備、なんたる姉妹関係の信頼度!


「いや姉妹だからって一枚下がスッポンポンならフツーに躊躇するぞあたしゃ!?」

「んんっ!?…そ、そこ…もっと…優し…く」

「ソコってドコ!? とにかく待てって!」


 う、うちの妹が…こんなにエロいはずがないっ!


 妖艶度急上昇の妹にはやくも臨界点に達した姉は、今度こそ慎重に月乃の体を抱き起こし、


「あ、あーっと、そういや提出書類が色々あったんだよ〜すぐ仕上げなきゃ〜っ!!」


 などと腑抜け主人公丸出しな誤魔化しとともに、逃げるように隣のリビングへと駆け込んだ。


「…姉さんの…いけず。せっかく…二人きりになれた…から…勇気出した…のに」


 残された月乃は涙目で呟く。なにやら不穏な気がしなくもなくもなくないコメントを。



           ◇



「…おんやぁ? マジか…?」


 這々の体でリビングへと逃げ延び、気を紛らそうと学院への提出書類を整理しだした陽子だったが…肝心の書類が一枚、紛失していることに気づいた。


 たしか唯の車に乗るまではしっかり抱えていたはずだが…

 あ、そういや唯に抱きつかれたとき、全部バラ撒いちまったっけ。すぐに拾い集めたものの、ろくに確認しなかったし…失くしたとすればその時しかない。


 やれやれ、今はあいつに電話したかねーんだが…と渋々スマホを取り出しかけて、


「…ダメだ。あいつ、電話には絶対出ねーんだった」


 ガックリと項垂れる。

 重度のゲーマーである唯はプレイ中の着信を嫌い、電話やメールなどをことごとく着信拒否にしている。

 従って彼女からの連絡は常に一方的で、こちらからの呼びかけに応じることは、まず、ない。


「マジかぁ〜あんにゃろぉ…」

「…どうした…の?」


 悶々としていたところへ、さらに悶々とさせる悩ましげな月乃が声をかけた。

 もうしばらく気持ちが落ち着くまで、彼女との接触は避けたいところだし…頭を冷やすついでに、もう一度探しに行こうか。


「悪い。大事な書類を落っことしたみてーだから、もっかい外を見てくる」


 そう言い残して、不安気に見送る月乃をおいて屋敷の外へ。

 そして表通りまで出たところで…耳慣れたエンジン音が通りの向こうから近づいてきた。

 真っ赤な高級オープンカー…間違いない、唯だ。あいつもこの辺に住んでるのか。


「おい唯! お〜いっ!!」


 手を振りながら呼び止めてみたが、唯はまったく気づかなかった様子で目の前を走り去った。

 ド派手な爆音がたなびくその先は…あの丘の学院方向。


「クソッ、やっぱ行くっきゃねーのかよ!?」


 慌てて追いかけようとして、夜道が真っ暗だったことに気づき、道すがらのコンビニで懐中電灯を購入した。

 なんで初日からこんなにヘビーなのか。もういい加減にしてくれ。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ドチキショーがあぁあ〜〜〜ッ!!」


 怒りにまかせた雄叫びをたなびき、陽子は再び丘の上めがけて駆け出した。



          ◇



 全速力で走った成果か、はたまた道に慣れたおかげか、予想以上に早く学院校舎に到達した。


 もはや全身汗だく。衣類が肌にまとわり付いて気持ち悪いから、上着は途中で脱ぎ捨てた。

 どうせ安物だ。あれだけビショビショに濡れそぼったら、もう使い物になるまい。


 先に到着しているはずの唯の車を駐車場で探すも、不思議なことに見つからない。ここまでは一本道だから必ず追い付けると思っていたが、他に抜け道でもあるのだろうか。


 よくよく考えてみれば、こんなに苦労せずとも翌日、書類を再発行してもらえば良かっただけでは?…などといまさら気づいた陽子だが。


 せっかくここまで戻ってきたからには、もはや手ぶらでは帰れない。今すぐ再発行を申請しよう。

 まだそんなに遅い時刻じゃないし、たしか自宅を校舎に改装したって話だから、美夜たちもここに住んでるんだろう。


 ガシャーン…!


 色々算段していたその刹那。校舎裏からガラスが割れる音が聞こえてきた。


 夜の校舎に響き渡る怪音…いや、陽子にとっては久々に耳にする『快音』だ。


 いったい何が起きているのかは不明だが…昔とった杵柄、自然と血が騒ぎ出す。


「おいおい…オラぁだんだんワクワクしてきたゾ!? ヒャッハァーッ!!」


 奇声をあげて校舎裏へとなだれ込んでいく陽子。

 その後ろ姿を、少し離れた物陰から密かに窺う謎の人影…


「…にっひひ〜ん、相変わらず血の気の荒いコだねぇ〜ん♪」


 もったいぶらずに正体を明かせば、それは誰あろう唯ちゃんサマだった。


「ま、百聞は一見にしかずっていうしね。

 せっかくここまで頑張れたんだから、陽子たんにはもうひと頑張りしてもらわないと…。

 悪く思わないでねン♪」


 楽しげにほくそ笑むその指先で、陽子が紛失した書類がヒラヒラ踊っていた。



           ◇



 ガシャーン…ガシャシャーン!


 闇夜の校舎裏を駆け抜ける陽子の耳に、耳障りな『快音』がどんどん近づいてくる。

 目の前にはガラス張りの巨大な温室。南国系の植物が所狭しと生え揃うジャングルさながらな室内を、植物育成用のピンク色のLED照明が、いかにも妖しげな雰囲気に染め上げている。


「ゲヘヘッ何処のどいつだぁ〜楽しそうなコトやってんのはよぉ〜!? あたしも混ぜろやゴルァーッ!!」


 ますます凶暴さを増した眼をギラつかせて周囲を睨み倒しつつ疾走するその姿は、もはや教育者などではない。

 本能の赴くままに獲物を狩りまくる、一匹の野獣である。


 コレがッ…コレこそがッ…

 陽子の本性だッッ!!

 どっぎゃあ〜んっ!


 などとフザケているうちに温室へと突入した陽子は…そこで予想外のモノを見た。


「…何やってんだ…あのクソチビ…!?」


 そう。そこにいたのは昼間、学院までの山道で出くわした半ズボンの子供だった。


「はにゃっふにゃっへにゃにゃあ〜ッ!!」


 手にした金属バットを闇雲に振り回し、いつもの奇妙な鼻歌を熱唱しながら、チビガキは温室内のガラス壁を片っ端から叩き割っていた。


 さらにキテレツなのが、その姿。

 高級ブラウスに半ズボン、おかっぱ頭にクリクリお目々はそのままだが…

 加えて、昼間はただの癖毛に見えた頭の左右の出っ張りは、今は間違いなく巨大なケモノ耳へと変貌し、お尻からは細長い尻尾がニョキッと生えている。


 さらによくよく観察すれば、瞳孔は野生動物のように細長く尖り、上顎からは鋭い牙が覗く。

 耳や尻尾には毛がフサフサ生え揃い、ヒョコヒョコ自在に動いている…どう見ても作り物などではなく、本物だ。


 早い話が、どこから見ても猫そのものだ。


「何だァコレぁッ!?」

「…あらぁ陽子せんせぇ、いらしてたんですかぁ?」


 信じ難い光景に絶叫した陽子の背後から、別の人物が近づいてきた。

 車輪の音をカタカタ立てて、かったるい喋り方で…。


「都乃宮…美夜…?」


 緊迫した場の空気にノセられ、フルネームで呼んではみたものの…

 昼間の彼女と本当に同一人物かと勘繰るほどの違和感に満ち満ちたその姿が、そこにあった。


 夜目にも鮮やかな金髪や、トレードマークの車椅子こそ同じだが…

 学院の制服から、私服であろう全身黒づくめのゴスロリ服に着替えた美夜は、それだけで現実離れした美麗さを誇る。

 この類のファッションは服のほうが着る人を選ぶが、まさにホンモノの家柄に生まれた彼女には恐ろしいほどマッチしている。


 しかも、露出要素皆無だった制服とは違い、

大きく開いたゴスロリ服の胸元では、大きな膨らみが織りなす深い渓谷がこれでもかと自己主張しており…なんとも目のやり場に困る。


 だが、それらは些細な相違点にすぎない。


 大きく異なるのは、瞳の色。

 昼間は澄み渡る青空のように清々しいブルーだったのが…現在のそれは血の塊のように紅い。決して見間違いなどではなく、野生動物のように爛々と光り輝いている。


 そして極め付けが、存在感そのものだ。

 少し前に別れた時までは、純真な美少女そのものだった彼女が…いまは何ともいえない淫靡で妖艶な雰囲気を濃密に漂わせていた。


「とっくにお帰りになられたと思いましたのに…見られてしまいましたねぇ〜?」

「し、仕方ねーだろ。書類を無くして…なんてこたぁこの際どーでもいい。

 ここで何してんだ…お前ら?」


 後退りつつ尋ねる陽子に、美夜はくすくすと笑って、


「今夜はお客様が大勢いらしてるものですからぁ…おもてなしですぅ♪」

「客…?」

「ほら…そこにいらっしゃいますよぉ」


 愉快そうに陽子の背後を指差す美夜に促され、振り向いてみれば…

 ガラス壁にペッタリ張り付いてこちらを睨む、蝙蝠のような怪物とバッチリ目が合った。


「ぅおあっ!?…って、コイツは…!」


 一瞬驚きはしたものの、すぐにその正体に思い当たる。昼間、あのガキが追っかけてた虫みたいな真っ黒いヤツと同じだ。

 てことは、あそこでチビがバット振り回してんのも、コレをとっちめてる最中なのか。


「あららぁ? あまりビックリされないんですねぇ? ちょっぴり拍子抜けですぅ」


 いやいや、内心じゃ最高にビビってるし心臓もバクバクだが、教え子たちに弱気な顔は晒せないと虚勢を張っているだけだ。

 それに、この学校には初っ端からトンデモネー目に遭わされ続けたからな。ツッコミどころ満載だったのが一気に腑に落ちて、かえってスッキリした。


「…ああ、この変な虫ケラならもう見た。昼間、あのガキ猫が山道で追っかけてたぜ」


 と顎で指す陽子の言葉に、つられてそちらを見つめた美夜の眼がますます邪悪な輝きを増す。


「そお〜ですかぁ。まぁーたコッソリお家を抜け出しちゃったんですねぇ…あの子。

 その上オトモダチまでこぉ〜んなに連れ帰っちゃって…いけないクロちゃん♪

 あとでた〜っぷり、お仕置きしなきゃ…♪」


 クロってのがあのガキの名前か…まんま飼い猫だな。もうちょいマシな名前付けたれや。

 それはさておき、怒った美夜はマジおっかねぇな…。


 危険な空気を察知した陽子は、話題を修正すべく黒い羽根の怪物を指差し、


「で、何なんだコレ?」


 ズダダダダダガシャーーンッ!


 いきなり飛んできた無数の鉛玉が、背後のガラスごと怪物を粉砕した。


「『禍物まがもの』だ。自分達はそう呼称している」


 弾を吐き終えたばかりの銃口の煙を吐息で吹き消しつつ、物陰から現れた銀髪眼鏡っ子メイドが淡々と答える。


「どわぁ〜から警告なしでイキナリ撃つなよっ!!…って、やっぱお前もソッチ系か?」


 昼間の姿と大きく異なるシロガネの姿に、陽子はしばし見惚れてしまった。


 煌めく銀髪の頭部左右に、クロ同様のケモノ耳。ただしこちらはやや小さめで、先端がピンと立っている。

 腰から生えた尻尾も同様。こっちは太くフサフサで、大きくカールしている。つまりは狼型か。


 だが、こちらはむしろ服装のほうが特徴的だ。

 色合いこそ美夜のゴスロリに揃えた黒系だが、デザインは典型的なメイド服。ホワイトプリムとかいうらしい、頭のカチューシャみたいな飾りも顕在だ。

 側仕えたるもの、やはりこうあるべきだろう。


 武器は愛用の自動小銃の他、両脇に拳銃を挿したホルスターを装備し、両脚の太ももにはサバイバルナイフのホルダーを備えた、凶悪な重武装。

 小柄でスレンダーなその体型には一見ミスマッチながら、逆にその違和感や無骨さがマニア魂をくすぐりまくりだ。


 おいおいスゲカッケーじゃん、解ってんじゃん! コイツなかなかセンスあるな!?

 妹の月乃とは違ってゲーム全般に疎い陽子だが、唯一嗜むのが戦争系FPSだった。


「…さ〜てぇ、そろそろ団体様がお着きになられたみたいですねぇ〜♪」


 楽しげな美夜の声に窓の外へと目をやれば…それこそ数え切れないほどの禍物が温室を包囲しつつあった。


「シロガネさん。クロちゃん。やぁ〜っておしまいなさーい♪」

「御意ッ!」「んにゃっ!」


 ノリノリだなこいつら。



           ◇



 だが、三人ともさすがに闘い慣れている。


 まず、シロガネは遠方射撃タイプ。

 自動小銃で無数の弾をばら撒き、敵の接近を許さない。


 小銃が弾切れを起こすや背中に担ぎ、両脇のホルスターから同時に引き抜いた二丁拳銃スタイルに早替わり。

 細身の身軽さを活かして華麗に宙を舞い、スカートの裾を翻して敵を翻弄。

 弾丸自体の殺傷力は低いが、左右別々の標的を一発も撃ち漏らさず、また時には同じポイントに多段ヒットさせるなど、驚異的な射撃性能を誇る。

 また近接戦は苦手というわけでもなく、相手とすれ違い様に引き抜いたナイフでなぎ倒すなど、臨機応変な闘いぶりだ、


 …てか、そんなにクルクル飛び回ったらパンツ見えちゃうんじゃね?と期待…いや心配してたら、ちゃっかりスパッツ履いてやがる。なんだよ色気ねーなぁ…。


「貴様ッなにジロジロ見ているっ!?」

「ギクッ。い、いや、めちゃカッケーなぁと思ってさ。…好きだぜ、そーゆーの♪」


 慌てて取り繕っただけなのに、シロガネは夜目にもハッキリ判るほど真っ赤に茹で上がり、


「…き、貴様の世辞など要らんっ!!」


 せっかくプレイスタイルを褒めてやったのに、なんでかキレられた。素直じゃねーなぁ…でもそこがカワイイけど♪



 

 続いてクロは意外にもパワータイプ。

 背丈以上の長さの金属バットを軽々とブン回し、至近距離の敵をまとめてかっ飛ばす。

 闇雲に振り回してるだけなので命中率こそ低いが、当たれば一撃必殺だ。


「んんっ…にゃあ〜〜〜っっ!!」


 どっっっごおーーーんっ!!


 もはや地形効果もへったくれもなく、敵がどこに身を隠そうが、凄まじい威力で周囲のあらゆる物体ごと粉砕していき、通った後には瓦礫しか残らない。


 そして最大の武器は野性の牙がのぞく大きな口で、攻撃の間合いをすり抜けて迂闊に近づいた敵を、無情にもガブリと噛みちぎる。

 …昼間、アレに指を喰われかけたのかと思うと震えが止まらない。カワイイのに…。




 そして最後に控える美夜は、運動能力にはいささか劣るためか、防御特化タイプ。

 彼女の周囲には一見何もない無防備ぶりなのに、それに騙されて近づいた敵は見えない壁に押し潰されたかのように勝手にひしゃげ、無惨に四散する。


 ときどき気まぐれに腕を高々と掲げ、振り下ろす。するとそばにいた敵は餅つきの臼に放り込まれたかのごとく虚空でどつき回され、地面に叩きつけられ、すり潰されておしまい…。

 なんというおぞましさ。


 昼間、校舎の廊下で、シロガネが放った弾丸を片手ですべて受け止めたのも、こうした能力を応用した技だろう。

 傍らで見ていると実にシュールで理不尽だ。


 そんな物理法則ガン無視の反則技を、薄ら笑いを浮かべた当人は嬉々としてやっているのだから、怖いなんてもんじゃない。

 あんなに可愛かった昼間の美夜ちゃんは、どこ行っちゃったの?




 さらによくよく見れば、倒れた伏した怪物の体は砂のようにサラサラ崩れ落ち…その後に血の塊のように赤黒い、いびつな球体が残る。


 その球体が、まるで掃除機に吸い寄せられるゴミのようにフワリと宙を漂い、美夜の体にスゥッと吸い込まれて消える。

 同様に方々から漂ってきた無数の玉が、いずれも美夜めがけて群がり、面白いようにスイスイ吸い込まれていく。


 シロガネやクロが倒した分のそれも、決して二人になびくことなく、美夜だけに吸い取られては消えていく…完全に独り占めだ。

 満足気に目を細める美夜。


 アレが『禍力』ってヤツか…。

 おぞましくも幻想的なその光景を、陽子はぼんやりと眺めていた。




「…陽子先生? ぼ〜っとしてるとアブナイですよぉ?」

「ヘッ…お前にだけは言われたかねぇ…なっと!」


 実況に徹していた陽子のところにも、ときたまあぶれた怪物が襲いかかってくる。

 だがそこは昔とった杵柄、すぐさま臨戦体制をとった陽子は、問答無用で叩きのめそうと拳を振るう…も、


「ぅえっ!?」


 ヒットした感触こそあるものの、まるで手応えがない。

 相手の体はそこそこ硬いはずだが、こんにゃくでも殴りつけたかのように拳がグニャリと押し返された。

 殴られた敵は一瞬ひるんで後ずさるだけで、すぐまた懲りずに飛びかかってくる。


「オイどうなってんだ、お前らがやったみてーにバァーンッてなんねーぞ!?」

「ムダだ、お前には禍力がない。普通の人間にコイツらは倒せない!」


 応戦中のシロガネが簡潔に説明する。マジで!? そんなのちっとも楽しくねーじゃん!


「でもでも、当たってはいますよねぇ? 普通の人には、見ることは出来ても触れないんじゃなかったんですかぁ〜?」


 えっ美夜ちゃんソレ本当!?


「んにゃっにゃにゃっにゃはっ!」

「『ボクもエサ捕まえてもらった』ってクロちゃんも言ってますよぉ〜?」


 えっコイツの言ってるコト解るのスゴくね?


「むぅ、言われてみれば…なぜだ貴様ッ!?」


 シロガネに解んねーコトをあたしが知るかボケェ!!


「…にしても、どんだけ湧いて出てくんだコイツら?」

「チッ、たしかに多すぎる。このままでは分が悪いな…」


 歯噛みしたシロガネは、しばし逡巡した後、


「…お嬢。禍力の補充を…お願いします」


 そう提案した彼女はなぜか頬を赤らめ、陽子のほうをチラチラ見やっていた。

 しかし陽子はそれには気付かず、他人から補充なんて出来るんだ?とぼんやり考えていた。


「はぁーい。ではまずぅ…ばりあ〜♪」


 頷いて掲げた美夜の片手の先から、今度はハッキリ視認できるほどの赤黒い光が溢れ出し、四人の周囲をすっぽり覆った。

 慌てて飛びかかる怪物達だが、光の壁に跳ね返されるだけで内部には侵入できない。


「こんな芸当もあんのか。わりと便利だなお前?」

「緊急回避用なのでぇ、時間が経つと消えちゃいますけどね〜。なので効果が判りやすい様に色を付けてみましたぁ」

 

 着色もできるとは器用な奴。てことはさっきは敵に悟られないように無着色だったんだな?


「それもありますけどぉ…禍力がある程度強いと見えるようになるんですぅ。でも今夜みたいなお客さん程度でしたら、いちばん弱いので充分ですぅ〜♪」


 敵にすればずいぶんな言われようだが、たしかにこんな不躾な客にはそろそろご退散願いたいものだ。


「ふぅ〜ん?…んで、こん中で時間稼ぎしてる間、あたし達は何やん…の……」


 美夜が展開したバリアを興味津々に眺めていた陽子は、そう尋ねながら視線を戻した…ところでピシッと石化した。


 …目の前で、美夜とシロガネの唇が重なり合っていた。



          ◇



 …ちゅっ…ちゅくっ…


「…ん…ふぅ…っ」


 粘膜が触れる卑猥な音に、二人の吐息が溶け合う。


 まどろんだ瞳同士が見つめ合い、上気した頬を指先が撫でる。


 指はそのまま首筋を伝い、うなじを撫で上げ、髪先を弄ぶ。


 金色と銀色の髪がもつれ合い、乱れ合う…。


「…な…んなっ…なんっっっぢゃこりゃあ〜〜〜っっ!?」


 完全に二人だけの世界に没入する美夜とシロガネの秘め事を目の当たりにして、陽子はたまらず頭を抱え込んだ。

 補充と称して、神聖なる学び舎で、よりにもよって教育者の眼前で、人目も憚らずチュッチュパチュッチュパ、ふた〜つ不埒な悪行三昧…ッ!


「んなエッチぃ補充がどこの世界にあるかぁ〜〜〜いっっ!?」


 ところがあったのだ。世界は広かった。


 よくよく見れば、密着した二人の唇の間を、赤黒い光が行き来している。

 美夜の体内に蓄積された禍力が、唇を介してシロガネの体内へと流れ込んでいるのだ。




 一般的にも生物同士がホニャララをやり取りする場合には、いずれも粘膜接触を伴う。それは自然界の枠組みから大きく逸脱しかけた彼らも例外ではなかった。


 そして禍力とは、彼らの体組織を構成する主成分である。血液同様に彼らの体内をくまなく駆け巡り、生体維持を担う。

 とともに、外敵への攻撃力そのものとしても機能し、消費が著しければ体調不良を引き起こし、枯渇すれば死に至る。


 つまり彼らの禍力の保有量は決して無限ではなく、有限である。

 すなわち彼らの闘いは、生命力…魂の削り合いや奪い合いに他ならない。




「…ふぅ…っ」


 昂るふたりを引き剥がす機会を完全に逸した陽子が見守る前で、彼女たちの濃密な共同作業はようやく終わりを迎えた。


 …ここってやっぱ、女子校だったんだな…と、すっかり忘れきった頃に認識を改めざるを得ない陽子だった。




 すでにお察しだろうが、陽子はその男勝りな言動とは裏腹に、内面はまごうことなき乙女である。

 唯に当校を紹介されたときも、憧れの君と同じ職場で働けるという待望のよろこび以上に『女子校』という魅惑のワードに心が躍った。


 だからこそ期待満々に来てみれば…実質生徒数たった二名という詐欺にも等しい体たらくぶり。それも到底乙女らしからぬイカレた面々ばかり。

 これではかねてから夢想していた乙女の花園的シチュエーションは絶望的だろう、と落胆していたところへ…


 コイツら、いきなりガチでおっぱじめやがった!!




「…あ、ありがとう…ございます、お嬢」


 禍力満タンとなったシロガネは、いまだ恍惚とした表情のまま、美夜に感謝して場を退いた。

 なるほど、毎度こんな有様では、シロガネにとってはいまだ赤の他人に等しい陽子の目を気にするのも仕方あるまい。


「いえいえ〜どーいたしましてぇ〜♪」


 対する美夜はといえば、大量の禍力を提供したというに、なんかますますイキイキしてる。

 実のところ美夜の禍力保有量は現状、ほぼ無尽蔵に近かった。

 いうなれば超巨大補給機である。なるほど確かに見た目もそれっぽい。とりわけ或る部分においては際限なく積載できそうな気がする。




「さぁ〜て…お次はクロちゃん、いらっしゃあ〜い♪」

「んにゅう…っ」


 え゛っまだやんの? てかコイツも!?


 やっと終わったと胸を撫で下ろす暇もなく、矢継ぎ早に2回戦へと突入する淫乱娘に、陽子はもはや仰け反るしかない。


 しかも相手はどこから見ても未成年で、性別すら判然としない…


「って待てやゴルァッは、そいつはさすがにアウトだろっ!?」


 ハッとした陽子が慌てて止めるも、時すでに遅し。


 幼き飼い猫の唇に分け入った、妖艶な主人の毒蛇のように卑猥な舌先が。


 未成熟な舌先を強引に勃たせ、舐り、絡みつき…無理やり溢れ出させた蜜に、深く、深く沈み込む。


(※口付けを交わしてるだけです。本当にそれだけなんです。信ジテクダサイ)


「…ふにゅう…っ」


 幼かろうと何だろうと手加減いっさいナシな美夜の舌技に、クロは年齢にそぐわない色っぽい表情を浮かべ…たところへ、


 スパァーンッ!!


 突如として、鞭のようにしなる美夜の手に叩かれたクロの尻ベタが、紙鉄砲のように小気味よく鳴った。


「ぎにゃあっ!?」

「クロちゃん…まぁ〜た私にナイショでお外に出ちゃったのねぇ?」


 パァンッ!


「ひにゃっ!?」

「聞き分けのないイケナイ子にはぁ…」


 パパァンッ!!


「ひぎぃっ!?」

「オ・シ・オ・キ♪」


 スパパパパァーンッッ!!!


「はにゃあ〜〜〜ん…っ。」


 幼くして、痛みを乗り越えた先にある甘美な桃源郷へとはやくも到達してしまったクロは、カンペキに昇天して果てた。


「はにゃ…にゃ…あ…っ♪」


 焦点の定まらない恍惚の眼差しであさっての方向を見つめ、口元からはだらしなくヨダレを垂れ流して、ピクピクと痙攣するクロ。


 文字媒体だけの描写で済んで良かった。万一これが映像ならばカンペキ『見せられないヨ!』のモザイク処理モノである。


 てか、コレでホントに回復してんのかい?

 そして美夜はいったい何処でこんなプレイテクを身につけてくるのか?



          ◇



「…お次はいよいよぉ…メインディッシュいっちゃいますかァ〜ンッ!?」


 従者二人を手にかけた勢いで、ますます危険がアブナくなった美夜は…あろうことか、


「…へっ!?」


 すっかり腰が抜けてその場にへたり込み、なす術なく傍観を決め込んでいた陽子に、車椅子を軋ませてにじり寄った。

 心なしか美夜の目つきがどんどん悪くなっている。


「ちょ待っ…あ、あたしは関係なくねー?」

「関係あろうと無かろうとぉ、私は私のヤリたいようにヤルんですよぉ〜イヒヒッ♪」


 壁もないのに壁ドンポーズをとり、美夜はじりじりと陽子の逃げ場を無くしていく。


「陽子せんせぇはメチャクチャカッコいいじゃないですかぁ…だからメチャクチャにしてやるですよぉ〜アヒャヒャヒャ!」

「言ってることが支離滅裂だぞ!? だ、だから待てって! ぅおいシロガネッ、こいつマジイカレちまってんぞっ!?」


「マズい、『禍力酔い』だ…っ」


 シロガネの額を冷や汗が一筋伝い落ちる。なんだそりゃ?


「いわゆる酩酊状態だ。禍力の摂取量や流出入頻度が極度に高い場合に起こり得る。

 過剰な禍力の流れに体がついていけず、様々な異状を引き起こすわけだ。

 並みの者ならそれ以前にショック状態に陥り死に至るが…お嬢は別だ」


 相変わらず説明ゼリフになった途端に饒舌化する奴はさておき。


 先に述べた通り、美夜の禍力は無尽蔵。

 そして今宵は無数の敵を相手にしたため、減るどころかかえって多くの禍力が美夜に過剰供給されてしまった結果…


「私のキスが受け取れねぇってーのかォオ〜ンッ!?」


 ご覧のとおり、見事な大トラが誕生してしまったわけだ。


「う〜わメンドくせーヤツ!」

「…こうなったお嬢は、もう誰にも止められん…諦めろ」


 いつもは真っ先に止めに入るはずのシロガネが、真っ赤になったり真っ青になったり慌ただしい顔色でブルブル震えている。

 それだけヤバイっことか…と察した陽子は逃げ出そうともがいてみるが、


「んむっ…!?」


 抵抗など無意味とばかりに無理やり迫った美夜の唇に、すべての力を奪われた。


 糸が切れたように四肢をしなだれ、なす術なく組み敷かれた陽子の体に、触手のように脈打つ美夜の舌が強引に分け入ってくる。


 その舌先が咥内の至る箇所を舐め回すたびに、言い様のない不思議な感覚が体の奥底から湧き上がってくる…。


 陽子だってそれなりに場数を踏んできたから、こんな行為は初めてではない。

 相手に力づくで奪われるシチュエーションに憧れもしたし、美夜のことだって嫌いではない。

 むしろ、これほどの美少女にされるなら本望かとも思う。


 だが、しかし…


 …違う…何か違う…

 求めていたのは、コレじゃない。


 それを…こっちの気持ちを無視して、好き勝手やりやがって…!

 こんのクソガキッ…オトナを…


 …あたしをナメんなッッ!!




「ん…むぅ? むっ…むむぅ〜ッ!?」


 欲望の赴くまま行為に耽っていた美夜の顔色が、見る間に豹変していく。

 違和感…焦り…そして、恐怖へと。


 陽子の体の奥底から、得体の知れない何かが…美夜がいまだ味わったことのない壮絶なエネルギーが、怒涛の勢いで逆流してくる!?


 言ってしまえば、それはありふれた禍力だった。

 しかし、その物量がいまだかつて経験したことのない…天文学的に桁違いな、途方もない圧力を伴って…


 あたかも怒りの拳を矢継ぎ早に叩き込まれるがごとく、美夜の体を内側から突き破らんばかりに暴れ狂っている!


 恐怖から…絶望へ。そして…


「あ…ああ゛っ…

 イ゛ヤ゛ア゛ア゛ーーーーーッッ!?」


 死にたくない…生きたい…っ!


 生まれて初めて味わったであろう、表現しがたい生への執着心に突き動かされ…


 美夜は、陽子を突き飛ばした。

 彼女の周囲に展開していたバリアーごと。


 バリアーを構築する濃厚な禍力が、あたかも難破船から逃げ出すネズミの大群のごとく、わななき、もつれ、逃げ惑う。


 赤黒かった光が、一瞬真っ黒に染まり、収束、凝縮。


 直後、その一点が崩壊するかのごとくひび割れ、幾筋もの眩い光が周囲を真っ白く照らし…一気に飛散した。

 

 光の渦に呑み込まれた無数の怪物の群れが、その光に削り取られるかのように、片っ端から蒸発していく。


 終いには温室のガラス壁が、けたたましい音を立てて粉々に割れ、内側からすべて吹き飛び…鉄骨の骨組だけが残った。


 

           ◇



 …すべてが終わり、静寂が戻った。


 温室の残骸から虚空を見上げる、残された四人の視界に映るのは…満天の星々。


 文字通り粉々に…粉末状にまですり潰され、飛び散ったガラスの破片が、星のカケラのように頭上に降り注ぐ。


「…My God.It's Full of Stars…」


 なおも宇宙を見上げ続けるシロガネが、独り言を呟く。

 冒頭の映画を彼も観ていたようだ。


「終わった…のか?」

「ふ…にゃあ?」


 なおも状況を理解できない陽子とクロが、周囲をキョロキョロ見回す。


「…ふ…えぇ…っ」


 そんな三人の耳に、誰かの嗚咽が聞こえた。

 振り向いてみれば…すすり泣く美夜が、そこにいた。


「うぅえぇあ゛…怖…かった…よぉ…っ!」


 完全に涙腺を決壊させた美夜は、ビー玉のような大粒の涙をボロボロこぼして、子供のように泣きじゃくっていた。


「いったい…何が起こったんだ…?」


 美夜に拒絶されたショックさえ覚えていないほどに呆然となった陽子は、もはや何も考えられない様子で、ただただその涙を見つめている。

 遅れてシロガネがやっと我に返り、


「お嬢!? 大丈夫でした…か…?」


 慌てて美夜に駆け寄ろうとして…そこでフリーズした。


 彼の視線の先には、大きな水溜まりがあった。

 その水溜まりは、いまだ泣き続ける美夜の足下…車椅子の下に広がっていた。


 視線をやや引き上げれば、そこに向かってポチョン、ポチョン…とこぼれ落ちる、大粒の水滴。


 それは無論、美夜の涙…

 ではなく、ビショビショに濡れそぼった彼女のゴスロリ服の裾から垂れていた。


 夜目にもハッキリと判る、黄金色の水滴。


「…な…ん…だと…っ?」


 その意味をようやく理解し、顔を真っ赤に染め上げていく陽子に、


「…貴様…ついに…やりやがったな…ッ!?」

「ふんぎゃ…っ!」


 同様に赤面するシロガネとクロが、じりじりと間合いを詰める。もっともこちらの赤面の意味は陽子とはまったく違うが。


「ま、待て。これはあれだ、不可抗力ってヤツだ。つーか被害者はむしろあたしだろ?

 落ち着いて話し合おう、話せばだいたい理解し合え…」

「…ることなど、もはや未来永劫ないだろうな…貴様のような糞虫ごときとは…っ!」


 いや〜糞虫はオシッコにはたからないんじゃないかな〜?…などという屁理屈は、怒り心頭に達したケダモノ二匹に通じる筈もなかった。



          ◇



 命からがら逃げおおせた陽子が、校門まで戻ってみれば…

 案の定、その脇に愛車を停めた唯が、悠長にスマホゲーで遊んでいた。


 不思議なことに、校舎内では一切使えない通信機能が、校門から一歩外に出ただけで復活するようだが…いま気にするべきはソコじゃない。


 陽子は一も二もなくマ◯オのような大ジャンプをきめ、オープンカーの真上から助手席めがけてダ〜イブ!


「ぅぎゃひゃあっ!? イキナリ何…ああっ!? アイテム撮り損ねたー!!」

「ンなこと気にしてる場合かボケッ!!」


 突然の陽子の突入に驚くよりもゲームプレイを優先する唯に業を煮やしてスマホを取り上げた陽子は、喚きたてる唯の首を強引に捻って背後に目を向けさせた。


「待たんか貴様ッ、ブッコロース!!」

「はんっにゃぎゃあ〜っ!!」


 怒鳴りながら急接近するシロクロコンビに目をとめた唯は、あろうことかケタケタ大笑いして、


「さっすがヨーコちゃん! 初日からやらかしちゃったかぁ〜っ!」

「どーでもいーからはやく車出せクルマぁ!!」

「うひゃひゃオッケー♪」


 面白がって車を急発進させ、ドリフトをギュルギュル決めながらフルスピードで坂道を駆け下りる唯たち。

 バックミラーを覗き込むと、校門を乗り越えて追いかけてきた二匹の姿が急速に遠ざかるのが確認できた。


「…ゴメン唯。せっかく紹介してくれたのに」


 ホッと胸を撫で下ろすや、今度は急に泣きべそをかき、陽子はガラにもなく素直に謝る。


「…今度は何したん?」

「教え子に手ぇ出されたのに出したことになって…水溜まりこさえてクビかもしんない…」


「ぜんっぜんわかんないけど…

おおかた、美夜ちゃんからキスしてきたのに勝手に泣かれて、なんでかオモラシさせちゃった…とか?」


…なんでわかる?


「だって、一部始終見てたし♪」


 悪びれもせずに笑い転げながら、唯は隠し持っていた紛失書類を陽子の鼻先に差し出した。


「…てんっめぇ…今度はなに企んでやがる…?」


 すべてを悟って睨む陽子に、唯はクスクス微笑んで、


「ま、色々とねん。それより、もっと大変なのはたぶんこれからだから…せいぜい頑張って♪」


 と、無邪気にウインク仕返した。



           ◇



「…お帰り…なさい」


 やっとこさ帰り着いた自宅の玄関ドアを開けるなり、待ち侘びていた月乃が出迎えてくれた。

 やっと命拾いできた気持ちで長い息を吐く陽子の肩越しに、


「やっふーカワイコちゃん。お邪魔しまーす♪」

「…本当…お邪魔虫…」


 ナンパ男ばりの軽い挨拶を送る唯に、珍しく不満ぶりばりな顔つきで愚痴をこぼす月乃。


 ライバル同士のアツいバトルの火蓋が、密かに切って落とされていた…ことに陽子はまるで気づかなかった。


「…ところで、なんでまた着替えてんだ。コンビニでも行ってたのか?」


 出かけた時には部屋着のロンTで見送ってくれたのに、今はよそ行きな装いに変わっている月乃に気づいた陽子が問う。

 すると月乃はことさら不機嫌そうな顔色を浮かべ、


「…お客さん…来てる。」


 もはや定番のフラグワードを呟いた。


「…客…ねぇ?」


 嫌な予感しかしない陽子が、渋々リビングを覗き込むと…


「…お帰りなさいませ。旦那様♪」

「…いつか必ず死なす」「んにゃっ!」


 やはり定番通り。

 なぜか三つ指ついて陽子を出迎える美夜お嬢様と、その左右で殺意を漲らせるシロクロコンビの姿があった。


《Jones…You Fire!!》


 リビング奥のテレビでは、月乃が観ていたらしい有名SF映画のラストシーンが垂れ流されていた。


 よりにもよって何故このシーンなのか。

 


【第二話 END】

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